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2019年7月30日 (火)

撃ちてしやまむ この暮しゆとりなくとも(戦時木造船の周辺)

 

 「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (11)」では、木材供出で姿を消したという青梅街道(小平市内)の欅並木をめぐる証言と、その背景としての戦時木造船建造政策(「木造船建造緊急方策要綱」昭和18年1月20日閣議決定)について記した(『寫眞週報』第263号の記事―木材供出のための岡山県での神社の御神木の伐採事例等―も画像で紹介してある)。

 大日本帝國における国家総力戦体制の内実をよく伝えるエピソードだと思うが、先の記事に加えて、情報局編輯による政府広報誌である『週報』、そして『寫眞週報』(写真週報)にある関連記事を紹介しておきたい(漢字表記は新字体、カナについては原文通り)。

 

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 まず、昭和18年10月27日の『週報』(第367号)の表紙裏の「週言」と題されたコーナーでの主張である。

 

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  従来、生活といへば、とかく個人的なもの、消費的なもののやうに考へられて来た。自分で稼いだお金はどう使はうと勝手だ、無駄使ひをしたり、無くて済むものまで買ひ揃へることが、生活の潤ひであり、より高き生活であるとさへ思はれて来た。
  しかし、決戦下の今日、我々の生活をかくあらしめてはならない。生活は決戦へ、百八十度の転回をせなばならない。生活は個人のためのものから国家のためのものに、消費から生産へと切り替へられねばならない。
  一億国民が衣料切符の一割に当たる絹を節約すれば、落下傘八十九万台が出来る。紙二割を節約すれば木材二百六十万石が浮き、百トンの木造船が二千六百隻も造れることになるのである。
  生活は戦力の源泉である。我々の生活の中から、戦争に勝つための、物や、お金や、人手をもつともつと浮き出させて、戦力の増強、国力の充実をはかることが、決戦下にあるべき生活の姿である。
  生活は消費にあらずして、生産である。

 

 

 青梅街道の欅並木伐採に至る切迫した状況が、

 

  紙二割を節約すれば木材二百六十万石が浮き、百トンの木造船が二千六百隻も造れることになるのである。

 

この言葉からも伝わるであろう。

 

 『週報』のこの号の17ページには、貯金局による「紙も兵器だ!  貯金通帳の無駄を一掃しよう」と題された記事も掲載されている。

 

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  最近、貯蓄が増えたため、どこの家庭でも通帳が多くなつて、保管や整理に困るといふ声があるやうですが、通帳を幾冊にも分けて預入するのは、それだけ多くの人手と物資を使うことになりますから、かうした決戦下の尊い努力と物資の節約を図り、挙げて戦力の増強に振向けるやうに、通帳の無駄を一掃したいものです。
  最近の調査によりますと、郵便貯金通帳の所持数は、
 1、調査世帯数               八、二九八世帯
 2、同上人員(通帳を所持する者のみ)    三、九九九二人
  一世帯当り人員             四.八人
 3、通帳所持冊数              八七、〇九四冊
  一世帯当り通帳所持冊数         一〇.五冊
  一人当り通帳所持冊数          二.二冊
 4、一世帯当り通帳所持冊数内訳
  …(以下数値略)…
となつていて、随分無駄があるやうです。
  試みに最近一ヶ年間の通帳の増加振りをみますと、約二千四百万口の増加で、支那事変以来、六年間に八千七百万口といふ激増振りです。かうして年々二千万の通帳が増えると共に受払の口数は六億口といふ厖大な取扱数になりますから、これの処理に要する人手と物資も、また莫大なものです。
  しかし、その割合に一冊当りの預け高は少く、現在、国民の持つてゐる通帳は約一億四千万冊ですから、最近の現在高百六十億円で計算すれば、一冊当り平均百円少しとなりますが、統計によると、その七割九分は現在高五十円以下の通帳で、郵便貯金は一人五千円まで出来るのですから、もつと通帳の能力を最高度に活用しなければなりません。
  要は通帳の数を出来るだけ少なくして、預け高をどんどん増やしてゆくことが、敵米英を撃砕する貯蓄報国の近道であつて、これからはなるべく人手や物資を無駄に使はずに、貯金を殖やすやうにすべきです。
  今日では、一冊の通帳も非常に大切な資材ですから、新しく預入申込をするときは、古い通帳がないかよく調べてからにすること――何か新しい出来事を記念して貯金するとか、新しい団体でも出来て貯金するとかいふと、先づ通帳も新しいのでといふ気持になり易いのですが、そんな場合にも、出来るだけ前から持つている通帳を利用してゆくやうにしたいものです。
  また少額の貯金は、貯金箱を利用して月一回位に纏めて預入すること――かうして手数を省き、通帳の使用期限を永くするのも無駄を排除する一方法です。
  現在、手元に同じ種類の通帳が二冊も三冊もある場合はなるべく一冊に纏めること――据置貯金など二冊以上で預けてゐるのは、期間の永い方へ合併して一冊で預ける――といふやうに、通帳の無駄を一掃して、貯蓄陣もなるだけ簡素強力化し、長期戦に堪へるやうに、お互に協力し合ふやうにしませう。
  戦線では、我が勇敢な将兵一人一人が、それぞれ十人もの敵を相手に勝つてをられるのですから、私どもも一冊の通帳で十冊の通帳に匹敵する御奉公をするやうに心掛けたいものです。

 

この「要は通帳の数を出来るだけ少なくして、預け高をどんどん増やしてゆくことが、敵米英を撃砕する貯蓄報国の近道」という主張を、先の「紙二割を節約すれば木材二百六十万石が浮き、百トンの木造船が二千六百隻も造れることになる」という「週言」の言葉と重ね合わせることで、青梅街道の欅並木伐採に至る、当時の切迫した総力戦状況が理解し得るはずである。

 

    大東亜戦争の長期化に伴いますます深刻化する船腹戦争の事態に対処し、海上輸送力の積極的増強をはかることは緊急焦眉の国家的課題であり、政府はこれがため夙に鋼船による計画造船と並行して鉄鋼資材関係より簡易な設備をもって、しかも急速に建造され得る木造船の増強をはかるべくかねて木造船戦時標準船型の制定、木造船別の企業合同などの措置をとってきたが時局の緊迫にかんがみ昭和十八年度において木造船の飛躍的増大を目途とする「木造船建造緊急方策要綱」が二十日閣議決定をみた
     (大阪朝日新聞 1943年1月21日)

 

 木造船建造が国策として推進されるに至る背景には、金属資源の枯渇という問題があった。本来であれば、木造船ではなく鋼船建造こそが敵米英撃砕の近道なのである。金属資源の確保への涙ぐましい努力を伝える記事も読んでおこう。

 

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     補助貨の全面引換へ
  昨年十二月から始めたアルミ貨以外の補助貨の引換運動は、関係各方面の非常な協力と一億国民の熱誠によつて好成績を挙げ、去る七月末日までに総額実に一億四千万円、約十六億枚の補助貨を引換へることが出来ました。しかし決戦の様相はますます熾烈化し、今や、飛行機、軍艦を、一機一艦でも多く前線へ送ることが、私ども銃後国民の急務であります。
  周知のやうに飛行機、軍艦、戦車その他優秀な兵器には多量の銅、ニッケル、銀が使はれてゐます。かのマレー沖海戦で撃沈したプリンス・オブ・ウェールス級三万五千トンの軍艦を造るには、実に九百トン余の銅と訳三百五十トンのニッケルが使はれてゐるといはれます。
  即ち二億五千万枚の銅貨と約一億枚のニッケル貨があれば、このやうな軍艦を造ることが出来るわけで、つまり、各家庭から平均十七枚の銅貨と七枚のニッケル貨を国家へ引換へのため提供すれば、三万五千トン級の軍艦一隻を前線へ送り得るわけであります。
  またドイツのユンカースW三三型飛行機用の発動機一つには、ニッケル一キロ半が使はれてゐるとのことでありますから、各家庭でニッケル貨を一枚ずつ国家に差出し、紙幣等と引換へたとすると、これだけでも実に三万五千台の発動機が出来ることになります。そのほか飛行機の車軸や主動軸等にもニッケル合金が使はれてゐます。弾丸を通さない戦車や索引車や火砲、弾丸等に使はれるニッケルの数量は相当多いのであります。
  さらに銀は、銅よりも相当よい電導体であつて、最近優秀な近代兵器に使はれる量は頗る多くなり、航空決戦や海上決戦上の緊急な兵器の製造には、重要欠くことのできないものとなつています。
  このやうな重要兵器の原材料である銅、ニッケル、銀の補助貨はまだまだ沢山残つてゐるので、政府では最近の決戦の熾烈化に鑑み、この十月から明年三月までを期し、銅貨、ニッケル貨、銀貨の最終的全面引換へを行ふことにし、特に来る十一月二十日から三十日までを、補助貨全面引換期間と定め、全国一斉にアルミ貨以外の補助貨の全面的引換運動を実施することになりました。
一、引換を行ふ補助貨の種類
  (一) ニッケル貨、白銅貨 (十銭、五銭)
  (二) 銅貨、青銅貨、黄銅貨、アルミ青銅貨 (十銭、五銭、二銭、一銭、半銭、五厘、一厘)
  (三) 銀貨 (一円、五十銭、二十銭、十銭、五銭)
  (四) 天保銭、寛永通宝、文久銭、丁銀、豆板銀、五匁銀、一分銀、二朱銀、一朱銀投、銀または銅の古貨幣
  (五) 旧韓国補助貨、支那葉銭その他の外国貨幣で銅貨、ニッケル貨または銀貨のもの
二、引換機関
   全国銀行、信託会社、市街地信用組合や信用組合及び中央物資活用協会のほか本年度は新たに無尽会社でも引換へます。
三、引換手数料
   引換機関では、引換者に対してその種類に拘はらず、五十箇毎に五銭(但し五十箇未満は切捨)の引換手数料を支払ひます。
     ×     ×
  戦局はいよいよ緊迫し、いまや飛行機、軍艦その他の兵器を前線へ送ることは一刻の猶予をゆるしません。銅、ニッケル、銀を決戦力増強のために国家へ提供するのも、一国の猶予をゆるさないのであります。
  本年度の最終的補助貨全面引換の実施に際しては、この期間中に、町内会、部落会、隣組で、各家庭から補助貨を取纏め、これを引換機関で引換へることになつてゐます。また大日本婦人会でも同様、補助貨全面引換に協力され、さらに今般は特別に全国の国民学校児童の協力をも得ることになつてゐます。私ども銃後国民、今こそ一枚のこらず貯金箱にあるものも、記念としてゐるものも、すべての銅貨、ニッケル貨、銀貨をアルミ貨や紙幣などに引換へて軍国の急務に応じなければなりません。
     (『週報』 367号 14~16ページ)

 

金属貨幣は「紙幣」へと「引換へ」されることになるわけだが、紙幣もまた本来なら「節約」されるべき紙製であり、木造船となるべき木材資源なのである(「紙も兵器だ!」)。

 

 

 続いて『寫眞週報』の270号(昭和18年5月5日)の表紙裏にある「時の立札」と題されたコーナー。

 

 

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わが蓄めしいささかの金
  けふも鋼鉄(くろがね)の艦(ふね)となり
  南海の敵を撃つ
わが積みしそこばくの金
  けふも銀翼となり
  大東亞の空に飛び立つ
撃ちてしやまむ
  この暮しなほゆとりあり
  否 この暮しゆとりなくとも

 

「手元に同じ種類の通帳が二冊も三冊もある場合はなるべく一冊に纏める」だけではなく(紙の節約だけではなく)、「わが蓄めしいささかの金」は貯蓄報国の資源であり、「この暮しゆとりなくとも」自身の利便のために貯蓄・消費するのではなく、「生活は個人のためのものから国家のためのものに、消費から生産へと切り替へられねばならない」というのである。

 この『寫眞週報』(270号)の表紙には、「二百七十億へ さァ突撃だ」の言葉が記され、4ページから9ページにわたって貯蓄推進記事が組まれている(簡易保険加入の呼びかけ、節約の奨励、贅沢・遊興・浪費への批判と共に)。

 

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貯め抜く道はいくらもある
   二百七十億へ さァ突撃だ!
  佐藤陸軍軍務局長の談にあるやうに、今度の戦争は生はんかな妥協に終わる戦争ではない。文字通り民族の興亡を賭した戦争であり、国家の運命はわれわれ一人々々の運命である。貯蓄の心構えもかかる自覚から奮起しなければならない
  われわれが鬼畜のやうな米英人を相手に果合ひをするとして、一ふりの日本刀もないと知りながら、なほかつ武装を忘れて酒食に、贅沢な衣装に金を費やす者があるだらうか。食べものをつめても、まづ日本刀を求め、なほ更に近代兵器の購入にあたるだらう貯蓄は国民の一人々々がその命を託す兵器をまかなふ費用なのだ。
  今年の国民所得五百億円のうち、三百七十億円が国家目的、即ち戦争完遂のために集中される。この三百七十億のうち、百億円は租税及びこれと同性質の国民負担となるが、残りの二百七十億はどうしても国民貯蓄でまかなふのだ。今年の貯蓄目標であるこの二百七十億はどうしても貯め抜かう
  鈍刀(なまくら)を帯びて戦場に臨むは武士の恥、わが国民性が断じて許さない筈だ
     (『寫眞週報』 270号 5ページ)

 

 「貯蓄は国民の一人々々がその命を託す兵器をまかなふ費用」とされるのである。

 

 

 そして、何より課題となるのは造船用木材の確保である。

 

 記事のタイトルは「密林から生まれ出る日の丸船 ―北ボルネオ―」。

 

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  世界で三番目の大きい島ボルネオ、その広い広い大陸のやうな全土が、見渡す限りの大密林に蔽はれてゐるボルネオは、実に木材の無限の宝庫だ。殊に英領時代から木材の輸出を以て知られた北ボルネオは、内地の造船増強運動に呼応して、いま軍政部の首脳が陣頭に立つて木造船の建造に大童である。千古の密林から伐り出される勿体ないやうなボルネオ産チークや、ラワン等の造船用木材の大木が、原住民の木遣り音頭を密林に谺させながら搬出され、林間鉄道で河に送られる。そして筏に組んでボルネオの誇りとする大製材所へ。そして日本人の指導の下に原住民の船大工達の必死の努力で、着々と立派な木造船が造られてゆく。日本人達も烈日の下、汗を流して勤労奉仕のお手伝ひである。
  かくて、その第一船は日本側軍官民と原住民たちの感激のうちに、去る紀元の佳節に進水、『第五十一ボルネオ丸』と命名され、続いて第二、第三と続いて完成、進水し、日を逐うて加速的に能率をあげてゐる。軍政部首脳以下『木造船ならボルネオだ』と大した張りきり方である。
   記事 坪内陸軍報道班員
   撮影 藤波陸軍報道班員
     (『寫眞週報』 270号 14~15ページ)

 

写真に付されたキャプションは以下の通り。

 

北ボルネオの大密林には木船用最適材が無限にある。天を衝いて聳える巨木にいま丁!と斧が入れられた
現地軍官民歓呼のうちにボルネオ生まれの第一船は進水した
昼なお暗い密林の中を林間鉄道はディーゼルエンジンの音も景気よく巨材を運んでゆく
現地人の船大工も一生懸命だ。もうぢき勝利を運ぶわれわれの船ができ上るぞ

 

 先の「木造船建造緊急方策要綱」においても、「(四)豊富な木材資源を擁する大東亜地域の木造船工場を全面的に活用する」とされていた通りである。

 

 そして、岡山県津山市での松並木伐採の記事もある(ちなみに『寫眞週報』第263号(昭和18年3月17日)の記事で紹介されていた御神木伐採も岡山県の事例であった) 。タイトルは「應召する三百歳の松並木 岡山縣津山市」、撮影は小石清。

 

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  岡山県津山市の名勝地二宮松原の並木が、翼賛会の主唱する木材供出の先陣を承つて米英撃滅の船材として晴れの応召をした。
  『君を松原 夕日が暮れて 鐘が鳴りますお城のお山…』とまで津山小唄に唄はれ、地元民に親しまれてゐたこの松並木は、延宝三年(今から二百六十九年前)、時の城主によつて植ゑられたもので、城下の外郭として、また非常時の防塞として、春秋二百七十年を経て今日に至つた。
  二百七十年の樹齢に歴史の来し方を眺めてきた由緒あるこの松並木は、四月十九日の斧入れを莞爾と受け、引続いて県木材会社の手によつて三百三十余本の伐採が続けられてゐる。またこの運搬には連日、地元翼賛壮年団、在郷軍人会、大日本婦人会の勤労奉仕隊が当つてゐるが、これらの人々の汗の結晶は、松材にして約三万五千石となる。
     (『寫眞週報』 270号 16~17ページ)

 

ここには「翼賛会の主唱する木材供出の先陣を承つて米英撃滅の船材として晴れの応召をした」、そして「またこの運搬には連日、地元翼賛壮年団、在郷軍人会、大日本婦人会の勤労奉仕隊が当つてゐる」とあるが、「木造船建造緊急方策要綱」においても、「(三)木材確保のために政府の国有林供出とともに翼賛会等による全国的な木造船用木材供出の国民運動を展開しその運搬についても地元の勤労奉仕を期待する」とされており、実際にそのような過程で事態が進行したことが窺われる。

こちらのキャプションは、

 

二百七十年の樹齢を保つた二宮松原の名勝地
必勝の念願こめた平松津山市長の斧始め
津山市の翼賛壮年団員は総出で大八車に供木を積み、運搬の奉仕をする
枝とはいへ、二、三十年を経た位の太さのものが降りてくる
大日本婦人会員も枝払いの済んだ枝木の運搬に当る
枝払いが済むと丸太ン棒を幹に結へてクレーンにし、いよいよ大木の輪切りがはじまる

 

 

 

 三井昭二氏の論考、「木材統制法の成立過程に関する一考察」の結語部分には以下のようにある。

 

  やや性急な規定が許されるとすれば、資源を持たない後進帝国主義・日本にとって、資源が無いために開戦し、資源が無いために敗戦した、といえよう。そして数少ない国内賦存資源としての森林資源は、金属・石油資源に代替することまで要請され、いわば森林資源の総動員体制を形成することが促迫された。なかでも木材は、軍需の激増・産業の軍事化が進むにつれ、量的・質的確保が緊要な課題となった。
  いっぽう輸入の遮断・需要の急増によって、内地材の増産が急務となりながら、その生産・流通構造は、産地が分散し供給パイプが細いため、軍需増大に対応できなかった。しかも統制経済下の基本原則であった低物価政策・生産費主義に対し、立木価格が公定化できない現実は、すでに醸成されていた木材資源所有と木材生産との矛盾を拡大せざるをえなかった。
  そのような状況に対して、陸軍の介入をともないながら、生産・配給機構に対する強力な国家統制と「経営の所有に対する優越」による矛盾の回避が企図された。(なお海軍は国家統制による木材調達のほか、「指定業者」として個人営業を温存した。
     (三井昭二 「木材統制法の成立過程に関する一考察--山林局官僚のプランと陸軍の介入を中心として」 1982 『林業経済研究 No102』 39~40ページ)

 

 三井氏は、

 

 資源が無いために開戦し、資源が無いために敗戦した

 

と、ミモフタモナイ言い方をしているが、まさにその通りであった。そして、

 

 数少ない国内賦存資源としての森林資源は、金属・石油資源に代替することまで要請され

 

とある通りで、船舶鋼材に代替しての木造船建造であり、金属貨幣の代替としての紙幣への「引換」であり、(今回は取り上げなかったが)石油資源の代替としての松根油の採集であった。

 

 

 

 これが戦時日本の国家総力戦状況の現実であった。

 

 

 

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  (「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (11)」の補足記事)

 

 

 

 

 

 

 

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