カテゴリー「支那ニ於ケル事変ノ意義」の記事

2011年2月10日 (木)

他人事としての「あの戦争」、つまり他人事としての支那事変と大東亜戦争

 

 

 俯瞰的視点から、つまり他人事として支那事変というものを眺めれば、

大日本帝國と中華民国国民政府(国民党と共産党の連合体である)との軍事的衝突
   その過程における中国内部での蒋介石への権力の収斂(とその影での中国共産党との対立)

資本主義的搾取の対象としての中国大陸における、権益確保をめぐる大日本帝國と英米の対立
   その際、大日本帝國は英国の既得権の侵害者であると共に、米国の権益獲得への障碍であった

…というファクターの同時進行過程であった、と言うことも出来るであろう。

 つまり…

大日本帝國による大陸での軍事力行使の継続の結果、米英と中国共産党は蒋介石の同伴者となり、対外的にも対内的にも(つまり対日戦継続と国内政治での主導権獲得の両面で)蒋介石は利益を得ることになった。

大日本帝國の軍事力による大陸での権益確保・拡大の試みは、門戸開放・機会均等原則に基づく米国の権益拡大策の妨げとなり、米国を敵とすることに役立った。

…のだということになる。そして…

事変は、対米英戦争へと連続し、最終的には大日本帝國は敗者として大陸から排除された。

勝者であったはずの蒋介石は、新たな敵(実際には旧来の敵であったが)としての中国共産党との闘争に敗北し、大陸から排除された。

英国は、第二次世界大戦による消耗からの恢復が出来ず、国際政治における地位を後退させることになった。

米国は、軍事的勝者として国際政治の主導権を握ると同時に、それまでの孤立主義的政策を放棄することとなり、以後の世界における戦争の主役となっていくことになる。そして米国も、ベトナムとイラクでは「負けた戦争」の体験者となった。

日本は「負けた戦争」の結果、米国の占領による戦後を経験したが、主権回復以後も米国に対する従属的立場を堅持することで経済発展を果たし、国際社会での一定の地位を非軍事的方法により確保することに成功した。

…というそれぞれの歴史的展開を経験することになったわけだ。

 それを「日本は負けて勝ったのだ」などと言うのは、300万の犠牲者のことを顧みない恥ずかしい負け惜しみである。
 戦後の対米従属の下で、非軍事的に戦前以上の経済発展が成し遂げられた事実がある以上、そもそも300万人の死が必要であったのかどうか? 非軍事的に達成可能であったことを、威圧的軍事力行使に頼り、結果として300万人の同朋の死(国外にはさらに2000万人の戦争犠牲者がいる)があるのだとすれば、その国策決定は批判され反省されねばならない。米国との協調の下に、非軍事的に大陸政策を進めていれば、敗戦による占領を免れ、明治以来獲得した植民地を失うこともなく、東京が焼け野原となることもなく、ヒロシマ・ナガサキの悲劇もなく、靖国に200万を超える新たな英霊を加えることもなかったのである(…というのは、もちろん事後的な、つまり結果から語られる仮定に過ぎず、私たちが直視しなければならないのは、事変の目的であったはずの大陸における権益の維持も、大東亜戦争の戦争目的とされた帝國の自存も自衛も果たされなかったという歴史的事実であり、その背後にある膨大な国内外の犠牲者の存在である)。
               (2011年2月10日記)

 

 

 

…という話を、

続々々々々・「事変」と「中立」
 http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a10c.html

への「追記」としてアップしたわけだが、その一文を出発点とし、いま少し考察を加えておきたい。

 

 ここで、「他人事」という視点を採用し、「客観的」とか「中立的」とか自称する視点を採用しなかったことには、もちろん理由がある。神ならぬ人間が「客観的」であり得る位置に自らを置くことなど出来ないし、「中立的」であることが対立する両者の中間の位置を言うに過ぎないのだとすれば、これも無意味な話だからだ。

 当事者の利害関心から遠く距離を置き、しかも人間に取り得る視点は、「他人事」という視点であろう。

 ここでは、「他人」は「当事者」との距離によって成立する。

 古代ギリシャの歴史を眺めるように、支那事変そして大東亜戦争という歴史的出来事を他人事として見れば、そこに見出されるのは、日本、中国、米国、英国それぞれの国益追及の姿であり、それぞれの国内における政治的軍事的指導者の権力基盤確立の相補的関係であった。蒋介石、ルーズベルト、チャーチルへの、それぞれの国内政治における求心力のかなりの部分は、大陸を進軍する日本軍の存在、ヨーロッパの国境線を軍事的手段により変更しようとするナチスドイツの存在が支えたものだ。

 「他人事」として見るということは、特定の国家の利益、特定の国家の指導者の利益という視点を離れて、国家間(国家指導者間)の利益の相互関係あるいは相補関係として歴史を見る視点につながる。

 あるいは、道徳の問題として歴史を考える視点への距離をももたらす。つまり「日本の戦争責任」という発想から距離を置くことを可能にする。

 そこに見出されるのは、国家戦略としての成功の有無である。そこに見出される日本(大日本帝國)の姿は、大陸政策で失敗をした国家の姿として記述されるものであろう。

 大陸政策の「失敗」の結果、300万人の自国民が死んだにもかかわらず、大陸における権益の維持を果たせず、明治以来の植民地すべてを失い、他国による占領という事態に陥った。つまり、道徳的観点を離れて支那事変=大東亜戦争の歴史を対象化すれば、日本の国家戦略(国策)の失敗として記述されることになる。大東亜戦争における日本は、「自存・自衛」を戦争の名分とし、その名分の達成に完全に失敗しているということだ。

 東京裁判史観・自虐史観とは道徳的歴史観の一種であり、それに対抗するという自由主義史観なるものは、単なる一国主義的な道徳的正当化史観に過ぎない。そろそろ、他人事としての(つまり冷たい視線による)歴史的視点から、「あの戦争」を位置付けることが試みられてもよいのではないだろうか?

 まずは、そのようなことを考えていたのであった。

 

 さて、当事者とは、責任の主体であることも意味する。何事に対してであれ、他人事である限り(他人事と見做す、という意味ではなく、あくまでも自らが関与していない出来事であるという意味で)、そこに責任は生じない。「戦争責任」と呼ばれるものは、当然ながら、当事者の上に想定される問題であるはずだ。

 開戦の責任であれ、敗戦の責任であれ、あるいは戦争犯罪の命令と実行の責任であれ、それは当事者に対し問われる・問われねばならぬ「責任」であるはずだ。

 加害と被害の関係にしても、それは当事者間の関係なのであって、被害者が発生した出来事に関与しない(しなかった・していない)者に対し、責任を問うことは出来ない、はずだ。

 曽祖父の犯罪(戦争犯罪)の責任を、曾孫に問うこと・問おうとすることは、本来的に、おかしな話ではないのか?

 戦後50年過ぎて生まれた者に、50余年前の開戦の責任であれ、50年前の敗戦の責任であれ、50年前の戦争犯罪の命令あるいは実行の責任であれ、問うことは出来ない、は・ず・だ。

 歴史を道徳として考え続けようとする限り、世代を超えた永遠の謝罪が相互から求められるが、しかし、そこには誤謬がある。当事者ではない現在を生きる人間が、過去の出来事の責任の主体となることは不可能なのである。責任とは、当事者性がもたらす感覚であり、負うべき負担である。謝罪とは、当事者としての責任の上にのみ可能な行為ではないのか?

 50年過ぎて生まれた者に獲得されている(50年過ぎて生まれた者だからこそ獲得出来る)のは、他人事としての視点(そもそも対象とされているのは自らの関与しない出来事なのである)ではないのか?

 他人事として「あの戦争」を見る時に、そこにあるのは、非軍事的に達成可能であったことを、軍事的恫喝で達成しようとして失敗した、ある極東の国家と国民の歴史である。そして三百万の自国の死者と二千万の他国の死者だ。そこには殺す者と殺された者がいる。殺しにやって来た者に殺された者がおり、殺しに出かけて殺された者がいる。加害者と被害者がおり、加害者も被害者に殺された(いや、復讐の銃弾に倒れる以前に、補給を無視した作戦行動は、自国の兵士を餓死させていた)。

 他人事であれ、その構図は把握されるだろうし、他人事だからこそ俯瞰的な視点から、全体の布置の中での相互の関係が把握されるだろう。

 他人事としての視点がもたらすのは、俯瞰的構図の中での加害者と被害者の存在の事実、殺した者と殺された者(そこには、ジャングルの中で餓死していった兵士を「殺した」のは誰なのか? つまり、兵士を死に至らしめたのは誰なのか?…という問題も含まれる)の存在の事実であり、その上で、その構図の中での加害者としての曽祖父に対する曾孫としての自らの関係、その構図の中での被害者に対する加害者の曾孫としての自らの関係もまた、新たに見出され得るだろう(もちろん、そこには、ジャングルの中で曽祖父を餓死という形の死に至らしめた加害者としての誰かとの関係も含まれることになる)。

 当事者として命令も実行もしていない殺人行為に対し、命令あるいは実行の当事者としての曽祖父とその曾孫という関係性を通して、曽祖父の行為の被害者との関係性もまた発見(むしろ再発見と言うべきか?)されるであろう。

 そこに、命令ないし実行の当事者であった曽祖父たちとは別の次元の新たな当事者性が見出されるように思われる。

 しかし、そこに見出された新たな当事者性は、命令ないし実行の当事者の行為への責任をどのような意味で負い、謝罪の主体となり得るものなのか? あるいは謝罪の主体とはなり得ない性質の当事者性なのか?

 そこにはまだ、一考の余地は残されているように思われるのだ。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投降日時 : 2011/02/10 21:51 → http://www.freeml.com/bl/316274/157893/

 

 

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2010年9月 2日 (木)

満洲という土地

 

 以下に紹介するような「満州についての疑問」を前にして、どのように答えるべきだろうか?

 

  満州という地域はどこの国の持ち物だったんでしょうか?
  現在では「中国東北部」なんていう表現こそされていますが、時代背景を考えると満州人の国である清の故郷、持ち物?
  でも空き家にしていたようなものだし、領有宣言もしていないようですが…
  それで、満州を神聖なる領土と言い出したのは中国に共産党政権が出来てかららしいですが。どうか 教えていただけないですか?

 

…というようなお話なのであった(大日本帝国による満洲領有の正当化の意図を背後に感じさせるところが、私には興味深い問いかけだったのである)。

 

 

 で、思い出したのが、我が帝國政府の「満蒙問題処理方針要綱」の文言であった。

 

 

 満蒙問題処理方針要綱 (昭和七年三月十二日閣議決定)

一、満蒙に付ては帝国の支援の下に該地を政治、経済、国防、交通、通信等諸般の関係に於て帝国存立の重要要素たるの性能を顕現するものたらしめむことを期す
二、満蒙は支那本部政権より分立せる一政権の統治支配地域となれる現状に鑑み逐次一国家たるの実質を具有する様之を誘導す
三、現下に於ける満蒙の治安維持は主として帝国之に任ず
 将来に於ける満蒙の治安維持及満鉄以外の鉄道保護は主として新国家の警察乃至警察的軍隊をして之に当たらしむ右目的の為之等新国家側治安維持機関の建設刷新を図らしめ特に邦人を之が指導的骨幹たらしむ
四、満蒙の地を以て帝国の対露対支国防の第一線とし外部よりの攪乱は之を許さず右目的の為め駐満帝国陸軍の兵力を之に適応する如く増加し又必要なる海軍施設をなすべし新国家正規陸軍は之が存在を許さず
五、満蒙に於ける我権益の回復拡充は新国家を相手として之を行ふ
六、以上各般の施措実行に当りては努めて国際法乃至国際条約抵触を避け就中満蒙政権問題に関する施措は九国条約等の関係上出来得る限り新国家側の自主的発意に基くが如き形式に依るを可とす
七、満蒙に関する帝国の政策遂行の為め速に統制機関の設置を要す但し差当り現状を維持す
     (『現代史資料8 日中戦争1』 みすず書房 1964)

 

 

…というのが、政府閣議決定による「満蒙問題処理方針要綱」の全文である。

 

 今回の問題で特に注目すべきは、

二、満蒙は支那本部政権より分立せる一政権の統治支配地域となれる現状に鑑み逐次一国家たるの実質を具有する様之を誘導す

六、以上各般の施措実行に当りては努めて国際法乃至国際条約抵触を避け就中満蒙政権問題に関する施措は九国条約等の関係上出来得る限り新国家側の自主的発意に基くが如き形式に依るを可とす

…の二項の文言であろう。

つまり、

  満蒙は支那本部政権より分立せる一政権の統治支配地域となれる現状…

…という表現からは、本来の満蒙が「支那本部政権」の「統治支配地域」であるとの、満洲事変に対処するに際しての日本政府自身の認識が読み取れるわけである。

 また、

  新国家側の自主的発意に基くが如き形式に依るを可とす

…という文言(「基くが如き」という文言のことである)からは、実際には存在しない「自主的発意」に対する政府の認識が窺われ、「形式」だけでも整えておこうとの「処理方針」であることが、読む者には理解出来るはずだ。

 

 公表を前提としない政府の内部文書であるからこそ、「満蒙問題処理方針要綱」には当時の日本政府のホンネ、大日本帝國の国策遂行者のホンネの言葉が残されていると考えられるわけである。

 

…ということで、

  満州を神聖なる領土と言い出したのは中国に共産党政権が出来てから…

…という以前に、既に大日本帝國政府には、満洲が本来的には、「支那本部政権」の「統治支配地域」であるとの認識があった、との結論が導き出されるのではないのか?

…というお話をしたのだが、お相手は、どうも納得出来ないらしい。

 「黄 文雄 氏の説を基本にすれば…」とゴタゴタ言うのだが、肝心の「黄 文雄 氏の説」の内容は(困ったことに)よくわからない。要するに、論点としては、

 

  当時の中国は内乱状態であったという事実が抜けている。

  この閣議決定の内容は、植民地や保護国を持つ国なら普通の感覚である。

 

…というようなところにあるらしい。しかし、満洲に対して「植民地や保護国」などという言い方をしてしまえば、リットン調査団に対しての大日本帝國の立場がなくなってしまうのではないか(!)とは思うのだが(そういうことは考えないのだろうか?)、とりあえず、「当時の中国は内乱状態」であったから日本の満洲領有は正当化され得る、との趣旨と推測されるご意見の方にお答えをしておいた。

 

 

 用語としては、正統的権力の存在を想定させる「内乱状態」というよりは、並立的な勢力による抗争を想定させる「内戦状態」の方が、どちらかと言えば当人の主張の文脈からは適切な感じはするが、まぁ、これは二者択一的な争点とする必要はないだろう。

 いずれにせよ、内戦(あるいは内乱)状態であるかどうかと、満洲が中国という国家の主権領域であるかどうかは別問題なのである。

 南北戦争という内戦状態にあった米国を考えてみれば、内戦下であろうが、ジョージアが米国に帰属することに変化はないではないか。

 内戦下にあったという理由で、それまで当該国の主権領域として承認されていた土地を、他国が領有することは正当なのかどうか?という問題なのである。内戦下にあった幕末の日本で、四国がフランスに領有宣言され占領されたとすれば、それはあくまでも不当な話と言うべきなのだ。

 
 

 で、ここではあらためて、日本と満洲の関係を考えてみよう。

 

 そもそも満鉄の土地、そして関東州の租借地とはどんな性格の土地だったのか? まずはその点が問題とされなければならない。

 そもそもは、ロシアが清朝から満洲の土地に「租借権」を獲得したのが始まりなのである。それが「租借権」と呼ばれているということは、そこに持ち主と借り手という関係が成立していることを意味することは言うまでもない。

 で、満洲の場合は、満洲の持ち主(「租貸国」という用語で呼ばれる)が清朝であり、借り手(「租借国」と呼ばれる)がロシアであった、という構図になる。まずここで、清国の主権領域(領土)としての満洲の国際法上の地位が、清露間に結ばれた租借条約の存在を介して理解されねばならない(ロシアにより、満洲が清朝に帰属する土地であることが、条約作成の手続きを通して認定されているのである)。

 

 日露戦争後のポーツマス条約で「租借権」はロシアから日本に移譲されたが、ここでも持ち主=貸し手(租貸国)は依然として清朝であり、借り手(租借国)がロシアから日本に変更になったということなのである(日本政府により、満洲が清朝に帰属する土地であることが、ロシアからの租借権の継承の手続きにより再確認されているのである)。

 この時点で「日清満洲善後協約」が締結されて、日本政府と清朝との間でも、その関係(満洲が清朝に帰属する土地であるという認識)は明文化されている。つまり、清朝の主権領域の一部を、ロシアから租借権を継承した日本があらためて日清間での「協約」を締結し、租貸国である清国から「租借」した、という形式となっているのである。

 

 辛亥革命後も、その関係に変化はない。たとえば、有名な二十一ヶ条要求の条項には、

 

 

第2号 南満東蒙に於ける日本の地位を明確ならしむる為の条約案
日本国政府及支那国政府は、支那国政府が南満州及東部内蒙古に於ける日本国の優越なる地位を承認するに依り、ここに左の条款を締結せり。
両締約国は、旅順大連租借期限並南満州及安奉両鉄道各期限を、何れも更に九九カ年づつ延長すべきことを約す。
日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て、各種商工業上の建物の建設又は耕作の為必要なる土地の賃借権又は其所有権を取得することを得。
日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て、自由に居住往来し各種の商工業及其他の業務に従事することを得。
支那国政府は、南満州及東部内蒙古に於ける鉱山の採掘権を日本国臣民に許与す。其採掘すべき鉱山は別に協定すべし。
支那国政府は、左の事項に関しては予め日本国政府の同意を経べきことを承諾す。
南満州及東内蒙古に於て他国人に鉄道敷設権を与え、又は鉄道敷設の為に他国人より資金の供給を仰ぐこと
南満州及東部内蒙古に於ける諸税を担保として他国より借款を起こすこと
支那国政府は、南満州及東部内蒙古に於ける政治財政軍事に関し顧問教官を要する場合には、必ず先ず日本国に協議すべきことを約す。
支那国政府は本条約締結の日より九九カ年間日本国に吉長鉄道の管理経営を委任す。

 

 

…などと書いてあるのだ。

 この時点での「支那国政府」は辛亥革命後に成立したものであり、つまり「清朝」の主権領域が革命後の「支那国政府」にも継承されているとの認識があるからこそ、

  両締約国は、旅順大連租借期限並南満州及安奉両鉄道各期限を、何れも九九カ年づつ延長すべきことを約す。

…との文言が、日本政府作成の「二十一ヶ条要求」に登場するのである。満洲が「支那国政府」の主権領域にないのなら、このような要求条項は必要がないものであることは言うまでもない。

 ここでは、借り手と貸し手双方が、

  何れも更に九九カ年づつ延長すべきことを…

…約すとの条款を締結することが、借り手側である日本から求められているのである。「支那国政府」が貸し手としての資格を持っている、つまり満洲の領有者であるという地位にあると日本政府が認めているからこそ、意味を持つ文言であることに気付かねばならない。

 
 そのような関係は、「内乱状態であったという事実」が主張されている(らしい)1930年前後(つまり「満州事変」直前の時代)になっても変化はしていない。

 張学良による満鉄並行線敷設に際し、日本政府は「国民政府」に対して、「日清満洲善後協約」での取り決めを根拠にして抗議しているのである。つまり、満洲が中国の主権領域であるという認識で、明治・大正・昭和の日本政府の対応は一貫している、ということなのだ。

 

 

 

 ここではもう一つ、満洲国と大日本帝國の関係を公にした文書としての「日満議定書」を思い出しておこう。

 
 その条文はというと、
 

 

日本国ハ満洲国カ其ノ住民ノ意思ニ基キテ自由ニ成立シ独立ノ一国家ヲ成スニ至リタル事実ヲ確認シタルニ因リ満洲国ハ中華民国ノ有スル国際約定ハ満洲国ニ適用シ得ヘキ限リ之ヲ尊重スヘキコトヲ宣言セルニ因リ日本国政府及満洲国政府ハ日満両国間ノ善隣ノ関係ヲ永遠ニ鞏固ニシ互ニ其ノ領土権ヲ尊重シ東洋ノ平和ヲ確保センカ為左ノ如ク協定セリ

一、満洲国ハ将来日満両国間ニ別段ノ約定ヲ締結セサル限リ満洲国領域内ニ於テ日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重スヘシ
二、日本国及満洲国ハ締約国ノ一方ノ領土及治安ニ対スル一切ノ脅威ハ同時ニ締約国ノ他方ノ安寧及存立ニ対スル脅威タルノ事実ヲ確認シ両国共同シテ国家ノ防衛ニ当ルヘキコトヲ約ス之カ為所要ノ日本国軍ハ満洲国内ニ駐屯スルモノトス

本議定書ハ署名ノ日ヨリ効力ヲ生スヘシ
本議定書ハ日本文漢文ヲ以テ各二通ヲ作成ス日本文本文ト漢文本文トノ間ニ解釈ヲ異ニスルトキハ日本文本文ニ拠ルモノトス
右証拠トシテ下名ハ各本国政府ヨリ正当ノ委任ヲ受ケ本議定書ニ署名調印セリ
昭和七年九月十五日即チ大同元年九月十五日新京ニ於テ之ヲ作成ス

 

 
…というものであった。

 

 この中で注目すべきは、

  満洲国ハ中華民国ノ有スル国際約定ハ満洲国ニ適用シ得ヘキ限リ之ヲ尊重スヘキコトヲ宣言セルニ因リ…

及び、

  満洲国ハ将来日満両国間ニ別段ノ約定ヲ締結セサル限リ満洲国領域内ニ於テ日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重スヘシ

…という文言であろう。

 満洲の地が、満洲国の「独立」以前は、中華民国の領土(主権領域)であったからこそ、

  中華民国ノ有スル国際約定ハ満洲国ニ適用シ得ヘキ限リ之ヲ尊重スヘキコト

  満洲国領域内ニ於テ日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重スヘシ

…ということになるのである。つまり、満州国がどこの「国」から「独立」した(独立ノ一国家ヲ成スニ至リタル)のかというと、「中華民国」から分離独立したという認識を日本国が保有していると考えない限り意味を持たないのが、ここに示した条項なのである。満洲の土地が「中華民国」と無関係なのであれば(つまり中国の領土でなかったならば)、「中華民国ノ有スル国際約定」を満洲国が「尊重スヘキ」理由など存在しないはずである。満洲が「中華民国」と無関係な土地であるならば、満洲国が「日本国又ハ日本国臣民カ従来ノ日支間ノ条約、協定其ノ他ノ取極及公私ノ契約ニ依リ有スル一切ノ権利利益ヲ確認尊重」しなければならぬ理由もない。

 

 つまりここでは、日本政府と満州国政府の双方が、満洲の地が本来は中華民国に帰属する土地であったとの認識を「日満議定書」中で共有・表明しているのだということを、(公文書が示す)歴史的事実として理解しておかなければならないのである。

 

 

 

…というわけで、「黄 文雄 氏の説」というものがどのようなものであるのかは知らないが、満洲を清朝の、そして支那国政府の主権領域であると認識して来た歴代日本政府の一貫した姿勢に疑問の余地はなく、確かな歴史的事実として考えなければならないのである。

 

 

 詰まるところ、満洲を神聖なる領土と言い出したのは中国に共産党政権が出来てから…などではまったくなく、それよりはるか以前の我らが祖国が大日本帝國を名乗っていた時代に、既に満洲の地を中国の領土として外交的に対応していた事実を(歴代日本政府作成の公文書の読解を「基本」にして)しっかり認識しておく必要があるように思われる。「黄 文雄 氏の説」を「基本」にしてしまうと、満洲をめぐる歴史の基礎的事実にさえ到達出来ないことになってしまうわけだ。

 

 

 

〔付記〕

「当時の中国は内乱状態であったという事実」については、以下の記事も参照することで、「事実」の実際をより広い視野から理解することが出来るようになるはずである。

陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a3c9.html
続・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-6798.html
続々・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-1661.html
聖戦の論理(対支一撃論の果ての亡国)
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-5bd9.html

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/09/02 22:27 → http://www.freeml.com/bl/316274/146335/

 

 

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2010年8月17日 (火)

続々々々々・「事変」と「中立」

 

 1937年(昭和十二年)7月7日、いわゆる盧溝橋事件を機に、日本軍と中国国民党軍は軍事的衝突の継続状態に入った。

 しかし、どちらも宣戦布告をすることはなく、大日本帝國政府はと言えば、「戦争」ではなく「事変」と呼んで対処することを選んだ。それが「支那事変」である。

 

 

 「事変」に対し、米国は「中立法」の発動を選択しなかった。その間の事情を、大山卯次郎氏は、パンフレット「米國中立法の意義及其適用に就いて」の中で、

 

  尤も大統領の意向を代弁するのではないかと思はれる米国上院外交委員長ピットマン氏は北支事変不拡大当時の七月二十九日「戦争状態の存在を決定することは困難な問題である、余り性急に行動しては現在米国政府が続けつつある平和の努力を水泡に帰せしむる恐れがあるのみならず、大統領が中立法を布告して間もなく戦争が止まる様なことがあつては、大統領が面目を失することになる」と云ひ、事変拡大後の八月十四日に至り「支那の新事態は明らかに戦争と認められる、しかし日支両国のいずれもが未だ宣戦の布告を為さざる以上、大統領がその存在を宣明する必要もあるまい」との意味の談話を発表して居るのであつて、人をして政府は中立法の施行を好まないのではないかと思はしめて居る。

 

…と、述べていた(前回までの話)。

 

  支那の新事態は明らかに戦争と認められる、しかし日支両国のいずれもが未だ宣戦の布告を為さざる以上、大統領がその存在を宣明する必要もあるまい。

…との上院外交委員長の言葉は、確かに理屈に合っているものではあるのだろう。

 しかし、もちろん、大山博士の指摘する、

  此処に我等の大に注意を要することは、米国が今回の日支事件に関しこの法律を持て余して居ると云ふことである。その理由は米国がこの法律を制定した時には、米国の眼中に欧州のみあつて、東洋のことは余り考えて居なかつたのである。

  それ故英国が中立法に対して英国に都合が良い様な修正を要求した時に米国は英国に利益を与える積りで之に同意し「現金購入・自船積取」の規定を設けた次第であるが、今度日支事件が起つたので考へて見ると、英国に有利なこの規定は同じ海軍国であり又海運国である日本にも有利であり、それが甚だしく支那に不利益であると云ふことが明らかになつたので、此法律をこの事件に適用することは考へものだといふ意見が、米国の有力者の間に於て盛に唱へられてゐる。

…との事情も、その判断の背景として考えなければならない。

 1937年5月に「現金購入・自船積取(キャッシュ・アンド・キャリー)」条項を追加修正したばかりの「中立法」の発動の結果は、海運国である日本を一方的に利するばかりで、「甚だしく支那に不利益であると云ふことが明らかにな」ってしまったわけである。そこで、一方的に「支那に不利益である」法の発動を(あえて)すべき理由はないと米国政府が判断した、ということになるのだろう。

 蒋介石の国民政府が日本に対する「宣戦布告」の選択をしなかった背景にも、同じ問題を見出すことが出来る。日支両国間の「戦争状態」を宣言してしまえば、米国からの物資に大きく依存していた中国政府自身に、海運国日本の比ではない不利益な状況がもたらされてしまうわけである。「事変」であるという日本政府の主張は、そのような形で、中国の国益にも合致していたのである。

 結局、米国による「中立法」の発動を見ないままに、大陸での「事変」は拡大していくばかりであった。前回に示したように、「事変拡大」つまり大日本帝國による対支軍事力行使の継続を支えていたのもまた、「中立法」の不発動により継続されていた米国からの石油供給だったのである。「中立法」の不発動は、日本政府の利益にも合致するものであった(それが、日本による対支軍事行動が日本政府により「事変」と呼ばれるそもそもの理由であったことを思い出そう)。

 

 同年末には、大日本帝國の軍隊は国民政府の首都南京攻略を果たすが、しかし、南京陥落後も(帝國の期待していた)国民政府の屈服という事態は訪れなかった。国民政府の抗戦意欲が衰えることはなかったし、むしろ国民政府の求心力は強化されたようにさえ(現在の視点からは)見える。

 

 

 

 翌1938年(昭和十三年)1月16日、首都陥落を誇るべき軍事的達成と考えた近衛文麿首相は、あの有名な声明を発表してしまう。

 

 

     「國民政府ヲ相手ニセズ」  政府聲明
昭和十三年(1938年)一月十六日
帝國政府ハ南京攻略後尚ホ支那國民政府ノ反省ニ最後ノ機會ヲ與フルタメ今日ニ及ヘリ。然ルニ國民政府ハ帝國ノ眞意ヲ解セス漫リニ抗戦ヲ策シ、内人民塗炭ノ苦ミヲ察セス、外東亜全局ノ和平ヲ顧ミル所ナシ。仍テ帝國政府ハ爾後國民政府ヲ對手トセス、帝國ト眞ニ提携スルニ足ル新興支那政權ノ成立發展ヲ期待シ、是ト兩國國交ヲ調整シテ更生新支那ノ建設ニ協力セントス。元ヨリ帝國カ支那ノ領土及主權竝ニ在支列國ノ權益ヲ尊重スルノ方針ニハ毫モカハル所ナシ。今ヤ東亜和平ニ對スル帝國ノ責任愈々重シ。政府ハ國民カ此ノ重大ナル任務遂行ノタメ一層ノ發奮ヲ冀望シテ止マス。

 

 

…と言うだけでは足らず、2日後にはダメ押しまでしてしまう。

 

 

     (参考)  補足説明
          昭和十三年(一九三八年)一月十八日
爾後國民政府ヲ對手トセスト云フノハ同政府ノ否認ヨリモ強イモノテアル。元來國際法上ヨリ云ヘハ國民政府ヲ否認スルタメニハ新政權ヲ承認スレハソノ目的ヲ達スルノデアルカ、中華民國臨時政府ハ未タ正式承認ノ時期ニ達シテヰナイカラ、今回ハ國際法上ノ新例ヲ開イテ國民政府ヲ否認スルト共ニ之ヲ抹殺セントスルノテアル。又宣戰布告ト云フコトカ流布サレテヰルカ、帝國ハ無辜ノ支那民衆ヲ敵視スルモノテハナイ。又國民政府ヲ對手トセスヌ建前カラ宣戰布告モアリ得ヌワケテアル。

 

 

 大日本帝國は、こうして外交の場での交渉の相手を否認(実際には「否認ヨリモ強イモノ」とまで主張している)することで、外交的解決の機会を自ら棄ててしまったのであった。つまり、外交交渉による事変の終息の機会と手段は失われ、大陸における果てしない軍事力行使が続けられることになる。交渉での決着の道を否定してしまった以上、軍事的に解決する以外になくなってしまったのである。「事変の完遂」とは、国民政府の屈服による事態の終息の到来への希望を意味している。しかし、大日本帝國の国力では、中国大陸での全面的な軍事的制圧など望み得るものではなかった。米国からの石油供給なしには、軍事的勝利どころか、戦闘行為の継続さえ不可能なのであった。

 

 

 

 拡大する事変に対し、では、米国はどのように振舞っていたのか?

 

 10月6日、日本駐在米国大使から提出された、「中國に於ける米國權益確保に関する米大使申入」(十月六日附在京米國大使來翰第一〇七六号)では、

 

 

 …統制及課税竝ニ貿易禁止ヲ為ス最高権力カ直接ニセヨ間接ニセヨ一外國ノ官憲ニ依リテ右外國ノ利益伸張ノ為メニ行使セラルル限リ支那ニ於ケル機会均等乃至門戸開放ノ存シ得ルヘキコトハ殆ント贅言ヲ要サルヘク候、支那ニ於ケル機会均等乃至門戸開放ノ基礎要件ハ支那ニ於ケル経済活動ニ関シ直接ニセヨ間接ニセヨ一外國乃至其國民ノミヲ利益スルカ如キ特恵乃至独占的権利ノ存在セサルヘキ事ナル事ハ自明ノ理ナルへク候…

 …本使ノ申述ヘタル右諸事態ハ支那ニ於ケル日本ノ政策ノ明瞭ナル傾向ヲ示シ且日本軍占領下ノ地域ニ於テ日本官憲カ日本ノ利益ノ為ニ特恵及優越権ヲ確立スヘク努力シ居リ其必然的結果トシテ門戸開放主義ノ実際的適用ヲ破壊シ且米國市民ヨリ機会均等ヲ剥奪スルモノナルコトヲ明瞭ニ物語ルモノニ有之候

 

 

…との、米国政府の立場の説明と日本政府への要求が示されていた。ここで問題とされているのは、

  門戸開放主義ノ実際的適用ヲ破壊シ且米國市民ヨリ機会均等ヲ剥奪スルモノナルコトヲ明瞭ニ物語ル…

…大日本帝國の大陸における振る舞いであった。利己的で一方的な大日本帝國の帝国主義的振る舞いが、門戸開放機会均等主義により保障されているはずの米国の帝国主義的利益獲得を阻害しているという指摘なのである。

 外交交渉での日米間の問題の焦点は、実は、そこにあった。

 

 ここには、海運国である日本を一方的に利するばかりで「甚だしく支那に不利益であると云ふことが明らか」となった「中立法」を、米国が発動しないことへの積極的な理由を見出すことも出来るだろう。大陸において米国の権益追求の機会を阻む大日本帝國の軍事的政策の展開に対し、大陸における大日本帝國の権益追求に有利となるだけの「中立法」の発動を米国が選択しないことには、米国自身の国益追求上からも十分な理由があったことになる。

 日支間の軍事的衝突が「実質国家間の戦争行為」であるにもかかわらず、それを大日本帝國が「事変」と呼び、国民政府も「宣戦布告」を回避し、米国も「中立法」を発動しなかった背景には、各国それぞれの国益追求上のそれぞれに合理的理由があったのである。

 

 

 

 米大使グルーに対する有田八郎外務大臣からの回答は、

 

 

 帝國政府ハ支那ニ於ケル貴國権益ハ之ヲ充分ニ尊重スルノ意図ヲ以テ出来得ル限リノ努力ヲ為シ来レルモノナル処目下東亜ニ於テハ有史以来會テ見サル大規模ノ軍事行動行ハレツツアルヲ以テ貴國権益尊重ノ意図ヲ実行スル上ニ時トシテ支障ヲ生スルコトアルハ貴國政府ニ於テモ御諒承相成ルヘキコトト存候目下帝國ハ東亜ニ於テ真の国際正義ニ基ク新秩序ノ建設ニ全力ヲ挙ケテ邁進シツツアル次第ナルカ之カ達成ハ帝國ノ存立ニ欠クヘカラサルモノタルノミナラス東亜永遠ノ安定ノ礎石タルヘキモノニ有之候今ヤ東亜ノ天地ニ於テ新ナル情勢ノ展開シツツアル秋ニ当リ事変前ノ事態ニ適用アリタル観念乃至原則ヲ以テ其ノ儘現在及今後ノ事態ヲ律セントスルコトハ何等当面ノ問題ノ解決ヲ齎ス所以ニ非サルノミナラス又東亜恒久平和ノ確立ニ資スルモノニ非サルコトヲ信スル次第ニ有之候

 

 

…というものであった。外務大臣は、

  帝國政府ハ支那ニ於ケル貴國権益ハ之ヲ充分ニ尊重スルノ意図ヲ以テ出来得ル限リノ努力ヲ為シ来レルモノナル処…

…と言うのではあったが、しかし、

  帝國ト眞ニ提携スルニ足ル新興支那政權ノ成立發展ヲ期待シ…

…ていた帝國(近衛声明)が、その成立させられるべき「新興支那政權」に実際に求めていたのは、

 

第四條、 日華経済提携ハ互恵平等ノ原則ニ立チ密ニ経済合作ノ実績ヲ挙ケテ日本ノ優先権ヲ認メ特ニ華北資源ノ開発利用ニ関シテハ日本ニ特別ノ便利ヲ供与ス
     (日華協議記録・昭和十三年十一月二十日)

 

そして、
 

     

二、第四條ノ優先権トハ列國ト同一条件ノ場合ニ日本ニ優先権ヲ供与スルノ意トス
     (日華協議記録諒解事項・昭和十三年十一月二十日)

 

…という、「日本ノ優先権」であり「特別ノ便利」なのであった。現実に、「日本ノ優先権」を前提として中国大陸での振る舞いを続けていた以上、「支那ニ於ケル機会均等乃至門戸開放」を求める米国政府との利害の対立は解消され得ない。ここにあるのは、大陸における「権益」のあり方をめぐる日米の対立である。中国への軍事的恫喝により「権益」の強化を目指す日本と、各国の「権益」の確保は「機会均等乃至門戸開放」原則の下で、非軍事的に自由に行われるべきであると考える米国の対立なのである。

 詰まるところ、大陸における「日本ノ優先権」、「特別ノ便利」としての植民地的権益の維持・拡大の利己的な追及の「完遂」への努力こそが、「事変の拡大」の内実なのであった。そこには、大日本帝國による植民地的権益の維持・拡大の試みに対する対抗勢力であり続けて来たのが蒋介石の国民政府であるという構図が成立してしまうことになる。蒋介石の「屈服」を目指し、戦線を拡大すればするほど、後退を続ける蒋介石への支持基盤は(国内的にも国際的にも)強化されることになるのであった。拡大された戦線の維持だけで、大日本帝國の国力は消耗していくことになる。

 

 一方、その戦線の拡大を支えていたのは、実は、米国である。輸出による外貨獲得先として米国に依存し、輸入による資源確保においても米国に依存していたのが「帝國」の実態であった。「事変完遂」を目指す「帝國」の国力は、輸出入の両面で、大きく米国に依存していたのである。

 事変の拡大の過程とは、その「帝國」が、わざわざ米国との利害対立状態を拡大させる過程でもあった、というわけである。

 

 日米間の利害対立状態の継続の結果、1939年(昭和十四年)には、大日本帝國は、ついに米国から「日米通商条約廃棄」を通告される事態に立至る。

 しかし、それは米国による「最後通牒」となることはなく、日米間の外交交渉の課題は、「日米新通商条約締結」へと移行されることになった。その場での米国の要求は、依然として、

 

 

米国政府ハ「通商上ノ権利及機会の均等原則」ヲ通商条約ノ基礎条件ト為スモノニシテ従テ右原則確立カ新通商条約締結ノ先決要件ニテ又夫レニハ単ニ相手国ノ政策及措置カ問題トナルノミナラス相手国ノ勢力ノ下ニ存スル第三国ニ於ケル米国人ノ取扱ニ関スル点モ問題視セラルルモノナル処目下日本軍ノ占領治下ニ於テハ種々ノ通商居住移動等ニ関スル制限存在シ米国ノ商業上ノ権益ニ対スル均等待遇ヲ不可能ナラシメ居ルヲ以テ右ハ新条約締結ニ対スル障碍ナルモノナルコトヲ指摘セルモノナリ
     (日米新通商条約締結に関する第四次東京会談 昭和十四年十二月二十二日午後五時半ヨリ約一時間大臣官邸ニ於テ)

 

 

…というものであり、米国に対する「帝國」の「通商上ノ権利及機会の均等原則」の保障が求められ続けているのであったが、「帝國」によりその「障碍」が取り除かれるという展開に至ることもなかった。

 

 ドイツの侵攻によりヨーロッパでの戦争が開始された渦中での日独伊の三国の同盟関係の強化(軍事同盟化)は、(大日本帝國の期待としては)米国に対する牽制として機能し帝國の立場を強固にするものであるはずであったが、実際には米国(ドイツに攻撃されている英国の友好国だ!)の反発を買い、対立関係を強化することにしか役立たなかった。

 同時に国策の課題として浮上した、米国に依存しない資源供給確保を目的とした「南方進出(南進)」とは、結局のところ、軍事力を伴う南方への大日本帝國の勢力拡大そのものとして以外に実現し得ず、米国との対立関係を敵対的なものへと確定させるものでしかなかった。

 大日本帝國は、国策として、米国との関係悪化策を採用し続けることで一貫していたのである。

 

 

 

 「事変」の拡大(と消耗)の果てに、大日本帝國が対米英開戦に至るのは、盧溝橋事件から四年後、近衛声明から三年後、日米通商条約廃棄から二年後、日独伊三国同盟が成立し北部仏印進駐という名の南進開始の翌年のことになる。

 

 「中立法」に具体化されていた米国の孤立主義は、真珠湾以後、この地球上から姿を消すことになった。

 

 

 

 

 

 

…というわけで、「事変と中立」とのタイトルで、

 

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。
 

…との主張の妥当性を、当時の国際法の実際、米国の国内法である「中立法」の文言の検討、その間の大日本帝國の政治的軍事的選択、日米間の外交交渉の内実といった観点から検証することを試みて来た。結果として六回に亘るシリーズとなってしまったが、いずれの観点からも、上記紹介の主張がお話にならないものであることが明らかになったように思われる。

 

 「実質国家間の戦争行為」を「事変」と呼ぶことによって、そこに国際法上の「戦争状態」は存在せず(それが大日本帝國の立場である)、である以上、戦時国際法上の「中立」は問題とはなり得ない。

 「実質国家間の戦争行為」に対し当事者が「事変」と呼んでいる以上、米国大統領が国内法としての「中立法」を発動させる必要(そして義務)もない。むしろ「中立法」の不発動は、論理的には、「実質国家間の戦争行為」を「事変」として処理する日本政府の意思を尊重したものとなっているのである。

 米国による日本のみを対象とした「石油禁輸措置」は、それが「戦争」であればこそ「中立義務違反」の指摘も可能になるが、「事変」であるという前提(たとえそれが、「実質国家間の戦争行為」であろうとも)の下では、国際法上の「中立義務」自体が発生せず、「石油禁輸措置」は単に日米二国間の通商上の問題にとどまってしまうのである。

…というのが、「支那事変」をめぐる、国際法上の「中立義務違反」の問題と、米国内法としての「中立法」発動の問題を検討した結果得られた、大日本帝國政府、中国国民政府、米国政府それぞれの国益追求の構図と言うことが出来るであろう。

 

 ご興味を感じられたら、各回の詳細をお読みになることで、問題の在処を正確に理解していただきたい。

 

 

〔追記〕

 俯瞰的視点から、つまり他人事として支那事変というものを眺めれば、

大日本帝國と中華民国国民政府(国民党と共産党の連合体である)との軍事的衝突
   その過程における中国内部での蒋介石への権力の収斂(とその影での中国共産党との対立)

資本主義的搾取の対象としての中国大陸における、権益確保をめぐる大日本帝國と英米の対立
   その際、大日本帝國は英国の既得権の侵害者であると共に、米国の権益獲得への障碍であった

…というファクターの同時進行過程であった、と言うことも出来るであろう。

 つまり…

大日本帝國による大陸での軍事力行使の継続の結果、米英と中国共産党は蒋介石の同伴者となり、対外的にも対内的にも(つまり対日戦継続と国内政治での主導権獲得の両面で)蒋介石は利益を得ることになった。

大日本帝國の軍事力による大陸での権益確保・拡大の試みは、門戸開放・機会均等原則に基づく米国の権益拡大策の妨げとなり、米国を敵とすることに役立った。

…のだということになる。そして…

事変は、対米英戦争へと連続し、最終的には大日本帝國は敗者として大陸から排除された。

勝者であったはずの蒋介石は、新たな敵(実際には旧来の敵であったが)としての中国共産党との闘争に敗北し、大陸から排除された。

英国は、第二次世界大戦による消耗からの恢復が出来ず、国際政治における地位を後退させることになった。

米国は、軍事的勝者として国際政治の主導権を握ると同時に、それまでの孤立主義的政策を放棄することとなり、以後の世界における戦争の主役となっていくことになる。そして米国も、ベトナムとイラクでは「負けた戦争」の体験者となった。

日本は「負けた戦争」の結果、米国の占領による戦後を経験したが、主権回復以後も米国に対する従属的立場を堅持することで経済発展を果たし、国際社会での一定の地位を非軍事的方法により確保することに成功した。

…というそれぞれの歴史的展開を経験することになったわけだ。

 それを「日本は負けて勝ったのだ」などと言うのは、300万の犠牲者のことを顧みない恥ずかしい負け惜しみである。
 戦後の対米従属の下で、非軍事的に戦前以上の経済発展が成し遂げられた事実がある以上、そもそも300万人の死が必要であったのかどうか? 非軍事的に達成可能であったことを、威圧的軍事力行使に頼り、結果として300万人の同朋の死(国外にはさらに2000万人の戦争犠牲者がいる)があるのだとすれば、その国策決定は批判され反省されねばならない。米国との協調の下に、非軍事的に大陸政策を進めていれば、敗戦による占領を免れ、明治以来獲得した植民地を失うこともなく、東京が焼け野原となることもなく、ヒロシマ・ナガサキの悲劇もなく、靖国に200万を超える新たな英霊を加えることもなかったのである(…というのは、もちろん事後的な、つまり結果から語られる仮定に過ぎず、私たちが直視しなければならないのは、事変の目的であったはずの大陸における権益の維持も、大東亜戦争の戦争目的とされた帝國の自存も自衛も果たされなかったという歴史的事実であり、その背後にある膨大な国内外の犠牲者の存在である)。
               (2011年2月10日記)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/06 22:05 → http://www.freeml.com/bl/316274/144369/

 

 

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2010年8月16日 (月)

続々々々・「事変」と「中立」

 

 米国大統領には、

 

  ある物資、原料の合衆国より交戦国または内乱の存する国への輸送に制限を加えることが、合衆国の安寧を促進し、その平和を維持し、あるいは合衆国市民の生命を保護するために必要であると認めたときは、その旨を布告する

 

…権限が与えられていた。

 それにより、米国の「中立法」が発動されることになる。

 前回に続き、昭和十二年(1937年)に発行された、大山卯次郎博士執筆のパンフレット「米國中立法の意義及其適用に就いて」により、「中立法」発動以後の展開を復習しておこう。

 

 

 第二 交戦国並に内乱国に対し、武器、弾薬並に軍用器材の輸出を禁止し、且つそれが中立国に輸出せられる場合に於ても、交戦国に転送せられ、又は交戦国の使用に供せられるものと認められた時は、矢張りその輸出を禁じて居る。尤も中立国は国際法上斯る禁輸を実行せねばならぬ訳のものではないが、米国は自ら交戦国との紛争を避ける為、自分の都合で之を禁止するまでである。
  (註)本項に所謂武器、弾薬、器材とは如何なるものを云ふのであるかは大統領に於て遅滞なく時々明確に列挙して布告せねばならぬことになつて居るが、現在は一九三七年五月一日本法制定と同時に大統領令を以てその品目を定めて居り、軍用器材は主として薬品であつて、鉄、石油、綿花等は含まれて居らず。

 第三 武器弾薬軍用器材以外の物品、例へば食料又は製造原材料等の貨物も、大統領の見込みにより輸出を禁出し得ることにし、その例外として外国の政府が現金で買入れ、自分の船舶で積取る場合には輸出を許すことにして居る。之をキャツシュ・エンド・キャーリーの即ち「現金買入・自国船積取」の規定と云ひ、本法の最も大なる特色である。これは本年春米国会議で中立案を討議中英国商務大臣のランシマン氏が渡米して談判の結果、かういふ除外例を設けたのであつて、米国はこの結果、一方に於て武器、弾薬、軍用器材並びに原料その他の物品の輸出を禁ずることによつて、理想主義を実行したけれども、他方に於て斯る除外例を設け、米国自らの為に戦時商業の道を開き、併せて財力の豊かな海上の優者たる英国が交戦国である場合に之を援助しようとしたのであつて、主義上大なる矛盾と云はねばならない。

 第四 交戦国及交戦団体に対し金融上の援助を禁じて居るが、米国は予て米国に対し借金を払はない国に対して金融上の便宜を与えないと云ふ法律を作つてゐて、欧州諸国は大抵此法律の為に米国から金が借りられないことになつてゐるから、この禁止条項は欧州に関する限り、実際上余り効果はないのである。

 

 

…ということになるわけだが、中心となるのは、「交戦国並に内乱国に対し、武器、弾薬並に軍用器材の輸出を禁止」という条項であろう。

 

 

 ここに、大日本帝國により、「支那事変」があくまでも「事変」として処理され、日支間の「戦争」として取扱われないことの理由がある。

 「支那事変の完遂」という大日本帝國政府の目標達成のためには、米国による中立法発動は致命的なものとなり得るからだ。

 

 ここでは、その実態を、森本忠夫『魔性の歴史 マクロ経営学から見た太平洋戦争』(光人社NF文庫 1998)から引用してみたい。大日本帝國の対支軍事力行使は、米国からの輸入資源に、大きく依存していたのである。

 

 

  日本が戦争遂行上、不可欠とした資源、石油(原油)は、1938年に82パーセント(数量では1939年に90パーセント)の依存度にも達し、鉱油は56パーセント、綿花は38パーセントにも達していたのである。すでに述べたとおり、米英の経済圏に頼ることなく、日本は日中戦争といえども戦争を遂行することはおぼつかなかったのである。

 

 

…というのが、大日本帝國の内情であった。米国による「中立法」の発動は、米国からの石油輸入の途絶を意味することになり得るものなのであり、「事変の完遂」は不可能になる。大日本帝國には、拡大の一途を辿った対支軍事力行使は、あくまでも「事変」でなければならなかったのである。

 

 

 しかし、興味深いことに、米国政府の側にも、「中立法」の発動をためらう理由があった。

 大山博士は、「米國中立法の意義及其適用に就いて」の中で、その事情を次のように解説している。

 

 

    五、日支事変に対する中立法の適用

 斯くの如く米国の中立法は従来米国が最も重要とした海洋自由主義に対する一大転換であるに相違はないが、その実その重要部分に関し海上の優者たる英国をその適用外に置いたことに依り、立法の価値を少なくとも半減してゐるのみならず、本法の運用を大統領の採量に一任してゐる為、それが大統領の政治的駆け引きに利用せられることは免れないと云はれて居る。
 此処に我等の大に注意を要することは、米国が今回の日支事件に関しこの法律を持て余して居ると云ふことである。その理由は米国がこの法律を制定した時には、米国の眼中に欧州のみあつて、東洋のことは余り考えて居なかつたのである。
 それ故英国が中立法に対して英国に都合が良い様な修正を要求した時に米国は英国に利益を与える積りで之に同意し「現金購入・自船積取」の規定を設けた次第であるが、今度日支事件が起つたので考へて見ると、英国に有利なこの規定は同じ海軍国であり又海運国である日本にも有利であり、それが甚だしく支那に不利益であると云ふことが明らかになつたので、此法律をこの事件に適用することは考へものだといふ意見が、米国の有力者の間に於て盛に唱へられてゐる。
 尤も米国政府としてはこの際我国に対し極めて慎重な態度をとつて居るのであつて、率直な意見は発表せられて居ないが、
 この際この中立法を発動することの可否に就て大に迷つ居ると云ふことが伝へられてゐる。尤も大統領の意向を代弁するのではないかと思はれる米国上院外交委員長ピットマン氏は北支事変不拡大当時の七月二十九日「戦争状態の存在を決定することは困難な問題である、余り性急に行動しては現在米国政府が続けつつある平和の努力を水泡に帰せしむる恐れがあるのみならず、大統領が中立法を布告して間もなく戦争が止まる様なことがあつては、大統領が面目を失することになる」と云ひ、事変拡大後の八月十四日に至り「支那の新事態は明らかに戦争と認められる、しかし日支両国のいずれもが未だ宣戦の布告を為さざる以上、大統領がその存在を宣明する必要もあるまい」との意味の談話を発表して居るのであつて、人をして政府は中立法の施行を好まないのではないかと思はしめて居る。
 (以下略)

 

 

…ということなのであった。

 

 

 結果として「中立法」は発動されず、大日本帝國にとっての最重要の戦略物資であった米国からの石油の供給が止まることはなかった。つまり、

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。

…という話ではないのだ。確かに米国が蒋介石を支援したことも事実だが、大日本帝國が蒋介石相手の「実質国家間の戦争行為」を続けられた事実の背後にも、米国による大日本帝國への石油供給の継続という事実があったのである。

 問題の構図を論理的に整理すれば、「実質国家間の戦争行為」を「事変」として処理するという大日本帝國政府の方針は米国大統領にも尊重され、「実質国家間の戦争行為」が「戦争」ではない「事変」として米国からも取扱われることで、米国の国内法である「中立法」の発動が見送られれたわけである。「中立法」の不発動により米国からの石油供給は継続され、その結果として、「事変」という名による大日本帝國の「実質国家間の戦争行為」の継続も可能になったわけなのである。

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。

…という主張は、大日本帝國政府の立場を擁護しているように見えて、実は、当時の大日本帝國政府の方針への無理解を表明しているのものであるに過ぎない。

 

 

 

                    (次回へ続く)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/04 23:40 → http://www.freeml.com/bl/316274/144253/

 

 

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2010年8月15日 (日)

続々々・「事変」と「中立」

 

 1937年、つまり昭和12年の5月1日、米国の「中立法」が成立した。

 正確に言えば、1935年に成立した最初の「中立法」が1936年に修正され、続いて1937年に再び修正されたのであった。その間の事情を、法律としての内容も含めて確認しておきたい。まず、ここでは『ウィキペディア』の記述を読んでおこう。

 

中立法(ちゅうりつほう、Neutrality Acts)とは1935年(昭和10年)にアメリカで制定された法律で、大統領が戦争状態にある国が存在していること又は、内乱状態にある国が存在していることを宣言した場合には、その国に対して武器や軍需物質の輸出を禁じるというものである。
1941年(昭和16年)の改正では、商船の武装禁止及び戦闘区域侵入の禁止が廃止された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%B3%95

 

…という、何とも簡単な記述であるが、1935年とは、イタリアによるエチオピア侵攻(第二次エチオピア戦争)の年であり、当時は孤立主義的であった米国が制定したのが、問題の「中立法」なのである。他国の戦争に関わらないことを目的とした法律であった(当初は「戦争状態にある国」だけが対象とされた)。

 1936年の修正で「内乱状態にある国」にまで対象が拡大されたが、それはスペイン内戦を受けてのことである。(…と書いてしまったが、正確さに欠けていたようである。この点については、「追記」を参照)

 『ウィキペディア』では触れられていないが、1937年の修正では「現金自国船条項」が追加されている。これは英国を意識した付加であり、依然として米国籍船舶による輸送・輸出は禁止されるが、輸送・輸出物が既に現金決済され、その上で自国の船舶(ここでは英国の船舶が想定されていたわけである)を使用しての輸送・輸出に関しては制限を設けないことを内容とするものだ。

 

 前回にご紹介した条文で、その「現金自国船」に関する修正に該当するのが、

 

2.他の物資・原料の輸出
 〔a〕 大統領は、本法第1条によつて布告を発し、かつその後の武器、弾薬、軍需器材に加うるに、ある物資、原料の合衆国より交戦国または内乱の存する国への輸送に制限を加えることが、合衆国の安寧を促進し、その平和を維持し、あるいは合衆国市民の生命を保護するために必要であると認めたときは、その旨を布告する。以後は……合衆国の船舶が右の物資および原料を、本法第一節により発せられた布告に指定された交戦国、または内乱のおこなわれる国に向けて、あるいは右交戦国または内乱のおこなわれる国へ積換える目的をもつて、またはその使用に供するために、いかなる中立国へ向けて運搬されることも不法とされる。大統領は合衆国船舶が輸送することが不法となるべき物資、原料を時々布告をもつて明確に列挙する。
 〔b〕 大統領は、本法第1節によつて布告を発し、かつその後物資および原料の合衆国より交戦国、または内乱の存する国への輸出に制限を加えることが、合衆国の安寧を促進し、その平和を維持し、あるいは合衆国市民の生命、通商を保護するために必要であると認めたときは、その旨を布告する。以後は……合衆国より本法第1節により発せられた布告に指定された交戦国、または内乱のおこなわれる国に向けて、あるいは右交戦国または内乱の行われる国へ積換える目的をもつて、またはその使用に供するために、いかなる中立国に対し輸出ないし輸送し、または輸出ないし輸送を企て、または輸出ないし輸送せしめることも、右物資あるいは原料に関する一切の権利、権利の根拠および利益が外国の政府、代理人、機関、協会、組合、法人または国民に譲渡されるまでは不法とされる。

 

…という条項である。これは私には大変にわかりにくいと思われるのだが、

 

 〔a〕において、「合衆国の船舶が右の物資および原料を、本法第一節により発せられた布告に指定された交戦国、または内乱のおこなわれる国に向けて、あるいは右交戦国または内乱のおこなわれる国へ積換える目的をもつて、またはその使用に供するために、いかなる中立国へ向けて運搬されることも不法とされ」ているわけだが、

 〔b〕において、「不法とされる」のは「右物資あるいは原料に関する一切の権利、権利の根拠および利益が外国の政府、代理人、機関、協会、組合、法人または国民に譲渡されるまで」という限定が付され、かつ「合衆国の船舶が」との限定は取り除かれている、

 

…ということなのである。

 

 当時の日本国内での受け取り方の例として、「米國中立法の意義及其適用に就いて」と題された昭和十二年十月五日発行のパンフレット(明倫会)の内容を読んでみよう。筆者である法学博士、大山卯次郎氏は、

 

     四、中立法の要領

 斯ういふ風で中立法制定の裏面に全然思想の異なつた意見が対立して居た為、議論百出といふ有様で、容易に纏らなかつたのを、漸く妥協に依て之を造り上げた次第であるから、そこに幾多の矛盾と欠陥を生ずるに至つたのは、誠に已むを得なかつたことと思はれる。然らばさうして出来た中立法はどういふ内容のものかといふと、その全文は十五箇條から成立つて居るが、その中重要なものは次の通りである。

 第一 此法律は云ふ迄もなく戦時に適用するのであるが、戦争の事実が存在するや否やは大統領の認定に一任してゐるのである。従つて大統領に非常な運用の自由が与へられる結果となつてゐるのであつて、大統領が之を以て外交上の駆け引きに利用するであらうことは想像に難からずとするところである。尤も交戦国が自ら宣戦を布告した場合は、大統領はそれに依り直ちに戦争存在の事実を認め、その旨を布告せねばならぬ訳であるが、その場合に於ても大統領がその布告を為すまでは本中立法の発動しないことは云ふまでもない。

 第二 交戦国並に内乱国に対し、武器、弾薬並に軍用器材の輸出を禁止し、且つそれが中立国に輸出せられる場合に於ても、交戦国に転送せられ、又は交戦国の使用に供せられるものと認められた時は、矢張りその輸出を禁じて居る。尤も中立国は国際法上斯る禁輸を実行せねばならぬ訳のものではないが、米国は自ら交戦国との紛争を避ける為、自分の都合で之を禁止するまでである。
  (註)本項に所謂武器、弾薬、器材とは如何なるものを云ふのであるかは大統領に於て遅滞なく時々明確に列挙して布告せねばならぬことになつて居るが、現在は一九三七年五月一日本法制定と同時に大統領令を以てその品目を定めて居り、軍用器材は主として薬品であつて、鉄、石油、綿花等は含まれて居らず。

 第三 武器弾薬軍用器材以外の物品、例へば食料又は製造原材料等の貨物も、大統領の見込みにより輸出を禁出し得ることにし、その例外として外国の政府が現金で買入れ、自分の船舶で積取る場合には輸出を許すことにして居る。之をキャツシュ・エンド・キャーリー即ち「現金買入・自国船積取」の規定と云ひ、本法の最も大なる特色である。これは本年春米国会議で中立案を討議中英国商務大臣のランシマン氏が渡米して談判の結果、かういふ除外例を設けたのであつて、米国はこの結果、一方に於て武器、弾薬、軍用器材並びに原料その他の物品の輸出を禁ずることによつて、理想主義を実行したけれども、他方に於て斯る除外例を設け、米国自らの為に戦時商業の道を開き、併せて財力の豊かな海上の優者たる英国が交戦国である場合に之を援助しようとしたのであつて、主義上大なる矛盾と云はねばならない。

 第四 交戦国及交戦団体に対し金融上の援助を禁じて居るが、米国は予て米国に対し借金を払はない国に対して金融上の便宜を与えないと云ふ法律を作つてゐて、欧州諸国は大抵此法律の為に米国から金が借りられないことになつてゐるから、この禁止条項は欧州に関する限り、実際上余り効果はないのである。

 第五 米国人に対し交戦国又は交戦団体の船舶に依つて旅行することを禁止して居るが、是は米国人をして戦争に関係せしめない為の手段であつて孤立派の主張を容れたものである。

 第六 米国の商船に対して武装することを禁じて居るが、之も米国人をして戦争に関係せしめない手段である。

 第七 外国潜水艦及武装商船が米国の港に出入りすることを禁じて居るが是も右と同様の趣旨である。

 第八 此法律は南米及び中米諸国が米州以外の国と戦争する場合に適用せられないことになつてゐるが、是は南米及び中米を米国の縄張とする為であつて、中米南米諸国と他の国とを区別し、中米及び南米の諸国が米州以外の国と戦争する場合に、米は中立国の態度をとらぬと云ふ意思を明らかにしたものである

 第九 此法律は恒久的に有効なものとせられて居るが「現金買入・自国船積取」の規定に限り一九三九年即ち昭和十四年五月一日まで有効とせられて居る。是はこの規定に多くの反対があるから、他日適当に修正しようとする為である。
http://books.google.co.jp/books?id=Dfz0RwuxRgoC&printsec=frontcover&dq=%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E6%B3%95%E3%80%80%E7%B1%B3%E5%9B%BD&source=bl&ots=464prErFzj&sig=XiGUpJFsbtvT4Fbk-nRTGXtTA1M&hl=ja&ei=4-BUTLyGONqPcIyJoMAM&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CBQQ6AEwADgK#v=onepage&q&f=false

 

…と、当時の日本人に対し、「米國中立法の意義及其適用に就いて」解説しているのであった。

 

 

 

 大山博士も、文中にはっきりと、

  尤も中立国は国際法上斯る禁輸を実行せねばならぬ訳のものではないが、米国は自ら交戦国との紛争を避ける為、自分の都合で之を禁止するまでである。

…と書いている。つまり、

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。

…という指摘は、どうしようもなく徹底的に的外れなのである。

 米国の「中立法」は、あくまでも国内法であり、しかも米国大統領は支那事変に際しては「中立法」を発動・適用することはなかったのである。

 「中立法」により合衆国大統領に課せられていたのは、

  ある物資、原料の合衆国より交戦国または内乱の存する国への輸送に制限を加えることが、合衆国の安寧を促進し、その平和を維持し、あるいは合衆国市民の生命を保護するために必要であると認めたときは、その旨を布告する

…という任務であり、米国大統領は支那「事変」に際して、中立法を発動・適用することが、「合衆国の安寧を促進し、その平和を維持し、あるいは合衆国市民の生命を保護するために必要であると認め」ることはしなかった、ということになる。あるいは、日本政府の主張通りに「事変」として取り扱い、(日本政府の意に反して)「戦争」として取扱うことはしなかった、ということになるわけだ。米国大統領により、日本政府の意思は尊重されているのである。

 

 
 

                    (次回に続く)

 

 

〔追記 : 2010年8月26日〕

 年表を見ると、実際には、

1935年
 8月31日  米、中立法制定。孤立政策に傾斜。
 10月3日  伊軍、エチオピアに侵攻

1936年
 2月29日  米、第2次中立法制定。交戦国へ借款供与禁止。
 7月17日  スペイン内乱起きる。

1937年
 5月1日   第3次中立法制定。
 7月7日   盧溝橋事件。

…という流れとなっていた(岩波書店『世界史年表 第二版』による)。本文の論点には影響はないにせよ、当初の事実確認が万全ではなかったことも確かなことであり、「追記」として訂正の場を設けた次第である。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/03 22:54 → http://www.freeml.com/bl/316274/144183/

 

 

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2010年8月14日 (土)

続々・「事変」と「中立」

 

 「陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約」を読むことによって、つまり1937年(昭和十二年)当時の国際法の観点からは、

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。

…という指摘(その詳細は「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」コメント欄参照→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3e58.html)が、まったくの的外れであることを確認することが出来た(前回までの話)。

 たとえそれが「事変」ではなく、「戦争」であったとしても、条文に、

第七条
 中立国ハ交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出又ハ通過ヲ防止スルヲ要セサルモノトス

第十八条
 左ニ掲グル事項ハ第十七条ロ号ニ所謂交戦者ノ一方ノ利益ト為ルヘキ行為ト認メス
 イ 交戦者ノ一方ニ供給ヲ為シ又ハ其ノ公債ニ応スルコト

…とある以上、「蒋を支援し続けた列強の行為」に対しての「中立を守らず」という評価は成立しないのである。「交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出又ハ通過」が、国際法上で、中立国に禁止されているわけではないのだ。

 

 しかも、「戦争」ではなく「事変」であるという立場は、日本政府のものだったのである。既にその問題に関しては、国際法である「開戦ニ関スル条約」(1907年)との関係から論じておいたが、国内法的な取り扱いも見ておこう。

 

大本営令(昭和12年軍令第1号)
第一条
 天皇ノ大纛下ニ最高ノ統帥部ヲ置キ之ヲ大本営ト称ス
 2 大本営ハ戦時又ハ事変ニ際シ必要ニ応ジ之ヲ置ク
第二条
 参謀総長及軍令部総長ハ各其ノ幕僚ニ長トシテ帷幄ノ機務ニ奉仕シ作戦ヲ参画シ終局ノ目的ニ稽ヘ陸海両軍ノ策応協同ヲ図ルヲ任トス
第三条
 大本営ノ編制及勤務ハ別ニ之ヲ定ム

 

 この「大本営令」発令以前に「大本営」設置を規定していたのは、「戦時大本営条例」(明治36年勅令第293号)であった。それが昭和12年11月18日「戦時大本営条例廃止ノ件」(昭和12年勅令第658号)により廃され、

 

 大本営ハ戦時又ハ事変ニ際シ必要ニ応ジ之ヲ置ク

 

…と、それまでの「戦時」限定の「大本営」から、「戦時又ハ事変ニ際シ必要ニ応ジ之ヲ置ク」という「大本営」へと、わざわざ改変されたのである。大日本帝國の国内法令上でも、「支那事変」は、あくまでも「事変」なのであり「戦時」ではない、つまり「戦争」ではないということなのだ。

 
 そもそもは「陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約」は、「戦争」に際しての「国際法」なのであって、「事変」には適用されないはずである。

 である以上、

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。

…という指摘は、二重の意味で的外れなものなのであった。

 

 

 実際問題としては、大日本帝國にとっての「支那事変」、つまり(対支「戦争」ではない)「事変」という用語の選択の背後にあるのは、国際法であったと言うよりは米国の国内法であったと言うべきであろう。

 

 米国の「中立法」の存在の大きさが、「事変」という名目による処理を選択させたのである。

 

 

中立法 Neutrality Act (1937)

1.武器、弾薬および軍需器材の輸出
 〔a〕 大統領は二国あるいは三国以上の外国間に戦争状態の存することを認めたときは、同事実を布告する。同布告以後は合衆国内のいずれの地より、同布告に指定されるいずれの交戦国に対しても、あるいは当交戦国へ積換える目的をもつて、または当交戦国の使用に供するために、いかなる中立国に対しても、武器、弾薬または軍需器材を輸出し、輸出を企て、あるいは輸出せしめることは違法とする。
 〔b〕 大統領は第三国がその戦争に参加するに至るにしたがつて、同国に対しても武器、弾薬または軍需器材の輸出禁止を時々布告をもつて拡張するものとする。
 〔c〕 大統領はある外国に内乱状態が存し、かつその内乱が大規模であるか、あるいは合衆国よりの同国への武器、弾薬または軍需器材の輸出が合衆国の平和を脅し、あるいは危殆に陥れるがごとき状態において遂行されていることを認めた場合には同事実を布告する。…
 〔d〕 本節によつて輸出の禁止される武器、弾薬、軍需器材は、大統領が時々布告をもつて明確に列挙する。…

2.他の物資・原料の輸出
 〔a〕 大統領は、本法第1条によつて布告を発し、かつその後の武器、弾薬、軍需器材に加うるに、ある物資、原料の合衆国より交戦国または内乱の存する国への輸送に制限を加えることが、合衆国の安寧を促進し、その平和を維持し、あるいは合衆国市民の生命を保護するために必要であると認めたときは、その旨を布告する。以後は……合衆国の船舶が右の物資および原料を、本法第一節により発せられた布告に指定された交戦国、または内乱のおこなわれる国に向けて、あるいは右交戦国または内乱のおこなわれる国へ積換える目的をもつて、またはその使用に供するために、いかなる中立国へ向けて運搬されることも不法とされる。大統領は合衆国船舶が輸送することが不法となるべき物資、原料を時々布告をもつて明確に列挙する。
 〔b〕 大統領は、本法第1節によつて布告を発し、かつその後物資および原料の合衆国より交戦国、または内乱の存する国への輸出に制限を加えることが、合衆国の安寧を促進し、その平和を維持し、あるいは合衆国市民の生命、通商を保護するために必要であると認めたときは、その旨を布告する。以後は……合衆国より本法第1節により発せられた布告に指定された交戦国、または内乱のおこなわれる国に向けて、あるいは右交戦国または内乱の行われる国へ積換える目的をもつて、またはその使用に供するために、いかなる中立国に対し輸出ないし輸送し、または輸出ないし輸送を企て、または輸出ないし輸送せしめることも、右物資あるいは原料に関する一切の権利、権利の根拠および利益が外国の政府、代理人、機関、協会、組合、法人または国民に譲渡されるまでは不法とされる。…
 (以下省略  文言は、『西洋史料集成』 平凡社 1956 による)

 

 

 正確には、「1935年8月31日修正通り裁可せられた『武器、弾薬、および軍需器材の交戦国への輸出の禁止、交戦国の使用に供するために合衆国の船舶によつて武器、弾薬および軍需器材を輸送することの禁止、武器、弾薬、または軍需資材の製造、輸出または輸入に従事するものの登録、免許に関し規定し、かつ戦争中交戦国船舶によるアメリカ市民の旅行を制限する共同決議』と題する共同決議を修正する共同決議」という名称の法律である。英語(特に法律用語)に堪能な方は、以下のページを参照願いたい(全文を読むことが出来る)。

"Neutrality Act" of May 1, 1937
JOINT RESOLUTION
To amend the joint resolution entitled "Joint resolution providing for the prohibition of the export of arms, ammunition, and implements of war to belligerent countries; the prohibition of the transportation of arms, ammunition, and implements of war by vessels of the United States for the use of belligerent states; for the registration and licensing of persons engaged in the business of manufacturing, exporting, or importing arms, ammunition, or implements of war; and restricting travel by American citizens on belligerent ships during war", approved August 31, 1935, as amended.
 (http://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/interwar/neutrality3.htm

 

 

 

                    (次回に続く)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/02 22:57 → http://www.freeml.com/bl/316274/144130/

 

 

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2010年8月12日 (木)

続・「事変」と「中立」

 

 

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。
 

…というお説の正当性を考えているわけだ(前回に始まる話)。

 

 

 現実には、「実質国家間の戦争行為」を「事変」と命名し、「戦争」とは異なる事態として取扱おうとしていたのは日本だったのである。ここで焦点となっている「中立」とは、戦争状態にある国家に対する第三国の態度の問題と言えるだろう。そもそもが「戦争」ではない「事変」において、第三国が「中立」であるかどうかは問題になり得ない性質のものなのであった。

 

 国際法上は、「開戦ニ関スル条約」(1907年)の、

 

第一条
 締約国ハ理由ヲ附シタル開戦宣言ノ形式又ハ条件附開戦宣言ヲ含ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告ナクシテ其ノ相互間ニ戦争ヲ開始スヘカラサルコトヲ承認ス
第二条
 戦争状態ハ遅滞ナク中立国ニ通告スヘク通告受領ノ後ニ非サレハ該国ニ対シ其ノ効果ヲ生セサルモノトス該通告ハ電報ヲ以テ之ヲ為スコトヲ得但シ中立国カ実際戦争状態ヲ知リタルコト確実ナルトキハ該中立国ハ通告ノ欠缺ヲ主張スルコトヲ得ス

 

…との条文が、「戦争状態」を規定するものとなる。

 第二条にある「中立国」の文言は、単に、戦争当事国(「開戦宣言」を挟んで「戦争状態」となった国家)ではない第三国を意味していると考えておくべきであろう。条約が目指しているのは「開戦」の規定なのであり、そもそも「戦争状態」に対する「中立状態」(「開戦宣言」を発するのでもなく、「開戦宣言」の対象ともならない状態)は開戦に先立っては存在し得ないものだからである。「開戦ニ関スル条約」で示されている「中立国」と、開戦宣言後の「中立」は、位相の異なる問題なのであり、その両者の混同から生み出されるのは不毛な議論であろう。

 対立する国家が「開戦宣言」あるいは「開戦宣言ノ形式又ハ条件附開戦宣言ヲ含ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告」を通して「戦争状態」に入り(第一条)、その「戦争状態」の発生は「遅滞ナク中立国(今回の「開戦宣言」の当事者ではない国家、つまり第三国)ニ通告スヘク」規定されている(第二条)ものとして理解されなければならないわけである。

 

 その「開戦宣言」あるいは「開戦宣言ノ形式又ハ条件附開戦宣言ヲ含ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告」を行わないことにより(行っていない以上)、大日本帝國の支那における軍事力行使は「戦争」としての条件を満たしていない、即ち「戦争状態」は存在しない、というのが「事変」という名称の背後にある日本政府の側の論理なのである。

 

 

 「戦争状態」にある国家に対し、戦争の当事者ではない国家による「どちらの側にも与しない」という選択が、これまで論じようとして来た「中立」の意味するところなのであった(「事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です」という主張にある「中立」という語に込められているであろう「意味」の問題である)。

 

 では、「戦争状態」にある国家に対するものとしての「中立国」の国際法上の位置付けは、そもそもどのようになっているのだろうか?

 それが次なる問題である。

 

 

 少し長くなるが、

 

 

陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約

 …陸戦ノ場合ニ於ケル中立国ノ権利義務ヲ一層明確ナラシメ且中立領土ニ避退シタル交戦者ノ地位ヲ規定セルコトヲ欲シ又交戦者トノ関係ニ於ケル中立人ノ地位ヲ其ノ全体ニ付テ規定スルコトハ之ヲ後日ニ期待シ茲ニ中立人ノ資格ヲ定メムコトヲ希望シ之カ為条約ヲ締結スルニ決シ…因テ各全権委員ハ…左ノ条項ヲ協定セリ

   第一章 中立国ノ権利義務
第一条
 中立国ノ領土ハ不可侵トス

第二条
 交戦者ハ軍隊又ハ弾薬若ハ軍需品ノ輜重ヲシテ中立国ノ領土ヲ通過セシムルコトヲ得ス

第三条
 交戦者ハ又左ノ事項ヲ為スコトヲ得ス
 イ 無線電信局又ハ陸上若ハ海上ニ於ケル交戦国兵力トノ通信ノ用ニ供スヘキ一切ノ機械ヲ中立国ノ領土ニ設置スルコト
 ロ 交戦者カ戦争前ニ全然軍事上ノ目的ヲ以テ中立国ノ領土ニ設置シタル此ノ種ノ設備ニシテ公衆通信ノ用ニ供セラレサルモノヲ利用スルコト

第四条
 交戦者ノ為中立国ノ領土ニ於テ戦闘部隊ヲ編成シ又ハ徴募事務所ヲ開設スルコトヲ得ス

第五条
 中立国ハ其ノ領土ニ於テ第二条乃至第四条ニ掲ケタル一切ノ行為ヲ寛容スヘカラサルモノトス
 中立国ハ其ノ領土ニ於テ行ハレタルモノニ非サレハ中立違反ノ行為ヲ処罰スルヲ要セサルモノトス

第六条
 中立国ハ交戦者ノ一方ノ勤務ニ服スル為個人カ箇箇ニ其ノ国境ヲ通過スルノ事実ニ付其ノ責ニ任セス

第七条
 中立国ハ交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出又ハ通過ヲ防止スルヲ要セサルモノトス

第八条
 中立国ハ其ノ所有ニ属スルト会社又ハ個人ノ所有ニ属スルトヲ問ハス交戦者ノ為ニ電信又ハ電話ノ線条並無線電信機ヲ使用スルコトヲ禁止シ又ハ制限スルヲ要セサルモノトス

第九条
 第七条及第八条ニ規定シタル事項ニ関シ中立国ノ定ムル一切ノ制限又ハ禁止ハ両交戦者ニ対シ一様ニ之ヲ適用スヘキモノトス
中立国ハ電信若ハ電話ノ線条又ハ無線電信機ノ所有者タル会社又ハ個人ヲシテ右ノ義務ヲ履行セシムル様監視スヘシ

第十条
 中立国カ其ノ中立ノ侵害ヲ防止スル事実ハ兵力ヲ用井ル場合ト雖之ヲ以テ敵対行為ト認ムルコトヲ得ス

   第二章 中立国内ニ於テ留置スル交戦者及救護スル傷者
第十一条
 交戦国ノ軍ニ属スル軍隊カ中立国領土ニ入リタルトキハ該中立国ハ成ルヘク戦地ヨリ隔離シテ之ヲ留置スヘシ
中立国ハ右軍隊ヲ陣営内ニ監置シ且城寨若ハ特ニ之カ為ニ設備シタル場所ニ幽閉スルコトヲ得
 許可ナクシテ中立領土ヲ去ラサルノ宣誓ヲ為サシメテ将校ニ自由ヲ与フルト否トハ中立国ニ於テ之ヲ決スヘシ

第十二条
 特別ノ条約ナキトキハ中立国ハ其ノ留置シタル人員ニ糧食、被服及人道ニ基ク救助ヲ供与スヘシ
 留置ノ為ニ生シタル費用ハ平和克復ニ至リ償却セラルヘシ

第十三条
 逃走シタル俘虜カ中立国ニ入リタルトキハ該中立国ハ之ヲ自由ニ任スヘシ若其ノ領土内ニ滞留スルコトヲ寛容スルトキハ之カ居所ヲ指定スルコトヲ得
 右規定ハ中立国ノ領土ニ避退スル軍隊ノ引率シタル俘虜ニ之ヲ適用ス

第十四条
 中立国ハ交戦国ノ軍ニ属スル傷者又ハ病者カ其ノ領土ヲ通過スルヲ許スコトヲ得但シ之ヲ輸送スル列車ニハ戦闘ノ人員及材料ヲ搭載スルコトヲ得サルモノトス此ノ場合ニ於テハ中立国ハ之カ為必要ナル保安及監督ノ処置ヲ執ルヘキモノトス
 交戦者ノ一方カ前記条件ノ下ニ中立領土内ニ引率シタル傷者又ハ病者ニシテ対手交戦者ニ属スヘキ者ハ再ヒ作戦動作ニ加ルコトヲ得サル様該中立国ニ於テ之ヲ監守スヘシ右中立国ハ自己ニ委ネラレタル他方軍隊ノ傷者又ハ病者ニ付同一ノ義務ヲ有スルモノトス

第十五条
 「ジェネヴァ」条約ハ中立領土ニ留置セラレタル病者及傷者ニ之ヲ適用ス

   第三章 中立人
第十六条
 戦争ニ与ラサル国ノ国民ハ中立人トス

第十七条
 左ノ場合ニ於テ中立人ハ其ノ中立ヲ主張スルコトヲ得ス
 イ 交戦者ニ対シ敵対行為ヲ為ストキ
 ロ 交戦者ノ利益ト為ルヘキ行為ヲ為ストキ殊ニ任意ニ交戦国ノ一方ノ軍ニ入リテ服務スルトキ
 右ノ場合ニ於テ交戦者ニ対シ中立ヲ守ラサリシ中立人ハ該交戦者ヨリ同一ノ行為ヲ為シタル他方交戦国ノ国民ニ比シ一層厳ナル取扱ヲ受クルコトナシ

第十八条
 左ニ掲グル事項ハ第十七条ロ号ニ所謂交戦者ノ一方ノ利益ト為ルヘキ行為ト認メス
 イ 交戦者ノ一方ニ供給ヲ為シ又ハ其ノ公債ニ応スルコト但シ供給者又ハ債主カ他方ノ交戦者ノ領土又ハ其ノ占領地ニ住居セス且供給品カ此等地方ヨリ来ラサルモノナルトキニ限ル
 ロ 警察又ハ民政ニ関スル勤務ニ服スルコト

   第四章 鉄道材料
第十九条
 中立国ノ領土ヨリ来リタル鉄道材料ニシテ該中立国又ハ私立会社若ハ個人ニ属シ及属スト認ムヘキモノハ必要已ムヲ得サル場合及程度ニ於テスルノ外交戦者ニ於テ之ヲ徴発使用スルコトヲ得ス右材料ハ成ルヘク速ニ本国ニ送還スヘシ
 中立国モ亦必要ナル場合ニ於テハ交戦国ノ領土ヨリ来リタル材料ヲ該交戦国カ徴発使用シタル程度以内ニ於テ留置使用スルコトヲ得
 右ニ関スル賠償ハ使用シタル材料及使用ノ期間ニ応シテ双方ニ於テ之ヲ為スヘシ

   第五章 附則
第二十条(以下省略)

 千九百七年十月十八日
http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/hc5.htm

 

 

…というのが、「中立国」を拘束する国際法上の規定である。

 

 まず確認しておかなければならないのは、どのような国家がここでは「中立国」と見なされているのか?という問題ではないだろうか。全体を見渡しても、「中立国」である要件を積極的に定義する条項は見当たらないように見えるが、ここでは、次の条文に注目してみよう。

第十一条
 交戦国ノ軍ニ属スル軍隊カ中立国領土ニ入リタルトキハ該中立国ハ成ルヘク戦地ヨリ隔離シテ之ヲ留置スヘシ

 ここにも明言されているわけではないが、「中立国」が「交戦国」に対比される形で、つまり「非交戦国」としてまず規定されていることを、条文から読み取ることが出来るであろう。それに加えて、

第十六条
 戦争ニ与ラサル国ノ国民ハ中立人トス

…との条文がある。この文言からは、「中立国」すなわち「戦争ニ与ラサル国」であることが理解可能である。

 つまり、「陸戦ノ場合ニ於ケル中立国及中立人ノ権利義務ニ関スル条約」において、条約上の「中立国」とされているのは、「戦争ニ与ラサル国(非交戦国)」だということになる。

 

 

 今回のテーマから焦点となるのは、

第七条
 中立国ハ交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出又ハ通過ヲ防止スルヲ要セサルモノトス

第十八条
 左ニ掲グル事項ハ第十七条ロ号ニ所謂交戦者ノ一方ノ利益ト為ルヘキ行為ト認メス
 イ 交戦者ノ一方ニ供給ヲ為シ又ハ其ノ公債ニ応スルコト

…という条項であろう。

 つまり、「事変」ではなく「戦争状態」であったとしても、ある国家が「中立国」であること、つまり「戦争ニ与ラサル国(非交戦国)」であることにより、「交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出又ハ通過」あるいは「交戦者ノ一方ニ供給ヲ為シ又ハ其ノ公債ニ応スルコト」が禁じられることはないのである。

 

 ただし、

第九条
 第七条及第八条ニ規定シタル事項ニ関シ中立国ノ定ムル一切ノ制限又ハ禁止ハ両交戦者ニ対シ一様ニ之ヲ適用スヘキモノトス

…ことは求められる。つまり国内法による「制限又ハ禁止」については、「両交戦者ニ対シ一様ニ之ヲ適用」しなければならないのである。

 

 

 それが国際法上の現実なのであった。

 

 

 

 

 つまり、たとえ日支間の「事変」が「戦争」であったにしても、「中立国」であることと「交戦者ノ一方又ハ他方ノ為ニスル兵器、弾薬其ノ他軍隊又ハ艦隊ノ用ニ供シ得ヘキ一切ノ物件ノ輸出」は両立するのであって、国際法上の問題とはならないのである。実際の第二次世界大戦でのケースでは、

  中立国スイスによるドイツへの精密機械の輸出

  中立国スウェーデンによるドイツへのボールベアリングの輸出

…の事実があり、それに対し連合国(英米空軍)は、スイス国内、スウェーデン国内の工場を意図的に「誤爆」することで対処していた、なんてエピソードもあるようである(飯山幸伸 『中立国の戦い』 光人社NF文庫 2005)。

 

 結局のところ、「中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題」という認識にこそ「問題」があるのであり、事実として「中立を守り蒋を支援し続けること」が国際法上の問題となることはない、ということなのだ。

 

 

                    (次回に続く)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/07/31 22:29 → http://www.freeml.com/bl/316274/143973/

 

 

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2010年8月11日 (水)

「事変」と「中立」

 

 

支那事変(日中戦争)前、というか中華民国建国・成立以前より、日本は中国大陸に軍の駐留権、その他権益を保有していたこと、中央政権を自称する勢力が多数存在し、対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、日本は在支日本人・権益・日本軍が度重なるテロ行為により脅かされた為に軍事力を行使したこと、その他支那側のあらゆる違法行為に触れていません。
これは明らかに第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張だと思いますね。
盧溝橋事件、度重なる停戦交渉、停戦協定、そして通州虐殺・・・それでも日本は停戦交渉を重ね、軍人が惨殺され、
その上での第二次上海事変ですよ?
通州も上海も日本軍の軍事力が無く、確実に民間の日本人が殺害できるシチュエーションを狙ってきている。
現在においても、このような仕打ちを受けながら容認する国があるでしょうか?
軍事力を行使しない国があるでしょうか?
敵対勢力を制圧せよ!と世論が爆発することが異常な事でしょうか?
たしかに支那事変は日本の国際的立場を危うくさせました。
しかし、その後の歴史が経緯を踏まえず断片的に断罪する事はいかがなものか。
中国を近代化させたのもまた日本です。
事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。
そもそも侵略者は軍事力によって日本を脅かし、先制攻撃をした支那側であり、日本は被害者なのです。
(詳細は、「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3e58.html コメント欄参照)

 

 

…という主張に対比する形で、支那事変前後の陸軍参謀本部の分析・提言を読み進めて来た(前回までの話)。

 

 

 あらためて言うまでもないこととは思うが、

  帝国が其欧米依存主義の是正を要求しつつ我れ自ら彼を欧米依存に追い込む奇現象を将来する結果となり誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし

  欧米の恐るるところは日本の所謂対支仁愛政策にして彼らの最も希望する所は民族相鬩ぐ日本の感情的圧迫政策なり

  我対支政策は日本的独我心を排除し日本的利益のみに終始する小乗的諸工作を一掃すべきなり

  之を新支那建設運動に転化せしむる一大動因は実に帝国が従来の帝国主義的侵寇活動を放棄し…

  此見地よりすれば必然新建設運動竝統一運動には援助の労を吝むべからざるは勿論侵略的独占的優位的態度の是正を要望せざるを得ざるなり

…という認識を示していたのは陸軍参謀本部なのであって、明らかに第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張などではない。それも、「第二次世界大戦」以前の段階での、陸軍参謀本部第二課の「主張」なのであった。

 

 

 

 

 さて、今回は、

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。

…というお説の当否について考えてみたい。

 これは正確な表現とは言えないだろう、と思う。

 私に言わせれば、

  「実質国家間の戦争行為」を「事変」と言ったのが日本だったことは明らかで(蒋介石の側も「戦争」として取扱うことはしなかったにせよ)、列強の蒋への支援を中立違反と考える行為にも論理的な問題があるのではないか?

…ということになる。

 

 

 

 事変であることの意味はといえば、戦争ではないということだ。

 この問題に関して、当時の大日本帝國が拘束されていたのは、まず、

 

 

戦争ノ抛棄ニ関スル条約

 …人類ノ福祉ヲ増進スベキ其ノ厳粛ナル責務ヲ深ク感銘シ
 其ノ人民間ニ現存スル平和及友好ノ関係ヲ永久ナラシメンガ為国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ率直ニ抛棄スベキ時期ノ到来セルコトヲ確信シ
 其ノ相互関係ニ於ケル一切ノ変更ハ平和的手段ニ依リテノミ之ヲ求ムベク又平和的ニシテ秩序アル手続ノ結果タルベキコト及今後戦争ニ訴ヘテ国家ノ利益ヲ増進セントスル署名国ハ本条約ノ供与スル利益ヲ拒否セラルベキモノナルコトヲ確信シ
 其ノ範例ニ促サレ世界ノ他ノ一切ノ国ガ此ノ人道的努力ニ参加シ且本条約ノ実施後速ニ加入スルコトニ依リテ其ノ人民ヲシテ本条約ノ規定スル恩沢ニ浴セシメ、以テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ノ共同抛棄ニ世界ノ文明諸国ヲ結合センコトヲ希望シ
 茲ニ条約ヲ締結スルコトニ決シ…

第一条
 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル

第二条
 締約国ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

第三条
 (略)

 千九百二十八年八月二十七日
http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/paris_convention_1929.htm

 

 

…であったと(国際法的観点からは)言えるだろう。いわゆる「不戦条約」である。

 第一次世界大戦の、当初の予想をはるかに超えた惨禍は、各国をして戦争自体の回避の試みへと向かわせたのであった。「国際連盟」の設立もまた、同じ経験から生まれたものである。そこでは、集団安全保障による戦争の回避が目指されていたわけだ。その調印国に、我が大日本帝國も名を連ねていたのである。

 つまり、「事変」であってそれは「戦争行為」ではないから「戦争ノ抛棄ニ関スル条約」違反は犯していない、ということなのだ。

 

 さて、「事変」であって「戦争」ではないと言い得る理由がどこに求められていたかというと、

 

 
開戦ニ関スル条約

…平和関係ノ安固ヲ期スル為戦争ハ予告ナクシテ之ヲ開始セサルヲ必要トスルコト及戦争状態ハ遅滞ナク之ヲ中立国ニ通告スルヲ必要トスルコトヲ考慮シ之カ為条約ヲ締結セムコトヲ希望シ…
…因テ各全権委員ハ其ノ良好妥当ナリト認メラレタル委任状ヲ寄託シタル後左ノ条項ヲ協定セリ

第一条
 締約国ハ理由ヲ附シタル開戦宣言ノ形式又ハ条件附開戦宣言ヲ含ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告ナクシテ其ノ相互間ニ戦争ヲ開始スヘカラサルコトヲ承認ス

第二条
 戦争状態ハ遅滞ナク中立国ニ通告スヘク通告受領ノ後ニ非サレハ該国ニ対シ其ノ効果ヲ生セサルモノトス該通告ハ電報ヲ以テ之ヲ為スコトヲ得但シ中立国カ実際戦争状態ヲ知リタルコト確実ナルトキハ該中立国ハ通告ノ欠缺ヲ主張スルコトヲ得ス

第三条 
本条約第一条ハ締約国中ノ二国又ハ数国間ノ戦争ノ場合ニ効力ヲ有スルモノトス
第二条ハ締約国タル一交戦国ト均シク締約国タル諸中立国間ノ関係ニ付拘束力ヲ有ス

第四条以下 (略)

 千九百七年十月十八日
http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/hc3.htm

 

 

…ではなかったかと思われる。
(日露戦争が、日本による宣戦布告なしの奇襲攻撃で開始されたことが条約化の背景にあった、との話もあるらしいが、事実関係については未確認である)

 

 「支那事変」においては、

  開戦宣言ノ形式又ハ条件附開戦宣言ヲ含ム最後通牒ノ形式ヲ有スル明瞭且事前ノ通告

…は存在しないし、

  戦争状態ハ遅滞ナク中立国ニ通告スヘク通告受領ノ後ニ非サレハ該国ニ対シ其ノ効果ヲ生セサルモノトス

…と規定されている「通告」も存在しない。

 それ故に、日支間に「戦争状態」は存在しないという理屈なのであったはずだ。

 

 

 

 論理から言って、「事変であって戦争ではない」以上、

  中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です

…という形で、「列強の行為」を「問題」にすることは出来ないのではないだろうか?

 特定の国家間が「戦争状態」にあることを前提とするからこそ、「戦争状態」にある国家に対し「中立」であることが宣言され得るわけなのであって、「戦争状態」にない国家に対しての「中立」を問題にすることは出来ないように思える。

 

…というわけで、

  事変と言っても実質国家間の戦争行為だった事は明らかで、中立を守らず蒋を支援し続けた列強の行為も問題です。

…というお説の当否に関しては、論拠が弱すぎるぞ、という感想を申し述べるしかないだろう。

 

 

                    (次回に続く)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/07/30 22:38 → http://www.freeml.com/bl/316274/143891/

 

 

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2010年8月10日 (火)

続々・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状

 

 陸軍参謀本部(第一部)第二課の作成文書を読むことにより、「支那事変(日中戦争)前」の陸軍参謀本部の現状認識の実際を確かめて来た。

 

 

 今回は、「支那事変」当時(「前」ではなく)の文書を読むことにしたい。

 当初は「北支事変」と呼ばれていた(つまり、ある程度の地域的限定性を前提とした呼称である)日支の軍事的衝突が拡大の様相を呈する中で、「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト称ス」(事変呼称ニ関スル件)との閣議決定(昭和十二年九月二日)により、全面的な日支の軍事的衝突へと立至ったという認識が表明されたわけである。

 ここに示すのは、それから二ヵ月後の「対支那中央政権方策」である。
 

 

 

     対支那中央政権方策
          (昭和十二年十一月二十一日 参謀本部第一部第二課)

     方針

一、現下時局解決のため現状に於ては尚中央政権(蒋政権若くは其継承政権)をして翻意我に提携せしめ全支の問題を統一処理するの方針を堅持す。
 此の際北支内蒙及上海等の問題は全支問題の部分として中央宗主権下に於ける範囲の存在として之を継承容認せしむ。
 本項の目的達成の為には現中央政権が一地方政権たるの実に堕せざる以前に於て長期持久の決心に陥ることなく其面子を保持して講和に移行する如く我諸般の措置を講ずるを要するものとす。
 右努力は主として本年内に尽くさるべきものなりとす。

二、前項目的達成のための努力奏功の望無きに到り南京中央政権飽く迄長期持久の策を執り事実に於て一地方政権たるに移行する場合には一時全支分裂主義を容認し各方面共反蒋反共政権を樹立し政略上の攻勢に転移す。
 本決心の時期は来年初頭と予想す。

三、南京中央政権の簒奪者発生したる時其全般的統制力を保有する場合には第一項の主旨に準拠し統制力局限せられある場合には第二項の主旨に準拠す後者の場合和を求むるとき之が処理は各方面毎に部分的に解決す。
  本項の事態発生したるときは其転機を誤らざるを切望す。

     理由

一、東亜経綸の大局的見地より
 静に支那本然の姿を観るに近世の歴史東西南北悉く侵略受難ならざるはなし支那人ならずとも排外の思想勃発せざるを得んや我亦友邦の為に之を憂ふる所以なり而して排欧米就中防共の問題は支那の為には国内の問題にして東亜のためには日支共同の関心事なり。
 東亜の経綸は支那の解放と日支の提携とより始まる而して支那最近最大の苦悩は日本の威力と「ソ」邦の赤化なるを思ふとき日本が支那を善導するに道を以てし所要の統一を助け其脅迫感を除くとき日支提携の大道此に通じ支那は欧米勢力就中赤化より自己を解放するに専念するを得べく近き将来に予想すべき諸般の事態に処して支那を以て東亜経綸の伴侶たらしむを得ん。

二、日支問題解決上の見地より
 日支全般の問題を根本的に綜合して解決し次期の東亜経綸に前進せんがためには支那に中央政権の存在を必要とし之がためには反省せる蒋政権若くは其継承政権の存続を必要なりとす。
 蓋し蒋政権(継承政権)の否定は彼等を反日の一点に飛び込み窮鼠反齧の勢を馴致し其崩壊と否とに拘はらず結局相当年月の間に亘る全支分裂の出現となるべく此の間必然的に「ソ」米英策源の推進と相俟ち此に永久抗争んため帝国は将来に亘り之に莫大の国力を吸収せらるべく且東洋を駆て欧米輩の好餌に供し東亜経綸の前途を誤る所以なればなり。
 以上の見地に基き若現政権倒壊したる場合に於ても可及的速に統一政権の樹立に努力すべきものなりとす。
 而して現政権一派の真の翻意に関する可能性は寧ろ将来に於ける我が国力の充備と我が対支政策とに懸る問題にして既に日本の威力と欧米の不信とを体験したる今日抗日の不利を認め過酷ならざる条件下に講和に入らんとしあることは想像に難からざる所なりとす。
 現政権が講和条件を現実に履行せざる場合若は戦後支那内部の事情と我所期と異なる場合には一時分裂(反蒋)主義を認容すべく此の際之が実行を可能ならしむる為には講和の際に於て其条件を保障として確立し置くべきものなりとす。

三、防共上の見地より
 支那赤化を最少限度に極限するが為には中央現政権一派の統制力崩壊するの依然に於て本事変を終結するを可とし又赤化の駆逐には事変後の将来に於て現中央政権一派をして西面せしめ之を赤系分子の清掃に推進するを以て東亜経綸大局上の上策とすべし。
 蓋持久長きに従い蒋勢力の衰微と共に分裂の形勢を馴致し赤禍の台頭を予想すべく又何れの型式なるに拘らず講和発生の場合には赤系分子は分離して奥地に残存すべければなり。
 而して最悪の場合依然として排日統一政権の存続することあるも之が容共ならざる限り其我に対する不利は分裂に乗ずる赤化が日満両国に及ぼす禍害に比ぶれば尚軽易なるものと謂ふべし。

     (現代史資料 9 『日中戦争 2』 みすず書房 1964)

 

 

 

 

 盧溝橋事件後、南京攻略戦以前の段階での、参謀本部の認識(ホンネと言うべきであろう)がここに記されている。

 

 

 

  静に支那本然の姿を観るに近世の歴史東西南北悉く侵略受難ならざるはなし支那人ならずとも排外の思想勃発せざるを得んや我亦友邦の為に之を憂ふる所以なり而して排欧米就中防共の問題は支那の為には国内の問題にして東亜のためには日支共同の関心事なり。
  東亜の経綸は支那の解放と日支の提携とより始まる而して支那最近最大の苦悩は日本の威力と「ソ」邦の赤化なるを思ふとき日本が支那を善導するに道を以てし所要の統一を助け其脅迫感を除くとき日支提携の大道此に通じ支那は欧米勢力就中赤化より自己を解放するに専念するを得べく近き将来に予想すべき諸般の事態に処して支那を以て東亜経綸の伴侶たらしむを得ん。

 

…とあるわけだが、ここにある、

  近世の歴史東西南北悉く侵略受難ならざるはなし支那人ならずとも排外の思想勃発せざるを得んや

  而して支那最近最大の苦悩は日本の威力

…という二つの認識を、参謀本部自身が示しているという歴史的事実は、深く噛み締めておくに値するだろう(決して「東京裁判史観」とやらではないのだ)。「支那最近最大の苦悩は日本の威力」との言葉で、大日本帝國の存在が(それまでの支那における振る舞い自体が)、支那における「排外の思想」(日本にとっては「排日・抗日」の運動として立ち現れた)の源泉として位置付けられているわけである。

 

 

 本来、対ソ戦を目指して構築された大日本帝國陸軍にとり、支那事変の拡大は、対ソ軍備充実への障害となるものでしかなかった。

 既に、「対支実行策改正意見」(昭和十二年一月六日)において、

1、帝国の対支強圧的又は優位的態度を更改し真に友情的対等的たらしむ
2、北支特殊地域なる観念を精算し之を五省独立の気運に誘致するが如き方策を是正し現冀察政権の管掌する地域は当然中華民国の領土にして主権亦中央政府に在る所以を明確にす

…と、それまでの対支政策からの転換姿勢を示していたように、参謀本部第二課では、従前の「帝国」による南京政権の統一妨害方策の限界を認識し、つまり南京政権の現実の支配力を認める方向にあった。

 それゆえに、

  支那に中央政権の存在を必要とし之がためには反省せる蒋政権若くは其継承政権の存続を必要なりとす。

  蓋し蒋政権(継承政権)の否定は彼等を反日の一点に飛び込み窮鼠反齧の勢を馴致し其崩壊と否とに拘はらず結局相当年月の間に亘る全支分裂の出現となるべく…

…との認識が、この「対支那中央政権方策」においても繰り返し示されているわけである。

 

 

 

 しかし、現実には、この後の大日本帝國は南京攻略戦を選択し、「蒋政権ヲ対手トセズ」の声明まで出すに及んで、

 

  蓋し蒋政権(継承政権)の否定は彼等を反日の一点に飛び込み窮鼠反齧の勢を馴致し其崩壊と否とに拘はらず結局相当年月の間に亘る全支分裂の出現となるべく此の間必然的に「ソ」米英策源の推進と相俟ち此に永久抗争んため帝国は将来に亘り之に莫大の国力を吸収せらるべく且東洋を駆て欧米輩の好餌に供し東亜経綸の前途を誤る所以なればなり。

 

…という通りの展開を、自ら歩むことになったのであった。

 

 結局、対ソ戦準備は画餅に終わり、用意もないままに対米英戦へと突き進んでしまった結果が、あの未曾有の敗戦である。東亜経綸の前途を誤り、我が国体の前途さえ危うい状況を招いたわけである。 

 

 

 

 

 「第二課」のスタッフの慧眼には敬意を払っておくべきであろう。

 

 

 

 

 それまでの参謀本部第一部第二課を統括していたのは石原莞爾であり、その戦略的思考が反映されてこその「対支那中央政権方策」であったわけでもある。

 しかし、同時に、あの謀略的で軍中央の指示を無視したところで達成された「満洲事変」の立役者である石原による、支那における事変の不拡大の主張が、最終的に帝國陸軍軍人多数派に支持されることなく終わったのも皮肉かつ悲劇的な事態であった。「満洲事変」の首謀者の事変不拡大方針が、戦略的思考の欠如した帝國陸軍軍人への説得力を獲得することなど無理な話だった、ということであろうか?

 その意味では、支那事変の拡大を生み出したのは満洲事変の(当面の)成功なのであった。大東亜戦争の起源としての満洲事変という構図として描くことも可能に思える。

 満洲事変までの大日本帝國陸軍による国境線防衛任務は朝鮮北部と樺太に限定されていたのだが、満洲事変の結果、満洲国の北部にはソ連との長い国境線、満洲国の南部には中国との長い国境線が、帝國陸軍の新たな国境防衛任務の対象として加わってしまったのであった。ソ連の視点からすれば、満洲南部の国境をめぐる日支の軍事的対立は、ソ満国境における関東軍の軍事行動を抑制的に拘束するものとして歓迎されることになる。支那事変の際の、中国政府に対するソ連の軍事的支援には、そのような戦略的意味があることに留意しておくべきだろう。また、満洲事変の結果は、中国大陸における米国の門戸開放・機会均等(という名の下での権益獲得)政策の障害となるものであり、その後の日米対立の出発点でもあった。支那事変の拡大もまた、米国の機会均等・門戸開放路線への障害として位置付けられ、日米対立は深化することになる。

 そのような意味で、支那事変の拡大の起源、大東亜戦争の起源には、確かに満洲事変が位置付けられるのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/10 07:54 → http://www.freeml.com/bl/316274/144651/

 

 

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2010年8月 9日 (月)

続・陸軍参謀本部ノ観察セル支那ノ現状

 

 前回に引き続き、陸軍参謀本部による「支那事変(日中戦争)前」の現状認識が実際にどのようなものであったのかについて、参謀本部自身(参謀本部第一部第二課)の作成文書により確認しておきたい。

 

 

  

     対支政策の検討(案)
          (昭和十一年九月一日 参謀本部第二課)

一、皇国の外交政策は国防国策大綱に於て已に明示されあり即ち近き将来に於て皇国は名実伴ふ東亜の盟主たらざるべからず之が為国内革新と相俟ちて真に弱小諸民族を抱擁し幇助し彼等をして皇国の真の姿を知らしめ皇国を賛仰せしむるに足る仁愛侠義の政策を実行せざるべからず

二、今対支政策を此見地より考察するに
1、支那国民性と四億を擁する民族社会、換言すれば半法治たる支那国との分別を不知不識の間に混淆して政策を行ふことなきや
2、現代軍政権の分析に急にして裏面に於て軍政権を支持し徐ろに東亜民族の分裂を策する欧米の野望を考察することの足らざることなきや前者は其国民性が日本国民性と相容れざる点より理非を超越して軽侮し極端なるものに至りては動物的観察が支那知識の窮極の如く論ずるものあり之を直ちに政治的日支国家間の諸問題に移すが故帝国が其欧米依存主義の是正を要求しつつ我れ自ら彼を欧米依存に追い込む奇現象を将来する結果となり誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし、後者は前者と関連して民族相鬩ぐの謀計に陥り前者に於ける日本朝野の一大覚醒なくんば東亜聯盟の如き一口号に了らんのみ換言すれば欧米の恐るるところは日本の所謂対支仁愛政策にして彼らの最も希望する所は民族相鬩ぐ日本の感情的圧迫政策なり

三、若し夫れ皇国が不断の圧迫政策によりて対支政策を進捗せしめんとせば
(1) 強制すべき理想を有せざるべからず
 此理想は冒頭論ぜるが如く道義に立脚せる民族扶助にして此間感情的国民性論の介入を許さず凡有方面より之を扶け以て皇国の一大決勝戦を準備すべきこと恰も現満洲国に於て満軍を凡有手段により関東軍の友軍とするが如く不撓不屈の自省心と侠義仁愛の道徳的政策ならざるべからず
 更に具体的に論ずれば我対支政策は日本的独我心を排除し日本的利益のみに終始する小乗的諸工作を一掃すべきなり是を以て皇国々内満洲北支に於ける理想実現こそ対支政策の根源なるべく此理想実現なくして強制圧迫政策の如き意義なきを知るべし
(2) 此圧迫政策を強行せんとせば強制するに足る実力を有せざるべからず
 結局に於て南京政府を撃破屈服せしむるの覚悟を要す
 イ、今対支戦争を開始するとせば彼我の形勢頗る不利と謂はざるべからず
  (詳細略す)
  (奈翁を亡ぼせるものは西班牙なるを反省せよ)
 ロ、対蘇戦争は英米の好意を有せざれば不可能に近し
 ハ、英米との関係良好なる場合対蘇戦争行はるるも支那の向背は我に対し決定的ならず

四、国防国策大綱に基く皇国の維新は全国力の合理的運用を要求す従て軍は独我小乗の見を棄て全国力の総動員に俟つべく外交の如き須く外交官に一任し軍は軍自体の職分に邁進し若し対支観察に於て研究に於て外交官より優れたるものあれば之を外交官に教へ与へ以て外交を援助すべき也
 試みに支那側より対日観察せんか軍あり軍の中に陸海あり而して外交官あり何れに従ふべきか其去就に迷ふ反面彼らの最も得意とする反間苦肉の計に陥ることあるべく由来外交は一元なり然るに外務軍務に岐るる其因由固より已むを得ざるものありしが軍も今日に於ては自省して外務使臣を助け其職分を奪ふが如きことなき様深く謹まざるべからず

五、結語
 対支政策の根源は一、満洲国の王道楽土的建設、二、日本民族の仁愛侠義の道徳的政策、三、報復を要求するが如き打算政策の打破、四、支那を繞る欧米勢力の撃滅準備是れ也而して出先軍部は常に一旦緩急の場合に即応する純作戦的調査偵諜業務を主任務とすること当然ならざるべからず

     (現代史資料 8 『日中戦争 1』 みすず書房 1964)

 

 

 

 

 昭和11年9月の時点での、参謀本部第二課による分析・提言である。

 以下に抜書きした反省が、その後の政戦略の策定において生かされていれば、支那事変の拡大もなく、三国同盟締結の必要もなく、南方進出を急ぐ理由もなく、対米英戦を始めることにもならず、昭和20年8月15日の「玉音放送」を迎えることもなく、東アジアの植民地保有国として大日本帝國は存続していたはずである。たった4年間の対米英戦で、靖国に200万を超える新たな英霊を加える必要はなかったのである。もちろん、「ヒバクコク」となることもなかっただろう。

 

 参謀本部第二課作成の文書中に見出されるのは、

 

  支那国民性と四億を擁する民族社会、換言すれば半法治たる支那国との分別を不知不識の間に混淆して政策を行ふことなきや

  其国民性が日本国民性と相容れざる点より理非を超越して軽侮し極端なるものに至りては動物的観察が支那知識の窮極の如く論ずるものあり

  帝国が其欧米依存主義の是正を要求しつつ我れ自ら彼を欧米依存に追い込む奇現象を将来する結果となり誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし

  欧米の恐るるところは日本の所謂対支仁愛政策にして彼らの最も希望する所は民族相鬩ぐ日本の感情的圧迫政策なり

  我対支政策は日本的独我心を排除し日本的利益のみに終始する小乗的諸工作を一掃すべきなり

  皇国々内満洲北支に於ける理想実現こそ対支政策の根源なるべく此理想実現なくして強制圧迫政策の如き意義なきを知るべし

  奈翁を亡ぼせるものは西班牙なるを反省せよ

  従て軍は独我小乗の見を棄て全国力の総動員に俟つべく外交の如き須く外交官に一任し軍は軍自体の職分に邁進し若し対支観察に於て研究に於て外交官より優れたるものあれば之を外交官に教へ与へ以て外交を援助すべき也

  試みに支那側より対日観察せんか軍あり軍の中に陸海あり而して外交官あり何れに従ふべきか其去就に迷ふ

 

…のような言葉であった。

 実に味わい深い観察・分析ではないだろうか?

 大東亜戦争に至る大日本帝國の抱えていた弱点が、大東亜戦争を未曾有の敗戦へと導いた大日本帝國の抱えていた構造的弱点が、ここに網羅されているようにさえ思える。

 

 

 

 大東亜戦争に至る祖国の歴史、そして未曾有の敗戦という亡国の事態に至る祖国の歴史を反省的に見ようと志す者にとっては、この陸軍参謀本部作成の文書は大きな示唆を与えるものであるはずだ。

 歴史を、ただひたすら自己礼賛の道具として取扱おうとする者達(誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし)には、「都合の悪い真実」となるに違いないにせよ…

 

 

 さて、ここではもう少し、「都合の悪い真実」に向き合う作業を続けることにしよう。 

 

 

 

    帝国外交方針及対支実行策改正に関する理由竝支那観察の一端
          (昭和十二年一月六日 参謀本部第二課)

一、西安事件を楔機として隣邦支那は次の二の観点に要約せらる
一は内戦反対の空気の醞醸せること二は国内統一の気醞の醸製せられたること而して二者は共に自然発生的傾向を有す

二、右ニ個の事態は互いに表裏を形成し満州事変及北支問題によりて拍車づけられ逐次軍閥争覇時代を経由せるが如し
 更に之を分析すれば現代支那の上部機構は衆知の如く軍政党の三部門に分れ軍は封建割拠の姿勢を持すと雖政及党力は克く大乱の導引を禦ぎあり政力最も活発なるときは必ず列強角逐の事態を従伴し党に至りては其力の緩急により或は軍に抑へられ或は軍政を抑ゆることありと雖最近の党力の普遍浸透性は啻に藍衣社系CC団系励志社等手製傍系組織以外に民衆特に青年層を風靡し最も注目すべき横断層を成形するに至れり

三、帝国は何を以て右党力を重視すべきか他なし其発生因由及過程に於て第三国特に共産党との連関ありと雖党の一変体とも称すべき抗日人民戦線派の実体は正当なる新支那建設運動に転化せらるべき多大の期待を有するにあり
 之を新支那建設運動に転化せしむる一大動因は実に帝国が従来の帝国主義的侵寇活動を放棄し純正大和民族としての誠心を同策に反映せしむることに依りて決す

四、如此き事態に立到り日支現下の先鋭深刻状態を正道に入らしめなば必然帝国々是たる日支提携特に日支経済提携の実手段を要望せざるを得ざるに至るべし

五、之を国防国策大綱に照応せしめんか対外一大決戦前に於ける対支政策は実に叙上外交政策と吻合するものにして曩に当課より一案として「対支政策の検討」を提案せる所以茲にあり

六、惟ふに帝国々策は国策大綱に示されあるが如く東亜聯邦を成形し支那を東亜聯盟の一員たらしむるにあり
 支那を右聯邦の一員たらしむる為には先づ帝国の政策をして大御心を奉戴する大義公正に則らざるべからず此見地よりすれば必然新建設運動竝統一運動には援助の労を吝むべからざるは勿論侵略的独占的優位的態度の是正を要望せざるを得ざるなり
 右方針に立脚する皇国の真諦根幹は悠久にして欧洲流外交国策は一時的成果を追ふ非道義的なることを判別せざるべからず

七、本改正意見固より帝国外交官憲の管掌する所なるも既往軍部の意思が対支外交に於て骨幹を為せる見地よりして一大転向を軍自ら行ふの責を有す

八、主要列強に対する外交は帝国の東亜経綸を以て中枢として調整すべきが故本理由は主として対支外交に就て述べたり

     (現代史資料 8 『日中戦争 1』 みすず書房 1964)

 

 

 

 これも、昭和12年初頭の参謀本部の認識、ということになる。

 前回にもご紹介した、「南京事件否定論への視点 2 便衣兵の姿」(http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3e58.html)へのコメントを思い出そう。南京事件(こちらは昭和12年12月の話だ)を取上げた記事をめぐり、コメント主は当時の歴史的背景として、

 中央政権を自称する勢力が多数存在し、

 対日本以前から血みどろの内戦を繰り広げていたこと、

…を主張していたのだが、

一、西安事件を楔機として隣邦支那は次の二の観点に要約せらる
 一は内戦反対の空気の醞醸せること
 二は国内統一の気醞の醸製せられたること
 而して二者は共に自然発生的傾向を有す
二、右ニ個の事態は互いに表裏を形成し満州事変及北支問題によりて拍車づけられ逐次軍閥争覇時代を経由せるが如し

…と、当時の参謀本部第二課は、「支那事変(日中戦争)前」の大陸の現況を評価していたのである。

 これは明らかに第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張…

…などではないのだ。

 

 

 隣邦支那の「内戦反対の空気」、そして「国内統一の気醞」が「拍車づけられ」た背後には、「満州事変及北支問題」が存在すること、つまり、大日本帝國の中国大陸における露骨な権益追求姿勢が存在することを、参謀本部自身が認めているのである。

 その上で、

 之を新支那建設運動に転化せしむる一大動因は実に帝国が従来の帝国主義的侵寇活動を放棄し…

…と主張しているのだ。なんと、ここでは、それまでの自らの祖国(そして陸軍自身)の振る舞いに関し、「帝国が従来の帝国主義的侵寇活動」とまで言い切っているのである。

 

 また、

 最近の党力の普遍浸透性は啻に藍衣社系CC団系励志社等手製傍系組織以外に民衆特に青年層を風靡し最も注目すべき横断層を成形するに至れり

…とは、つまり、国民党傘下の組織の枠組みを超えて、蒋介石政権への支持が拡がっているとの認識である。

 であるからこそ、

 此見地よりすれば必然新建設運動竝統一運動には援助の労を吝むべからざるは勿論侵略的独占的優位的態度の是正を要望せざるを得ざるなり

…という言葉が発せられるわけである(ここでも「侵略的独占的優位的態度」との表現が用いられている)。

 

 

 

 第二次世界大戦戦勝国側、連合国側の主張ではまったくない視点から、かつての大日本帝國の歴史を確認しておきたい。

 亡国の事態に至った祖国の歴史(国体の精華としての敗戦?)を直視する覚悟がない者達(誠に自省分別の足らざるものと謂ふべし)には縁のない話なのかもしれないが…

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2010/08/09 08:06 → http://www.freeml.com/bl/316274/144544/

 

 

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