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2020年4月 1日 (水)

日本を取り戻す

 

 

 「日本を取り戻す」とは、2012年に安倍晋三氏率いる自民党が掲げ、当時の民主党からの政権奪還を果たした際のスローガンであった。

 この一ヶ月ほど、世界に新型コロナウイルス感染の拡大する中、あらためて、その言葉の現実化していく様を見せつけられ続けた思いを抱く。

 

 新型コロナウイルスの感染拡大という非常時の中で、かつてのこの国の非常時の姿が甦るようであった。要するに戦時日本の経験である。

 

 日毎に明らかとなる新型コロナウイルスの脅威を前にして、東京でのオリンピック開催の可否をめぐり、首相と元首相、都知事(そしてIOC会長)が右往左往する姿(最終的にIОC会長の「外圧」が大きな役割を果たしていたように見えてしまうが)。

 ポツダム宣言受諾の可否をめぐる帝國の姿を思い出さざるを得なかった。「国体護持」にこだわる余り、原爆投下とソ連対日参戦に至るまで、宣言受諾の決断は先延ばしにされ、多くの兵士が戦死に追い込まれ、銃後国民の戦災被害も大きなものとなってしまった。悲願の国策としての「五輪開催」が、かつての「国体護持」のような役割を果たし、決断を下す立場の者の責任回避が続く中、感染は拡大していったのである。

 もうひとつ、思い起こさざるを得ないのがインパール作戦の顛末であった。ここは手を抜いてウィキペディア先生に登場いただくと、

 

  6月5日、牟田口をビルマ方面軍司令官河辺正三中将がインタギーに訪ねて会談。二人は4月の攻勢失敗の時点で作戦の帰趨を悟っており、作戦中止は不可避であると考えていた。しかし、それを言い出した方が責任を負わなければならなくなるのではないかと恐れ、互いに作戦中止を言い出せずに会談は終了した。この時の状況を牟田口は、「河辺中将の真の腹は作戦継続の能否に関する私の考えを打診するにありと推察した。私は 最早インパール作戦は断念すべき時機であると咽喉まで出かかったが、どうしても言葉に出すことができなかった。私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」と防衛庁防衛研修所戦史室に対して述べている。これに対して河辺は、「牟田口軍司令官の面上には、なほ言はんと欲して言ひ得ざる何物かの存する印象ありしも予亦露骨に之を窮めんとはせずして別る」と、翌日の日記に記している。こうして作戦中止を逡巡している間にも、弾薬や食糧の尽きた前線では飢餓や病による死者が急増した。
     (ウィキペディア 「インパール作戦」記事中の「日本陸軍の作戦中止及び退却」の項より)

 

 まさに夏のオリンピック開催の可否を前にしての、現首相と元首相と都知事の振る舞いに重なるエピソードである。お互いに顔を見合わせながら、先へ進めないのである。

 このインパール作戦エピソードは、その後の「非常事態宣言」をめぐる首相と都知事の間でも繰り返されていた(現在も継続中)。心中を忖度することが期待され、必要だと考える対応が先延ばしにされる状況が続く。

 

 

 首相会見にしても都知事会見にしても、具体策の欠けた、しかし力強い言葉が氾濫する。3月28日の首相会見を伝える記事(毎日新聞 2020/03/28 18:20)への「ヤフコメ」が秀逸であった。

 

  安倍さんの「これまでにない」「前例にない」「甚大な」「思い切った」「政府をあげて」「きめ細やかな」「一気に」「大胆な」「力強い」「強大な」「かつてない規模の」は、もう聞き飽きた。

 

 われらが戦時宰相、東條首相の演説を彷彿とさせる。力強い掛声はあるが、休業者への補償、感染者用病床の確保、防護衣の手配等の実施の細目については考えないことにする。どんなに力強い作戦計画であろうが、兵站の確保を抜きにしては前線の兵士は戦えないのである。

 いきなりの「休校要請」の際には、東條首相の一代前の近衛文麿首相が支那事変拡大の中で発した「爾後國民政府ヲ對手トセズ」の声明を思い出させられた。確かに自身の「決断」をアピールすることには役立っただろうが、熟慮の末の判断には見えない。近衛は外交交渉の相手の存在自体を否定してしまうという過ちを犯し、事変の解決への道を自ら閉ざしてしまった。安倍氏の「休校要請」も、専門家の意見に従ったものではなかったし(思いつき)、事前のシミュレーションを欠いた結果、休校措置に伴う児童生徒の保護者の休業補償の問題等、混乱を招いてしまった。

 「自粛」にせよ「休校措置」にせよ、重要なのは感染拡大の時間稼ぎなのであり、得られた時間を次に必要とされる対処に用いなければならない。「自粛」や「休校」により(あるいは検査数を抑える対応により)感染のピークを先送りし、そこで得られた時間を次に必要となる措置のために使う。(業種を超えた)マスクの生産拡大、防護衣の生産拡大、人工呼吸器の生産拡大、そして感染症病床数の確保、軽症者向け滞在施設の確保等、既に中国、韓国、ヨーロッパ諸国、米国の経験からすれば感染症拡大への必須の対応であったはずだ。

 前回記事(「非常時の国家と産業(20世紀の戦争と21世紀の感染症) 」)では、まさに戦時に例えられる非常時の中で、業種を超えて人工呼吸器生産を試みる民間会社の奮闘ぶりを取り上げた。記事のその後、ダイソンは限られた時間の中で実際に新たに人工呼吸器を設計し、生産開始まで達成しているのである。

 

   英家電メーカーDysonが、新型コロナウイルス感染症の治療に必須だが不足している人工呼吸器の開発を英政府から依頼され、1万台を製造中だと、米Fast Companyが3月25日(現地時間)、入手した同社創業者のサー・ジェームズ・ダイソン氏による社内メールに基づいて報じた。
  ダイソン氏はメールで「10日前にボリス・ジョンソン首相から電話で依頼があり、The Technology Partnershipと協力してまったく新しい人工呼吸器「CoVent」を設計した。これは新型コロナウイルス感染患者に対応するよう設計されており、大量生産が可能だ」と語った。人工呼吸器は医療機器として規制されているため、政府などと協力して製品の承認を急ぐ。
  政府から受注した1万台に加え、寄贈用に5000台を生産し、4000台は英国以外に提供する計画。
  英BBCによると、この人工呼吸器は数百人のエンジニアが24時間体制で10日かけてゼロから設計したという。
     (2020/03/27 18:08 ITmediaNEWS)

 

 このスピード感ある非常時対応に対比されるのは、わが日本政府の対応である。

 

  政府は30日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、人工呼吸器の増産をメーカーに要請する方針を固めた。協力に応じる企業には補助金も含めた支援策を講じる方向だ。重症患者の急増に備えて治療態勢の増強を急ぐ。
     (2020/03/30 18:18 時事通信)

 

 やっと3月30日になっての話なのだ。記事には「関係者によると、政府は日本光電をはじめとする主要メーカーへの打診を始めているもようだ」とあり、非常時に強いはずの安倍氏の政権にとってはすべてが「これから」の話なのである。「自粛」や「休校」により確保されたはずの時間は空費されていたということだ。

 

 

 近衛、東條という二代にわたる戦時宰相(もっとも、近衛は「戦争」ではない事変下の首相であったが、大日本帝國の非常時モード拡大の主役であった)のエピソード、そしてインパール作戦の顛末。あらためて現在の日本で再現されているようにしか感じられない。

 

 安倍氏は確かにかつての非常時日本の姿を「取り戻」したのである。公約に偽りはなかった。

 

 

 (せっかくのエイプリルフールだというのに、マジネタとなってしまった―今回の記事にウソ偽りはございません→追記あり)

 

〈追記〉

  新型コロナウイルスの感染拡大でマスクの品薄状態が続いていることから、安倍総理大臣は政府の対策本部で、全国のすべての世帯を対象に1つの住所当たり2枚ずつ、布マスクを配布する方針を明らかにしました。
     (2020/04/01 20:23 NHK)

 エイプリルフールネタではない。「そのうえで、全国すべての世帯を対象に日本郵政のシステムを活用し、1つの住所当たり2枚ずつ、布マスクを配布する方針を明らかにしました」と具体的な手順も示されているのである。アパートで一人暮らしの独身者にも、5人家族にも平等に(?)2枚ずつのマスクが配布されるというのが、4月1日付の日本政府の方針なのである。これが日本を取り戻した政権下の「これまでにない」「前例にない」「甚大な」「思い切った」「政府をあげて」「きめ細やかな」「一気に」「大胆な」「力強い」「強大な」「かつてない規模の」非常時の国策である。

 

 

 

 

 

 

 

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2020年3月26日 (木)

非常時の国家と産業(20世紀の戦争と21世紀の感染症)

 

 

  新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)により医療設備が不足している中、各国政府が戦時状況に準ずる民間総動員体制を整えている。
  19日、CNNによると、英国は準戦時動員方式によって不足しているベンチレータ(人工呼吸器)の生産に入った。対象企業には、航空機エンジンなどを生産する有名自動車メーカーのロールス・ロイスと掃除機の代名詞となったダイソンが含まれた。
     (2020/03/19 21:20   News1 wowkorea.jp)

 

 今回の新型コロナウィルスへの対応を報じる中で、第二次世界大戦時の戦時動員の記憶が参照されている記事(タイトルは「ダイソンもロールス・ロイスも人工呼吸器生産…戦時動員体制=英国」)として、強く印象に残った(CNNに遡るべきかも知れないが、この件で最初に目にした記事として記録に残しておきたい)。ロールスロイスとダイソンという組み合わせも味わい深い(ロールスロイスは20世紀からの英国の伝統を示し、ダイソンは21世紀の英国を代表する)。記事の最後は、

 

  新型コロナウイルスの発源地である中国は、軍の医療スタッフを投入するなど、戦時総動員体制を整えて、iPhoneの組み立てをしていたフォックスコンなどがマスク製造に乗り出し、韓国政府もマスク不足事態に広く民間にも協力を求めた。フランスでは、世界最大のブランド企業LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)グループが、「国家災難級の危機」に傘下クリスチャン・ディオールなどの香水製造ラインを洗浄剤のラインに変更して稼働させている。

 

と結ばれている。ここでも「戦時総動員体制」という語を用いて、中国での対応が記されている。

 続いて米国での「戦時状況に準ずる民間総動員体制」の現状を伝える記事を記録しておきたい。

 

  世界中でコロナウイルスの感染拡大が止まらない。アメリカでは、3月に入って感染者が急増。政府発表によると、22日の時点で感染者が3万人を超えたという。
  米自動車メーカーの”ビッグ3”であるゼネラルモーターズ(GM)、フォード、クライスラーはいずれも、自動車の生産を停止している。そんな中、GMはベンテック・ライフ・システムズによる人工呼吸器の増産をサポートするようだ。
  同じくコロナの感染が広がっているイギリスでは、国内に拠点を置くF1チームが同様に人工呼吸器製造をサポートしている。
     (2020/03/23 15:01 MotorsportJP)

 

 こちらのタイトルは「ゼネラルモーターズは、コロナウイルスのパンデミックに対し、人工呼吸器の増産をサポートしている」で、David Malsher 氏による署名記事となっている。

 

 ゼネラルモーターズの対応については、3月21日の時点で、既に土方細秩子氏が取り上げている(「自動車メーカーが人工呼吸器製造か?米の現状」)。

 

  そこで、全米の工場閉鎖を発表したばかりの自動車メーカー側が政府と交渉し、「人工呼吸器などの医療機器の生産という形で協力したい」と申し出たのだという。GMのメアリー・バラ会長はトランプ大統領に対し、人工呼吸器などの医療デバイスを工場で生産する可能性について社内でリサーチを行っている、と報告した。
     (2020/03/21 WEDGE Infinity)

 

 生産の転換が、国家主導というよりは、自動車メーカーの主体的対応に読める記事である(注:1)。更に、

 

  テスラのイーロン・マスク氏は宇宙航空産業のスペースXに関して「ただちに人工呼吸器の製造を始める用意がある」ともツイートしている。またジャガー・ランドローバーも英政府に対し同様に人工呼吸器の製造により政府を支えることができる、としている。

 

と、米英での企業による対応への言及が続く。現在ではゼネラルモーターズの後に、

 

  米自動車大手フォード・モーター(F.N)は24日、新型コロナウイルスの感染者が重症化した場合に必要になる人工呼吸器などの製造を開始すると発表した。
     (2020/03/25 00:59 ロイター)

 

と、フォードも人工呼吸器製造への参入を発表していることが伝えられている(記事には「フォードは米ゼネラル・エレクトリック(GE)(GE.N)のヘルスケア部門と米複合企業スリーエム(3M)(MMM.N)と提携し対応する」ともあるが、この二社も戦時期の軍需生産を担った経験を持つ)。

 

 土方氏は、先の記事中で、

 

  車と人工呼吸器といえば随分異なるように思えるが、自動車メーカーとしては生産する場所は確保できるし、プラスチック、金属、電子製品についての知識もある。今がウィルスとの戦時中、という認識で全社を挙げて政府に協力する体制を整える、というのだ。
  例えば第二次世界大戦中に米国の自動車メーカーはジープなどの軍用車、戦車、B24戦闘機などを生産していた。つまり車を作る技術は他の軍事用品、今回の場合は医療機器に応用することは可能なのだ。

 

と、第二次世界大戦中の自動車メーカーの経験について解説している。当ブログでも、戦車を生産するクライスラー(「クライスラーの戦車」参照 )と四発重爆撃機(土方氏は「B24戦闘機」と記述してしまっているが、フォードが生産した「B24」は「戦闘機」ではなく大型の爆撃機である)を生産したフォード(「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」参照)を取り上げている。

 

 何か感慨を覚えざるを得ないのが、米英=かつての連合国だということである。枢軸(われらが日独伊)を物量で打ち負かした連合国の戦時生産体制の経験が、今回の新型ウィルスの対応にも確かに反映されているように見えてしまう。安易に図式化しようなどとは思わないが、かつての連合国=米英での生産転換のスピード感、そこでの企業の主体性のあり方の背後に、やはり私は「先の大戦」の経験を見てしまうのである。

 国家主導により国家の指示命令に従うというよりは(ロイター記事中には「国内自動車メーカーに対し、他の産業と提携し新型ウイルスの感染拡大への対応で必要な機器などを製造するよう」とのトランプ大統領による「呼びかけ」も記されているし、実際に大統領は「国防生産法」の発動を発表してもいるが―注:2)、企業が主体的に動く姿(米国の「お上」としてのトランプには見えない)。上位の存在として指示命令する「お上」としての「お国」があり、その命令(国策発動)を待って民間が滅私奉公で国家統制に従うのとは異なる社会の在り方。何か人々の血肉となっているからこその人工呼吸器製造への、スピード感ある生産転換の試みに見えてしまうのである(イタリアは新たな人工呼吸器生産どころではない悲惨な状況であり、「指導者原理」による全体主義の故国ドイツの自動車メーカーによる人工呼吸器生産への転換の報道はないし、滅私奉公の皇道精神自賛の果てに敗戦を迎えた日本も同様である―報道で伝わる限りの話ではあるが、メーカーも生産転換に名乗りを上げず、国家も指示していないのが枢軸の現状である)。

 

 

 連合国称賛だけに終わらせずに、わが帝國の末裔の現在についても記録しておきたい。

 

  シャープは24日、マスクの生産を開始したと発表した。価格は未定で、販売先は政府と調整中。新型コロナウイルスの影響で品薄が続くマスクの安定的な供給に貢献したい考え。
     (2020/03/24 14:42 時事ドットコムニュース)

 

 日本の家電メーカーだって頑張っているのである。確かに人工呼吸器生産への転換に比べ、技術的ハードルの高さは低いかもしれない。しかし、日本国民の多くが必要だと考えているのは人工呼吸器ではなくマスクなのも確かなのである。

 マスクで新型コロナ感染が十分に防げるものであるならば、技術的ハードルが高くそれだけ時間も要するであろう人工呼吸器生産を目指すよりはマスクの生産を優先することは合理的判断ではあり、国家の戦略としては間違ってはいない。しかし、国家レベルでそのような比較考慮がされていたのかどうか? 現在のところ、私の読んだ限りの報道からは判断のしようがない。

 

 

 

【注:1】
 土方氏は、

  自動車メーカーにとって、このような形で工場を再開できれば15万人を超える国内の自動車関連労働者に職を与え、生活を支えることができる、という点も大きい。もちろん労働者側からは職場での感染の危険性など疑問点も呈されるだろうが、シフトを減らす、各労働者の物理的距離を保つ、など企業側が提供できる予防策も当然講じられることになる。

とも記し、現実に進行しつつある人工呼吸器不足による死者の増加の可能性を前にしての、閉鎖された自社工場による人工呼吸器生産が、新型コロナウィルス感染による工場閉鎖によって企業とその労働者にもたらされた不利益の解消にも役立つとのメーカーサイドの認識を示している(滅私奉公を志願しているわけではない)。
 感染者の救命に役立つと同時に企業の利益にもつながる、ということなのである。

 

【注:2】

米大統領、「国防生産法」発動 医療物資の確保優先―新型コロナ

  トランプ米大統領は20日、新型コロナウイルス感染拡大に伴う医療物資の不足に対応するため、民間企業に調達や増産を促すことができる「国防生産法」を発動したと正式発表した。国家の危機対応を「最高レベル」まで引き上げたと強調。非常事態に認められた特別な権限を行使し、肺炎治療に欠かせない人工呼吸器やマスクの確保を急ぐ。
     (2020/03/21 06:39 時事ドットコムニュース)

 同記事には、「国防生産法は朝鮮戦争開戦の1950年に成立。物資の調達や増産、賃金、物価統制に至る幅広い権限を大統領に認めて」いるとの記載もある。

 ちなみに、朝鮮戦争と人工呼吸器の普及には関係がある。

  第2次世界戦争(1940~1945)において成層圏を征服するために、各国において高々度用の呼吸マスクを考案し、これが朝鮮戦争(1950~1953)中に、医療として用いられるようになり、”人工呼吸器”(respirator)として完成し、麻酔学の発展に大きく寄与することとなった。
     (高木健太郎 「現代における生と死」 1984 日本内科学会特別講演)

 ここには「”人工呼吸器”(respirator)」とあり、冒頭で引用した記事では「ベンチレータ(人工呼吸器) 」とあるが、医療関係の用語辞典には「レスピレーター:人工呼吸器のことをいう。最近は、ベンチレーターと呼ぶことが多い」などと書かれているので、どちらも同じと考えて問題はなさそうである。「脳死」状態が人類の歴史に登場するのも、朝鮮戦争時の人工呼吸器の普及の思わぬ果実であったことも申し添えておこう。

 皮肉な話だが、現在では、朝鮮戦争の戦線の向こう側で米国と戦っていた中国が人工呼吸器生産でも大きな地位を占めるようになっているようである。

  中国の医療機器メーカー、北京誼安医療系統は1月20日以来、24時間体制が続く。
  同社の工場ラインは2週間前に国内のニーズを満たした後、外国からの人工呼吸器の注文に全力で取り組んでいる。3交代制で、研究開発部門のスタッフまでも生産ラインで働く中、同社の機械は休みなく稼働している。
     (2020/03/24 15:16 Bloomberg)

 この Jinshan Hong 氏と Dong Lyu 氏による記事には、

  人工呼吸器を製造するために時間と闘っている中国企業は同社だけではない。
  中国の医療機器企業間取引(B2B)プラットフォーム、貝登医療のサプライチェーン担当ディレクター、ウー氏は「中国の全ての人工呼吸器工場は最大生産能力に達し、外国からの需要で完全に手一杯になっている」と述べた。工場のフル稼働は5月まで続くと同氏は予想している。
  人工呼吸器の需要があまりにも多いため、トランプ米大統領は自動車メーカーの人工呼吸器生産に向けた工場改築を容認した。
  トランプ氏は22日のツイートで、フォード・モーターやゼネラル・モーターズ(GM)、テスラに人工呼吸器を製造する許可を与えたと明らかにした。
  ただ、企業が迅速に生産を増やせるフェースマスクや体温計とは異なり、人工呼吸器は参入障壁がより高く、急速な生産拡大はもっと困難だとウー氏は指摘。「生産ラインの拡張は非常に時間がかかり、資源を要する。人材育成も必要で、あまりにも手間がかかる」と説明した。

とも記されている。今後、米国の自動車メーカーは人工呼吸器生産への技術的ハードルをクリア出来るのであろうか?

 米国だけでなく中国もまた、連合国の一員であったことを思い出してみれば新たな感慨を呼ぶ。感染症に翻弄される世界の中に、現代史が凝縮されている様を見ているようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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2020年2月29日 (土)

三国同盟危うし!

 

 ここで「三国同盟」と呼ぶのは、昭和15(1940)年に締結された「日独伊三国同盟」のことである。

 たまたま、戦前(大正期)から戦中に発行されたグラフ誌『歴史寫眞』(注:1)の第350號(昭和17(1942)年7月號)を手にしていた際の発見について記す。

 

19427

 

 これが表紙だが、保存状態は悪く、前の所有者によってビニール紐を用いて綴じられている(サイズは横型のA4)。

 昭和17(1942)年の7月号とあって、対米英開戦後のまだ皇軍が有利に戦線を拡大しつつあった時期の(浮かれた)気分が伝わる表紙であろう(現実にはまさにミッドウェー海戦による主力空母喪失と重なる時点ではあるが)。

 「皇風萬里和氣藹々」の文字からは、日本軍による占領下の東南アジア地域の人々が、白人国家による植民地支配から「解放」された喜びの中にいるのだとの認識が伝わる。実際、表紙裏の「本號概要」を見ると、表紙写真については「朗らかに踊つて皇軍勇士を犒ふジャバの娘達」とあり、他のページにも「早くも南海の島に開かれた果物市場」、「明朗ビルマの近況」、「皇風萬里、和気藹々のビルマ」といったタイトルの写真が並ぶ(実際にページを繰ると「皇風一過和氣藹々のビルマ(住民欣然、我に協力す)」といった写真記事もあるし、「しやはせな中國人」なるタイトルのページもある)。「大東亜共栄圏」の実現が現実化したと思われていた時期の「しやはせな」日本国内向け・日本人向けの記事ということになろうか。

 

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 あくまでも「概要」であり、詳細な目次とはなっていない(詳細な目次は存在しない)。

 裏表紙裏は「大東亞戰暦」と題されたページとなっており、「自五月十六日至六月十五日」の各戦線での日本軍の「戰暦」が示されている。

 

1942

 

 6月4日から7日にかけては、ミッドウェー海戦で日本海軍は空母4隻と艦載機290機の喪失という打撃を受けているのだが、「戰暦」にはまったく反映されていない。

 一方で、「概要」では「口絵」と分類されたページに「相次ぐ我海軍の捷報」と題された写真と絵画で構成された記事がある。

 

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 「ミツドウエイとマダガスカル」とのサブタイトルが付され、「更に又、六月五日には太平洋の中心に於けるアメリカ唯一の海軍根拠地ミツドウエイを強襲し、同方面に増援中の米國艦隊を捕捉して猛攻を加へ、忽ちにして空母“エンタープライス”型一隻、同“ホーネツト”型一隻及び甲巡“サンフランシスコ”型一隻を撃沈、その他敵機百五十機を撃墜した。寫眞の①は海洋画畫家松添健畫伯の筆に成るミツドウエイ海戦の圖で、右は“エンタープライス”左に黒煙を上ぐるは“ホーネツト”上空は彼我の壮烈な空中戦である」との説明が付されている。しかし残念ながら、水増しされた戦果であった(米海軍の実際の損害は空母ヨークタウンと駆逐艦ハムマンの喪失。米国側の戦死者307名に対し、日本側の戦死者は3057名)。

 「概要」では示されていないが、「獨逸は斯く戰ふ」と題されたページがある。

 

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 アフリカ戦線の上空を飛行する戦闘機の「カモフラージュ」の紹介と、東部戦線での「スターリングラードの攻防戦」の行方について記されている。後者については「スターリングラードの攻防戰は既に半歳に及んでゐるが、未だ完全占領とまでは行かず、獨逸軍は冬将軍到来前に、斷呼是を攻略すべく全力を傾注してゐる。寫眞は即ちス市に突入したる獨軍歩兵部隊が、猛火を潜つて敵陣に殺到する光景である」とのキャプションが付されているが、冬将軍到来前の攻略は叶わず、翌43年2月にスターリングラード攻略に当たったドイツ軍は降伏するに至った。同じ1943年の5月には、アフリカ戦線の枢軸軍も降伏する(そして7月には連合軍はイタリアに上陸してしまう)。しかし1942年の7月の時点ではまだ先の話であり、希望的観測も成立し得たのである。

 

 さて、日独伊三国同盟であるが、私は『歴史寫眞』の裏表紙(注:2)に注目することになった。

 

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 「世界日誌」のタイトルの下、「大東亜戰暦」と同期間内の国際情勢が記されている(ただし冒頭は金子堅太郎の死去を伝える記事である)。「大東亞戰暦」のバックは、海軍の水上機と艦上に翻る旭日旗。一方、「世界日誌」のバックは、日章旗とイタリア国旗とハーケンクロイツ…と思ったら卍(マンジ)である(「獨逸は斯く戰ふ」ページの右下の垂直尾翼写真のマーキングが正しい向きを示す)。何より重要な同盟国であるはずのナチス・ドイツのシンボルたるハーケンクロイツ(スワスチカ)が裏返しになっているのであった。

 あぁ、三国同盟危うし!!!

 

 

 

 【注:1】
 研谷紀夫氏は「Digital Cultural Heritage を用いた大正期のグラフ雑誌「歴史写真」の分析とその課題」と題された論考(2014?)の中で、

 雑誌「歴史写真」は実業家秋吉善太郎(1866-1924)によって、今から百年前の大正2(1913)年に創刊され、戦中まで発行されていた定期刊行物である。同誌は20~30ページ程度の誌面で構成され、1ページに1枚の割合で、およそ2週間~2ケ月前におきた出来事の写真を掲載している。写真の被写体は多岐に渡り、国内外の事件や災害、戦争に至るまで様々な話題を対象としていた。
 本雑誌が発行された大正の初期は、写真帖が多数発行された明治時代と、「アサヒグラフ」や「写真週報」などのグラフ雑誌が発行される大正後期以降の中間の時期にあたり、同誌は両者の橋渡しをする役割を担う位置づけにある。

と整理している。
 実際、表紙を含めカラーページも多いが、写真が貼り込みによる掲載(誌面への直接の印刷ではなく)となっているページも多く、写真帖からの流れを感じさせられる。見開き両ページを使ってのレイアウトはなく、フォトモンタージュによるダイナミックな紙面構成も見られず、『フロント』に至る写真グラフ雑誌とは一線を画している印象を持つ。

【注:2】
 裏表紙には、もともとの購入者であろう、大阪市に住所がある「国際情報支社」の印が押されている。

 

 

 

 

 

 

 

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2020年1月 5日 (日)

戦時下のミッキー

 

(ミッキーとガスマスク、そして陸軍九〇式大空中聽音機)

 

 

 年賀状をデザインするに際し、必ずしも干支にちなむというわけではないが、昨年末(つまり年賀状デザインについて思いを巡らす時点)には、ネズミネタ路線に向かっていた。

 

 で…

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我ながらびっくり(私はディズニーファンではない)のミッキーマウス・モチーフである。枢軸国―もちろん我が大日本帝國も含まれる―による毒ガス攻撃から子供たちを守るためのガスマスクに施されたミッキーマウス・デザインなのである(後述)。しかし、あまりに不吉なイメージではある。親しい友人たちには確実にウケると予想されるが、私との付き合いが深くない方々には刺激が強過ぎるとも思われた。

 

 そこで…

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対米英開戦に先立つ時期、日本人の誰も著作権なぞ気にしない時代の日本産ミッキーの年賀カード(右から左に「アケマシテオメデタウ」とある)である。ミッキーマウスにしか見えないキャラは、日本軍のために活躍しているのである(ミッキーたちが操作しているのは日本陸軍の九〇式大聴音機―詳細は後述)。

 

 

 

 まず取り上げるのは不気味感全開のミッキーマウス・ガスマスクについてだが、1941年12月の真珠湾攻撃の衝撃の渦中の米国でデザイン(ウォルト・ディズニー)され、実際に製造(サン・ラバー社)されたものだという。ミッキーマウスをモデルとしたデザインは、ガスマスク装着時の恐怖感を和らげるはずであった(ゲーム感覚で装着訓練を重ねられることが期待された)。

 日本軍による米国本土への毒ガス攻撃が、現実的脅威として迫っているように感じられていたのである(太平洋には日本軍、加えて大西洋側の海面下にはドイツのUボートが潜行し攻撃の機会を窺っているものと考えられた)。

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 (During WW2 Walt Disney designed a Mickey Mouse gas mask for children, in the hope that they would not be frightened if they had to wear it. /41strange / twitter.com)

 

 実は、米国製ミッキーマウス・ガスマスクには先立つ存在があった。既に1939年以来ヨーロッパは戦場となっており、大陸諸国はドイツの占領下となり、残された英国も侵略されようとしていた。第一次大戦での毒ガス攻撃による悲惨は人々の記憶にあり、ドイツによる爆撃が現実となった英国でも、毒ガス攻撃からの市民防護が課題となっていた。市民にもガスマスクが配布される中で、子供用のガスマスクも用意されたのである。英国政府の用意したガスマスクはミッキーマウスにはまったく似ていなかったが、ミッキーマウスの名で呼ばれることになる。幼児の喜びそうな仕掛け(鼻が伸びる)も組み込まれた楽しげな色使いのマスクであった。要するに、幼児にも抵抗なく装着されることが目論まれてのデザインということである。

British-government-issued-childs-gas-mas

  British Government issued child’s gas mask.Circa. 1940 / cartoonresearch.com)

 

 もっとも、1943年生まれのエリック・アイドル(あのモンティ・パイソンのメンバー)の記憶によれば、ガスマスクの装着は、おぞましい体験であったようだ。ゴムの臭いは耐え難いものであり、以来、エリック・アイドルにとってミッキー・マウスとスキューバダイビングは苦手なものとなったという(『エンパイアマガジン』の2019年1月号の記事にあるらしい)。ガスマスクの装着は容易でも快適でもなく、フィルターを通しての呼吸はそれだけでも息苦しいのに、強烈なゴムの臭いの中に閉じ込められるのである。

 

 英国政府が支給した子供用ガスマスクはミッキーマウスには似ていなかったが、そのネーミングはロンドンのディズニー・オフィスに受け入れられた。この幼児向けガスマスクをめぐる英国でのエピソードは、のちに米国製ミッキーマウス・ガスマスク製造会社となるサン・ラバー社の社主であるT.W.スミスにより米国にも伝えられた。1942年1月には、ウォルト・ディズニー自ら掲げるデザイン画と共に軍の市民防衛部門と科学戦部門、産業部門の責任者が並んでの記念撮影がされている。

 デザイナーのディートリッヒ・レンペルとバーナード・マクダーモットにより、ディズニーによるデザインは立体造形化され、実際にサン・ラバー社で製造されることになった。ミッキーマウスに加え、プルートや三匹の子豚タイプのガスマスクもデザインされたという。サン・ラバー社は、様々なゴム製品(玩具から文具、医療器具、そして軍需製品まで)の製造に従事しており、子供用の玩具もその一つであったが米国の参戦と共に玩具製造を中止していた中でのエピソードである。

 

 真珠湾攻撃の衝撃は大きく、やがてあるかも知れない枢軸国による米国本土への毒ガス攻撃への対処も米国の政治家の課題となった。当初、ニューヨーク市長のラガーディアは、市民の安全のためには5000万個のガスマスクが必要だと主張した。そんな中での子供用ミッキーマウス・ガスマスクなのである。

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 (45th Infantry Division Museum Oklahoma City Oklahoma / tripadvisor.jp)

 しかし、ミッキーマウス・ガスマスクの生産は戦争の全期を通して1000個前後で終わることとなった。実際に広く供給されたのは子供用のM1-1非戦闘員用ガスマスクであった(ただし幼児用としてのデザイン的な配慮はない)。時間と共に戦況は米国に有利となり、毒ガス攻撃の可能性も減少していく。非戦闘員用ガスマスクは最終的に30万個が供給されたとされるが、それが子供用だけの数字なのか大人用も含む数字なのかは(私の目を通した範囲では)判然としない。

 戦後もディズニーとサン・ラバー社の関係は続き、ライセンス契約の下でのサン・ラバー社のゴム製ディズニーキャラ・フィギアが製造されたという。

 米国本土においても英国においても、対戦国による毒ガスを用いた攻撃を経験することはなく戦争は終結を迎えた。ガスマスクが実際に用いられることはなく、装着したガスマスクが市民の生命を救う場面もなかった。が、英国ではガスマスクのフィルター部に用いられたアスベストによる健康被害が報告されているという。製造工程に従事した労働者が、アスベストの犠牲となったというのである(エリック・アイドルの幼児体験の中のガスマスクにもアスベストは用いられていたはずである)。

 約1000個という製造数のミッキーマウス・ガスマスクは、現在のコレクターにとっては入手困難なレアなアイテムとなっているらしい。限られた生産数であったことに加え、ゴムという劣化のしやすい材質の製造品であることが、コレクターにとっての入手難易度を高めているようである。入手難のミッキーマウスの本家(?)の米国製ガスマスク現存品に比して、ミッキーマウス・ガスマスクの元祖的存在である英国政府供給の現存数はそれなりに多いらしく、オークションサイト等に出品されている現存品を画像検索で確認出来る。

 

 

 

 そもそもは戦時期のミッキーマウスを用いたプロパガンダへの関心、特に戦前のわが大日本帝國でのミッキーの活躍への関心から、そして年賀状作成という課題から、「mickey mouse ww2 japan」なんて検索語でネット上の画像チェックをしたところから始まった話である。わが大日本帝國の戦前期におけるミッキーの活躍ぶり(要するに著作権なんか関係なし)に感心していたら、件の米英のガスマスク画像も発見。迷うことなく年賀状デザインに採用したわけだが、やはりあまりに不吉感が大き過ぎる。で、あらためていろいろ画像検索を進めるうちに、ミッキー(にしか見えない)キャラの活躍する、しかも軍事色あふれる年賀カードを発見したのであった。近頃は年賀状が流行らなくなりつつあるが、戦前のアメリカン・アニメキャラ・カード類には年賀モードのものも多くみられる。ベティーとミッキーが一緒になって「アケマシテオメデタウ」、なんて展開である。

 そんな中から、オークションサイトで$150の値で売りに出されていたのが、仮に「防空ミッキー」と呼ぶことにしたカードである。

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 (1930 Disney Mickey Mouse War & Postwar Vintage Japanese Postcard Very Rare Sold Price: $150 / antiquesnavigator.com)

 

 手前にあるミッキーに囲まれている巨大金管楽器のような装置が、侵入する敵機の爆音を捉えて位置を探るための聴音機。遠くの地平線上には日章旗が翻り、空には低翼単葉引込脚に見える日本軍戦闘機らしき姿。さて、ミッキーはどちらの側にいるのであろうか?

 

 で、あらためて聴音機に注目すると…わが陸軍の九〇式大聴音機であることが判明(写真画像からすると、防空ミッキーカードはかなりリアルな描写となっていることがわかる)。

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 (九〇式大聴音機/Wikipedia)

 

 画像をいただいたウィキペデイア先生によれば「九〇式大空中聴音機(きゅうまるしきだいくうちゅうちょうおんき)は1932年(昭和7年)に日本軍が採用した音響探知装置である」という、日本陸軍の防空用音響探知兵器である。ミッキーマウス部隊が運用しているのはわが帝國陸軍自慢(?)の防空システムに組み込まれた音響探知装置なのであり、となるとミッキー部隊は日本陸軍に所属していることにならないか?

 

 手元にある陸軍航空本部第二班編纂の『最新 世界航空大観』(厚生閣 昭和6年)の第四章は「國土防空」となっており、その「三 防空法(一)―積極的防空施設」に「F 聽音機」の項がある。

  さて聽音機は敵機上より發する爆音を聽取してその方向を判定するものであるから、その配置が適當でない場合には友軍戰闘機の妨害を受けて、遂に敵機の標定不可能となり、或ひは誤つて友軍戰闘機を標定することになる。それ故に照明地帯の前方に出来れば特に警戒地帯を設け、その中に聽音機を配置して敵機の航路を第一戰の照空燈に知らしめ、戰闘地帯の照明實施を成るべく早く行はせ、待機地帯内には聽音機を絶對に配置しない方を有利とする。而してこれらの聽音機を如何なる距離間隔をおいて、いかなる位置に配置すべきかは聽音機そのものの聽音圏等の性能に左右されることが多く、これらには總べて聽音機専門家の研究に俟つこととしよう。
     (175ページ)

このように説明されているが、再びウィキペディア先生を参照すると、

  聴音機とは飛行する航空機の音を捉え、その位置や移動方向を割り出すものであるが、より探知精度の高いレーダーの実用化で姿を消した。しかし、電波探知機(レーダー)による捜索技術で欧米等から後れを取っていた日本では、太平洋戦争終戦間際まで使用され続けた。好条件下では、約10km先の目標を探知可能であった。 

とされている。ウィキペディア先生の「聴音機」の項には、

  空中聴音機は方向と高低を特定するためにラッパや反射鏡のような集音装置を備え、音を導音して受音器で聞き取った。音源の方向と高低の特定は、音を聞き取る操作員が、音響が正面から来ていると感じ取ることで行われた。しかし、音響は気象条件、湿度、温度、風向等の条件によって大きく変化した。また雨天の際には集音部のラッパに水がたまるため、点検して除去する必要があった。
  聴音によって特定できる航空機の位置は常にずれている。数キロメートル離れた場所からの音波は、聴音するまでに数秒がかかり、その間に航空機は聴音によって特定された位置から離れている。照空、射撃に用いるには、この誤差を修正する必要があった。

とある(『ウィキペディア』の信頼性という問題は常にあるが、『ウィキペディア』に全面的に依拠するのではなく、記述を批判的に読んだ上で利用可能と判断した記述は利用するのが私の姿勢である)。

 昭和10年代後半には時速500キロを超える高速の軍用機が主流となっていく中で、「好条件下」でやっと10キロ先の目標が探知可能(ただし「数キロメートル離れた場所からの音波は、聴音するまでに数秒がかかり、その間に航空機は聴音によって特定された位置から離れている 」のである)という「積極的防空施設」なのであった。

 ところで、『最新 世界航空大観』には、「聽音機」の画像も掲載されている(176ページ)。

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 上が「喇叭形聽音器」で下が「蜂巣形聽音器」となっているが、この「喇叭形聽音器」は、形状からして九〇式大聴音機のように見える(掲載写真の「喇叭形聽音機」の向きは、ミッキー部隊が操作しているものにも重なる―左右に並ぶ向かって右側の「喇叭」と左側中段の「喇叭」による「聴音」で進入する敵機の左右水平方向での位置を判定し、左側の上下段の「喇叭」を用いた「聴音」により上下垂直方向での進入機の角度を測る)。車輪は外されているが、全体のサイズ、「喇叭」の形状、喇叭を支える支柱の形状を見ると、ほぼ九〇式聴音機そのものではないか。軍による採用は昭和7(1932)年とされているが、昭和6(1931)年の時点で、陸軍航空本部第二班編纂の『最新 世界航空大観』には写真が掲載されていたものと考えられる。「九〇式」とは「皇紀2590年式」を意味し、すなわち昭和5(1930)年であるから、「年式」の年号と「採用」の年号、そして掲載写真の書籍発行年号の異同という細かいところにも、つい眼が向いてしまう(本文は「聽音機」で写真キャプションでは「聽音器」であるところにも)が、要するに1930年代の日本軍の「積極的防空施設」を操作しているのがミッキーマウスという話なのである。

 後方上空の低翼単葉引込脚の戦闘機らしき軍用機(両翼に記された国籍マークからして軍用機であろう)からすると、実際に日本陸海軍が低翼単葉引込脚の戦闘機を配備するのは1940年以降となるので、イラスト作者がリアルな描写を心掛けているとすれば、この防空ミッキー年賀カードも1940(昭和15)年以降に販売されたもの(雑誌の附録であった可能性もある)であるかも知れない(翌昭和16年12月には真珠湾攻撃による対米開戦となるので、このミッキーマウス・デザインでは昭和17年の年賀状には使えなくなってしまっていただろう)。

 

 

 

 以上、今年の年賀状をめぐるあれこれである。

 

 

 

 

【主な参照先】

 終末感漂う、戦時中の子供向けガスマスクとそれを付けた子供たちの古写真 / カラパイア
  http://karapaia.com/archives/52229440.html

 The Mickey Mouse Mask By Major Robert D. Walk
  http://www.gasmasklexikon.com/Page/USA-Mil-Mikey.htm

 Did you know Walt Disney designed the world’s weirdest gas mask? By John Kelly
  https://www.washingtonpost.com/local/did-you-know-walt-disney-designed-the-worlds-weirdest-gas-mask/2015/09/12/885be808-57d8-11e5-8bb1-b488d231bba2_story.html

 The Mickey Mouse Gas Mask— Used in Name and Design During WWII By Dave Bossert
  https://cartoonresearch.com/index.php/the-mickey-mouse-gas-mask-used-in-name-and-design-during-wwii/

 Gas Masks in the Second World War killed more people than they saved By John Simkin
  https://spartacus-educational.com/spartacus-blogURL124.htm

 “"Mickey Mouse" Gas Mask For Children WWII”
  https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g51560-d117287-i181179932-45th_Infantry_Division_Museum-Oklahoma_City_Oklahoma.html

 九〇式大聴音機 / ウィキペディア
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E3%80%87%E5%BC%8F%E5%A4%A7%E8%81%B4%E9%9F%B3%E6%A9%9F

 <骨董品シリーズ その62>空中聴音器 / 小林理研ニュースNo.96_3
  http://www.kobayasi-riken.or.jp/news/No96/96_3.htm

 日本の空中聴音機(Japanese Sound Locator)
  http://www17.big.or.jp/~father/aab/kikirui/soundlocator.html

 かつて戦時中に使用されていた、音波で対象物の位置を捕捉する「空中聴音機」の歴史 / カラパイア
  http://karapaia.com/archives/52068069.html

 

 

 

 



 

 

 

 

 

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2019年12月29日 (日)

東ドイツ建国70年目の「ドイツ民主共和国40周年記念勲章」

 

 2019年も残り数日となってしまったが、数日前に遡る話である。

 2019年は東ドイツ(ドイツ民主共和国)の建国70周年に当たる(「2019 70JAHRE DDR (幻の東ドイツ建国70年)」参照)。しかし、建国70周年の国家的祝賀行事を主催するべきドイツ民主共和国は、ご存じの通り、既に存在しない。1990年の建国41周年を迎えることなく、統一ドイツの名の下に、ドイツ民主共和国(東ドイツ)は消滅したのであった。それから30年が過ぎようとしている。

 そんな2019年の年末、たまたま、ネット検索で調べものをしていた際に、ネットショップで「ドイツ民主共和国40周年記念勲章」が販売されているのを発見したのである。

 で、迷わず購入してしまった。1989年、10月7日の建国40周年記念式典から1か月もたたないうちに、式典の主宰者であったホーネッカーは失脚し、ホーネッカーが築いたベルリンの壁も崩壊してしまう。その間際というか、短い時間の中で制定(1988年10月14日)され授与(1989年10月7日)された「ドイツ民主共和国40周年記念勲章」なのである。

 

 白いプラスティックのケース入りだが、フタとケースが別になっているスタイルではなく、フタとケースは蝶番により一体化されている(これまで入手した東ドイツの勲章・記賞類は、フタとケースが別のスタイル―弁当箱のような―であった)。しかもフタ側とケース側の両方が赤いフェルト敷きとなっている。特にコレクターというわけではないし、手元にある勲章・記章類の数も限られているので、どちらもどこまで一般的なスタイルなのかはわからない。

 1989年から30年が過ぎるわけで、その年月を反映してか、台のフェルトには小さな穴(虫食い?)があるし、メダルの表面にも黒く変色した部分がある。その一方で、いわゆる「使用感」はなく、「新品」の印象である(授与された建国40周年記念勲章は瞬く間に亡国記念章と化してしまい、佩用する場もなかったということでもあろうが)。裏面には「FÜR VERDIENSTE UM DIE DEUTSCHE DEMOKRATISCHE REPUBLIK」との銘があるので、授与されたのは国家に対する貢献が認められた人物ということになる。制定者はホーネッカーだというが、その制定者が失脚するような状況(1989年10月17日の政治局会議で解任動議)の中で、どのような規模で叙勲されたのであろうか?

 授与された者が手放したものなのか、授与の機会を失いデッドストック状態で倉庫にしまい込まれていたものなのか? いろいろと気になるが、とりあえずは入手の記録として2019年の最後の記事をアップしておこうと思う。

 

 

 

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2019年10月28日 (月)

2019 70JAHRE DDR (幻の東ドイツ建国70年)

 

 2019年の10月の終わり、30年前を思い出してみると、ヨーロッパの東側には社会主義国家群があった。経済的にはコメコン、軍事的にはワルシャワ条約機構により、ソ連に従属的な地位を強いられていた国家群である。30年前の10月の時点では、まだ、いわゆる東西冷戦状況が継続していたのである。

 1989年の10月初頭には、東欧各国(そしてアジア・アフリカの強権的国家の)首脳列席の下、東ドイツ(ドイツ民主共和国=DDR)では建国40周年の式典が執り行われていた。その中心にいたのは、国家評議会議長のホーネッカーであった(ホーネッカーは、かつてベルリンの壁を築いた人物でもある)。しかし10月の終わりには、既にホーネッカーは解任されていた。民主化(つまるところ東独権力システムへの根底的批判を意味する)への市民の期待は高く、市民によるデモも公然と行われるようになっていた。そして11月9日、かつてホーネッカーの築いたベルリンの壁は崩壊する。東側から西側への通行の自由が認められたのである。そして1年後の10月には、国家としてのドイツ民主共和国は消滅する。ベルリンの壁と共に、ユートピアであるはずの世界(DDR)が崩壊したのである。

 

 今年の年賀状を作成していた時、あらためて2019年が東ドイツ建国70周年に当たると同時に、ベルリンの壁崩壊30周年の年でもあることに気付いたのであった。で、年賀状作成に加えて、東ドイツ建国70年祝賀カードを作ってみたのであった。

 

20192-2

 

 年賀状の主人公は(自ら" I'm a Very Stable Genius ! ”と言ってしまえる米国の偉大な兄弟としての)トランプ閣下、建国70周年カードの方は、建国40周年の際の東独デザインにちょっと手を加えただけの安直なモノではあるが、それでもこの30年間の感慨が込められたものでもある。とにかく2019年の年頭、私としては、かつて存在した東独という国家、そしてその国民として生きた人々に思いを馳せることをしておきたかった。あの、まるで市民の移動の自由が国家を崩壊させたような歴史的瞬間にも。

 

Img_20191028_0002

 

 2019年の10月の終わり、あらためて、そんな年頭の感慨を思い出し、若干のセンチメンタルな気分に浸りながら、このような一文を書く気になったのであった。

 1989年の11月の9日、ベルリンの壁の崩壊を迎えることになったわけだが、1989年の10月の終わり、まだ誰もそんな時がやって来ようとは考えていなかったはずだ。もちろん、多くの人々の期待の中に、いつか来るはずの出来事としてベルリンの壁の崩壊は待ち望まれていたであろうが、2週間もしないうちにその日を迎えようとは思われていなかった。そんな10月の終わりであった。

 

 

 

〈オマケ〉

 映画『グッバイ、レーニン!』の予告動画。日本語字幕版のDVDのキャッチコピーは「ベルリンの壁は崩壊した。だけど僕は母を守る壁を作ろうとした。」であった。まさに1989年の10月からの一年間を舞台とした映画である。

 Good Bye Lenin! - Trailer
     https://www.youtube.com/watch?v=lv5FO9PtAvY



 建国40周年の祝賀軍事パレードの動画(延々と45分続くが、列席の各国首脳の顔ぶれには、その後、独裁者として悲惨な最期を遂げた人物も含まれ、これまた感慨深い)。

 40 Jahre DDR East Germany Military Parade 1989
     https://www.youtube.com/watch?v=6vBGYe19Ibk

 

 

〈関連記事〉

  「トラバント

  「幻のドイツ民主共和国建国60周年

  壁を築くことの意味

  「1961年8月13日(ベルリンにおける公衆衛生学的処置としての「壁」)

 

 

 

 

 

 

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2019年4月11日 (木)

古本ジャングルと70代の道案内

 

 

  よくお世話になっている(カモにされている)立川フロム中武の古書市の案内状、「恒例フロム古書市ご案内」が届いている。

  案内状に記された天心堂御主人の「呟き」にウケたので、ここに記録保存。

 

 

 

 

     l_ccc5acbb812454b7cb3b485f1dab36ecc438be6d.jpg

 

 

   中央線沿線から集まった古本屋五軒。
    そのほとんどは70歳以上、現役。
    世に珍しい高齢者立上げの即売会は
     (どこかのんびりしています)
     目の前に広がる古本ジャングル群
   (お客様が開拓者ならば、私どもは道案内)
     本との出合いは束の間のトキメキ、
       ご来場をお待ちしております。
              参加店主の呟き  天心堂
                   2019年 4月吉日

 

 

 

  今回は、日程的に「開拓者」として出かける時間がとれるかどうか状態なのが残念。

  レジで雑談にふける道案内の大先輩方の気配を感じながら、古本ジャングル探索を楽しんじゃうひととき。

  財布の中身を減らし、狭い部屋をより狭くする。そこに問題があるのだが、「本との出合いは束の間のトキメキ」なのである。

 

 

 

 

 実際、どうなるかというと…こんなものが手に入ってしまったりする
     (以下追記:2019/04/13)

 

 《昨年の夏のある日の収穫》

 

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明治期の小學理科教科書からバタイユまで、この13冊で8150円の買い物

(上段左から右へ)
學海指針社編輯 『小學理科新書 甲種 巻之一』 明治26(1893)年 集英堂  金十二銭→700円 
深谷甫 『米國海軍艦型圖輯』 昭和18(1943)年 海と空社  2圓00銭→900円
宇都宮謙編輯 『義は君臣情は父子』 昭和13(1938)年 日本歴史研究會  金壹圓五拾銭→1200円
ジョルジュ・バタイユ ハンス・ベルメール画 『眼球譚◎マダム・エドワルダ』 1988 白水社  2400円→400円
谷喬夫 『ナチ・イデオロギーの系譜』 2012 新評論 900円
小学校平和教育教材編集委員会・広島県原爆被爆教師の会編 『ひろしま―これはわたしたちのさけびです(試案)』 1970(ただし1981年の3訂版第7刷 広島平和教育研究所出版部  頒価180円→100円
(下段左から右へ)
日本民族學協會編輯 『民俗學研究 第十二巻 第二號』 1947 彰考書院  三十五圓→250円
多木浩二 『「もの」の詩学』 1984 岩波現代選書  1800円→500円
藤原彰 『中国戦線従軍記』 2002 大月書店  2000円→800円 
デイヴィッド・フィンケル 『帰還兵はなぜ自殺するのか』 2015 亜紀書房  2300円→800円
武藤貞一 『日支事變と次に来るもの』 昭和12(1937)年 新潮社  ¥1.00→800円
ポソニー 『今日の戰爭―その計畫・遂行・經費』 昭和15(1940)年 岩波新書  五十銭→200円
「青島戦ドイツ俘虜収容所」研究会 『「青島戦ドイツ兵俘虜収容所」研究 第六号』 2008 「青島戦俘虜収容所」研究会  600円

 

 この中から一冊を選ぶとすれば…

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 深谷甫 『米國海軍艦型圖輯』 1943(昭和18年) 海と空社

  

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 かつての持ち主である吉澤大尉の署名

 

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 ページには附箋が付され、書き込みも多い(吉澤大尉の努力研究の跡である)
 附箋と書き込み、そして署名に魅せられての購入であった(多分、美品であれば購入はしていない)

 

 

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 奥付を見ると、再版で2000部という発行部数であったことが記録されている
 才谷屋書店の出品で900円であった(昭和18年の定価2圓00銭)

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2019/04/11 08:51 → https://www.freeml.com/bl/316274/324508/)

 

 

 

 

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2018年4月 1日 (日)

2018年4月1日:再び「フェイクニュース」の果てに

 

 

 

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Grab 'em by the Venus, @GingerPower
 https://www.forbes.com/sites/davidalm/2017/01/27/masterpieces-re-imagined-to-humiliate-trump/#40ea6119362d

 

 

 

 

 

 

 

 ドナルド・トランプ大統領の治世二年目の4月1日である。本来なら「エープリルフール」ということで、ネタを考えなくちゃいけないんだが、私にはトランプを超える想像力がない。

 

 

 

 昨年(「2017年4月1日:「フェイクニュース」の果てに」)に引き続いて、今年もホントの話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  【AFP=時事】全米でセクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)問題の議論が行われる中、自身も性的不品行を繰り返し非難されてきたドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領は30日、2018年4月を「全米性犯罪啓発予防月間(National Sexual Assault Awareness and Prevention Month)」にすると布告した。
  
  ホワイトハウス(White House)が発表したトランプ大統領の布告は「悲しいことにわが国の社会において性犯罪はいまだに横行しており、加害者が責任を免れることがあまりにも多すぎる」「こうした許しがたい犯罪は親密な関係のなかで、公共の場で、そして職場で見境なく行われている」としている。
  「しかし被害者が沈黙を守っているケースが多すぎる。加害者からの報復を恐れていたり、司法制度を信じられなかったり、トラウマになるような経験による痛みと向き合うことが難しかったりするのだろう」
  「わが政権は性犯罪を啓発し、被害者が加害者を特定し、責任を取らせることができるよう取り組んでいく」
  少なくとも20人の女性が、大統領になる前のトランプ氏から性的暴行またはセクハラを受けたとしてトランプ氏を非難している。ホワイトハウスはこうした女性たちはうそをついているとの立場を維持している。【翻訳編集】 AFPBB News
     (AFP=時事 2018/03/31 10:43)

 

 

 

 大統領が「全米性犯罪啓発予防月間(National Sexual Assault Awareness and Prevention Month)」と布告したのは3月30日だが、「全米性犯罪啓発予防月間」は本日、まさに「エープリルフール」であるはずの日がスタートである。

 

 「わが政権は性犯罪を啓発し、被害者が加害者を特定し、責任を取らせることができるよう取り組んでいく」って、これがセクハラ大統領トランプのセリフなのだ。大爆笑的ネタとしか思えない。

 

 

 

 昨年の関連報道を思い出してみよう。

 

 

 

  トランプ氏は女性蔑視発言でたびたび物議を醸し、過去に「女はやらせる。何だってできる。プッシー(女性器を指す俗語)をまさぐってな」と語っていたことも明らかになっている。
     (AFP=時事 2017/01/18 09:36)

 

 

 

 このエピソード、ちゃんと録音が残されているのだ。しかし、もちろん、ホワイトハウス的には、それでも「フェイクニュース」に過ぎないということになるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 :  2018/04/01 17:43 → https://www.freeml.com/bl/316274/318049/

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年11月26日 (日)

B-29 (米国の技術開発力)

 

 

 いわゆる「先の大戦」(大東亜戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争、あるいはアジア太平洋戦争等、様々に呼ばれるが)を語るに際して、「日本は米国の物量に負けた」という言い方があるが、その点については既に「クライスラーの戦車」、「B-29 (物量としての米国の生産力)」、そして「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」と題した記事を通して、米国の隔絶した生産力の実際を紹介してきた。

 

 米国の自動車産業や航空機メーカーの広報用フィルムを通して見えたのは「詳細な設計の進行と同時に、戦車生産のために新たな工場を建設してしまう米国の自動車メーカーの底力」であり、「人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細に加え、工場の福利厚生の充実ぶり」を誇る航空機メーカーの姿であり、「最終的には一時間に一機のペースでの製造には成功し、最盛期には月産650機を記録するところまで到達」させてしまうフォードシステムの大量生産方式による四発重爆撃機生産の実情であり、「様々な工程が既に女性労働者によって置換されていること」及び「(その前提となる)充実した職業訓練・教育」の様相であった。

 

 

 

 

 

 これらのフィルムが示すのは、「日本は米国の物量に負けた」との言明の正当性であろう。彼我の間にある生産能力の絶対的な隔絶は否定し得ない。

 

 先の言明に加え「日本は米国の物量と技術に負けた」との認識もまた、当時の実情を理解しさえすれば正当なものとして導かれるはずであるが、「日本は米国の物量には負けたが技術力では勝っていた」との言説を目にする機会も多い。しかし、これは「負け惜しみ」以外の何物でもなく、言説としての妥当性がないことは歴史の現実(いわゆる「近現代史の真実」ではなく「現実」が)が示している。

 

 

 

 これまでは「物量」に焦点を合わせ、対米戦争時における否定し難い日米間の国力の差を明らかにしてきたが、今回は日米間の隔絶した「技術力の差」を直視しておくこととしたい。

 

 

 

 今回もまた、あの「先の大戦(大東亜戦争)」における米国の圧倒的な軍事力の象徴とも位置付けられる四発重爆撃機、あの憎っくきB-29の姿を通して、問題が生産力の差=物量だけにあるのではなく、技術力の差=技術開発力の差にもあることを明らかにしてみたい。巨大な生産力が最先端技術を物量として供給し、圧倒的な戦力の差を生み出すことで、大日本帝國を敗戦に追い込んだのである。

 

 

 

 

 

 

 

 飯山幸伸氏は、その著書『B-29恐るべし』(光人社NF文庫 2011)中の一章を「B-29に用いられた諸革新的技術」と題し、B-29に盛り込まれた技術の革新的側面を明らかにするために割いている。

 

 高高度を高速で飛行可能にした技術として飯山氏は、まず新たな翼面設計(モデル177翼型)と大馬力エンジン(ライトR-3350デュプレックス・サイクロン)に加えて装備された排気タービン過給機(GE製のB-11過給機)の存在を挙げている。

 

 続けて「与圧キャビン」と「ノルデン爆撃照準器」、そして「遠隔操作銃塔」について書いている。与圧キャビンは搭乗員への負担のない高高度飛行を可能にし(B-17やB-24もタービン式過給機を装備することでスペック的には高高度性能を獲得していたが、与圧キャビンは未開発で、高高度での搭乗員への負担は大き過ぎた)、ノルデン照準器(こちらはB-17にもB-24にも装備されていた)が高高度からの精密爆撃を可能にし(可能にするはずであった)、迎撃用火力の「遠隔操作」化は与圧キャビンには必須の技術であると同時に防御力向上に資するシステムであった。

 

 

 

 ここからは特に「遠隔操作銃塔」(The Remote Control Turret System (RCT) あるいは Central Station Fire Control System)に焦点を当て、その「革新的技術」ぶりを明らかにしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 まず紹介するのはシアトルのボーイング社にある(現在の)展示の映像だが、操作の実際がわかるはずだ。

 

 

 

 

 

B-29 gun turret sighting system at Boeing Seattle Part 1
 
https://www.youtube.com/watch?v=nskFayhBcy0

 

 

 

Gun turret sighting system for B-29 at Boeing, Seattle
(B-29 gun turret sighting system Boeing Seattle part II)
 
https://www.youtube.com/watch?v=5h4yBxydz0E

 

 

 

 

 

 照準器の操作に動力銃塔が連動し、銃弾が発射されるメカニズムの実際である。

 

 

 

 

 

 次は当時の軍のB-29搭乗員用トレーニングフィルムからの短い抜粋(註:1)だが、ここでは機銃手の搭乗位置と遠隔操作される銃塔の関係を押えておきたい(一人の銃手による複数の銃塔の同時操作―いわば一人の銃手による集中砲火―が可能になっているのだ)。

 

 

 

 

 

The B-29 Superfortress Gun Turrets
 
https://www.youtube.com/watch?v=gy9uCtgcL3A

 

 

 

 

 

 次に続くのは装置を開発したGE(ジェネラルエレクトリック―日本語での公式表記は「ゼネラル・エレクトリック」であるらしい)作成の広報用フィルムで、アニメーションを多用した解説が興味深い(しかもカラーである)。

 

 

 

 

 

Central Station Fire Control System - ca. 1944
  https://www.youtube.com/watch?v=yABTembGYhg

 

 

 

 

 

 (組み込まれているのは真空管であるが)当時の最先端の電子装置システム(Central Station Fire Control System)により、銃塔がリモートコントロール(遠隔操作)されるメカニズムがカラーアニメを用いて説明されている。GEという民間企業が自身の技術力のアピールのためにカラーアニメを製作してしまうのである(それだけで彼我の国力の差は明らかである)。

 

 

 

 

 

 しかし、B-29に装備された「遠隔操作銃塔」に盛り込まれた革新的技術の核心は、このリモコンシステムにあるわけではない。実はこのシステムにはコンピューターが組み込まれ、単に搭載機銃を動力により間接操作する(もちろんそれだけでも重い機銃と銃塔を風圧に抗して手動で操作する労力からの機銃手の解放を意味する)のみならず、弾道の補正が自動化されることで命中精度の向上もが実現されているのである(註:2)。

 

 

 

 

 

 

 高速で飛行する爆撃機に装備された機銃により、高速で飛行し攻撃してくる敵戦闘機を迎撃することがどれだけ困難であることか想像し得ているだろうか?

 

 ここではB-17の側面機銃手のトリガー・ジョーを主人公(声優はメル・ブランク)としたアニメ仕立ての米軍のトレーニングフィルムを通して問題の所在を確認しておこう。

 

 

 

 

 

"B 17 Waist Gunner" Position Firing, a 1944 USAAF Training Cartoon with Mel Blanc 
  https://www.youtube.com/watch?v=yABTembGYhg


 

 

 

 

 

 

 アニメ中でジョーが求められるのは、頭の中で銃弾の到達位置をシミュレーションし、機銃を適切に操作する能力である。機銃手は一瞬にして爆撃機の速度、高度を把握し、敵戦闘機の速度を把握し、距離を把握し、進行方向を把握し、照準外の(照準内に捉えた敵戦闘機からは離れた)適切な位置に機銃を向け発射しなければならない(しかも高高度を高速で飛行するB-17での話であり、側面機銃の操作は酸素の薄いマイナス20~30度の機内で大きな風圧に抗して行わなくてはならず、それだけでも機銃手の負担は大きいのに→註:3)。

 

 当時の記録フィルムの中の機銃手の映像から、あるいは『頭上の敵機』や『メンフィス・ベル』のような映画を観る際にも、このような機銃手に求められているスキルを意識することはなかっただろう。

 

 B-29に搭載された遠隔操作銃塔に組み込まれたコンピューターシステムは、敵戦闘機に照準を合わせさえすれば照準外に位置する適切な掃射方向を割り出し、機銃手の負担を軽減する。ただし、敵戦闘機との距離は自身で確認し入力(ボーイング社でのデモンストレーション動画でも説明されているように)する必要は残されているが、機銃手は敵戦闘機に照準を合わせるだけで弾道の補正はGE製の「Central Station Fire Control System」に任せれば済む(しかも離れた位置にある複数の銃塔の弾道補正計算と射撃を、一人の銃手が担当するひとつの照準システムの操作で可能にしているのだ)。

 

 

 

 

 

 あらためて、文林堂の「世界の傑作機シリーズ」の『ボーイングB-29』(1995)にある牧英雄氏の論考「ボーイングB-29スーパーフォートレス 開発と各型」から「武装」の項の記述を引用しておこう。

 

 

 

    照準器は銃本体と分離した与圧室内にあり、見越し角計算などすべてコンピューターが管制するので、銃手は照準器に目標を捉え距離の変化を追う操作をするだけで、自動的に射線を算出する。むろん、尾翼などが射角に入れば、自動的に射撃は中止される。また操作はいずれも正副2系統用意されスイッチで切り替わるほか、一方の射手が離れた場合自動的に複数を管制するようになる。床下にある装甲付きブラックボックスに不都合が生じた場合は、マニュアル操作も可能である。
  これらの火器のすべてを管制するのが後部与圧室の回転椅子に位置するCFC手で、このほか通常の担当は前上方=爆撃手/CFC手、前下方=爆撃手/側方銃手、後上方=CFC手/側方銃手、後下方=側方銃手、尾部=尾部銃手/側方銃手 となる。
     (16~17ページ)

 

 

 

 この牧氏の論考には、B-29に搭載された「Central Station Fire Control System」について、もう一つの興味深い記述がある。試作型のXB-29に搭載されていたのはGE製ではなかったのである。

 

 

 

    このため(徹底的な空気抵抗の軽減のため―引用者)突起した銃塔は敬遠されたが、防御上の必要から装備せざるを得ず、ベンディックス、スペリー、ウェスチングハウス、ジェネラル・エレクトリック(GE)の各社が競った結果、ペリスコープ式照準器のスペリー製が採用された。
     (13ページ)

 

 

 

 XB-29に搭載されていたスペリー製のペリスコープ式照準器は結果的にジェネラル・エレクトリックのシステムに変更されることになったわけだが、その選定に際して大きな役割を演じたのがポール・ティベッツ(Paul Warfield Tibbets, Jr)とそのチームであった。あのエノラ・ゲイの機長であったティベッツである(註:4)。

 

 

 

 ティベッツは1942年2月にはB-17の部隊長(340爆撃飛行隊)としてヨーロッパで部隊を率い、25回の出撃回数を達成。1943年3月に米国本土でのB-29(初飛行は1942年9月だったが試作2号機の墜落など様々なトラブルに直面していた)の戦闘能力評価任務に就く。実戦配備へ向けてのその任務の中には武装の評価も含まれており、スペリー製のペリスコープ式照準器システム(こちらにも自動弾道補正コンピューターが組み込まれていた)とGE製システムの比較評価も行われた。その際に、射撃テスト等を行ったのは、やはり後に共にティベッツの率いる第509混成部隊(原爆投下の実施部隊)に所属することとなったジョージ・キャロン(George Robert Caron 原爆投下の際のエノラ・ゲイの尾部銃手も務めている。キャロンは投下直後の原爆の「キノコ雲」の撮影者でもある)とケネス・イードネス(Kenneth L. Eidnes)であった。両者は軍の動力銃塔操作学校(Power Operated Gun Turret School)の同期で、1943年9月に卒業し、1943年10月にB-29の武器試験担当者として配属されている(註:5)。

 

 彼らのスペリー製システムに対する評価は低く、GE製が採用されることになる(The GE system proved to be very good)。問題となったのはスペリーが採用したペリスコープ方式(GEは反射型光像式を採用)で、視野が限定され操作も煩雑となる潜望鏡(ペリスコープ)方式が、重爆撃機の防御武装として実際的ではないと判断されたのである(註:6)。

 

 

 

 

 

 ちなみに、スペリー製システムはB-29のバックアップ機として開発されたコンソリーデッド社のXB-32爆撃機にも搭載されていた。XB-32に搭載されたスペリー製システムに関する論考に掲載された解説図を引いておく。照準器の形式を除けば、GE製のシステムと同様の原理に基づいたものであり、米軍が必要と考えた(そして実際に装備した)「遠隔操作銃塔」を理解する上での参考になるはずだ。

 

 

The-geometry-of-airtoair-gunfire-control

The geometry of air-to-air gunfire control problem
 
https://m.eet.com/media/1175647/fig8.jpg
 https://www.edn.com/Home/PrintView?contentItemId=4402983

 

 

 

 ジョーの直面させられた問題がいかなるものであったかへの理解を深めらる(アニメ上のジョーの標的は静止状態想定であるのに対し、、現実の敵戦闘機は高速で運動する)と共に、「先の大戦」の時代に米国が実際に開発し配備した「遠隔操作銃塔」のシステム(Central Station Fire Control System)の技術的卓越性も再確認し得るであろう。

 

 

 

 この装置を組み込んだ四発重爆撃機B-29の生産機数は3970機に及ぶ(生産機数が3970なのは、その時点で戦争が終結してしまったからである―生産能力の限界を意味するわけではない)。我が大日本帝國の爆撃機の生産機数で最大を記録しているのは海軍の一式陸上攻撃機だが、双発に過ぎない爆撃機の生産機数は2416機にとどまる(生産期間も一式陸攻の方が長いにもかかわらず)。もちろん、与圧キャビンもなければ、「Central Station Fire Control System」もない(しかも一式陸攻の爆弾搭載量はB-29の十分の一でしかない―B-29の一機は十機の一式陸攻に相当する)。物量、技術、そのどちらを見ても彼我の国力の絶対的隔絶は明らかであろう。

 

 それでも「日本は米国の物量には負けたが技術力では勝っていた」などと主張し得ると考えるのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

【註:1】
 全編は、B-29 Flight Procedure and Combat Crew Functioning 1944 US Army Air Forces
 → https://www.youtube.com/watch?v=RsOUXqSh2xs

 

【註:2】
 Central Station Fire Control AND THE B-29 REMOTE CONTROL TURRET SYSTEM
 (→ http://www.twinbeech.com/CFCsystem.htm
 The Cannons on the B-29 Bomber Were a Mid-Century Engineering Masterpiece
 (→ http://www.popularmechanics.com/military/weapons/a18343/the-cannons-on-the-b-29-bomber-were-a-mid-century-engineering-masterpiece/
 Engineering the B-29's Armament
 (→ http://legendsintheirowntime.com/LiTOT/Content/1945/B29_IA_4503_armament.html

 

【註:3】
 アニメのジョーも軽装で身軽だが、高高度では機銃を操作する前に死んでしまう(与圧キャビンの装備されていないB-17の場合、搭乗員は外気にさらされた状態同様―特に側面機銃手は―なのである)。

 

  機体を敵戦闘機の攻撃から守るため、銃手が機関銃を撃ちまくるシーンは劇映画『メンフィス・ベル』などでお馴染みだろうが、映画だと一般に軽装なのが気になる。この撮影用ポーズをとった写真にしても、実戦では考えられない軽装だ。まず、高度6,000~7,000mというところを飛ぶのだから、酸素マスクは必ずしなければならない。それに真夏でもそういう高度では零下20~30℃なのだから、暖房があるにしても側面窓を空けて射撃するには手袋も必需品。高射砲に直撃されたらどうしようもないが、負傷の多くは爆発による破片が原因だから、それらを防ぐフラックヘルメットやフラックベストもつけたいところだ。
     側面機銃手の写真へのキャプション(『ボーイングB-17フライングフォートレス』 文林堂 2007 105ページ)
 

 

 ジョーの搭乗しているのはB-17のG型であるが、後には側面機銃用にも照準の補正計算機能を持つK-13サイトが採用され(同書47ページ、115ページ)、「後部側面銃座の位置を左右でずらして銃手が動きやすいようにするとともに、それまで戦闘時には開け放して(ママ)部分に、中央に機関銃のソケットを設けたガラス窓をはめ込み、銃手を寒気から守る改造も途中から採用された(同書117ページ)」と仕様が変更されている。ジョーの負担も軽減されたことになる。

 

 与圧キャビンの装備された機密性の高いB-29の場合、酸素マスクは必要ないし、寒さに凍えることもない。牧英雄氏の論考の「与圧室」の項には以下のようにある。

 

  3分割で尾部は直径6in(152㎜)のパイプで後部与圧室と結合。通常8,000ft(2,400m)で与圧開始。空気圧は8,000~30,000ft(9,145m)まで8,000ftの30,000ft以上は30,000ft時の圧力差を維持する。コンプレッサーで圧縮された空気は、内側エンジンのターボ過給機を通ることにより冷暖房を調整でき、機関士の操作で送管装置を通じ与圧各室に送られる。このため乗員は高度30,000ftでも特別装備なしに行動可能。
     (15ページ)

 

 (「遠隔操作銃塔」は、気密性の維持の必要を満たすためのシステムでもあった)

 

【註:4】
 Tibbets, Paul Warfield, Jr.
 (→ http://www.nationalaviation.org/our-enshrinees/tibbets-paul-warfield-jr/

 

【註:5】
 KENNETH L. EIDNES AND THE 509TH COMPOSITE
 (→  http://b-29.org/509th/509th-history/509th-history.html
 George R. Caron
 (→ https://www.findagrave.com/memorial/467015

 

【註:6】
 Design hindsight from the tail-gunner position of a WWII bomber, Part one
 (→ https://www.edn.com/Home/PrintView?contentItemId=4402983

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/11/25 21:54 → https://www.freeml.com/bl/316274/314468/

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年10月15日 (日)

総統閣下vsオペラ対訳プロジェクト、そしてパーキンソン病

 

 いわゆる「総統閣下シリーズ」の最新作ということになる(2017/10/12 に公開)だろうか? 映画『ヒトラー ~最期の12日間~』(2004)のドイツ語のセリフに原語と異なる字幕をつけて楽しむお遊びだが、英語圏の「YOUTUBE」で様々な英語字幕バージョンが作成され、日本語圏でも「ニコニコ動画」に様々な日本語字幕バージョンがアップされている。

 今回の「総統閣下は「オペラ対訳プロジェクト」にお怒りのようです」は、私も利用させてもらうことのある「オペラ対訳プロジェクト」による日本語字幕で、時事ネタ込みの(「総統閣下シリーズ」モノの中でも)秀逸なパロディー作品として仕上がっているように思う。

 せっかくの秀逸作を忘れてしまわないように、ブログ記事としてアップして何時でもアクセス可能にしておく作戦を採用した次第である。

 

 

 

総統閣下は「オペラ対訳プロジェクト」にお怒りのようです
 
https://www.youtube.com/watch?v=fnW1TpHZeyo

 

 

 「オペラ対訳プロジェクト」は、オペラ作品を中心とした(オペラだけではなく、バッハの『マタイ受難曲』なども含む)過去の名盤の録音に日本語対訳をつけてアップするという、手元に輸入盤しかない際にとても役立つプロジェクトで、私もチャンネル登録してしまっていたりするのだが、その「中の人」が実はこの手のお遊びにも手を抜かないことを知って、ますます同志的気分を味わったりしているのである。

 

 中身そのものを解説したりするのは野暮な話だと思うので、ここで触れることはしない。

 

 

 ただ、せっかくの機会なので、そもそもヒトラーの実像を描くことを目指した映画作品であった『ヒトラー ~最期の12日間~』にちなみ、小長谷正明『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足 神経内科からみた20世紀』(中公新書 1999)から、神経内科的背景を抜き書きしておきたい。

 

 

  筆者は神経内科医である。脳や脊髄、末梢神経、筋肉などのはたらきの異常を診るのが専門だ。精神科ではない。シビレなどの感覚障害、ふるえやマヒなどが主な症状だ。だから、目にする人の立ち居ふるまいや、表情、声の調子などが気になる。そして、二〇世紀は科学技術の世紀であり、映像の世紀でもある。会えるはずのない、海の向こうや歴史の彼方の政治家、それに雲の上の人の歩き方や動作をテレビで見ることができ、ついプロ意識で病気かどうかを診断することがある。いわば神経内科医の本能で、ヒトラーのふるえや毛沢東のすり足もブラウン管を通して視診した。そこで、二〇世紀のリーダーたちの神経疾患を調べてみて、歴史に投げかけた影を考えてみた。
          同書「まえがき」より

 

 これが同書における小長谷氏の問題意識・基本姿勢である。小長谷氏は、同じく「まえがき」の中で、

 

  もちろん、筆者はこの書物の中の独裁者やリーダーたちの主治医でもないし、カルテなどの第一次資料などをみることも出来ないので、文献にたよらざるをえない。病気の解釈については、単なるうわさやしろうと判断の推測は、書きすすめる上でなるべく排除するようにした。症状の目撃談などはべつとして、基本的にはきちんとした学術雑誌に載った医学論文、あるいは主治医ないしはその場にいた医師の回想録により、医学的客観性をたもつように心がけた。

 

このように書いているが、実際に読み進めてみると、原則としてその姿勢に貫かれていることも確認出来る。

 

 

 映画の『ヒトラー ~最期の12日間~』の方は、同名(邦訳タイトルは原題とは異なるようだが)のヨアヒム・フェストの著作とヒトラーの個人秘書であったトラウドゥル・ユンゲによる回想録を基にドラマ化したものだが、時系列的には、どちらも小長谷氏の著作より遅れての出版物であり映像作品である。出版物はドキュメントであり、映画はドキュメント作品に基くドラマである。

 時系列上、どちらも小長谷氏が依拠するわけにはいかなかったが、

  二〇世紀は科学技術の世紀であり、映像の世紀でもある。会えるはずのない、海の向こうや歴史の彼方の政治家、それに雲の上の人の歩き方や動作をテレビで見ることができ、ついプロ意識で病気かどうかを診断することがある。いわば神経内科医の本能で、ヒトラーのふるえや毛沢東のすり足もブラウン管を通して視診した。

 

20世紀ならではのドキュメント映像が、「視診」を可能にし、加えて「学術雑誌に載った医学論文、あるいは主治医ないしはその場にいた医師の回想録」等のドキュメントが、小長谷氏の判断を支えているのである。

 

 

 テレビでドキュメンタリー番組(番組中では第二次大戦末期のドイツのニュース映画が紹介されていた)を見ていた小長谷氏は、「厚く重苦しい外套を着たアドルフ・ヒトラーが硬い表情で肩を丸め、ぎこちない動作で足をはこん」でいる姿を前にする。

 

  が、次の瞬間、筆者の目は画面に釘づけになった。ヒトラーの左手がふるえているのである。神経内科医のプロ意識がわきあがってきた。診察する目で観察した。そのふるえは、見なれたパターンである。パーキンソン病のそれであった。
     同書「震える総統――ヒトラー」より

 

 もちろん、小長谷氏は、映像を通した自身の視診に加え、「学術雑誌に載った医学論文、あるいは主治医ないしはその場にいた医師の回想録」等に目を通すことを怠らない。

 

  調べてみると、ヒトラーの病気についてのいくつかの医学論文と学術的な単行本がドイツから出版されていた。エレン・ギッベルスという女性の神経学者は一五年間にわたって『ドイツ週刊ニュース』という映画に映っているヒトラーの動作を検討し、医学的考察を行っている。
  それによると、ごくわずかながらも動作が鈍くなったのは一九四一年であり、左手の症状も出てきている。四三年からは、自動車から降りたり、腰をおろしたりするような動作シーンがニュース映画からなくなっている。左手はいつもからだの後ろに回したり、ポケットに入れたりして映らなくなった。
  表情の動きは四四年から少なくなり、顔つきは陰気になっている。笑っているときでも、顔の動きが少なく、「凍り付いた」笑いとなっていた。また、このころから左足を引きずって歩くようになっている。
  ギッベルスは、ニュース映画の中のヒトラーの左右の手の動きやぎこちなさ、表情、歩行、姿勢などの症状の程度によって、〇点から四点までの点数をつけて定量的な分析をしている。パーキンソン病の症状は一九四一年の中ごろにはあらわれており、左側から発症し、やがて右側にも症状が出現した。四五年の戦争末期にはホーン=ヤールの重症度分類二度くらいの障害度だったという。

 

 

  ある秘書はヒトラーのふるえについて書いている。
「日報に目を通すときには、ヒトラーはいつも左手で眼鏡を握っていましたが、その手がふるえるたびに眼鏡が机の表面に当って、カタカタと音をたてていました。唇は干からび、パンくずで覆われ、衣服はたべもので汚れていました」

 

 

  ある記録によると、四二年の東部戦線の大本営地下壕では、イスから立ち上がるにも人の手を借り、支えられて歩いていた。声はぼそぼそとして聞きとりにくく、口もとからよだれを垂らしていたとある。これは二度のパーキンソンではない。少なくとも三度の障害度である。

 

 

  ヒトラーに長いあいだ仕えた参謀将校によると、最後のころの様子は次のようなものだ。
「総統はみるからに恐ろしげな様子であり、苦しそうに、ぎこちなく足を引きずって歩きまわっていた。地下壕の自分の居間から会議室へ行くときには、上半身を前方に投げ出すようにして、足を引きずって歩いていた。バランス感覚はなくなり、ごく短い距離(たかだか二〇~三〇メートル)を歩く途中で、立ち止まらなければならないときは、壁の両側に置かれた総統専用のベンチに腰を下したり、話し相手にしがみついたりした。目は充血していたし、提出された書類はみな特製の『総統専用タイプライター』で普通サイズより三倍も大きな字で打ってあったが、それでも拡大鏡を使ってやっと読めるようだった。しょっちゅう、口の両端からよだれが垂れていた」
  目のことは別として、総統とか地下壕という言葉がなければ、そのまま教科書に載せてもよいような、中等度以上に進んだパーキンソン病の典型的な症例報告である。

 

 

  一九四三年二月、スターリングラードの第六軍が赤軍に降伏した直後、ヒトラーはソ連前面の東部戦線、マンシュタイン元帥の司令部を訪れた。そこにいた元帥の伝令将校シュタールベルクの、昼の作戦会議でのヒトラーの印象はさえないものだった。総統の頭は肩から前に垂れ、制服は食べ物かすで汚れ、無表情のままで地図をみていた。くたびれはてていた。そして顎がふるえつづけていた。夕方の会議になると、それが激変していた。
「……そのわたしの目に、ヒトラーが会議室に入ってきたとき、まったく予期せぬものが映った。今日の昼や昨日とはうって変わった別人のヒトラーが部屋に入ってきたのである。姿勢のたるんだ落ちぶれたような男は、突如として、背筋をのばし、ヴァイタリティのあるひきしまった姿になっていた。……ヒトラーが朝遅くまで寝ているのを好み、夜明け方近くになってから就寝するということは、われわれも知っていた。しかし、これほどまでの体調の変化が、生活リズム上の原因のみで生じるとは思われなかった。なんらかの薬物の効果があったにちがいない」

 

 

 小長谷氏によれば、「ヒトラーは主治医から七七種類もの薬を処方されていた」ということであり、特にシュタールベルクの「薬物の効果」については、

 

  ヒトラーの飲んでいた覚醒剤はメタンフェタミンである。これはヒロポン、つまりアンフェタミンと同じく、ドパミンによく似た化学構造をしている。もともとこれらの覚醒剤は脳の中ではつくられていないが、外から入ると、ドパミンが作用する細胞に、似たような効果をあらわす。またコカインは、化学構造式は似ていないが脳のかなのドパミン量を増やしたり、効果を強める作用がある。
  ドパミンは運動をスムースにするだけではなく、精神活動を活発にする神経伝達物質である。だから、覚醒剤やコカインは、脳の中のドパミン作動系というシステムにはたらいて、気分を高めているのだ。ドパミン不足のパーキンソン病は、精神的には抑うつ状態である。きっとヒトラーは、負け戦でなくともブルーな気分であっただろう。今日の治療では、ふるえやトボトボ歩きへの効果ほどではないにしても、Lドパでうつ症状も多少はよくなっていく。
  パーキンソン病の患者にコカインや覚醒剤を投与したらどうなるかという論文を読んだことはないが、薬理作用からみて、鈍い動作やふるえなどの症状が改善されるのはまちがいない。こう考えると、ヒトラーの覚醒剤・コカイン常用はパーキンソン病と関係していたとも推定できる。覚醒剤やコカインなどの処方は、病気や薬理作用などをふまえてのことではなく、ヒトラーが経験的に自分に必要なのを知っていて要求したのかもしれない。
  東部戦線の司令部で目撃された、ヒトラーの症状のドラマティックな変わりようも、その間にモレルたち主治医が到着していたことを考え合わせると、覚醒剤などが使われたと推定できる。
  もう一つ、ヒトラーへの処方でパーキンソン病と関係がありそうなのは、アンチガスという薬だ。これの主成分は、アセチルコリンの作用を抑えるアトロピンである。アセチルコリンは胃腸のはたらきを活発にしたり、汗を分泌させるはたらきがある。ヒトラーはよくおならをしていて、またひどい汗かきでいつも臭かったという。彼の前では、悪臭の話題を持ち出してはいけないことになっていた。アセチルコリンのシステムがはたらき過ぎているので、それを抑えるためにアトロピンを飲んでいた。
  アトロピンは目にも作用して、瞳孔を広げる。戦争末期のヒトラーが、異様に輝く目をしているのは、アンチガスの成分のアトロピンのためだという。

 

このように記されている。

 小長谷氏によれば、パーキンソン病患者は、ドパミンが不足する一方で、アセチルコリン過剰な状態となる。ドパミン不足に対応するのが覚醒剤やコカインであり、アセチルコリンの過剰に対応するのがアトロピンを主成分とするアンチガス投与ということらしい。

 

 

 いずれにせよ、「総統閣下シリーズ」の総統の姿、その下敷きとなった『ヒトラー ~最期の12日間~』の中でのブルーノ・ガンツ演じるヒトラーの姿に、この小長谷氏の描く神経内科的ヒトラー像を重ねると、よりリアルに映像を(どちらの映像をも)味わうことが出来るようになるはずだ。

 

 

 

  日報に目を通すときには、ヒトラーはいつも左手で眼鏡を握っていましたが、その手がふるえるたびに眼鏡が机の表面に当って、カタカタと音をたてていました。唇は干からび、パンくずで覆われ、衣服はたべもので汚れていました。

 

  イスから立ち上がるにも人の手を借り、支えられて歩いていた。声はぼそぼそとして聞きとりにくく、口もとからよだれを垂らしていた

 

  総統はみるからに恐ろしげな様子であり、苦しそうに、ぎこちなく足を引きずって歩きまわっていた。地下壕の自分の居間から会議室へ行くときには、上半身を前方に投げ出すようにして、足を引きずって歩いていた。バランス感覚はなくなり、ごく短い距離(たかだか二〇~三〇メートル)を歩く途中で、立ち止まらなければならないときは、壁の両側に置かれた総統専用のベンチに腰を下したり、話し相手にしがみついたりした。目は充血していたし、提出された書類はみな特製の『総統専用タイプライター』で普通サイズより三倍も大きな字で打ってあったが、それでも拡大鏡を使ってやっと読めるようだった。しょっちゅう、口の両端からよだれが垂れていた

 

  昼の作戦会議でのヒトラーの印象はさえないものだった。総統の頭は肩から前に垂れ、制服は食べ物かすで汚れ、無表情のままで地図をみていた。くたびれはてていた。そして顎がふるえつづけていた。

 

  ヒトラーはよくおならをしていて、またひどい汗かきでいつも臭かったという。彼の前では、悪臭の話題を持ち出してはいけないことになっていた。

 

 

 

 これが、あの独裁者の現実の姿と考えるとどこか滑稽な印象も抱いてしまうが、しかしヒトラーのエピソードの背後に見えるのはパーキンソン病患者の日常である。自分の身体が自分の思い通りにならないというのは、誰にとっても辛い話である。

 

 

 

 

 

 最後にオマケ的に、かつて英語圏で作成された「総統閣下シリーズ」作品を紹介しておこう。

 私が初めて接した作品(2008/12/29 に公開)であると同時に、その秀逸さに感心させられた作品でもある。

 

 

 

Adolf Hitler - Vista Problems!
 
https://www.youtube.com/watch?v=JSF39LmpxCY 

 

 

 

 当時、私も総統同様に「Vista Problems」に悩まされていたことを、久しぶりに思い出した。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 :  2017/10/15 07:57 → http://www.freeml.com/bl/316274/312781/

 

 

 

 

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