カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2020年1月 5日 (日)

戦時下のミッキー

 

(ミッキーとガスマスク、そして陸軍九〇式大空中聽音機)

 

 

 年賀状をデザインするに際し、必ずしも干支にちなむというわけではないが、昨年末(つまり年賀状デザインについて思いを巡らす時点)には、ネズミネタ路線に向かっていた。

 

 で…

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我ながらびっくり(私はディズニーファンではない)のミッキーマウス・モチーフである。枢軸国―もちろん我が大日本帝國も含まれる―による毒ガス攻撃から子供たちを守るためのガスマスクに施されたミッキーマウス・デザインなのである(後述)。しかし、あまりに不吉なイメージではある。親しい友人たちには確実にウケると予想されるが、私との付き合いが深くない方々には刺激が強過ぎるとも思われた。

 

 そこで…

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対米英開戦に先立つ時期、日本人の誰も著作権なぞ気にしない時代の日本産ミッキーの年賀カード(右から左に「アケマシテオメデタウ」とある)である。ミッキーマウスにしか見えないキャラは、日本軍のために活躍しているのである(ミッキーたちが操作しているのは日本陸軍の九〇式大聴音機―詳細は後述)。

 

 

 

 まず取り上げるのは不気味感全開のミッキーマウス・ガスマスクについてだが、1941年12月の真珠湾攻撃の衝撃の渦中の米国でデザイン(ウォルト・ディズニー)され、実際に製造(サン・ラバー社)されたものだという。ミッキーマウスをモデルとしたデザインは、ガスマスク装着時の恐怖感を和らげるはずであった(ゲーム感覚で装着訓練を重ねられることが期待された)。

 日本軍による米国本土への毒ガス攻撃が、現実的脅威として迫っているように感じられていたのである(太平洋には日本軍、加えて大西洋側の海面下にはドイツのUボートが潜行し攻撃の機会を窺っているものと考えられた)。

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 (During WW2 Walt Disney designed a Mickey Mouse gas mask for children, in the hope that they would not be frightened if they had to wear it. /41strange / twitter.com)

 

 実は、米国製ミッキーマウス・ガスマスクには先立つ存在があった。既に1939年以来ヨーロッパは戦場となっており、大陸諸国はドイツの占領下となり、残された英国も侵略されようとしていた。第一次大戦での毒ガス攻撃による悲惨は人々の記憶にあり、ドイツによる爆撃が現実となった英国でも、毒ガス攻撃からの市民防護が課題となっていた。市民にもガスマスクが配布される中で、子供用のガスマスクも用意されたのである。英国政府の用意したガスマスクはミッキーマウスにはまったく似ていなかったが、ミッキーマウスの名で呼ばれることになる。幼児の喜びそうな仕掛け(鼻が伸びる)も組み込まれた楽しげな色使いのマスクであった。要するに、幼児にも抵抗なく装着されることが目論まれてのデザインということである。

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  British Government issued child’s gas mask.Circa. 1940 / cartoonresearch.com)

 

 もっとも、1943年生まれのエリック・アイドル(あのモンティ・パイソンのメンバー)の記憶によれば、ガスマスクの装着は、おぞましい体験であったようだ。ゴムの臭いは耐え難いものであり、以来、エリック・アイドルにとってミッキー・マウスとスキューバダイビングは苦手なものとなったという(『エンパイアマガジン』の2019年1月号の記事にあるらしい)。ガスマスクの装着は容易でも快適でもなく、フィルターを通しての呼吸はそれだけでも息苦しいのに、強烈なゴムの臭いの中に閉じ込められるのである。

 

 英国政府が支給した子供用ガスマスクはミッキーマウスには似ていなかったが、そのネーミングはロンドンのディズニー・オフィスに受け入れられた。この幼児向けガスマスクをめぐる英国でのエピソードは、のちに米国製ミッキーマウス・ガスマスク製造会社となるサン・ラバー社の社主であるT.W.スミスにより米国にも伝えられた。1942年1月には、ウォルト・ディズニー自ら掲げるデザイン画と共に軍の市民防衛部門と科学戦部門、産業部門の責任者が並んでの記念撮影がされている。

 デザイナーのディートリッヒ・レンペルとバーナード・マクダーモットにより、ディズニーによるデザインは立体造形化され、実際にサン・ラバー社で製造されることになった。ミッキーマウスに加え、プルートや三匹の子豚タイプのガスマスクもデザインされたという。サン・ラバー社は、様々なゴム製品(玩具から文具、医療器具、そして軍需製品まで)の製造に従事しており、子供用の玩具もその一つであったが米国の参戦と共に玩具製造を中止していた中でのエピソードである。

 

 真珠湾攻撃の衝撃は大きく、やがてあるかも知れない枢軸国による米国本土への毒ガス攻撃への対処も米国の政治家の課題となった。当初、ニューヨーク市長のラガーディアは、市民の安全のためには5000万個のガスマスクが必要だと主張した。そんな中での子供用ミッキーマウス・ガスマスクなのである。

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 (45th Infantry Division Museum Oklahoma City Oklahoma / tripadvisor.jp)

 しかし、ミッキーマウス・ガスマスクの生産は戦争の全期を通して1000個前後で終わることとなった。実際に広く供給されたのは子供用のM1-1非戦闘員用ガスマスクであった(ただし幼児用としてのデザイン的な配慮はない)。時間と共に戦況は米国に有利となり、毒ガス攻撃の可能性も減少していく。非戦闘員用ガスマスクは最終的に30万個が供給されたとされるが、それが子供用だけの数字なのか大人用も含む数字なのかは(私の目を通した範囲では)判然としない。

 戦後もディズニーとサン・ラバー社の関係は続き、ライセンス契約の下でのサン・ラバー社のゴム製ディズニーキャラ・フィギアが製造されたという。

 米国本土においても英国においても、対戦国による毒ガスを用いた攻撃を経験することはなく戦争は終結を迎えた。ガスマスクが実際に用いられることはなく、装着したガスマスクが市民の生命を救う場面もなかった。が、英国ではガスマスクのフィルター部に用いられたアスベストによる健康被害が報告されているという。製造工程に従事した労働者が、アスベストの犠牲となったというのである(エリック・アイドルの幼児体験の中のガスマスクにもアスベストは用いられていたはずである)。

 約1000個という製造数のミッキーマウス・ガスマスクは、現在のコレクターにとっては入手困難なレアなアイテムとなっているらしい。限られた生産数であったことに加え、ゴムという劣化のしやすい材質の製造品であることが、コレクターにとっての入手難易度を高めているようである。入手難のミッキーマウスの本家(?)の米国製ガスマスク現存品に比して、ミッキーマウス・ガスマスクの元祖的存在である英国政府供給の現存数はそれなりに多いらしく、オークションサイト等に出品されている現存品を画像検索で確認出来る。

 

 

 

 そもそもは戦時期のミッキーマウスを用いたプロパガンダへの関心、特に戦前のわが大日本帝國でのミッキーの活躍への関心から、そして年賀状作成という課題から、「mickey mouse ww2 japan」なんて検索語でネット上の画像チェックをしたところから始まった話である。わが大日本帝國の戦前期におけるミッキーの活躍ぶり(要するに著作権なんか関係なし)に感心していたら、件の米英のガスマスク画像も発見。迷うことなく年賀状デザインに採用したわけだが、やはりあまりに不吉感が大き過ぎる。で、あらためていろいろ画像検索を進めるうちに、ミッキー(にしか見えない)キャラの活躍する、しかも軍事色あふれる年賀カードを発見したのであった。近頃は年賀状が流行らなくなりつつあるが、戦前のアメリカン・アニメキャラ・カード類には年賀モードのものも多くみられる。ベティーとミッキーが一緒になって「アケマシテオメデタウ」、なんて展開である。

 そんな中から、オークションサイトで$150の値で売りに出されていたのが、仮に「防空ミッキー」と呼ぶことにしたカードである。

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 (1930 Disney Mickey Mouse War & Postwar Vintage Japanese Postcard Very Rare Sold Price: $150 / antiquesnavigator.com)

 

 手前にあるミッキーに囲まれている巨大金管楽器のような装置が、侵入する敵機の爆音を捉えて位置を探るための聴音機。遠くの地平線上には日章旗が翻り、空には低翼単葉引込脚に見える日本軍戦闘機らしき姿。さて、ミッキーはどちらの側にいるのであろうか?

 

 で、あらためて聴音機に注目すると…わが陸軍の九〇式大聴音機であることが判明(写真画像からすると、防空ミッキーカードはかなりリアルな描写となっていることがわかる)。

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 (九〇式大聴音機/Wikipedia)

 

 画像をいただいたウィキペデイア先生によれば「九〇式大空中聴音機(きゅうまるしきだいくうちゅうちょうおんき)は1932年(昭和7年)に日本軍が採用した音響探知装置である」という、日本陸軍の防空用音響探知兵器である。ミッキーマウス部隊が運用しているのはわが帝國陸軍自慢(?)の防空システムに組み込まれた音響探知装置なのであり、となるとミッキー部隊は日本陸軍に所属していることにならないか?

 

 手元にある陸軍航空本部第二班編纂の『最新 世界航空大観』(厚生閣 昭和6年)の第四章は「國土防空」となっており、その「三 防空法(一)―積極的防空施設」に「F 聽音機」の項がある。

  さて聽音機は敵機上より發する爆音を聽取してその方向を判定するものであるから、その配置が適當でない場合には友軍戰闘機の妨害を受けて、遂に敵機の標定不可能となり、或ひは誤つて友軍戰闘機を標定することになる。それ故に照明地帯の前方に出来れば特に警戒地帯を設け、その中に聽音機を配置して敵機の航路を第一戰の照空燈に知らしめ、戰闘地帯の照明實施を成るべく早く行はせ、待機地帯内には聽音機を絶對に配置しない方を有利とする。而してこれらの聽音機を如何なる距離間隔をおいて、いかなる位置に配置すべきかは聽音機そのものの聽音圏等の性能に左右されることが多く、これらには總べて聽音機専門家の研究に俟つこととしよう。
     (175ページ)

このように説明されているが、再びウィキペディア先生を参照すると、

  聴音機とは飛行する航空機の音を捉え、その位置や移動方向を割り出すものであるが、より探知精度の高いレーダーの実用化で姿を消した。しかし、電波探知機(レーダー)による捜索技術で欧米等から後れを取っていた日本では、太平洋戦争終戦間際まで使用され続けた。好条件下では、約10km先の目標を探知可能であった。 

とされている。ウィキペディア先生の「聴音機」の項には、

  空中聴音機は方向と高低を特定するためにラッパや反射鏡のような集音装置を備え、音を導音して受音器で聞き取った。音源の方向と高低の特定は、音を聞き取る操作員が、音響が正面から来ていると感じ取ることで行われた。しかし、音響は気象条件、湿度、温度、風向等の条件によって大きく変化した。また雨天の際には集音部のラッパに水がたまるため、点検して除去する必要があった。
  聴音によって特定できる航空機の位置は常にずれている。数キロメートル離れた場所からの音波は、聴音するまでに数秒がかかり、その間に航空機は聴音によって特定された位置から離れている。照空、射撃に用いるには、この誤差を修正する必要があった。

とある(『ウィキペディア』の信頼性という問題は常にあるが、『ウィキペディア』に全面的に依拠するのではなく、記述を批判的に読んだ上で利用可能と判断した記述は利用するのが私の姿勢である)。

 昭和10年代後半には時速500キロを超える高速の軍用機が主流となっていく中で、「好条件下」でやっと10キロ先の目標が探知可能(ただし「数キロメートル離れた場所からの音波は、聴音するまでに数秒がかかり、その間に航空機は聴音によって特定された位置から離れている 」のである)という「積極的防空施設」なのであった。

 ところで、『最新 世界航空大観』には、「聽音機」の画像も掲載されている(176ページ)。

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 上が「喇叭形聽音器」で下が「蜂巣形聽音器」となっているが、この「喇叭形聽音器」は、形状からして九〇式大聴音機のように見える(掲載写真の「喇叭形聽音機」の向きは、ミッキー部隊が操作しているものにも重なる―左右に並ぶ向かって右側の「喇叭」と左側中段の「喇叭」による「聴音」で進入する敵機の左右水平方向での位置を判定し、左側の上下段の「喇叭」を用いた「聴音」により上下垂直方向での進入機の角度を測る)。車輪は外されているが、全体のサイズ、「喇叭」の形状、喇叭を支える支柱の形状を見ると、ほぼ九〇式聴音機そのものではないか。軍による採用は昭和7(1932)年とされているが、昭和6(1931)年の時点で、陸軍航空本部第二班編纂の『最新 世界航空大観』には写真が掲載されていたものと考えられる。「九〇式」とは「皇紀2590年式」を意味し、すなわち昭和5(1930)年であるから、「年式」の年号と「採用」の年号、そして掲載写真の書籍発行年号の異同という細かいところにも、つい眼が向いてしまう(本文は「聽音機」で写真キャプションでは「聽音器」であるところにも)が、要するに1930年代の日本軍の「積極的防空施設」を操作しているのがミッキーマウスという話なのである。

 後方上空の低翼単葉引込脚の戦闘機らしき軍用機(両翼に記された国籍マークからして軍用機であろう)からすると、実際に日本陸海軍が低翼単葉引込脚の戦闘機を配備するのは1940年以降となるので、イラスト作者がリアルな描写を心掛けているとすれば、この防空ミッキー年賀カードも1940(昭和15)年以降に販売されたもの(雑誌の附録であった可能性もある)であるかも知れない(翌昭和16年12月には真珠湾攻撃による対米開戦となるので、このミッキーマウス・デザインでは昭和17年の年賀状には使えなくなってしまっていただろう)。

 

 

 

 以上、今年の年賀状をめぐるあれこれである。

 

 

 

 

【主な参照先】

 終末感漂う、戦時中の子供向けガスマスクとそれを付けた子供たちの古写真 / カラパイア
  http://karapaia.com/archives/52229440.html

 The Mickey Mouse Mask By Major Robert D. Walk
  http://www.gasmasklexikon.com/Page/USA-Mil-Mikey.htm

 Did you know Walt Disney designed the world’s weirdest gas mask? By John Kelly
  https://www.washingtonpost.com/local/did-you-know-walt-disney-designed-the-worlds-weirdest-gas-mask/2015/09/12/885be808-57d8-11e5-8bb1-b488d231bba2_story.html

 The Mickey Mouse Gas Mask— Used in Name and Design During WWII By Dave Bossert
  https://cartoonresearch.com/index.php/the-mickey-mouse-gas-mask-used-in-name-and-design-during-wwii/

 Gas Masks in the Second World War killed more people than they saved By John Simkin
  https://spartacus-educational.com/spartacus-blogURL124.htm

 “"Mickey Mouse" Gas Mask For Children WWII”
  https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g51560-d117287-i181179932-45th_Infantry_Division_Museum-Oklahoma_City_Oklahoma.html

 九〇式大聴音機 / ウィキペディア
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E3%80%87%E5%BC%8F%E5%A4%A7%E8%81%B4%E9%9F%B3%E6%A9%9F

 <骨董品シリーズ その62>空中聴音器 / 小林理研ニュースNo.96_3
  http://www.kobayasi-riken.or.jp/news/No96/96_3.htm

 日本の空中聴音機(Japanese Sound Locator)
  http://www17.big.or.jp/~father/aab/kikirui/soundlocator.html

 かつて戦時中に使用されていた、音波で対象物の位置を捕捉する「空中聴音機」の歴史 / カラパイア
  http://karapaia.com/archives/52068069.html

 

 

 

 



 

 

 

 

 

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2019年12月29日 (日)

東ドイツ建国70年目の「ドイツ民主共和国40周年記念勲章」

 

 2019年も残り数日となってしまったが、数日前に遡る話である。

 2019年は東ドイツ(ドイツ民主共和国)の建国70周年に当たる(「2019 70JAHRE DDR (幻の東ドイツ建国70年)」参照)。しかし、建国70周年の国家的祝賀行事を主催するべきドイツ民主共和国は、ご存じの通り、既に存在しない。1990年の建国41周年を迎えることなく、統一ドイツの名の下に、ドイツ民主共和国(東ドイツ)は消滅したのであった。それから30年が過ぎようとしている。

 そんな2019年の年末、たまたま、ネット検索で調べものをしていた際に、ネットショップで「ドイツ民主共和国40周年記念勲章」が販売されているのを発見したのである。

 で、迷わず購入してしまった。1989年、10月7日の建国40周年記念式典から1か月もたたないうちに、式典の主宰者であったホーネッカーは失脚し、ホーネッカーが築いたベルリンの壁も崩壊してしまう。その間際というか、短い時間の中で制定(1988年10月14日)され授与(1989年10月7日)された「ドイツ民主共和国40周年記念勲章」なのである。

 

 白いプラスティックのケース入りだが、フタとケースが別になっているスタイルではなく、フタとケースは蝶番により一体化されている(これまで入手した東ドイツの勲章・記賞類は、フタとケースが別のスタイル―弁当箱のような―であった)。しかもフタ側とケース側の両方が赤いフェルト敷きとなっている。特にコレクターというわけではないし、手元にある勲章・記章類の数も限られているので、どちらもどこまで一般的なスタイルなのかはわからない。

 1989年から30年が過ぎるわけで、その年月を反映してか、台のフェルトには小さな穴(虫食い?)があるし、メダルの表面にも黒く変色した部分がある。その一方で、いわゆる「使用感」はなく、「新品」の印象である(授与された建国40周年記念勲章は瞬く間に亡国記念章と化してしまい、佩用する場もなかったということでもあろうが)。裏面には「FÜR VERDIENSTE UM DIE DEUTSCHE DEMOKRATISCHE REPUBLIK」との銘があるので、授与されたのは国家に対する貢献が認められた人物ということになる。制定者はホーネッカーだというが、その制定者が失脚するような状況(1989年10月17日の政治局会議で解任動議)の中で、どのような規模で叙勲されたのであろうか?

 授与された者が手放したものなのか、授与の機会を失いデッドストック状態で倉庫にしまい込まれていたものなのか? いろいろと気になるが、とりあえずは入手の記録として2019年の最後の記事をアップしておこうと思う。

 

 

 

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2019年10月28日 (月)

2019 70JAHRE DDR (幻の東ドイツ建国70年)

 

 2019年の10月の終わり、30年前を思い出してみると、ヨーロッパの東側には社会主義国家群があった。経済的にはコメコン、軍事的にはワルシャワ条約機構により、ソ連に従属的な地位を強いられていた国家群である。30年前の10月の時点では、まだ、いわゆる東西冷戦状況が継続していたのである。

 1989年の10月初頭には、東欧各国(そしてアジア・アフリカの強権的国家の)首脳列席の下、東ドイツ(ドイツ民主共和国=DDR)では建国40周年の式典が執り行われていた。その中心にいたのは、国家評議会議長のホーネッカーであった(ホーネッカーは、かつてベルリンの壁を築いた人物でもある)。しかし10月の終わりには、既にホーネッカーは解任されていた。民主化(つまるところ東独権力システムへの根底的批判を意味する)への市民の期待は高く、市民によるデモも公然と行われるようになっていた。そして11月9日、かつてホーネッカーの築いたベルリンの壁は崩壊する。東側から西側への通行の自由が認められたのである。そして1年後の10月には、国家としてのドイツ民主共和国は消滅する。ベルリンの壁と共に、ユートピアであるはずの世界(DDR)が崩壊したのである。

 

 今年の年賀状を作成していた時、あらためて2019年が東ドイツ建国70周年に当たると同時に、ベルリンの壁崩壊30周年の年でもあることに気付いたのであった。で、年賀状作成に加えて、東ドイツ建国70年祝賀カードを作ってみたのであった。

 

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 年賀状の主人公は(自ら" I'm a Very Stable Genius ! ”と言ってしまえる米国の偉大な兄弟としての)トランプ閣下、建国70周年カードの方は、建国40周年の際の東独デザインにちょっと手を加えただけの安直なモノではあるが、それでもこの30年間の感慨が込められたものでもある。とにかく2019年の年頭、私としては、かつて存在した東独という国家、そしてその国民として生きた人々に思いを馳せることをしておきたかった。あの、まるで市民の移動の自由が国家を崩壊させたような歴史的瞬間にも。

 

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 2019年の10月の終わり、あらためて、そんな年頭の感慨を思い出し、若干のセンチメンタルな気分に浸りながら、このような一文を書く気になったのであった。

 1989年の11月の9日、ベルリンの壁の崩壊を迎えることになったわけだが、1989年の10月の終わり、まだ誰もそんな時がやって来ようとは考えていなかったはずだ。もちろん、多くの人々の期待の中に、いつか来るはずの出来事としてベルリンの壁の崩壊は待ち望まれていたであろうが、2週間もしないうちにその日を迎えようとは思われていなかった。そんな10月の終わりであった。

 

 

 

〈オマケ〉

 映画『グッバイ、レーニン!』の予告動画。日本語字幕版のDVDのキャッチコピーは「ベルリンの壁は崩壊した。だけど僕は母を守る壁を作ろうとした。」であった。まさに1989年の10月からの一年間を舞台とした映画である。

 Good Bye Lenin! - Trailer
     https://www.youtube.com/watch?v=lv5FO9PtAvY



 建国40周年の祝賀軍事パレードの動画(延々と45分続くが、列席の各国首脳の顔ぶれには、その後、独裁者として悲惨な最期を遂げた人物も含まれ、これまた感慨深い)。

 40 Jahre DDR East Germany Military Parade 1989
     https://www.youtube.com/watch?v=6vBGYe19Ibk

 

 

〈関連記事〉

  「トラバント

  「幻のドイツ民主共和国建国60周年

  壁を築くことの意味

  「1961年8月13日(ベルリンにおける公衆衛生学的処置としての「壁」)

 

 

 

 

 

 

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2019年4月11日 (木)

古本ジャングルと70代の道案内

 

 

  よくお世話になっている(カモにされている)立川フロム中武の古書市の案内状、「恒例フロム古書市ご案内」が届いている。

  案内状に記された天心堂御主人の「呟き」にウケたので、ここに記録保存。

 

 

 

 

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   中央線沿線から集まった古本屋五軒。
    そのほとんどは70歳以上、現役。
    世に珍しい高齢者立上げの即売会は
     (どこかのんびりしています)
     目の前に広がる古本ジャングル群
   (お客様が開拓者ならば、私どもは道案内)
     本との出合いは束の間のトキメキ、
       ご来場をお待ちしております。
              参加店主の呟き  天心堂
                   2019年 4月吉日

 

 

 

  今回は、日程的に「開拓者」として出かける時間がとれるかどうか状態なのが残念。

  レジで雑談にふける道案内の大先輩方の気配を感じながら、古本ジャングル探索を楽しんじゃうひととき。

  財布の中身を減らし、狭い部屋をより狭くする。そこに問題があるのだが、「本との出合いは束の間のトキメキ」なのである。

 

 

 

 

 実際、どうなるかというと…こんなものが手に入ってしまったりする
     (以下追記:2019/04/13)

 

 《昨年の夏のある日の収穫》

 

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明治期の小學理科教科書からバタイユまで、この13冊で8150円の買い物

(上段左から右へ)
學海指針社編輯 『小學理科新書 甲種 巻之一』 明治26(1893)年 集英堂  金十二銭→700円 
深谷甫 『米國海軍艦型圖輯』 昭和18(1943)年 海と空社  2圓00銭→900円
宇都宮謙編輯 『義は君臣情は父子』 昭和13(1938)年 日本歴史研究會  金壹圓五拾銭→1200円
ジョルジュ・バタイユ ハンス・ベルメール画 『眼球譚◎マダム・エドワルダ』 1988 白水社  2400円→400円
谷喬夫 『ナチ・イデオロギーの系譜』 2012 新評論 900円
小学校平和教育教材編集委員会・広島県原爆被爆教師の会編 『ひろしま―これはわたしたちのさけびです(試案)』 1970(ただし1981年の3訂版第7刷 広島平和教育研究所出版部  頒価180円→100円
(下段左から右へ)
日本民族學協會編輯 『民俗學研究 第十二巻 第二號』 1947 彰考書院  三十五圓→250円
多木浩二 『「もの」の詩学』 1984 岩波現代選書  1800円→500円
藤原彰 『中国戦線従軍記』 2002 大月書店  2000円→800円 
デイヴィッド・フィンケル 『帰還兵はなぜ自殺するのか』 2015 亜紀書房  2300円→800円
武藤貞一 『日支事變と次に来るもの』 昭和12(1937)年 新潮社  ¥1.00→800円
ポソニー 『今日の戰爭―その計畫・遂行・經費』 昭和15(1940)年 岩波新書  五十銭→200円
「青島戦ドイツ俘虜収容所」研究会 『「青島戦ドイツ兵俘虜収容所」研究 第六号』 2008 「青島戦俘虜収容所」研究会  600円

 

 この中から一冊を選ぶとすれば…

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 深谷甫 『米國海軍艦型圖輯』 1943(昭和18年) 海と空社

  

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 かつての持ち主である吉澤大尉の署名

 

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 ページには附箋が付され、書き込みも多い(吉澤大尉の努力研究の跡である)
 附箋と書き込み、そして署名に魅せられての購入であった(多分、美品であれば購入はしていない)

 

 

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 奥付を見ると、再版で2000部という発行部数であったことが記録されている
 才谷屋書店の出品で900円であった(昭和18年の定価2圓00銭)

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2019/04/11 08:51 → https://www.freeml.com/bl/316274/324508/)

 

 

 

 

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2018年4月 1日 (日)

2018年4月1日:再び「フェイクニュース」の果てに

 

 

 

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Grab 'em by the Venus, @GingerPower
 https://www.forbes.com/sites/davidalm/2017/01/27/masterpieces-re-imagined-to-humiliate-trump/#40ea6119362d

 

 

 

 

 

 

 

 ドナルド・トランプ大統領の治世二年目の4月1日である。本来なら「エープリルフール」ということで、ネタを考えなくちゃいけないんだが、私にはトランプを超える想像力がない。

 

 

 

 昨年(「2017年4月1日:「フェイクニュース」の果てに」)に引き続いて、今年もホントの話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  【AFP=時事】全米でセクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)問題の議論が行われる中、自身も性的不品行を繰り返し非難されてきたドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領は30日、2018年4月を「全米性犯罪啓発予防月間(National Sexual Assault Awareness and Prevention Month)」にすると布告した。
  
  ホワイトハウス(White House)が発表したトランプ大統領の布告は「悲しいことにわが国の社会において性犯罪はいまだに横行しており、加害者が責任を免れることがあまりにも多すぎる」「こうした許しがたい犯罪は親密な関係のなかで、公共の場で、そして職場で見境なく行われている」としている。
  「しかし被害者が沈黙を守っているケースが多すぎる。加害者からの報復を恐れていたり、司法制度を信じられなかったり、トラウマになるような経験による痛みと向き合うことが難しかったりするのだろう」
  「わが政権は性犯罪を啓発し、被害者が加害者を特定し、責任を取らせることができるよう取り組んでいく」
  少なくとも20人の女性が、大統領になる前のトランプ氏から性的暴行またはセクハラを受けたとしてトランプ氏を非難している。ホワイトハウスはこうした女性たちはうそをついているとの立場を維持している。【翻訳編集】 AFPBB News
     (AFP=時事 2018/03/31 10:43)

 

 

 

 大統領が「全米性犯罪啓発予防月間(National Sexual Assault Awareness and Prevention Month)」と布告したのは3月30日だが、「全米性犯罪啓発予防月間」は本日、まさに「エープリルフール」であるはずの日がスタートである。

 

 「わが政権は性犯罪を啓発し、被害者が加害者を特定し、責任を取らせることができるよう取り組んでいく」って、これがセクハラ大統領トランプのセリフなのだ。大爆笑的ネタとしか思えない。

 

 

 

 昨年の関連報道を思い出してみよう。

 

 

 

  トランプ氏は女性蔑視発言でたびたび物議を醸し、過去に「女はやらせる。何だってできる。プッシー(女性器を指す俗語)をまさぐってな」と語っていたことも明らかになっている。
     (AFP=時事 2017/01/18 09:36)

 

 

 

 このエピソード、ちゃんと録音が残されているのだ。しかし、もちろん、ホワイトハウス的には、それでも「フェイクニュース」に過ぎないということになるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 :  2018/04/01 17:43 → https://www.freeml.com/bl/316274/318049/

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年11月26日 (日)

B-29 (米国の技術開発力)

 

 

 いわゆる「先の大戦」(大東亜戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争、あるいはアジア太平洋戦争等、様々に呼ばれるが)を語るに際して、「日本は米国の物量に負けた」という言い方があるが、その点については既に「クライスラーの戦車」、「B-29 (物量としての米国の生産力)」、そして「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」と題した記事を通して、米国の隔絶した生産力の実際を紹介してきた。

 

 米国の自動車産業や航空機メーカーの広報用フィルムを通して見えたのは「詳細な設計の進行と同時に、戦車生産のために新たな工場を建設してしまう米国の自動車メーカーの底力」であり、「人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細に加え、工場の福利厚生の充実ぶり」を誇る航空機メーカーの姿であり、「最終的には一時間に一機のペースでの製造には成功し、最盛期には月産650機を記録するところまで到達」させてしまうフォードシステムの大量生産方式による四発重爆撃機生産の実情であり、「様々な工程が既に女性労働者によって置換されていること」及び「(その前提となる)充実した職業訓練・教育」の様相であった。

 

 

 

 

 

 これらのフィルムが示すのは、「日本は米国の物量に負けた」との言明の正当性であろう。彼我の間にある生産能力の絶対的な隔絶は否定し得ない。

 

 先の言明に加え「日本は米国の物量と技術に負けた」との認識もまた、当時の実情を理解しさえすれば正当なものとして導かれるはずであるが、「日本は米国の物量には負けたが技術力では勝っていた」との言説を目にする機会も多い。しかし、これは「負け惜しみ」以外の何物でもなく、言説としての妥当性がないことは歴史の現実(いわゆる「近現代史の真実」ではなく「現実」が)が示している。

 

 

 

 これまでは「物量」に焦点を合わせ、対米戦争時における否定し難い日米間の国力の差を明らかにしてきたが、今回は日米間の隔絶した「技術力の差」を直視しておくこととしたい。

 

 

 

 今回もまた、あの「先の大戦(大東亜戦争)」における米国の圧倒的な軍事力の象徴とも位置付けられる四発重爆撃機、あの憎っくきB-29の姿を通して、問題が生産力の差=物量だけにあるのではなく、技術力の差=技術開発力の差にもあることを明らかにしてみたい。巨大な生産力が最先端技術を物量として供給し、圧倒的な戦力の差を生み出すことで、大日本帝國を敗戦に追い込んだのである。

 

 

 

 

 

 

 

 飯山幸伸氏は、その著書『B-29恐るべし』(光人社NF文庫 2011)中の一章を「B-29に用いられた諸革新的技術」と題し、B-29に盛り込まれた技術の革新的側面を明らかにするために割いている。

 

 高高度を高速で飛行可能にした技術として飯山氏は、まず新たな翼面設計(モデル177翼型)と大馬力エンジン(ライトR-3350デュプレックス・サイクロン)に加えて装備された排気タービン過給機(GE製のB-11過給機)の存在を挙げている。

 

 続けて「与圧キャビン」と「ノルデン爆撃照準器」、そして「遠隔操作銃塔」について書いている。与圧キャビンは搭乗員への負担のない高高度飛行を可能にし(B-17やB-24もタービン式過給機を装備することでスペック的には高高度性能を獲得していたが、与圧キャビンは未開発で、高高度での搭乗員への負担は大き過ぎた)、ノルデン照準器(こちらはB-17にもB-24にも装備されていた)が高高度からの精密爆撃を可能にし(可能にするはずであった)、迎撃用火力の「遠隔操作」化は与圧キャビンには必須の技術であると同時に防御力向上に資するシステムであった。

 

 

 

 ここからは特に「遠隔操作銃塔」(The Remote Control Turret System (RCT) あるいは Central Station Fire Control System)に焦点を当て、その「革新的技術」ぶりを明らかにしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 まず紹介するのはシアトルのボーイング社にある(現在の)展示の映像だが、操作の実際がわかるはずだ。

 

 

 

 

 

B-29 gun turret sighting system at Boeing Seattle Part 1
 
https://www.youtube.com/watch?v=nskFayhBcy0

 

 

 

Gun turret sighting system for B-29 at Boeing, Seattle
(B-29 gun turret sighting system Boeing Seattle part II)
 
https://www.youtube.com/watch?v=5h4yBxydz0E

 

 

 

 

 

 照準器の操作に動力銃塔が連動し、銃弾が発射されるメカニズムの実際である。

 

 

 

 

 

 次は当時の軍のB-29搭乗員用トレーニングフィルムからの短い抜粋(註:1)だが、ここでは機銃手の搭乗位置と遠隔操作される銃塔の関係を押えておきたい(一人の銃手による複数の銃塔の同時操作―いわば一人の銃手による集中砲火―が可能になっているのだ)。

 

 

 

 

 

The B-29 Superfortress Gun Turrets
 
https://www.youtube.com/watch?v=gy9uCtgcL3A

 

 

 

 

 

 次に続くのは装置を開発したGE(ジェネラルエレクトリック―日本語での公式表記は「ゼネラル・エレクトリック」であるらしい)作成の広報用フィルムで、アニメーションを多用した解説が興味深い(しかもカラーである)。

 

 

 

 

 

Central Station Fire Control System - ca. 1944
  https://www.youtube.com/watch?v=yABTembGYhg

 

 

 

 

 

 (組み込まれているのは真空管であるが)当時の最先端の電子装置システム(Central Station Fire Control System)により、銃塔がリモートコントロール(遠隔操作)されるメカニズムがカラーアニメを用いて説明されている。GEという民間企業が自身の技術力のアピールのためにカラーアニメを製作してしまうのである(それだけで彼我の国力の差は明らかである)。

 

 

 

 

 

 しかし、B-29に装備された「遠隔操作銃塔」に盛り込まれた革新的技術の核心は、このリモコンシステムにあるわけではない。実はこのシステムにはコンピューターが組み込まれ、単に搭載機銃を動力により間接操作する(もちろんそれだけでも重い機銃と銃塔を風圧に抗して手動で操作する労力からの機銃手の解放を意味する)のみならず、弾道の補正が自動化されることで命中精度の向上もが実現されているのである(註:2)。

 

 

 

 

 

 

 高速で飛行する爆撃機に装備された機銃により、高速で飛行し攻撃してくる敵戦闘機を迎撃することがどれだけ困難であることか想像し得ているだろうか?

 

 ここではB-17の側面機銃手のトリガー・ジョーを主人公(声優はメル・ブランク)としたアニメ仕立ての米軍のトレーニングフィルムを通して問題の所在を確認しておこう。

 

 

 

 

 

"B 17 Waist Gunner" Position Firing, a 1944 USAAF Training Cartoon with Mel Blanc 
  https://www.youtube.com/watch?v=yABTembGYhg


 

 

 

 

 

 

 アニメ中でジョーが求められるのは、頭の中で銃弾の到達位置をシミュレーションし、機銃を適切に操作する能力である。機銃手は一瞬にして爆撃機の速度、高度を把握し、敵戦闘機の速度を把握し、距離を把握し、進行方向を把握し、照準外の(照準内に捉えた敵戦闘機からは離れた)適切な位置に機銃を向け発射しなければならない(しかも高高度を高速で飛行するB-17での話であり、側面機銃の操作は酸素の薄いマイナス20~30度の機内で大きな風圧に抗して行わなくてはならず、それだけでも機銃手の負担は大きいのに→註:3)。

 

 当時の記録フィルムの中の機銃手の映像から、あるいは『頭上の敵機』や『メンフィス・ベル』のような映画を観る際にも、このような機銃手に求められているスキルを意識することはなかっただろう。

 

 B-29に搭載された遠隔操作銃塔に組み込まれたコンピューターシステムは、敵戦闘機に照準を合わせさえすれば照準外に位置する適切な掃射方向を割り出し、機銃手の負担を軽減する。ただし、敵戦闘機との距離は自身で確認し入力(ボーイング社でのデモンストレーション動画でも説明されているように)する必要は残されているが、機銃手は敵戦闘機に照準を合わせるだけで弾道の補正はGE製の「Central Station Fire Control System」に任せれば済む(しかも離れた位置にある複数の銃塔の弾道補正計算と射撃を、一人の銃手が担当するひとつの照準システムの操作で可能にしているのだ)。

 

 

 

 

 

 あらためて、文林堂の「世界の傑作機シリーズ」の『ボーイングB-29』(1995)にある牧英雄氏の論考「ボーイングB-29スーパーフォートレス 開発と各型」から「武装」の項の記述を引用しておこう。

 

 

 

    照準器は銃本体と分離した与圧室内にあり、見越し角計算などすべてコンピューターが管制するので、銃手は照準器に目標を捉え距離の変化を追う操作をするだけで、自動的に射線を算出する。むろん、尾翼などが射角に入れば、自動的に射撃は中止される。また操作はいずれも正副2系統用意されスイッチで切り替わるほか、一方の射手が離れた場合自動的に複数を管制するようになる。床下にある装甲付きブラックボックスに不都合が生じた場合は、マニュアル操作も可能である。
  これらの火器のすべてを管制するのが後部与圧室の回転椅子に位置するCFC手で、このほか通常の担当は前上方=爆撃手/CFC手、前下方=爆撃手/側方銃手、後上方=CFC手/側方銃手、後下方=側方銃手、尾部=尾部銃手/側方銃手 となる。
     (16~17ページ)

 

 

 

 この牧氏の論考には、B-29に搭載された「Central Station Fire Control System」について、もう一つの興味深い記述がある。試作型のXB-29に搭載されていたのはGE製ではなかったのである。

 

 

 

    このため(徹底的な空気抵抗の軽減のため―引用者)突起した銃塔は敬遠されたが、防御上の必要から装備せざるを得ず、ベンディックス、スペリー、ウェスチングハウス、ジェネラル・エレクトリック(GE)の各社が競った結果、ペリスコープ式照準器のスペリー製が採用された。
     (13ページ)

 

 

 

 XB-29に搭載されていたスペリー製のペリスコープ式照準器は結果的にジェネラル・エレクトリックのシステムに変更されることになったわけだが、その選定に際して大きな役割を演じたのがポール・ティベッツ(Paul Warfield Tibbets, Jr)とそのチームであった。あのエノラ・ゲイの機長であったティベッツである(註:4)。

 

 

 

 ティベッツは1942年2月にはB-17の部隊長(340爆撃飛行隊)としてヨーロッパで部隊を率い、25回の出撃回数を達成。1943年3月に米国本土でのB-29(初飛行は1942年9月だったが試作2号機の墜落など様々なトラブルに直面していた)の戦闘能力評価任務に就く。実戦配備へ向けてのその任務の中には武装の評価も含まれており、スペリー製のペリスコープ式照準器システム(こちらにも自動弾道補正コンピューターが組み込まれていた)とGE製システムの比較評価も行われた。その際に、射撃テスト等を行ったのは、やはり後に共にティベッツの率いる第509混成部隊(原爆投下の実施部隊)に所属することとなったジョージ・キャロン(George Robert Caron 原爆投下の際のエノラ・ゲイの尾部銃手も務めている。キャロンは投下直後の原爆の「キノコ雲」の撮影者でもある)とケネス・イードネス(Kenneth L. Eidnes)であった。両者は軍の動力銃塔操作学校(Power Operated Gun Turret School)の同期で、1943年9月に卒業し、1943年10月にB-29の武器試験担当者として配属されている(註:5)。

 

 彼らのスペリー製システムに対する評価は低く、GE製が採用されることになる(The GE system proved to be very good)。問題となったのはスペリーが採用したペリスコープ方式(GEは反射型光像式を採用)で、視野が限定され操作も煩雑となる潜望鏡(ペリスコープ)方式が、重爆撃機の防御武装として実際的ではないと判断されたのである(註:6)。

 

 

 

 

 

 ちなみに、スペリー製システムはB-29のバックアップ機として開発されたコンソリーデッド社のXB-32爆撃機にも搭載されていた。XB-32に搭載されたスペリー製システムに関する論考に掲載された解説図を引いておく。照準器の形式を除けば、GE製のシステムと同様の原理に基づいたものであり、米軍が必要と考えた(そして実際に装備した)「遠隔操作銃塔」を理解する上での参考になるはずだ。

 

 

The-geometry-of-airtoair-gunfire-control

The geometry of air-to-air gunfire control problem
 
https://m.eet.com/media/1175647/fig8.jpg
 https://www.edn.com/Home/PrintView?contentItemId=4402983

 

 

 

 ジョーの直面させられた問題がいかなるものであったかへの理解を深めらる(アニメ上のジョーの標的は静止状態想定であるのに対し、、現実の敵戦闘機は高速で運動する)と共に、「先の大戦」の時代に米国が実際に開発し配備した「遠隔操作銃塔」のシステム(Central Station Fire Control System)の技術的卓越性も再確認し得るであろう。

 

 

 

 この装置を組み込んだ四発重爆撃機B-29の生産機数は3970機に及ぶ(生産機数が3970なのは、その時点で戦争が終結してしまったからである―生産能力の限界を意味するわけではない)。我が大日本帝國の爆撃機の生産機数で最大を記録しているのは海軍の一式陸上攻撃機だが、双発に過ぎない爆撃機の生産機数は2416機にとどまる(生産期間も一式陸攻の方が長いにもかかわらず)。もちろん、与圧キャビンもなければ、「Central Station Fire Control System」もない(しかも一式陸攻の爆弾搭載量はB-29の十分の一でしかない―B-29の一機は十機の一式陸攻に相当する)。物量、技術、そのどちらを見ても彼我の国力の絶対的隔絶は明らかであろう。

 

 それでも「日本は米国の物量には負けたが技術力では勝っていた」などと主張し得ると考えるのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

【註:1】
 全編は、B-29 Flight Procedure and Combat Crew Functioning 1944 US Army Air Forces
 → https://www.youtube.com/watch?v=RsOUXqSh2xs

 

【註:2】
 Central Station Fire Control AND THE B-29 REMOTE CONTROL TURRET SYSTEM
 (→ http://www.twinbeech.com/CFCsystem.htm
 The Cannons on the B-29 Bomber Were a Mid-Century Engineering Masterpiece
 (→ http://www.popularmechanics.com/military/weapons/a18343/the-cannons-on-the-b-29-bomber-were-a-mid-century-engineering-masterpiece/
 Engineering the B-29's Armament
 (→ http://legendsintheirowntime.com/LiTOT/Content/1945/B29_IA_4503_armament.html

 

【註:3】
 アニメのジョーも軽装で身軽だが、高高度では機銃を操作する前に死んでしまう(与圧キャビンの装備されていないB-17の場合、搭乗員は外気にさらされた状態同様―特に側面機銃手は―なのである)。

 

  機体を敵戦闘機の攻撃から守るため、銃手が機関銃を撃ちまくるシーンは劇映画『メンフィス・ベル』などでお馴染みだろうが、映画だと一般に軽装なのが気になる。この撮影用ポーズをとった写真にしても、実戦では考えられない軽装だ。まず、高度6,000~7,000mというところを飛ぶのだから、酸素マスクは必ずしなければならない。それに真夏でもそういう高度では零下20~30℃なのだから、暖房があるにしても側面窓を空けて射撃するには手袋も必需品。高射砲に直撃されたらどうしようもないが、負傷の多くは爆発による破片が原因だから、それらを防ぐフラックヘルメットやフラックベストもつけたいところだ。
     側面機銃手の写真へのキャプション(『ボーイングB-17フライングフォートレス』 文林堂 2007 105ページ)
 

 

 ジョーの搭乗しているのはB-17のG型であるが、後には側面機銃用にも照準の補正計算機能を持つK-13サイトが採用され(同書47ページ、115ページ)、「後部側面銃座の位置を左右でずらして銃手が動きやすいようにするとともに、それまで戦闘時には開け放して(ママ)部分に、中央に機関銃のソケットを設けたガラス窓をはめ込み、銃手を寒気から守る改造も途中から採用された(同書117ページ)」と仕様が変更されている。ジョーの負担も軽減されたことになる。

 

 与圧キャビンの装備された機密性の高いB-29の場合、酸素マスクは必要ないし、寒さに凍えることもない。牧英雄氏の論考の「与圧室」の項には以下のようにある。

 

  3分割で尾部は直径6in(152㎜)のパイプで後部与圧室と結合。通常8,000ft(2,400m)で与圧開始。空気圧は8,000~30,000ft(9,145m)まで8,000ftの30,000ft以上は30,000ft時の圧力差を維持する。コンプレッサーで圧縮された空気は、内側エンジンのターボ過給機を通ることにより冷暖房を調整でき、機関士の操作で送管装置を通じ与圧各室に送られる。このため乗員は高度30,000ftでも特別装備なしに行動可能。
     (15ページ)

 

 (「遠隔操作銃塔」は、気密性の維持の必要を満たすためのシステムでもあった)

 

【註:4】
 Tibbets, Paul Warfield, Jr.
 (→ http://www.nationalaviation.org/our-enshrinees/tibbets-paul-warfield-jr/

 

【註:5】
 KENNETH L. EIDNES AND THE 509TH COMPOSITE
 (→  http://b-29.org/509th/509th-history/509th-history.html
 George R. Caron
 (→ https://www.findagrave.com/memorial/467015

 

【註:6】
 Design hindsight from the tail-gunner position of a WWII bomber, Part one
 (→ https://www.edn.com/Home/PrintView?contentItemId=4402983

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/11/25 21:54 → https://www.freeml.com/bl/316274/314468/

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年10月15日 (日)

総統閣下vsオペラ対訳プロジェクト、そしてパーキンソン病

 

 いわゆる「総統閣下シリーズ」の最新作ということになる(2017/10/12 に公開)だろうか? 映画『ヒトラー ~最期の12日間~』(2004)のドイツ語のセリフに原語と異なる字幕をつけて楽しむお遊びだが、英語圏の「YOUTUBE」で様々な英語字幕バージョンが作成され、日本語圏でも「ニコニコ動画」に様々な日本語字幕バージョンがアップされている。

 今回の「総統閣下は「オペラ対訳プロジェクト」にお怒りのようです」は、私も利用させてもらうことのある「オペラ対訳プロジェクト」による日本語字幕で、時事ネタ込みの(「総統閣下シリーズ」モノの中でも)秀逸なパロディー作品として仕上がっているように思う。

 せっかくの秀逸作を忘れてしまわないように、ブログ記事としてアップして何時でもアクセス可能にしておく作戦を採用した次第である。

 

 

 

総統閣下は「オペラ対訳プロジェクト」にお怒りのようです
 
https://www.youtube.com/watch?v=fnW1TpHZeyo

 

 

 「オペラ対訳プロジェクト」は、オペラ作品を中心とした(オペラだけではなく、バッハの『マタイ受難曲』なども含む)過去の名盤の録音に日本語対訳をつけてアップするという、手元に輸入盤しかない際にとても役立つプロジェクトで、私もチャンネル登録してしまっていたりするのだが、その「中の人」が実はこの手のお遊びにも手を抜かないことを知って、ますます同志的気分を味わったりしているのである。

 

 中身そのものを解説したりするのは野暮な話だと思うので、ここで触れることはしない。

 

 

 ただ、せっかくの機会なので、そもそもヒトラーの実像を描くことを目指した映画作品であった『ヒトラー ~最期の12日間~』にちなみ、小長谷正明『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足 神経内科からみた20世紀』(中公新書 1999)から、神経内科的背景を抜き書きしておきたい。

 

 

  筆者は神経内科医である。脳や脊髄、末梢神経、筋肉などのはたらきの異常を診るのが専門だ。精神科ではない。シビレなどの感覚障害、ふるえやマヒなどが主な症状だ。だから、目にする人の立ち居ふるまいや、表情、声の調子などが気になる。そして、二〇世紀は科学技術の世紀であり、映像の世紀でもある。会えるはずのない、海の向こうや歴史の彼方の政治家、それに雲の上の人の歩き方や動作をテレビで見ることができ、ついプロ意識で病気かどうかを診断することがある。いわば神経内科医の本能で、ヒトラーのふるえや毛沢東のすり足もブラウン管を通して視診した。そこで、二〇世紀のリーダーたちの神経疾患を調べてみて、歴史に投げかけた影を考えてみた。
          同書「まえがき」より

 

 これが同書における小長谷氏の問題意識・基本姿勢である。小長谷氏は、同じく「まえがき」の中で、

 

  もちろん、筆者はこの書物の中の独裁者やリーダーたちの主治医でもないし、カルテなどの第一次資料などをみることも出来ないので、文献にたよらざるをえない。病気の解釈については、単なるうわさやしろうと判断の推測は、書きすすめる上でなるべく排除するようにした。症状の目撃談などはべつとして、基本的にはきちんとした学術雑誌に載った医学論文、あるいは主治医ないしはその場にいた医師の回想録により、医学的客観性をたもつように心がけた。

 

このように書いているが、実際に読み進めてみると、原則としてその姿勢に貫かれていることも確認出来る。

 

 

 映画の『ヒトラー ~最期の12日間~』の方は、同名(邦訳タイトルは原題とは異なるようだが)のヨアヒム・フェストの著作とヒトラーの個人秘書であったトラウドゥル・ユンゲによる回想録を基にドラマ化したものだが、時系列的には、どちらも小長谷氏の著作より遅れての出版物であり映像作品である。出版物はドキュメントであり、映画はドキュメント作品に基くドラマである。

 時系列上、どちらも小長谷氏が依拠するわけにはいかなかったが、

  二〇世紀は科学技術の世紀であり、映像の世紀でもある。会えるはずのない、海の向こうや歴史の彼方の政治家、それに雲の上の人の歩き方や動作をテレビで見ることができ、ついプロ意識で病気かどうかを診断することがある。いわば神経内科医の本能で、ヒトラーのふるえや毛沢東のすり足もブラウン管を通して視診した。

 

20世紀ならではのドキュメント映像が、「視診」を可能にし、加えて「学術雑誌に載った医学論文、あるいは主治医ないしはその場にいた医師の回想録」等のドキュメントが、小長谷氏の判断を支えているのである。

 

 

 テレビでドキュメンタリー番組(番組中では第二次大戦末期のドイツのニュース映画が紹介されていた)を見ていた小長谷氏は、「厚く重苦しい外套を着たアドルフ・ヒトラーが硬い表情で肩を丸め、ぎこちない動作で足をはこん」でいる姿を前にする。

 

  が、次の瞬間、筆者の目は画面に釘づけになった。ヒトラーの左手がふるえているのである。神経内科医のプロ意識がわきあがってきた。診察する目で観察した。そのふるえは、見なれたパターンである。パーキンソン病のそれであった。
     同書「震える総統――ヒトラー」より

 

 もちろん、小長谷氏は、映像を通した自身の視診に加え、「学術雑誌に載った医学論文、あるいは主治医ないしはその場にいた医師の回想録」等に目を通すことを怠らない。

 

  調べてみると、ヒトラーの病気についてのいくつかの医学論文と学術的な単行本がドイツから出版されていた。エレン・ギッベルスという女性の神経学者は一五年間にわたって『ドイツ週刊ニュース』という映画に映っているヒトラーの動作を検討し、医学的考察を行っている。
  それによると、ごくわずかながらも動作が鈍くなったのは一九四一年であり、左手の症状も出てきている。四三年からは、自動車から降りたり、腰をおろしたりするような動作シーンがニュース映画からなくなっている。左手はいつもからだの後ろに回したり、ポケットに入れたりして映らなくなった。
  表情の動きは四四年から少なくなり、顔つきは陰気になっている。笑っているときでも、顔の動きが少なく、「凍り付いた」笑いとなっていた。また、このころから左足を引きずって歩くようになっている。
  ギッベルスは、ニュース映画の中のヒトラーの左右の手の動きやぎこちなさ、表情、歩行、姿勢などの症状の程度によって、〇点から四点までの点数をつけて定量的な分析をしている。パーキンソン病の症状は一九四一年の中ごろにはあらわれており、左側から発症し、やがて右側にも症状が出現した。四五年の戦争末期にはホーン=ヤールの重症度分類二度くらいの障害度だったという。

 

 

  ある秘書はヒトラーのふるえについて書いている。
「日報に目を通すときには、ヒトラーはいつも左手で眼鏡を握っていましたが、その手がふるえるたびに眼鏡が机の表面に当って、カタカタと音をたてていました。唇は干からび、パンくずで覆われ、衣服はたべもので汚れていました」

 

 

  ある記録によると、四二年の東部戦線の大本営地下壕では、イスから立ち上がるにも人の手を借り、支えられて歩いていた。声はぼそぼそとして聞きとりにくく、口もとからよだれを垂らしていたとある。これは二度のパーキンソンではない。少なくとも三度の障害度である。

 

 

  ヒトラーに長いあいだ仕えた参謀将校によると、最後のころの様子は次のようなものだ。
「総統はみるからに恐ろしげな様子であり、苦しそうに、ぎこちなく足を引きずって歩きまわっていた。地下壕の自分の居間から会議室へ行くときには、上半身を前方に投げ出すようにして、足を引きずって歩いていた。バランス感覚はなくなり、ごく短い距離(たかだか二〇~三〇メートル)を歩く途中で、立ち止まらなければならないときは、壁の両側に置かれた総統専用のベンチに腰を下したり、話し相手にしがみついたりした。目は充血していたし、提出された書類はみな特製の『総統専用タイプライター』で普通サイズより三倍も大きな字で打ってあったが、それでも拡大鏡を使ってやっと読めるようだった。しょっちゅう、口の両端からよだれが垂れていた」
  目のことは別として、総統とか地下壕という言葉がなければ、そのまま教科書に載せてもよいような、中等度以上に進んだパーキンソン病の典型的な症例報告である。

 

 

  一九四三年二月、スターリングラードの第六軍が赤軍に降伏した直後、ヒトラーはソ連前面の東部戦線、マンシュタイン元帥の司令部を訪れた。そこにいた元帥の伝令将校シュタールベルクの、昼の作戦会議でのヒトラーの印象はさえないものだった。総統の頭は肩から前に垂れ、制服は食べ物かすで汚れ、無表情のままで地図をみていた。くたびれはてていた。そして顎がふるえつづけていた。夕方の会議になると、それが激変していた。
「……そのわたしの目に、ヒトラーが会議室に入ってきたとき、まったく予期せぬものが映った。今日の昼や昨日とはうって変わった別人のヒトラーが部屋に入ってきたのである。姿勢のたるんだ落ちぶれたような男は、突如として、背筋をのばし、ヴァイタリティのあるひきしまった姿になっていた。……ヒトラーが朝遅くまで寝ているのを好み、夜明け方近くになってから就寝するということは、われわれも知っていた。しかし、これほどまでの体調の変化が、生活リズム上の原因のみで生じるとは思われなかった。なんらかの薬物の効果があったにちがいない」

 

 

 小長谷氏によれば、「ヒトラーは主治医から七七種類もの薬を処方されていた」ということであり、特にシュタールベルクの「薬物の効果」については、

 

  ヒトラーの飲んでいた覚醒剤はメタンフェタミンである。これはヒロポン、つまりアンフェタミンと同じく、ドパミンによく似た化学構造をしている。もともとこれらの覚醒剤は脳の中ではつくられていないが、外から入ると、ドパミンが作用する細胞に、似たような効果をあらわす。またコカインは、化学構造式は似ていないが脳のかなのドパミン量を増やしたり、効果を強める作用がある。
  ドパミンは運動をスムースにするだけではなく、精神活動を活発にする神経伝達物質である。だから、覚醒剤やコカインは、脳の中のドパミン作動系というシステムにはたらいて、気分を高めているのだ。ドパミン不足のパーキンソン病は、精神的には抑うつ状態である。きっとヒトラーは、負け戦でなくともブルーな気分であっただろう。今日の治療では、ふるえやトボトボ歩きへの効果ほどではないにしても、Lドパでうつ症状も多少はよくなっていく。
  パーキンソン病の患者にコカインや覚醒剤を投与したらどうなるかという論文を読んだことはないが、薬理作用からみて、鈍い動作やふるえなどの症状が改善されるのはまちがいない。こう考えると、ヒトラーの覚醒剤・コカイン常用はパーキンソン病と関係していたとも推定できる。覚醒剤やコカインなどの処方は、病気や薬理作用などをふまえてのことではなく、ヒトラーが経験的に自分に必要なのを知っていて要求したのかもしれない。
  東部戦線の司令部で目撃された、ヒトラーの症状のドラマティックな変わりようも、その間にモレルたち主治医が到着していたことを考え合わせると、覚醒剤などが使われたと推定できる。
  もう一つ、ヒトラーへの処方でパーキンソン病と関係がありそうなのは、アンチガスという薬だ。これの主成分は、アセチルコリンの作用を抑えるアトロピンである。アセチルコリンは胃腸のはたらきを活発にしたり、汗を分泌させるはたらきがある。ヒトラーはよくおならをしていて、またひどい汗かきでいつも臭かったという。彼の前では、悪臭の話題を持ち出してはいけないことになっていた。アセチルコリンのシステムがはたらき過ぎているので、それを抑えるためにアトロピンを飲んでいた。
  アトロピンは目にも作用して、瞳孔を広げる。戦争末期のヒトラーが、異様に輝く目をしているのは、アンチガスの成分のアトロピンのためだという。

 

このように記されている。

 小長谷氏によれば、パーキンソン病患者は、ドパミンが不足する一方で、アセチルコリン過剰な状態となる。ドパミン不足に対応するのが覚醒剤やコカインであり、アセチルコリンの過剰に対応するのがアトロピンを主成分とするアンチガス投与ということらしい。

 

 

 いずれにせよ、「総統閣下シリーズ」の総統の姿、その下敷きとなった『ヒトラー ~最期の12日間~』の中でのブルーノ・ガンツ演じるヒトラーの姿に、この小長谷氏の描く神経内科的ヒトラー像を重ねると、よりリアルに映像を(どちらの映像をも)味わうことが出来るようになるはずだ。

 

 

 

  日報に目を通すときには、ヒトラーはいつも左手で眼鏡を握っていましたが、その手がふるえるたびに眼鏡が机の表面に当って、カタカタと音をたてていました。唇は干からび、パンくずで覆われ、衣服はたべもので汚れていました。

 

  イスから立ち上がるにも人の手を借り、支えられて歩いていた。声はぼそぼそとして聞きとりにくく、口もとからよだれを垂らしていた

 

  総統はみるからに恐ろしげな様子であり、苦しそうに、ぎこちなく足を引きずって歩きまわっていた。地下壕の自分の居間から会議室へ行くときには、上半身を前方に投げ出すようにして、足を引きずって歩いていた。バランス感覚はなくなり、ごく短い距離(たかだか二〇~三〇メートル)を歩く途中で、立ち止まらなければならないときは、壁の両側に置かれた総統専用のベンチに腰を下したり、話し相手にしがみついたりした。目は充血していたし、提出された書類はみな特製の『総統専用タイプライター』で普通サイズより三倍も大きな字で打ってあったが、それでも拡大鏡を使ってやっと読めるようだった。しょっちゅう、口の両端からよだれが垂れていた

 

  昼の作戦会議でのヒトラーの印象はさえないものだった。総統の頭は肩から前に垂れ、制服は食べ物かすで汚れ、無表情のままで地図をみていた。くたびれはてていた。そして顎がふるえつづけていた。

 

  ヒトラーはよくおならをしていて、またひどい汗かきでいつも臭かったという。彼の前では、悪臭の話題を持ち出してはいけないことになっていた。

 

 

 

 これが、あの独裁者の現実の姿と考えるとどこか滑稽な印象も抱いてしまうが、しかしヒトラーのエピソードの背後に見えるのはパーキンソン病患者の日常である。自分の身体が自分の思い通りにならないというのは、誰にとっても辛い話である。

 

 

 

 

 

 最後にオマケ的に、かつて英語圏で作成された「総統閣下シリーズ」作品を紹介しておこう。

 私が初めて接した作品(2008/12/29 に公開)であると同時に、その秀逸さに感心させられた作品でもある。

 

 

 

Adolf Hitler - Vista Problems!
 
https://www.youtube.com/watch?v=JSF39LmpxCY 

 

 

 

 当時、私も総統同様に「Vista Problems」に悩まされていたことを、久しぶりに思い出した。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 :  2017/10/15 07:57 → http://www.freeml.com/bl/316274/312781/

 

 

 

 

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2017年4月15日 (土)

トランプ、スターリン、プーチン、ブレジネフ、そして聖マティスの肖像

 

 

 

 

 前回は、「ロシア構成主義的ドナルド・トランプ・イメージ」と題して、数あるドナルド・トランプ大統領ネタ画像の中でもソヴィエト・ロシアのプロパガンダ・アート・パロディとして秀逸だと思われるものを紹介した。

 

 特に、「ロシア構成主義」として知られる、当時の最先端スタイルによる作品(のパロディ)を取り上げたが、それはまさにソヴィエト・ロシアのプロパガンダ・アートが芸術(美術)の前衛であった時代のポスター・デザインである。「革命」は政治の問題であるだけでなく、芸術もまた「革命」を経験していたのだ。

 

 しかし、そんな時代は長続きすることなく、「社会主義リアリズム」と呼ばれる表現形式が政治的に推奨され、芸術は政治の従属物に成り下がり、芸術上の革命の時代は終焉を迎える。

 

 

 

 

 

 しかし、古典的な表現形式で描かれたスターリンの肖像に代表される「社会主義リアリズム」の絵画もまた、パロディ作家にとっては良い素材となり、例えばスターリンの肖像がトランプの肖像として蘇るのを楽しむことが出来る。

 

Comrade-trump-alternative-facts2

alternative facts - pravda comrade !
  
https://1.bp.blogspot.com/-eDDGOX_e3xY/WLh7kMc0ctI/AAAAAAABLkk/eWeOIWPOLP8D3UEUj-87yJjyalSj7JLGQCLcB/s1600/Trump-Alternative-Facts-Pravda-Comrade.jpg

 

 

 

 

 

 このパロディー作品の下敷きとなっているスターリンの肖像でも、執務机に重ねられた郵便物の下に描かれているのが御用新聞の『プラウダ』であることに気付くであろうが、パロディー作品ではその『プラウダ』の存在が生かされ、笑いの源泉へと転化している。

 

Joseph_stalin_soviet_propaganda_posterr6

   stalin with pravda
   
https://zibbet.s3.amazonaws.com/uploads/photo/file/8734527/gallery_hero_il_fullxfull.409219358_ofmi.jpg

 

 

 

 

 

 「プラウダ」はロシア語で「真実」を意味するが、御用新聞としての『プラウダ』の紙面は「真実」の報道とは遠いものとなっていた。

 

 その事実が、自身に都合の悪い報道を全て「fake news(嘘ニュース)」と呼び、自身の主張の誤りが明らかとなっても「alternative fact(代替的事実)」と言い張る、ドナルド・トランプ自身とその取り巻きの姿に見事に重なるのである。

 

 トランプが求めるのは『ニューヨークタイムス』の報道スタイルでもなければ『CNN』の報道でもなく、まさに『プラウダ』の報道スタイルに違いない、と多くの者は考えるであろうところに、このパロディー作品が成立するわけだ。

 

 

 

 

 

 実際、そんなトランプ政権による合衆国の政治は、内政でも外政でも混乱続きである。いまだに特筆すべき成果は見られない。

 

 

 

 

 

 トランプとその取り巻きによる政権運営に混乱の続く中、政権内で内外からの信頼を獲得しているのは、国防長官に就任したジェームス・ノーマン・マティス元海兵隊大将その人であろう。

 

 

 

 早速、20世紀の美術をはるかに遡る16世紀の祭壇画を思わせる様式で描かれた、マティス国防長官の肖像画を鑑賞することとしよう。

 

Saint-mattis-of-quanticopatron-saint-of-

saint mattis of quantico
  
http://www.catholic.org/files/images/media/14806999051961_700.jpg

 

 

 

 

 

 右手に手榴弾、左手にナイフを持つ元海兵隊司令官の頭の背後には、金色に輝く中に「M A D D O G」の文字が刻まれている。

 

 「クアンティコの聖マティス」とされていることが興味を引くかも知れないが、「クアンティコ」は海兵隊基地の存在で知られている土地である。そして、更に画面を見ることで「クアンティコの聖マティス」が「カオス(大混乱)」の「守護聖人」であることにも気付くであろう。マティス国防長官は(少なくとも今のところ)、大混乱の続くトランプ政権内で、平静を保ち続けている数少ない人物の一人(もう一人であろうマクマスター安全保障担当補佐官もまた軍出身者であるが)であると、多くの人に思われているはずだ。まさに大混乱を続ける政権の守護聖人の役割である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 続くのは、画像検索の際に見つけた(2024年のものとされる)プーチンの肖像画である。下敷きとなっているのは、長く政権に居座り続け、ソ連を停滞に導いたブレジネフの肖像である。

 

 大量の勲章で飾り立てた軍服に身を包んだ傲慢そうな老人。スターリンの肖像以来の重厚なスタイルで描かれた、まさにブレジネフとしてのプーチンだ。

 

Putinbrezhnev2

putin-brezhnev-2024
  
http://www.irishmanabroad.com/wp-content/uploads/2011/10/Putin-Brezhnev.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 最後は、ソヴィエト・ロシアの様式で描かれたトランプ及びプーチンの姿から一転して、米国を代表するプロパガンダ・デザインのパロディとして描かれたプーチンの姿である。

 

Madmagazineputiniwantukraine_5317628cdbc

i want ukraine
  
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/6f/16/ec/6f16ec0e0e3417cc9ab0d81ed3170adf.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 プーチンには、アンクルサムの衣装もよく似合うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/04/15 19:20 → http://www.freeml.com/bl/316274/302483/

 

 

 

 

 

 

 

 

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ロシア構成主義的ドナルド・トランプ・イメージ

 

 

 

 

 今回は、いわば「「偉大な指導者」としてのドナルド・トランプ・イメージ」の続きとなる、ネタの源泉としてのドナルド・トランプ大統領をめぐる記事である。

 

 

 

 

 

 

 

 紹介するのは「soviet propaganda poster trump」とか「russian constructivism trump」といった検索語での画像探索時の発見物だが、ソ連時代のプロパガンダ・ポスターのパロディとして実にに秀逸なものだと感じた。

 

Russianfakenews04171
Photo Illustration by Cristiana Couceiro.
  
http://media.vanityfair.com/photos/58d974523753ee611fd2475e/master/h_606,c_limit/russian-fake-news-04-17.jpg

 

 

 

 

 

 いわゆる「ロシア構成主義」デザインの典型的構図である。バックには赤地に白が斜め右上に向けて下方から放射状に広がり、中心に大統領トランプとその主席戦略官バノン、その下にロシアのプーチンとその顧問格のスルコフ、そしてホワイトハウスの写真がコラージュされ、加えてメディア記事の文字による画面構成となっている。

 

 下敷きとなったのが、以下の作品に代表されるロシア構成主義の構図である。

  

Vladimir-soviet-constructivism-russian-d

 Left: Gustav Klutsis – Workers, Everyone must vote in the Election of Soviets! Image via arthistoryarchive.com / Right: Russian Propaganda Poster.Image via posterwire.com
   
http://d2jv9003bew7ag.cloudfront.net/uploads/Left-Gustav-Klutsis-Workers-Everyone-must-vote-in-the-Election-of-Soviets-Image-via-arthistoryarchive.com-Right-Russian-Propaganda-Poster.Image-via-posterwire.com_.jpg

 

 

 

 配色、斜めが強調された躍動的な構成、写真によるコラージュ、デザインの一部となった文字。

 

 左画面にあるグスタフ・クルーツィスの手の平による構成は、パロディ作品ではバノンが掲げる右の手の平の並びとして再現されている。

 

 パロディ作品に登場するキャラクターの中で、あまり有名ではないであろうプーチン大統領の補佐官ウラジスラフ・ソルコフの画像も参考として添えておこう。

 

Vladislav_surkov_7_may_2013_jpeg1
 Vladislav Surkov - Wikipedia
   
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/03/Vladislav_Surkov_7_May_2013.jpeg/220px-Vladislav_Surkov_7_May_2013.jpeg

 

 

 

 

 

 偉大なドナルド・トランプ大統領と上級顧問のバノンの関係が、画面中央でバスト・ショットで大きく示されるトランプと右下方に小さくはあるが上半身像+掲げる右手が三連化されることで存在感が強調されるバノンの姿として示され、ホワイトハウスの上のプーチンとソルコフの関係に反復されてイメージに刻み込まれる。(少なくともシリア攻撃までは維持された)ロシアとトランプの親密な関係が画面構成の中でも暗示され、それがロシア構成主義デザインのパロディとして示されることで、より強化される。実に秀逸なものだと感心した次第。

 

 

 

 

 

 

 

 続いて…

 

Trump-poster-no-1-hate-speech-this-begin
Trump Poster No. 1: Hate Speech
  
http://68.media.tumblr.com/53bb2c46d456e45aa8d29ac5d6da0c31/tumblr_o5h1h3IVhM1v1fk2co1_1280.jpg

 

 

 

 

 

 このパロディ・デザインから連想させられるのは、ロシア構成主義を代表するアレクサンドル・ロトチェンコのポスターであろう。

 

3_oct_13_rodchenko_stepanova_books-alexa
 Alexandr Rodchenko, Poster for a Moscow publisher (1924)
   
http://www.brandandbrand.co.uk/blog/wp-content/uploads/2014/12/constructivist.jpg

 

 

 

 ただしこのパロディでは、ロトチェンコの有名な構図を下敷きとしながらも、ソ連時代のスターリニズム的全体主義に重ねて、もう一つの全体主義であるナチス体制の標語と画像を用いることで、トランプの強権的志向への批判が強化されている。

 

 「HATE!」と叫ぶトランプに重ねられているのはナチスの反ユダヤ主義が煽った民族主義的な「憎悪」であるし、ナチスの有名なスローガンであった「一つの民族、一つの国家、一人の総統(Ein Volk, Ein Reich, Ein Führer)」もほとんどそのまま用いられている(ONE PEOPLE/ONE EMPIRE/ONE LEADER!)。

 

Ein-volk-ein-reich-ein-fhrer  
 Plakat: "Ein Volk, Ein Reich, Ein Führer.
  
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/564x/0c/24/10/0c241093d8ecf8bb026a449b2b63ff6e.jpg

 

Hitlerjugendfrisur382311
 hitlerjugend
  
http://visit-heidelberg.org/wp-content/uploads/imgp/hitlerjugend-frisur-3-8231.jpg

 

 

 

 右半分の画面のナチス的スローガンの背景には、ソ連の青年組織のピオニールではなく、ナチスのヒトラー・ユーゲントの画像が引用され、画面左上方の「LONG LIVE FASCISM !」の文字と共に、ドナルド・トランプの言動とファシズム世界の親和性の強調に効果を発揮している(見る側が気付く限りにおいての話だが)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《オマケ》

 

 トランプ関連画像ではないが、検索中に見つけたソ連プロパガンダ・ポスター・デザインのパロディ作品の中から、お気に入りを2点ほど紹介しておこう。ロシア構成主義を代表するエル・リシツキー作品風のウォッカの広告と、有名なドミトリー・ムーアの志願を募る軍人ポスターをマリオ化したお遊び(残念なことに出典となるリンク先を見失ってしまった)と。

 

We-call-it-vodka1

 we call it vodka
  
https://files1.coloribus.com/preview/x600/files/adsarchive/part_972/9729455/file/stolichnaya-vodka-we-call-it-small-51408.jpg

 

 

 

 

 

  How-many-emails-have-you-sent2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/04/15 00:45 → http://www.freeml.com/bl/316274/302435/

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年4月 1日 (土)

2017年4月1日:「フェイクニュース」の果てに

 

 

 4月1日ではあるが、以下に記すのはすべてホントの話である。

 

 

 

  ドナルド・トランプ米大統領の大統領顧問ケリーアン・コンウェイは先週末、「カメラに変わる電子レンジ」があるとトランプを擁護する仰天発言をし、またも世を沸かせた。
  ニュージャージー州のメディア「North Jersey.com」に出演したコンウェイは、レコード紙コラムニストのマイク・ケリーと対談した。オバマ前政権による盗聴は実際にあったのかと聞かれたのに対し「お互いを監視する方法はたくさんある、残念ながら」と答えた。
  続けて、「今週読んだ記事には、電話やテレビなどを使った監視の手段がたくさん出てきた。カメラになる電子レンジもある。つまり、これは現代社会における一つの事実にすぎません」と言った。
     (ニューズウィーク日本版 2017/03/14 16:18)

 

同記事によれば、更に、

 

  コンウェイは月曜の朝、CNNの情報番組「New Day」に出演、「カメラに変わる電子レンジ」について説明した。司会のクリス・クオモのインタビューに、コンウェイはこう言った。「私はインスペクター・ガジェット(ガジェット警部)ではない。スパイが電子レンジを使うなんて信じないが、証拠を集めるのは私の仕事ではない。それは捜査官の仕事だ。」

 

記事を書いたルーシー・ウェストコット曰く、

 

  自分のボスが盗聴されたと主張しているのだから、その証拠を出すのはコンウェイの仕事だと思うのだが。

 

私もルーシーに同意する。

 

 今やオルトファクトの女王となったコンウェイの言う「今週読んだ記事には、電話やテレビなどを使った監視の手段がたくさん出てきた」という元ネタは(多分)、

 

  内部告発サイト「ウィキリークス」は7日、米中央情報局(CIA)によるハッキング技術に関する内部資料の公開を始めたと発表した。
  文書によるとCIAは、基本ソフトのウィンドウズやアンドロイド、iOS、OSX、リナックスを使うコンピューターやルーターに侵入するマルウェア(悪意のあるソフト)を武器化している。
  マルウェアは内部作成のものもあるが、韓国・サムスン製テレビのハッキングに使うマルウェアについては、英国の英情報局保安部(MI5)の手助けも得ていたという。

  2014年6月付の文書によると、CIAは、サムスン製スマートテレビ「F8000」シリーズに侵入する技術の開発を「ウィーピング・エンジェル」というコードネームの下で進めた。
  ハッキングされたテレビは、電源がオフになっているように見えるものの、室内の音を録音しており、使用者が再度テレビの電源を入れWi-Fiがつながった際に、インターネットを通じて録音をCIAのコンピューターに送る。
     (BBC News 2017/03/08 12:56)

 

コンウェイ女王様も(大統領本人同様に)他人の話をよく聞いていないタイプなのであろう。CIAの新たな「盗聴」テクニックの技術的側面を理解することなく、「なんかこんな話」程度の理解のまま吹聴したらしい(ま、確かにカメラが仕込まれた電子レンジは古典的スパイ道具のイメージではあるが、コンウェイ女王様のしているのは―文脈からして―古典的スパイ道具の話ではないだろう)。現在ここに記しているのは4月1日付けのブログ記事ではあるが、ネタ元の記事の日付が示すように、ホントの話である。

 

 

 お次の記事もまた、エイプリルフールネタではない。

 

 

  一部の国では、自分の名前や好きな言葉を車のナンバープレートにすることができる。カナダもそのひとつだが、自分の名字をナンバープレートにしていた男性が、名前に問題がありすぎると使用を禁止されてしまった。
  ノバスコシア州に住むローン・グラバー(Grabher)さんは、名字をナンバープレートにして25年前から使っていた。しかし更新を申請したところ、昨年12月にいきなり却下の手紙を州運輸局から受け取った。
  同州運輸局は、カナダ放送協会(CBC)の取材に対して、グラブハーさんのナンバープレートが「女性への暴力」を象徴するものと誤解されかねないからだと説明した。

Bbc_news

  グラバーさんによると、自分の姓はドイツ系で、父親の65歳の誕生日に名前入りのナンバープレートを購入した。父親が亡くなった後、自分でプレートを使い始めたという。
  「GRABHER」は「GRAB HER」、つまり「彼女をつかめ」、女性の体を無理やりつかめという意味にも読める。
     (BBC News 2017/03/28 16:38)

 

記事の日付の通り、エイプリルフールのホンモノのフェイクニュースではなく、実際にグラバー氏の身の上に起きた話なのだ。

 記事には、

 

  グラバーさんは、州当局がいきなりナンバープレートを使用禁止にしたのは、ドナルド・トランプ米大統領のわいせつ発言のせいだと考えている。
  昨年の米大統領選の終盤で、トランプ氏がかつてわいせつな表現を使って女性器を「つかむ」と発言したビデオが浮上。女性の権利団体をはじめ大勢が強く非難し、トランプ氏は謝罪した。

 

このような説明も付されている(起源となるのは以下のように報道されていたエピソードである)。

 

  トランプ氏は女性蔑視発言でたびたび物議を醸し、過去に「女はやらせる。何だってできる。プッシー(女性器を指す俗語)をまさぐってな」と語っていたことも明らかになっている。
     (AFP=時事 2017/01/18 09:36)

 

ドナルド・トランプの実際の発言は「grab them by the pussy」であったらしい(ネット上では「grab her right in the pussy」あるいは「grab her by pussy」との表現でも流通している)。

 この機会なのでネット上の関連画像を紹介しておこう。

 そんなトランプ閣下を怖がって見つからないようにしているのは、こんなプッシー(子猫)ちゃんである。

 

Poor Little Kitty Kat
  
https://onmyfrontporch.files.wordpress.com/2016/10/cat-hiding-from-trump.jpg?w=552&h=414&crop=1

 

 

 

 

 そしてついに米国大統領の周辺から「alternative facts」が量産され続けられる現実は、エイプリールフールの伝統を危機に陥れるまでに至ったのである。

 

  スウェーデンとノルウェーの新聞が3月31日、「偽ニュース」として拡散してしまう恐れを考慮して、伝統になっている紙面でのエープリルフールのジョークを今年は自粛すると発表した。
  スウェーデンの日刊紙スモーランドポステン(Smalandsposten)のマグナス・カールソン(Magnus Karlsson)編集長は同紙のウェブサイトで、ネットで拡散する恐れがある間違った記事を掲載するメディアとして同紙のブランドが知られるようになることは望まないと語り、「本紙は本物のニュースを扱う。4月1日といえども」と述べた。
  「偽ニュース」現象は2016年の米大統領選のさなかに発生し、ドナルド・トランプ(Donald Trump)氏が大統領選当選後初の記者会見でCNNテレビの記者に対し「君たちは偽ニュースだ!」と大声で言い放ったことでさらに勢いづいた。
     (AFP=時事 2017/04/01 10:55)

 

 この「AFP=時事」の記事は、多分、フェイクニュースではない。

 

 

 

 

《オマケ》

 

  共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が1日付紙面で、1989年以来、28年ぶりに元号表記を復活させた。天皇制と関係が深い元号を国民に強制すべきではないとの立場だったが、「西暦を平成に換算するのが煩わしい」という読者の声が増え、柔軟路線に転じた。
     (毎日新聞 2017/04/01 10:29)

 
これも、多分、フェイクニュースではない。記事の後半では、

 

  長く党を支えてきた赤旗購読者や党員の減少に悩む共産党は、保守層への支持拡大をうかがっている。元号の使用にはそうした思惑もあるようだ。
  党によると、赤旗の発行部数は日刊紙と日曜版を合わせて約113万部。党関係者は1日、「元号の慣習的な使用には反対しない。読者の要望に応えた」と説明した。

 

このように記されていた。4月1日のタイミングでの方針転換ではあるが、エイプリルフールのネタではなさそうだ。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/04/01 20:40 → http://www.freeml.com/bl/316274/301309/

 

 

 

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