カテゴリー「本を買う」の記事

2009年10月21日 (水)

秋の空の下、アウトサイダー作家の誕生?

 

 さすがに、10月もここまで来ると、夏の名残もない。

 
 

 夏の初めに、学生の企みに乗せられて写真展を…、というような話を書いた。
  (→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/lachrimae-7864.html

 
 

 メールのやり取りの結果、11月24日~12月5日という会期での開催が決定。

 そろそろ準備も本格的に始めなければならない。

 
 
 
 

 ところで、学生の作った企画書の「作家紹介」が、家族的にウケた。

 その最後が、

 正規のアート教育を受けていないアウトサイダー作家である。

という言葉で結ばれているのだった。

 

 「アウトサイダー・アート」と呼ばれるジャンルがあるのだ。近年注目の対象となっているジャンルである。
  (→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88

 『ウィキペディア』の記述中にもある、世田谷美術館の「パラレル・ヴィジョン」展には、私も足を運んだものだ。そして『ウィキペディア』の記述中にもある通り、展示作品の中での精神障害者の作品の比率は高い。

 
 

 特に、子どもや、正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に
 作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。なお、デュビュッフェの作品を
 アール・ブリュットに含める場合もある。

 

という意味では、私の写真は仕事ではないし、「作品」として人に見せることを考えたものではないし…と考えれば、「アウトサイダー・アート」と呼ぶことも出来るのだろう。

 しかし、そもそも私の撮った写真は「芸術」なのか?

 そんな意図すらないのである。まぁ、他人が決めることなんだろうけれど…

 しかし、やっぱり「アート・芸術」というものが、そもそもよくわからないものではないか、と言わざるを得ないわけだ。誰がそれを決めるのか?つまり、誰が対象となる何かを「アート・芸術」として認定するのか?誰にその資格があるのか?

…と考え出すと(ここでそれを考え始めてしまうところがいかにも「私」なわけだが)、何を「作品」と呼び「アート・芸術」と認めるのか、というのは簡単な問題ではないことが理解出来るだろう。

 

…というメンドーな話はこのくらいにして、「アウトサイダー作家」と呼ばれてしまったことは、個人的には(そして家族的には)面白いことなのであった。

 「作家」であるかどうかは別として、「アウトサイダー」であることは、確かに自分の人生での選択であったという意識があるからだ。要するに、オレは日本の世間には参加しないよ、というのが若き日の我が決意であったわけである。

 そういう意味で、確かに「アウトサイダー」であることは、自明のことだったわけだ。

 

 その「アウトサイダー」としての私が、カメラを手にしシャッターを切ることを生活の一部としていた、ということなのであった。カメラにフィルムあるいはメモリー・カードが入っていれば、シャッターを切った後には写真が残されるのである。

 それがギャラリーという場で展示されることによって「作品」と呼ばれ、結果として撮影者が「作家」と呼ばれることになる、というのが理解としては妥当なことなのかも知れない。

 
 
 
 

…と、まぁ、書き出したら長くなってしまったが、古本購入記を書いておくのが今夜の日記の予定であった。

 で、今からそれを始める。

 家族総出で、家の本(私のではない本)の処分のために、駅の向こうの古書店(チェーン店)まで出かけたわけだ。そこで買ってしまった本、というわけである(毎度の話だが)。

 
 

 ジョアン・フォンクベルタ + スプートニク協会 『スプートニク』 (筑摩書房 1999) 2600円→1300円
 松本昭夫 『精神病棟の二十年』 (新潮文庫 2001) 400円→200円
 井上嘉大&D.T.Wプロジェクト 『忘れられた大日本帝国 1936』 (英知出版 2005) 2667円→1250円
 加藤恭子 『昭和天皇と田島道治と吉田茂  初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から』 (人文書院 2006) 2500円→1050円
 田中孝彦 青木人志 編 『〈戦争〉のあとに ヨーロッパの和解と寛容』 (勁草書房 2008) 2800円→1550円

 

 ここまでが古本。

 その後で駅上の書店で新刊本として、

 ロベルト・エスポジット 『近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治』 (講談社選書メチエ 2009) 1800円

も買ってしまった。ナチスの安楽死計画への言及があるにとどまらず、全体として私のテーマと重なる内容となっているようだ。

 
 

 古書中の『スプートニク』は、帰宅してからあらためて見たら、

 本書「スプートニク」は、解説を除き、すべて作者ジョアン・フォンクベルタ氏によるフィクションです。

と書いてあった。その解説の執筆者は荒俣宏氏であった。

 ウマシカ氏による「陸軍冬期戦研究所」バナシの大掛かりなものなのであった。感動した!!

 

 『精神病棟の二十年』は、

 私は昭和三十一年、21歳の時に精神分裂病に罹患した。当時私は大学受験を控え、東京目黒の下宿で、勉強にうちこんでいた。
 以来七回、前後約六年間にわたり、東京、札幌、旭川の精神病院に入退院をくり返してきた。旭川のT精神病院を最後に退院したのが、昭和五十年九月、その日から五年が過ぎた。
 精神病院の一日一日は、私にとってすべてが空しく、無意味で、苦々しい時間であった。
 その失われた歳月はたとえようもなく惜しいが、もはや返ってはこない。
 私はいま四十五歳である。生地に近い旭川市の小さな出版社に勤め、営業マンとして働いている。一度離婚して以来、約十年ほど独身生活をしていたが、最近再婚もした。
 これから後、自分の病気が決して再発することがないことを希っている。信じている。祈っている。
 私ぐらい愛について魯鈍な者もいなかったのではないだろうか。私は愛を受け取ることばかりに長じていて、愛を与えることはまるで幼児より下手だった。…

という文章で始まる、松本昭夫氏による自身の記録である。

 これから後、自分の病気が決して再発することがないことを希っている。信じている。祈っている。

という、「希っている。信じている。祈っている」と重ねられた表現に、ご自身の年月が集約されているように思える。

 

 『忘れられた大日本帝国 1936』はDVD2枚付きの資料集として、『昭和天皇と田島道治と吉田茂』はタイトルが内容を語っているだろう。

 『〈戦争〉のあとに ヨーロッパの和解と寛容』は、第一次世界大戦後、第二次世界大戦後、冷戦終結後、という三度の「戦後」をテーマとした論文集。頭の整理に。

 
 
 
 

で、話は冒頭に戻る。

 帰宅後に、これを書くためにココログの記事を久しぶりにチェックした際に、文中でサヴァールの演奏の紹介をしていたことに気付いた。

Jordi Savall, Hespèrion XXI - Lacrimae Pavan, J.Dowland (1563-1626)
 → http://www.youtube.com/watch?v=g2uA4msplTg&feature=related

 

 写真展を企画した学生によれば、サヴァールの姿はウマシカ氏に似ているらしい。

 鼻の形が違うような気がするが、ヒゲ、メガネ、マユゲ、ヘアスタイルについては、確かに似ているようにも思えた。

 で、最後に、サヴァールの演奏のオマケ。

 

Diego Ortiz: Recercada quarta sobre la folia / Jordi Savall
 → http://www.youtube.com/watch?v=egQ5TtE7E9I&feature=related
Anonymous: La Folia ( XV century ) / Jordi Savall
 → http://www.youtube.com/watch?v=uUeLAF54m_U&feature=related

 
 
 
 
 
 

 

 
 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/10/12 19:28 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/118924

 

 

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マイナスの後のプラス

 

 結局、隣町の隣町まで出かけてしまった。

 
 
 

 家族が、本を処分するというので、ついて行ったわけだ。

 しかし、地元の古書店がなぜか軒並み休み(って2軒しかチェックしてないけど)。

 駅上で、コーヒーにケーキで一服しながら話すうちに、国立まで行くことに決定。

 古本屋もあるし、なんと言っても新刊本の増田書店がある。しばらく行っていないので、地元で手に入らない本の探索をしたいところだったのだ。

 
 

 まず、南口駅前左側の古書店。

 近代文学館による名著復刻全集の、

 内田魯庵 『文学者となる法』 (右文社 明治二十七年 ほるぷ出版 昭和54年) 200円
 大須賀乙字選 『碧梧桐句集』 (俳書堂 大正五年 ほるぷ出版 昭和54年) 200円

の2冊が、店頭の棚でそれぞれ200円。魯庵のは、傑作(皮肉の効いたお笑いの)なので、前から欲しかったもの。河東碧梧桐は、一応は「ご親戚」らしいので、一冊欲しかったというわけ。

 

 店内で、

 森松俊夫 『図説陸軍史』 (建帛社 1991) 2500円→1500円
 竹内浩三 『戦死やあわれ』 (岩波現代文庫 2003) 1000円→400円

という二冊。

 「現代史のトラウマ」ネタ系ということか。

 他にも気になる本がいろいろあったけれど深追いはナシにする。

 
 

 次に、南口右側の大型古書店(チェーンのヤツ)。ここでウチの本が処分される(私のは入っていない)。

 つまらない本ばかりの店。DVDコーナーで余計なものを買ってしまう。

 ヴィルヘルム・テーレ監督 『ガソリンボーイ三人組』(1930 ドイツ) 500円
 ジェームズ・マクティーグ監督 『V フォー・ヴェンデッタ』(2006 イギリス) 500円

 30年代ドイツの音楽映画と、21世紀イギリスの近未来映画。

 後者の原作コミックスは昨年の娘への誕生日プレゼントだったので、今年はDVD版をプレゼント、ということにしてしまう(誕生日は6月だったんだけど…)。

 
 

 そして増田書店へ。

 佐藤卓巳 『八月十五日の神話 -終戦記念日のメディア学』 (ちくま新書 2005)
 田中利幸 『空の戦争史』 (講談社現代新書 2008

 読みたかったが、地元書店になかった二冊。古書店でもめぐり合えなかった二冊が、ちゃんと売り場に並べられていた(しかし、どちらも専門書ではなくありふれているはずの「新書」でしかないのだが)。

 後はNHKブックスの、吉田敏浩『反空爆の思想』(2006)があればカンペキだったのだが…

 

 その他、欲しい新本が次から次へと並べられているのに出会える極上書店なのだ(つまり、危険地帯である)。

 
 
 

…と、本日も本を増やしてしまいました日記。

     (売りに出かけたはずが) 

 
 
 
 
 
 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/09/07 00:31 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/115363

 

 

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2009年9月 5日 (土)

死霊と帝国陸軍と小泉改革とマルクスと老人性痴呆の関係…?

 

 埴谷雄高  負けず劣らずじゃないでしょう。僕はずっと君より前なんだから。三十年も前からですから、深さというものは三十年分僕の方が深いわけですよ。だから、君がいくら言っても僕の方が老人性痴呆は深い、大丈夫。

 北杜夫  それは普通の年齢から言えば、人は当然そう思うだろうけど、埴谷さんの脳細胞は僕の百倍多いですから、僕ら老人ボケしても、脳細胞が…

 埴谷  あなた、医者らしくないこと言うね。脳細胞が百倍の多いなんていったら超人ですよ。そんなものはあり得ないよ。

 北  埴谷さんは、だから、ニーチェの超人(イーバーメンシュ)だと言っているんですよ。異論がありますか。

 埴谷  それはニーチェが言っただけで実在しません。

 北  ニーチェは梅毒になったから、超人だなんて言い出したんですね。

 埴谷  まあね。梅毒になれば、何にでもなれますよ。そりゃ神様にでも何にでもね。

 北  つまり梅毒というんじゃなくて、梅毒からくる進行麻痺という精神病者になりましたからね。だからニーチェは「我はいかにしてかくも良著を書くか」なんてことを書いているでしょう、自分で。あれは進行麻痺の誇大妄想です。文章はいいですね。幾ら気が違っても。

 埴谷  気が違うような人は、ヘルダーリンという人もそうですけど、みないいですよ。だから気が違う場合はやはり脳細胞が初めは少し多いのかもしれない。少しは多くて、そういう人が発狂するということはあり得るね。だけれど、老人性痴呆になるのは脳細胞が多いとは言えなくて少ないんじゃないでしょうか。

 北  いや、今、老人性痴呆の問題は大問題になっているんですよ。

 埴谷  そうですね、老人問題、今、大問題だけど。

 北  寿命が長引いたから、必然的に一番大事な問題になっていますね。

 埴谷  僕だって、もうことしの12月で七十七歳ですよ。あなた、七十七歳まで生きると思わなかったのに生きちゃった。これではもうボケるのは当たり前ですよ。

 北  七十七っていうのはラッキーナンバーじゃないですか。百七歳まで生きてください、ぜひ。

 埴谷  (笑)いや、百七歳は、これはもう…

 北  大ボケになって、もっと大妄想を起して、無限大の無限大の無限大の最無限大になられますからね。

 

…と『死霊』の作家と、マンボウ先生の滅裂な対談は続くのだった。

 

 埴谷雄高 北杜夫 『難解人間 vs 躁鬱人間』 (中公文庫 2009 ただし原著刊行は1990)の話。

 

 

 今日は仕事が休みで、家族と駅まで出たついでに購入してしまった。

 

 他に、

 黒野耐 『帝国陸軍の〈改革と抵抗〉』 (講談社現代新書 2006)

 加藤聖文 『「大日本帝國」崩壊 東アジアの1945年』 (中公新書 2009)

 Pen 8/15号 (阪急コミュニケーションズ No.250 2009)

も購入。

 

 こちらは、「現代史のトラウマ」系購入本。

 

 『帝国陸軍の〈改革と抵抗〉』の著者は、「はじめに」の文中で、平成の「小泉改革」に言及している。

 だが小泉改革には、法案を通すため抵抗勢力に妥協して改革の質を低下させたきらいがあること、市場の競争原理を重視するあまり社会的格差を拡大しつつあるという問題点もある。こうした改革にともなう副作用よりも問題なのは、改革完成時の日本の全体像が国民にわかりやすく示されていないこと、そこに至る道筋や政策体系がいまだに定まっていないことである。
 小泉改革はその突破口を開くまでに政権発足から約四年もの歳月を費やし、その任期は本書執筆中の現在、残りわずかでしかない。したがって、日本の将来は後継政権が小泉改革の歪みを是正し、改革完成後の日本の姿とそれに至る全体的な道筋を国民にわかりやすく示し、改革をひきつづき強力に推進できるかどうかにかかっている。

…という記述は、2006年の「本書執筆」時点以後の政治の展開とその帰結を知ってしまった2009年の私達には、一層味わい深いものとして読まれることになるわけだ。

 

 雑誌「Pen」の出版元が、阪急コミュニケーションズだということは、実は、これを書くまで知らずにいた。

 本号の特集は「神秘の海へ」なのだが、それ目当てではない。小特集が「中国の反体制アーティスト アイ・ウェイ・ウェイ」となっていて、こちの方が気になっていたのだが、これも直接のお目当てではない。

 書評の文章が、(図書館で)読んで面白かったので手元に、なんて思ってしまったのだ。好きな雑誌なのだが、自宅内収納スペースの関係で、最近はほとんど買うこともなくなっていたのに。

 ライター(という肩書きの)、今泉愛子さんが取り上げているのは、なんと、

 不破哲三 『マルクスは生きている』 (平凡社新書)

なのであった。

 あの日本共産党の、あの不破哲三氏の著書なのだ。今泉さんによれば、不破氏がその著作で書いているのは、

 マルクスはなぜ誤解されやすいのか。60年以上にわたって研究し続けてきた著者は、マルクスを、どんな研究についても自分の到達点に安住しない人だった、と記す。それなのに、マルクスの理論の一部を知っただけで、自らを「マルクス主義者」とする学者の何と多いこと。マルクス自身も「それがマルクス主義であるならば、私はマルクス主義者ではない」と口にするほどだったらしい。マルクスの思想は、常に発展した。そんな思想家としての偉大さも見えてくる。
 さらに興味深いのは、日本共産党の書記局長、委員長、議長を歴任した著者が、ソ連とはいかなる存在であったかについて言及する部分。農民を集団で管理するやり方は、社会主義とは言えないとし、政府の体質化した覇権主義を徹底的に非難する。

というようなことであるらしい。

 マルクスの著作が経典化し、その解釈を党が独占するのが、かつて存在した共産主義国家の常態であった。そのような行為はマルクスの思想とは関係ないよ、と不破哲三氏は言っているということらしい。

 

 

 2009年の9月のはじめにふさわしい読書かも知れない。

…なんて書いているが、不破氏の著書の購入はしていない私なのであった。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/09/01 20:38 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/114906

 

 

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2009年8月19日 (水)

真昼の百鬼夜行

 

 「百鬼夜行」とは字の通りで、夜中の話のはずなんだが、真昼に「百鬼夜行」に出会ってしまった。

 

 

 東京は立川市での話(オケガワは関係ない)。

 

 

 立川から多摩都市モノレールに乗って(妖怪の世界というよりSF的乗り物だ)、次の「高松」駅で下車。(地図によれば)7分ほど歩くと、国文学研究資料館に着く。

 都市計画現実化中、というか都市計画途上というか、草が伸びる空き地が残る広い空間に格子状の広い道路、そして中層(「高層」とまではいかない感じ)の現代的ビルが立ち並ぶところまではいっていないが、やがて立ち並ぶんだろう的世界。完成したら、「鉄腕アトム」的イメージの世界になるんだろうなぁ…

…という区画にある、これもデカめのガラスとコンクリート建築。

 入り口を入ると、広い吹き抜けの空間で左右に分けられている。左が「大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館」のエリア。右側は、南極観測関係のナントカ法人だかナントカ機構だかが占領していた。

 

 このあたり一帯は、東京都心が地震で壊滅した時に国家の中枢機能を移転させる、という構想で整備されているらしいのだが、「立川断層」の真上に位置しているというウワサもあったりする場所だ。地震でどうなるのかは知らないが、基本がSF的「近未来」空間…と言ったって、とっくに21世紀なんだけどね。

 

 

 で、国文学研究資料館で開催されているのが「人間文化研究機構連携展示 百鬼夜行の世界」展なのだ。

 久しぶりに家族全員揃う時間が出来たので、観に行ったわけ。と言っても、夕方から仕事が入っていたので、規模の大きな展示ではないだろうという予測があればこその展観だった(会場はここだけではなくて、国立歴史民俗博物館でも連携展示をしているというスタイルだし)。

 

 

 実際、広い会場ではない(展示会場は、国文学研究資料館全体のほんの一部なのだ)ので、展示点数も多くはなかったけれど、中身は充実していた。あらためて会場で配布されていた「出品目録」でチェックすると(「図録」の方だと、2会場の両方が記載されているので)、展示総数は36点。江戸期を中心に、絵巻もあれば刊本もありの、各種の「百鬼夜行図」に出会うことが出来る。元ネタがコピーを通して展開していく姿も面白い。

 

 「freeml」的(?)には、京都市立芸術大学芸術資料館蔵の、江戸時代後期の『付喪神絵詞(つくもがみえことば)』が興味深い。行列の中に、タヌキだのイタチだのの姿を発見出来るのだ。

 展示品の中に、寛永20(1643)年刊の『仏頂尊勝陀羅尼』があって、この中に「妖怪」除け(?)の呪文が紹介されていたのだが、出品目録では「参考品」となっていて「図録」への掲載がない(会場となった「国文学研究資料館」の所蔵品だった)。なので、ここで再現出来ないのだ。残念な話である。

 それでも「図録」には、「百鬼夜行」を避ける歌の紹介はある。藤原清輔の『袋草紙』によれば、

  堅石やつかせせくりにくめるさけ 手て酔ひ足酔ひわれ酔ひにけり

というのだが、効果の程は…

 

 まぁ、いずれにしても、夜中でも街頭が道を明るく照らす世界では、「百鬼夜行」は出来ませんなぁ…

 真昼の妖狸には悩まされるけれど…

 

 

 

 駅近くに戻り、小さなビルの小さなフレンチの店でランチ。そのビルのほとんど隣が、オタクの殿堂の「フロム中武」。

 寄ると散財するので、駅上の「山野楽器」まで我慢してCDコーナーで散財、のつもりだったのだけど、アニメ関係ショップ狙いの娘について、「フロム中武」の中へ…

 こちらは古銭・コインの店狙い。

  大正2(1913)年 大日本 10銭

  1961-1971 タンザニア 5シリンギ

  1974-1977 アルジェリア 5(ディナール?)

  1975年 パナマ 10(センティノス?)

  昭和51(1976)年 日本国 100円(天皇陛下御在位50年)

  1993年 チェコ 2コルナ

 大正2年は、母の生年。1993年は、娘の生年。家族の生年の各国コインの収集、というのがコレクションの基本(カネがかからない)。

 もう一つが、今はない国、あるいは国家体制、権力者が変る前のコイン(これも、カネがかからない)。

 今回は記念硬貨らしきものが3種(タンザニア、アルジェリア、日本国)。タンザニアは独立10年。アルジェリアは(今のところ)内容・意味不明。日本は読んでの通り(ケース内に記念切手も付属していた)。  

 

 同じフロアで、なんと「古書市」開催中。

 会場内に入ってはいけない、と思いながら、会場の外の台上の本を…

 うわっ! 戦前の岩波新書が…

  小堀杏奴編 森鴎外 『妻への手紙』 (岩波新書17 昭和十三年十一月 ただし昭和十六年六月の6刷) 50銭 250円

  B・M・チェムバレン 『鼠はまだ生きている』 (岩波新書32 昭和十四年四月) 50銭 300円

  笠間杲雄 『回教徒』 (岩波新書33 昭和十四年四月) 50銭 300円

  天野貞祐 『学生に輿ふる書』 (岩波新書45 昭和十四年八月 ただし同年十月の2刷) 50銭 購入額不明(値札脱落 - 以下、同じ理由による))

  山本有三 『戦争と二人の婦人』 (岩波新書47 昭和十四年九月 ただし昭和十五年十一月の3刷) 50銭 250円

  芦田均 『バルカン』 (岩波新書55 昭和十四年十二月) 50銭 購入額不明

  安田徳太郎 『世紀の狂人』 (岩波新書58 昭和十五年三月) 50銭 250円

  西田幾多郎 『日本文化の問題』 (岩波新書60 昭和十五年三月) 50銭 350円

  J・ハックスリ A・ハッドン 『人種の問題』 (岩波新書69 昭和十五年七月 50銭 300円

  許広平 『暗い夜の記録』 (岩波新書215 昭和30年9月) 100円 購入額不明

  A・L・ストロング 『チベット日記』 (岩波新書416 1961年5月) 130円 300円

  ジュール・ロワ 『アルジェリア戦争』 (岩波新書421 1961年6月) 100円 150円

  何長工 『フランス勤工倹学の回想』 (岩波新書956 1976年2月) 230円 100円

  村上重良 『天皇の祭祀』 (岩波新書993 1977年2月) 280円 150円

…を買ってしまう。3000円ちょっとだ。
 

 『妻への手紙』の巻末には、「岩波新書を刊行するに際して」と題された岩波茂雄の有名な(?)言葉は載せられていない。『鼠はまだ生きている』の方には掲載されているのだが、あらためて読んでみるとビックリ、

  天地の義を輔相して人類に平和を輿へ王道楽土を建設することは東洋精神の発露にして、東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられた世界的義務である。…

…なんて言葉で始まっているのだった。

 そして末尾は、

     昭和十三年十月靖国神社大祭の日

となっているのだ。あの「岩波新書」と「靖国神社大祭の日」の組み合わせである。

 

 やはりオリジナルには価値がある。

 本や論文に、当時の岩波新書からの引用があっても、この巻末の岩波茂雄の言葉を読む機会はない。

 

 値段の変化、出版年の表記が元号から西暦へ変った事実。本文以外のところも、なかなかに見所がある。

 

 

 結局、古銭と古本で5000円ほどの散財。

 まぁ、お安いお楽しみである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/08/18 21:43 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/113552

 

 

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2009年7月21日 (火)

「文明賛歌」と「たぬき汁」

 

 まずは小田急線の「成城学園前」駅に向かう、というのが本日のスタート(まぁ、午前中はウダウダしていたので、正午過ぎての「スタート」ではあったが)。

 世田谷美術館分室清川泰次記念ギャラリーで開催中の展覧会「文明賛歌 清川泰次が写したマシーン・エイジ」を観るのが目的。

 

 娘と成城学園前の駅に着いたのは既に午後2時近い時間。まずは昼食をということで、途中のケーキ屋さんらしき店に立ち寄る。キッシュにクロックムッシュで、とりあえずのお昼ごはん。ギャラリーは、そのちょっと先の路地を入って行った所にあった。

 清川氏がご自身の住居兼アトリエとして使用していた建物の内部に、区民ギャラリーと清川氏の作品展示室が作られている。

 

 

 

 

 今回の展示は、案内の文章に、

 輝かしい未来が機械文明と共にあると信じられた時代へ捧げられた、青年からの賛歌

とある通りの、1930年代日本の鉄橋や機関車や街並みの写真で構成されている。学生時代の清川氏が趣味として撮影したものが中心となっている。

 つまりアマチュア写真ということになるのだろうが、それが、まさに時代の写真なのだ。マーガレット・バーク・ホワイトだったりロドチェンコだったりの作品を思い浮かべて欲しい。まさにあの世界が、1919年生まれの慶応ボーイにより残されているのである。

 もっとも、その輝かしい世界は、1940年代の戦争により、日本では灰燼に帰するわけだ。1945年に撮影されたとおぼしき焼けた街並みと駅舎の写真が、その後の日本が辿った歴史を物語っている(後で受付の方に確認したところでは、撮影データが不明で、残念ながらどこの駅なのかはわからない、ということであった)。

 

 展示法が面白いというか見事だった。10枚くらいずつの写真を、当時のグラフ雑誌の誌面のようにレイアウトして、壁面にピン止めしているのだ。90センチ×120センチくらいで一つの画面としたものが、8(あるいは7)画面。ピン止めだけという安価な方法でありながら、レイアウトの構成で、空間の緊張感が作り出されている。

 

 

 

 

 
 

 3時過ぎにギャラリーを辞して、駅の反対側にある母の実家に向かう。10数年ぶりのはずだ。娘はまだ訪れたことがない。

 今回は訪問が目的なのではなく、娘の祖母が若い日々を過ごした家の所在を覚えてもらおうと思ったからだ。

 別に親戚同士、仲が悪いというわけじゃぁない。室内の片付けという作業をしていないに違いないことを承知しているので、突然の訪問は遠慮するのである。

 道を間違えて、20分もかからないはずの道のりに、小1時間もかけてしまったが、暑さがそれほどひどくもなかったので助かった。

 到着後は、玄関先の母の旧姓が書かれているポストの前で娘の姿を撮影。まぁ、夏の街を1時間近く歩かされた後なので、表情がひどい。結果として20分ほどかけての撮影ということになる。今後は演技力を身に着けて欲しい(と注文をつける身勝手な父)。

 

 とりあえずこれで、母(娘にっとっては祖母)の住んでいた家も見たし(といっても建物は改築されていたけど)、ということで駅へと向かう(それが4時半過ぎ)。

 しかし、祖父母(娘にとっては曽祖父母)が存命だった頃とはまったく違う街並みとなってしまっている。相続税の関係だろうが、複雑な思いがする。バカ息子が親の相続財産の広い屋敷で安楽な生活をするというのも実に問題だと思うのだが、相続税対策の結果としてゆとりある街並みが壊れていくというのも、なんとも文化として貧困なものだと思う。

 

 駅近くなって、「キヌタ文庫」という古書店を発見。以前にも一度訪れ、収穫を抱えて帰った記憶がある。娘も、喜んで立ち寄りましょうモード。

 購入本は、

 佐々木輜重兵大佐 『兵站勤務の研究』 偕行社 昭和7(1932)年  2000円

 佐藤垢石 『随筆 たぬき汁』 墨水書房 昭和17(1942)年  700円

 カール・ヤスペルス 著 森 昭 訳 『独逸的精神 マクス・ウェーバー』 弘文堂 昭和17(1942)年  200円

 総合インド研究室 編 『印度の民族運動』 総合インド研究室 昭和18(1943)年  500円

 木村喜久弥 『ネコ その歴史・習性・人間との関係』 法政大学出版局 昭和33(1958)年  400円

 高群逸枝 『日本婚姻史』 至文堂 昭和38(1963)年 200円

 細川護貞 『細川日記 上下』 中公文庫 1979年(ただし1991年の3版)  480円

 藤岡明義 『敗残の記 玉砕地ホロ島の記録』 中公文庫 1991年 300円

 エマニュエル・ウォーラーステイン 『アフター・リベラリズム』 藤原書店 1997年  1300円

 『MUSICAL INSTRUMENTS OF THE WORLD』 PADDINGTON PRESS LTD 1976年  1800円

 『中国楽器図誌』 (中国の書籍で、出版社名が簡体字なので表示不能) 1987年  800円

 

 

 『随筆 たぬき汁』は、かつてネット上から引用した文章の原本(→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91911/)。こんなところでめぐり合おうとは!!

 『兵站勤務の研究』の表紙には、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」と書いてある。

 他に娘の欲しがった文庫本を合わせて9800円の散財。

 娘は、昨日は一人で近所の大型古書店(例のチェーン)を2つめぐったらしいが、品揃えの違いに大喜びであった。これぞ正しい古本屋の姿であろう(値段に関しても、ウォーラーステインなんかチェーン店だと定価の半額というパターンで2400円のはずだ)。

 

 駅近くのコーヒーショップで一服。娘の母(仕事である)と連絡を取り、地元の駅で合流することに決定。

 7時半近くに地元駅到着。駅上の書店で合流。ここでまた余計な本を買ってしまった。

 『現代思想 7 (特集 人間/動物の分割線)』 青土社 2009 
 田中克彦 『ノモンハン戦争  モンゴルと満州国』 岩波新書 2009

 そんな荷物を増やして(家族それぞれに、だ)、階上のレストラン街で食事。自宅に帰り着いたのは9時近く。

 
 
 

 暑い中、充実した一日だった、ように思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/20 21:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110606

 

 

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2009年4月30日 (木)

ダミニスト古本購入記

 

 世の中はゴールデンウィークということになっている。

 
 

 今日は休みを利用して、家族で展覧会めぐりの予定だったのだけれど、娘の体調がイマイチだったので、ご近所散歩の午後に変更。

 

 五月間近の陽射しの下、ブラブラと歩き出した。

 まずはケーキ屋さんでケーキとコーヒーを楽しみ、そのまま駅の方向を歩くと古本屋さんがある。

 祝日だというのに、幸か不幸か、店は開いていた。店内に入り、いろいろと買い込んでしまう。

 
 
 

  『第三十四回海軍記念日を迎へて』 (海軍省海軍軍事普及部 1939) 1000円

 

  倉田一郎 『國語と民俗學』 (青磁社 1942) 500円

 

  尾形半 『暗い廊下 -裏から見たソ連-』 (立花書房 1957) 400円

 

  アレクサンドル・コイレ 『閉じた宇宙から無限宇宙へ』 (みすず書房 1973) 600円

 

  『銃後の人々 祈りと暮らし』 (石川県立歴史博物館 1995) 800円

 

  山田規畝子 『壊れた脳 生存する知』 (講談社 2004) 300円

 
 

 以上6冊購入。店頭の紙袋の中にあった、

 

  ダンテ 『神曲 新生』 (筑摩書房 世界文学大系6 1962) 

 

  地引嘉博 『東欧の社会 ドイツとロシアの間で』 (サイマル出版会 1987)

 

の2冊は処分品ということで、なんと無料でいただいて来てしまった。

 

 母娘もなにやら買い込んでいた。展覧会めぐりの出費に比べればお安いもの、というリクツ。

 
 

 古着屋さんが開店(昨日開店らしい)していたので立ち寄る(娘が主体)。

 駅を超えて、大型古書店へと向かう。

 こちらでは、

 

  川崎浹 『権力とユートピア ロシア知識人の肉声』 (岩波同時代ライブラリー 1995) 550円

 

  安島太佳由 『訪ねて見よう! 日本の戦争遺産』 (角川SSC選書 2009) 550円

 

を購入。

 娘の母は、私の発見した、

 

  「シネマ101 第2号 特集 リュミエール」 (映像文化連絡協議会 八潮出版社 1996) 750円

 

を購入(欲しくなったらしい)。

 
 

 家路は別の道を歩き、いつの間にか出来ていた小さなギャラリー「MOGRAG(mograg …?)」で山口昌弘さんの「逝来手!展」に出くわす。帰宅してから、いただいたチラシを見たら、1986年5月1日生まれで2007年没という経歴。パワーあふれる落書き群に出会ったのだった。画面を埋め尽くすことへのエネルギーに、ある種のアウトサイダーアートを思い浮かべたりする。

 明後日が誕生日。生きていれば23歳。ああ。

 展覧会めぐりをあきらめてのお散歩が、しかし、今はなき山口昌弘さんとの出会いにつながったのだった。

 

 並びのたい焼き屋さんでたい焼き購入し、歩き食い。

 近所の大型店で、娘の靴にキャットフード、そして人間用食材を購入し、無事に帰宅。

 
 
 

 そう言えば、日曜日も似たような展開だった。昼食をチェーン店ではないハンバーガーショップで食べ(美味い)、駅の向こうの大型古書店で散在。

 購入本は、

 

  P・マルヴェッリ G・ピレッリ編 『イタリア抵抗運動の遺書』 (冨山房百科文庫 1983) 750円

 

  松本弥 『図説 古代エジプト文字練習帳』 (弥呂久 1994) 850円

 

  NHK取材班編 『プロパガンダ映画のたどった道』 (角川文庫 1995) 100円

 

  藤澤房俊 『大理石の祖国 近代イタリアの国民形成』 (筑摩書房 1997) 1500円

 

  イアン・ブルマ 『イアン・ブルマの日本探訪 村上春樹からヒロシマまで』 (TBSブリタニカ 1998) 800円

 

  内田百閒 池内紀 編 『百閒随筆Ⅱ』 (講談社文芸文庫 2002) 600円

 

  京極夏彦 『対談集 妖怪大談義』 (角川書店 2005) 650円

 

  小沢朝江 『明治の皇室建築 国家が求めた〈和風〉像』 (吉川弘文館 2008) 950円

 

 

 

 

 

 しかし、一体、いつ読むんでしょうかねぇ…

 
 
 
 
 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/04/29 21:02 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/102657

 

 

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2009年4月 1日 (水)

ダミニストによる日本経済へのささやか~な貢献

 

 また浪費、ではなくて日本経済へのささやかな貢献である。

 
 

 仕事が休みだったので、昼間から家族と出かけた。

 娘もついに中学卒業というわけで、進学先への提出書類を、先週に卒業式を終えたばかりの中学校まで受け取りに行った。

 そのまま駅へと雨の中を歩き、改札口へ。

 立川に到着。エキナカで食事(先日、娘と見つけた本屋の奥の喫茶店である〉。

 その書店スペースで、本を買う。

 今日は新刊本だ。室内事情のため、新書サイズにおさえる。

 
 

  雨宮処凛 『排除の空気に唾を吐け』 (講談社現代新書 2009)

  佐谷眞木人 『日清戦争 「国民」の誕生』 (講談社現代新書 2009)

  茂木健一郎 『化粧する脳』 (集英社新書 2009)

  福間良明 『「戦争体験」の戦後史 世代・教養・イデオロギー』 (中公新書 2009)

 

 雨宮処凛は、私というよりは娘(とその母)用である。読書は図書館利用にシフトと言う娘の母に対し、これは著者のために買わなきゃ、という理屈で購入。

 『日清戦争』は、「国民の誕生」というサブ・タイトルに惹かれての購入。

 『化粧する脳』の著者は、例の饒舌氏との議論の舞台となっているMLの主宰者でもある。著書もたまには読まないと…

 『「戦争体験」の戦後史』の著者の関心対象は、高田恵理子に重なるところがあるという印象だ。こちらはどのように料理して見せてくれるのか、まずはお手並みを拝見。

 実はもう一冊。これは既に娘の手元にある『聖☆おにいさん』。立川が舞台、なので新刊を立川でゲット。これが本日のお出かけの目的…??

 
 
 
 

 銀行で口座の状態を確認し、中央線を(というか立川を)代表するオタクデパートのフロム中武へ。

 切手だの古銭だのの店が目標。

 余計なものを買い込む。

 
 

  1241年 南宋銭 「淳祐元宝」 600円

  康徳10年 満洲帝國 1分 700円

  康徳10年 満洲帝國 5分 735円

  1974年 ニカラグア 10(単位がわからない) 200円

  1978年 アフガニスタン 単位不明 2000円

  1977年 ソ連 1ルーブル 300円

  1978年 ソ連 1ルーブル 300円

  1979年 ソ連 1ルーブル 300円

  1980年 ソ連 1ルーブル 300円

  1980年 ソ連 1ルーブル 300円

  戦前の記念メダルのセット(国内) 500円

 
 

 基本的に、今は存在しない国の貨幣がコレクション(?)のターゲットだ。

 1241年の南宋銭は、ウチで一番古い年代のものとなった。鎌倉時代、日本における貨幣経済浸透の立役者(?)の一枚である。

 満洲帝國の貨幣も、最近の狙いどころ。

 1974年のニカラグアはソモサ政権時代。その後サンディニスタが政権獲得。米国の干渉により、ニカラグアは内戦へと突入していくことになる。

 1978年のアフガニスタンは、ソ連侵攻の前。クーデターはあっても、国民は戦争を知らない。

 1977~1980年のソ連の1ルーブルは、モスクワ・オリンピックの記念硬貨としてデザインされたもの。年号の入った面のデザインが、それぞれに異なる。言うまでもなく、1979年のアフガニスタン侵攻により、当のモスクワ・オリンピックは、西側諸国の不参加により名を知られる「歴史的」大会となってしまった。

 戦前のメダルは、赤十字だったり、大学生のスポーツ大会だったり、なんかの行事の記念品として作られたものが10種類ほど(1920年という年号が刻まれていたりする〉。娘のアクセサリー転用も考えれば、実用品かも知れない。

 

 集めてどうするんだ? と聞かれても困る。

 歴史をモノを通して感じることが出来るような気がする、くらいのところだろうか?

 
 
 
 

 南口のモノレール駅そばの書店に移動。

 こちらでは、財布の紐を固くして我慢。この書店、棚を見るだけで楽しい。センスを信頼しているのだ。ここでの本との出会いは、立川散策のお楽しみの一つ。

 駅ビルの上の喫茶店で一休みし、中華街で食材ゲット。

 山野楽器でのCD、DVDチェックは我慢。

 

 これで、本日のお出かけスケジュールは終了。

 一家は、日本経済へのささやか~な貢献を果たしたのだった。

 
 
 
 
 
 

 
 

(オリジナルは、投稿日時:2009/03/25 22:31→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/99227

 

 

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2009年3月24日 (火)

老眼鏡&古書 購入記

 

 ついに私も観念したのだった。

 
 

 眼鏡屋に行き、老眼鏡(!)を注文したのである。

 フレーム選びに、予想以上に時間がかかってしまった。メガネというものは、実際にかけてみないと、よしあしがわからない。

 見た目のデザインはいいのだが、かけてみると顔の中でのバランスがしっくりしない、なんてのが続々。

 老眼鏡ついでに(せっかく意を決して眼鏡屋に足を運んだのだから)、近視用のメガネも作っておくことにした。どうせなら、イメージ(微)チェンジを狙おうという気になってしまう。色を変える、デザインを違うものにする、といった選択肢がいろいろ。

 で、余計に時間がかかる。同行させた娘に、こちらのセレクトから選んでもらった。鏡の姿だけでは、もう一つ、バランスがつかめないからだ。

 レンズの関係で、出来上がりは数日後。

 本も読みやすくなるはずだ。

 
 

 で、コーヒーとケーキで一服の後に、古書チェーン店に立ち寄る。

 
 
 

 鈴木健二 『在外武官物語』 (芙蓉書房 1979) 900円

 

 J.プラシケ編著 『ドイツにおける周辺資本主義論争-〈世界システム〉論と世界経済論・軍事史・経済史の視角-』 (啓文社 1991) 500円

 

 岩渕潤子 『美術館の誕生』 (中公新書 1995) 300円

 

 エリック・ウィリアムズ 『資本主義と奴隷制 経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊』 (世界歴史叢書 明石書店 2004) 2400円

 

 以上4冊を購入。

 

 
 

 『在外武官物語』の本文は、

 

在外武官とは公務のために外国に駐在している軍人、すなわち鎧を着た外交官である。外交官としての待遇を受け、儀式などにはその軍を代表して出席する一方、駐在国の軍情などを調査することをその任務としている。軍事機密をタテに、自国民に対してすら閉鎖的で秘密主義の軍事組織が、外国に対し窓を開き、各国相互間の交流のチャンネルをつくっているのが、この武官制度である。一体武官という制度はいつごろ確立したのだろうか。

 

という記述で始まる。

 外交と軍事が一体化した官職ということだろうか。

 親戚の誰だかが、ヒトラー時代のベルリン駐在武官だったという話を聞いた覚えがあるので、そんなところからの興味もある。

 

 

 『ドイツにおける周辺資本主義論争』は、副題通りの内容。原著の出版は、1983年なので、冷戦下での議論ということになる。そういう意味では、「論争」自体が歴史的な様相を帯びたものとなっているかも知れない。

 

 

 『美術館の誕生』は、カバーの紹介文の一節によれば、

 

民主主義の発生と公共の美術館という概念の誕生をめぐる野心的考察。

 

ということになる。公共施設としての「美術館」という視角から見た「近代史」の一断面。

 

 

 『資本主義と奴隷制』は、先日の「酒パーティー」の際に、「近世初期風俗画 躍動と悦楽」展の図録にある「南蛮人」一行のひとりに黒人がいるという話から、ボッシュの絵画作品中の黒人の姿にまで話が及び、白人と黒人の関係が上下関係として描かれていないように見えることが、最後まで残っていた学生との話題となったもので、気にかかっていたテーマであった。参考になりそうなので、購入決定。

 
 
 

 老眼鏡をわがものにすれば、どんどん読み進められる、はずである。

 
 
 
 
 
〔追記〕

 

 ブックセンター某のレシートを見ると、

 

『在外武官物語』は「小説」

『ドイツにおける周辺資本主義論争』、『美術館の誕生』、『資本主義と奴隷制』は「実用書」

 

という分類になっていた。

 

 以前に、同じ書店で、リリー・フランキーの小説が「外国文学」の棚に並んでいるのを目撃した覚えがある。

 

 まさに、資本主義最前線の古書店の姿だろう。

 
 
 
 
 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/03/23 22:42→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/99038

 

 

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2009年2月11日 (水)

ダミニストの日曜日、あるいは古本屋のダブニスト

 

 また古書店での浪費である。

 
 

 午前中は、娘は美術系予備校通い。

 こちらは、某MLの饒舌氏への「アドバイス」を書いて過ごしていた。

 

 昼食を駅近くのステーキハウスで、という話だったので、娘の母と出かける。

 合流し、レアのロースで昼食。店のオーナーが、60代突入を機会に引退→閉店ということなので、この店で食べられるのも今のうちなのだ。

 食後には、向かいの果実店のケーキを購入し、帰宅後のお楽しみとする。

 

 家路の途中に古書店がある。

 銀行に寄り、手持ち資金に余裕があったもので、店内突入。

 
 
 

加藤典洋 『敗戦後論』 (講談社 1997) 100円

川上弘美 『ニシノユキヒコの恋と冒険』 (新潮社 2003) 100円

西川長夫・姜尚中・西成彦編著 『20世紀をいかに越えるか』 (平凡社 2000) 1800円

I.I.ゴッデスマン 『分裂病の起源』 (日本評論社 1992) 500円

折原浩 『大学の頽廃の淵にて』 (筑摩書房 1969) 350円

石澤吉麿 『家事新教科書 上巻』 (東京集成堂 昭和3年訂正13版) 1000円

 

 結局、以上の6冊を購入してしまった。

 

 加藤典洋の『敗戦後論』は、とっくに読んでおいていいはずの本なのだが、未読であった。増補版が文庫になってるはずだが、今回はあえて当初のハードカバーで購入。

 前の持ち主の「1997・10・21」という書き込みと、朝日新聞に掲載された赤坂憲雄の書評、「H・9・12・8」という書き込みのある『天声人語』の貼付というオマケ付き。

 

 川上弘美は、娘のために購入。

 

 『20世紀をいかに越えるか』には、編者3人を入れて15人の論文が収められており、「多言語・多文化主義を手がかりにして」というサブタイトルが付けられている。

 読んどかなきゃね、な内容だ。

 

 『分裂病の起源』の方は、分裂病=統合失調症に関して、近代化との関連での論考をかつて読んだのだが、その妥当性の確認が主目的である。

 

 折原浩は、かつての紛争時に、大学当局に対する批判者として名を残した人物である。その批判の内実を、当人の文章で読む。それが購入の目的。

 後に、教官への中沢新一採用をめぐり、西部邁と対立し、西部の辞任の因となった人物でもある。

 30代の折原浩の姿を再確認しておきたくなるわけだ。

 

 『家事新教科書 上巻』は、「昭和四年一月十一日 文部省検定済」の、「高等女学校師範学校家事用教科書」である。

 いわゆる「主婦」の登場する時代の、主婦予備軍のための教科書、ということになる。戦前の中・上層家庭の中における、母にして妻となるべく定められた少女達へ向けて書かれているわけだ。戦前の都会生活が反映されたものでもあるだろう。様々な文脈での読みが可能であるはずだ。

 
 
 

…というのが私の購入本。

 娘及び娘の母もそれぞれに購入していたので、本日も、我が家の中は、より狭くなったのであった。

 
 
 

 大型店で、キャットフードと、人間の食材を購入し帰宅。

 ケーキで一服した。お値段も上等だったが、味も値段に見合う上等なものだった。手を抜かないことって大事だよなぁ、とつくづく思ってしまった。

 
 

 さて、後は夕食だ。

 
 
 

 
 

 
(オリジナルは、投稿日時:2009/02/08 17:20→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/94453

 

 

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2009年1月18日 (日)

ダミニストによる日本経済への貢献

 

 浪費の日曜日となってしまった。

 いや、日本経済活性化へ貢献した日曜日、だ。

 久しぶりに、家族と出かけたのだった。

 予備校通いで、朝から先に出ていた娘と、忘れ物を取りに途中で引き返した娘の母と、駅ビルの書店で合流。待ち合わせは本屋というのが(つぶす時間に困ることがないので)、我が家のいつものパターンである。

 問題点は、相手が来るまでの時間に、本を買ってしまうことだろう。

 本日も、もちろん(?)購入してしまった。

 カレル・チャペック 『山椒魚戦争』 (岩波文庫 1978)

 シェイクスピア 『リア王』 (光文社古典新訳文庫 2006)

 シェイクスピア 『マクベス』 (光文社古典新訳文庫 2006)

 ジョン・エリス 『機関銃の社会史』 (平凡社ライブラリー 2008)

 チャペックの『山椒魚戦争』は、たぬき男いたち男氏のオススメ本である。普段、まったく文学書を読まないので、当然、今回、初めて読むことになる。

 シェイクスピアは、『マクベス』のセリフを先日の日記のネタにしたところ(http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91617)なので、新訳で読んでみる気になったわけだ。店頭でパラパラとめくって読んでみたら、言葉としてこなれた良い訳という印象だったので、購入を思いついた。

 ジョン・エリスの『機関銃の社会史』は、兵器の「進歩」と戦争形態の変化の問題という「現代史のトラウマ」的テーマの参考にと購入。エドワード・クリントン・エゼルによる「1986年版への序文」には、

 ある書評家はこう記している。「なんとも不思議なことに、機関銃は一人のアメリカ人、リチャード・ガトリングによって発明された。彼のよく知られた願いは、自分の武器が強いる莫大な損傷に人々が気づいたときに、戦争は阻止されるというものだった。軍拡競争を開始させ、ガトリングを金持ちにしたのは、そういった類の論理だった」。軍拡競争と武器製造からの利益は、これからも現実のものでありつづけるだろう。エリスの『機関銃の社会史』は、軍事技術の過去と現在の社会史についてもっとよく理解したいと願う心ある人々にとって、すぐれた入門書であり、これからもそうでありつづけるであろう。

と書かれている。

 そんな、軽い散財の後に、駅近くで昼食。中央線に乗り、ヲタクシティ立川へと向かう。

 ビックカメラで、オーディオ製品カタログを収集。現在この文章を書いている、このパソコンは、26インチの液晶テレビをモニターにし、小型のパワーアンプと小型のJBLスピーカーに接続されている。それにプラスする、独立したDVDプレイヤーの購入を目論んでいるのである(以前に買った中国ブランド製品は半年持たなかった)。小型のユニバーサルプレイヤーを想定中なのだけれど、どうなりますことやら。

 駅から離れたHMVの上階にある大型書店が次の目標。これは娘の希望で、彼女は、そこで、べつやくれいさんのサイン入り本をゲット。

 そのお次は、ヲタクデパート(?)の第一デパートにある書店に向かう。ここでは私が、ミリヲタ本を購入するのである。

 購入本は、

 世界の傑作機スペシャルエディション vol.4 『ボーイングB-17フライングフォートレス』 (文林堂 2007)

 世界の傑作機 vol.54 『B-24リベレーター』 (文林堂 1995)

 世界の傑作機 vol.125 『コンベアB-36ピースメイカー』 (文林堂 2008)

 ジェリー・スカッツ 『第8航空軍のP-47サンダーボルトエース』 (大日本絵画 2001)

 ジェリー・スカッツ 『第8航空軍のP-51マスタングエース』 (大日本絵画 2002)

 ジョン・スタナウェイ 『太平洋戦線のP-51マスタングとP-47サンダーボルトエース』 (大日本絵画 2002)

 ロベルト・グレツィンゲル&ヴォイテック・マトゥシャック 『第二次大戦のポーランド人戦闘機エース』 (大日本絵画 2001)

の6冊となった。

 「現代史のトラウマ」シリーズの資料用である。B-17、B-24、そしてB-36は、戦中と戦後の米国の重爆撃機である。「無差別爆撃の論理」をテーマとして書き続ける中で、航続距離の問題が焦点の一つとなりつつあるので、正確なデータが欲しくなったのだ。

 B-36は、B-52の登場までの冷戦期の前半に、米戦略空軍の主力となった、レシプロエンジン6発装備の巨大爆撃機である。B-36の登場で、あのB-29が中型爆撃機と呼ばれるようになってしまうのだから、その巨大さも想像がつくことだろう。しかし、その名称が「ピースメイカー」というのも皮肉な話である。核爆弾を搭載した都市攻撃が任務なのだから…

 重爆撃機の航続距離と同等の航続距離を持つ戦闘機を持たなかった米(英)航空軍は、実際の作戦行動において護衛戦闘機の随伴を確保出来ず、敵迎撃戦闘機による損耗に悩まされることになる。P-47とP-51の登場は、米航空軍が、長航続距離の戦闘機を入手し、護衛戦闘機を伴った作戦行動を可能としたことを意味するわけだ。。ちなみに、P-47の開発・生産メーカーの経営者こそが、あの「Victory Through Airpower」の著者セバスキーである。

 護衛戦闘機を伴わない、爆撃機単独での作戦行動の結果もたらされる損耗率の高さという問題を史上最初に経験したのは、実は大日本帝國であった。支那事変当時、南京への渡洋爆撃を実行した海軍航空隊は、敵迎撃戦闘機の存在がもたらす損耗率の高さに直面したのである。その解決策として登場したのが、長航続距離戦闘機である、いわゆるゼロ戦なのだ。

 無差別爆撃先進国であった大日本帝國は、爆撃機単独での無差別爆撃作戦実行上の問題点をいち早く理解し、長距離戦闘機の開発においても先進国であった、ということになる。

 まぁ、そんな話を、「無差別爆撃の論理」シリーズで展開していこうと目論んでいるわけで、今回購入したのは、そのための資料群なのだ。

 『第二次大戦のポーランド人エース』の方は、別の問題意識からの購入である。

 この本は、オスプレイ・ミリタリー・シリーズ「世界の戦闘機エース」中の1冊だ。このシリーズには、フィンランド空軍、ハンガリー空軍、クロアチア空軍、ルーマニア空軍の「戦闘機エース」も、それぞれに取り上げられている。そこに共通するのは、それぞれが第一次世界大戦後に独立・登場した新興の小国家における空軍パイロットであるということだろう。戦間期の政治、そして第二次世界大戦下での国家の運命が、彼らの運命に直結しているのである。彼らの背後には、第一次世界大戦後のナショナリズムの問題が横たわっているのだ。

 そのような意味で、文中から実に興味深い記述を見つけ出すことが出来るのが、このシリーズの魅力なのである。

 次は駅ビル最上階に移動。コーヒーで一服。

 下の階の山野楽器で、CD&DVDを物色。娘は『魔笛』のDVDをゲット。私は輸入版コーナーで、フェラボスコのコンソートミュージック集(16~17世紀のイギリス音楽)、ホセ・ミゲル・モレノとエリジオ・クインテロによるダウランドのリュート曲集(これも17世紀のイギリス音楽)、『ウェストファリアの平和のための音楽』と題された30年戦争前後の作品集(1998年のリリースで、これは1648年のウェストファリア条約締結から350年を記念してのものだ)。

 そしてもう一枚は、一挙に20世紀へ飛んでショスタコーヴィッチである。映画のための音楽として書かれた曲が収録されている。ベルリン陥落を描いた1949年の映画と、革命直後が舞台らしい1951年の映画。店頭の30パーセント割引の山から発見。二度と手に入らないかも知れないと思うと、買わずに帰ることは出来ない。

 レンタルのDVDの返却に付き合って別の店へ移動。そこで娘の母と別れ、店を出た父娘は、駅中のコーヒーショップで一服(くつろげる良い店だった)。

…そして、わが浪費の一日、いや日本経済活性化貢献の一日は終わったのであった。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/18 20:40 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/92177

 

 

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