カテゴリー「遠野物語を読む」の記事

2012年10月20日 (土)

遠野の噂話としてのリアリティー 3

 

 遠野の噂話としてのリアルさという視点から柳田國男の『遠野物語』を読む試みを続けてきたわけであるが、もちろん『遠野物語』はそのような同時代的噂話に終始するものではない。

 たとえば、

 

三二 千晩(せんば)ヶ嶽(たけ)は山中に沼あり。此谷は物すごく腥き臭のする所にて、此山に入り帰りたる者はまことに少し。昔何の隼人と云ふ漁師あり。其子孫今もあり。白き鹿を見て之を追ひ此谷に千晩こもりたれば山の名とす。其白鹿撃たれて遁げ、次の山まで行きて片肢折れたり。其山を今片肢山と云ふ。さて又前なる山へ来て終に死したり。其地を死助と云ふ。死助権現として祀れるはこの白鹿と云ふ。

 

…にあるのは、地名の来歴であり、現在の話ではない。柳田は、このエピソードにわざわざ、

  宛然として古風土記をよむが如し。

…と註記しているが、まさにその言葉にふさわしい一編である。もっとも、その来歴の起源となった漁師については「子孫今もあり」とされ、エピソードが現在へと継続したものであることも示されている。

 また、その「死助」にまつわる、

 

五〇 死助の山にカッコ花あり。遠野郷にても珍しと云ふ花なり。五月閑古鳥の啼く頃、女や子ども之を採りに山へ行く。酢の中に漬けて置けば紫色になる。酸漿(ほおづき)の実のやうに吹きて遊ぶなり。此花を採ることは若き者の大なる遊楽なり。

 

…などは、特定の何某にまつわる「噂話」などではないし、続く、

 

五一 山には様々の鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオット鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌より駄賃附の者など峠を超え来れば、遥に谷底にて其声を聞くと云へり。昔ある長者の娘あり。又ある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。夕暮になり夜になるまで探しあるきしが、之を見つくることを得ずして、終に鳥になりたりと云ふ。オットーン、オットーンと云ふは夫のことなり。末の方かすれてあはれなる鳴声なり。

 

…などもまたオット鳥の鳴声の起源譚であり、そこに登場する長者の娘や息子もアノニムな存在であって、特定の家系にまつわる「噂話」の類とは趣を異にしている。鳥の鳴き声に、若い恋人同士の身の上に起きた悲劇を重ねて解釈する遠野の人々の心情は美しい。

 

 

 

 さて、そのことを確認した上で、あの「五五」のエピソードに戻ることにしよう。

 

 「噂話」として何が語られており、そのリアリティーを構成しているのが何であるかについては、既に論じてある通りである。

 今回は、噂話の真実性という観点から、あのエピソードを読んでみたい。

 

 

 前回に指摘したように、情報源が当事者(の一人)とされていることが、話の真実らしさを支えていることは否めない。しかし、伝えられた情報源が事実としてそのようであるのかについては、少なくとも私には検証しようがない問題である。とりあえずここでは、当事者の一人の語りを「噂話」の起源として位置付けておくことにし、その真偽は問わないでおく。

 

 

 さて、前回では、

 

 もちろん、この川童の子をめぐるエピソードを近代的視線で解釈し、難産の末に産まれた障害児の殺害・遺棄事件として、あるいは不義密通による妊娠出産への対処が生んだ悲劇的事例として理解することは可能であるし、当時の遠野でも、この話を語る者にも聴く者にも、そのような解釈があり得たであろうことを否定する必要はない。

 

…と、この「噂話」を近代的リアリズムにより解釈してみたわけであるが、この二様の解釈のどちらを採用するにせよ、嬰児の殺害・遺棄の事実(少なくとも、それが事実と見做されているのである)が話の前提となっていることは確かであろう。つまり、話の核となっているのは、「松崎村の川端の家」で行われた嬰児の殺害と遺棄なのである。

 その嬰児の殺害と遺棄の理由として提示されているのが、「其形極めて醜怪なるものなりき」及び「その子は手に水掻あり」として語られた、「川童」としての身体形状であった。

 

 そのような身体形状が事実その通りであったとすれば、このエピソードは、「難産の末に産まれた障害児の殺害・遺棄事件」として収斂する。

 その場合、川童のような身体形状の障害児の出産が、川童による性交の強要(それも執拗かつ大胆な)に起因するものとして説明されていることになる。障害児の出産とそれに伴う殺害・遺棄が、川童による望まぬ妊娠の結果として説明され、話を聞く者の納得を確保しているのである。

 

 しかし、一方で、(川童などではない人間を相手とした)不義密通の結果としての妊娠出産という解釈の可能性からすれば、望まれぬ妊娠出産への対処としての嬰児の殺害と遺棄事件として取り扱われるべきエピソードとなるであろう。その場合、「其形極めて醜怪なるものなりき」との語りは、事実としての身体形状の問題から、当事者における心理的な問題へと移行する。産まれ出ようとする命は、既に親族からは忌避されており、その心情が「極めて醜怪なるもの」として嬰児の姿形を捉える視線を用意する。そのような心理は、「手に水掻きあり」との目撃談を、事後的に生み出し得るものとさえなるだろう。「水掻き」の有無は、事実の問題ではなく、嬰児殺害の合理化と納得の問題、説得力の強化の問題になっているのである。

 

 ここで、「噂話の真実性という観点」として示した当初の問題に戻ろう。「真実性」を噂話のリアリティーを支える事実関係に見出すとすれば、「松崎村の川端の家」で行われた嬰児の殺害と遺棄こそがこのエピソードの核となる基底的な事実であり、それが川童の子であったかどうかや妊娠・出産に至る経緯については、納得のための事後的な解釈・説明として位置付けられ得るようにも思われる。それは、「噂話」というものの本来の性質からして、語り聞く者の興味関心の焦点が必ずしも事実関係の問題にはないことの反映でもあろう。

 

 いずれにしても、このエピソードの当事者間における説得力を支えていたのは、川童の存在をリアルなものと感じてしまっている遠野の人々の意識である。実際、この「五五」のエピソードは、

  川には川童多く住めり。猿ヶ石川殊に多し。

…との言葉から始められていたし、川童については、

 

五七 川の岸の砂の上には川童の足跡と云ふものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などは殊に此事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののやうに明らかには見えずと云ふ。

 

…という語られ方もされている。

 

 

 既に近代意識の洗礼を受けた、高度経済成長後の世界を生きるスネオなら、

  そんなの迷信だよ。ノビタは遅れてるなぁ…

…と言い切ってしまう場面なのである。しかし、言ったそばから、

  川童が本当にいたらどうしよう…

…と、気をもみ始めるのも、現代人としてのスネオの示す姿なのである。近代が人々の意識に刻み込んだ一線は、かつての遠野の人々の意識と高度経済成長後の我々の意識を、どこまで明確に分かつものなのであろうか?

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/08/30 19:24 → http://www.freeml.com/bl/316274/195808/

 

 

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2012年10月19日 (金)

遠野の噂話としてのリアリティー 2

 

 

 柳田國男の『遠野物語』を、アノニムな昔話としてではなく、リアルな同時代の噂話として読んでみることを試みたらどうか、という話をしていたわけだが、まず昨日の「五五」のエピソードをもう一度読んでみよう。

 
 

 あの川童をめぐるエピソードのリアリティーは、情報源が特定され、対象が特定され、当事者では知りえないであろう詳細が語られていることが支えている。具体的に示せば、

 

特定された情報源

  女の壻(むこ)の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。其主人人に其始終を語れり。

 

特定されている対象

  松崎村の川端の家

  此家も如法の豪家にて〇〇〇〇〇と云ふ士族なり。村会議員をしたることもあり。

 

事実関係とされるものの詳細さ

  生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。其形極めて醜怪なるものなりき。

  かの家のもの一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑ひてあり。次の日は昼の休みに亦此事あり。斯くすること日を重ねたりしに、次第に某女の所へ村の何某と云ふ者夜々通ふと云ふ噂立ちたり。始めには壻が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、後には壻と寝たる夜さへ来るやうになれり。川童なるべしと云ふ評判段々高くなりたれば、一族の者集まりて之を守れども何の甲斐も無く、壻の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々如何にともすべきやうなかりき。

  其産は極めて難産なりしが、或者の言ふには、馬槽に水をたたへ其中にて産まば安く産まるべしとのことにて、之を試みたれば果して其通りなりき。その子は手に水掻あり。

 

…といったことになろう。

 

  

 特定の家をめぐる川童の子の出産と殺害・遺棄が、当事者の一人による話を情報源として、妊娠に至る経緯までを含んで、詳細に語られているのである。

 

 

 妖怪という存在のリアリティーとして考えた場合、鳥山石燕の妖怪画との比較が有効かも知れない。石燕の「妖怪画」について言えば、描かれているものの多くはリアルな存在としての妖怪ではなく、当時の政治的社会的文化的ネタとしての石燕の創作による妖怪であり、研究者からは江戸の都市文化の産物として位置付けられている。

 それに対し、遠野の川童を含む妖怪の類について言えば、自然に属するリアルな存在として語られていることは否定し難い。

 

 

 

 もちろん、この川童の子をめぐるエピソードを近代的視線で解釈し、難産の末に産まれた障害児の殺害・遺棄事件として、あるいは不義密通による妊娠出産への対処が生んだ悲劇的事例として理解することは可能であるし、当時の遠野でも、この話を語る者にも聴く者にも、そのような解釈があり得たであろうことを否定する必要はない。

 

 しかし、

  生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。

…として語られた、殺害と遺棄の作業の詳細の持つリアリティー、あるいは「五六」のエピソードにある、

  忌はしければ棄てんとて之を携へて道ちがへに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思ひ直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立帰りたるに、早取り隠されて見えざりきと云ふ。

…という、当事者の心の動きのリアルさも否定し難いものである。

 前者は、それが、

  極めて難産なりしが、或者の言ふには、馬槽に水をたたへ其中にて産まば安く産まるべしとのことにて、之を試みたれば果して其通りなりき。

…という出産時の詳細に続くことで、そのリアリティーが強化されているし、後者は、路上に一度は遺棄した障害児を「売りて見せ物にせば金になるべきに」と考え直して「立帰りたる」という心理的過程と行動に、そのリアルさが宿っているわけである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/08/29 19:28 → http://www.freeml.com/bl/316274/195749/

 

 

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2012年10月18日 (木)

遠野の噂話としてのリアリティー 1

 

 柳田國男の『遠野物語』をあらためて読むと、確かに民俗学的に重要な記録ではあるが、それが当時の遠野の人々にとってのリアルな噂話でもあることに気付く。

 記録されているのは決して昔話ではなくて、佐々木喜善を介して伝えられた、20世紀初頭のリアルな遠野の噂話なのである。

 収録されているエピソードのかなりの分量を占めるのが、誰だかの家の誰かをめぐる話であり、どこだかの村の誰かの体験談なのである。もちろん噂話には噂話としての限界があり、その内容は私たちが「事実関係」と呼ぶものと直結はしない。しかし、その噂話がリアリティーを伴うものとして、当時の遠野の人々の間で共有されていたこともまた事実なのである。

 

 100年も昔の噂話として片付けるか、100年しか経っていない、ついこの間の遠野の噂話として取り扱うかという問題は、他人事として読むのか当事者感覚を随伴させながら読み解いていこうとするのかの違いとなるだろう。

 

 

 放射能をめぐるいささか無責任な噂話がリアルなものとして跳梁跋扈する21世紀の現状を振り返れば、20世紀初頭の遠野の噂話が持っていたであろうリアリティーの質感を想像することも、それほど難しいことではないようにも思われるのである。

 

 

 

 『遠野物語』を昔話的民俗伝承としてではなく、同時代の噂話として読むということを考えたわけだが、それはたとえば、

 

 

五五 川には川童(かっぱ)多く住めり。猿ヶ石川殊に多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。其形極めて醜怪なるものなりき。女の壻(むこ)の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。其主人人に其始終を語れり。かの家のもの一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑ひてあり。次の日は昼の休みに亦此事あり。斯くすること日を重ねたりしに、次第に某女の所へ村の何某と云ふ者夜々通ふと云ふ噂立ちたり。始めには壻が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、後には壻と寝たる夜さへ来るやうになれり。川童なるべしと云ふ評判段々高くなりたれば、一族の者集まりて之を守れども何の甲斐も無く、壻の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑ふ声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々如何にともすべきやうなかりき。其産は極めて難産なりしが、或者の言ふには、馬槽に水をたたへ其中にて産まば安く産まるべしとのことにて、之を試みたれば果して其通りなりき。その子は手に水掻あり。此娘の母も亦曽て川童の子を産みしことありと云ふ。二代や三代の因縁には非ずと言ふ者もあり。此家も如法の豪家にて〇〇〇〇〇と云ふ士族なり。村会議員をしたることもあり。

五六 上郷村の何某の家にても川童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とては無けれど、身内真赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌はしければ棄てんとて之を携へて道ちがへに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思ひ直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立帰りたるに、早取り隠されて見えざりきと云ふ。

 

 

…のようなエピソードが持つリアリティーの問題である。

 

 語られているのは、どこかのアノニムな昔話ではなく、家系が具体的に指定された上での現在に接続する噂話なのである。採録に際しては何某とされているが、遠野で語られていた時点では、それがどこの誰の家の話であるかについては、語る者にも聞く者にも共有されていたはずである。

 

 ある個人(何某)が、どこのどの家で生まれた者であるかが情報として相互に保有されている世界での、人々の共有情報としての「噂話」なのである。

 それが二代前三代前の話であれ、詰まるところは現在を生きる何某の来歴に関する情報として機能していたわけであり、そのような情報の集積が『遠野物語』として、私たちの前に遺されているということになる。

 

 今回の川童の出産と遺棄をめぐるエピソードの場合、当事者の意識の中では「川童」は想像上の生き物などではなく、自然を構成している存在の一員なのであり、であるからこそ遠野の人々の間でリアリティーをもって語られ、聞き取られていたのである。

 我々はそれを、あくまでもリアルな噂話として読み取らねばならないはずなのだ。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2012/08/27 23:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/195654/
 投稿日時 : 2012/08/28 18:59 → http://www.freeml.com/bl/316274/195694/





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