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2019年11月21日 (木)

日本・ニホン・ニッポン

 

 

  さて、結局そのまま戦後を迎え、1946年の憲法改正の国会審議の中で「日本国憲法」の読み方が問題となったが、当時の金森国務大臣は「ニホン、ニッポン両様の読み方がともに使われることは、通念として認められている」として、国名呼称の統一を退けている。さらに時代をくだれば、現天皇の即位の儀式で、天皇は「ニホンコク憲法」と読み上げたのにたいして、竹下首相は「ニッポンコク憲法」と式辞を読み、国名呼称の揺れを象徴するできごととして記録にとどめられている。
     奥野昌宏 中江桂子 「メディアと「ニッポン」―国名呼称をめぐるメディア論」 2011  文学部紀要第46号 成蹊大学  111ページ

 

  三宅のこの引用文の最後にある、「軍人勅諭の読法」というのは、以下のことを示している。すなわち大日本帝国軍人はだれでもその基本精神として軍人勅諭を詠じるのであり、だからこそ軍人勅諭は軍人手帳の必須項目としてあり、それを軍人は常に携帯していた。なお、軍人勅諭は誰でもが唱和することができるように、漢字のすべてにふりがながふってあるが、そのなかの「日本國」には「にほんこく」と書いてあり、それは徹底されていた、という事情を示している。
  宮本によれば、戦時下における文部省の『ウタノホン』『尋常小学唱歌』『新訂尋常小学唱歌』『初等科音楽』で、読み方を確認すると、「日本」がでてくる30曲のうち、「ニホン」が16曲「ニッポン」が14曲であったという。
     同論文 115ページ

 

 

 ちなみに金森徳次郎は、戦前、国体明徴論が盛んなころの国名呼称をめぐる議論(「日本國」じゃなくて「大日本帝國」! ジャパンもジャポンもニホンもダメ! 「ニッポン」と統一しろ!)の際にも、絶妙な答弁で切り抜けていたはずだ(大阪にあるのはニッポンバシで東京にあるのはニホンバシ…とかなんとか→「國號尊重ニ關スル件(「日本・ニホン・ニッポン」資料編)」参照)。

 いずれにせよ、忠良なる帝國軍人にとって、「日本國」は「にほんこく」であったとのエピソードは興味深い。そして忠良なるであろう自民党政権の首相にとっては「ニッポン国」なのであった。

 「平成」の御代の日本国首相にとって「日本国憲法」は「ニッポンコク憲法」であったのに対し、即位の儀式に臨む天皇にとって「日本国憲法」が「ニホンコク憲法」であったエピソードも面白い。「日本国首相」はその当人にとっては「ニッポンコク首相」であり、多分、天皇からすれば「ニホンコク首相」であったのであろうか。

 

 ところで、前記引用論文中の小学唱歌上の話だが、一例を示せば、

 

『尋常小学唱歌 第一学年用』(1911年)
日の丸の旗

1.白地に赤く
 日の丸染めて、
 ああ美しや、
 日本の旗は。

2.朝日の昇る
 勢ひ見せて、
 ああ勇ましや、
 日本の旗は。


『ウタノホン 上』(1941年)
ヒノマル

1.アヲゾラ タカク
 ヒノマル アゲテ、
 アア、ウツクシイ、
 ニホンノ ハタハ。

2.アサヒノ ノボル
 イキホヒ ミセテ、
 アア、イサマシイ、
 ニホンノ ハタハ。

(「ヒノマル」は「ニホンノハタ」らしい)

昭和16(1941)年、日米開戦の年の小学唱歌のひとつでも、「日本の旗」は「ニホンの旗」なのであった。

 

 

 

 平成21(2009)年度の国会においても、この問題が論じられていた。

 

日本国号に関する質問主意書
 提出者  岩國哲人

日本国号に関する質問主意書

  昭和九年に文部省臨時国語調査会において、「日本」の読み方は「にっぽん」に統一され、例外的に東京の日本橋と「日本書紀」だけは「にほん」と読むことになった。その際、外交文書における国号の英文表記が「Japan」から「Nippon」に変更された。これについては、外交用語であるフランス語をはじめとするラテン諸語はHの音が発音されないことも考慮されたとする見解や、満洲事変の勃発とともに、「保守回帰」が起こり、穏やかな語感の「にほん」よりも音韻的に力強い「にっぽん」を選んだという経緯があったとする見解もある。
  この文部省臨時国語調査会の決定を受け、帝国議会でも審議された。
  戦争中の昭和十六年には、帝国議会で、当時の国号「大日本帝国」の発音を「だいにっぽんていこく」と定める検討がなされたが、保留のまま法律制定には至らなかった。
  戦後、昭和二十一年、帝国憲法改正特別委員会において、「日本国」と「日本国憲法」の正式な読み方について質疑がなされ、金森徳治郎憲法担当大臣(当時)は、「決まっていない」と答弁した。
  その後、昭和四十五年七月、佐藤栄作内閣は、「日本」の読み方について、「『にほん』でも間違いではないが、政府は『にっぽん』を使う」と、「にっぽん」で統一する旨の閣議決定を行ったが、法制化にまでは至らなかった。
  これに関連して、以下質問する。

一 右の閣議決定は現在でも維持されているか。
二 他国で、国号の現地発音が複数使用されている国の存在を認識しているか。
三 今後、「日本」の読み方を統一する意向はあるか。

  右質問する。

 

 平成二十一年六月三十日受領
 答弁第五七〇号

   内閣衆質一七一第五七〇号
   平成二十一年六月三十日
 内閣総理大臣 麻生太郎
        衆議院議長 河野洋平 殿
 衆議院議員岩國哲人君提出日本国号に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。

衆議院議員岩國哲人君提出日本国号に関する質問に対する答弁書(ここでは岩國議員の質問を補足して引用)


一 右の閣議決定(昭和四十五年七月、佐藤栄作内閣は、「日本」の読み方について、「『にほん』でも間違いではないが、政府は『にっぽん』を使う」と、「にっぽん」で統一する旨の閣議決定を行ったが)は現在でも維持されているか。
  一について→ 「日本」の読み方については、御指摘のような閣議決定は行っていない。

二 他国で、国号の現地発音が複数使用されている国の存在を認識しているか。
 二について→ お尋ねについては、承知していない。

三 今後、「日本」の読み方を統一する意向はあるか。
 三について→ 「にっぽん」又は「にほん」という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている。
 (答弁:内閣総理大臣 麻生太郎  平成二十一年六月三十日)

 

 

 現状として、われわれ「日本国民」はその国民として「ニホン」に住んでいるのか「ニッポン」に住んでいるのか、「ニホン国民」であるのか「ニッポン国民」であるのかを明言することはできない、ということのようである。

 

 

〈オマケ:オリジナル記事コメント欄のやりとり〉

○さて、ムズカシイのはニホンゴなのかニッポンゴなのか?

●国語でしょ?(爆)

○で、どこの国の「国語」なのかというと…

●「わが国」

○で、何という名の国なのかというと…

●豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)
 (出典:古事記)

 

 

 

 

 

(オリジナルは 2015/02/15 21:07 & 2015/02/26 18:28 、内容的には「日本国の象徴と、國體の本義 18(大日本帝國の「大」)」の関連記事)

 

 

 

 

 

 

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