「現代史のトラウマ」理念

 

 全体主義と陰謀論、どちらも私の嫌いなものである。

 

 内容・論点は多岐にわたるにせよ、「現代史のトラウマ」の基調は、その態度によって貫かれているはずである。

 

 

 そのことを申し上げた上で、あらためて、タイトル下にある、

 現代の、その都度の問題を、歴史的展望の下に論じてみる。あるいは歴史的事象を、現在の出来事から捉え直してみること。
 心情的・情緒的な議論を排し、事実と論理をもって語らせること。あるいは事実と論理をもって、問題を語ること。それが基本姿勢である。            
 かつての大日本帝國の振る舞いと、現代世界の諸問題を関連付けて考えること。それが論考の中心となるだろう。

…という言葉を読んでいただくと、内容のおおよその傾向が推測いただけるのではないかと思う。

 

 

 

 たとえば「あの戦争(大東亜戦争)」を考える際に、それが「コミンテルンの陰謀」のせいだったとか、「ルーズベルトあるいは蒋介石の陰謀」によるものであるとして処理することはしない。

 あくまでも大日本帝國の主体的行為として取り扱う。

 つまり、大日本帝國の意思決定を、コミンテルンやルーズベルトや蒋介石の構想に従属的なものとして考えるのではなく、大日本帝國の政治的軍事的指導者の主体的責任を負うべき歴史的過程として取り扱うことを目指す。

 

 いわゆる「自虐史観批判」が、結果として、大日本帝國の主体的責任回避の言説としてしか築かれていない現状に満足することは出来ない。

 また、いわゆる「東京裁判批判」が、大東亜戦争が大日本帝國における未曾有の敗戦へと至った亡国の過程であるという事実から目を逸らし続けているように見える現状にも満足は出来ない。

 そこにあるのは、亡国に至ってしまった政治的軍事的決定への責任の不問状態なのである。

 自虐史観批判も東京裁判批判も、そのどちらもが、大日本帝國における政治的軍事的意思決定者への責任の免除として機能してしまっている現状に同意することは出来ない、ということだ。

 プライドというものは、責任の主体となること、主体的に責任を引き受けることによってこそ保持されるものなのであり、それが責任回避により維持されると主張するが如き論理や発想は、実に情けないものと言われるべきものに思える。

 

 そのような意味で、巷間の「自虐史観批判」や「東京裁判批判」に与することはしない。

 

 

 歴史過程を、善悪の闘争あるいは正邪の闘争として描くような無邪気さとも無縁でありたいし、善悪正邪の判定を歴史的考察の目的とするようなこともしたくない。たとえば、大東亜戦争の勝者=善、大東亜戦争の敗者=悪、というような安易な図式化への誘惑からも身を離しておきたいと思うのである。

 そのような単純化を求める思考こそが、まさに陰謀論の入り口として機能するものであることを、ここで確認しておこう。

 歴史過程における様々な要素の絡まり合いを、一刀両断の下に理解する(理解したつもりになる)ためには、確かに陰謀論が近道を提供する。そこでは、歴史的過程の詳細を実証的に論じる必要さえない。検証に先立ち既にストーリーが用意されているというところにこそ、陰謀論の真価があるわけである。

 図式や価値観が歴史的事実の検証に先立つという構図においては、唯物史観も皇国史観も陰謀論と大きく異なるものではないだろう。

 そこでは、歴史への関心が、既成の図式のトレースとして過去を描くことで終わってしまい、歴史資料が既成のストーリーのための都合のよい確認材料以上のものになることはない。いずれにしても、そこに実現するのは思考停止状態であるように思われる。

 しかし、歴史資料の読解作業を、既知の世界像の再確認の手段としてではなく、事象間の新たな関係性を見出すことによる、世界像の再構築への試みの基盤とすることも可能なのである。来歴としての過去が再構成され、結果として現在の自己認識さえも変容することになる。その際には、恣意的な読解への禁欲の一方で、多様な読解への想像力が求められることになるだろう。

 歴史に立ち向かうということの意義を、そのような行為の中に位置付けたいと思う。

 

 

 その際、歴史資料の多様な読解への可能性を保障するのが、言論・表現の自由である。

 逆に言えば、読解の可能性の制限の上に成立するのが全体主義体制ということになる。

 全体主義を支えるのは、情報の発信権への抑圧であると共に、情報の解釈の可能性への抑圧であり、情報へのアクセス権の抑圧なのである。つまり、それが、言論・表現への抑圧ということなのである。

 そこに残されるのは、読むべき資料が指定され、読み方も指定されているような、多様な世界理解への通路が閉ざされた事態である。検閲され監視され弾劾され監禁され処刑される可能性が、一元的な読解を強要するわけである。指示通りの読解からの逸脱は脅迫により制御される。

 

 ここで思い出しておきたいのは、唯物史観も皇国史観も、そのどちらもが全体主義体制を支えた歴史を持つという事実である。そのどちらもが「正しい歴史」があることを主張していたわけだが、その「正しさ」を支えていたのは、脅迫なのである。「正しさ」への強迫的思考であり、現実の暴力行使を背景とした脅迫的統治機構であった。

 「正しさ」の維持が義務となり、「正しさ」からの逸脱は禁止される。世界からは、多様性が排除され「正しさ」に一元化されるのである。

 そこでは、思考が多様性への想像力となることは許されず、既成の「正しい」図式の適用能力が思考と見なされるようになる。

 

 無謬な統治があり、無謬な統治の歴史があるということが、自身の統治へのスターリン主義者の主張であり毛沢東主義者の主張であり国体明徴論者の主張であった。そこで求められるのは同意のみとなる。

 言論・表現の自由に支えられた思考の停止状況こそが、あるいは自由な思考の禁止状況こそが、そして「正しい」統治体制への完全な同意が、全体主義体制を形作るのである。

 思考が試行でもあるところに、自由は息づくのであって、思考力が適用力として理解されるような世界では、自由は邪魔物でしかなくなり、排撃の対象となる。もちろん、何も考えなくてよい情況は、つまり命令と服従の体制は、個人を責任から解放する。そこにあるのは無謬の命令であり、命令の無謬性が服従の正しさを保障するのである。

 自由な思考とは、無謬性を疑う思考となり得るのであり、無謬であるべき全体主義的世界から排除されるのは当然の理であろう。

 自由な思考の表現が、批判という形式として果たされる時、全体主義とは決定的に相容れないものとなる。通常、無謬性への疑問は、無謬性への否定として受け取られてしまうからだ。

 しかし、批判の本質は、対象にケチをつけることではないし、批判行為の目的は、対象を否定することにあるのではない。異なる読解の可能性の提示こそが、批判行為の核となるのであり、公式の読解とは異なる読解は、対象自身の可能性の拡大とさえなり得るものであるはずなのだ。

 しかし、公式の読解の強要は、異なる発展の可能性を奪い、本来の可能性を萎縮させ、無謬であるはずの体制の自己崩壊を招くことになる。「正しい」体制は、その「正しさ」の主張の故に、自己変革への途を閉ざし、現実への対処能力を失い、自滅への道を辿ることになるのである。

 ソ連邦においても、大日本帝國においても、それぞれの全体主義的体制の崩壊過程において、言論表現の自由への抑圧が果たした役割の大きさを忘れるべきではないだろう。言論表現の自由への抑圧の目的は、無謬の体制の護持であったはずであるのだが、結果として体制を硬直化させることに役立ち、体制の死を招くものとなるのである。ただしそれは、戦場や収容所に、農場にも都会にも、体制の犠牲者の大きな山を築きながら、なのであるが…

 

 

 

 私は何よりも自由を愛する者として、全体主義を嫌悪する。そして、全体主義的思考の発現としての陰謀論を嫌悪する、ということなのであろう。

 もちろん、自身の思考の無謬性を主張しないことから、すべてが始められなければならない。