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2018年12月

2018年12月27日 (木)

明治の悪童と修身 (『實驗 日本修身書巻八 高等小學 生徒用』)

 

 

 

 

 古本の価値というのは様々だと思うが、かつての持ち主の書き込みを読むという楽しみもある。もっとも、最近の出版物(出版後10数年程度)であれば、新本でないがゆえの安価な入手法としての古書店利用もあり、その場合は当然ながら書き込みのないものを選ぶ。

 

 しかし、戦後復興期以前の出版物となると、書き込みの内容から、当時の読者の関心のあり方を読み取るという楽しみ方もあり、あえて書き込みのある古書に手を出すこともある。

 

 

 

 今回は、古書市で手に入れた、落書き炸裂の明治期の修身教科書の紹介である。

 

 

 

 

 

 

 

 三宅米吉 中根淑 校閲 渡邊政吉 編纂 『實驗 日本修身書巻八 高等小學 生徒用』 (明治廿七年一月十六日 文部省檢定済) 東京 金港堂書籍會社 明治廿六年(1893)  定價 金七銭

 

 

 

 2015年に、改装前の立川フロム中武の古書市で購入。価は500円であった。

 

 

 

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(表紙)

 

 

 

 表紙を一瞥して、特徴ある筆法(いわゆる「ひげ題目」系)から、日蓮宗関係の書かと思いきや、そうではなかった。修身の教科書!

 

 

 

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(見返し)

 

 

 

 こちらも、タイトル部分は日蓮宗的筆法が加えられている(持ち主の生家が日蓮宗、という生育環境の反映か?)。

 

 肖像が誰のものかは、教養が足りず、不分明。筆描きの肖像の上方には、鉛筆描きによる富士山がある。題目風にあらためられたタイトルの下方には、「大日帝國萬歳萬歳萬歳」の文字もある。

 

 

 

 これだけでも、なんとも豪快な修身教科書への落書きだが、本文については至って真面目で、鉛筆による漢字表記への振り仮名が付されている程度である。

 

 

 

 

 

 そして…

 

 

 

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(奥付、裏表紙の見返し)

 

 

 

 裏表紙側の見返しに描かれているのは、さらに豪快で怪異な西郷従道の肖像であった。やたら長い足に、股間からは謎の生物(?)の姿。

 

 ちなみに、従道は、

 

 

 

  さいごうつぐみち【西郷従道】
  1843‐1902(天保14‐明治35)
  明治時代の軍人,政治家,元老。本名は隆興,通称信吾。薩摩国鹿児島城下に生まれる。西郷隆盛の実弟。1869年(明治2)山県有朋とともに兵制研究のため渡欧(プロイセン,フランス,ロシア)し,帰国後兵部権大丞陸軍少将,兵部少輔,陸軍少輔,同大輔に進む。74年陸軍中将兼台湾蕃地事務都督に任ぜられ,政府の中止命令をおして台湾へ出兵した。76年征台の功により最初の勲一等に叙せられる。78年参議兼文部卿次いで陸軍卿に就任し,81年農商務卿,84年伯爵,そして85年内閣制の成立を機に海軍大臣となった。
     (平凡社/世界大百科事典 第2版)

 

 

 

このような人物である。経歴を反映して、落書上でも当初記された「陸」の字が消され(そのままでは「陸」軍大将)、従道の肩書は「海軍大将」に換えられている(背景には軍艦)。

 

 怪異な肖像が描かれた当時(従道は第二次伊藤内閣で海軍大臣に任じられていた)、すなわち明治27(1894)年は日清戦争の年でもある。先の「大日帝國萬歳萬歳萬歳」の文字も、そのような時代の空気を反映したものであろうか。

 

 

 

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(見返しの裏)

 

 

 

 先の西郷従道の肖像は、見返しの上に描かれていたものだが、見返し紙は貼られた裏表紙の裏からはがされ、裏表紙の裏には鉛筆画が描かれている。「徳川時代風俗」、ということらしい。

 

 まだ明治20年代の話なので、「徳川時代」は持ち主の父母の生まれた時代である(たかだか20数年前まで「徳川時代」が続いていたのである―もっとも、描かれているのは徳川時代初期をイメージさせる戦闘モードの武将の姿であるが)。

 

 

 

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(裏表紙)

 

 

 

 持ち主の名が記されている。この奔放豪快な落書きの作者は、当人の署名により、小川八郎君と判明。生年は明治10年代、1885年前後であろうか(19世紀の話なのだ)。

 

 裏表紙には、日清戦争らしき戦場が描かれている(まさに日清戦争最中の小川八郎君の高揚感が伝わる)。しかし、なぜか、戦場の手前を走るのは、軍服姿の帝國軍人ではなく、烏帽子姿の人物である(八郎君の想像力上の必然から生まれた表現であろうが、21世紀の私の想像力は、その「必然」に届かない)。

 

 

 

 

 

 「大日帝國」は日清戦争で勝利し、日露戦争で勝利し、第一次世界大戦でも勝者の側にあったが、支那事変以来の大東亞戦争では敗者となる。昭和20年には還暦前後となっていた小川八郎氏は、どのような老人(かつての日本では60歳は既に立派な老人である)となっていたであろうか? 「大日帝國」の近代をどのように経験したのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 『日本修身書巻八』の第十七課では、以下のように説かれている。

 

 

 

 

 

  人の質性は、生まれながらにして、完備せるはなし。されば、人皆自ら其の身の長ずる所と、短なる所とを知り、其の長ずる所を助けて、ますます長ぜしめ、其の短なる所を養ひて、漸く長ぜしめんことを務めざるべからず。斯くの如くするを、自ら其の身を修むといふ。自ら其の身を修むるは、何人にも極めて大切なり。人としては、多少父母教師の教へを受けざるものもなかるべければ、自修の心なくとも、無下に愚かなるものともならざるべし。されども、自修の心なきときは、父母教師の教へも、深く其の心に入らざるべければ、其の人に取りて、大いなる損なり。
     (第十七課 「修養」から抜き書き)

 

 

 

 

 

 この豪快に落書き(むしろ「落描き」と呼ぶべきか?)された修身教科書から、小川八郎少年は何を学び取ったのであろうか? この奔放豪快さを八郎少年の「身の長ずる所」として理解し、「其の長ずる所を助けて、ますます長ぜしめ」ようとした高等小學校教師との出会いはあったであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

(小川八郎少年は、学校での修身の授業の度に、教室でこの教科書を開いていたのであろうか? とすれば相当な悪童である。 それとも進級して用済みになってから、教科書を落書帳へと転用したのであろうか? 本文ページが無事なところからすると、落書帳転用説も弱い。 やはり悪童説が妥当なのであろうか?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

((オリジナルは、投稿日時 : 2018/12/27 13:02 → https://www.freeml.com/bl/316274/323029/

 

 

 

 

 

 

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