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2018年1月30日 (火)

「着たきり雀」の「風呂へも入らない」人々(続・明治期日本の貧困)

 

 「残飯に命をつなぐ(明治期日本の貧困)」と題して、松原岩五郎によるルポルタージュ(『最暗黒の東京』)を通して、明治20年代半ばの大日本帝國臣民の最底辺の姿を取り上げてから一月が過ぎてしまった。

 そこに記録されていたのは、残飯に支えられて生きる、東京の貧民街の最貧困層の姿であった。

 

 

 今回はあらためて、まず明治10年代初頭の農村部の「臣民」の姿を、民俗学者の宮本常一による『イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む』(平凡社ライブラリー 2002  引用は92~97ページ)を読むことを通して確かめておくことから始めたい。

 イザべラ・バードの記述に宮本常一が解説を加える形で進められている(ここでは、バード自身による記述は太字にしてある)

 

 

 

  きびしい労働 貧しいくらし

  それから小佐越というところで当時の山中の村の貧しかったことがでてきます。
 
   ここはたいそう貧しいところで、みじめな家屋があり、子供たちはとても汚く、ひどい皮膚病にかかっていた。女たちは顔色もすぐれず、酷い労働と焚火のひどい煙のために顔もゆがんで全く醜くなっていた。その姿は彫像そのもののように見えた。(第十一信)
 
  それほど汚れていたのです。それは風呂へも入らないということでもあったのです。同じようなことが栃木県の横川というところを通るときに出て来ます。
 
   五十里から横川まで、美しい景色の中を進んで行った。そして横川の街路の中で昼食をとった。茶屋では無数の蚤が出てくるので、それを避けたかったからである。(第十二信)
 
  何度もいうように、日本にはすごいほど蚤がいて、実は茶屋だけではなくて、地面の上にもいたらしいのです。日本の国土全体の上に、かつて充満していたようなのです。
 
   すると、私のまわりに村の人たちのほとんど全部が集まってきた。はじめのうち子どもたちは、大きい子も小さい子も、びっくりして逃げだしたが、やがて少しずつ、親の裾につかまりながら《裾といっても、この場合は譬喩的表現だが》〔腰にまとわりつきながらということでしょう〕、おずおずと戻ってきた。しかし私が顔を向けるたびに、またも逃げだすのであった。群衆は言いようもないほど不潔でむさくるしかった。ここに群がる子どもたちは、きびしい労働の運命をうけついで世に生まれ、親たちと同じように虫に喰われ、税金のために貧窮の生活を送るであろう。(第十二信)
 
 
  薬のききめと病人たち

  また同じような場面があります。
 
   宿の亭主の小さな男の子は、とてもひどい咳で苦しんでいた。そこで私はクロロダインを数粒この子に飲ませたら、すべて苦しみが和らいだ。治療の話が翌朝早くから近所に広まり、五時ごろまでには、ほとんど村中の人たちが、私の部屋の外に集まってきた。(第十二信)
 
  日本の医療がどんなものであったかが、これで非常によくわかるのです。村の医者ではどうしようもなかったが、新しい化学薬品に会うと実にきれいになおるのです。
 
   ささやく音、はだしの足を引きずる音がだんだん大きくなり、窓の障子の多くの穴に眼をあてていた(障子に穴を開けてのぞくのは、日本のひとつの習俗ですね〕。私は障子を開けてみて、眼前に現れた痛ましいばかりの光景にどぎまぎしてしまった。人々は押しあいへしあいしていた。父親や母親たちは、いっぱい皮膚病にかかっている子、やけど頭の子、たむしのできている子を裸のまま抱きかかえており、娘たちはほとんど眼の見えなくなった母親の手をひき、男たちはひどい腫れ物を露出させていた。子どもたちは、虫に刺され、眼炎で半ば閉じている眼をしばたいていた。病気の者も、健康な者も、すべてがむさくるしい着物を着ていた。それも、嘆かわしいほど汚くて、しらみがたかっている。病人は薬を求め、健康なものは、病人を連れてくるか、あるいは冷淡に好奇心を満足させるためであった。私は悲しい気持ちになって、私には、彼らの数多くの病気や苦しみを治してあげる力がないこと、たとえあったとしても、薬の蓄えがないこと、私の国では絶えず着物を洗濯すること。絶えず皮膚を水で洗って、清潔な布で摩擦すること。これらは同じような皮膚病を治療したり予防したりするときに医者のすすめる方法である、と彼らに話してやった。(第十二信)
 
 
  着たきり雀の生活

  これは栃木県から福島県へ越えようとする山中での話なのですが、いかに不潔であったか、ということです。また次に、
 
   この人たちはリンネル製品を着ない。彼らはめったに着物を洗濯することはなく、着物がどうやらもつまで、夜となく昼となく同じものをいつも着ている。(第十二信)
 
  これはこのとおりだったと思うのです。これは先ほどの裸でいるということと関係があって、着物をできるだけ汚さないようにする。それは洗濯すると痛んで早く破れるからで、着物の補給がつかなくなるのです。それでもだいたい一年に一枚くらいの割合で着破ったと考えられるのです。その着物というのは、この山中だと麻か籐布が多かったと思います。すると家族が五人いるとして、五人分の麻を作るか、あるいは山に行って藤をとってきて、その繊維をあく出しして細かくさいて紡いで糸にし、それを機にかけて織る、ということになると、着物一人分の一反を織るのにだいたい一ヵ月かかると見なければならない。五人分なら五ヵ月で、それを、働いている上にそれだけのことをしなければならないのです。
  着物を買えば簡単ですが、買わない生活をしてとなると非常に自給がむずかしかったわけです。これが生糸になると、まゆを煮さえすれば繊維の長いのが続いているから、うんと能率も上がってくることになります。植物の皮の繊維をとって着物を織ることがどのくらい苦労の多いものであったかがわかるのです。汚ない生活をせざるを得なかったということは、こういうことにあると思うのです。
  『おあむ物語』の中のおあん様がまだ妙齢の娘だった頃に、腰までの着物一枚しか持っていなかったというのです。それでもお父さんは立派な医者で、大名に仕えて高三百石というのですから、当時武士の中でも中流以上の生活をしていた人だと見て良いのですが、それでそのくらいの状態だったのです。それほど衣服というのは得られにくいものだったのです。今(一九七六年)『平将門』をNHKテレビでやっているけれど、あんなきれいな着物を着ていたなんてとんでもないことで、実際に当時の服装で出て来たら、これはたいへんなものだったろうと思うのです。それでは綿がなかったのかというと、あったのですが非常に貴重なものだったのです。

 

 

 

 ここに描かれているのは明治10年代初頭の北関東から東北にかけての農民の姿である(そこには時代的限定と地域的限定と階層的限定がある)。

 

 ノミやシラミだらけの環境の中で、「着たきり雀」の「風呂へも入らない」人々が、いまだ近代医学の恩恵から遠い世界で暮らしている姿。このような「姿」を、どこまで当時の日本列島全体に一般化することが妥当なのか? その点には慎重でありたいが、しかし、バードが記録した明治11年の農村部に生きる臣民の姿もまた、日本の近代史の「事実」の一端を伝えるものであることは直視しておきたい。

 

 再び松原岩五郎の記録した明治20年代半ばの東京の(すなわち都市部の)最貧困層の姿に戻ろう。

 やはりそこにも、ノミやシラミだらけの環境の中で、「着たきり雀」の「風呂へも入らない」人々の姿がある。

 

 

 

  新賓客なる余は右側の小暗き処に座を取りしが、そこには数多積重ねたる夜具類ありて、垢に塗れたる布団の襟より一種得ならぬ臭気を放ち、坐ろに木賃的の不潔を懐わせたるのみならず、予の隣に坐せる老漢はいわゆる子供たらしの文久的飴売りなるが、その煮しめたる如き着物より紛々と悪臭を漲らし、頸筋または腋の下辺を荐に掻き捜しつつ所在なき徒然に彼の小虫を噛み殺しつつあるありしを見て、予は殆んど坐に堪えがたく、機会を見て何処かへか場所を転ぜんと思い居るうち、また四、五人の客どやどやと入り込み来れり。
     (松原岩五郎 「二 木賃宿」 『最暗黒の東京』 岩波文庫 1998  22ページ)

 

 

  その内にまた幾人か帰り来り、宿の主婦来って床を伸かんというに、おのおの立上りて手伝をなせしが、一畳一人の割なれば随分究屈を感ずるならんと思い居りしに、事実はそれをも許さで、一帳の幮に十人以上の諸込みなれば、何かは以て耐るべき。蒸さるる如き空気の裡に労働的の体臭を醞醸し、時々呼吸も塞がんばかりなるに加えて蚤の進撃あり。蚊帳は裾より壊れたれば蚊軍は自由に入るべく、この境界にあってもなお予は彼の捫虱的飴屋の傍に近かざらん事を祈り居りしが、命なる哉、いつしか既に伝染せし事と見えて膝のあたり不思議にむず癢くなりしを以て、指頭を入れて模索見しに果して彼の因循的小虫なり。彼が垢膩を啖い血を喰い飽きて麦粒の如くに肥りたるものなれば、余りの事に予が手を以て潰すことも得ならざりし。ああ偽なる哉、偽なる哉、予は曩日かかる暗黒界に入るべき準備として数日間の飢を試験し、幾夜の野宿を修業し、かつ殊更に堕落せる行為をなして以て彼ら貧者に臆面なく接着すべしと心密かに期し居たりしに、これが実際の世界を見るに及んで忽ち戦慄し、彼の微虫一疋の始末だになすことを得ざりしは、我れながら実に不甲斐なき事なりき。ああ想像は忝なく癩乞丐の介抱をもなし得べし。しかれども実際は困難なり、虱を捫る翁の傍にも居がたし。
     (松原岩五郎 「二 木賃宿」 前掲書  23~24ページ)

 

 

  たとえ、よもすがら池をめぐりて名月のあざやかさを見るとも常に我が庵なく我が臥床なくして奚ぞ美景の懐に入るべき。西行も三日露宿すれば坐に木銭宿を慕うべく、芭蕉も三晩続けて月に明さば必ずや蚊軍、蚤虱の宿も厭わざるに至るべし。ああ木賃なる哉、木賃なる哉、木賃は実に彼ら、日雇取、土方、立坊的労働者を始めとして貧窟の各独身者輩が三日の西行、三夜の芭蕉を経験して、しかして後慕い来る最後の安眠所にして、蚤、シラミ元より厭う処にあらず、苦熱悪臭また以て意となすに足らず、彼の一畳一人の諸込部屋も五、六人の破れ幮に十人逐込の動物的待遇も彼らのためには実に貴重なる瑶の台にして、茲に体を伸べ茲に身を胖くして身体の疲労を恢復し、以て明日の健康を養い、以て百年の寿命を量るにあれば、破れ布団も錦繍の衾にして、截り落しの枕もこれ、邯鄲の製作なりと知るべし。
     (松原岩五郎 「三 天然の臥床と木賃宿」 前掲書  27ページ)

 

 

  日済に続いて危急なるは損料屋なり。貸し衣装、貸布団、貸車。貸布団は一枚八厘より二銭まであり、尤も絹布上下三枚襲ねて一夜三十銭より五、六十銭に登る損料物もあれども、これらはもっぱら贅沢社会の需用にして寒を凌ぐために供給する貧街の談にあらざれば、茲にこれを多く語るを要せず。貸衣装また同じく一枚三銭より五、六銭位までのもの、多くは下等芸人一日の晴衣に向ッて用立ツ。中には股引法被、また布子〔木綿の綿入れ〕を貸す内あり。これ車夫的労働者の必要に向ッて供えたるもの、大抵は貸車業者においてこれを兼業す。なかんずく貧街において繁昌するは貸布団にして、冬の十二月より翌年三月まで厳冬四ヶ月間の戦争、いわゆる飢寒窟の勁敵に向ッて供給するものなれば、その時節に至れば貧街の営業中何ものかよくこの商法の劇しきに及ぶものあらん。細民の生計として夏より秋に移る際ただの一枚の着物すらも着替ゆる事能わざるほどなるもの、まして夜具布団の穿鑿、到底出来る事にあらず。凌げるだけは日光の縕袍に依頼して凌ぐも、十二月の月に入っては日光最早頼むべからず。是に至ッて一枚の布団用意せんと欲するも俄かに作る事能わざるを以て余儀なく損料に依頼せざるを得ず。
     (松原岩五郎 「十二 融通」 前掲書  71~72ページ)

 

 

  殊にその物品たるや、煎餅の如き薄縁のものにあらざれば雑巾の如くに側を綴ぎ集めたるもの、これを借用して一夜一銭ずつの損料を払うものは、いずれも皆よくよくの貧家にして、見るさい憐れなる母子三人裸体を抱き合いて身を縮め、慄いかつ戦きて辛うじて危寒を禦ぐ。この場合においても料銭の延滞するに至れば直ちに寝所へ踏込んで剥ぎ取らざるを得ず。実に涙あっては出来ぬ商法、無慈非道と見らるるも余儀なし。
     (松原岩五郎 「十二 融通」 前掲書  72~73ページ)

 

 

 

 

 これもまた近代日本の現実であった。

 木賃宿の宿泊者も長屋の住人も、「細民の生計として夏より秋に移る際ただの一枚の着物すらも着替ゆる事能わざるほどなる」が故の「着たきり雀」の日常において、「煮しめたる如き着物より紛々と悪臭を漲ら」すのであり、「煎餅の如き薄縁のものにあらざれば雑巾の如くに側を綴ぎ集めたる」と表現される「垢に塗れたる布団」は、その「襟より一種得ならぬ臭気を放」っていたのである。バードは「彼らはめったに着物を洗濯することはなく、着物がどうやらもつまで、夜となく昼となく同じものをいつも着ている」と観察しているが、「煮しめたる如き」とはまさに「洗濯」されることのない「着物」の視覚的表現である。松原岩五郎のルポルタージュの背後にあるのは、すなわち岩五郎が体験したのは、現実としての「臭気」であり「悪臭」だったのである(文字を通して、当時の嗅覚的経験まで読み取っておくべき―あるいは嗅ぎ取っておくべき―記録である)。

 

 もちろん、このイザベラ・バードや松原岩五郎によるルポルタージュを読んで、一気に「日本がどうだこうだ」という話にするのは避けるべきである(註:1)。他の地方の状況や、階層による生活の違いの可能性も考え併せ、あくまでも明治10年代初頭の北関東から東北での農村部の生活の詳細の観察として、あるいは明治20年代半ばの都市部の最貧困層の暮らしの詳細の観察として位置付けることが必要である。

 しかし、同時に、以下の構図の存在も忘れずにおきたい。

 近代日本の(国体の精華たる?)「公娼制度」は(そして昭和期の皇軍の「慰安婦」もまた)「人身売買」に支えられたものであったが、その背景には、このような最底辺の帝國臣民の貧困の現実があったことも覚えておいてよいだろう。

 

 

 

【註:1】
 イザべラ・バードによるノミをめぐる記述について、宮本常一は、

  何度もいうように、日本にはすごいほど蚤がいて、実は茶屋だけではなくて、地面の上にもいたらしいのです。日本の国土全体の上に、かつて充満していたようなのです。

このように説明している。
 確かに松原岩五郎も木賃宿でのノミやシラミの猛威を記録している。しかし、松原にとって木賃宿でのノミ・シラミ体験は、それまでの想像力を超えた新鮮なものとして描かれてもいる。つまり、それまでの松原岩五郎は、同じ都市に住みながら、それほどにはノミやシラミに悩ませられることなく過ごしていたようにも見える。
 農村部と都市部には差異があり、都市部の中にも居住地区(階層の反映でもある)による差異があったということであろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2018/01/30 20:50 → https://www.freeml.com/bl/316274/316621/

 

 

 

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2017年12月28日 (木)

残飯に命をつなぐ(明治期日本の貧困)

 

 

  ああ残飯屋、残飯とはいかなるものか、これ大厨房の残物なるのみ。諸君試みに貧民を形容するに元といかなる文字がよく適当なりと見る。飢寒、襤褸、廃屋、喪貌、しかしどれも予はこれが残飯または残菜なる二字のもっとも痛快に最も適切なるを覚わずんばあらず。しかして今、予はこの貧民を形容するに適切なる残飯もしくは残菜を実にしたる残飯屋を目前に控えたり、予は往かざらんと欲するも得べからず、予は飛んで往きぬ。
  まず見る貧窟残飯屋の光景、西より入れば窟の入口にして少しく引込みたる家なりしが、やや広き表の空地には五、六枚の筵を舗きて残飯の饐れたるを麹の如く日に乾したるものありしが、これ一時に売切れざりし飯の残りを糒となして他日売るものにやあらん。彼らのためには即ちこれが彼の凶荒備蓄的の物ならんかと想像せしめたり。家は傾斜して殆んど転覆せんとすするばかりなるを突かい棒もて、これを支え、軒は古く朽て屋根一面に蘚苔を生し、庇檐は腐れて疎らに抜けたるところより出入する人々の襟に土塊の落ちんかを殆ぶむほどの家なりしが、家内は田舎的の住居にして坐舗よりも庭広く殆ど全家の三分の二を占めたる処に数多の土取笊、半切桶、醤油樽、大なる壺、粗き瓶そのほか残飯残菜を容るるに適当なる器具の悉く不潔を帯びて不整列に並ばり居るを見たりき。しかるに何ぞ図らん、この不潔なる廃屋こそ実に予が貧民的生活のあらゆる境界を実見して飢寒窟の消息を感得したる無類の(材料蒐集に都合よき)大博物館なりしならんとは。
     (松原岩五郎 『最暗黒の東京』 岩波文庫 1988 39~40ページ)

 

 

 

 松原岩五郎の『最暗黒の東京』が出版されたのは明治26(1893)年であった。既に大日本帝國憲法は発布されていたが(1889年)、本格的対外戦争である日清戦争(1894)には先立つ時期の、東京のスラム街の実情のルポルタージュということになる。日本の工業社会化以前の段階であり、工場労働者が貧困層として登場するに先立つ時代の話である(底辺の男たちが担ったのは人力車夫であった)。

 密集する廃屋的な長屋と木賃宿が彼らの住居であった。長屋の住民の食生活を支えていたのが残飯。これが松原岩五郎が見出し、記録にとどめた当時の都市最貧困層の現実だったのである。

 

 

  弥兵衛氏の周旋を以てその日より予は残飯屋の下男となり、毎日、朝は八時、午は十二時半、夕は同じく午後の八時頃より大八車にて鉄砲笊と唱えたる径一尺あまりの大笊、担い桶、または半切、醤油樽等を積みて相棒二人と共に士官学校の裏門より入り、三度の食事の剰り物を仕入れて帰る事なるが、何をいうにも元来箸よりほかに重き物を持たる事のなき身が、俄かにかかる荒働きの仲間に入りたる事なれば、その労苦は実に容易の事にあらず、力は無理をしても出すべきなれど、労働の呼吸に不案内なるより毎々小児の如き失策を重ねて主人の不機嫌を買う事一方ならざりし。されど、これもまた貧大学の前期課程なれば茲の我慢が肝要なりとジッと辛棒する内、日ならずして、その呼吸も覚わり、後には最寄の怪人種より番頭々々と尊称されるに至りき。さるほどにこの残飯は貧人の間にあッてすこぶる関係深く、彼らはこれを兵隊飯と唱えて旧くより鎮台営所の残り飯を意味するものなるが、当家にて売捌くは即ちその士官学校より出づる物にて一ト笊(飯量およそ十五貫目)五十銭にて引取り、これを一貫目およそ五、六銭位に鬻ぐ。尤もこれに属する残菜はその役得として無代価にて払下ぐるものなるが、何がさて、学校の生徒始め教官諸人数、千有余人を賄う大庖厨の残物なれば、或る時は彼の鉄砲笊に三本より五、六本位出る事ありて、汁菜これに準じ沢庵漬の截片より食麺包の屑、ないし魚の骸、焦飯等皆それぞれの器にまとめて荷造りすれば殆んどこれ一小隊の輜重ほどありて、朝夕三度の運搬は実に我々人夫の労とする所にてありき。しかして、この残物を買う者如何と見渡せば、皆その界隈の貧窟の人々にして、これを珍重する事、実に熊掌鳳髄もただならずというべく、我らが荷車を輾きて往来を通れば、彼らは実に乗輿を拝するが如く、老若男女の貧人ら皆々手ごとに笊、面桶〔一人盛りの食器〕、重箱、飯櫃、小桶、あるいは丼、岡持などいえる手頃の器什を用意しつつ路の両側に待設けて、今退たり、今日は沢山にあるべし、早く往かばやなどと銘々に咡きつつ荷車の後を尾て来るかと思えば、店前には黒山の如く待構えて、車の影を見ると等しくサザメキ立ちて宛然福島中佐の歓迎とも言うべく颯と道を拓きて通すや否や、我れ先にと笊、岡持を差し出し、二銭下さい、三銭おくれ、これ一貫目、茲へも五百目と肩越に面通を出し脇下より銭を投ぐる様は何に譬えん、大根河岸、魚河岸の朝市に似て、その混雑なお一層奇態の光景を呈せり。そのお菜の如き漬物の如き、煮シメ、沢庵等は皆手攫みにて売り、汁は濁醪の如く桶より汲みて与え、飯は秤量に掛くるなれど、もし面倒なる時はおのおの目分量と手加減を以てす。饌の剰り、菜の残り元来払下の節においては普通一般的施与的の物品なれど、一旦茲へ引取ッて売鬻げば、またこれ一廉の商品なり。あるいは虎の皮、土竈、アライ、株切などと残物の上に種々な異名を附けて賞翫するはなかなかに可笑し。株切とは漬物の異名にして菜漬、沢庵のごときまたは胡瓜茄子の如き、蒂もしくは株の付たる頭尾の切片をいい、アライとは釜底の洗い流しにして飯のあざれたるを意味するものにして、土竈とは麺包の切片なり。これその中身を抉りたる食麺包の宛然竈の如き形なせるより、かくは異名したるものとぞ。さて虎の皮とは如何、これ怪人種等の調諧にして実に焦飯を異名したるものなり。巨大なる釜にて炊く飯は是非とも多少焦塩梅に焚かざれば上出来とならざるより、釜の底に祀られし飯が一面に附着して宛然虎豹の皮か何ぞの如く斑に焦たる故にかくは名付けたるものならん。さて譬え虎の皮にせよ土竈にせよ、既に残飯とあれば、これ貧窟の尊き商品にして怪人種等の争うて購求する所なり。世に桂を焚き珠を炊ぐとて富豪者の奢侈を意味する事なるが、実際これをなすものは富豪者にあらずしてかえって貧民、しかも極貧饑寒の境にあるものこそ真に珠を炊ぎ桂を焚くものなり。試みに見よ、彼の貧民輩が常例として買う一銭二銭ずつの炭、薪、漬物のいかに高値なるよ、しかしてまた彼らの五合七合ずつなる米、割麦のいかに少量なるよ。十人二十人を賄う大庖厨の経済には平常、米、薪の特用買という事あれば、実際珠桂の如き材料も会計上薪炭の値段となるなり。これに反して貧民の庖所においては毎日の材料一銭的の小買を以て便ずるにあれば、尋常の薪炭も計算上においては実に珠玉の値となるを免かれず。銭稀なる貧窟の人、いかでこの珠玉を炊いで生活し得べけんや。残飯残菜は実にこの一銭的庖厨の惨状を救う慈悲の神とも言うべく、彼ら五人の家族にて飯二貫目、残菜二銭、漬物一銭、総計十四、五銭位にて一日の食料十分なるなり。もし強て一銭的材料を以てこれを充さんとせば、彼らは日に三十銭を費やさざるを得ず。是を以て残飯屋の繁昌は、常に最下層の生活談における、図画的光景の一に数えらるるにありき。
     (同書 41~45ページ)

 

 

 以上は、「七 残飯屋」の全文であるが、士官学校の残飯が貧民の食事を支えていた事実が示されている。残飯が貧民の(それも大日本帝國臣民の)生活を支える商品として流通していた事実、しかも商品として流通するに足る残飯の量に驚かされるが(明治20年代半ばの士官学校の食生活は倹約的ではなかった!?)、明治期の都市貧困層の最底辺と軍隊の残飯の結びつきは記憶しておくに値するだろう。

 

 

 

  貧民の群がいかに残飯を喜びしよ、しかして、これを運搬する予がいかに彼らに歓迎されしよ。予は常に彼らのこの歓迎に酬ゆべく、あらゆる手段を旋らして庖厨を捜し、なるべく多くを運びて彼らに分配せん事を務めたりき。しかれどもまた哀しかりき、或る朝そこに(士官学校の庖厨)運搬すべき残物の何もがあらざりし時に。しかれどもまた嬉しかりき、或夕そこに飯および菜を以て剰されたる新しき残物が、三輌の荷車に余るべく積まれし時に。しかして予は常もこれらの潤沢を表する時にこれを「豊年」と呼び、常もこれらの払底を表する時に予が「饑饉」と呼びて、食物について渇望したる彼らに向ッて前触をするにありき。
  或る朝、――それは三日間一磅の飯をも運ぶ事能わざりし事程左様に哀れなる飢饉の打続きし或朝――庖厨を捜して運ぶべく何物があらざりし時に予が大いなる失望を以て立ちし、いかに貧民の嘆きを見せしむるよ。しかれども予は空しく帰らざりし。予は些かの食物を争うべく賄方に向ッて嘆願を始めし。「今日に限ッては貧民を飢せしめざる部屋頭閣下、冀くば彼の麺包の屑にても」。しかる時に彼が言いし、「もし汝がさほどに乞うならば、そこに豕の食うべき餡殻に畠を肥やすべく適当なる馬鈴薯の屑が後刻に来るべく塵芥屋を待ちつつある」と。それは薯類を以て製せられたる餡のやや腐敗して酸味を帯びたるものと、洗いたる釜底の飯とおよび搾りたる味噌汁の滓にてありき。たとえこれが人に向ッて食すべき物にあらぬとはいえ、数日間の飢に向ッては、これが多少の饗応となるべく注意を以てそこにありし総てを運び去りし。
  かくして、予が帰りし時に飢たる人々は非常なる歓娯を以て迎えし。「飢饉」と予が一言前触れをせし時に彼らの顔色が皆失望に包まれし。「オオいかに、夥しき食物がそこにあるよ」と荷車を見て一人が叫びし時に店の主が探奇の眼を注ぎし。「飯ならば早く分配せよ、我々はただ菜のみにてもよし}と催促が始まりし時に、荷は解かれし、しかしてそこに陳べられし。人々は彼らが三日間の飢饉からそこにいかなる豊年の美食が湧きしかを疑うべく伺きし。腐れたる餡を名称べく予がそれを「キントン」と呼びし時に、店の主人がいかに効果なる珍菜であるかを聞糺せし、そうしてそれが一椀五厘にて売られし。味噌の糟がなお多く需用者をもちし。饐たる飯が売るべく足らざりし。
     (同書 46~48ページ)

 

 

 本来であれば豚のエサとなり、畠の肥やしとなるべき種類の残飯が、最底辺の貧民層には喜びをもって迎えられる現実があった。

 

 

 

 紀田順一郎氏は『東京の下層社会』の中で、以下のように問題を整理している。

 

 

  明治半ばごろの東京の地図を見ると、中央の広大な面積が皇居と諸官庁によって占められ、その周辺に市街地がへばりつくように、急速な膨張をとげつつあることがわかる。たまに広いスペースがあるかと思えば、陸軍省や海軍省の用地ときまっている。
  その地図の上で当時の三大スラム街といわれた地区を確認してみると、いずれも市域の周辺部で、まず北東に浅草万年町、ついで西方に四谷鮫ヶ橋、南方には芝新網町といったところが目につく。この場合、浅草は市中随一の繁華街である浅草寺界隈や上野駅に隣接していたので、車夫などの生活に便利だったことは想像し得るが、それでは四谷や芝はどのようなメリットがあったのだろうか。
  理由は簡単、鮫ヶ橋が陸軍士官学校の付近にあり、芝新網町が海軍兵学校に近接していたということだ。そこに”残飯”があったからだ。軍隊の残飯、すなわち鎮台飯は良質の上、好不況に無関係な安定的供給源だったので、軍隊から味噌汁の冷めない距離を保つことは、福祉なき時代の極貧階級にとって生存のための必要条件だったのである。帝国陸海軍の廃棄物によって、社会の底辺が支えられていたというのは皮肉というほかはないが、当時は軍隊側も残飯の処理に窮していたので、払下げに協力的だったという。
  ところが、日清戦争以後、産業構造の大きな変化によって細民の数が激増すると、とても軍隊だけでは追いつかなくなってきた。彼らは工場や大学など、残飯の新たな供給源を求めて奔走しなければならなくなる。残飯源の拡大と多様化が、即明治社会の発展にほかならないというのも、やはり皮肉というほかないであろう。
     (紀田順一郎 『東京の下層社会』 ちくま学芸文庫 2000 67~68ページ)
 

 

 

 

 フィリピンのスモーキー・マウンテンと呼ばれるスラム街の映像などを前にしても、どこか遠くの他人の話として理解してしまうのではなく、100年ちょっと前の日本の都市風景と重ね得る想像力を用意しておきたいと思う。

 スモーキー・マウンテンの貧困を通して100年前の大日本帝國臣民の最底辺が置かれていた状況を思い、明治期の大日本帝國臣民の貧困の実情を通してスモーキー・マウンテンの悲惨を他人事としてではなく理解する。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/12/28 16:13 → https://www.freeml.com/bl/316274/315474/

 

 

 

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2017年3月30日 (木)

トランプのアメリカ、アメリカのトランプ

 

 

  ドナルド・トランプ米大統領にとって大きな敗北だ。3月24日、オバマケア(医療保険制度改革)の廃止代替案を議会採決直前に撤回せざるをえなくなったのだ。共和党の「フリーダム・コーカス(下院議員連盟)」と呼ばれる保守強硬派の支持が得られず、賛成票が足りなかった。これで、選挙戦中あれほど強く廃止代替を公約していたオバマケアは予見可能な将来、ずっと続くことになった。上下院を共和党が支配する状況下でさえ、最重要法案を採決に持ち込めない──トランプ米大統領と共和党の驚くべく無能さがさらけだされた瞬間だった。
     (ニューズウィーク日本版 2017/03/27 17:30)

 

 米国大統領となったドナルド・トランプは選挙戦時には公約として「オバマケア」の撤廃を掲げており、議会で廃止代替案(トランプケアあるいはライアンケアと呼ばれた)を成立させることにより、公約は実現されるはずであったが、共和党内の反対者(保守強硬派)のために採決に持ち込むことが出来なかった。

 日本では「党議拘束」なるものが存在し、まず考えられない話である。この顛末を通して、米国の政治と日本の政治の決定的違いを、そして政治制度を支える思想的基盤の決定的な違いを目の当たりにさせられた思いがした。

 我が日本の大政翼賛的個人責任回避的風土と、個人主義に支えられた責任意識の下で「保守強硬派」と呼ばれる人々であっても(「保守強硬派」であればこそ、より原理主義的な個人主義者でもあるわけだから)党派ではなく個人としての信条に忠実に行動する米国の風土の違いである。

 

 

 ドナルド・トランプの選挙公約としては、いわゆる「温暖化」論の否定を背景とした環境規制の撤廃もあるわけだが、この点についても米国内には興味深い反応があった。環境規制撤廃の恩恵を受ける側にいるものと思われがちな石油大手のエクソンモービルが、「パリ合意」からの離脱への反対を表明したというのである。

 

  米石油大手エクソンモービルがトランプ米大統領に対し、地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ合意」から離脱しないよう求める書簡を送っていたことが30日までに明らかになった。

  エクソンは書簡の中で、パリ協定は「気候変動のリスクに対処する効果的な枠組み」であり、米国は同協定の条件下でも「競争に有利な立場に」あるとの見解を示し、米国は残留すべきだと訴えた。
  トランプ大統領は28日、発電所からの温室効果ガスの排出削減を定めた「クリーンパワー計画」を撤廃する大統領令に署名。書簡はその数日前の22日に送られた。トランプ政権はエクソンに対してパリ合意への見解を尋ねていた。
  「わが社はパリ協定を、2015年12月の成立時も16年11月の発効時も歓迎した。そして協定への支持をさまざまな機会に繰り返し示してきた」と、エクソンは書簡で述べた。
     (CNN.co.jp 2017/03/30 12:06)

 

 ま、温暖化の原因としての二酸化炭素犯人論の当否は別として、環境規制への適合は新たなビジネスチャンスでもあり、米国のエネルギー産業界が一枚岩のトランプ支持となっていないということを示すものとも考えられ、興味深い展開である(しかもトランプ政権で国務長官となったティラーソンは、そのエクソンモービルのトップであった)。

 

 

 インターネット上の個人情報保護をめぐる規制の撤廃を米議会下院が可決したことに対する批判を、トランプ支持を掲げるはずの保守派メディアであるブライトバート・ニュースが掲載したとの報道も興味深い。

 

  この規定は、オバマ前政権の末期に連邦通信委員会(FCC)が承認したものだ。インターネット接続業者(プロバイダー)に対し、ユーザーの個人情報を収集したり他者に譲渡する場合には本人の許可を得ることを義務づけていた。
  下院は28日、同ルールの撤廃を共和党の賛成多数で可決していた。
  プライバシー保護派や消費者保護団体、それにハイテク業界はそろって今回の議会の決定を攻撃。ニューヨーク・タイムズの社説も、保守派メディアのブライトバート・ニュースのコメンテーターも珍しく足並みをそろえている。
  「これはオバマ時代の規制の中で存続すべき非常に数少ないものの1つだ」と、ブライトバートのコメンテーターは28日夜に書いた。
     (CNN.co.jp 2017/03/30 15:35)

 

 私が大政翼賛的風土の中に生きる日本人の一人であるからであろうか? 米国のゴリゴリの保守派メディアが個人情報の保護の必要を主張する姿に、正直なところ、どこか意表を突かれた気分である。

 

 

 不法移民をめぐる「聖域都市」への補助金撤廃もまたトランプ大統領の重要な政策だと思われるが、トランプ派であるはずの警察官組織から懸念を表明されてしまっている。

 

  全米最大の警察団体である警察友愛会のジム・パスコ事務局長は28日、ホワイトハウスでトランプ米大統領と会合し、不法移民に寛容な「聖域都市」への連邦補助金の交付を停止した場合、公共の安全を危険にさらす可能性があると警告した。会合後に、ロイターに明らかにした。
  同友愛会は、2016年の大統領選におけるトランプ氏の最大の支援団体。パスコ氏によると、ペンス副大統領やセッションズ氏も会合に同席したという。
  パスコ氏は、警察友愛会は聖域都市への政策を支持しないが、補助金停止によって、そうした地域の警察当局が影響を受ける可能性があるとの幹部の懸念を伝達。トランプ氏は、公共の安全に影響が出ないよう友愛会と協力していく姿勢を示したという。
     (ロイター 2017/03/29 14:22)

 

 警察友愛会は「聖域都市」の政策を支持するわけではないが、連邦補助金交付の停止が「公共の安全を危険にさらす可能性」につながることを「警告」したというのだ。行政の執行者としてのリアリズムと言うべきであろうか。

 

 

 軍事についても、プロフェッショナルとしての軍人のリアリズムは、トランプ政権の政策への懸念を表明している。

 

  退役した米軍の大将や中将が21日、トランプ政権が示す国務省の予算の大幅削減を阻止するためにワシントンに集まり、議員らの説得に動いた。
  トランプ政権は2018会計年度(2017年10月~18年9月)の予算案で、軍事費を540億ドル(約6兆円)増やす一方、国務省の予算を110億ドル削減しようとしている。前年度比28.7%に及ぶこの減額では援助や開発基金が主な対象となっている。
  04~07年にイラクで指揮官を務めたジョージ・ケーシー退役陸軍大将は、外交、援助、開発への投資を減らすことは究極的には米国をより安全でない状態に追いやることになるとの見解を示す。
  「これを単にいいことだと考えないことが重要だ」「(外交は)国家の安全保障政策上の重要なツールだ」
  ケーシー氏は07~11年、アフガニスタンでも陸軍参謀総長の任に就いた。「我々はイスラム過激派との長期に渡るイデオロギー上の戦いにあり、こうしたグループを生む不安定さが我々の敵だと考えるようになった」「豊かさをはぐくみ、自国を守る能力を高めることが安定につながる」とケーシー氏は述べる。

  ケーシー氏や他の退役将校は開発や外交が軍隊の仕事を減らしてくれると指摘する。現国防長官のジェームズ・マティス氏も過去に同様の見解を示している。
  ケーシー氏はまた、「軍隊にとっても最も難しいのは、軍事的手段では解決できないことへの対処に迫られることだ」との認識も示す。
  「もし軍人として9・11(米同時多発テロ)以降に何かを学んだのだとしたら、それは我々が現在直面している課題は純粋な軍事的解決策に必ずしも適さないということだ」「軍事も、外交も、開発も必要とする――これが教訓だ。今日成功するにはその全てが必要だ」
      (CNN.co.jp 2017/03/22 18:02)

 

  元米中央情報局(CIA)長官のペトレアス退役陸軍大将ら米軍の元高官ら121人が27日、上下両院の与野党指導部に宛てた書簡で、外交や開発援助向けの予算確保を要望した。
  ロイター通信が報じた。トランプ大統領が表明した国防費増額のあおりで、非軍事部門の予算が大幅に削られれば、むしろ米国の安全を損なうと警鐘を鳴らしている。
  書簡は過激派組織「イスラム国」(IS)やエボラ出血熱を例に挙げ、「われわれは軍での経験から、国家が直面する危機の多くが軍事力だけでは解決できないことを知っている」と指摘。紛争を防止し、現場の兵士を危険にさらす必要性を低くするために「国務省や米国際開発局(USAID)などは極めて重要だ」と主張した。
     (時事通信 2017/02/28 14:59)

 

 トランプ政権が陥りつつあると見做されている外交の軽視は軍人の利益にも反するという主張であるが、日本の「保守」を自称する人々にも深く理解して欲しい話である(もちろん、サヨクの皆さんにも―プロフェッショナルとしての軍人のリアリズムというものを)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/03/30 20:54 → http://www.freeml.com/bl/316274/301148/

 

 

 

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2017年3月28日 (火)

「安倍晋三記念小学校」をめぐる首相閣下vs辻元清美先生対決

 

 いわゆる「安倍晋三記念小学校」をめぐる盛り上がりの中で、ネット上では(メディアが取り上げようとしない)民進党の辻元清美議員の「疑惑」でも盛り上がっているようである。

 そんな「盛り上がり」を横目で見ていたら、

 

  安倍晋三首相は28日の参院決算委員会で、学校法人「森友学園」の問題に関連し、籠池泰典氏の妻が首相の昭恵夫人に送っていたメールに名前が登場した、民進党の辻元清美衆院議員に言及した。
  民進党の斉藤嘉隆議員が、籠池氏が夫人を通じて100万円を寄付されたと主張していることに触れ、首相サイドが授受を否定している根拠をただし、「否定するなら根拠を示さなければならない」と指摘。
  これに対し、首相は辻元氏が公の場で説明していないことを念頭に、「御党の辻元議員との間にも、同じことが起きている。今日の新聞に『3つの疑惑』と出ていましたね」と、不機嫌そうに言い放った。
  「いっしょにするな」とやじが飛ぶと、首相は「いっしょにするなというが、辻元議員は真っ向から否定している。これも証明しないといけない」と指摘。辻元氏への説明を求めた。
     (日刊スポーツ 2017/03/28 12:56)

 

このような記事に遭遇してしまった。

 

 ここに「3つの疑惑」とあるのは、

 

  学校法人「森友学園」(大阪市)の国有地払い下げ問題をめぐり、民進党の辻元清美元国土交通副大臣に関する「3つの疑惑」が新たな争点に浮上し、日本維新の会などが追及姿勢を示している。学園の籠池泰典氏の妻、諄子(じゅんこ)氏が、安倍晋三首相の昭恵夫人とのメールのやりとりで、辻元氏に複数回言及したからだ。民進党は誤った内容だとメディアに情報を広めないよう「忖度(そんたく)」を求めるが、籠池氏の発言に依拠して首相らを追及しながら、都合の悪い妻の言葉は封じようとする矛盾に陥っている。(水内茂幸)
  ≪1≫幼稚園侵入
 「辻元清美議員のやらせ、を明らかにしていきます」。維新の足立康史衆院議員は25日、自身のツイッターでこう表明した。
  1つ目の疑惑は、1日の諄子氏のメールにある辻元氏が「幼稚園に侵入しかけ 私達(わたしたち)を怒らせようとしました」(原文ママ)と記載された部分だ。
  民進党役員室は24日発表の見解で「そのようなことは一切なく同議員は塚本幼稚園の敷地近くにも接近していない」と否定した。
  辻元氏は2月28日、民進党視察団のメンバーとして豊中市の小学校建設予定地などを視察。辻元氏は21日の党視察団にも参加したが、同日の視察団は大阪市の塚本幼稚園を訪れ、籠池氏に面会を断られている。
  ≪2≫作業員派遣
  2つ目の疑惑も、3月1日の諄子氏のメールに記された辻元氏が作業員を、小学校建設現場に「送り込んだ」というものだ。
  メールには「嘘の証言した男は辻元と仲良しの関西生コン(※連帯ユニオン関西地区生コン支部とみられる)の人間でしたさしむけたようです」「孫請業者の作業員がその委託社長がしてないといったのにもかかわらずその三日だけきた作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしいです」(原文ママ)とある。
  辻元氏が代表を務めた政党支部「民主党大阪府第10総支部」の平成26、27両年分の政治資金収支報告書によると「大阪兵庫生コン経営者会」からそれぞれ献金を受けた。ただ、民進党関係者は「諄子氏が指摘したであろう作業員は辻元氏と面識はない」と述べる。野田佳彦幹事長は今月27日の会見で「(諄子氏らが)根も葉もないことを根拠にやりとりした」と否定した。
  ≪3≫14億値引き
  第3の疑惑は、学園の小学校建設地に隣接する「野田中央公園」についてだ。
  同公園はもともと国有地。平成22年10月12日の豊中市議会での市側説明によると、国との契約金額は14億2386万3000円。これが計14億262万円の国庫補助金などを得て、最終的に市の負担は2124万3000円で済んだ。
  市に交付された国庫補助金は、リーマン・ショックの経済対策目的などで、麻生太郎内閣が平成21年度補正予算で決めたものだ。ただ、辻元氏は21年9月から22年5月まで民主党政権で国交副大臣を務めたこともあり、同年10月の豊中市議会では質問者から「政権が代わったからこうなったのか」などの指摘も出た。
     (産経新聞 2017/03/28 07:55)

 

この産経新聞記事に示されたものを指すのであろう。

 

 しかし、だ。特にネット上で盛り上がっているのは、産経新聞により「第3の疑惑」として提示されている「野田中央公園」への「補助金」をめぐるものだが、これ、記事をちゃんと読めば、

  市に交付された国庫補助金は、リーマン・ショックの経済対策目的などで、麻生太郎内閣が平成21年度補正予算で決めたもの

このように、麻生太郎内閣時代の決定事項であることが明記されている。つまり、明らかに、「第3の疑惑」なるものと辻元清美議員は無関係だということが理解出来るはずだ(「国庫補助金」の決定が「疑惑」だというなら、それは辻元議員をめぐる「疑惑」なんかではなく、麻生政権にまつわる「疑惑」なのである―まさかそう主張したいわけでもあるまいが)。ま、ネット上の「盛り上がり」なんてのはその程度のものだろうが、安倍晋三首相閣下までが真に受けてしまうのはどうかと思う(維新の足立康史議員も)。

 

 

 で、残るのは二つの「疑惑」だが、「第1の疑惑」なるものについては、「辻元氏は2月28日、民進党視察団のメンバーとして豊中市の小学校建設予定地などを視察。辻元氏は21日の党視察団にも参加したが、同日の視察団は大阪市の塚本幼稚園を訪れ、籠池氏に面会を断られている」というどちらの「視察」の際もメディアの取り巻く中の行動なので、辻元議員が「幼稚園に侵入しかけ」た事実があるのであれば、その時点でメディアの知るところとなっているはずである。で、ここで産経新聞に対する「疑惑」が浮上する。実は取材に行っていなかったんでしょ? 取材に行っていなかったことは許すとしても、報道陣の前での「視察」であったわけだから、「幼稚園に侵入しかけ」たのが事実であれば(悔しいだろうが報道関係者に取材し)「裏を取る」くらいのことはして欲しい、とは思う(もし取材に行っていたのであれば、事実として記者は目撃していたはずであり、その事実を記事の形で明らかにするべきである)。

 

 この二つの「疑惑」については、

 

  「幼稚園侵入」については、保守派を名乗る人の2月28日のブログが導火線らしい。証拠は示されていないが、辻元氏が森友学園運営の幼稚園に勝手に入ろうとしたなどと断言し、そのことを糾弾していた。この日は、辻元氏は、民進党調査チームのメンバーとして現地を視察していた。
  ツイッターでも、同様な情報が流れ、辻元氏は、3月1日のブログで事実無根だと反論した。視察のときは、調査チームの車の周囲を出ておらず、各メディアもそのことを知っているというのだ。
  籠池理事長も証拠を示さずに9日にユーチューブ動画で同様な発言をし、このときも、辻元氏はブログで反論した。さらに、籠池夫人が前出のメールで指摘すると、民進党は同じ24日、マスコミあてのファックスなどで「幼稚園侵入」についてはウソだと訴えた。また、「嘘の証言した男」についても、「(敷地内に埋められたゴミを扱った)作業員を下請け業者に送り込んだとされていますが、これも全くの事実無根です」(カッコ内は編集部記入)と主張している。これは、ネット上の噂を籠池夫人が信じたためではないかという。
     (J-CASTニュース 2017/03/27 20:05)

 

このようにも報じられ、この中では「第2の疑惑」について、

 

  また、「嘘の証言した男」についても、「(敷地内に埋められたゴミを扱った)作業員を下請け業者に送り込んだとされていますが、これも全くの事実無根です」(カッコ内は編集部記入)と主張している。

 

このように説明されている。この「嘘の証言した男」とは、

 

  森友学園の小学校用地として売却された大阪府豊中市の国有地を巡る問題で、地下のごみ処理に関わったという関西地方の土木業の男性が24日、毎日新聞の取材に応じた。建設用地には生活ごみなどが混じった土が山積みになっていたといい、男性は「敷地内に穴を掘り、その土を埋めた」と証言した。
  この証言は国会審議で取り上げられ、国側は産業廃棄物として撤去費を見積もったと明らかにした。
  男性は昨年11月、知り合いの業者に紹介され、建設現場に出入りするようになった。校舎は既に建ちつつあり、敷地南側に約2000立方メートルの土が山積みで、空になったしょうゆやマヨネーズの容器、靴、衣類などが混じっていた。発注元の業者からの指示で、周囲の地面を2~3メートル掘っては土を埋める作業を繰り返したという。
     (毎日新聞 2017/02/24 23:30)

 

この記事にある「関西地方の土木業の男性」のことだと思われるが、そもそもこれが「嘘の証言」と位置付けられ得るものであるのかどうかが疑わしい。

 この件に関して森友学園側は、

 

  学校法人「森友学園」(大阪市淀川区)が小学校用地として大阪府豊中市の国有地を鑑定額より安く取得した問題について、法人は、4月開校予定の小学校のホームページ(HP)に反論を掲載した。工事に関わった土木業者が「建設現場から掘り出したごみの一部を敷地内に埋めた」とする証言に対し、ごみを含む土は「仮置き」状態だとし、今後分別して処理する考えを示した。

  26日付で掲載された。法人は、施工業者に確認した内容として「工事の手順、工事用地の確保の観点から、グラウンド東側に仮置きしていた産廃土(産業廃棄物の交じった土)の一部を移動させる必要が生じた」と経緯を説明。「仮置きしている産廃土の地下を掘削し、一部の産廃土を縦積みにする形で仮置きした」とし、埋め戻しによる隠蔽(いんぺい)を否定した。また、工事の経過表も公表し、28日ごろから、ごみと土に分別し、分別できないものは産廃として搬出する考えを示した。
  工事に関わった土木業者はこれまでの毎日新聞の取材に、「発注元の業者の指示で敷地内に穴を掘り、ごみが交じった土を埋めた」などと証言している。
     (毎日新聞 2017/02/27 11:13)

 

このように「説明」していたのである。

 「仮置きしている産廃土の地下を掘削し、一部の産廃土を縦積みにする形で仮置きした」ものだと主張する以上、「発注元の業者からの指示で、周囲の地面を2~3メートル掘っては土を埋める作業を繰り返した」との「関西地方の土木業の男性」の証言を「嘘の証言」と言い切ることは難しい(「男性は昨年11月、知り合いの業者に紹介され、建設現場に出入りするようになった」のであって、森友学園の問題が注目される以前の話である以上、時系列からして辻元議員が「作業員を下請け業者に送り込んだ」とは考えにくい―建設現場への出入りの時期も「嘘の証言」だと主張されるのかも知れないが、密室での二人だけの出来事とは違い、取材により検証可能な問題に過ぎない)。

 そもそも、その後の経過では、

 

  敷地には今も土砂が山積みで、豊中市によると、その傍らには廃棄物も積み上がったまま。市が聞き取った施工業者の話によると、土砂と廃棄物をふるい分け、土砂は3日から順次、残土処理場に運び出している。
  問題は廃棄物だ。コンクリート片から生活雑品まである。市の担当者は「目視なので厳密ではないが、全体の9割が土砂、1割が廃棄物ではないか」。廃棄物を搬出する業者は見つかっておらず、7日以降も未定という。
  一連の廃棄物の搬出を巡り、大阪府私学課は学園に作業予定を照会したが、学園側の代理人弁護士は6日、メールで「15日までに搬出を終え、16日から新しい土を持ちこんで埋める」と回答した。しかし府は「業者名も明記されず、細かい工程も書かれていない。計画書として不完全」として再提出を求めた。
     (毎日新聞 2017/03/06 23:57)

 

これでは、3月の初めの時点になっても廃棄物の搬出・処理業者との契約さえ存在せず、そもそも「廃棄物」の「搬出」による処理の計画自体が存在しなかった疑い(工事日程に組まれていなかったように見える)の方が濃い。「今後分別して処理する」つもりなど最初からなかったからこそ、「廃棄物を搬出する業者は見つかっておらず、7日以降も未定」となったのだと疑われて当然な経緯である。

 

 

 

 別に辻元清美議員には何の義理もないが、この件に関しては、「疑惑」の存在そのものが疑わしいと私は見る。

 

 ネット上の皆様は別としても、産経新聞にも安倍首相閣下にも足立先生にも、もう少ししっかりして欲しい、とは思う。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/03/28 17:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/300901/

 

 

 

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2017年3月 9日 (木)

教育勅語の精神(籠池 vs 稲田)

 

 トランプ大統領の言動から目が離せない一方で、いわゆる「安倍晋三記念小学校」問題もまた日々面白過ぎる展開が続いている。

 

 

 

 

 産経新聞は、「森友学園 4疑惑「不認可」決定付け 理事長経歴誤り、私学推薦枠虚偽…」と題された記事(2017/03/09 15:08)の中で、「疑惑」として、

 

  学園は、私立「海陽中等教育学校」(愛知県蒲郡市)と推薦入学枠の提供で合意したと府に文書で報告したものの、同校が真っ向から否定。

  さらに、学園側が提出した籠池氏の経歴が事実と異なることも発覚。自治省に入省した後、奈良県庁に出向したとしていたが、実際は奈良県に新卒で採用されており、学園側は「自治省に『出張した』という話をアルバイトが『出向した』と書き間違え、それを(経歴書に)転記した」と釈明した。

  小学校の建築費について、府と国、大阪空港の運営会社に提出した契約書で、それぞれ「7億5600万円」「23億8464万円」「15億5520万円」と、異なる記載をしていた。

  学園が府私学審議会に提出した雇用予定の教員名簿に、公立小の男性教員の名前を無断で記載した疑いも浮上している。

 

この4つを示している。

 どれも森友学園作成の文書上の虚偽記載の事実に関するものだが、そもそも「安倍晋三記念小学校」としての開校を謳い寄金を集めていた問題があるわけで、安倍晋三首相の主張が正しければ、首相当人に無断での寄金集めということになる。端的に言って詐欺行為そのものであろう。

 

 

 

 周知の通り、既に幼稚園経営で有名となった森友学園のウリのひとつは、幼稚園児による「教育勅語」の暗誦である。

 

 

 稲田朋美防衛大臣は国会での答弁の中で、

 

  大阪市の学校法人「森友学園」の幼稚園で園児が教育勅語を暗唱させられていたことに関し、福島瑞穂氏(社民)が見解をただした。稲田氏は「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と発言。「全く誤っているというのは違う」と語った。
     (毎日新聞 2017/03/08 19:49)

 

このように教育勅語についての認識を示している。

 また、同記事によれば同じ答弁の中で、

 

  稲田氏は一方、学園の籠池泰典理事長との関係について「私のパーティーに来ていた記憶はあるが、10年ぐらい会ったことも話したこともない」と述べた。

 

このように報道されている。

 

 

 この点について、森友学園の籠池理事長は自ら収録した動画の中で、

 

  「国会議員の先生が私のことを『全然知らない』と言っていたが、よく存じ上げている方もいらっしゃる。 『10年前にしか会ったことがない』とおっしゃっていたが、そんなことない。 2年ほど前にお会いしたことがあるのではないかと思う。ある特定の会合の中で。でも、そういうことを言わないのはおかしいのではないか。 籠池潰しはやめてほしい。尻尾切りはやめてほしい」
     (J-CASTニュース 2017/03/09 18:56)

 

このように主張していたことが報じられている。「『10年前にしか会ったことがない』とおっしゃっていたが、そんなことない。 2年ほど前にお会いしたことがあるのではないかと思う。ある特定の会合の中で」との指摘は、稲田氏へ向けられたものと理解されているが、籠池氏の主張が正しいのだとすれば、稲田氏の主張は虚偽であったことになる。もちろん、いわゆる「安倍晋三記念小学校」の開校準備に際しての様々な虚偽の主体が籠池氏であったことからすれば、動画での籠池氏の主張が虚偽である可能性も残されてはいる。

 

 

 

 いずれにせよ、稲田氏も籠池氏も「教育勅語」を非常に重要視する人物であることは確かである。稲田氏は、「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と主張していたわけだが、せっかくの機会なので、あらためて原文を引いてみよう。

 

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
     御名御璽

 

 私にとって興味深いのは、確かに教育勅語には「嘘をついてはいけない」とは一言も書いてないという事実である。籠池氏も稲田氏も、どれだけ虚偽を申し立てようが、教育勅語の精神に背いているわけではないということだけは確認しておきたい(註:1)。

 

 

 

【註:1】
 言うまでもないことだとは思うが、稲田氏の教育勅語理解の底の浅さは目を覆うばかりである。教育勅語の内容について「全く誤っているというのは違う」と主張するのは稲田氏のご自由ではあろうが、稲田氏が教育勅語の本義を理解しているようには見えない。
 稲田氏は「教育勅語の精神」を「親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すこと」と要約している。
 しかし、それでは勅語に込められた明治天皇の意思を理解したことにはならないだろう。
 稲田氏の称揚する徳目について、

  爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

このように位置付けられているのである。
 既に大日本帝國憲法において大権の保持者とされた天皇が、その臣民に対し最終的に求めているのは「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」ということなのであって、その点を無視しては勅語の本義を理解したことにはならない。
 「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と並べられた「徳目」は、それ自体が目的なのではなく、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼」する上で「朕カ忠良ノ臣民」に期待されている行為規範なのであり、求められているのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉」するような「忠良ノ臣民」による「天壌無窮ノ皇運」の「扶翼」なのである。
 「スヘシ」の文言が示すのは天皇の「臣民」に対する強い意思の表明であることを見落としてはならない。「臣民」に究極的に求められているのは天皇を大権の保持者とした政治体制を永遠に支えることであって、その点に触れずに教育勅語を語ることは勅語の本義に反する行為(明治天皇の大御心を無視した行為)と言わざるを得ない。もっとも、本文で指摘しておいたように、教育勅語には虚偽を戒める項目はない以上、稲田氏が(あるいは籠池氏が、そして日本会議に代表される面々が)教育勅語の本義をどのように捻じ曲げた上で称揚しようが恥じる必要は感じないのであろう。
 勅語の本義を理解せずに称揚するのは当人の浅薄さの証明となるし、本義を理解した上であえて語らないのだとすれば知的な誠実さが疑われる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/03/09 21:59 → http://www.freeml.com/bl/316274/299043/

 

 

 

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2016年9月16日 (金)

続・二重国籍の幻

 

 蓮舫先生のいわゆる「二重国籍疑惑問題」(最近では弥縫的に「二重戸籍疑惑」と言い換える向きもあるらしいが、その当人が蓮舫先生の発言のブレ―特に用語法上の一貫性のなさ―を平気で非難しているのは、あまりにご都合主義に見える)について、前回の記事(「二重国籍の幻」)の続きである。

 

 

 しかし…、あらためて思うのは、

  蓮舫議員の「台湾籍」というのはいったいどこの国の「国籍」のことなのか??

…ということである。ネトウヨの皆さんだけでなく(というかそれよりは)、 外務大臣、法務大臣、並びに官房長官の見解を伺ってみたい、と思う。

 

 この問題の基本に位置付けられる、わが国の「国籍法」の規定はというと…

 

  第十六条 
  選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。

 

 国籍法上、求められているのは、外国の「国籍」の離脱、なのである。

 前回も示したように、蓮舫嬢の日本国籍選択宣言時の、戸籍を始めとする公文書上の「国籍」欄には「中国」と明記されている。

 その上で…

 

  現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。
     (答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣)

 

 これが日本政府の公式見解なのである。

 

 繰り返すが、「台湾籍」というのはどこの国の「国籍」を示すものなのか? もう少し、この線上で、問題を追及してみたい。

 

 

 

 日本国籍選択当時の蓮舫嬢が所持していたのは「台湾」の「旅券(パスポート)」であるが、で、その旅券をそのまま現在に至るまで所持していた(更新されずに失効してはいるのだが)ことが特にネット上で問題とされているわけだが、台湾の旅券(すなわち中華民国政府発行の旅券)の日本の国内法的位置付けについて、まず確認しておきたい。

 

 現在の入管法(出入国管理及び難民認定法)には以下の規定がある。

 

  第二条  出入国管理及び難民認定法及びこれに基づく命令において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
  一  削除
  二  外国人 日本の国籍を有しない者をいう。
  三   乗員 船舶又は航空機(以下「船舶等」という。)の乗組員をいう。
  三の二  難民 難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)第一条の規定又は難民の地位に関する議定書第一条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。
  四  日本国領事官等 外国に駐在する日本国の大使、公使又は領事官をいう。
  五  旅券 次に掲げる文書をいう。
   イ 日本国政府、日本国政府の承認した外国政府又は権限のある国際機関の発行した旅券又は難民旅行証明書その他当該旅券に代わる証明書(日本国領事官等の発行した渡航証明書を含む。)
   ロ 政令で定める地域の権限のある機関の発行したイに掲げる文書に相当する文書

 

 「台湾」の「旅券」は、日本の入管法上は、当然のことながら「日本国政府の承認した外国政府又は権限のある国際機関の発行した旅券」には相当せず、「政令で定める地域の権限のある機関の発行したイに掲げる文書に相当する文書」として位置付けられる。

 現在では、パレスチナ自治政府と共に「台湾」が「政令で定める地域の権限のある機関」として取り扱われ、両「機関」の発行した旅券は、日本への入出国に際して入管法上の旅券として機能している。

 もちろん、この規定は、台湾旅券の所持者の台湾国籍保有を認定することを避けるために存在するのであって、台湾(あるいは中華民国政府)発行の旅券の所持者を、台湾国民(あるいは中華民国国民)として位置付けようとするものではない。

 

 

 しかし(というかむしろ「しかも」と言うべきか)、あくまでもこれは現在の法制度上の話なのであって、蓮舫嬢が1984年の国籍法の改正に伴い日本国籍を選択し、(戸籍上の記載をそれまでの)中国籍から日本へと変更した際には、台湾旅券は現在とはまったく異なる取り扱いの下にあったのである。

 立命館アジア太平洋大学の山神進教授による「入管法実務解説-第4回」には、以下のように記されている。

 

  なお上記ロのような規定をおき、“台湾護照”をも入管法上の旅券として認めることにした(平成10年)のは、台湾から本邦への入国者の増加にかんがみ、出入国手続きの簡素化を図れるようにしたものである。すなわちそれ以前は、台湾からの入国者は、有効な旅券を所持しないものとして、渡航証明書を取得しなければならず、また、本邦に在留中に一事海外渡航をしようとする場合には再入国許可証の発行を受ける必要があった
     (http://www.legal-info.co.jp/demo/demo_data/20070118_01.pdf

 

 つまり、蓮舫嬢が日本国籍選択宣言をした当時の日本の国内法制度上は、台湾旅券は無効なものとして取り扱われていたことになる。

 当時の蓮舫嬢が所持していたのはわが国の国内法的に既に効力を失なっていた「旅券」なのであり、現在ネット上で非難の的となっているその「旅券」なるものは、更にその後の台湾における更新手続きの不在により台湾の制度上も失効したものであり、いずれにせよ「旅券」としての資格を持たない紙切れに過ぎないのである。

 

 

 国籍法第十六条の「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」との規定を根拠に、日本の国籍選択宣言をした台湾出身者に対し、台湾籍表示(すなわち中華民国政府発行)旅券の台湾行政当局への返納等の手続きを求めてしまえば、台湾籍の表示を「外国の国籍」の表示として取り扱ってしまうことを意味してしまう。窓口レベルでの対応であれば、いかにもありそうな話ではあるが、法務省内の上層ではそのような対応が非常に厄介な事態を引き起こすことは理解されていて当然であり、そのような手続きを要求することは避けられるべきものとして判断されるはずである。要するに、窓口レベルでの対応では台湾での行政上の手続きを求めることもあったであろうが、そのような対応を法務省全体として公式に採用することはあり得ない話であり、台湾出身者の台湾籍旅券の放置の違法性を主張することもあり得ないものと考えられる。法務省としての実際的な対応としては、まずもって旅券の問題に触れないことであり、台湾出身者に「外国の国籍の離脱」の証明を求めないことである。

 

 これ以外に、法理的に問題なく、国家行政としての一貫性を保ち得る対応法はない(註:1)

 台湾籍旅券をめぐるネット上の盛り上がりは、問題の法理的側面をまったく理解していないところでのものに過ぎない(註:2)。要するに、国家行政上の問題として、現実的ではないのである(註:3)。

 

 

 

 蓮舫先生の発言に(特にその用語法に)統一性がないのは、(ネット上で盛り上がっているように)彼女が「嘘つき」であるから(意図的に虚偽を申し立てているから)ではなく、外国籍保有者が日本国籍を取得する際に必要な法的手続きの詳細(「帰化」と「国籍選択」の違い等々をも含む)に関し正確な知識を持たない(つまり「認識不足」ということである)からと理解する方が、発言の統一性のなさを解釈する上で適切であるように思う(加えて、蓮舫先生の発言が、記憶という曖昧なものに依拠し過ぎているという問題がある)。

 この理解は、必ずしも彼女を擁護するものではなく、彼女の法制度上の認識不足に対する批判をも含むものである。

 国籍法の改正を受け、彼女が国籍選択をした当時の在日外国人をめぐる法的状況として、外登法上の義務とされていた指紋押捺制度への反対運動の盛り上がりがある。その中での「認識不足」は、その時代を生きた人間の一人でありながら(十代の後半という年齢ではあるが)、自身をめぐる法制度上の問題に対する無関心の印象を際立たせてしまう。

 もちろん、十代後半という年齢を考慮すれば、そのような現実(それも自らの出自がもたらす現実)から目を逸らしたくなる気持ちも、私には、理解出来るものではある。十代後半の少女にとってデリケートな問題でもあるのであり、一方的に声高に非難するようなデリカシーのなさは避けたい。

 しかし、彼女のその後の経歴にはニュース・キャスターがあり、在日外国人をめぐる法制度上の問題への鈍感さは、職業的に致命的なものでもあるはずだ。

 そして参議院議員である。その上に民進党の代表だ。不勉強と非難されることは甘受すべきであろうし、そもそも蓮舫先生の政治手法は、政敵の一身上のこのような局面を徹底的に利用し尽くす攻撃的なもの(認識不足は許されるものではなく、曖昧な記憶に基く発言の揺れは認められない)ではなかっただろうか。乱暴な二分法と過剰な一般化に基く糾弾的論法は、そもそもが蓮舫先生がお得意としてきたものとの印象も強いのである。

 

 しかし、繰り返すが、出自をめぐる問題はデリケートなものである。(蓮舫先生自身が実際にデリケートな感性の持ち主であるのかどうかはともかくとして)その点に対する想像力を欠いた議論の氾濫には、いささか絶望的な気分にさせられるのも正直なところである。

 

 

 

【註:1】
 1984年の国籍法改正(1985年施行)に伴い、日本国籍選択宣言をした台湾出身者(日本在住の中華民国政府発行の旅券―ただし日本政府によって既にその有効性は否定されているのだが―の所持者)に台湾の行政当局(すなわち中華民国政府)を相手にした国籍離脱の手続き(国籍法上の「外国の国籍の離脱」)の実行を求めてしまえば、台湾出身者の「国籍」が中華民国のものであることを意味させてしまい、1972年の日中国交正常化を受けて中華民国政府発行旅券の有効性を否定した意味が失われてしまう。それでは日本の国家行政が整合性を欠いたものとなってしまうのである。

 前回記事中でも指摘したことだが、「台湾籍」という法的に曖昧な語を用いてしまうことが問題の所在をわかりにくくし議論を混乱に導いているように思われる。
 蓮舫嬢の国籍選択当時の日本の戸籍簿上には「台湾」を「籍」とする台湾出身者は存在せず、すべてが「中国」を「籍」としていたのであるし、その「中国」籍の台湾出身者が所持していた旅券は「台湾」の旅券ではなく中華民国政府発行の旅券(しかも、その旅券は1972年の段階で日本政府により有効性を否定されていた)であった。ちなみに、中華民国の国籍法の条文中には「台湾」の文字はまったく用いられていないことは覚えておいてよい。その中華民国の国籍法が規定するのは、あくまでも中華民国国民の要件であり、中華民国政府発行の旅券がその所持者に保障するのは中華民国の国籍保有であって「台湾」の「籍」ではない(中華民国政府発行のパスポートに「TAIWAN」の文字が併記されるようになったのは2003年になっての話である)。「台湾籍」という用語は、中華民国(そして台湾において現実の行政の主体となってもいる中華民国政府)の存在を隠蔽するのに役立つことは確かだが、今回の二重国籍問題を正確に考える上では混乱の原因となっているように見える。実際、この点に鈍感なところで展開される主張は、多くの場合、的外れなものとなっている。

 

【註:2】

 民進党代表選に立候補している蓮舫代表代行は13日午前、記者会見し、父親の出身地である台湾(中華民国)籍が残っていたことを明らかにした。
 台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)から12日夕に確認の連絡を受けたという。蓮舫氏は「記憶の不正確さから混乱を招き、おわびする」と謝罪した。
 蓮舫氏は旧民主党政権で、台湾籍が残ったまま閣僚を務めていたことになり、波紋が広がりそうだ。ただ、15日投開票の代表選を辞退する考えはないと強調した。
 蓮舫氏はこれまで、日本と台湾のいわゆる「二重国籍」を否定。17歳だった1985年に日本国籍を取得した際、父親とともに代表処へ出向き、台湾籍放棄の手続きを取ったと説明していた。しかし、手続きが済んでいたかは「確認中」として、6日に改めて台湾籍放棄の手続きを申請した。
 蓮舫氏は会見で「(台湾籍放棄)手続きが完了すれば、籍に関することは最終的に確定する」と述べ、手続きが終わるまでなお時間を要するとの認識を示した。
     (時事通信 2016/09/13 10:45)

 この報道は興味深い。

 ネット上で非難されているように、蓮舫先生の「台湾籍放棄」は台湾への「裏切り」と断言し得るのか? 結果的に「台湾籍」を「国籍」扱いすることになり、むしろ台湾当局の利益に適った行為と言い得るのではないのか?

 蓮舫先生の「台湾籍放棄」は、台湾当局にとってネガティブな行為なのかどうか?
 この点については大いに議論の余地がある。

 今回の蓮舫先生の「台湾籍放棄」が、国籍法での「外国の国籍の離脱」をあらためて実行したものなのだとすれば(実際、ネット上ではそのように解釈され、非難されているわけである)、蓮舫先生の「台湾籍」は「外国の国籍」として位置付けられることになってしまう。
 これは蓮舫先生個人の問題にとどまるものではなく、台湾籍一般が台湾の「国籍」として位置付けられたことを意味してしまう。
 これはむしろ台湾当局にとっては歓迎すべき事態とも言い得るのである(もっとも、蓮舫先生自身がその点について自覚的であったとは思い難いが)。

 果たして蓮舫先生は台湾のナショナリズムに反する行為をしたのか?
 それとも台湾のナショナリズムに貢献する行為をしたのか?
 どのような答えが適切と言い得るのか、この問いに答えることは意外に難しい。

 いずれにせよ、ネット上での蓮舫攻撃がエスカレートすればするほど(そしてそれが現実的な影響力を持ってしまえば)、実際問題として、日本政府は厄介な立場に追い込まれるのである。日本政府としては特に見解を示さずに静観するのが穏当な対処法であろう。

 

【註:3】
 この点に関して参考になるのは、台湾出身者の場合の日本国籍選択の手続きと日本への帰化の手続きの違い、及び台湾籍保有者と一般の外国籍保有者の帰化申請手続きの違いである(以下の行文では、煩雑を避けるために「台湾籍」の語を用いる)。
 前者であれば、(現行法では)父母のどちらかが日本国民であれば、その子にも日本国籍が与えられ、その成人に際して国籍の選択が求められる。これはいわば、それまでの二重国籍状態から、当人の責任において父母いずれかの国籍を選択することが(多重国籍保有を認めな我が国の)国籍法で義務付けられているということである(その行使においては国籍選択の「権利」と言い得るかも知れない)。
 後者については、台湾籍保有者の「帰化申請」に際しては、日本国籍取得(帰化)手続きの前提として、台湾籍からの離脱が求められている(http://kikajp.net/taiwan_kika_service.html)。台湾籍保有者を無国籍者状態に置いた上で、あらためて日本国籍取得(帰化)の申請に進むのである。これは国籍法の定める一般的な帰化の手続きとは著しく異なる。まず、国籍法の規定と、法務省のサイトにある「国籍Q&A」から、一般的な帰化の条件・手続きについて確認しておきたい。

第四条 
 日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。
 2 帰化をするには、法務大臣の許可を得なければならない。
第五条 法務大臣は、次の条件を備える外国人でなければ、その帰化を許可することができない。
  一 引き続き五年以上日本に住所を有すること。
  二 二十歳以上で本国法によつて行為能力を有すること。
  三 素行が善良であること。
  四 自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によつて生計を営むことができること。
  五 国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。
  六 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと。
 2 法務大臣は、外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるときは、その者が前項第五号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる。
     (国籍法 
http://www.moj.go.jp/MINJI/kokusekiho.html

Q8: 帰化とは,何ですか?
 帰化とは,その国の国籍を有しない者(外国人)からの国籍の取得を希望する旨の意思表示に対して,国家が許可を与えることによって,その国の国籍を与える制度です。日本では,帰化の許可は,法務大臣の権限とされています(国籍法第4条)。
 法務大臣が帰化を許可した場合には,官報にその旨が告示されます。帰化は,その告示の日から効力を生ずることとなります(国籍法第10条)。

Q9: 帰化の条件には,どのようなものがありますか?
 帰化の一般的な条件には,次のようなものがあります(国籍法第5条)。
 また,これらの条件を満たしていたとしても,必ず帰化が許可されるとは限りません。これらは,日本に帰化するための最低限の条件を定めたものです。
1  住所条件(国籍法第5条第1項第1号)
  帰化の申請をする時まで,引き続き5年以上日本に住んでいることが必要です。なお,住所は,適法なものでなければなりませんので,正当な在留資格を有していなければなりません。
2  能力条件(国籍法第5条第1項第2号)
  年齢が20歳以上であって,かつ,本国の法律によっても成人の年齢に達していることが必要です。
3  素行条件(国籍法第5条第1項第3号)
  素行が善良であることが必要です。素行が善良であるかどうかは,犯罪歴の有無や態様,納税状況や社会への迷惑の有無等を総合的に考慮して,通常人を基準として,社会通念によって判断されることとなります。
4  生計条件(国籍法第5条第1項第4号)
  生活に困るようなことがなく,日本で暮らしていけることが必要です。この条件は生計を一つにする親族単位で判断されますので,申請者自身に収入がなくても,配偶者やその他の親族の資産又は技能によって安定した生活を送ることができれば,この条件を満たすこととなります。
5  重国籍防止条件(国籍法第5条第1項第5号)
  帰化しようとする方は,無国籍であるか,原則として帰化によってそれまでの国籍を喪失することが必要です。なお,例外として,本人の意思によってその国の国籍を喪失することができない場合については,この条件を備えていなくても帰化が許可になる場合があります(国籍法第5条第2項)。
6  憲法遵守条件(国籍法第5条第1項第6号)
  日本の政府を暴力で破壊することを企てたり,主張するような者,あるいはそのような団体を結成したり,加入しているような者は帰化が許可されません。

 なお,日本と特別な関係を有する外国人(日本で生まれた者,日本人の配偶者,日本人の子,かつて日本人であった者等で,一定の者)については,上記の帰化の条件を一部緩和しています(国籍法第6条から第8条まで)。

Q10: 帰化には,どのような手続が必要ですか?
1  帰化許可申請の方法
  本人(15歳未満のときは,父母などの法定代理人)が自ら申請先に出向き,書面によって申請することが必要です。その際には,帰化に必要な条件を備えていることを証する書類を添付するとともに,帰化が許可された場合には,その方について戸籍を創設することになりますので,申請者の身分関係を証する書類も併せて提出する必要があります。
  帰化申請に必要となる主な書類については,Q11をご覧ください。
2  申請先
  住所地を管轄する法務局・地方法務局

Q11: 帰化許可申請に必要な書類には,どのようなものがありますか?
  帰化許可申請に必要となる主な書類は,次のとおりです。
1  帰化許可申請書(申請者の写真が必要となります。)
2  親族の概要を記載した書類
3  帰化の動機書
4  履歴書
5  生計の概要を記載した書類
6  事業の概要を記載した書類
7  住民票の写し
8  国籍を証明する書類
9  親族関係を証明する書類
10  納税を証明する書類
11  収入を証明する書類
12  在留歴を証する書類

 国籍を証する書面及び身分関係を証する書面については,原則として本国官憲が発給したものを提出する必要があります。
 なお,申請者の国籍や身分関係,職業などによって必要な書類が異なりますので,申請に当たっては,法務局・地方法務局にご相談ください。
     (国籍Q&A 
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji78.html

 この国籍法の規定及び法務省による「Q&A」を読めば分かるように、一般的な帰化申請の手続きに際しては、台湾籍保有者の場合と異なり、たとえば国籍法では「国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと」とあるように、外国籍からの離脱は日本国籍の取得後(日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべき)に必要なものとされており、申請の前提として無国籍状態になることは求められていない。
 更に「Q&A」では、

   帰化しようとする方は,無国籍であるか,原則として帰化によってそれまでの国籍を喪失することが必要です
  帰化許可申請に必要となる主な書類は,次のとおりです。
   8  国籍を証明する書類
   国籍を証する書面及び身分関係を証する書面については,原則として本国官憲が発給したものを提出する必要があります。

…として、それまでの国籍の喪失(外国籍からの離脱)は、「帰化によって」の文言が明らかにしているように、帰化が実現した後(日本国籍取得の後)に必要なものとされているのだし、帰化許可申請の際に必要となるのは無国籍状態の証明ではなく、申請提出時の「国籍を証明する書類」なのである。これは台湾籍保有者の場合と著しく異なる。
 まさにここに日本の国家行政上の整合性がいかに追求されているのかが読み取られなければならない。「台湾籍」を台湾の「国籍」と見做してしまう事態を避けるために(中華民国政府を国家を代表する政府と位置付けてしまうことを避けるために)、台湾籍(中華民国国籍)から日本国籍への帰化(そしてその後の「台湾籍」からの離脱)という手続きではなく、無国籍者による帰化申請という形式を法務省はわざわざ求めているということなのである。もちろん、台湾籍保有者の無国籍化の手続きを実行するのは台湾の行政当局(中華民国政府)なのであるが、(その事実を視野の外に置くこと―意図的に無視すること、とにかく触れないこと―によって)日本政府が窓口で対面するのは既に無国籍者となった帰化申請者となるとの曲芸的論法ということなのである。中華民国政府による「国籍を証する書面」を認めてしまえば、中華民国の「国籍」を認めてしまうことになってしまい、日本の国家行政から形式的な整合性が失われてしまうのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/09/16 18:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/285239/

 

 

 

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2016年9月 9日 (金)

二重国籍の幻

 

 このところのネトウヨ系(あるいは自称保守系)大興奮ニュースとして、党内選挙で民進党の代表になっちゃうかも知れない蓮舫先生をめぐる「二重国籍疑惑問題」があったりする。

 

 蓮舫先生については、ニュース・キャスター時代の彼女を、故ナンシー関が見事に「社会派バカ」の一言で斬って捨てたのを今でも忘れ難く思う私ではあるが、そしてその印象が今に至るまで変更されることもなく来た―もちろんささやかな私の偏見に過ぎないのであろう―のであるが、つまり現在の政治家としての蓮舫先生を支持する気にもまったくならない私なのではあるが、今般の(産経新聞と百田尚樹先生とを含む)ネトウヨ系(あるいは自称保守系)の盛り上がりには冷ややかな視線を送らざるを得ないのもまた現実なのであった。

 

 

 

 戸籍簿上の国籍表記に関しては、昭和39年の時点で、台湾出身者については国籍を「中国」と表記するようにとの法務省からの通達がある(註:1)。

 1967年(昭和42年)生まれの蓮舫先生は、出生当時の国籍法上、(日本国民である母の持つ日本国籍ではなく)父の出身地である台湾を意味する「中国」を自身の国籍として日本の公文書に記載することを求められていたことになる。

 

 言うまでもないことであるとは思うが、そもそも「台湾」は地域名であるが国名ではない。「台湾」は、かつては大日本帝國の支配領域であったが、「先の大戦(つまり大東亞戦争)」での大日本帝國の敗戦後は、大陸を追われた国民党政権の支配領域として「中華民国」を国名として名乗ることとなった。昭和39年(1964年)の法務省通達にある「中国」は、この「中華民国」の略称(あるいは通称)ということになる。その後、1972年の「日中国交正常化」により、日本国は大陸に本拠を置く中国共産党政権下の「中華人民共和国」を「中国」の正統な国家として承認し、国民党政権下の台湾の「中華民国」とは断交した(その時点で台湾の正統的な支配者は、台湾の国民党政府ではなく大陸の中国共産党政府と見做されることとなった)。

 しかしそこで台湾出身者の国籍表記はどうなったかというと「中国」のまま! つまり、日中国交正常化後、日本国内公文書上の「中国」は、従来の「中華民国」としてではなく、「中華人民共和国」として読み替えられ取り扱われることで済まされてしまったのである(註:2)。

 

 蓮舫先生は、出生時は当時の国籍法の規定と法務省通達に従い、台湾出身である父の国籍表記である「中国」(ただし中華民国を意味する)の国籍保有者として取り扱われ、「日中国交正常化後」には「中国」の正統な国家として日本政府に承認された(台湾をも領域とすることとされている)中華人民共和国(もちろんこちらも略称は「中国」である―ちなみに日本国の外務省も、そして中華人民共和国の外務省も、この表記を認めている 註:3)の国籍保有者として取り扱われるようになってしまったわけである。

 

 再確認しておくと、1967年の出生時は台湾を領域的に実効支配する国民党政権下の中華民国国籍を意味する「中国」の国籍保有者として取り扱われ、「日中国交正常化」後は台湾をも含む「中華人民共和国」の国籍保有者であることを意味する「中国」籍の保有者として、日本の国内法上の取り扱いを受けていたのである(註:4)。

 日常語の世界の話としてはともかく、日本国の公文書(少なくとも法務省民事局管轄の戸籍簿)上は、「台湾籍」である「蓮舫」なる人物が存在したことはない、ということになる。

 

 で、1984年の国籍法の改正(母が日本国籍保有者であれば、その子に日本国籍が認められるようになった)により、当時の若き蓮舫嬢は、あらためて国籍の選択を迫られることになる。そこで彼女は(父のアドバイスもあったらしいが)日本国籍をあらためて選択したのであった。

 で、ネットで騒がれているのは、その際に「台湾籍を離脱していないのではないのか?」との「疑惑」であるわけだが、先に説明したように、そもそも日本の戸籍簿上には、国籍(帰属先の国家)を「台湾」とする台湾出身者は存在しない。

 その事実を再確認した上で、実際に国籍欄に記載されていた「中国」(ここでは中華人民共和国を意味する―蓮舫嬢が日本国籍を取得した時期が日中国交正常化後なので)の国籍からの離脱の手続きの実行の有無は問われ得る話ではあるだろう。

 ここで焦点となるのは、中華人民共和国の国籍法上の他国の国籍取得者への対応である。中華人民共和国の国籍法上では二重国籍の保有は認められず、他国の国籍を取得した時点で「中華人民共和国」の国籍は失われる。つまり、若き蓮舫嬢が日本の国内法の規定に基づき日本国籍の取得を選択した時点で、中華人民共和国の国内法に基づき、中華人民共和国の国籍は自動的に失われていることになるのである(註:5)。当人による中国籍離脱の手続きは(中華人民共和国の法制度上は)必要とされていないのだ(註:6)。

 実際問題として考えれば、かつて彼女が北京大学に留学した際には、彼女は日本国のパスポートを使用していた―つまり日本国民として「渡航」した―のであり、中華人民共和国の国籍保有者として「帰国」したのではない(そのようなことは中華人民共和国の法制度上あり得ない話なのである)。

 ただし、台湾の公文書上の問題としては、戸籍上の「籍」は残されている可能性は残る―しかし、台湾は日本国から国家として認められていないので、日本の法理上は蓮舫先生の台湾「国籍」なるものは存在しないわけでもあるし、中華人民共和国の法理上も既に中国の国籍を喪失している人物の籍が地方行政文書(台湾は中華人民共和国政府からすれば国内の一地方に過ぎない)に残されているのは国内行政上の瑕疵でしかない(戸籍記載の訂正は、既に国籍を喪失した人物の責に帰するものではなく、行政官の職務に属する問題である―もっとも、あくまでもこれは形式的な話であって、現実の中華人民共和国政府は、現地台湾の行政官に指示命令する手段を持たないのであるが)し、そもそも台湾の住民の多くは自身の帰属先を「中華民国」と考えているのであって、必ずしも台湾なる国家の国籍の保有者などとは考えていない―もちろん、「台湾」を自身の帰属先と考え、大陸から独立した領域としての「台湾」を希求する台湾ナショナリストも存在する(註:7)事実を無視するべきではないが―はずである。

 安易に「台湾籍」という語を用いて問題を論じようとする風潮には、(公文書上の用語法に象徴される)問題の法理的側面への無理解を感じさせられる。本質的に法理上の問題であるにもかかわらず、排外主義的心情の上に築かれた妄想の拡大再生産に議論(蓮舫先生への批判)が終始している印象である。いずれにせよ、日本国の国内法的にも、中華人民共和国の国内法の上でも、蓮舫先生の二重国籍問題なるものは最初から存在しないのである(註:8)(この点に関しては、更に「続・二重国籍の幻」の中で、蓮舫先生の所持していた「台湾籍」の「旅券」の国内法的位置付けに焦点を合わせ論じてみたのでそちらも参考にしていただきたい)。

 

 

 

【註:1】

   戸籍における台湾出身者の国籍表記に関する質問主意書
第177回国会(参議院) 質問第二五六号 平成二十三年八月九日 大江康弘(自由民主党)

 現在、台湾人女性が日本人男性の妻となる場合、台湾出身者が日本に帰化する場合、又は台湾出身者が日本人の養子となる場合など、台湾出身者の身分に変動があった場合、戸籍における国籍や出生地は「中国」あるいは「中国台湾省」と表記される。
 戸籍において、台湾出身者の国籍を「中国」と表記しているのは、実に今をさかのぼること四十七年も前の昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達が根拠になっていると思われる。

 昭和三十九年といえば、東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された年で、日本が中華民国と国交を結んでいた時代である。しかしその後、日本は中華民国と断交して中国(中華人民共和国)と国交を結ぶなど、日本と台湾・中国との関係は大きく変わっている。
 このような中、東京都は平成二十年五月、住民基本台帳の表記について昭和六十二年の通知が現状に即さず、正確ではないとの判断から、台湾からの転入・台湾への転出の際には「台湾」の表記を認めるという通知を出している。また、平成二十一年七月の法改正による外国人登録証明書の在留カード化措置において、台湾出身者の「国籍・地域」表記は「中国」から「台湾」に改められることになる。
 現実的にも、中国が台湾を統治したことは一度もない。また、日本政府は観光客に対するノービザや運転免許証について台湾とは相互承認を行い、中国とは行っていないなど、明確に台湾と中国とを区別している。さらに、台湾では天皇誕生日祝賀会が開催されたり叙勲を復活させたりするなど、中国とは状況が異なっている事例には事欠かない。
 従って、五十年前とは様変わりしている事情や現実を踏まえ、戸籍における台湾出身者の国籍表記を早急に改めるべき状況にあると認識している。
 そこで、以下のとおり質問する。

一 戸籍において、台湾出身者の国籍や出生地を「中国」や「中国台湾省」と表記するのは、昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達が根拠になっていると思われるが、それで相違ないか。もし違うというのであれば、根拠となっている法律や通達などを明らかにされたい。

二 戸籍において、台湾出身者の国籍を「中国」と表記することは、現状に即し正確だと認識しているか、政府の認識を明らかにされたい。

三(略)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/syuh/s177256.htm
 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/toup/t177256.pdf

   参議院議員大江康弘君提出戸籍における台湾出身者の国籍表記に関する質問に対する答弁書
答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣(菅直人)

一について

 御指摘のとおりである。

二について

 お尋ねの「現状」の意味が必ずしも明らかではないが、現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。

三について(略)  
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/touh/t177256.htm
 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/toup/t177256.pdf

 

 もちろん、この内閣総理大臣の答弁内容は、民主党政権での独自見解などではなく、歴代の自民党政権下でも受け継がれてきた認識と考えるべきものである(大江議員は、「五十年前」から修正されることなく続く戸籍記載上の問題を指摘しているのであり、その五十年間のほとんどの時期に政権を担当し続けたのは他ならぬ自由民主党なのであるから)。

 

〔追記:2016/09/11〕
 自由民主党政権下での森山真弓法務大臣が以下の答弁をしてるようである。

 04月23日(2002年・平成14年)
 外登証問題で、西村眞悟・衆院議員が法務委員会において質疑。森山真弓法相は「外国人登録法を昭和27年に制定して以来、台湾出身者は『中国』と表記。これは昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」と答弁。
http://freeasia2011.org/japan/archives/1510

 この通りだとすれば、大江議員に対する菅首相の答弁は、大枠として、明らかに自民党政権の姿勢を引き継いだものと位置付けられるだろう。
 「外国人登録法を昭和27年に制定して以来、台湾出身者は『中国』と表記。これは昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」との森山法相の答弁からは、「昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達」に先立ち、外国人登録法については昭和27年の制定以来、「台湾出身者は『中国』と表記」していたことがわかる(そしてそれが「昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」ということも)。
 また、昭和39年の「戸籍」上の表記をめぐる「通達」は、あらためて国籍に関する戸籍上の記載と外国人登録に際しての記載の整合を図ろうとしたものと推測し得る(縦割りの行政の中で、横断的に運用上の細部の整合を図るためには多大な労力が必要とされるという一事例にも見える)。

 

【註:2】
 当事者である台湾出身者の帰属意識に関係なく、それまでの中華民国国籍保有者が中華人民共和国籍保有者として見做されるという書類処理上の解釈変更により、「日中国交正常化」という(厄介な)事態への対応が図られたわけである。
 この、台湾出身者の戸籍上の法的身分の解釈変更(帰属する国家―国籍―の変更)という対応策は、日本国の行政官の負担の軽減には役立つものであっただろう。しかし、日本国の行政組織からそれを求められた際に、台湾出身者の出身地における身分の公的証明を発行するのは中華人民共和国政府の行政窓口ではなく、出身地である台湾で依然として実際の行政組織を運用する中華民国政府に属する行政官なのである。
 法的身分については中華人民共和国の国籍保有者とされた台湾出身者は、しかし同時に中華人民共和国のコントロールの及ばない台湾現地の(もちろん、日本国内の出先機関も含むものだが)行政組織、すなわち中華民国を名乗る行政組織によって台湾における法的身分の証明を受けることとなったのである。
 日本の行政官の負担の軽減の結果、台湾出身者には、より複雑な状況がもたらされ、ある種の行政手続きに際し、より大きな負担(当事者の帰属意識の無視は、それだけで当事者には心理的負担となる)が必要となってしまったわけである。
 いずれにせよ、当事者の帰属意識が完全に無視された中で、「日中国交正常化」を受けての行政処理の変更が行われ、様々な意味において台湾出身者の負担を増大させた事実には気付いておくべきだろう。
 今回の「二重国籍疑惑問題」も、このような歴史的背景の中で理解しなければならない。

 

【註:3】
 たとえば日本の外務省の報道発表において「中国」の名称が使用されている。

 → 第11回日中韓高級事務レベル協議(結果)(報道発表)(平成28年8月21日)
   (http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003612.html

 中華人民共和国の外務省も、自国を指すのに「中国」の名称を使用している。

 → 日本に慎重な行動を望む 参院選改憲派勝利で中国外交部(2016-07-12)
   (http://www.china-embassy.or.jp/jpn/fyrth/t1379421.htm

 ちなみに、台湾すなわち中華民国の国籍法の条文中でも、自称として「中国(中國)」が併用されている(特に、昭和39年の法務省通達から「日中国交正常化」、そして蓮舫嬢の日本国籍取得に至る時期に施行されていた条文を示してみた)。

 → 國籍法 (民國18年)
   (https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%9C%8B%E7%B1%8D%E6%B3%95_(%E6%B0%91%E5%9C%8B89%E5%B9%B4)

 

【註:4】
 先に示した通り、この件に関しての日本政府見解は、

  現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。
     (答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣)

 

【註:5】

     中華人民共和国国籍法
第1条
中華人民共和国国籍の取得、喪失及び回復は、すべて本法を適用するものとする。
第2条
中華人民共和頃は多民族による統一国家で、各民族に属する者は、すべて中国の国籍を有する。
第3条
中華人民共和国は中国の公民が2重国籍をもつことを認めない。

第4条
父母の双方又は一方が中国の公民で、本人が中国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。
第5条
父母の双方又は一方が中国の公民で、本人が外国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。ただし、父母の双方又は一万が中国の公民であるとともに外国に定住し、本人が出生と同時に外国の国籍を取得している場合には、中国の国籍を有しない。
第6条
父母が無国籍又は国籍不明で、中国に定住し、本人が中国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。
第7条
外国人又は無国籍者は、中国の憲法と法律を遵守する意思を表示し、次の条件の1つを備えた場合には、申請、許可を経て中国国籍に入籍することができる。
 1 中国人の近親であること。
 2 中国に定住していること。
 3 その他の正当な理由があること。
第8条
中国国希への入考を申請して許可された者は、中国の国籍を取得する。中国の国籍入籍を許可された者は、もはや外国の国籍を留保することができない。
第9条
外国に定住している中国公民で、自己の意思によって外国の国籍に入籍し、若しくはこれを取得した者は、中国国籍を自動的に失う。

第10条
中国の公民は、次の条件の1つを備えた場合には、申請許可を経て、中国国籍を離脱することができる。
1 外国人の近親であること。
2 外国に定住していること。
3 その他の正当な理由があること。
第11条
中国の国籍離脱を申請して許可された者は、中国の国籍を失う。
第12条
国家の公務員と現役の軍人は、中国の国籍を離脱することができない。
第13条
かって中国の国籍を有したことがある外国人は、正当な理由がある場合には、中国国籍の回復を申請することができる。中国国籍の回復を許可された者は、もはや外国の国籍を留保することができない。
第14条
中国の国籍の取得、離脱及び回復については、第9条に規定した場合を除き、必ず申請の手続きを踏まなければならない。18歳末満の者は、その父母又はその他の法定代理人が代わって申請する。
第15条
国籍の申請を受理する機関は、国内では地元の市・県の公安局であり、外国では中国の外交代表機関と領事機関である。
第16条
中国国籍の入籍、離脱及び回復に関する申請は、中華人民共和国公安部がこれを審査し、許可する。許可された者には、公安部が証明書を交付する。
第17条
本法の公布される前に中国の国籍を取得し、又は中国の国籍を失つた場合には、それは引き続き有効である。
第18条
本法は、公布の日から施行する。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/cnf/kakkoku_kokusekihou/china.html

 

【註:6】
 ただし、中華民国の国籍法では、他国籍取得による国籍離脱(国籍喪失)には内政部の許可が必要とされ、しかも年齢の制限があった。

      中華民国国籍法
第10条
中国人で、左の各号の1に該当する者は、中華民国の国籍を喪失する。
 (1) 外国人の妻となつた者で、国籍の離脱を申請し、内政部の許可を経た者。
 (2) 父が外国人であって、その父が認知した者。
 (3) 父が知れないか、または認知しない者であって、母が外国人であり、その母が認知した者。
② 前項第2号および第3号の規定により、国籍を喪失する者は、中国法により未成年であるか、または中国人でない者の妻である者に限る。
第11条
自己の志望により外国の国籍を取得する者は、内政部の許可を得て中華民国の国籍を喪失することができる。ただし、満20歳以上であって、中国法により能力を有する者に限る。

http://www011.upp.so-net.ne.jp/cnf/kakkoku_kokusekihou/china.html

 ちなみにこの日本語訳は「子どもの国籍を考える会」のサイトにあるものだが、どのような理由によるのかは不明だが、現行法(國籍法 (民國95年))の文言によるものではない。ただし、幸いなことに蓮舫嬢が日本国籍を取得した当時( 國籍法 (民國18年))の条文の文言の翻訳となっており、今回の問題の理解にはとても役に立つ。
  蓮舫先生当人がインタビュー(http://news.yahoo.co.jp/feature/349)で明らかにしているところによれば、蓮舫嬢の日本国籍選択・取得手続きは、日本の国籍法改正施行(1985年1月1日)の直後の同年同月21日であり、一方で当時の中華民国の出先機関である亜東関係協会に「国籍喪失」の手続きのために出向いている。
 「台湾語」での手続きは父が代行し、台湾語の理解出来なかった蓮舫嬢にはやりとりの内容はわからなかったという。しかし当時(17歳の高校生)の蓮舫嬢は、それで国籍喪失の手続きは終了したものと考えていた。
 いわゆる「台湾籍」が残存し現在に至っているのだとすれば、「自己の志望により外国の国籍を取得する者は、内政部の許可を得て中華民国の国籍を喪失することができる。ただし、満20歳以上であって、中国法により能力を有する者に限る」との国籍法の規定(満20歳以上)が、当時17歳の高校生であった蓮舫嬢を阻んだのだと推測される。成人後の「国籍喪失」の再申請がないままに現在に至り、いわゆる「台湾籍」が残されている可能性はある。
 蓮舫嬢の当時の年齢を考えれば、日本国籍の取得・中華民国国籍の喪失という二つの法的手続きの詳細を把握していなかったことは、声高に非難されるような話でもないように思われる。

 もっとも、日本国の戸籍簿上は、「日中国交正常化」の時点より中華民国の国籍保有者は中華人民共和国の国籍保有者として取り扱われており、国内法的に既に中華民国の国籍保有者と見做されていない蓮舫嬢に中華民国の国籍喪失手続が必要なものなのかどうかには議論の余地が残る(本文で明らかにしているように、私はその必要性を疑っている)。

 参考のために、中華民国の国籍法の当時の条文と現行の条文を原文で示しておく。

当時の国籍法条文(國籍法 (民國18年)
第十條
  中國人有左列各款情形之一者,喪失中華民國國籍:  
  一、為外國人妻,自請脫離國籍,經內政部許可者。  
  二、父為外國人,經其父認知者。  
  三、父無可考或未認知,母為外國人經其母認知者。  
  依前項第二、第三款規定喪失國籍者,以依中國法未成年或非中國人之妻為限。
第十一條
  自願取得外國國籍者,經內政部之許可,得喪失中華民國國籍。但以年滿二十歲以上,依中國法有能力者為限。

現行法条文( 國籍法 (民國95年)
第十一條 (喪失國籍之情形)
  中華民國國民有下列各款情形之一者,經內政部許可,喪失中華民國國籍:  
  一、生父為外國人,經其生父認領者。  
  二、父無可考或生父未認領,母為外國人者。  
  三、為外國人之配偶者。  
  四、為外國人之養子女者。  
  五、年滿二十歲,依中華民國法律有行為能力人,自願取得外國國籍者。  
  依前項規定喪失中華民國國籍者,其未成年子女,經內政部許可,隨同喪失中華民國國籍。

 

【註:7】
 固有名としての「台湾」は、行政上の地域名であると同時に、住民自身の出自・アイデンティティー構築の基盤としても機能する。
 まず台湾には先住民が存在し、その上に大陸系の人々が存在する。大陸系の人々にしても、清朝期からの住人の子孫もいれば、日本による植民地統治期の移住者(戦前からの住民は本省人と呼ばれる)、そして「戦後」に支配者として振る舞った国民党政府に連なる人々(いわゆる外省人)の子孫も存在する。それぞれに帰属意識の在り方は異なり、国民党系の外省人にとっては台湾は「中華民国」であっても、戦後の長い時期に外省人による統治から政治的に排除されていた本省人にとっては、必ずしも国民党の「中華民国」が帰属意識の対象であるわけではない(実際、2003年からは、中華民国政府発行のパスポートに「TAIWAN」の文字が併記されるようになってもいる)。
 戦後の歴史の中での本省人と外省人の対立の構図と同時に、大陸の共産党政権に対する独立的意識は両者に共有されてもおり、台湾住民の帰属意識を考える際には過剰な一般化への誘惑を避けねばならない。
 その上に重ねて、日本在住の台湾出身者の帰属意識の問題があり、彼らの間では、日本国内の公文書上での国籍表記を「中国」ではなく「台湾」とすることも求められており、総務省管轄の外国人住民基本台帳の「国籍・地域」欄等では既に実現されている。

 

【註:8】
 蓮舫先生の二重国籍疑惑については、国際法の原則的には日本国と中華人民共和国の(日本と中国の間の)二国間問題なのであり、そこでの台湾はあくまでも中国内の一地方として法的に位置付けられる。その構図の下では、既に本文中に示したように、中華人民共和国の国籍法上の身分の変更の事実が中華人民共和内の一地方の行政文書の記載内容より優先されるのは当然の話である。蓮舫嬢の日本国籍取得により、彼女の中国籍は自動的に抹消され、一地方の行政文書上の記載の残存放置は、彼女の責ではなく地方行政官の職務の問題なのである。
 しかし、このような認識は、台湾のナショナリストには容認し難いものでもあろう。
 今回の「台湾籍」をめぐる問題の背後には、国際社会の中での国家としての正統性をめぐる問題が潜んでおり、同時に台湾住民自らの、そして日本国内の台湾出身者の、帰属意識の対象の選択の問題―アイデンティティーの問題(しかも、むしろそこではナショナル・アイデンティティーの流動性が暴露されてしまってもいるのである)―が複雑に重なり合っているのである。産経新聞や百田尚樹先生による浅薄な非難とは別に、我々の属する近現代史の問題として、深く掘り下げるに値する話題であることも確かであろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/09/08 21:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/284636/

 

 

 

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2016年8月 9日 (火)

『標的の村』(2013)をやっと観る

 

 先週末のことだが、ついに、三上智恵監督によるドキュメンタリー作品『標的の村』(2013)を観る機会を得た。身近な(?)ところでは、2014年の「メイシネマ祭」で上映されていたのだが、その年はパートナーの体調不良で出かけるに至らず、今回の2016年8月6日となってしまったのであった。

 

 お誘いいただいた友人からのメールによれば、

 

 三上智恵監督「標的の村」の自主上映会を行います。

 会場 : 東京芸術大学 上野キャンパス
 〒110-8714 東京都台東区 上野公園12-8
 大学会館2階 国際芸術創造研究科院生室
 無料・予約不要

 日時: 8月6日( 土曜日 ) 14時~ 18時~(91分・2回上映)

 *18時上映後には、沖縄高江についてのディスカッションを行います。
 参加者: 川田淳、居原田遥、日高良祐、木村奈緒、毛利嘉孝、元山仁士郎

 共同主催・協力 : DMN研究会(デジタルメディア時代の政治的公共性とナショナリズム研究会)、早稲田大学メディア・シティズンシップ研究所

 

…という設定の「自主上映会」で、パートナーも伴い、18時の回に参加したのであった。

 猛暑の中、芸大まで出かけたわけだが、10分前くらいに到着してみると、約40人分の椅子が並べられた会場の残り席は少なく、最終的には最前列で床に座る参加者も出るような状況となった(むしろ床座りの方が椅子席後列―私は中ほどの列だったが、画面全体を見ることは叶わなかった―より画面は見やすかったに違いない)。

 

 

 作品のスタイルとしては、社会派ジャーナリズムによる正統派ドキュメンタリー映画という位置付けになるだろうか? 実際、作品の骨格となっているのは、琉球朝日放送製作によるテレビ用ドキュメンタリーであるらしい。

 

 

 画面に映し出されているのは、非常に理不尽な状況(それ以外に何と言えようか?)に置かれた沖縄県国頭郡東村高江地区の住民による、彼らをそのような理不尽な状況へ平然と追いやろうとする国家行政当局への必死の抵抗の姿である。

 個々のエピソードの紹介としてではなく、高江地区の住民の置かれた全体状況を要約すれば、「一方的に住民に犠牲を強いようとする国家の統治権力」が一方にあり、それに対し「小数者としての、弱者としての彼ら高江地区の住民」がある(少数者=弱者では必ずしもないが、ここでの彼らは少数者であるがゆえに弱者の境遇を強いられているのである)。

 

 あらためて図式化すれば、映像として記録されているのは、

  一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿

…ということになるだろう。

 

 国家は人権の保障装置でもある(あり得る)のだが、たとえ民主的に選ばれた(つまり多数者の意思を反映した)政府による統治であっても、法の執行権力としての行政は、それ自身の合理性(あるいは安易さ)を追求する中で、主権者としての市民の意思に反する振る舞いをするものなのである。時にはそれが「圧政」として現実化することさえある。

 我が国の「保守」を自称する方々の想像力からは完全に抜け落ちている問題意識だと思われるが、米国で銃規制に反対する伝統的な保守派にとって、市民の武装の権利は、圧政へと転化し得る政府への抵抗の手段の確保として位置付けられているのである。

 近代の西欧政治思想においても、多数者の意思を反映したはずの政府による圧政の可能性と、その際の市民による抵抗の正当性についての長い議論の歴史がある。

 まさに高江地区住民が直面させられたのは、そのような状況(圧政として現実化されてしまった国家行政の姿)なのである。その意味で、高江地区の住民の行動を、沖縄のローカルで例外的な状況の産物としてではなく、政治思想史的に普遍性をもった問題の典型的事例と評価することも出来る。

 

 確かに『標的の村』の内容を、文字列として「国家による圧政と闘う市民の姿」として入力変換してみると、私自身、一時代前に流通した陳腐な表現を無自覚に再現して平気な鈍感な人間のようにも感じられてしまう。

 しかし、現に映像として記録されているのは、「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿」以外の何物でもないことも否定し得ない。

 

 今、現実に沖縄で進行しているのは、一時代前の(と言えるつもりになっている)表現がいまだに通用してしまう現実なのである。

 「保守」を自称する人々の間でならば、「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力」と言えば、中国共産党の行使する統治権力の現実が連想され、(サヨク代表の)共産主義者の行為として安心して非難の対象とされるのであろうが、しかし日本の保守政権がその統治権力を行使する際の現実でもあるのだ。

 このドキュメンタリー作品に、高江地区の住民に対し「一方的に犠牲を強いる」日本の統治権力として記録されているのは、第一次安倍政権とそれに続く自民党政権であるだけでなく、(「保守」を自称する人々からはサヨク政権として位置付けられている)鳩山氏や野田氏に率いられた民主党政権(鳩山政権時には福島瑞穂党首の社民党も連立政権を構成していた)の時代でもある。

 

 沖縄県国頭郡東村高江地区の総人口は(2010年の国勢調査時で)、66世帯の142人である。つまり、住民の絶対数が少ない地域なのである。

 その高江地域を米軍の「北部訓練場」(ジャングルでのゲリラ戦を想定した海兵隊の訓練施設)が取り囲んでいる。その敷地の部分返還と引き換えに、(字義通りにはヘリコプターの着陸用施設だが、実際にはオスプレイの利用が想定されている)ヘリパッド移設が日米間で合意され、実行されようとしている。しかし、高江地区の住民にはまったく事前説明がされていない。それがドキュメンタリーの冒頭の2007年の状況である(註:1)。

 ここで象徴的なのは、事態の経緯が示す、「実行」の主体となる防衛施設局の側が、住民への事前説明を必要と考えず、ましてや住民への説得・合意形成への努力の必要など考えもしなかったという事実であろう。明らかなのは、国家行政の最前線に位置する沖縄防衛施設局が、絶対数の少ない住民の意思を問う必要を感じなかった、あるいは必要は感じたにしても無視することの方を選んだという事実である。

 それだけではなく、防衛施設局は説明を求めて抗議行動をした住民を「通行妨害禁止」の仮処分の対象として裁判所へ申し立てることまでする。ここで沖縄防衛施設局に代表される国家は、絶対数の少ない住民に対して説明責任を果たし説得・合意形成への努力をすることではなく、いきなり住民を司法の場へ引き出す恫喝的手法を選んだことを意味する。沖縄防衛施設局は、絶対的な少数者としての住民に対する「説得・合意形成への努力」のポーズさえ必要とは考えなかったのである。そこに「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿」という構図が成立することになる。

 これを、沖縄県の東村高江地区の遠い出来事として、他人事として考えてしまう(というか考えもしない)のは、民主主義的社会を維持する上では危うい事態である。この状況を容認してしまえば、やって来るのは、「保守」を自称する皆さんの非難する中国共産党の支配する世界と大して違いのない社会である。

 帰宅後に住民側のサイトで確認したのだが、防衛施設局による「仮処分申請」の際に示された住民による「妨害行為」には、「ブログで座り込みを呼びかけ」や「ヘリパッド反対のイベントを開催」、「DVD・ポスターなどを制作」どころか「防衛局に建設反対の申し入れをしている」ことまでもが含まれているらしい。どれも、社会を民主的に維持していく上で欠かせない行為である。このような政府の主張を容認してしまえば、中国による侵略・占領支配への心配をするまでもなく、既に居ながらにして中華人民共和国の人民と違いのない世界に暮らすことになるのだ(中国共産党の支配から守るべきはずの民主的社会の基盤が既に失われていることを意味する―オスプレイの導入・配備の意義が民主的社会の防衛にあるのだとすれば、その導入・配備の過程において民主的手続きが尊重されていない現状は、オスプレイ配備の意義そのものを根底から否定するものとなってしまう)。「保守」を自称する皆さんにも、大いなる危機感をもって、高江地区住民を支援して欲しいと思う(註:2)。

 

 

 工事作業開始により高江地区でのヘリパット設置反対運動の映像記録が始められた2007年は第一次安倍政権、高江地区住民の行為が国家によって告発され住民が裁判所に引き出されたのは2008年の麻生政権時、司法の場での国家による住民告発を継続させた(取り下げることも可能であったにもかかわらず)のは普天間基地の県外移設を掲げた民主党の鳩山政権時(註:3)で、まだ社民党が連立を組んでいた時点(その後、辺野古への移転―県外移設の断念―の閣議決定を拒否し連立解消)であるし、ドキュメンタリー後半の中心エピソードとして展開されるように、(普天間基地への)オスプレイ導入反対運動を圧殺したのは民主党の野田政権である。

 どちらが与党であっても、絶対的な少数者である高江地区住民の意思を無視することに問題はないと考え、日本全体からすれば少数者である沖縄県民の意思を無視することに問題はないと考えている、ということなのだ。

 

 政権与党(現在は自民党)は日本国民の多数の支持を受けているのであるし、それに次いで支持を得ているのは野党第一党(かつての民主党―現在は民進党)である。いずれの政権下においても、その政策は国民の多数による支持なしには成立し得ない。

 高江地区住民の意思を無視し、沖縄県民の意思を無視する主体は、主権者としての日本国民の多数なのである。

 

 『標的の村』を観て悲憤慷慨するのは当然だとは思うが(「悲憤慷慨」は自然な心情の流露であろう)、その際に「日本政府が悪い!」と言い募るのも実に簡単だが(それが理路として成立しないことはない)、「悪い日本政府」を背後から支えているのは国民の多数者なのである。この点に気付かずにいる限り、安心して悲憤慷慨し、心情的正義感に浸って日本政府を糾弾し続けて済ませていられるだろう。しかし、糾弾すべき相手が遠くの日本政府ではなく多数者としての隣人であり、あるいは多数者を構成する自分自身でもあるかも知れないと考えてしまえば、安易に正義感に浸り続けているわけにもいかなくなる。

 しかも、実際問題として国民の多数者は、高江地区住民の意思を無視してよいと考えているわけでもなく、沖縄県民の意思を無視してよいと考えているわけでもない。そもそも日本国民の多数者は、高江地区住民の払わされる犠牲など眼中にないし、沖縄県民に押し付けられている過大な米軍基地負担にも無関心なのである。

 

 

 

 

《関連記事》

 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

 「民族」としての「沖縄の人々」 (琉球國の「独立」と伊江朝直 9)

 「慰霊の日」に、比嘉賢多監督の『沖縄/大和』(2014)を観た

 

 

 

【註:1】

  そんな中、1996年12月、「沖縄県民の負担を軽減する」という名目の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の最終報告で、北部訓練場の施設面積の約半分に相当する約3,987ヘクタールが返還される事が、日米政府間の「合意」として発表されました。
  しかし、提示された返還条件は、返還する敷地にあるヘリパッド(7箇所)を残る敷地に「移設」すること。そしてその7ヶ所のヘリパッドの移設は、高江集落の周囲を取り囲むような配置で計画されていたのでした。
  高江区はすぐにヘリパッド建設に反対する区民総決起大会を開き、翌1997年には区民総会で反対決議を全会一致で決議しました。
  その後数年、移設計画に表立った動きは有りませんでしたが、2006年2月、突然、「ヘリパッド6箇所(1箇所減)の移設計画が決定した」と新聞で報道されたのです。その報道以前には、高江住民は一切その事実を知らされていませんでした。
http://helipad-verybad.org/modules/d3blog/details.php?bid=34&cid=5

 重要なのは、「高江区はすぐにヘリパッド建設に反対する区民総決起大会を開き、翌1997年には区民総会で反対決議を全会一致で決議しました」との、1997年時点での住民の「全会一致」での意思表明の事実である。
 この意思表明が徹底的に無視されているのである。

 

【註:2】

  ここに面白い調査がある。沖縄県知事公室地域安全政策課が2013年6~7月に行った「沖縄県民の中国に対する意識調査」である。
  それによると、「中国に対する印象」では、「良くない印象を持っている」と「どちらかというと良くない印象を持っている」が合計で89・4%。その理由のトップは「尖閣諸島を巡り対立が続いているから」が65・1%である。一方、全国調査はそれぞれ90・1%、53・2%である。しかも、「中国と米国でどちらに親近感を覚えるか」では、「中国により親近感を感じる」3・5%に対し「米国により親近感を感じる」59・1%である。全国調査はそれぞれ5・8%、56・1%である。
  辺野古移転反対や反基地運動感情が強いことから、中央政界やメディアでは、「沖縄は反米親中」という見方が強いが、現実はまったく異なる。沖縄は尖閣諸島問題に代表される中国の対日圧力の最前線なのである。そして親米感情も全国平均より高いのである。沖縄が反発しているのは政府や「東京の目線」に対してであり、その感情的な基盤が日本全国から反政府的な活動家まで吸引してにっちもさっちもいかない状況を作り出しているのである。
http://www.nippon.com/ja/genre/politics/l00074/

 

【註:3】

  しかもひどいことに、県外移転が非現実的とわかると、民主党政権はさっさと公約を取り下げてしまった。それだけでなく、なんと民主党政権下で強硬推進が可能になる法改正が行われるのである。地方自治法では、都道府県知事、教育委員会、選挙管理委員会の判断や業務が、法令に違反している、または適性を欠き公益を損なうと国が判断した時、国は是正の勧告や要求を行えることになっているが、これまで、これには強制力はなかった。地方自治体側から国地方係争処理委員会への審査申し出が出来るだけで、国側からそれ以上、働きかける手段はなかった。2012年9月に公布された地方自治法の改正で、国による違法確認訴訟制度が創設され、司法的な手段で地方の「不作為」を排除できる道ができた。もちろん、改正は民主党政権以前からの流れであったが、これで国と地方の関係は一変する。
http://www.nippon.com/ja/genre/politics/l00074/

 

 

 

《関連動画》

 本文でも触れた、テレビ放映版の映像である(ただし映画版の半分の尺)

Targeted Village / 標的の村
     https://www.youtube.com/watch?v=raJ8vTr8r4c

 (23分過ぎに登場するネコの姿にも注目して欲しい←ネコ好きの視線として)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/08/09 20:36 → http://www.freeml.com/bl/316274/282379/

 

 

 

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2016年5月22日 (日)

ついに東京裁判史観か!? (安倍晋三氏の歴史認識)

 

 これまでにも度々、当ブログ上では、安倍晋三氏の「歴史認識」の問題について取り上げて来たが(「資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移」、「安倍晋三氏の完全なる転向(米議会演説と「歴史認識」)」等を参照)、新たな展開があったので記録にとどめておきたい。

 5月18日の国会での党首討論の際に、安倍晋三首相は明確に、かつてのわが国が「侵略」の主体であり、「他国を踏みにじる行為」の主体であったとの認識を示したのである。

 

 民進党の岡田代表との党首討論の中での実際の安倍氏のお言葉はというと…

 

  戦前の反省の中から他国を侵略しない。そういう状況を作らないように、貢献していくことが大切だ。『当たり前』と言えば、それがなくなるわけではない。当たり前にするには、その努力をしなければならない。その中で、国民の命と、そして幸せな暮らしを守るために、私たちの責任を果たさなければならない。われわれの憲法草案においても、言わば国連憲章に書いてある考え方、平和主義が貫かれている。つまり、必要な自衛の措置しかとらない。侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、そういうことはこれから二度としない。そして、二度と戦争の惨禍を繰り返さないというのが、私たちの考え方であり、平和主義だ。
     (産経新聞 2016/05/18 18:57)

     → http://www.sankei.com/politics/news/160518/plt1605180036-n4.html

 

 この産経新聞記事によると、安倍氏は岡田氏を相手に、

  戦前の反省の中から他国を侵略しない。
  そういう状況を作らないように、貢献していくことが大切だ。

  侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、
  そういうことはこれから二度としない。
  そして、二度と戦争の惨禍を繰り返さないというのが、私たちの考え方


…と述べた。

 もちろん「産経」の記事なので、この首相のお言葉は「サヨク・マスゴミ」の「捏造」なんかではないはずだ。

  かつては「他国を侵略」し、
  「他国を踏みにじる」行為をしたが、
  そういうことはこれから二度としない

 安倍氏は、このような認識を披歴したことになるのだが、 「産経新聞」は(そして安倍政権の熱烈な支持者の方々は)安倍氏が何を言ってしまったのか、 理解が出来ているのであろうか? (そもそも当人は自分の言ってしまったことを理解出来ているのだろうか?)

 安倍氏が披瀝したのは反日的な「東京裁判史観」ってヤツだと思われるのだが…

 「日本会議」の皆さんのご意見が聞いてみたいところではある。

 

 「日本会議」的に致命的なのは、

  侵略とか、戦闘的な攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる
  そういうことはこれから二度としない

 これでは、「一度はやった」という話になってしまう。

 「近現代史の真実」に基づき、大東亜戦争(いわゆる「先の大戦」)が大日本帝國による「自衛戦争」であり、「アジア解放戦争」であったと主張するのであれば、いずれにせよ大日本帝國の戦争が「侵略戦争」ではなかったと主張しようとするのであれば、正しい言い方は、

  侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、
  そういうことはこれからもしない

 こうでなくてはならない。

 

 しかし、安倍首相は明言したのである。

 

  戦前の反省の中から他国を侵略しない。
  そういう状況を作らないように、貢献していくことが大切だ。

  侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、
  そういうことはこれから二度としない。
  そして、二度と戦争の惨禍を繰り返さないというのが、私たちの考え方

 

 安倍氏のこの言葉を深く味わっておきたい。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/05/20 20:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/275619/

 

 

 

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2016年4月22日 (金)

防災担当内閣府副大臣としての松本文明氏の職務

 

 

  熊本地震の現地対策本部長を務めていた松本内閣府副大臣は、政府とのテレビ会議で自身らに対し食料の差し入れを求めたことを認め、陳謝しました。

  「テレビ会議を使って自らへの差し入れを求めたことは批判を招くのではないか」(民進党 高井崇志衆院議員)

  「大変申し訳ないという思いも一方であります。バナナでもおにぎりでもいいです、一口でもいいですから、なんとか差し入れをお願いできませんかというお願いをしたことは事実であります」(松本文明内閣府副大臣)

  松本副大臣は、熊本県の要望などを伝えるための政府とのテレビ会議で、自身や現地対策本部の職員に対する食料の差し入れを求めたことを認め、陳謝しました。一方で松本氏は、職員が1日何も食べていない状況だったとして、「夜を徹して懸命に働いている人たちの健康管理も大きな責任の一つ」だと釈明しました。

  今回の松本氏の言動には、与党内から苦言が出ています。

  「その電話会議の内容は全く残念だと思う」(公明党 漆原良夫中央幹事会会長)

  漆原氏は、このように述べたうえで、「本当に寄り添う気持ちで国会議員や役人は現場に行かなければ」と指摘しました。(21日14:57)
     (TBS系(JNN) 2016/04/21 20:48 最終更新:4月22日(金)6時11分)

 

 

 

 4月14日の地震発生後に熊本入りし、現地対策本部長として政府と被災地との連絡調整役を担っていた、松本文明内閣府副大臣の言動に対する野党(民進党)による批判も与党(公明党)による批判のどちらもが心情論でしかなく、メディアによる報道も含めて、問題の本質(それもかなり深刻な)が理解されていないように見える。

 

 この問題で重要なのは、日本政府の現地対策本部が自らの食料を準備することを怠っていたという事実にある。これまで(消防や警察との比較において)災害派遣時の自衛隊の優位さの根拠とされていたのは、自衛隊が有する現地自活能力であった(ただし、現在では、緊急消防援助隊も警察の広域緊急援助隊も自活型組織へと変化している)。要するに、今回の熊本地震に際しての日本政府現地対策本部長たる松本文明内閣府副大臣がまったく無自覚に自ら明らかにしてしまったのは、政府の現地対策本部が現地自活能力を欠いた組織であった(一口のバナナもおにぎりもなかった!)というお粗末な事実なのである。

 

 

 ちなみに、別の報道によれば、

 

  現在の「内閣府副大臣」の役職については、サイト上にアップした動画の中で、次のように語っていた。

  「内閣府副大臣として私の管轄はとても広いんです。まず河野大臣のもとで防災担当をやっています。災害が起きたときにどう対応するのか、きちっと計画をつくり、訓練を重ねて、想像力を逞しくして、どういうことが起こった時にどう動くべきか、準備を万般怠らないようにしなければならない。

  首都圏や都市部は防災に関する関心が大変高い。しかし、『そんなことはうちの地域では起こらないだろう』という地域では考えられていないという現実がたくさんあります。災害は忘れたころにやってくる、地震や火山の爆発がなくても豪雨、異常気象というのはいつどこであってもおかしくないという状況ですから、そういったことについての関心度を高め準備を進める。全国を回ってみて感じる落差をどう詰めていくかが緊急の課題です」
     (BuzzFeed Japan 2016/04/22 06:30)

 

 松本内閣府副大臣は自身のサイト上で、「防災担当」としての自身の任務について、「災害が起きたときにどう対応するのか、きちっと計画をつくり、訓練を重ねて、想像力を逞しくして、どういうことが起こった時にどう動くべきか、準備を万般怠らないようにしなければならない」と語っていたようだが、残念なことに現実の松本氏には、「想像力を逞しくして、どういうことが起こった時にどう動くべきか、準備を万般怠らない」こと、つまり災害時の政府現地対策本部の自活能力の準備・確保の必要性への想像力を持つことは難しかったようである(保守を標榜する政党の政治家として、兵站を無視して戦争をした、この国の伝統を受け継ごうとしたわけでもあるまい)。

 

 

(以下、〔追記:2016/04/29〕では、地震発生から松本氏が政府現地対策本部長の職務を解かれるまでの時系列と、政府現地対策本部が準備した(実際には準備がなかった)糧食の実情を、〔追記:2016/05/16〕では、政府現地対策本部長が「ローテーション」による職務である事実の詳細と、現地対策本部設置の際の糧食準備の実態を再確認してあるので、問題の所在を理解していただく上で、ぜひ〔追記〕部分にも目をお通し願いたい)

 

 

 

 

〔追記:2016/04/29〕

 各社の報道と内閣府防災担当大臣(つまり松本文明氏の上司)の河野太郎氏の公式サイトにより、問題の時系列を確認しておきたい(特に松本文明氏の「おにぎり大臣」と揶揄される原因となった言動と、安倍総理による屋内避難指示問題については太字で引用した)。

 

 まず、「4月14日午後9時26分、熊本県で震度7の地震が発生」(河野太郎公式サイト)したのを受け、「午後11時25分、内閣府大臣官房審議官以下4名の内閣府情報先遣チームを現地に向けて出発させ先遣チームは内閣府から入間の自衛隊基地に向かい、自衛隊機で熊本空港に)」ると共に、「松本文明内閣府防災担当副大臣を団長とし、内閣府、警察庁、消防庁、防衛省からなる政府調査団10名の派遣を決め」ており、翌15日の「午前3時ごろ、先遣チームが現地に到着、情報の集約をはじめ」、防災担当内閣府副大臣の松本文明氏を含む一行は「午前8時50分頃、政府調査団、福岡空港到着。自衛隊ヘリで益城町上空を視察しながら午前10時40分、県庁に到着」している。

 続いて「午前11時30分頃、8号館オペレーションルームで熊本県庁に到着した松本副大臣からテレビ会議で報告を受け」、「15時47分、益城町役場にいる松本副大臣から報告が入」っている。

 

 また、「午前11時15分、官邸の総理執務室でここまでの情報を集約して総理に報告し、総理からは屋外に避難している人を確実に今日中に屋内に収容せよという指示がありました」とも記されており、安倍氏自身が「屋内」への「避難・収容」の指示をしていたこともわかる。

 

 

 しかし、翌16日午前1時25分ごろになってマグニチュード7.3、震度7の「本震」が熊本地方を襲う。

 政府現地対策本部長である松本氏の率いる政府調査団は、「16日未明の本震後、県庁の食堂が使えず、水も電気もガスも止まり、職員は固形物を口にできず、水やお茶などでしのいだ」(日刊スポーツ 2016/04/22 09:33)、あるいは「水、電気、ガスがストップしている状態ですから、各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々が全くできないという状況」、「2度目の震災が被害が起こった日は、口の中に食料らしい固形物は入っていないという状況」(朝日新聞デジタル 2016/04/21 18:37)に陥ってしまう。

 松本氏は「政府と県を結ぶテレビ会議で河野氏に「食べるものがない。これでは戦えない。近くの先生(国会議員)に差し入れをお願いして欲しい」と要請」するに至る。そして「河野氏が手配し、熊本県関係の議員4人の事務所からおにぎりが届けられた」(朝日新聞デジタル 2016/04/21 05:03)との経緯であった。

 

 あらためて明らかになったのは、政府現地対策本部が陥った「水、電気、ガスがストップしている状態ですから、各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々が全くできないという状況」である。驚かされるのは「各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々」との記述であろう。政府現地対策本部が携行した非常用食品が「各職員」の「自前」であり、しかも「水、電気、ガスがストップしている状態」での食用に適さないものであったとの事実なのである。

 政府には、災害時現地対策本部用非常食の組織的準備がなかったことが明らかになっただけでなく、震災対応に派遣された「各職員」が「水、電気、ガスがストップしている状態」を想定することもなかった事実までもが明らかになってしまったのである(度重なる地震災害を経験した現在では、その「想定」が災害時の非常食準備の常識となっているのだとばかり思っていたが)。

 これが安保法制を推進し、緊急時対応能力の必要を声高に叫ぶ政権の災害時現地対策本部の実情なのである(松本副大臣の「食べるものがない。これでは戦えない」との切実な言葉は、政府現地対策本部の糧食の準備のお粗末さを自ら暴露したものとして読み取られるべきである)。

 

 

 また河野防災担当相は、「全国知事会を代表して新潟の泉田知事から、家屋の応急危険度判定に必要な人材を、知事会で協力して熊本に大至急、送りだすことを決めたと連絡があ」った事実を記し、更に「新潟地震などの経験から、強い余震が続く場合、余震で家屋が崩壊する場合もあり、応急危険度判定を至急、行うことが必要になるが、そのためにはかなりのマンパワーが至急、必要になるだろうという知事さんたちの経験」にも言及している。

 最初の地震(4月14日午後9時26分)の「翌日」(午前11時15分)の段階での「総理からの避難者の屋内収容の指示」の適切性も問われるべきであろう。確かに16日のマグニチュード7.3、震度7の「本震」の予測は困難であったにしても、余震が続く時点(例えば、4月15日午前0時03分には震度6強の余震)での(現地を遠く離れた官邸での)「避難者の屋内収容の指示」の判断には疑問が残る(その性急さ、あるいは不用意さにである)。総理は「新潟地震などの経験=強い余震が続く場合、余震で家屋が崩壊する場合もあり」から学んでいないのではないのか?との疑いを持たざるを得ない。

 安倍氏は「本震」での、「屋内」に「避難」したが故の犠牲者に責任を感じるべきだと、私は思う。

 

 

 

《資料》

  松本氏は、16日の「本震」の後、政府と県を結ぶテレビ会議で河野氏に「食べるものがない。これでは戦えない。近くの先生(国会議員)に差し入れをお願いして欲しい」と要請。河野氏が手配し、熊本県関係の議員4人の事務所からおにぎりが届けられたという。本来は県側の要請と政府の対応を調整する場であるテレビ会議を使って、自身への差し入れを求めたことは批判を招きそうだ。
  松本氏は屋外避難者をめぐって松本氏と蒲島郁夫知事の考えがすれ違う場面もあったという。蒲島知事は16日の会見で、被災者が余震による建物倒壊を恐れて屋外に避難する中、松本氏から「なんで屋内(避難)じゃないの」と尋ねられたことを明かし、「(松本氏は)分かっていない」と不快感を示した。
     (朝日新聞デジタル 2016/04/21 05:03)

 

  (熊本地震の本震後、現地対策本部長としてテレビ会議で自分たちへの食事の差し入れを要請していた問題について)大変申し訳ないという思いの一方であります。水、電気、ガスがストップしている状態ですから、各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々が全くできないという状況でありました。私は職員の肩をたたきながら、「食事はできているかい」「大丈夫か」――。こういうような声をかけて来ました。2度目の震災が被害が起こった日は、口の中に食料らしい固形物は入っていないという状況で働いたわけであります。
  テレビ会議で(河野太郎・防災)大臣から「他に困っていることはないか」という優しい問いかけに対して、私が「バナナでもおにぎりでも良いです。何とか差し入れをお願いできませんでしょうか」というお願いをしたことは、事実であります。現地対策本部長として、私の部屋の中で懸命に夜を徹して働いている人たちの健康管理、これも私の大きな責任の一つだ。こう考えております。(21日の衆院総務委員会で)
     (朝日新聞デジタル 2016/04/21 18:37)

 

  熊本地震で、現地の政府対策本部長を務めていた内閣府の松本文明副大臣が、震災対応を協議する政府とのテレビ会議で、職員への食料の差し入れを求めていたことが分かった。
  松本氏は21日、衆院総務委員会で「大変申し訳ない」と陳謝する一方、現地の食糧不足の実態を明かした。16日未明の本震後、県庁の食堂が使えず、水も電気もガスも止まり、職員は固形物を口にできず、水やお茶などでしのいだと強調。「困っていることはないかと問われ、この状況では、本部の人間は何も口にできない。バナナでもおにぎりでも、差し入れをお願いできないかと申した」と述べた。松本氏は20日、わずか5日で本部長を交代となった。
     (日刊スポーツ 2016/04/22 09:33)

 

 4月14日午後9時26分、熊本県で震度7の地震が発生しました。
  防災担当大臣は、全国で震度6弱あるいは都内で震度5強の地震が起これば直ちに官邸のオペレーションルームに参集することになっています。

  同時に内閣府の防災部局は8号館3階にオペレーションルームを立ち上げ、官邸と連絡を取りあいながら情報の集約、被災地への支援をはじめます。
  午後9時33分、参集の連絡を受け、9時40分に官邸に入りました。
  午後9時40分、警察庁は、広域緊急援助隊の出動及び待機を指示。
  午後10時07分、震度6弱の余震。
  午後10時10分、私が本部長となる政府の非常災害対策本部を設置しました。
  警察庁は、警察庁次長を長とする非常災害警備本部を設置。
  午後11時21分、「熊本県熊本地方を震源とする地震非常災害対策本部会議」を官邸4階大会議室で開催しました。
  
午後11時25分、内閣府大臣官房審議官以下4名の内閣府情報先遣チームを現地に向けて出発させました。先遣チームは内閣府から入間の自衛隊基地に向かい、自衛隊機で熊本空港に向かいました。
  松本文明内閣府防災担当副大臣を団長とし、内閣府、警察庁、消防庁、防衛省からなる政府調査団10名の派遣を決めました。

  4月15日午前0時03分、震度6強の余震。
  午前3時ごろ、先遣チームが現地に到着、情報の集約をはじめました。
  午前5時、警察は、発災直後から行っていた被害情報の収集、救出救助、避難誘導などの活動に加え、交通部門、生活安全部員による益城町内のパトロールを開始。
  午前6時30分、内閣府大臣室で防災、警察の情報を集約。避難所352か所、避難者数24,458名との報告。
  熊本県警830人、警察災害派遣隊1085人、ヘリ5機、救助犬4頭出動中。
  午前7時05分、官邸の総理執務室で総理に集約された情報を報告。
  午前8時05分、第2回地震非常災害対策本部会議を官邸の4階大会議室で開催。死者9名が確認され、避難所505か所、避難者数44,449名に。
  午前8時25分、閣議。
  午前8時50分頃、政府調査団、福岡空港到着。自衛隊ヘリで益城町上空を視察しながら午前10時40分、県庁に到着。
  全国知事会を代表して新潟の泉田知事から、家屋の応急危険度判定に必要な人材を、知事会で協力して熊本に大至急、送りだすことを決めたと連絡がありました。
  
新潟地震などの経験から、強い余震が続く場合、余震で家屋が崩壊する場合もあり、応急危険度判定を至急、行うことが必要になるが、そのためにはかなりのマンパワーが至急、必要になるだろうという知事さんたちの経験から、素早いアクションにつなげていただきました。
  午前11時15分、官邸の総理執務室でここまでの情報を集約して総理に報告し、総理からは屋外に避難している人を確実に今日中に屋内に収容せよという指示がありました。
  午前11時30分頃、8号館オペレーションルームで熊本県庁に到着した松本副大臣からテレビ会議で報告を受けました。

  熊本県から応急危険度判定に必要な人材の要請があり、すでに知事会が動いてくれていることを伝えるとともに、総理からの避難者の屋内収容の指示を伝えました
  13時、総理執務室で総理に集約した情報を報告。屋外避難者は解消できる見込みであることをお伝えしました。
  15時47分、益城町役場にいる松本副大臣から報告が入りました。
  16時00分、第3回地震災害対策本部会議を官邸4階大会議室で開催。
  警察、消防、自衛隊による行方不明者等を捜索するローラー作戦が一巡を終了、新たに家屋等の下敷きになっていた人も発見されず、行方不明者もなし。
  全ての要避難者のための避難場所も確保完了。
  救命救助の段階から生活支援、生活再建の段階へ。
  停電は今日中、ガスは明日中に復旧を目指します。
  現地の物流の要でもある国道443号線は、明日までに道路の陥没を修復し、暫定でも通れるように突貫工事。
  益城町の中でも避難者が多い地域はパトカー85台を出して、生活安全部門、交通部門などでパトロールに当たります。
  避難所には必要に応じて女性警察官を配置します。
  18時45分、現地対策本部の松本副大臣から、熊本県との調整会議の結果などについての報告。
  19時30分頃、官邸のオペレーションセンタ―で情報を集約、
  20時00分頃、総理、官房長官に報告。
  消防、警察、自衛隊のローラーは2巡終了。行方不明者などなし。
  明日、7時半から警察1000人体制と消防で3巡目のローラーを開始します。
  避難所への水、食料、毛布などはそろいつつあります。民間企業からの物資の支援も始まりました。
  益城町は水道を明日、流してみて漏水場所を発見し、トイレが使えるようにしてみますが、飲料には適さない可能性があります。
  家屋の応急危険度判定を今後、1週間程度で実施していきます。
     (衆議院議員 河野太郎公式サイト 2016/04/15 )

 

 

 当該の問題が大筋において「朝日新聞の捏造」ではないことを確認するために、産経新聞と共同通信の記事も以下に引いておく。

 

  熊本地震の政府現地対策本部長を務めていた松本文明内閣府副大臣は21日の衆院総務委員会で、熊本県庁で行われた政府とのテレビ会議で河野太郎防災担当相におにぎりなど食料の差し入れを要請したことを明らかにし、「大変申し訳ない」と陳謝した。民進党の高井崇志氏の質問に答えた。
  21日発売の「週刊文春」が、松本氏が県庁職員に対し「救援物資は足りているんだから文句は言わせない」「こんな飯で戦えるか」などと発言したと報じたことについては、それぞれ「記憶にない」「事実無根」と否定した。
  高井氏はまた、現地対策本部長が松本氏から酒井庸行内閣府政務官に交代したことを「事実上の更迭ではないか」とただしたが、松本氏は「更迭とは一切考えていない」と述べた。
     (産経新聞 2016/04/21 17:13)

 

  熊本、大分両県で相次ぐ地震で政府の現地対策本部長を務めていた松本文明内閣府副大臣は21日の衆院総務委員会で、政府と熊本県が対応を話し合うために使うテレビ会議を通じ、河野太郎防災担当相に自身らへの食事を差し入れるよう要請していたとして陳謝した。
  民進党の高井崇志氏が「テレビ会議を使って自らへの差し入れを求めたことは批判を招くのではないか」と追及したのに対し、松本氏は「大変申し訳ない」と語った。
  菅義偉官房長官は21日の記者会見で「食料が不足し、そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べた。松本氏の交代は更迭ではないと強調した上で「時期が来たら(再び)現地入りし、指揮を執ってもらいたい」と指摘した。
  政府は20日、体力的な問題などを理由に現地対策本部長を松本氏から酒井庸行内閣府政務官に交代した。
  松本氏は16日、テレビ会議で河野氏に「みんな食べるものがない。これでは戦うことができない。近くの先生(国会議員)に何でもいいから差し入れをお願いしてほしい」と述べた。
     (共同通信 2016/4/21 22:57)

 

 

〔追記:2016/05/16〕

 現地対策本部長職が三週間に一回(一週)の「ローテーション」によるという政府現地対策本部運用の実態と、政府現地対策本部が災害現地のコンビニ利用に期待し、自らの糧食の準備なしに現地入りした事実を以下の報道に基いて確認した。

 

  熊本、大分両県で相次ぐ地震で政府の現地対策本部長を務めていた松本文明内閣府副大臣は21日の衆院総務委員会で、政府と熊本県が対応を話し合うために使うテレビ会議を通じ、河野太郎防災担当相に自身らへの食事を差し入れるよう要請していたとして陳謝した。
  民進党の高井崇志氏が「テレビ会議を使って自らへの差し入れを求めたことは批判を招くのではないか」と追及したのに対し、松本氏は「大変申し訳ない」と語った。
  菅義偉官房長官は21日の記者会見で「食料が不足し、そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べた。松本氏の交代は更迭ではないと強調した上で「時期が来たら(再び)現地入りし、指揮を執ってもらいたい」と指摘した。
  政府は20日、体力的な問題などを理由に現地対策本部長を松本氏から酒井庸行内閣府政務官に交代した
  松本氏は16日、テレビ会議で河野氏に「みんな食べるものがない。これでは戦うことができない。近くの先生(国会議員)に何でもいいから差し入れをお願いしてほしい」と述べた。
     (共同通信 2016/4/21 22:57)

 

  政府は2日、地震対応のため熊本県に設置している現地対策本部の本部長を、同日付で内閣府の酒井庸行政務官から牧島かれん政務官に交代すると発表した
  政府は被災地の状況報告などのため、本部長を定期的に交代させる方針。現地対策本部は4月15日に設置し、松本文明内閣府副大臣が最初の本部長を務め、同20日に酒井氏に引き継いでいた。
     (産経新聞 2016/05/02 12:36)

 

  内閣府は8日、熊本地震の現地対策本部長を、牧島かれん内閣府政務官から松本文明・内閣府副大臣に交代すると発表した。松本氏は4月15日から20日にも本部長を務めており、2度目の就任となる
  松本氏は先月16日に震度7の「本震」が発生した後、政府と県を結ぶテレビ会議で河野太郎防災相に自分たちへの食事の差し入れを要請し、衆院総務委員会で「大変申し訳ない」と陳謝した。内閣府は再任の理由について「現地対策本部長はローテーションで務めている」としている
     (朝日新聞デジタル 2016/05/08 19:13)

 

   内閣府は15日、熊本地震の対応に当たる現地対策本部の本部長を、松本文明内閣府副大臣から酒井庸行内閣府政務官に交代すると発表した。酒井氏は今回が2回目の就任となる。
     (日本経済新聞 2016/05/15 19:05)

 

 

 熊本地震に伴う日本政府現地対策本部長は、

  4月15日~4月20日 : 松本文明 内閣府副大臣

  4月20日~5月2日 : 酒井庸行 内閣府政務官

  5月2日~5月8日 : 牧島かれん 内閣府政務官

  5月8日~5月15日 : 松本文明 内閣府副大臣

  5月15日~      : 酒井庸行 内閣府政務官

…という「ローテーション」により交代を繰り返す職務となっている。

 政府は「被災地の状況報告などのため、本部長を定期的に交代させる方針」と説明しているが、現地の対策本部のトップを交代勤務(三週間のうち一週間だけ現地滞在)で良いとする発想には驚かされる。現地対策本部に本部長(一名)と副本部長(二名)を常駐させ、被災地の状況報告が東京でなければ可能でないのであれば(私にはそうは思えないが)、副本部長一名を(必要であれば本部長でもよいが)をその任に当たらせ、本部長は現地で継続的にその任に当たることが当然ではないのか?

 災害対応の現地指揮官が「ローテーション」で十分に務まるものと位置付けられているのだとすれば、そもそもが「本部長」の職責は軽いものなのであろう。

 もちろん、松本氏の最初の不始末があったればこそ、そのような「ローテーション」による職務と位置付けられるようになったのであろう(と邪推する)。不始末のための「更迭」となれば政府の任命責任が問われてしまうので、「ローテーション」による職務とすることで「更迭」ではないとの主張(辻褄合わせ)が可能になるわけだ。

 要するに、政府の現地対策本部長は現地に常駐する必要がない程度の職責だということに、結果としてなってしまったのである(もちろん私の「邪推」なのであろうが)。

 

 事の発端(松本氏の最初の不始末)を伝える、先の共同通信記事には、

  菅義偉官房長官は21日の記者会見で「食料が不足し、そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べた。

…とあったわけだが、その「食料が不足し」の内実は、

 

  翌日には政府とのテレビ会議の場で、
 〈食べるものがないので戦えない。バナナでもおにぎりでも、差し入れを近くの先生からお願いできないか〉
  と、我先に河野太郎防災担当相に要請。これがトドメをさす格好で20日、「体力的な問題」との理由で本部長交代が発表され、事実上の更迭となったのだった。
  その日の夜、ご本人は官邸で安倍総理と面会したのち、記者団相手に埒もない弁明を繰り返していた。いわく、
 〈現地での食事はみなコンビニで弁当を買っているというので、自分の分を1万円渡したが、本震で1軒も開かなくなった。だからテレビ会議で大臣にコンビニを開けさせてくださいと頼んだ
 〈私の部下がカップラーメンを持ってきたが、お湯が出ないので食べられないとも(大臣には)言った
 〈開いている店を見つけ、どら焼きを1万円出して買ってみんなで食べた
     (デイリー新潮 2016/05/11 17:05)

 

…という情けないものであったことが、あらためて明らかとなってもいる。

 政府現地対策本部は、災害現地のコンビニ利用に期待し、自らの糧食の準備なしに現地入りしたのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2016/04/22 19:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/273386/
 投稿日時 : 2016/04/29 20:24 → http://www.freeml.com/bl/316274/273896/
 投稿日時 : 2016/05/15 21:55 → http://www.freeml.com/bl/316274/275184/

 

 

 

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