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2017年3月 9日 (木)

教育勅語の精神(籠池 vs 稲田)

 

 トランプ大統領の言動から目が離せない一方で、いわゆる「安倍晋三記念小学校」問題もまた日々面白過ぎる展開が続いている。

 

 

 

 

 産経新聞は、「森友学園 4疑惑「不認可」決定付け 理事長経歴誤り、私学推薦枠虚偽…」と題された記事(2017/03/09 15:08)の中で、「疑惑」として、

 

  学園は、私立「海陽中等教育学校」(愛知県蒲郡市)と推薦入学枠の提供で合意したと府に文書で報告したものの、同校が真っ向から否定。

  さらに、学園側が提出した籠池氏の経歴が事実と異なることも発覚。自治省に入省した後、奈良県庁に出向したとしていたが、実際は奈良県に新卒で採用されており、学園側は「自治省に『出張した』という話をアルバイトが『出向した』と書き間違え、それを(経歴書に)転記した」と釈明した。

  小学校の建築費について、府と国、大阪空港の運営会社に提出した契約書で、それぞれ「7億5600万円」「23億8464万円」「15億5520万円」と、異なる記載をしていた。

  学園が府私学審議会に提出した雇用予定の教員名簿に、公立小の男性教員の名前を無断で記載した疑いも浮上している。

 

この4つを示している。

 どれも森友学園作成の文書上の虚偽記載の事実に関するものだが、そもそも「安倍晋三記念小学校」としての開校を謳い寄金を集めていた問題があるわけで、安倍晋三首相の主張が正しければ、首相当人に無断での寄金集めということになる。端的に言って詐欺行為そのものであろう。

 

 

 

 周知の通り、既に幼稚園経営で有名となった森友学園のウリのひとつは、幼稚園児による「教育勅語」の暗誦である。

 

 

 稲田朋美防衛大臣は国会での答弁の中で、

 

  大阪市の学校法人「森友学園」の幼稚園で園児が教育勅語を暗唱させられていたことに関し、福島瑞穂氏(社民)が見解をただした。稲田氏は「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と発言。「全く誤っているというのは違う」と語った。
     (毎日新聞 2017/03/08 19:49)

 

このように教育勅語についての認識を示している。

 また、同記事によれば同じ答弁の中で、

 

  稲田氏は一方、学園の籠池泰典理事長との関係について「私のパーティーに来ていた記憶はあるが、10年ぐらい会ったことも話したこともない」と述べた。

 

このように報道されている。

 

 

 この点について、森友学園の籠池理事長は自ら収録した動画の中で、

 

  「国会議員の先生が私のことを『全然知らない』と言っていたが、よく存じ上げている方もいらっしゃる。 『10年前にしか会ったことがない』とおっしゃっていたが、そんなことない。 2年ほど前にお会いしたことがあるのではないかと思う。ある特定の会合の中で。でも、そういうことを言わないのはおかしいのではないか。 籠池潰しはやめてほしい。尻尾切りはやめてほしい」
     (J-CASTニュース 2017/03/09 18:56)

 

このように主張していたことが報じられている。「『10年前にしか会ったことがない』とおっしゃっていたが、そんなことない。 2年ほど前にお会いしたことがあるのではないかと思う。ある特定の会合の中で」との指摘は、稲田氏へ向けられたものと理解されているが、籠池氏の主張が正しいのだとすれば、稲田氏の主張は虚偽であったことになる。もちろん、いわゆる「安倍晋三記念小学校」の開校準備に際しての様々な虚偽の主体が籠池氏であったことからすれば、動画での籠池氏の主張が虚偽である可能性も残されてはいる。

 

 

 

 いずれにせよ、稲田氏も籠池氏も「教育勅語」を非常に重要視する人物であることは確かである。稲田氏は、「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と主張していたわけだが、せっかくの機会なので、あらためて原文を引いてみよう。

 

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
     御名御璽

 

 私にとって興味深いのは、確かに教育勅語には「嘘をついてはいけない」とは一言も書いてないという事実である。籠池氏も稲田氏も、どれだけ虚偽を申し立てようが、教育勅語の精神に背いているわけではないということだけは確認しておきたい(註:1)。

 

 

 

【註:1】
 言うまでもないことだとは思うが、稲田氏の教育勅語理解の底の浅さは目を覆うばかりである。教育勅語の内容について「全く誤っているというのは違う」と主張するのは稲田氏のご自由ではあろうが、稲田氏が教育勅語の本義を理解しているようには見えない。
 稲田氏は「教育勅語の精神」を「親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すこと」と要約している。
 しかし、それでは勅語に込められた明治天皇の意思を理解したことにはならないだろう。
 稲田氏の称揚する徳目について、

  爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

このように位置付けられているのである。
 既に大日本帝國憲法において大権の保持者とされた天皇が、その臣民に対し最終的に求めているのは「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」ということなのであって、その点を無視しては勅語の本義を理解したことにはならない。
 「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と並べられた「徳目」は、それ自体が目的なのではなく、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼」する上で「朕カ忠良ノ臣民」に期待されている行為規範なのであり、求められているのは「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉」するような「忠良ノ臣民」による「天壌無窮ノ皇運」の「扶翼」なのである。
 「スヘシ」の文言が示すのは天皇の「臣民」に対する強い意思の表明であることを見落としてはならない。「臣民」に究極的に求められているのは天皇を大権の保持者とした政治体制を永遠に支えることであって、その点に触れずに教育勅語を語ることは勅語の本義に反する行為(明治天皇の大御心を無視した行為)と言わざるを得ない。もっとも、本文で指摘しておいたように、教育勅語には虚偽を戒める項目はない以上、稲田氏が(あるいは籠池氏が、そして日本会議に代表される面々が)教育勅語の本義をどのように捻じ曲げた上で称揚しようが恥じる必要は感じないのであろう。
 勅語の本義を理解せずに称揚するのは当人の浅薄さの証明となるし、本義を理解した上であえて語らないのだとすれば知的な誠実さが疑われる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/03/09 21:59 → http://www.freeml.com/bl/316274/299043/

 

 

 

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2016年9月16日 (金)

続・二重国籍の幻

 

 蓮舫先生のいわゆる「二重国籍疑惑問題」(最近では弥縫的に「二重戸籍疑惑」と言い換える向きもあるらしいが、その当人が蓮舫先生の発言のブレ―特に用語法上の一貫性のなさ―を平気で非難しているのは、あまりにご都合主義に見える)について、前回の記事(「二重国籍の幻」)の続きである。

 

 

 しかし…、あらためて思うのは、

  蓮舫議員の「台湾籍」というのはいったいどこの国の「国籍」のことなのか??

…ということである。ネトウヨの皆さんだけでなく(というかそれよりは)、 外務大臣、法務大臣、並びに官房長官の見解を伺ってみたい、と思う。

 

 この問題の基本に位置付けられる、わが国の「国籍法」の規定はというと…

 

  第十六条 
  選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない。

 

 国籍法上、求められているのは、外国の「国籍」の離脱、なのである。

 前回も示したように、蓮舫嬢の日本国籍選択宣言時の、戸籍を始めとする公文書上の「国籍」欄には「中国」と明記されている。

 その上で…

 

  現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。
     (答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣)

 

 これが日本政府の公式見解なのである。

 

 繰り返すが、「台湾籍」というのはどこの国の「国籍」を示すものなのか? もう少し、この線上で、問題を追及してみたい。

 

 

 

 日本国籍選択当時の蓮舫嬢が所持していたのは「台湾」の「旅券(パスポート)」であるが、で、その旅券をそのまま現在に至るまで所持していた(更新されずに失効してはいるのだが)ことが特にネット上で問題とされているわけだが、台湾の旅券(すなわち中華民国政府発行の旅券)の日本の国内法的位置付けについて、まず確認しておきたい。

 

 現在の入管法(出入国管理及び難民認定法)には以下の規定がある。

 

  第二条  出入国管理及び難民認定法及びこれに基づく命令において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
  一  削除
  二  外国人 日本の国籍を有しない者をいう。
  三   乗員 船舶又は航空機(以下「船舶等」という。)の乗組員をいう。
  三の二  難民 難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)第一条の規定又は難民の地位に関する議定書第一条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。
  四  日本国領事官等 外国に駐在する日本国の大使、公使又は領事官をいう。
  五  旅券 次に掲げる文書をいう。
   イ 日本国政府、日本国政府の承認した外国政府又は権限のある国際機関の発行した旅券又は難民旅行証明書その他当該旅券に代わる証明書(日本国領事官等の発行した渡航証明書を含む。)
   ロ 政令で定める地域の権限のある機関の発行したイに掲げる文書に相当する文書

 

 「台湾」の「旅券」は、日本の入管法上は、当然のことながら「日本国政府の承認した外国政府又は権限のある国際機関の発行した旅券」には相当せず、「政令で定める地域の権限のある機関の発行したイに掲げる文書に相当する文書」として位置付けられる。

 現在では、パレスチナ自治政府と共に「台湾」が「政令で定める地域の権限のある機関」として取り扱われ、両「機関」の発行した旅券は、日本への入出国に際して入管法上の旅券として機能している。

 もちろん、この規定は、台湾旅券の所持者の台湾国籍保有を認定することを避けるために存在するのであって、台湾(あるいは中華民国政府)発行の旅券の所持者を、台湾国民(あるいは中華民国国民)として位置付けようとするものではない。

 

 

 しかし(というかむしろ「しかも」と言うべきか)、あくまでもこれは現在の法制度上の話なのであって、蓮舫嬢が1984年の国籍法の改正に伴い日本国籍を選択し、(戸籍上の記載をそれまでの)中国籍から日本へと変更した際には、台湾旅券は現在とはまったく異なる取り扱いの下にあったのである。

 立命館アジア太平洋大学の山神進教授による「入管法実務解説-第4回」には、以下のように記されている。

 

  なお上記ロのような規定をおき、“台湾護照”をも入管法上の旅券として認めることにした(平成10年)のは、台湾から本邦への入国者の増加にかんがみ、出入国手続きの簡素化を図れるようにしたものである。すなわちそれ以前は、台湾からの入国者は、有効な旅券を所持しないものとして、渡航証明書を取得しなければならず、また、本邦に在留中に一事海外渡航をしようとする場合には再入国許可証の発行を受ける必要があった
     (http://www.legal-info.co.jp/demo/demo_data/20070118_01.pdf

 

 つまり、蓮舫嬢が日本国籍選択宣言をした当時の日本の国内法制度上は、台湾旅券は無効なものとして取り扱われていたことになる。

 当時の蓮舫嬢が所持していたのはわが国の国内法的に既に効力を失なっていた「旅券」なのであり、現在ネット上で非難の的となっているその「旅券」なるものは、更にその後の台湾における更新手続きの不在により台湾の制度上も失効したものであり、いずれにせよ「旅券」としての資格を持たない紙切れに過ぎないのである。

 

 

 国籍法第十六条の「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」との規定を根拠に、日本の国籍選択宣言をした台湾出身者に対し、台湾籍表示(すなわち中華民国政府発行)旅券の台湾行政当局への返納等の手続きを求めてしまえば、台湾籍の表示を「外国の国籍」の表示として取り扱ってしまうことを意味してしまう。窓口レベルでの対応であれば、いかにもありそうな話ではあるが、法務省内の上層ではそのような対応が非常に厄介な事態を引き起こすことは理解されていて当然であり、そのような手続きを要求することは避けられるべきものとして判断されるはずである。要するに、窓口レベルでの対応では台湾での行政上の手続きを求めることもあったであろうが、そのような対応を法務省全体として公式に採用することはあり得ない話であり、台湾出身者の台湾籍旅券の放置の違法性を主張することもあり得ないものと考えられる。法務省としての実際的な対応としては、まずもって旅券の問題に触れないことであり、台湾出身者に「外国の国籍の離脱」の証明を求めないことである。

 

 これ以外に、法理的に問題なく、国家行政としての一貫性を保ち得る対応法はない(註:1)

 台湾籍旅券をめぐるネット上の盛り上がりは、問題の法理的側面をまったく理解していないところでのものに過ぎない(註:2)。要するに、国家行政上の問題として、現実的ではないのである(註:3)。

 

 

 

 蓮舫先生の発言に(特にその用語法に)統一性がないのは、(ネット上で盛り上がっているように)彼女が「嘘つき」であるから(意図的に虚偽を申し立てているから)ではなく、外国籍保有者が日本国籍を取得する際に必要な法的手続きの詳細(「帰化」と「国籍選択」の違い等々をも含む)に関し正確な知識を持たない(つまり「認識不足」ということである)からと理解する方が、発言の統一性のなさを解釈する上で適切であるように思う(加えて、蓮舫先生の発言が、記憶という曖昧なものに依拠し過ぎているという問題がある)。

 この理解は、必ずしも彼女を擁護するものではなく、彼女の法制度上の認識不足に対する批判をも含むものである。

 国籍法の改正を受け、彼女が国籍選択をした当時の在日外国人をめぐる法的状況として、外登法上の義務とされていた指紋押捺制度への反対運動の盛り上がりがある。その中での「認識不足」は、その時代を生きた人間の一人でありながら(十代の後半という年齢ではあるが)、自身をめぐる法制度上の問題に対する無関心の印象を際立たせてしまう。

 もちろん、十代後半という年齢を考慮すれば、そのような現実(それも自らの出自がもたらす現実)から目を逸らしたくなる気持ちも、私には、理解出来るものではある。十代後半の少女にとってデリケートな問題でもあるのであり、一方的に声高に非難するようなデリカシーのなさは避けたい。

 しかし、彼女のその後の経歴にはニュース・キャスターがあり、在日外国人をめぐる法制度上の問題への鈍感さは、職業的に致命的なものでもあるはずだ。

 そして参議院議員である。その上に民進党の代表だ。不勉強と非難されることは甘受すべきであろうし、そもそも蓮舫先生の政治手法は、政敵の一身上のこのような局面を徹底的に利用し尽くす攻撃的なもの(認識不足は許されるものではなく、曖昧な記憶に基く発言の揺れは認められない)ではなかっただろうか。乱暴な二分法と過剰な一般化に基く糾弾的論法は、そもそもが蓮舫先生がお得意としてきたものとの印象も強いのである。

 

 しかし、繰り返すが、出自をめぐる問題はデリケートなものである。(蓮舫先生自身が実際にデリケートな感性の持ち主であるのかどうかはともかくとして)その点に対する想像力を欠いた議論の氾濫には、いささか絶望的な気分にさせられるのも正直なところである。

 

 

 

【註:1】
 1984年の国籍法改正(1985年施行)に伴い、日本国籍選択宣言をした台湾出身者(日本在住の中華民国政府発行の旅券―ただし日本政府によって既にその有効性は否定されているのだが―の所持者)に台湾の行政当局(すなわち中華民国政府)を相手にした国籍離脱の手続き(国籍法上の「外国の国籍の離脱」)の実行を求めてしまえば、台湾出身者の「国籍」が中華民国のものであることを意味させてしまい、1972年の日中国交正常化を受けて中華民国政府発行旅券の有効性を否定した意味が失われてしまう。それでは日本の国家行政が整合性を欠いたものとなってしまうのである。

 前回記事中でも指摘したことだが、「台湾籍」という法的に曖昧な語を用いてしまうことが問題の所在をわかりにくくし議論を混乱に導いているように思われる。
 蓮舫嬢の国籍選択当時の日本の戸籍簿上には「台湾」を「籍」とする台湾出身者は存在せず、すべてが「中国」を「籍」としていたのであるし、その「中国」籍の台湾出身者が所持していた旅券は「台湾」の旅券ではなく中華民国政府発行の旅券(しかも、その旅券は1972年の段階で日本政府により有効性を否定されていた)であった。ちなみに、中華民国の国籍法の条文中には「台湾」の文字はまったく用いられていないことは覚えておいてよい。その中華民国の国籍法が規定するのは、あくまでも中華民国国民の要件であり、中華民国政府発行の旅券がその所持者に保障するのは中華民国の国籍保有であって「台湾」の「籍」ではない(中華民国政府発行のパスポートに「TAIWAN」の文字が併記されるようになったのは2003年になっての話である)。「台湾籍」という用語は、中華民国(そして台湾において現実の行政の主体となってもいる中華民国政府)の存在を隠蔽するのに役立つことは確かだが、今回の二重国籍問題を正確に考える上では混乱の原因となっているように見える。実際、この点に鈍感なところで展開される主張は、多くの場合、的外れなものとなっている。

 

【註:2】

 民進党代表選に立候補している蓮舫代表代行は13日午前、記者会見し、父親の出身地である台湾(中華民国)籍が残っていたことを明らかにした。
 台北駐日経済文化代表処(大使館に相当)から12日夕に確認の連絡を受けたという。蓮舫氏は「記憶の不正確さから混乱を招き、おわびする」と謝罪した。
 蓮舫氏は旧民主党政権で、台湾籍が残ったまま閣僚を務めていたことになり、波紋が広がりそうだ。ただ、15日投開票の代表選を辞退する考えはないと強調した。
 蓮舫氏はこれまで、日本と台湾のいわゆる「二重国籍」を否定。17歳だった1985年に日本国籍を取得した際、父親とともに代表処へ出向き、台湾籍放棄の手続きを取ったと説明していた。しかし、手続きが済んでいたかは「確認中」として、6日に改めて台湾籍放棄の手続きを申請した。
 蓮舫氏は会見で「(台湾籍放棄)手続きが完了すれば、籍に関することは最終的に確定する」と述べ、手続きが終わるまでなお時間を要するとの認識を示した。
     (時事通信 2016/09/13 10:45)

 この報道は興味深い。

 ネット上で非難されているように、蓮舫先生の「台湾籍放棄」は台湾への「裏切り」と断言し得るのか? 結果的に「台湾籍」を「国籍」扱いすることになり、むしろ台湾当局の利益に適った行為と言い得るのではないのか?

 蓮舫先生の「台湾籍放棄」は、台湾当局にとってネガティブな行為なのかどうか?
 この点については大いに議論の余地がある。

 今回の蓮舫先生の「台湾籍放棄」が、国籍法での「外国の国籍の離脱」をあらためて実行したものなのだとすれば(実際、ネット上ではそのように解釈され、非難されているわけである)、蓮舫先生の「台湾籍」は「外国の国籍」として位置付けられることになってしまう。
 これは蓮舫先生個人の問題にとどまるものではなく、台湾籍一般が台湾の「国籍」として位置付けられたことを意味してしまう。
 これはむしろ台湾当局にとっては歓迎すべき事態とも言い得るのである(もっとも、蓮舫先生自身がその点について自覚的であったとは思い難いが)。

 果たして蓮舫先生は台湾のナショナリズムに反する行為をしたのか?
 それとも台湾のナショナリズムに貢献する行為をしたのか?
 どのような答えが適切と言い得るのか、この問いに答えることは意外に難しい。

 いずれにせよ、ネット上での蓮舫攻撃がエスカレートすればするほど(そしてそれが現実的な影響力を持ってしまえば)、実際問題として、日本政府は厄介な立場に追い込まれるのである。日本政府としては特に見解を示さずに静観するのが穏当な対処法であろう。

 

【註:3】
 この点に関して参考になるのは、台湾出身者の場合の日本国籍選択の手続きと日本への帰化の手続きの違い、及び台湾籍保有者と一般の外国籍保有者の帰化申請手続きの違いである(以下の行文では、煩雑を避けるために「台湾籍」の語を用いる)。
 前者であれば、(現行法では)父母のどちらかが日本国民であれば、その子にも日本国籍が与えられ、その成人に際して国籍の選択が求められる。これはいわば、それまでの二重国籍状態から、当人の責任において父母いずれかの国籍を選択することが(多重国籍保有を認めな我が国の)国籍法で義務付けられているということである(その行使においては国籍選択の「権利」と言い得るかも知れない)。
 後者については、台湾籍保有者の「帰化申請」に際しては、日本国籍取得(帰化)手続きの前提として、台湾籍からの離脱が求められている(http://kikajp.net/taiwan_kika_service.html)。台湾籍保有者を無国籍者状態に置いた上で、あらためて日本国籍取得(帰化)の申請に進むのである。これは国籍法の定める一般的な帰化の手続きとは著しく異なる。まず、国籍法の規定と、法務省のサイトにある「国籍Q&A」から、一般的な帰化の条件・手続きについて確認しておきたい。

第四条 
 日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。
 2 帰化をするには、法務大臣の許可を得なければならない。
第五条 法務大臣は、次の条件を備える外国人でなければ、その帰化を許可することができない。
  一 引き続き五年以上日本に住所を有すること。
  二 二十歳以上で本国法によつて行為能力を有すること。
  三 素行が善良であること。
  四 自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によつて生計を営むことができること。
  五 国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと。
  六 日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て、若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入したことがないこと。
 2 法務大臣は、外国人がその意思にかかわらずその国籍を失うことができない場合において、日本国民との親族関係又は境遇につき特別の事情があると認めるときは、その者が前項第五号に掲げる条件を備えないときでも、帰化を許可することができる。
     (国籍法 
http://www.moj.go.jp/MINJI/kokusekiho.html

Q8: 帰化とは,何ですか?
 帰化とは,その国の国籍を有しない者(外国人)からの国籍の取得を希望する旨の意思表示に対して,国家が許可を与えることによって,その国の国籍を与える制度です。日本では,帰化の許可は,法務大臣の権限とされています(国籍法第4条)。
 法務大臣が帰化を許可した場合には,官報にその旨が告示されます。帰化は,その告示の日から効力を生ずることとなります(国籍法第10条)。

Q9: 帰化の条件には,どのようなものがありますか?
 帰化の一般的な条件には,次のようなものがあります(国籍法第5条)。
 また,これらの条件を満たしていたとしても,必ず帰化が許可されるとは限りません。これらは,日本に帰化するための最低限の条件を定めたものです。
1  住所条件(国籍法第5条第1項第1号)
  帰化の申請をする時まで,引き続き5年以上日本に住んでいることが必要です。なお,住所は,適法なものでなければなりませんので,正当な在留資格を有していなければなりません。
2  能力条件(国籍法第5条第1項第2号)
  年齢が20歳以上であって,かつ,本国の法律によっても成人の年齢に達していることが必要です。
3  素行条件(国籍法第5条第1項第3号)
  素行が善良であることが必要です。素行が善良であるかどうかは,犯罪歴の有無や態様,納税状況や社会への迷惑の有無等を総合的に考慮して,通常人を基準として,社会通念によって判断されることとなります。
4  生計条件(国籍法第5条第1項第4号)
  生活に困るようなことがなく,日本で暮らしていけることが必要です。この条件は生計を一つにする親族単位で判断されますので,申請者自身に収入がなくても,配偶者やその他の親族の資産又は技能によって安定した生活を送ることができれば,この条件を満たすこととなります。
5  重国籍防止条件(国籍法第5条第1項第5号)
  帰化しようとする方は,無国籍であるか,原則として帰化によってそれまでの国籍を喪失することが必要です。なお,例外として,本人の意思によってその国の国籍を喪失することができない場合については,この条件を備えていなくても帰化が許可になる場合があります(国籍法第5条第2項)。
6  憲法遵守条件(国籍法第5条第1項第6号)
  日本の政府を暴力で破壊することを企てたり,主張するような者,あるいはそのような団体を結成したり,加入しているような者は帰化が許可されません。

 なお,日本と特別な関係を有する外国人(日本で生まれた者,日本人の配偶者,日本人の子,かつて日本人であった者等で,一定の者)については,上記の帰化の条件を一部緩和しています(国籍法第6条から第8条まで)。

Q10: 帰化には,どのような手続が必要ですか?
1  帰化許可申請の方法
  本人(15歳未満のときは,父母などの法定代理人)が自ら申請先に出向き,書面によって申請することが必要です。その際には,帰化に必要な条件を備えていることを証する書類を添付するとともに,帰化が許可された場合には,その方について戸籍を創設することになりますので,申請者の身分関係を証する書類も併せて提出する必要があります。
  帰化申請に必要となる主な書類については,Q11をご覧ください。
2  申請先
  住所地を管轄する法務局・地方法務局

Q11: 帰化許可申請に必要な書類には,どのようなものがありますか?
  帰化許可申請に必要となる主な書類は,次のとおりです。
1  帰化許可申請書(申請者の写真が必要となります。)
2  親族の概要を記載した書類
3  帰化の動機書
4  履歴書
5  生計の概要を記載した書類
6  事業の概要を記載した書類
7  住民票の写し
8  国籍を証明する書類
9  親族関係を証明する書類
10  納税を証明する書類
11  収入を証明する書類
12  在留歴を証する書類

 国籍を証する書面及び身分関係を証する書面については,原則として本国官憲が発給したものを提出する必要があります。
 なお,申請者の国籍や身分関係,職業などによって必要な書類が異なりますので,申請に当たっては,法務局・地方法務局にご相談ください。
     (国籍Q&A 
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji78.html

 この国籍法の規定及び法務省による「Q&A」を読めば分かるように、一般的な帰化申請の手続きに際しては、台湾籍保有者の場合と異なり、たとえば国籍法では「国籍を有せず、又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこと」とあるように、外国籍からの離脱は日本国籍の取得後(日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべき)に必要なものとされており、申請の前提として無国籍状態になることは求められていない。
 更に「Q&A」では、

   帰化しようとする方は,無国籍であるか,原則として帰化によってそれまでの国籍を喪失することが必要です
  帰化許可申請に必要となる主な書類は,次のとおりです。
   8  国籍を証明する書類
   国籍を証する書面及び身分関係を証する書面については,原則として本国官憲が発給したものを提出する必要があります。

…として、それまでの国籍の喪失(外国籍からの離脱)は、「帰化によって」の文言が明らかにしているように、帰化が実現した後(日本国籍取得の後)に必要なものとされているのだし、帰化許可申請の際に必要となるのは無国籍状態の証明ではなく、申請提出時の「国籍を証明する書類」なのである。これは台湾籍保有者の場合と著しく異なる。
 まさにここに日本の国家行政上の整合性がいかに追求されているのかが読み取られなければならない。「台湾籍」を台湾の「国籍」と見做してしまう事態を避けるために(中華民国政府を国家を代表する政府と位置付けてしまうことを避けるために)、台湾籍(中華民国国籍)から日本国籍への帰化(そしてその後の「台湾籍」からの離脱)という手続きではなく、無国籍者による帰化申請という形式を法務省はわざわざ求めているということなのである。もちろん、台湾籍保有者の無国籍化の手続きを実行するのは台湾の行政当局(中華民国政府)なのであるが、(その事実を視野の外に置くこと―意図的に無視すること、とにかく触れないこと―によって)日本政府が窓口で対面するのは既に無国籍者となった帰化申請者となるとの曲芸的論法ということなのである。中華民国政府による「国籍を証する書面」を認めてしまえば、中華民国の「国籍」を認めてしまうことになってしまい、日本の国家行政から形式的な整合性が失われてしまうのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/09/16 18:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/285239/

 

 

 

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2016年9月 9日 (金)

二重国籍の幻

 

 このところのネトウヨ系(あるいは自称保守系)大興奮ニュースとして、党内選挙で民進党の代表になっちゃうかも知れない蓮舫先生をめぐる「二重国籍疑惑問題」があったりする。

 

 蓮舫先生については、ニュース・キャスター時代の彼女を、故ナンシー関が見事に「社会派バカ」の一言で斬って捨てたのを今でも忘れ難く思う私ではあるが、そしてその印象が今に至るまで変更されることもなく来た―もちろんささやかな私の偏見に過ぎないのであろう―のであるが、つまり現在の政治家としての蓮舫先生を支持する気にもまったくならない私なのではあるが、今般の(産経新聞と百田尚樹先生とを含む)ネトウヨ系(あるいは自称保守系)の盛り上がりには冷ややかな視線を送らざるを得ないのもまた現実なのであった。

 

 

 

 戸籍簿上の国籍表記に関しては、昭和39年の時点で、台湾出身者については国籍を「中国」と表記するようにとの法務省からの通達がある(註:1)。

 1967年(昭和42年)生まれの蓮舫先生は、出生当時の国籍法上、(日本国民である母の持つ日本国籍ではなく)父の出身地である台湾を意味する「中国」を自身の国籍として日本の公文書に記載することを求められていたことになる。

 

 言うまでもないことであるとは思うが、そもそも「台湾」は地域名であるが国名ではない。「台湾」は、かつては大日本帝國の支配領域であったが、「先の大戦(つまり大東亞戦争)」での大日本帝國の敗戦後は、大陸を追われた国民党政権の支配領域として「中華民国」を国名として名乗ることとなった。昭和39年(1964年)の法務省通達にある「中国」は、この「中華民国」の略称(あるいは通称)ということになる。その後、1972年の「日中国交正常化」により、日本国は大陸に本拠を置く中国共産党政権下の「中華人民共和国」を「中国」の正統な国家として承認し、国民党政権下の台湾の「中華民国」とは断交した(その時点で台湾の正統的な支配者は、台湾の国民党政府ではなく大陸の中国共産党政府と見做されることとなった)。

 しかしそこで台湾出身者の国籍表記はどうなったかというと「中国」のまま! つまり、日中国交正常化後、日本国内公文書上の「中国」は、従来の「中華民国」としてではなく、「中華人民共和国」として読み替えられ取り扱われることで済まされてしまったのである(註:2)。

 

 蓮舫先生は、出生時は当時の国籍法の規定と法務省通達に従い、台湾出身である父の国籍表記である「中国」(ただし中華民国を意味する)の国籍保有者として取り扱われ、「日中国交正常化後」には「中国」の正統な国家として日本政府に承認された(台湾をも領域とすることとされている)中華人民共和国(もちろんこちらも略称は「中国」である―ちなみに日本国の外務省も、そして中華人民共和国の外務省も、この表記を認めている 註:3)の国籍保有者として取り扱われるようになってしまったわけである。

 

 再確認しておくと、1967年の出生時は台湾を領域的に実効支配する国民党政権下の中華民国国籍を意味する「中国」の国籍保有者として取り扱われ、「日中国交正常化」後は台湾をも含む「中華人民共和国」の国籍保有者であることを意味する「中国」籍の保有者として、日本の国内法上の取り扱いを受けていたのである(註:4)。

 日常語の世界の話としてはともかく、日本国の公文書(少なくとも法務省民事局管轄の戸籍簿)上は、「台湾籍」である「蓮舫」なる人物が存在したことはない、ということになる。

 

 で、1984年の国籍法の改正(母が日本国籍保有者であれば、その子に日本国籍が認められるようになった)により、当時の若き蓮舫嬢は、あらためて国籍の選択を迫られることになる。そこで彼女は(父のアドバイスもあったらしいが)日本国籍をあらためて選択したのであった。

 で、ネットで騒がれているのは、その際に「台湾籍を離脱していないのではないのか?」との「疑惑」であるわけだが、先に説明したように、そもそも日本の戸籍簿上には、国籍(帰属先の国家)を「台湾」とする台湾出身者は存在しない。

 その事実を再確認した上で、実際に国籍欄に記載されていた「中国」(ここでは中華人民共和国を意味する―蓮舫嬢が日本国籍を取得した時期が日中国交正常化後なので)の国籍からの離脱の手続きの実行の有無は問われ得る話ではあるだろう。

 ここで焦点となるのは、中華人民共和国の国籍法上の他国の国籍取得者への対応である。中華人民共和国の国籍法上では二重国籍の保有は認められず、他国の国籍を取得した時点で「中華人民共和国」の国籍は失われる。つまり、若き蓮舫嬢が日本の国内法の規定に基づき日本国籍の取得を選択した時点で、中華人民共和国の国内法に基づき、中華人民共和国の国籍は自動的に失われていることになるのである(註:5)。当人による中国籍離脱の手続きは(中華人民共和国の法制度上は)必要とされていないのだ(註:6)。

 実際問題として考えれば、かつて彼女が北京大学に留学した際には、彼女は日本国のパスポートを使用していた―つまり日本国民として「渡航」した―のであり、中華人民共和国の国籍保有者として「帰国」したのではない(そのようなことは中華人民共和国の法制度上あり得ない話なのである)。

 ただし、台湾の公文書上の問題としては、戸籍上の「籍」は残されている可能性は残る―しかし、台湾は日本国から国家として認められていないので、日本の法理上は蓮舫先生の台湾「国籍」なるものは存在しないわけでもあるし、中華人民共和国の法理上も既に中国の国籍を喪失している人物の籍が地方行政文書(台湾は中華人民共和国政府からすれば国内の一地方に過ぎない)に残されているのは国内行政上の瑕疵でしかない(戸籍記載の訂正は、既に国籍を喪失した人物の責に帰するものではなく、行政官の職務に属する問題である―もっとも、あくまでもこれは形式的な話であって、現実の中華人民共和国政府は、現地台湾の行政官に指示命令する手段を持たないのであるが)し、そもそも台湾の住民の多くは自身の帰属先を「中華民国」と考えているのであって、必ずしも台湾なる国家の国籍の保有者などとは考えていない―もちろん、「台湾」を自身の帰属先と考え、大陸から独立した領域としての「台湾」を希求する台湾ナショナリストも存在する(註:7)事実を無視するべきではないが―はずである。

 安易に「台湾籍」という語を用いて問題を論じようとする風潮には、(公文書上の用語法に象徴される)問題の法理的側面への無理解を感じさせられる。本質的に法理上の問題であるにもかかわらず、排外主義的心情の上に築かれた妄想の拡大再生産に議論(蓮舫先生への批判)が終始している印象である。いずれにせよ、日本国の国内法的にも、中華人民共和国の国内法の上でも、蓮舫先生の二重国籍問題なるものは最初から存在しないのである(註:8)(この点に関しては、更に「続・二重国籍の幻」の中で、蓮舫先生の所持していた「台湾籍」の「旅券」の国内法的位置付けに焦点を合わせ論じてみたのでそちらも参考にしていただきたい)。

 

 

 

【註:1】

   戸籍における台湾出身者の国籍表記に関する質問主意書
第177回国会(参議院) 質問第二五六号 平成二十三年八月九日 大江康弘(自由民主党)

 現在、台湾人女性が日本人男性の妻となる場合、台湾出身者が日本に帰化する場合、又は台湾出身者が日本人の養子となる場合など、台湾出身者の身分に変動があった場合、戸籍における国籍や出生地は「中国」あるいは「中国台湾省」と表記される。
 戸籍において、台湾出身者の国籍を「中国」と表記しているのは、実に今をさかのぼること四十七年も前の昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達が根拠になっていると思われる。

 昭和三十九年といえば、東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催された年で、日本が中華民国と国交を結んでいた時代である。しかしその後、日本は中華民国と断交して中国(中華人民共和国)と国交を結ぶなど、日本と台湾・中国との関係は大きく変わっている。
 このような中、東京都は平成二十年五月、住民基本台帳の表記について昭和六十二年の通知が現状に即さず、正確ではないとの判断から、台湾からの転入・台湾への転出の際には「台湾」の表記を認めるという通知を出している。また、平成二十一年七月の法改正による外国人登録証明書の在留カード化措置において、台湾出身者の「国籍・地域」表記は「中国」から「台湾」に改められることになる。
 現実的にも、中国が台湾を統治したことは一度もない。また、日本政府は観光客に対するノービザや運転免許証について台湾とは相互承認を行い、中国とは行っていないなど、明確に台湾と中国とを区別している。さらに、台湾では天皇誕生日祝賀会が開催されたり叙勲を復活させたりするなど、中国とは状況が異なっている事例には事欠かない。
 従って、五十年前とは様変わりしている事情や現実を踏まえ、戸籍における台湾出身者の国籍表記を早急に改めるべき状況にあると認識している。
 そこで、以下のとおり質問する。

一 戸籍において、台湾出身者の国籍や出生地を「中国」や「中国台湾省」と表記するのは、昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達が根拠になっていると思われるが、それで相違ないか。もし違うというのであれば、根拠となっている法律や通達などを明らかにされたい。

二 戸籍において、台湾出身者の国籍を「中国」と表記することは、現状に即し正確だと認識しているか、政府の認識を明らかにされたい。

三(略)
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/syuh/s177256.htm
 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/toup/t177256.pdf

   参議院議員大江康弘君提出戸籍における台湾出身者の国籍表記に関する質問に対する答弁書
答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣(菅直人)

一について

 御指摘のとおりである。

二について

 お尋ねの「現状」の意味が必ずしも明らかではないが、現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。

三について(略)  
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/touh/t177256.htm
 http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/177/toup/t177256.pdf

 

 もちろん、この内閣総理大臣の答弁内容は、民主党政権での独自見解などではなく、歴代の自民党政権下でも受け継がれてきた認識と考えるべきものである(大江議員は、「五十年前」から修正されることなく続く戸籍記載上の問題を指摘しているのであり、その五十年間のほとんどの時期に政権を担当し続けたのは他ならぬ自由民主党なのであるから)。

 

〔追記:2016/09/11〕
 自由民主党政権下での森山真弓法務大臣が以下の答弁をしてるようである。

 04月23日(2002年・平成14年)
 外登証問題で、西村眞悟・衆院議員が法務委員会において質疑。森山真弓法相は「外国人登録法を昭和27年に制定して以来、台湾出身者は『中国』と表記。これは昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」と答弁。
http://freeasia2011.org/japan/archives/1510

 この通りだとすれば、大江議員に対する菅首相の答弁は、大枠として、明らかに自民党政権の姿勢を引き継いだものと位置付けられるだろう。
 「外国人登録法を昭和27年に制定して以来、台湾出身者は『中国』と表記。これは昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」との森山法相の答弁からは、「昭和三十九年六月十九日付で出された法務省民事局長による「中華民国の国籍の表示を「中国」と記載することについて」という通達」に先立ち、外国人登録法については昭和27年の制定以来、「台湾出身者は『中国』と表記」していたことがわかる(そしてそれが「昭和47年9月の日中国交正常化の前も後も変わっていない」ということも)。
 また、昭和39年の「戸籍」上の表記をめぐる「通達」は、あらためて国籍に関する戸籍上の記載と外国人登録に際しての記載の整合を図ろうとしたものと推測し得る(縦割りの行政の中で、横断的に運用上の細部の整合を図るためには多大な労力が必要とされるという一事例にも見える)。

 

【註:2】
 当事者である台湾出身者の帰属意識に関係なく、それまでの中華民国国籍保有者が中華人民共和国籍保有者として見做されるという書類処理上の解釈変更により、「日中国交正常化」という(厄介な)事態への対応が図られたわけである。
 この、台湾出身者の戸籍上の法的身分の解釈変更(帰属する国家―国籍―の変更)という対応策は、日本国の行政官の負担の軽減には役立つものであっただろう。しかし、日本国の行政組織からそれを求められた際に、台湾出身者の出身地における身分の公的証明を発行するのは中華人民共和国政府の行政窓口ではなく、出身地である台湾で依然として実際の行政組織を運用する中華民国政府に属する行政官なのである。
 法的身分については中華人民共和国の国籍保有者とされた台湾出身者は、しかし同時に中華人民共和国のコントロールの及ばない台湾現地の(もちろん、日本国内の出先機関も含むものだが)行政組織、すなわち中華民国を名乗る行政組織によって台湾における法的身分の証明を受けることとなったのである。
 日本の行政官の負担の軽減の結果、台湾出身者には、より複雑な状況がもたらされ、ある種の行政手続きに際し、より大きな負担(当事者の帰属意識の無視は、それだけで当事者には心理的負担となる)が必要となってしまったわけである。
 いずれにせよ、当事者の帰属意識が完全に無視された中で、「日中国交正常化」を受けての行政処理の変更が行われ、様々な意味において台湾出身者の負担を増大させた事実には気付いておくべきだろう。
 今回の「二重国籍疑惑問題」も、このような歴史的背景の中で理解しなければならない。

 

【註:3】
 たとえば日本の外務省の報道発表において「中国」の名称が使用されている。

 → 第11回日中韓高級事務レベル協議(結果)(報道発表)(平成28年8月21日)
   (http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_003612.html

 中華人民共和国の外務省も、自国を指すのに「中国」の名称を使用している。

 → 日本に慎重な行動を望む 参院選改憲派勝利で中国外交部(2016-07-12)
   (http://www.china-embassy.or.jp/jpn/fyrth/t1379421.htm

 ちなみに、台湾すなわち中華民国の国籍法の条文中でも、自称として「中国(中國)」が併用されている(特に、昭和39年の法務省通達から「日中国交正常化」、そして蓮舫嬢の日本国籍取得に至る時期に施行されていた条文を示してみた)。

 → 國籍法 (民國18年)
   (https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%9C%8B%E7%B1%8D%E6%B3%95_(%E6%B0%91%E5%9C%8B89%E5%B9%B4)

 

【註:4】
 先に示した通り、この件に関しての日本政府見解は、

  現在の戸籍において国籍として表示される「中国」は、我が国が国家として承認しているところの「中国」を指すものであり、このような取扱いに問題があるとは考えていない。
     (答弁書第二五六号 平成二十三年八月十九日 内閣総理大臣)

 

【註:5】

     中華人民共和国国籍法
第1条
中華人民共和国国籍の取得、喪失及び回復は、すべて本法を適用するものとする。
第2条
中華人民共和頃は多民族による統一国家で、各民族に属する者は、すべて中国の国籍を有する。
第3条
中華人民共和国は中国の公民が2重国籍をもつことを認めない。

第4条
父母の双方又は一方が中国の公民で、本人が中国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。
第5条
父母の双方又は一方が中国の公民で、本人が外国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。ただし、父母の双方又は一万が中国の公民であるとともに外国に定住し、本人が出生と同時に外国の国籍を取得している場合には、中国の国籍を有しない。
第6条
父母が無国籍又は国籍不明で、中国に定住し、本人が中国で生まれた場合は、中国の国籍を有する。
第7条
外国人又は無国籍者は、中国の憲法と法律を遵守する意思を表示し、次の条件の1つを備えた場合には、申請、許可を経て中国国籍に入籍することができる。
 1 中国人の近親であること。
 2 中国に定住していること。
 3 その他の正当な理由があること。
第8条
中国国希への入考を申請して許可された者は、中国の国籍を取得する。中国の国籍入籍を許可された者は、もはや外国の国籍を留保することができない。
第9条
外国に定住している中国公民で、自己の意思によって外国の国籍に入籍し、若しくはこれを取得した者は、中国国籍を自動的に失う。

第10条
中国の公民は、次の条件の1つを備えた場合には、申請許可を経て、中国国籍を離脱することができる。
1 外国人の近親であること。
2 外国に定住していること。
3 その他の正当な理由があること。
第11条
中国の国籍離脱を申請して許可された者は、中国の国籍を失う。
第12条
国家の公務員と現役の軍人は、中国の国籍を離脱することができない。
第13条
かって中国の国籍を有したことがある外国人は、正当な理由がある場合には、中国国籍の回復を申請することができる。中国国籍の回復を許可された者は、もはや外国の国籍を留保することができない。
第14条
中国の国籍の取得、離脱及び回復については、第9条に規定した場合を除き、必ず申請の手続きを踏まなければならない。18歳末満の者は、その父母又はその他の法定代理人が代わって申請する。
第15条
国籍の申請を受理する機関は、国内では地元の市・県の公安局であり、外国では中国の外交代表機関と領事機関である。
第16条
中国国籍の入籍、離脱及び回復に関する申請は、中華人民共和国公安部がこれを審査し、許可する。許可された者には、公安部が証明書を交付する。
第17条
本法の公布される前に中国の国籍を取得し、又は中国の国籍を失つた場合には、それは引き続き有効である。
第18条
本法は、公布の日から施行する。
http://www011.upp.so-net.ne.jp/cnf/kakkoku_kokusekihou/china.html

 

【註:6】
 ただし、中華民国の国籍法では、他国籍取得による国籍離脱(国籍喪失)には内政部の許可が必要とされ、しかも年齢の制限があった。

      中華民国国籍法
第10条
中国人で、左の各号の1に該当する者は、中華民国の国籍を喪失する。
 (1) 外国人の妻となつた者で、国籍の離脱を申請し、内政部の許可を経た者。
 (2) 父が外国人であって、その父が認知した者。
 (3) 父が知れないか、または認知しない者であって、母が外国人であり、その母が認知した者。
② 前項第2号および第3号の規定により、国籍を喪失する者は、中国法により未成年であるか、または中国人でない者の妻である者に限る。
第11条
自己の志望により外国の国籍を取得する者は、内政部の許可を得て中華民国の国籍を喪失することができる。ただし、満20歳以上であって、中国法により能力を有する者に限る。

http://www011.upp.so-net.ne.jp/cnf/kakkoku_kokusekihou/china.html

 ちなみにこの日本語訳は「子どもの国籍を考える会」のサイトにあるものだが、どのような理由によるのかは不明だが、現行法(國籍法 (民國95年))の文言によるものではない。ただし、幸いなことに蓮舫嬢が日本国籍を取得した当時( 國籍法 (民國18年))の条文の文言の翻訳となっており、今回の問題の理解にはとても役に立つ。
  蓮舫先生当人がインタビュー(http://news.yahoo.co.jp/feature/349)で明らかにしているところによれば、蓮舫嬢の日本国籍選択・取得手続きは、日本の国籍法改正施行(1985年1月1日)の直後の同年同月21日であり、一方で当時の中華民国の出先機関である亜東関係協会に「国籍喪失」の手続きのために出向いている。
 「台湾語」での手続きは父が代行し、台湾語の理解出来なかった蓮舫嬢にはやりとりの内容はわからなかったという。しかし当時(17歳の高校生)の蓮舫嬢は、それで国籍喪失の手続きは終了したものと考えていた。
 いわゆる「台湾籍」が残存し現在に至っているのだとすれば、「自己の志望により外国の国籍を取得する者は、内政部の許可を得て中華民国の国籍を喪失することができる。ただし、満20歳以上であって、中国法により能力を有する者に限る」との国籍法の規定(満20歳以上)が、当時17歳の高校生であった蓮舫嬢を阻んだのだと推測される。成人後の「国籍喪失」の再申請がないままに現在に至り、いわゆる「台湾籍」が残されている可能性はある。
 蓮舫嬢の当時の年齢を考えれば、日本国籍の取得・中華民国国籍の喪失という二つの法的手続きの詳細を把握していなかったことは、声高に非難されるような話でもないように思われる。

 もっとも、日本国の戸籍簿上は、「日中国交正常化」の時点より中華民国の国籍保有者は中華人民共和国の国籍保有者として取り扱われており、国内法的に既に中華民国の国籍保有者と見做されていない蓮舫嬢に中華民国の国籍喪失手続が必要なものなのかどうかには議論の余地が残る(本文で明らかにしているように、私はその必要性を疑っている)。

 参考のために、中華民国の国籍法の当時の条文と現行の条文を原文で示しておく。

当時の国籍法条文(國籍法 (民國18年)
第十條
  中國人有左列各款情形之一者,喪失中華民國國籍:  
  一、為外國人妻,自請脫離國籍,經內政部許可者。  
  二、父為外國人,經其父認知者。  
  三、父無可考或未認知,母為外國人經其母認知者。  
  依前項第二、第三款規定喪失國籍者,以依中國法未成年或非中國人之妻為限。
第十一條
  自願取得外國國籍者,經內政部之許可,得喪失中華民國國籍。但以年滿二十歲以上,依中國法有能力者為限。

現行法条文( 國籍法 (民國95年)
第十一條 (喪失國籍之情形)
  中華民國國民有下列各款情形之一者,經內政部許可,喪失中華民國國籍:  
  一、生父為外國人,經其生父認領者。  
  二、父無可考或生父未認領,母為外國人者。  
  三、為外國人之配偶者。  
  四、為外國人之養子女者。  
  五、年滿二十歲,依中華民國法律有行為能力人,自願取得外國國籍者。  
  依前項規定喪失中華民國國籍者,其未成年子女,經內政部許可,隨同喪失中華民國國籍。

 

【註:7】
 固有名としての「台湾」は、行政上の地域名であると同時に、住民自身の出自・アイデンティティー構築の基盤としても機能する。
 まず台湾には先住民が存在し、その上に大陸系の人々が存在する。大陸系の人々にしても、清朝期からの住人の子孫もいれば、日本による植民地統治期の移住者(戦前からの住民は本省人と呼ばれる)、そして「戦後」に支配者として振る舞った国民党政府に連なる人々(いわゆる外省人)の子孫も存在する。それぞれに帰属意識の在り方は異なり、国民党系の外省人にとっては台湾は「中華民国」であっても、戦後の長い時期に外省人による統治から政治的に排除されていた本省人にとっては、必ずしも国民党の「中華民国」が帰属意識の対象であるわけではない(実際、2003年からは、中華民国政府発行のパスポートに「TAIWAN」の文字が併記されるようになってもいる)。
 戦後の歴史の中での本省人と外省人の対立の構図と同時に、大陸の共産党政権に対する独立的意識は両者に共有されてもおり、台湾住民の帰属意識を考える際には過剰な一般化への誘惑を避けねばならない。
 その上に重ねて、日本在住の台湾出身者の帰属意識の問題があり、彼らの間では、日本国内の公文書上での国籍表記を「中国」ではなく「台湾」とすることも求められており、総務省管轄の外国人住民基本台帳の「国籍・地域」欄等では既に実現されている。

 

【註:8】
 蓮舫先生の二重国籍疑惑については、国際法の原則的には日本国と中華人民共和国の(日本と中国の間の)二国間問題なのであり、そこでの台湾はあくまでも中国内の一地方として法的に位置付けられる。その構図の下では、既に本文中に示したように、中華人民共和国の国籍法上の身分の変更の事実が中華人民共和内の一地方の行政文書の記載内容より優先されるのは当然の話である。蓮舫嬢の日本国籍取得により、彼女の中国籍は自動的に抹消され、一地方の行政文書上の記載の残存放置は、彼女の責ではなく地方行政官の職務の問題なのである。
 しかし、このような認識は、台湾のナショナリストには容認し難いものでもあろう。
 今回の「台湾籍」をめぐる問題の背後には、国際社会の中での国家としての正統性をめぐる問題が潜んでおり、同時に台湾住民自らの、そして日本国内の台湾出身者の、帰属意識の対象の選択の問題―アイデンティティーの問題(しかも、むしろそこではナショナル・アイデンティティーの流動性が暴露されてしまってもいるのである)―が複雑に重なり合っているのである。産経新聞や百田尚樹先生による浅薄な非難とは別に、我々の属する近現代史の問題として、深く掘り下げるに値する話題であることも確かであろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/09/08 21:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/284636/

 

 

 

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2016年8月 9日 (火)

『標的の村』(2013)をやっと観る

 

 先週末のことだが、ついに、三上智恵監督によるドキュメンタリー作品『標的の村』(2013)を観る機会を得た。身近な(?)ところでは、2014年の「メイシネマ祭」で上映されていたのだが、その年はパートナーの体調不良で出かけるに至らず、今回の2016年8月6日となってしまったのであった。

 

 お誘いいただいた友人からのメールによれば、

 

 三上智恵監督「標的の村」の自主上映会を行います。

 会場 : 東京芸術大学 上野キャンパス
 〒110-8714 東京都台東区 上野公園12-8
 大学会館2階 国際芸術創造研究科院生室
 無料・予約不要

 日時: 8月6日( 土曜日 ) 14時~ 18時~(91分・2回上映)

 *18時上映後には、沖縄高江についてのディスカッションを行います。
 参加者: 川田淳、居原田遥、日高良祐、木村奈緒、毛利嘉孝、元山仁士郎

 共同主催・協力 : DMN研究会(デジタルメディア時代の政治的公共性とナショナリズム研究会)、早稲田大学メディア・シティズンシップ研究所

 

…という設定の「自主上映会」で、パートナーも伴い、18時の回に参加したのであった。

 猛暑の中、芸大まで出かけたわけだが、10分前くらいに到着してみると、約40人分の椅子が並べられた会場の残り席は少なく、最終的には最前列で床に座る参加者も出るような状況となった(むしろ床座りの方が椅子席後列―私は中ほどの列だったが、画面全体を見ることは叶わなかった―より画面は見やすかったに違いない)。

 

 

 作品のスタイルとしては、社会派ジャーナリズムによる正統派ドキュメンタリー映画という位置付けになるだろうか? 実際、作品の骨格となっているのは、琉球朝日放送製作によるテレビ用ドキュメンタリーであるらしい。

 

 

 画面に映し出されているのは、非常に理不尽な状況(それ以外に何と言えようか?)に置かれた沖縄県国頭郡東村高江地区の住民による、彼らをそのような理不尽な状況へ平然と追いやろうとする国家行政当局への必死の抵抗の姿である。

 個々のエピソードの紹介としてではなく、高江地区の住民の置かれた全体状況を要約すれば、「一方的に住民に犠牲を強いようとする国家の統治権力」が一方にあり、それに対し「小数者としての、弱者としての彼ら高江地区の住民」がある(少数者=弱者では必ずしもないが、ここでの彼らは少数者であるがゆえに弱者の境遇を強いられているのである)。

 

 あらためて図式化すれば、映像として記録されているのは、

  一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿

…ということになるだろう。

 

 国家は人権の保障装置でもある(あり得る)のだが、たとえ民主的に選ばれた(つまり多数者の意思を反映した)政府による統治であっても、法の執行権力としての行政は、それ自身の合理性(あるいは安易さ)を追求する中で、主権者としての市民の意思に反する振る舞いをするものなのである。時にはそれが「圧政」として現実化することさえある。

 我が国の「保守」を自称する方々の想像力からは完全に抜け落ちている問題意識だと思われるが、米国で銃規制に反対する伝統的な保守派にとって、市民の武装の権利は、圧政へと転化し得る政府への抵抗の手段の確保として位置付けられているのである。

 近代の西欧政治思想においても、多数者の意思を反映したはずの政府による圧政の可能性と、その際の市民による抵抗の正当性についての長い議論の歴史がある。

 まさに高江地区住民が直面させられたのは、そのような状況(圧政として現実化されてしまった国家行政の姿)なのである。その意味で、高江地区の住民の行動を、沖縄のローカルで例外的な状況の産物としてではなく、政治思想史的に普遍性をもった問題の典型的事例と評価することも出来る。

 

 確かに『標的の村』の内容を、文字列として「国家による圧政と闘う市民の姿」として入力変換してみると、私自身、一時代前に流通した陳腐な表現を無自覚に再現して平気な鈍感な人間のようにも感じられてしまう。

 しかし、現に映像として記録されているのは、「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿」以外の何物でもないことも否定し得ない。

 

 今、現実に沖縄で進行しているのは、一時代前の(と言えるつもりになっている)表現がいまだに通用してしまう現実なのである。

 「保守」を自称する人々の間でならば、「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力」と言えば、中国共産党の行使する統治権力の現実が連想され、(サヨク代表の)共産主義者の行為として安心して非難の対象とされるのであろうが、しかし日本の保守政権がその統治権力を行使する際の現実でもあるのだ。

 このドキュメンタリー作品に、高江地区の住民に対し「一方的に犠牲を強いる」日本の統治権力として記録されているのは、第一次安倍政権とそれに続く自民党政権であるだけでなく、(「保守」を自称する人々からはサヨク政権として位置付けられている)鳩山氏や野田氏に率いられた民主党政権(鳩山政権時には福島瑞穂党首の社民党も連立政権を構成していた)の時代でもある。

 

 沖縄県国頭郡東村高江地区の総人口は(2010年の国勢調査時で)、66世帯の142人である。つまり、住民の絶対数が少ない地域なのである。

 その高江地域を米軍の「北部訓練場」(ジャングルでのゲリラ戦を想定した海兵隊の訓練施設)が取り囲んでいる。その敷地の部分返還と引き換えに、(字義通りにはヘリコプターの着陸用施設だが、実際にはオスプレイの利用が想定されている)ヘリパッド移設が日米間で合意され、実行されようとしている。しかし、高江地区の住民にはまったく事前説明がされていない。それがドキュメンタリーの冒頭の2007年の状況である(註:1)。

 ここで象徴的なのは、事態の経緯が示す、「実行」の主体となる防衛施設局の側が、住民への事前説明を必要と考えず、ましてや住民への説得・合意形成への努力の必要など考えもしなかったという事実であろう。明らかなのは、国家行政の最前線に位置する沖縄防衛施設局が、絶対数の少ない住民の意思を問う必要を感じなかった、あるいは必要は感じたにしても無視することの方を選んだという事実である。

 それだけではなく、防衛施設局は説明を求めて抗議行動をした住民を「通行妨害禁止」の仮処分の対象として裁判所へ申し立てることまでする。ここで沖縄防衛施設局に代表される国家は、絶対数の少ない住民に対して説明責任を果たし説得・合意形成への努力をすることではなく、いきなり住民を司法の場へ引き出す恫喝的手法を選んだことを意味する。沖縄防衛施設局は、絶対的な少数者としての住民に対する「説得・合意形成への努力」のポーズさえ必要とは考えなかったのである。そこに「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿」という構図が成立することになる。

 これを、沖縄県の東村高江地区の遠い出来事として、他人事として考えてしまう(というか考えもしない)のは、民主主義的社会を維持する上では危うい事態である。この状況を容認してしまえば、やって来るのは、「保守」を自称する皆さんの非難する中国共産党の支配する世界と大して違いのない社会である。

 帰宅後に住民側のサイトで確認したのだが、防衛施設局による「仮処分申請」の際に示された住民による「妨害行為」には、「ブログで座り込みを呼びかけ」や「ヘリパッド反対のイベントを開催」、「DVD・ポスターなどを制作」どころか「防衛局に建設反対の申し入れをしている」ことまでもが含まれているらしい。どれも、社会を民主的に維持していく上で欠かせない行為である。このような政府の主張を容認してしまえば、中国による侵略・占領支配への心配をするまでもなく、既に居ながらにして中華人民共和国の人民と違いのない世界に暮らすことになるのだ(中国共産党の支配から守るべきはずの民主的社会の基盤が既に失われていることを意味する―オスプレイの導入・配備の意義が民主的社会の防衛にあるのだとすれば、その導入・配備の過程において民主的手続きが尊重されていない現状は、オスプレイ配備の意義そのものを根底から否定するものとなってしまう)。「保守」を自称する皆さんにも、大いなる危機感をもって、高江地区住民を支援して欲しいと思う(註:2)。

 

 

 工事作業開始により高江地区でのヘリパット設置反対運動の映像記録が始められた2007年は第一次安倍政権、高江地区住民の行為が国家によって告発され住民が裁判所に引き出されたのは2008年の麻生政権時、司法の場での国家による住民告発を継続させた(取り下げることも可能であったにもかかわらず)のは普天間基地の県外移設を掲げた民主党の鳩山政権時(註:3)で、まだ社民党が連立を組んでいた時点(その後、辺野古への移転―県外移設の断念―の閣議決定を拒否し連立解消)であるし、ドキュメンタリー後半の中心エピソードとして展開されるように、(普天間基地への)オスプレイ導入反対運動を圧殺したのは民主党の野田政権である。

 どちらが与党であっても、絶対的な少数者である高江地区住民の意思を無視することに問題はないと考え、日本全体からすれば少数者である沖縄県民の意思を無視することに問題はないと考えている、ということなのだ。

 

 政権与党(現在は自民党)は日本国民の多数の支持を受けているのであるし、それに次いで支持を得ているのは野党第一党(かつての民主党―現在は民進党)である。いずれの政権下においても、その政策は国民の多数による支持なしには成立し得ない。

 高江地区住民の意思を無視し、沖縄県民の意思を無視する主体は、主権者としての日本国民の多数なのである。

 

 『標的の村』を観て悲憤慷慨するのは当然だとは思うが(「悲憤慷慨」は自然な心情の流露であろう)、その際に「日本政府が悪い!」と言い募るのも実に簡単だが(それが理路として成立しないことはない)、「悪い日本政府」を背後から支えているのは国民の多数者なのである。この点に気付かずにいる限り、安心して悲憤慷慨し、心情的正義感に浸って日本政府を糾弾し続けて済ませていられるだろう。しかし、糾弾すべき相手が遠くの日本政府ではなく多数者としての隣人であり、あるいは多数者を構成する自分自身でもあるかも知れないと考えてしまえば、安易に正義感に浸り続けているわけにもいかなくなる。

 しかも、実際問題として国民の多数者は、高江地区住民の意思を無視してよいと考えているわけでもなく、沖縄県民の意思を無視してよいと考えているわけでもない。そもそも日本国民の多数者は、高江地区住民の払わされる犠牲など眼中にないし、沖縄県民に押し付けられている過大な米軍基地負担にも無関心なのである。

 

 

 

 

《関連記事》

 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

 「民族」としての「沖縄の人々」 (琉球國の「独立」と伊江朝直 9)

 「慰霊の日」に、比嘉賢多監督の『沖縄/大和』(2014)を観た

 

 

 

【註:1】

  そんな中、1996年12月、「沖縄県民の負担を軽減する」という名目の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の最終報告で、北部訓練場の施設面積の約半分に相当する約3,987ヘクタールが返還される事が、日米政府間の「合意」として発表されました。
  しかし、提示された返還条件は、返還する敷地にあるヘリパッド(7箇所)を残る敷地に「移設」すること。そしてその7ヶ所のヘリパッドの移設は、高江集落の周囲を取り囲むような配置で計画されていたのでした。
  高江区はすぐにヘリパッド建設に反対する区民総決起大会を開き、翌1997年には区民総会で反対決議を全会一致で決議しました。
  その後数年、移設計画に表立った動きは有りませんでしたが、2006年2月、突然、「ヘリパッド6箇所(1箇所減)の移設計画が決定した」と新聞で報道されたのです。その報道以前には、高江住民は一切その事実を知らされていませんでした。
http://helipad-verybad.org/modules/d3blog/details.php?bid=34&cid=5

 重要なのは、「高江区はすぐにヘリパッド建設に反対する区民総決起大会を開き、翌1997年には区民総会で反対決議を全会一致で決議しました」との、1997年時点での住民の「全会一致」での意思表明の事実である。
 この意思表明が徹底的に無視されているのである。

 

【註:2】

  ここに面白い調査がある。沖縄県知事公室地域安全政策課が2013年6~7月に行った「沖縄県民の中国に対する意識調査」である。
  それによると、「中国に対する印象」では、「良くない印象を持っている」と「どちらかというと良くない印象を持っている」が合計で89・4%。その理由のトップは「尖閣諸島を巡り対立が続いているから」が65・1%である。一方、全国調査はそれぞれ90・1%、53・2%である。しかも、「中国と米国でどちらに親近感を覚えるか」では、「中国により親近感を感じる」3・5%に対し「米国により親近感を感じる」59・1%である。全国調査はそれぞれ5・8%、56・1%である。
  辺野古移転反対や反基地運動感情が強いことから、中央政界やメディアでは、「沖縄は反米親中」という見方が強いが、現実はまったく異なる。沖縄は尖閣諸島問題に代表される中国の対日圧力の最前線なのである。そして親米感情も全国平均より高いのである。沖縄が反発しているのは政府や「東京の目線」に対してであり、その感情的な基盤が日本全国から反政府的な活動家まで吸引してにっちもさっちもいかない状況を作り出しているのである。
http://www.nippon.com/ja/genre/politics/l00074/

 

【註:3】

  しかもひどいことに、県外移転が非現実的とわかると、民主党政権はさっさと公約を取り下げてしまった。それだけでなく、なんと民主党政権下で強硬推進が可能になる法改正が行われるのである。地方自治法では、都道府県知事、教育委員会、選挙管理委員会の判断や業務が、法令に違反している、または適性を欠き公益を損なうと国が判断した時、国は是正の勧告や要求を行えることになっているが、これまで、これには強制力はなかった。地方自治体側から国地方係争処理委員会への審査申し出が出来るだけで、国側からそれ以上、働きかける手段はなかった。2012年9月に公布された地方自治法の改正で、国による違法確認訴訟制度が創設され、司法的な手段で地方の「不作為」を排除できる道ができた。もちろん、改正は民主党政権以前からの流れであったが、これで国と地方の関係は一変する。
http://www.nippon.com/ja/genre/politics/l00074/

 

 

 

《関連動画》

 本文でも触れた、テレビ放映版の映像である(ただし映画版の半分の尺)

Targeted Village / 標的の村
     https://www.youtube.com/watch?v=raJ8vTr8r4c

 (23分過ぎに登場するネコの姿にも注目して欲しい←ネコ好きの視線として)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/08/09 20:36 → http://www.freeml.com/bl/316274/282379/

 

 

 

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2016年5月22日 (日)

ついに東京裁判史観か!? (安倍晋三氏の歴史認識)

 

 これまでにも度々、当ブログ上では、安倍晋三氏の「歴史認識」の問題について取り上げて来たが(「資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移」、「安倍晋三氏の完全なる転向(米議会演説と「歴史認識」)」等を参照)、新たな展開があったので記録にとどめておきたい。

 5月18日の国会での党首討論の際に、安倍晋三首相は明確に、かつてのわが国が「侵略」の主体であり、「他国を踏みにじる行為」の主体であったとの認識を示したのである。

 

 民進党の岡田代表との党首討論の中での実際の安倍氏のお言葉はというと…

 

  戦前の反省の中から他国を侵略しない。そういう状況を作らないように、貢献していくことが大切だ。『当たり前』と言えば、それがなくなるわけではない。当たり前にするには、その努力をしなければならない。その中で、国民の命と、そして幸せな暮らしを守るために、私たちの責任を果たさなければならない。われわれの憲法草案においても、言わば国連憲章に書いてある考え方、平和主義が貫かれている。つまり、必要な自衛の措置しかとらない。侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、そういうことはこれから二度としない。そして、二度と戦争の惨禍を繰り返さないというのが、私たちの考え方であり、平和主義だ。
     (産経新聞 2016/05/18 18:57)

     → http://www.sankei.com/politics/news/160518/plt1605180036-n4.html

 

 この産経新聞記事によると、安倍氏は岡田氏を相手に、

  戦前の反省の中から他国を侵略しない。
  そういう状況を作らないように、貢献していくことが大切だ。

  侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、
  そういうことはこれから二度としない。
  そして、二度と戦争の惨禍を繰り返さないというのが、私たちの考え方


…と述べた。

 もちろん「産経」の記事なので、この首相のお言葉は「サヨク・マスゴミ」の「捏造」なんかではないはずだ。

  かつては「他国を侵略」し、
  「他国を踏みにじる」行為をしたが、
  そういうことはこれから二度としない

 安倍氏は、このような認識を披歴したことになるのだが、 「産経新聞」は(そして安倍政権の熱烈な支持者の方々は)安倍氏が何を言ってしまったのか、 理解が出来ているのであろうか? (そもそも当人は自分の言ってしまったことを理解出来ているのだろうか?)

 安倍氏が披瀝したのは反日的な「東京裁判史観」ってヤツだと思われるのだが…

 「日本会議」の皆さんのご意見が聞いてみたいところではある。

 

 「日本会議」的に致命的なのは、

  侵略とか、戦闘的な攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる
  そういうことはこれから二度としない

 これでは、「一度はやった」という話になってしまう。

 「近現代史の真実」に基づき、大東亜戦争(いわゆる「先の大戦」)が大日本帝國による「自衛戦争」であり、「アジア解放戦争」であったと主張するのであれば、いずれにせよ大日本帝國の戦争が「侵略戦争」ではなかったと主張しようとするのであれば、正しい言い方は、

  侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、
  そういうことはこれからもしない

 こうでなくてはならない。

 

 しかし、安倍首相は明言したのである。

 

  戦前の反省の中から他国を侵略しない。
  そういう状況を作らないように、貢献していくことが大切だ。

  侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、
  そういうことはこれから二度としない。
  そして、二度と戦争の惨禍を繰り返さないというのが、私たちの考え方

 

 安倍氏のこの言葉を深く味わっておきたい。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/05/20 20:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/275619/

 

 

 

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2016年4月22日 (金)

防災担当内閣府副大臣としての松本文明氏の職務

 

 

  熊本地震の現地対策本部長を務めていた松本内閣府副大臣は、政府とのテレビ会議で自身らに対し食料の差し入れを求めたことを認め、陳謝しました。

  「テレビ会議を使って自らへの差し入れを求めたことは批判を招くのではないか」(民進党 高井崇志衆院議員)

  「大変申し訳ないという思いも一方であります。バナナでもおにぎりでもいいです、一口でもいいですから、なんとか差し入れをお願いできませんかというお願いをしたことは事実であります」(松本文明内閣府副大臣)

  松本副大臣は、熊本県の要望などを伝えるための政府とのテレビ会議で、自身や現地対策本部の職員に対する食料の差し入れを求めたことを認め、陳謝しました。一方で松本氏は、職員が1日何も食べていない状況だったとして、「夜を徹して懸命に働いている人たちの健康管理も大きな責任の一つ」だと釈明しました。

  今回の松本氏の言動には、与党内から苦言が出ています。

  「その電話会議の内容は全く残念だと思う」(公明党 漆原良夫中央幹事会会長)

  漆原氏は、このように述べたうえで、「本当に寄り添う気持ちで国会議員や役人は現場に行かなければ」と指摘しました。(21日14:57)
     (TBS系(JNN) 2016/04/21 20:48 最終更新:4月22日(金)6時11分)

 

 

 

 4月14日の地震発生後に熊本入りし、現地対策本部長として政府と被災地との連絡調整役を担っていた、松本文明内閣府副大臣の言動に対する野党(民進党)による批判も与党(公明党)による批判のどちらもが心情論でしかなく、メディアによる報道も含めて、問題の本質(それもかなり深刻な)が理解されていないように見える。

 

 この問題で重要なのは、日本政府の現地対策本部が自らの食料を準備することを怠っていたという事実にある。これまで(消防や警察との比較において)災害派遣時の自衛隊の優位さの根拠とされていたのは、自衛隊が有する現地自活能力であった(ただし、現在では、緊急消防援助隊も警察の広域緊急援助隊も自活型組織へと変化している)。要するに、今回の熊本地震に際しての日本政府現地対策本部長たる松本文明内閣府副大臣がまったく無自覚に自ら明らかにしてしまったのは、政府の現地対策本部が現地自活能力を欠いた組織であった(一口のバナナもおにぎりもなかった!)というお粗末な事実なのである。

 

 

 ちなみに、別の報道によれば、

 

  現在の「内閣府副大臣」の役職については、サイト上にアップした動画の中で、次のように語っていた。

  「内閣府副大臣として私の管轄はとても広いんです。まず河野大臣のもとで防災担当をやっています。災害が起きたときにどう対応するのか、きちっと計画をつくり、訓練を重ねて、想像力を逞しくして、どういうことが起こった時にどう動くべきか、準備を万般怠らないようにしなければならない。

  首都圏や都市部は防災に関する関心が大変高い。しかし、『そんなことはうちの地域では起こらないだろう』という地域では考えられていないという現実がたくさんあります。災害は忘れたころにやってくる、地震や火山の爆発がなくても豪雨、異常気象というのはいつどこであってもおかしくないという状況ですから、そういったことについての関心度を高め準備を進める。全国を回ってみて感じる落差をどう詰めていくかが緊急の課題です」
     (BuzzFeed Japan 2016/04/22 06:30)

 

 松本内閣府副大臣は自身のサイト上で、「防災担当」としての自身の任務について、「災害が起きたときにどう対応するのか、きちっと計画をつくり、訓練を重ねて、想像力を逞しくして、どういうことが起こった時にどう動くべきか、準備を万般怠らないようにしなければならない」と語っていたようだが、残念なことに現実の松本氏には、「想像力を逞しくして、どういうことが起こった時にどう動くべきか、準備を万般怠らない」こと、つまり災害時の政府現地対策本部の自活能力の準備・確保の必要性への想像力を持つことは難しかったようである(保守を標榜する政党の政治家として、兵站を無視して戦争をした、この国の伝統を受け継ごうとしたわけでもあるまい)。

 

 

(以下、〔追記:2016/04/29〕では、地震発生から松本氏が政府現地対策本部長の職務を解かれるまでの時系列と、政府現地対策本部が準備した(実際には準備がなかった)糧食の実情を、〔追記:2016/05/16〕では、政府現地対策本部長が「ローテーション」による職務である事実の詳細と、現地対策本部設置の際の糧食準備の実態を再確認してあるので、問題の所在を理解していただく上で、ぜひ〔追記〕部分にも目をお通し願いたい)

 

 

 

 

〔追記:2016/04/29〕

 各社の報道と内閣府防災担当大臣(つまり松本文明氏の上司)の河野太郎氏の公式サイトにより、問題の時系列を確認しておきたい(特に松本文明氏の「おにぎり大臣」と揶揄される原因となった言動と、安倍総理による屋内避難指示問題については太字で引用した)。

 

 まず、「4月14日午後9時26分、熊本県で震度7の地震が発生」(河野太郎公式サイト)したのを受け、「午後11時25分、内閣府大臣官房審議官以下4名の内閣府情報先遣チームを現地に向けて出発させ先遣チームは内閣府から入間の自衛隊基地に向かい、自衛隊機で熊本空港に)」ると共に、「松本文明内閣府防災担当副大臣を団長とし、内閣府、警察庁、消防庁、防衛省からなる政府調査団10名の派遣を決め」ており、翌15日の「午前3時ごろ、先遣チームが現地に到着、情報の集約をはじめ」、防災担当内閣府副大臣の松本文明氏を含む一行は「午前8時50分頃、政府調査団、福岡空港到着。自衛隊ヘリで益城町上空を視察しながら午前10時40分、県庁に到着」している。

 続いて「午前11時30分頃、8号館オペレーションルームで熊本県庁に到着した松本副大臣からテレビ会議で報告を受け」、「15時47分、益城町役場にいる松本副大臣から報告が入」っている。

 

 また、「午前11時15分、官邸の総理執務室でここまでの情報を集約して総理に報告し、総理からは屋外に避難している人を確実に今日中に屋内に収容せよという指示がありました」とも記されており、安倍氏自身が「屋内」への「避難・収容」の指示をしていたこともわかる。

 

 

 しかし、翌16日午前1時25分ごろになってマグニチュード7.3、震度7の「本震」が熊本地方を襲う。

 政府現地対策本部長である松本氏の率いる政府調査団は、「16日未明の本震後、県庁の食堂が使えず、水も電気もガスも止まり、職員は固形物を口にできず、水やお茶などでしのいだ」(日刊スポーツ 2016/04/22 09:33)、あるいは「水、電気、ガスがストップしている状態ですから、各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々が全くできないという状況」、「2度目の震災が被害が起こった日は、口の中に食料らしい固形物は入っていないという状況」(朝日新聞デジタル 2016/04/21 18:37)に陥ってしまう。

 松本氏は「政府と県を結ぶテレビ会議で河野氏に「食べるものがない。これでは戦えない。近くの先生(国会議員)に差し入れをお願いして欲しい」と要請」するに至る。そして「河野氏が手配し、熊本県関係の議員4人の事務所からおにぎりが届けられた」(朝日新聞デジタル 2016/04/21 05:03)との経緯であった。

 

 あらためて明らかになったのは、政府現地対策本部が陥った「水、電気、ガスがストップしている状態ですから、各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々が全くできないという状況」である。驚かされるのは「各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々」との記述であろう。政府現地対策本部が携行した非常用食品が「各職員」の「自前」であり、しかも「水、電気、ガスがストップしている状態」での食用に適さないものであったとの事実なのである。

 政府には、災害時現地対策本部用非常食の組織的準備がなかったことが明らかになっただけでなく、震災対応に派遣された「各職員」が「水、電気、ガスがストップしている状態」を想定することもなかった事実までもが明らかになってしまったのである(度重なる地震災害を経験した現在では、その「想定」が災害時の非常食準備の常識となっているのだとばかり思っていたが)。

 これが安保法制を推進し、緊急時対応能力の必要を声高に叫ぶ政権の災害時現地対策本部の実情なのである(松本副大臣の「食べるものがない。これでは戦えない」との切実な言葉は、政府現地対策本部の糧食の準備のお粗末さを自ら暴露したものとして読み取られるべきである)。

 

 

 また河野防災担当相は、「全国知事会を代表して新潟の泉田知事から、家屋の応急危険度判定に必要な人材を、知事会で協力して熊本に大至急、送りだすことを決めたと連絡があ」った事実を記し、更に「新潟地震などの経験から、強い余震が続く場合、余震で家屋が崩壊する場合もあり、応急危険度判定を至急、行うことが必要になるが、そのためにはかなりのマンパワーが至急、必要になるだろうという知事さんたちの経験」にも言及している。

 最初の地震(4月14日午後9時26分)の「翌日」(午前11時15分)の段階での「総理からの避難者の屋内収容の指示」の適切性も問われるべきであろう。確かに16日のマグニチュード7.3、震度7の「本震」の予測は困難であったにしても、余震が続く時点(例えば、4月15日午前0時03分には震度6強の余震)での(現地を遠く離れた官邸での)「避難者の屋内収容の指示」の判断には疑問が残る(その性急さ、あるいは不用意さにである)。総理は「新潟地震などの経験=強い余震が続く場合、余震で家屋が崩壊する場合もあり」から学んでいないのではないのか?との疑いを持たざるを得ない。

 安倍氏は「本震」での、「屋内」に「避難」したが故の犠牲者に責任を感じるべきだと、私は思う。

 

 

 

《資料》

  松本氏は、16日の「本震」の後、政府と県を結ぶテレビ会議で河野氏に「食べるものがない。これでは戦えない。近くの先生(国会議員)に差し入れをお願いして欲しい」と要請。河野氏が手配し、熊本県関係の議員4人の事務所からおにぎりが届けられたという。本来は県側の要請と政府の対応を調整する場であるテレビ会議を使って、自身への差し入れを求めたことは批判を招きそうだ。
  松本氏は屋外避難者をめぐって松本氏と蒲島郁夫知事の考えがすれ違う場面もあったという。蒲島知事は16日の会見で、被災者が余震による建物倒壊を恐れて屋外に避難する中、松本氏から「なんで屋内(避難)じゃないの」と尋ねられたことを明かし、「(松本氏は)分かっていない」と不快感を示した。
     (朝日新聞デジタル 2016/04/21 05:03)

 

  (熊本地震の本震後、現地対策本部長としてテレビ会議で自分たちへの食事の差し入れを要請していた問題について)大変申し訳ないという思いの一方であります。水、電気、ガスがストップしている状態ですから、各職員が持って行っている自前の食料、カップラーメン等々が全くできないという状況でありました。私は職員の肩をたたきながら、「食事はできているかい」「大丈夫か」――。こういうような声をかけて来ました。2度目の震災が被害が起こった日は、口の中に食料らしい固形物は入っていないという状況で働いたわけであります。
  テレビ会議で(河野太郎・防災)大臣から「他に困っていることはないか」という優しい問いかけに対して、私が「バナナでもおにぎりでも良いです。何とか差し入れをお願いできませんでしょうか」というお願いをしたことは、事実であります。現地対策本部長として、私の部屋の中で懸命に夜を徹して働いている人たちの健康管理、これも私の大きな責任の一つだ。こう考えております。(21日の衆院総務委員会で)
     (朝日新聞デジタル 2016/04/21 18:37)

 

  熊本地震で、現地の政府対策本部長を務めていた内閣府の松本文明副大臣が、震災対応を協議する政府とのテレビ会議で、職員への食料の差し入れを求めていたことが分かった。
  松本氏は21日、衆院総務委員会で「大変申し訳ない」と陳謝する一方、現地の食糧不足の実態を明かした。16日未明の本震後、県庁の食堂が使えず、水も電気もガスも止まり、職員は固形物を口にできず、水やお茶などでしのいだと強調。「困っていることはないかと問われ、この状況では、本部の人間は何も口にできない。バナナでもおにぎりでも、差し入れをお願いできないかと申した」と述べた。松本氏は20日、わずか5日で本部長を交代となった。
     (日刊スポーツ 2016/04/22 09:33)

 

 4月14日午後9時26分、熊本県で震度7の地震が発生しました。
  防災担当大臣は、全国で震度6弱あるいは都内で震度5強の地震が起これば直ちに官邸のオペレーションルームに参集することになっています。

  同時に内閣府の防災部局は8号館3階にオペレーションルームを立ち上げ、官邸と連絡を取りあいながら情報の集約、被災地への支援をはじめます。
  午後9時33分、参集の連絡を受け、9時40分に官邸に入りました。
  午後9時40分、警察庁は、広域緊急援助隊の出動及び待機を指示。
  午後10時07分、震度6弱の余震。
  午後10時10分、私が本部長となる政府の非常災害対策本部を設置しました。
  警察庁は、警察庁次長を長とする非常災害警備本部を設置。
  午後11時21分、「熊本県熊本地方を震源とする地震非常災害対策本部会議」を官邸4階大会議室で開催しました。
  
午後11時25分、内閣府大臣官房審議官以下4名の内閣府情報先遣チームを現地に向けて出発させました。先遣チームは内閣府から入間の自衛隊基地に向かい、自衛隊機で熊本空港に向かいました。
  松本文明内閣府防災担当副大臣を団長とし、内閣府、警察庁、消防庁、防衛省からなる政府調査団10名の派遣を決めました。

  4月15日午前0時03分、震度6強の余震。
  午前3時ごろ、先遣チームが現地に到着、情報の集約をはじめました。
  午前5時、警察は、発災直後から行っていた被害情報の収集、救出救助、避難誘導などの活動に加え、交通部門、生活安全部員による益城町内のパトロールを開始。
  午前6時30分、内閣府大臣室で防災、警察の情報を集約。避難所352か所、避難者数24,458名との報告。
  熊本県警830人、警察災害派遣隊1085人、ヘリ5機、救助犬4頭出動中。
  午前7時05分、官邸の総理執務室で総理に集約された情報を報告。
  午前8時05分、第2回地震非常災害対策本部会議を官邸の4階大会議室で開催。死者9名が確認され、避難所505か所、避難者数44,449名に。
  午前8時25分、閣議。
  午前8時50分頃、政府調査団、福岡空港到着。自衛隊ヘリで益城町上空を視察しながら午前10時40分、県庁に到着。
  全国知事会を代表して新潟の泉田知事から、家屋の応急危険度判定に必要な人材を、知事会で協力して熊本に大至急、送りだすことを決めたと連絡がありました。
  
新潟地震などの経験から、強い余震が続く場合、余震で家屋が崩壊する場合もあり、応急危険度判定を至急、行うことが必要になるが、そのためにはかなりのマンパワーが至急、必要になるだろうという知事さんたちの経験から、素早いアクションにつなげていただきました。
  午前11時15分、官邸の総理執務室でここまでの情報を集約して総理に報告し、総理からは屋外に避難している人を確実に今日中に屋内に収容せよという指示がありました。
  午前11時30分頃、8号館オペレーションルームで熊本県庁に到着した松本副大臣からテレビ会議で報告を受けました。

  熊本県から応急危険度判定に必要な人材の要請があり、すでに知事会が動いてくれていることを伝えるとともに、総理からの避難者の屋内収容の指示を伝えました
  13時、総理執務室で総理に集約した情報を報告。屋外避難者は解消できる見込みであることをお伝えしました。
  15時47分、益城町役場にいる松本副大臣から報告が入りました。
  16時00分、第3回地震災害対策本部会議を官邸4階大会議室で開催。
  警察、消防、自衛隊による行方不明者等を捜索するローラー作戦が一巡を終了、新たに家屋等の下敷きになっていた人も発見されず、行方不明者もなし。
  全ての要避難者のための避難場所も確保完了。
  救命救助の段階から生活支援、生活再建の段階へ。
  停電は今日中、ガスは明日中に復旧を目指します。
  現地の物流の要でもある国道443号線は、明日までに道路の陥没を修復し、暫定でも通れるように突貫工事。
  益城町の中でも避難者が多い地域はパトカー85台を出して、生活安全部門、交通部門などでパトロールに当たります。
  避難所には必要に応じて女性警察官を配置します。
  18時45分、現地対策本部の松本副大臣から、熊本県との調整会議の結果などについての報告。
  19時30分頃、官邸のオペレーションセンタ―で情報を集約、
  20時00分頃、総理、官房長官に報告。
  消防、警察、自衛隊のローラーは2巡終了。行方不明者などなし。
  明日、7時半から警察1000人体制と消防で3巡目のローラーを開始します。
  避難所への水、食料、毛布などはそろいつつあります。民間企業からの物資の支援も始まりました。
  益城町は水道を明日、流してみて漏水場所を発見し、トイレが使えるようにしてみますが、飲料には適さない可能性があります。
  家屋の応急危険度判定を今後、1週間程度で実施していきます。
     (衆議院議員 河野太郎公式サイト 2016/04/15 )

 

 

 当該の問題が大筋において「朝日新聞の捏造」ではないことを確認するために、産経新聞と共同通信の記事も以下に引いておく。

 

  熊本地震の政府現地対策本部長を務めていた松本文明内閣府副大臣は21日の衆院総務委員会で、熊本県庁で行われた政府とのテレビ会議で河野太郎防災担当相におにぎりなど食料の差し入れを要請したことを明らかにし、「大変申し訳ない」と陳謝した。民進党の高井崇志氏の質問に答えた。
  21日発売の「週刊文春」が、松本氏が県庁職員に対し「救援物資は足りているんだから文句は言わせない」「こんな飯で戦えるか」などと発言したと報じたことについては、それぞれ「記憶にない」「事実無根」と否定した。
  高井氏はまた、現地対策本部長が松本氏から酒井庸行内閣府政務官に交代したことを「事実上の更迭ではないか」とただしたが、松本氏は「更迭とは一切考えていない」と述べた。
     (産経新聞 2016/04/21 17:13)

 

  熊本、大分両県で相次ぐ地震で政府の現地対策本部長を務めていた松本文明内閣府副大臣は21日の衆院総務委員会で、政府と熊本県が対応を話し合うために使うテレビ会議を通じ、河野太郎防災担当相に自身らへの食事を差し入れるよう要請していたとして陳謝した。
  民進党の高井崇志氏が「テレビ会議を使って自らへの差し入れを求めたことは批判を招くのではないか」と追及したのに対し、松本氏は「大変申し訳ない」と語った。
  菅義偉官房長官は21日の記者会見で「食料が不足し、そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べた。松本氏の交代は更迭ではないと強調した上で「時期が来たら(再び)現地入りし、指揮を執ってもらいたい」と指摘した。
  政府は20日、体力的な問題などを理由に現地対策本部長を松本氏から酒井庸行内閣府政務官に交代した。
  松本氏は16日、テレビ会議で河野氏に「みんな食べるものがない。これでは戦うことができない。近くの先生(国会議員)に何でもいいから差し入れをお願いしてほしい」と述べた。
     (共同通信 2016/4/21 22:57)

 

 

〔追記:2016/05/16〕

 現地対策本部長職が三週間に一回(一週)の「ローテーション」によるという政府現地対策本部運用の実態と、政府現地対策本部が災害現地のコンビニ利用に期待し、自らの糧食の準備なしに現地入りした事実を以下の報道に基いて確認した。

 

  熊本、大分両県で相次ぐ地震で政府の現地対策本部長を務めていた松本文明内閣府副大臣は21日の衆院総務委員会で、政府と熊本県が対応を話し合うために使うテレビ会議を通じ、河野太郎防災担当相に自身らへの食事を差し入れるよう要請していたとして陳謝した。
  民進党の高井崇志氏が「テレビ会議を使って自らへの差し入れを求めたことは批判を招くのではないか」と追及したのに対し、松本氏は「大変申し訳ない」と語った。
  菅義偉官房長官は21日の記者会見で「食料が不足し、そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べた。松本氏の交代は更迭ではないと強調した上で「時期が来たら(再び)現地入りし、指揮を執ってもらいたい」と指摘した。
  政府は20日、体力的な問題などを理由に現地対策本部長を松本氏から酒井庸行内閣府政務官に交代した
  松本氏は16日、テレビ会議で河野氏に「みんな食べるものがない。これでは戦うことができない。近くの先生(国会議員)に何でもいいから差し入れをお願いしてほしい」と述べた。
     (共同通信 2016/4/21 22:57)

 

  政府は2日、地震対応のため熊本県に設置している現地対策本部の本部長を、同日付で内閣府の酒井庸行政務官から牧島かれん政務官に交代すると発表した
  政府は被災地の状況報告などのため、本部長を定期的に交代させる方針。現地対策本部は4月15日に設置し、松本文明内閣府副大臣が最初の本部長を務め、同20日に酒井氏に引き継いでいた。
     (産経新聞 2016/05/02 12:36)

 

  内閣府は8日、熊本地震の現地対策本部長を、牧島かれん内閣府政務官から松本文明・内閣府副大臣に交代すると発表した。松本氏は4月15日から20日にも本部長を務めており、2度目の就任となる
  松本氏は先月16日に震度7の「本震」が発生した後、政府と県を結ぶテレビ会議で河野太郎防災相に自分たちへの食事の差し入れを要請し、衆院総務委員会で「大変申し訳ない」と陳謝した。内閣府は再任の理由について「現地対策本部長はローテーションで務めている」としている
     (朝日新聞デジタル 2016/05/08 19:13)

 

   内閣府は15日、熊本地震の対応に当たる現地対策本部の本部長を、松本文明内閣府副大臣から酒井庸行内閣府政務官に交代すると発表した。酒井氏は今回が2回目の就任となる。
     (日本経済新聞 2016/05/15 19:05)

 

 

 熊本地震に伴う日本政府現地対策本部長は、

  4月15日~4月20日 : 松本文明 内閣府副大臣

  4月20日~5月2日 : 酒井庸行 内閣府政務官

  5月2日~5月8日 : 牧島かれん 内閣府政務官

  5月8日~5月15日 : 松本文明 内閣府副大臣

  5月15日~      : 酒井庸行 内閣府政務官

…という「ローテーション」により交代を繰り返す職務となっている。

 政府は「被災地の状況報告などのため、本部長を定期的に交代させる方針」と説明しているが、現地の対策本部のトップを交代勤務(三週間のうち一週間だけ現地滞在)で良いとする発想には驚かされる。現地対策本部に本部長(一名)と副本部長(二名)を常駐させ、被災地の状況報告が東京でなければ可能でないのであれば(私にはそうは思えないが)、副本部長一名を(必要であれば本部長でもよいが)をその任に当たらせ、本部長は現地で継続的にその任に当たることが当然ではないのか?

 災害対応の現地指揮官が「ローテーション」で十分に務まるものと位置付けられているのだとすれば、そもそもが「本部長」の職責は軽いものなのであろう。

 もちろん、松本氏の最初の不始末があったればこそ、そのような「ローテーション」による職務と位置付けられるようになったのであろう(と邪推する)。不始末のための「更迭」となれば政府の任命責任が問われてしまうので、「ローテーション」による職務とすることで「更迭」ではないとの主張(辻褄合わせ)が可能になるわけだ。

 要するに、政府の現地対策本部長は現地に常駐する必要がない程度の職責だということに、結果としてなってしまったのである(もちろん私の「邪推」なのであろうが)。

 

 事の発端(松本氏の最初の不始末)を伝える、先の共同通信記事には、

  菅義偉官房長官は21日の記者会見で「食料が不足し、そうしたことがあったと承知している。誤解を与えることで陳謝したと思う」と述べた。

…とあったわけだが、その「食料が不足し」の内実は、

 

  翌日には政府とのテレビ会議の場で、
 〈食べるものがないので戦えない。バナナでもおにぎりでも、差し入れを近くの先生からお願いできないか〉
  と、我先に河野太郎防災担当相に要請。これがトドメをさす格好で20日、「体力的な問題」との理由で本部長交代が発表され、事実上の更迭となったのだった。
  その日の夜、ご本人は官邸で安倍総理と面会したのち、記者団相手に埒もない弁明を繰り返していた。いわく、
 〈現地での食事はみなコンビニで弁当を買っているというので、自分の分を1万円渡したが、本震で1軒も開かなくなった。だからテレビ会議で大臣にコンビニを開けさせてくださいと頼んだ
 〈私の部下がカップラーメンを持ってきたが、お湯が出ないので食べられないとも(大臣には)言った
 〈開いている店を見つけ、どら焼きを1万円出して買ってみんなで食べた
     (デイリー新潮 2016/05/11 17:05)

 

…という情けないものであったことが、あらためて明らかとなってもいる。

 政府現地対策本部は、災害現地のコンビニ利用に期待し、自らの糧食の準備なしに現地入りしたのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2016/04/22 19:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/273386/
 投稿日時 : 2016/04/29 20:24 → http://www.freeml.com/bl/316274/273896/
 投稿日時 : 2016/05/15 21:55 → http://www.freeml.com/bl/316274/275184/

 

 

 

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2016年3月31日 (木)

トランプのルール

 

 米国大統領選挙の共和党指名争いで(意外にも)トップを走り続けるトランプ氏の主張を通して、日本の安全保障問題について考えてみたい。

 

 

 まず紹介したいのは、

 

  3月23日、元大阪市長の橋下徹氏は、ツイッターで以下のように発言したことがにわかに注目された。

   沖縄の米軍基地をなくしたい人たちへ。トランプ氏が大統領になればすぐに沖縄米軍基地はなくなるよ。朝日新聞、毎日新聞、沖縄米軍基地反対派はトランプ氏を熱烈応援すべきだ。
          出典:橋下徹氏Twitter
     (古谷経衡 「日本でじわり広がる”トランプ大統領”待望論―対米自立か隷属か―」 Yahoo!ニュース 個人  2016/03/27 10:39)

 

…というお話である。古谷氏は続けて、

 

  無論この発言は、リベラルメディアへの揶揄を含んでいるが、橋下氏の見解には一理どころか二理も三理も、四理もある。ジャーナリストの冷泉彰彦氏によれば、「(トランプの姿勢は)強いて言えば、不介入主義とか、孤立主義と言えるもの」(Newsweek日本語版 2016年2月16日)という。特にトランプの対日姿勢に関する発言を聞いていれば、この分析は正鵠を得ている。
  トランプは「在日米軍の駐留経費を(日本が)大幅増額せねば撤退」と発言しているし、「日本がアメリカの防衛義務を負わないのに、なぜアメリカが日本を守る必要があるのか」と言った主旨の発言(その事実認識はともかく)を繰り返している。この発言を額面通りとれば、このまま共和党予備選挙でトランプが指名され、本戦でも勝ったならば確実に日米同盟は後退する。あるいは辺野古移転問題が進展しないのならば、いっそのこと米軍はグアムまで後退し、日本防衛の必要なし、という流れになるかもしれない。
  そうなると、逆説的には「対米従属」から日本は「強制的に脱却」する、という流れが強まる。中国の海洋進出や北朝鮮の核の脅威に、日本はアメリカの援護なしに自主防衛の道を余儀なくされるだろう。

 

…と論じている。この古谷氏の分析も「正鵠を得ている」、と私は思う。

 

 念のために、トランプ氏自身は何を言い、それがどのように理解されているのかを確認しておこう。

 

  トランプ氏は21日にワシントン・ポスト紙、26日にはニューヨーク・タイムズ紙の取材に応じ、外交・安保政策を語った。トランプ氏は「米国はもはや裕福ではない」と指摘。財政上の観点から、同盟国などとの協力関係や負担のあり方を見直すべきだと繰り返し強調した。
  トランプ氏は、太平洋地域の平和維持に貢献することが米国の利益になるという考えを否定。在日・在韓米軍の駐留経費について「なぜ(日韓の負担が)100%ではないのか」と疑問を示し、撤退をちらつかせて大幅な負担増を日韓両国に迫る考えを示唆した。
  米政府は沖縄県・尖閣諸島が日本防衛の義務を定めた日米安保条約第5条の適用対象だと明言してきた。しかし、トランプ氏は、中国が尖閣諸島を占拠した場合に「何をするかは言いたくない」と回答を避けた。
     (毎日新聞 2016/03/29 19:48)

 

 毎日新聞は、ワシントン・ポスト紙及びニューヨーク・タイムズ紙のトランプ氏取材記事を要約する形で、「トランプ氏は、太平洋地域の平和維持に貢献することが米国の利益になるという考えを否定」しているとの解釈を示している。「毎日新聞」は愛国派の人々からはサヨク新聞扱いをされているので、ここではバランスをとってサヨクの人々からは政府御用新聞扱いをされている「産経新聞」の記事も確認しておこう。産経新聞は「トランプ氏「日韓は核を独自保有したら」「在日米軍撤退を」止まらぬトンデモ安保論」(トランプ氏の主張は産経新聞的にも「トンデモ」であるらしい)と題された論説的記事で、

 

  トランプ氏の原則は「米国のことを第一に考える」だ。米国は国際社会の平和と安定に、カネも軍事力も費やすべきではなく、余剰資金を国内経済に投下しようというわけだ。そこから米軍撤退や、日韓の核兵器保有容認論も出てくる。
  米国は第二次大戦への参戦によって、それまでの孤立主義を放棄し、国際協調主義に転 換。世界の「超大国」として、義務と責任を果たすという道を突き進んだ。オバマ政権は、「世界の警察官」という役割を放棄し、米国の指導力は相対的に低下した。しかし、国際協調主義は維持し、地球規模の課題などでは指導力を発揮している。
     (産経新聞 2016/03/28 10:30)

 

…との理解を示している。産経新聞もまた「トランプ氏の原則は「米国のことを第一に考える」だ。米国は国際社会の平和と安定に、カネも軍事力も費やすべきではなく、余剰資金を国内経済に投下しようというわけだ。そこから米軍撤退や、日韓の核兵器保有容認論も出てくる」との構図を描いているのである(つまり、この理解に関しては、「サヨク反日新聞」と「ウヨク御用新聞」は一致している)。

 産経新聞が明示しているのは、「孤立主義」が源泉であり、米軍撤退や日韓の核兵器保有の主張はその帰結との理解である。太平洋や東アジアの現状は米国の関与によって維持されていることは事実であり、たとえ現状が好ましいものではないとしても(実際、望ましい状態にあるとは思わないが)、米国の関与がなくなれば地域は更に大きく不安定化することにもなってしまう(米国の性急な撤退が生み出すのは地域のアナーキー状況であり、確実に現状よりも悪い状態―相互の軍事力行使をも含む紛争状態―をもたらすだろう)。

 この問題については、

 

  民進党の岡田克也代表は日本テレビの番組で「(在日米軍)基地は日本防衛のためだけでなく、米国がアジアでプレゼンスを確保するためにある。そういう基本的なことをどこまで理解しているのか」といぶかった。
     (時事通信 2016/03/28 17:13)

 

…との報道もあるが、トランプ氏は既に(岡田氏の言葉を用いれば)「米国がアジアでプレゼンスを確保する」ことに関心を持っていないのだと理解されているのである。この認識(あるいは危惧)は野党党首だけではなく日本政府にも共有されたもので、

 

  菅義偉官房長官は28日午前の記者会見で、米大統領選の共和党候補指名争いで首位を走るドナルド・トランプ氏が、米メディアのインタビューで在日米軍撤退の可能性に言及したことに関し「誰が大統領になろうと、日米安保体制を中核とする日米同盟はわが国外交の基軸で、アジア太平洋と世界の繁栄と安全のために極めて大事だ」と指摘した。その上で「米国と緊密に連携することに全く変わりない」と強調した。
  トランプ氏が日本の核保有を容認する考えを示したことについては「『持たず、つくらず、持ち込まず』の非核三原則は政府の重要な基本政策だ。今後も堅持していくことは全く変わらない」と語った。
     (産経新聞 2016/03/28 12:19)

 

…と報じられている通りである。

 

 

 そのような認識を共有しさえすれば、古谷氏の主張、

 

  (トランプ氏の)発言を額面通りとれば、このまま共和党予備選挙でトランプが指名され、本戦でも勝ったならば確実に日米同盟は後退する。あるいは辺野古移転問題が進展しないのならば、いっそのこと米軍はグアムまで後退し、日本防衛の必要なし、という流れになるかもしれない。
  そうなると、逆説的には「対米従属」から日本は「強制的に脱却」する、という流れが強まる。中国の海洋進出や北朝鮮の核の脅威に、日本はアメリカの援護なしに自主防衛の道を余儀なくされるだろう。

 

…との問題提起が「正鵠を得」たものとして位置付けられるだろう。

 いくら日本政府(菅義偉官房長官)が「誰が大統領になろうと、日米安保体制を中核とする日米同盟はわが国外交の基軸で、アジア太平洋と世界の繁栄と安全のために極めて大事だ」と主張しようが、決めるのは次の米国大統領なのである。

 トランプ氏自身は、

 

  自身は孤立主義者ではないと語る一方、米国は貧しい債務国なのに北大西洋条約機構(NATO)や国連(UN)といった国際機関への資金分担は不相応に多いとの認識を示した。日本や韓国、サウジアラビアといった同盟諸国との関係についても、同じように不公平だと述べた。
  トランプ氏は「われわれは、知恵が回り抜け目がない手ごわい人たちから、長年見下され、笑われ、搾取されてきた」と述べた。「従って、米国を第一に考えてこれ以上搾取されない形にする。友好関係はあらゆる方面と結ぶが、利用されるのはごめんだ」と強調した。
     (AFP=時事 2016/03/27 15:22 ニューヨーク・タイムズのインタビュー記事)

 

…としており、自身が「孤立主義者」であることを否定しているようだが、トランプ氏の主張は孤立主義者のものである。「孤立主義者」であることを否定する理由としては、

 

  米大統領選の共和党候補指名争いでトップを走る不動産王ドナルド・トランプ氏は21日、11月の本選で勝利すれば米国とイスラエルの強固な同盟を追求すると公約した。
  また、国連が自らの意思をイスラエルに押し付けようとすれば抵抗すると述べた。
  同氏は米イスラエル広報委員会(AIPAC)向けの演説で、イスラエルとパレスチナの交渉ではイスラエル側に立つと表明。「パレスチナは米国とイスラエルの結束が壊れることはないということを知った上で交渉の席に着かなければならない」と述べた。
  また「イスラエルはユダヤ人の国家であり、永遠にユダヤ人国家として存在することを受け入れるつもりで交渉の席に着かなければならない」とも指摘した。
     (ロイター 2016/03/22 09:49)

 

…と強調される、イスラエルとの特別な関係があるのかも知れない。しかしイスラエルとの関係を除けば、トランプ氏は中東に大きな関心を払わないし、ヨーロッパにも太平洋東アジアの安定にも関心がないように見える(実際、「トランプ氏は、太平洋地域の平和維持に貢献することが米国の利益になるという考えを否定」していると理解されている)。もし、トランプ氏が大統領選挙に当選し、トランプ米国大統領が実現し、トランプ大統領が共和党予備選挙時の主張通りの政策を展開することがあるとしたら、古谷氏の提起した問題は我々が直面させられる現実となるのである。

 

 

 日本の安全保障問題を米国抜きで考えなければならなくなる、ということだ。

 そして、橋下氏が指摘(揶揄)しているのは、日本が非武装国家としてあるべき(いわゆる9条原理主義―一般的にはサヨク的と位置付けられている立場)との主張が、そのような現実に対応するに際してどこまで現実的であるのか(現実的であり得るのか?)との問題なのである。

 

 考えなければならないのは、中国の存在であり、北朝鮮の存在である。

 

 私はかつて、この問題を、

 

  問われているのは、日本国憲法の楽観主義をもって、大日本帝国に立ち向かうことが出来るものであるのかどうか、ということなのである

 

…と定式化してみたことがある(「現代史のトラウマ、その5 大日本帝国 vs 日本国をめぐるフツー日記」参照―ブログ開始初期の一文なので、現在から見ればおかしなタイトルとなっているが)。かつては、北朝鮮との関係で論じたのだが(金正日時代の北朝鮮―現在の金正恩体制の粗暴さと比較すれば、金正日時代にはまだ冷静な計算が存在したようにさえ感じられる―を大日本帝國との相似点ににおいて関連付けた上で)、現在の中国もまた、かつての大日本帝國の似姿として位置付けられ得る存在となっていることを忘れてはならないだろう。

 現在の中華人民共和国は、厳しい言論統制によりかろうじて権力の維持が可能になっている強権的国家であり、軍事力の強化に依存した拡張主義的政策を進める強権的国家なのである。

 内政に問題を抱えた強権的政府は、対内的求心力の確保を対外的緊張の創出に求め、軍事的威嚇により支配領域を拡大することに熱心である。その意味において、現在の中華人民共和国の姿にかつての大日本帝國を重ねて考えてみる想像力は役に立つはずである。

 軍事国家としての大日本帝國のご主人たちに、「日本国憲法」の戦争放棄の精神が理解し得るようには、私には思えない。中華人民共和国の強権的政府を支える党幹部と軍人たちが、「日本国憲法」の平和主義を尊重し、軍事的威嚇に依存した外交政策を修正して下さるようにも思えない。そのような期待が現実的であるとは、私には思えないのである(願望だけで国家の政策を決定することは許されない)。

 

 国家としての独立は、対外的にはまず外交の自主性の確保によって示されるものだと思う。軍事力の保有は外交の自主性の確保に有効だというのが私の考えである(詳細は「外交の自主性の確保と軍事力保有の有効性の関係」参照)。もちろん、保有する軍事力を外交上の威嚇の手段として用いろという話ではない(ましてや外交上の要求実現の手段として軍事力を行使しろという話ではない)。保有する軍事力を外交上の威嚇の手段として使用しようとする国家に対し、その無効化の手段として、一定の軍事力の保有は役に立つという現実的な話であるに過ぎない。

 現に、中華人民共和国は、南沙諸島において、保有する軍事力を背景に(軍事力を威嚇の手段として用い)、支配領域を拡大しているのである(係争の相手であるベトナムやフィリピンには中華人民共和国に対抗し得る軍事力の備えがなく、軍事的解決―軍事力の発動―を望まない米国の姿勢を見越してのことである)。

 「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という点に「日本国憲法第9条」の核心を見出すならば、先の意味においての軍事力の保有は、必ずしも現在の日本国憲法の精神に反するものでもないだろう(国際紛争を解決する手段として武力の行使を厭わない国家に対して、武力行使の試みを躊躇させる目的での軍事力の保有、ということである)。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とは、いずれ実現されるべき理想として位置付けるべきであって、その性急な原理主義的実行を求めることは実際的ではないように、私には感じられる。

 非武装を主張するのであれば、非武装が理想状態であるから非武装を選択するということではなく、非武装が現実的であるから非武装を選択することを、希望的観測や願望ではなく政治的リアリズムの帰結として示すことが、まず求められるのである。

 

 

  問われているのは、日本国憲法の楽観主義をもって、大日本帝国に立ち向かうことが出来るものであるのかどうか、ということなのである

 

 

 

 さて、ツイッター上での橋下徹氏の、

 

  沖縄の米軍基地をなくしたい人たちへ。トランプ氏が大統領になればすぐに沖縄米軍基地はなくなるよ。朝日新聞、毎日新聞、沖縄米軍基地反対派はトランプ氏を熱烈応援すべきだ。

 

…との発言について、古谷経衡氏は「無論この発言は、リベラルメディアへの揶揄を含んでいるが」と評していたわけだが、同時にトランプ氏自身の主張の帰結として、「そうなると、逆説的には「対米従属」から日本は「強制的に脱却」する、という流れが強まる。中国の海洋進出や北朝鮮の核の脅威に、日本はアメリカの援護なしに自主防衛の道を余儀なくされるだろう」と論を展開していた。そこで、この帰結が非武装論を掲げるサヨク的(と一般に考えられている)人々にどのような影響を与え、どのような事態に直面させられ、何を考えねばならないのかを考えてみたわけだ。

 

 

 一方、古谷氏はその先で、

 

  現在のところ、日本の保守論客からは、トランプが白人ブルーカラー層から支持をされている点に着目して、民主党候補のサンダースと同様に反グローバリズムの視点から評価を下しているもの(三橋貴明氏)、既存メディアのタブーを突破して過激な言説が受けている姿勢そのものを評価するべき(田母神俊雄氏)などといった声が上がっている。

  特に後者の、「トランプが既存メディアのタブーに果敢に挑戦する姿勢」を日本の国内状況に重ねあわせ、リベラルの姿勢を糾弾するもの(馬渕睦夫氏)など、「反メディア」の観点からトランプを評価する視点が多数であり、日本国内の「ネット右翼(ネット保守とも)」にもそのような風潮は根強くある。つまり反メディア、反リベラルとしてのトランプ評価(そしてそれを日本国内の状況に援用する)が圧倒的であり、いずれも「対米従属からの脱却」という視点での声は鈍かった。

  が、前述の橋下氏のように「対米従属からの脱却」という視点からトランプを「逆張り」で評価する声も出始め、例えば憲政史家の倉山満氏は自身の動画番組で「(トランプが大統領になった場合)日本が自主独立を果たす最後のチャンスになる」(2016年3月13日)と肯定的な見解が保守正面から出始めている。

 

…と、保守(あるいはウヨク的)層の反響がどのようであるかを示している。続けて古谷氏は(私なりに要約すれば)、

  従来からの(主流派としての)親米保守=トランプ批判

  所謂「ネット保守層」=「反メディア」「反リベラル・左派」としてのトランプ支持

  反米保守=「日本の対米従属脱却」という視点からのトランプ大統領待望論

…と分析し、「トランプをめぐり三分される日本の保守層」について論じている。「ネット保守層」については、そのトランプ支持は心情論以上のものではないと考えられるが、つまり大統領としてのトランプ氏が日本に(そして国際社会に)もたらすであろう政治的影響を知的に分析した上での判断ではないと考えられるが、従来からの親米保守は、米国の存在に支えられた現在の国際法秩序(いわゆるパクス・アメリカーナであり、その中で日本が利益を得ていると考えられている)がトランプ大統領の登場によって崩壊することを危惧し、だからこそ安倍首相も新聞記者に対し、

  次の米国大統領が誰になるにせよ、日米同盟は日本外交の基軸であり、アジア太平洋や世界の平和と繁栄のために米国と緊密に協力をしていくことに変わりはないと考えております

…と、自身の期待(=現状維持への希求)を言葉にして見せているのである。

 現実には、安倍氏が「日米同盟は日本外交の基軸であり、アジア太平洋や世界の平和と繁栄のために米国と緊密に協力をしていくことに変わりはない」と希望したとしても、大統領選挙でトランプ氏が選出されてしまえば、「太平洋地域の平和維持に貢献することが米国の利益になるという考えを否定」し、「米国のことを第一に考える」を原則とし「米国は国際社会の平和と安定に、カネも軍事力も費やすべきではな」いと考える大統領の下で、米国は「孤立主義」政策へと転換することになる(トランプ氏が誠実に自身の主張を実行に移すとすればの話ではあるが)。安倍氏の言葉の背後には、そのような事態への危惧があることくらい読み取っておくべきであろう。

 そもそもの話、野党党首の岡田氏の指摘するように、「(在日米軍)基地は日本防衛のためだけでなく、米国がアジアでプレゼンスを確保するためにある」のである。その点については既に尖閣の領有権問題に関連させて、

 

  まずここで忘れてはならないのは、あるいは誤解してはならないのは、米国からすれば「日米安保条約」は、形式的には、日本防衛という日本の国益のための条約であるにしても、実質的には、太平洋(そして極東)における米国の地位の維持という、米国の国益確保のための条約だという事実であり、日米安保条約の米国から見た現実的意味合いである。

  理路としては、米国が日米安保条約に基づき、日本のために(日本の防衛のために)戦争をするのではなく、米国の利益の維持のために、日米安保条約を口実に米国のために戦争をすることになるということ。

  日米安保条約の存在する現状は、単に日本に有利なだけでなく、既に米国の利益にも合致しているのである。

 

…と指摘してある通りだ(たとえば「集団的自衛権論議と外交と軍事のリアリズム」参照)。

 

 米国が国際社会への積極的介入主義(「国際協調主義」と呼ばれているが)を維持し、その下で日米同盟が存続する限り、安倍氏が立憲主義に反してまで手に入れた「集団的自衛権」で米国に媚を売る必要などなかったはずなのである。

 トランプ大統領の誕生で、その「集団的自衛権」の価値も大きく低下することになるだろう。

 米国が国際社会への積極的介入主義から孤立主義に転換したとすれば、地球規模での米軍の展開の時代は終わり、米軍が国外での攻撃の対象となる可能性は低下し、集団的自衛権に基く自衛隊の出る幕も無くなる(これ自体は悪い話ではないが、反対に米軍の代理の軍事力として駆り出され続けることになるかも知れない)。しかも、同時に米国にとっての日本の地政学的価値は失われ、たとえ(トランプ氏の要求通りに)在日米軍駐留経費を全額日本が負担するようになったとしても、米国には「日本の防衛」のために軍事的に介入する積極的理由はなくなってしまう(となれば、米軍は頼りになる存在ではなくなってしまうだろう)。そこでは、米国にとっての日米同盟の価値は限りなく低下しているのである(そもそもトランプ氏自身は日米同盟に価値を認めていない)。

 だからこそ、これまでの保守の主流的位置にいた親米派の人々にはトランプは受け入れ難い存在ということになっているのだ。

 もっとも、安倍氏がその「集団的自衛権」だの「積極的平和主義」だのを、今後の日本の地球規模での軍事力を伴った積極的介入主義の起点として位置付けているのだとしたら話は違ってくるが、現実的に考えれば、日本には米国の撤退した世界で米軍の肩代わりをする力量はない(軍事的にも外交的にも)。

 

 

 サヨク的心情主義に対して「保守」がどのようであるのかを考えれば、「保守」もまた心情主義者であることに違いはない。

 心情主義に彩られたサヨク的平和主義に対しては、それが「親米保守」であろうが「ネット保守」だろうが「反米保守」であろうが、「空想的平和主義」とのレッテルを貼ることにおいては行動を共にしているようである。

 

 しかし、「空想的平和主義」批判に熱心な側もまた、現実的思考が得意というわけではないように見える。

 古谷氏によれば、反米保守(ただし古谷氏は「反米」という直接的表現は用いてはいないが)は「日本の対米従属脱却」という視点からの「トランプ大統領待望論」を展開する人々である。そして「空想的平和主義」を嘲笑し、軍事力保有とその強化の必要を主張する人々でもある。

 対米従属を脱却した日本が、軍事的に自立することによってこそ、「真の独立」の達成が可能になる。そのように考える人々でもあるだろうし、軍事力の強化が外交力の強化を意味する、と考える人々でもあるだろう(この点においては、親米保守もネット保守も同様であろう)。

 確かに(先に指摘したように)、現代世界においても、軍事力の保有は外交の自主性の確保の基底として役に立つ(「必要条件」と言ってもよいだろう)。保有する軍事力を威嚇の手段として用いることで、外交的問題の解決を図ろうとする国家は現に存在する(もちろん米国はその代表である)。それが現実である。そのような国家に対し、軍事的威嚇を無効化する手段としての対抗的軍事力を保有することには意味がある(それによって、軍事的威嚇に屈することなく、外交の自主性の確保が可能になる―つまり国家としての独立が維持される)。

 しかし、自らが軍事的威嚇を外交の手段として位置付けてしまうに至れば、その向うところ、軍事力だけが決着の手段となってしまうのである。

 必要なのは外交的力量なのである。外交に未熟なままで軍事力だけを決着の手段としてしまえば、日本には国際社会の中で生き残る可能性はない(既に「先の大戦」でも示されたことである)。

 保守一般に、日中間の紛争の解決法として軍事的決着を予期する中で、保有する軍事力をその手段として位置付けようとする傾向があるが、しかし、これは想像力の貧しさを自ら表明しているものであろう。特に(これまでに論じてきた)トランプ大統領の誕生という事態を考えれば、日米関係もこれまでのような「同盟」ではなくなってしまうわけで、同時に米中の対立関係もこれまでとは異なる様相に移行する可能性が大きい。米中同盟と日本の対立という事態さえ「想定内」としなければならないし、「米中露」と日本の対立という事態さえ現実となり得るのである。そこで軍事力での対抗は論外である。

 つまり、米国の孤立主義化と日米同盟の空洞化は、日本に、軍事力による問題解決をより困難にする状況をもたらすのである。軍事力に依存すれば何とかなる的発想は捨てねばならない。

 

 トランプ氏の日韓の核武装についての主張は、

 

  対話集会の司会者はトランプ氏が日本と韓国の核兵器保有を容認した発言を繰り返し質問。核拡散防止条約(NPT)による不拡散体制を否定すれば、米国の優位性を揺るがす大きな政策転換になるからだ。
  だが、トランプ氏は政策を変更する可能性があると指摘し、「北朝鮮が核兵器を持っているのだから日本も持った方がいいということにならないか」と問いかけた。また、「日本が北朝鮮に対して防衛力、攻撃力を持った方がいい。米国は引き金を引きたくない」と語り、日韓双方に自主防衛の努力を促した。
     (産経新聞 2016/03/31 07:55)

 

…との理路を持つものだが、これに対し日本政府は、

 

  トランプ氏が日本の核保有を容認する考えを示したことについては「『持たず、つくらず、持ち込まず』の非核三原則は政府の重要な基本政策だ。今後も堅持していくことは全く変わらない」と語った。
     (産経新聞 2016/03/28 12:19)

 

…と、その基本姿勢を示している。一方で野党代表からは、

 

  おおさか維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は29日、「完璧な集団的自衛権の方向にいくか、自国で全て賄える軍隊を備えるのか、今こそ政治家が議論しなければならない」と述べた。その上で「自国で武力を持つなら最終兵器が必要になる」とし、安全保障環境次第では日本の核武装も議論の対象にすべきだとの考えを示した。府庁で記者団に語った。
  松井氏は、米大統領選の共和党候補指名争いで首位のドナルド・トランプ氏が在日米軍撤退の可能性などに言及したことに触れ、「聞こえないふりをするのは無責任極まりない」と発言。安全保障関連法も変更を検討すべきだとした。「核保有も否定しないのか」と問われ、「僕はやめた方がいいと思うが、夢物語で何とかなるではすまない」と語った。
     (毎日新聞 2016/03/30 13:32)

 

…との認識も表明されている。この松井氏の見解は、与党自民党議員の中にも(そして広く保守層の中にも)共感者を持つものであろうと思われる。

 しかし、この点に関して米国政府は、

 

  アーネスト米大統領報道官は30日の記者会見で、大統領選の共和党候補指名争いの首位に立つ不動産王ドナルド・トランプ氏(69)が日韓両国の核武装容認を主張していることについて、「信じられないほど(地域情勢が)不安定化する」と批判した。
  その上で「自分の言葉と政策決定から生じる結果を理解できる最高司令官」を選出するよう、国民に訴えた。
  アーネスト氏は「トランプ氏の主張は、米国が長い間追求し、国際社会が支持してきた政策と正反対だ」と指摘。「核兵器計画を加速させる言い訳と動機を北朝鮮に与えるのが、なぜいい考えなのか、想像しがたい」と語った。
     (時事通信 2016/03/31 07/28)

 

…との認識を示し、トランプ氏の主張の乱暴さを指摘している。私は、このアーネスト報道官の見解に同意する。現在の核不拡散体制(つまり「米国が長い間追求し、国際社会が支持してきた政策」である)に満足すべきとは決して思わないが、しかし、アーネスト氏の指摘するように、トランプ氏の主張は「核兵器計画を加速させる言い訳と動機を北朝鮮に与える」ものとして帰結するのは確かであり、現在の核不拡散体制を崩壊させ(そこで核武装を正当化するのは北朝鮮だけではない)、増加するであろう核保有国の核兵器使用へのハードルを低くさせ、人類をより危険にさらすことにしかならない。

 この点において、トランプ氏を支持するのは愚かである。

 

 

 求められるのは外交的賢明さであり、外交的巧妙さである。軍事力の保有は、外交の自主性の確保に役立つという意味で一定の合理性を持つものだが、外交を軍事力に依存させるのは愚かな方向なのである(「先の大戦」の敗戦国として肝に銘じておくべき事柄である)。

 自らが心情主義に溺れながらサヨク的「空想的平和主義」を批判しても、自己満足以上のものにはなり得ない。まず、「現実」という地に足が着いていない現状を脱却することから始めなければならないのは、「保守」の側も同様なのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2016/03/30 19:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/271329/
 投稿日時 : 2016/03/31 22:57 → http://www.freeml.com/bl/316274/271455/

 

 

 

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2015年11月10日 (火)

橋下徹氏の有言実行

 

 

 〈オーケーしたことは反故にしていくし、責任転嫁も徹底的にする。「今回の問題でまとまらないのは、まあ、結局はおたくのせいなんだよ」ということをあらゆる手段を講じながら見せていく〉

  自分の発言の不当性や矛盾を相手に気づかれたときは、

 〈相手方に無益で感情的な論争をわざとふっかけるのだ。(中略)さんざん話し合いを荒らしまくっておいて、最後の決めゼリフにもっていく。

 「こんな無益な議論はもうやめましょうよ。こんなことやってても先に進みませんから」自分が悪いのに、こう言って終わらせてしまうのだ〉

     (橋下徹 『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』 日本文芸社 2003)

 

 

 

 以上、 

  1冊の本が永田町関係者の間で話題になっている。橋下氏が、2003年に出版した『最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術』だ。すでに絶版となっており、アマゾンでは3000円を超える高値で取引されている。〈詭弁を弄してでも〉相手に黒を白と言わせる「実践的」な交渉術を紹介するこの本によれば、橋下氏は…

…との週刊誌記事(週刊文春 11月5日(木)18時6分配信)の続きにある橋下氏の著書からの引用部分から引用したものだが、まったくその通りそのまま、これまでに橋下徹氏がやってきたことであり、今も現在進行形で実行中の橋下氏の「手の内」なのである。

 

 今回、記事として記録しておこうと思ったのも、もちろん、橋下氏に感心した…というのとは違う。まったくもって、しょーもない論法(著書では当人もそれを自慢している)ではあるが、こんなもんでも世間では通用してきたという現実の方にあらためて感心したような次第である。もっとも、そろそろ限界…という気もしないでもない。

 橋下氏はこの手法を政治の場でも用いて、ひたすら自身の(あるいは「維新」の)敵を作ることに熱中し、味方を作ること(増やすこと)の政治的重要性には関心を持つことがなかったように見える(これが法廷であれば、その都度の訴訟での異なる相手との一対一の対決であり、勝負もその場だけでの話で終わる)。

 しかし、常に「絶対な敵」との闘争として自身の政治活動を演出してしまえば(橋下氏の論法は、議論を政策上の適切性の問題としてではなく、相手への人格攻撃として展開させる―相手は徹底的にダメな人間と決めつけられ貶められる―のを特徴とするので、論争の相手は政策上の相違という次元での「相対的な敵」ではなくなってしまう)、その場だけの話では終わらない政治という場において、自身の(そして「維新」にとっての)「絶対的な敵」を増やすことにばかり役立つだけでなく、橋下氏自身が自慢する「詭弁を弄してでも相手に黒を白と言わせる実践的な交渉術」のしょーもなさに対する嫌悪感を有権者の多くの心中に芽生えさせること(そのえげつなさに気付く機会を有権者の多くに与えてしまうこと)にも大いに役立つ結果となってしまうだろう。

 しかし、自ら率先して、「大阪都構想」の必要性は理解するが橋下氏を支持することへの嫌悪感を持つ有権者を育成し続けてしまっている現実(橋下氏が本気で大阪都構想の実現を考えているならば決してプラスになることはない現実である)に、橋下氏が気付くことはなさそうである。

 

 

 

〔追記〕
 結局、大阪府知事と大阪市長のダブル選挙では、橋下氏の率いる「おおさか維新の会」が勝利を収めた。
 大阪では今でも橋下氏の「最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術」が通用しているということを示しているのであろうか?
 大阪の人間ではないので、そこはよくわからない。
 「大阪都構想」については、強度な中央主権国家としての現状からの脱却の手法として、(つまり単に二重行政解消の手段としてではなく)地方分権型システムへの移行構想として理解する限り、否定すべきものと私は考えていないので、今回の選挙結果もわからぬではない。ただ、「大阪都構想」の推進を、「最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術」の著者やその追随者に任せる気にもなれないのも正直なところである(もちろん、私は東京都民であり、大阪人ではないので他人事としての話であるが)。
 それに選挙の構図は、自民・共産連合vsおおさか維新なのであった。私にはこの二択は、あまりに不条理なものだと言うしかない。アンチ自民でアンチ共産党でアンチ「最後に思わずYESと言わせる最強の交渉術」である私が(しかも「大阪都構想」の実現を地方分権型システムへの移行の第一歩と考える私が、である)もし大阪人であったなら、いったいどのような選択が可能であったのか? (今回ばかりは東京人でよかった、と心から思う)
          (2015年11月25日記)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/11/06 18:10 → http://www.freeml.com/bl/316274/259617/

 

 

 

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2015年10月18日 (日)

日本の「記憶遺産」

 

 

  中国の南京事件(1937年)に関する資料の世界記憶遺産登録に反発する日本からの資金が絶たれることになれば、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が受ける打撃は大きい。
  米国は今回の問題とは関係なく以前から分担金の支払いを停止しており、ユネスコの台所事情は既に火の車。現状でも事務所閉鎖や事業中断といった経費節減策を実施中で、関係者は息を詰めて成り行きを見守っている。
  日本政府はユネスコへの資金拠出見直し検討に着手した。菅義偉官房長官は「停止を含め検討したい」と表明。記憶遺産決定過程の透明性を確保するための改革を促す。
     (時事通信 2015/10/15 14:23)

 

 

 この「時事通信」記事は、

 

  日本が実際に資金を引き揚げた場合、世界遺産などの選定で日本が不利になるなど「有形無形の影響は避けられない」(関係者)と指摘する声もある。「兵糧攻め」のやり方で、果たして日本の主張に対する理解を各国から得られるのか。

 

…との問題も指摘している。

 実際問題として、資金拠出を停止してしまえば、日本のユネスコへの影響力の根拠も失われる。日本は自ら発言権を失い、記憶遺産にせよ世界遺産にせよ選定の外部に置かれてしまうし、現時点でユネスコに登録されている日本国内の世界遺産及び記憶遺産の権威の無効を自ら宣言してしまうことにもなる。同時に、日本政府は、資金拠出の停止を手段として(つまり脅迫材料として)ユネスコへの影響力を行使しようとした悪しき前例の主体として記憶にとどめられることになるだろう。

 日本の拠出分を、その一部でも中国が肩代わりするような事態に至れば、日本の意思に反する選定が常態化されるだけだし、中国もまた(中国だけの問題ではないことはもちろんのことである)資金拠出の金額の増減をユネスコへの影響力行使の手段(つまり脅迫材料)として存分に用いることになるであろう。

 

 それだけではない。

 

  国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に日本のシベリア抑留資料が登録されたことについて、ロシア政府は15日までに、ユネスコの「政治利用」だとして登録の撤回を求める方針を固めた。露ユネスコ国内委員会のオルジョニキゼ書記が国営ロシア通信に対して明らかにした。日本政府は、中国の申請で「南京大虐殺文書」が登録されたことを同様に「政治利用」と批判しており、この問題は日中露が入り乱れる構図となった。
     (産経新聞 2015/10/15 20:46)

 

 日本政府の理路は、既にロシア政府によって日本政府への非難の論理として用いられてしまった。「政治利用」かどうかを問題にしてしまえば、問題が日本にも跳ね返ってくることは当然のこととして予想されていなければならず、問題を歴史的事実の認識としての実証的観点からの適切性に限定することが重要だったはずである。この点においても、安倍政権の対応は稚拙と言わざるを得ない。

 

 

 

 国際連盟を脱退していい気になったり、「国民政府ヲ対手ニセズ」なんて声明を発していい気になったりといった、自ら進んで外交交渉による解決の可能性を断ち切ってしまった歴史(近視眼的外交の歴史)が繰り返されているような気もしないではない。今回の安倍政権の対応に喝采するなど愚かなことである。

 「国際連盟脱退」や「近衛声明」こそ、日本人にとって忘れてはならぬ「記憶遺産」じゃないんですかねぇ? …もっとも、ユネスコに登録を申請するような話でもないですけど。

 

 

 

―参考資料(1)―

 平成27年10月14日付で、自由民主党外交部会、文部科学部会、外交・経済連携本部、国際情報検討委員会、日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会の連名で出された「決議」は以下のようなものであった。

 

中国が申請した「南京事件」資料のユネスコ記憶遺産登録に関する決議

 今般、中国がユネスコ記憶遺産に登録申請していた「南京事件」に関する資料が登録された。

 日本政府は、中国側に対して申請取り下げを申し入れるとともに、申請書類の共有や日本人専門家派遣の受入を要請してきたが、中国側はこれに全く応じなかったと承知している。一方的な主張に基いて登録申請を行うという今回の中国側の行動は、ユネスコという国際機関の政治利用であり、断じて容認できない。

 また、ユネスコは、本来、メンバー国同士の問題に対しては、国際機関として中立・公平であるべきであり、今回登録された案件のように、中国側の一方的な主張に基づく申請を、関係国である我が国の意見を聞くことなく登録したことに強く抗議する。

 こうしたことを踏まえ、政府は中国に対し、ユネスコを始めとする国際機関を、これ以上政治的に利用しないよう強く要請すべきである。また、ユネスコに対しては、本「南京事件」登録を撤回するという新提案を直ちに行うこと、さらにユネスコの設立の本来の目的と趣旨に立ち戻り、関係国間の友好と相互理解を促進する役割を強く求め、記憶遺産制度の改善を働きかけ、ユネスコへの分担金・拠出金の停止、支払留保等、ユネスコとの関係を早急に見直すべきである。

 さらに、二年後の次回登録に向け、我が国主導による「南京事件」及び「慰安婦問題」に関する共同研究の立ち上げ、アジア太平洋地域ユネスコ記憶遺産委員会(MOWCAP)をはじめ関連機関に、日本人の参画を強力に推進すべきである。

 以上、決議する。

 

 政権与党の名において、

  こうしたことを踏まえ、政府は中国に対し、ユネスコを始めとする国際機関を、これ以上政治的に利用しないよう強く要請すべきである。また、ユネスコに対しては、本「南京事件」登録を撤回するという新提案を直ちに行うこと、さらにユネスコの設立の本来の目的と趣旨に立ち戻り、関係国間の友好と相互理解を促進する役割を強く求め、記憶遺産制度の改善を働きかけ、ユネスコへの分担金・拠出金の停止、支払留保等、ユネスコとの関係を早急に見直すべきである

…との「決議」がされているのである。この自由民主党による「決議」と、

  日本政府はユネスコへの資金拠出見直し検討に着手した。菅義偉官房長官は「停止を含め検討したい」と表明。記憶遺産決定過程の透明性を確保するための改革を促す

…との、先の報道にある日本政府の態度表明の連関は明らかであろう。

 

―参考資料(2)―

《「南京大虐殺」についての日本政府の立場》

 千九百三十七年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。
 これまで公になっている文献等から総合的に判断すれば、非戦闘員の殺害又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。
     (「衆議院議員河村たかし君提出いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問に対する答弁書」からの抜粋  内閣衆質一六四第三三五号 平成十八年六月二十二日 内閣総理大臣 小泉純一郎)

 

《「南京大虐殺」についての安倍政権の見解》

 菅氏は1937(昭和12)年のいわゆる南京大虐殺について、「政府の基本的な立場は旧日本軍によって南京入場後、非戦闘員の殺害、または略奪行為があったことは否定できないというものだ。安倍政権も全く同じ見解だ」と述べた。(首相批判の米紙に抗議 菅長官「著しい誤認」)
     (産経新聞 2014/3/4 21:21)

 

 今回の「中国の南京事件(1937年)に関する資料の世界記憶遺産登録」に際しての日中間の争点は、30万人という中国政府の主張する犠牲者数の妥当性にあるのであって、「旧日本軍によって南京入場後、非戦闘員の殺害、または略奪行為があったこと」を否定しようとするものではないはずなのだが、安倍政権支持者の言説はこの重要な点を理解していない(「旧日本軍によって南京入場後、非戦闘員の殺害、または略奪行為があったこと」そのものの否定として受け取られている)ように見えるし、安倍政権の側も、その点について十分に説明する努力をしているようには見えない。
 結果として「歴史修正主義」に基づく主張(「旧日本軍によって南京入場後、非戦闘員の殺害、または略奪行為があったこと」そのものの否定)を「資金拠出の見直し」という手段で強引に推し進めようとしているように見做されてしまっているのは、安倍政権自身の責任である(念のために申し添えておけば、私もまた、30万人という犠牲者数は実証的な歴史学上の数字とは言い難いものと判断しているし、その点についての修正要求自体は正当なものだと考えている)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/10/15 22:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/257913/

 

 

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2015年8月21日 (金)

平和のための戦争、そして自衛のための戦争

 

 

  《平和のための戦争(1) 東亞永遠ノ平和ヲ確立スル戰争》

 

     米英両國ニ對スル宣戰ノ詔書

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ
朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

     御 名 御 璽

               昭和十六年十二月八日

 

 

 

 開戦の理由は「帝國」の「自存自衛」であり、結果として「東亞永遠ノ平和ノ確立」がもたらされ、 「帝國ノ光榮」が「保全」されるとの理路である。

 戦争は自衛のためであり、戦争は平和のためであるという理路なのである。

 「安倍談話」には「先の大戦」の評価として、

  満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
  そして七十年前。日本は、敗戦しました。
  戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
  先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
  戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
  何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

…とある。

 安倍氏はここで、「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた」戦争だと言っているのである。

 その戦争の「宣戦の詔書」では、「自衛」と「平和」が語られ、宣戦の正当化がされているのである。

 「自衛」や「平和」という語で戦争は正当化されてしまう。

 「自衛」や「平和」という語で戦争を正当化した果てにあるのが、

  先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
  戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

…として評価される「歴史」なのだということは、深くかみしめておいて損はない。

 

 何を教訓とすべきなのか?

 威勢のいい「積極的平和主義」の称揚には眉に唾をつける。

 まずそこからであろうか?

 

 

 より具体的には、まず「自衛のための先制攻撃」という開戦の正当化を認めないことだろう。

 日本の対米英戦争も、ブッシュのイラク戦争も、「自衛のための先制攻撃」として開始された戦争なのである。

 

 

 

 《平和のための戦争(2) 事変、侵略、戦争》

 

     満洲事變に際し關東軍に下し給へる勅語
                    昭和七年一月八日
曩ニ満洲ニ於テ事變ノ勃發スルヤ、自衛の必要上、關東軍ノ将兵ハ、果斷神速、寡克ク衆ヲ制シ速ニ之ヲ芟討セリ。爾来艱苦ヲ凌キ祁寒ニ耐ヘ、各地ニ蜂起セル匪賊ヲ掃蕩シ、克ク警備ノ任ヲ完ウシ、或ハ嫩江・齊齊哈爾地方ニ、或ハ遼西、錦州地方ニ氷雪ヲ衝キ、勇戰力闘、以テ其ノ禍根ヲ抜キテ、皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ。朕深ク其ノ忠烈ヲ嘉ス。汝将兵、益々堅忍自重。以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立シ、朕カ信倚ニ對ヘムコトヲ期セヨ。

 

     支那事變一周年記念日に際して下されし勅語
                    昭和十三年七月日
今次事變ノ勃發以来茲ニ一年、朕ガ武勇ナル将兵、果敢力闘、戰局其ノ歩ヲ進メ、朕ガ忠良ナル臣民、協心戮力、銃後其ノ備ヲ固クセルハ、朕ノ深ク嘉尚スル所ナリ。
惟フニ、今ニシテ積年ノ禍根ヲ絶ツニ非ズムバ、東亞ノ安定、永久ニ得望ムベカラズ。日支ノ提携ヲ堅クシ、以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ、是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル所以ナリ。
官民愈々其ノ本分ヲ盡シ、艱難ヲ排シ、困苦ニ耐ヘ、益々國家ノ總力ヲ擧ゲテ、此ノ世局ニ處シ、速ニ所期ノ目的ヲ達成セムコトヲ期セヨ。

     (森清人 『詔勅虔攷第三巻 詔語索引』 慶文堂書店 昭和十七年)

 

 

 

 満洲事変に際しては、日本の軍事行動は「自衛」のためとされ、日本の軍事行動により「東洋平和ノ基礎ヲ確立」するのだとされた。

 支那事変に際しては、中国に対する日本の敵対的軍事行動は「日支ノ提携ヲ堅クシ、以テ共榮ノ實ヲ擧グルハ、是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄與スル」ものと位置付けられていた。

 

 現在の日本政府(安倍政権のことであるが)は、首相談話を通して、

  満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

…との認識を示し、

  事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

…との認識を示している。

 

 

 しかし当時の勅語が示す認識を読めば、「事変」は、「自衛」のための軍事行動とされ、日本の軍事力行使は東洋平和の確立のため、世界平和の確立のためとされていたのである。

 そして、事変の終わりの見えない拡大の果ての対米英宣戦の詔書の示す認識もまた、「自存自衞ノ爲」として正当化され、「東亞永遠ノ平和ヲ確立」のためとして正当化された、米国と英国を相手とした全面的な軍事力行使=戦争の開始の宣言なのであった(「自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スル」との文言には、「障礙」としての米英に対する帝國の「自存自衛」との認識が示されていると共に、「障礙」としての米英の「破碎」により「東亞永遠ノ平和」がもたらされるとの理路が用いられている)。

 

 

 安倍首相の戦後七十年談話には、

  我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

…との認識が示されている。「自衛」のため、「東洋平和ノ基礎ヲ確立」するための「事変」、そして「帝國」の「自存自衞ノ爲」であり、「東亞永遠ノ平和ヲ確立」をもたらすはずであった対米英戦争は、実際には「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史」として現実化したのである。

 

 もちろん、帝國日本の「自存自衛ノ爲」に開始された戦争が日本人自身にもたらしたものは、安倍首相によって、

  先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

…として語られた歴史的現実であった。

 

 「自衛」を名目とした対外的軍事力行使、「平和の確立」を名目とした対外的軍事力行使がもたらしたのはどのような現実であったのか?

 

 首相は、その談話の中で、

  いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。

…と強調しているのである。

 

 

 強硬姿勢で安保法制の成立を試みる安倍晋三首相は自身の「談話」を通し、自分が何を主張したことになるのかを理解しているのだろうか?

 米議会演説は英語であったが、今回は日本語である。英語で自分が何を話したのかを理解していないように見えたのも困ったものだった(「安倍晋三氏の完全なる転向(米議会演説と「歴史認識」)」参照)が、今回の「談話」は日本語なのである。

 

 

 

 《平和のための戦争(3) 昭和十五年の集団的自衛権》

 

     日獨伊三國條約成立に際して下されし詔書
                    昭和十五年九月二十七日 官報
大義ヲ八紘ニ宣揚シ、坤與ヲ一宇タラシムルハ、實ニ皇祖皇宗ノ大訓ニシテ、朕ガ夙夜眷々措カザル所ナリ。而シテ今ヤ世局ハ、其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ、人類ノ蒙ルベキ禍患、亦将ニ測ルベカラザルモノアラントス。朕ハ禍亂ノ戡定平和克復ノ一日モ速ナランコトニ、軫念極メテ切ナリ。乃チ政府ニ命ジテ、帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊両國トノ提携協力ヲ議セシメ、茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ、朕ノ深ク懌ブ所ナリ。
惟フニ萬邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ、兆民ヲシテ悉ク其ノ堵ニ安ンゼシムルハ、曠古ノ大業ニシテ、前途甚ダ遼遠ナリ。汝臣民益々國體ノ觀念ヲ明徴ニシ、深ク謀リ遠ク慮リ、協心戮力、非常ノ時局ヲ克服シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼セヨ。

 

 

 

 まず問題の条約の本文(ただし全六条のうち一条から三条)を示す。

 

  第一條 日本國ハ「ドイツ國」及「イタリヤ國」ノ歐州ニオケル新秩序建設ニ關シ、指導的地位ヲ認メ、且ツコレヲ尊重ス。
  第二條 「ドイツ國」及「イタリヤ國」ハ、日本國ノ大東亞ニオケル新秩序建設ニ關シ、指導的地位ヲ認メ、且ツコレヲ尊重ス。
  第三條 日本國、「ドイツ國」及「イタリヤ國」ハ、前記ノ方針ニ基ツク努力ニ附相互ニ協力スヘキ事ヲ約ス。更ニ三締結國中何レカ一國カ、現ニ歐州戰爭又ハ日支紛爭ニ參入シ居ラサル一國ニ依リ攻撃セラレタル時ハ、三國ハアラユル政治的經濟的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキ事ヲ約ス。
     「日本國、獨逸國及伊太利國間三國條約」(昭和十五年條約第九號、日獨伊三國同盟條約)

 

 

 第三条は日独伊の三国による「集団的自衛権」について明記したものである。ただし、日本の松岡外務大臣は、条約本文ではなく交換公文中で留保を表明することで、第三条を自動参戦条項としないことを当事者間では明確化することに成功してはいたが、発表された条文を文字通りに解釈すれば三国間の自動参戦条項以外の何物でもなく、米国の対日感情を悪化させることに役立った。

 条約の締結された1940年は、支那事変の拡大の中で既に三年が経過し、ドイツのポーランド侵攻によって開始されたヨーロッパでの戦争の二年目となる時点である。

 先の詔書中にある、

  而シテ今ヤ世局ハ、其ノ騒亂底止スル所ヲ知ラズ、人類ノ蒙ルベキ禍患、亦将ニ測ルベカラザルモノアラントス。

…との文言は、まさにそのような「世局」の認識を示したものであり、

  朕ハ禍亂ノ戡定平和克復ノ一日モ速ナランコトニ、軫念極メテ切ナリ。乃チ政府ニ命ジテ、帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊両國トノ提携協力ヲ議セシメ、茲ニ三國間ニ於ケル條約ノ成立ヲ見タルハ、朕ノ深ク懌ブ所ナリ。

…とあるのは、三国間の集団的自衛権を宣言したものとして発表された「三國間ニ於ケル條約」が、「平和克復」の希望を託し得るものとして位置付けらていることを示す。

 詔書が示している理路は、「帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊両國トノ提携協力」に「平和克復」の希望を託そうとするものであった(三国間の集団的自衛権を核にした平和克復のための―そのような理路を用いて正当化された―軍事同盟だったのである)。

 

 先の「安倍談話」には、

  満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

…とあるわけだが、「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行」った「新しい国際秩序」への「挑戦者」こそが、まさに「帝國ト其ノ意圖ヲ同ジクスル獨伊両國」の三國、集団的自衛権により結ばれた「三國」だったのである。

 

 

 あらためて、かつての勅語や詔書の文言を確認することで、安保法制を正当化する際に安倍氏の用いる理路の胡散臭さ(より踏み込んだ言い方をすれば「キナ臭さ」)が明らかになるように思う。安倍政権の用いる「積極的平和主義」という言葉、 日本の軍事力行使の可能な範囲の拡大を目指す「安保法制」を「自衛」の語で正当化しようとする姿勢、かつての日本(大日本帝國)が用いた理路との違いはどこまで明確にし得るものなのだろうか? 既に論理の問題ではなく、安倍氏の言動の信頼性の問題となっているように見える。

 安倍政権が「前のめり」の姿勢で推進しようとする「集団的自衛権」の問題にしても、声高に叫ばれる「積極的平和主義」にしても、(外交の自主性の確保という観点から軍事力保有に一定の合理性を認める私ですら)眉に唾を付けずには聞く気になれないのは、かつてのこの国の経験、「自衛のための戦争」にして「平和のための戦争」がもたらした経験を思い起こさずにはいられないからなのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2015/08/18 20:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/253476/
 投稿日時 : 2015/08/19 20:14 → http://www.freeml.com/bl/316274/253542/
 投稿日時 : 2015/08/20 21:13 → http://www.freeml.com/bl/316274/253542/

 

 

 

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