健康という名のテロリズム

2009年10月22日 (木)

老眼と自己決定 (31) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 7

 

 今回も、ナチス体制下の「エホバの証人」についての話題である。

 

 

 

 

 1933年のナチスの政権掌握後、様々な形で示された「エホバの証人」信者のナチス体制への非同調的態度が、彼らにもたらした社会的苦難については既にご紹介した通りである。ナチス国家による信者への公的な「迫害」行為であったと考えるべきだろう。

 1935年に至り、ドイツの再軍備に伴う一般徴兵制の復活に際し、「エホバの証人」は「徴兵拒否」で応じた。その結果、「しだいに多くのものが刑務所や強制収容所へ拘留されることになった」(シビル・ミルトン)わけである。

 

 

 徴兵拒否により、「エホバの証人」は、それまでの雇用機会の剥奪や社会的福祉からの除外といったドイツ社会内からの間接的排除とでも言うべき段階から、刑務所や強制収容所への拘留という、国民社会からの直接的な排除という段階へと進んだナチス体制の対応に直面することになったわけだ。「迫害」の新たな段階と言うことが出来るだろう。

 

 強制収容所内での「エホバの証人」の姿について、高橋三郎が、

 「エホバの証人」ともよばれるこのグループは、エホバにたいする信仰から兵役を拒否して、ナチスが政権を獲得した直後から弾圧されていた。しかし、強制収容所の内部ではやや特異な地位を占めていた。彼らは信仰の放棄書に署名さえすれば、いつでも完全に自由の身になることができたのである。また、すすんで勤勉に仕事を果たしたから、SSからもある種の敬意をうけ、比較的楽な仕事やSS隊員の家事に使われた。だが他方、SSは、ドイツ人でありながらかたくなな信仰の故にナチス・ドイツに協調しようとしない「紫」に強い憎しみを抱くことがあった。

と書いていたことは既に紹介したが、今回はシビル・ミルトンの記述により、より詳細な状況を把握しておきたい。

 ミルトンによれば、

 証人たちはダッハウで隔離され、特別な懲罰隊に編成され、ダッハウのほか、マウトハウゼン、ザクセンブルク、そしてザクセンハウゼンで強制労働に割り当てられた。フロッセンブルクでは火葬場で働く仕事が割り当てられた。エスターヴェーゲンでは便所清掃の仕事が割り当てられた。証人たちはしばしば日曜労働を要求された。それは彼らの宗教的な信念を侵害するものだった。モーリンゲン、リヒテンブルク、そしてラーヴェンスブリュックの女性収容所に拘留された証人たちは強制労働に服し、栄養不良、さらし刑、体罰、そして隔離の刑にさらされた。彼らの「どんな他の集団にも見られないような反対と殉教の非妥協的精神」は、1930年代に亡命社会主義者によって配布された『ドイツ報告』の報告でとりわけ注目された。1938年10月、リヒテンブルクについてのそんなひとつの報告では、エホバの証人の囚人たちが収容所全体に放送されたヒトラーの演説を聴くのを拒否したことが記録されている。「親衛隊員はエホバの証人たちにホースで水をかけ、彼らを殴打し、総統が演説している間、一時間以上、彼らをずぶ濡れで立たせていた。10月下旬で、ひどく寒かった。その後、彼らの誰も治療を受けなかった。食物は2日か3日間、与えないで放置された」。

ということだ。

 高橋三郎の紹介した「信仰の放棄書」について、ミルトンは、

 ほとんどの証人たちはそんな宣言書にサインしなかった。彼らが拒否した結果、ザクセンハウゼンでは40人以上の証人たちに死刑が執行された。

と書いている。宣言拒否が死刑執行を意味しても、彼らは非妥協的であり続けたわけである。

 「エホバの証人」は、「徴兵拒否」にとどまらず広範な「戦争関係業務拒否」も貫いた。再びミルトンによれば、強制収容所内でも、

 証人たちは軍務を嫌悪した。そのため、毛皮が軍服に使われるというのでウサギの番さえ拒否することも起きた。その結果、何人かの女性囚は、ラーヴェンスブリュックとアウシュヴィッツ(オシフィエンチム)で反逆罪により死刑を執行された。

ということになるのである。

 

 最終的には、「軍務拒否」により、

 1938年以降、250人以上のエホバの証人がドイツの軍隊に仕えることを拒否して、死刑判決を受け執行された。その罪状はドイツや併合されたオーストリアでの防衛力破壊だった。エホバの証人は「強情なイデオロギー的な犯罪者たち」と見なされた。彼らは39年8月26日の特別軍事犯罪法典に公布された規定によって死刑判決を受けた。

という取り扱いを、「エホバの証人」は受けることになるのであった。

 軍務の拒否が死刑執行を意味しようとも、彼らが態度変更することはなかったのである。

 

 直接の死刑執行以外に、強制収容の対象となった1万人の「エホバの証人」のうち、約2500人が(虐待の結果、ということであろう)収容所内で死亡しているということだ。

 

 

 

 

 

 今回は、「エホバの証人」の「徴兵拒否・軍務拒否」が彼らに何をもたらしたのか、そしてそれに彼らがどのように対応したのかについて、『ホロコースト大事典』中のシビル・ミルトンの記述を参考に書いてみた。

 

 

 「死罪」にもひるむことなく、信仰上の要求を守り続ける彼らの姿がそこにある。

 「出血多量による死」の可能性を受け入れ、「輸血拒否」という信仰上の要求を守ろうとする「エホバの証人」の姿は、かつてのナチス体制を前にしての彼らの姿と、実によく重なるように思える。

 生の存続が持つ価値は、信仰上の要求に従うことより大きなものではない。

 それが、ナチス体制を前にした彼らを支え、輸血拒否を宣言する彼らを支える、彼らの信仰が彼らにもたらした彼らの価値観なのである。

 そのように私は考える。

 

 

 

  

 「輸血拒否」の話題とは別に、私の「エホバの証人」への興味の原点であったナチス体制下での彼らの姿を確認しておくつもりで書き始めたのであったが、書き進めた結果、両者は「別の話題」ではまったくないことに気付くことが出来た。

 思いもよらぬことであったが、個人的には大きな収穫であったと感じている。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/10/21 22:20 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/119831

 

 

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老眼と自己決定 (30) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 6

 

 「エホバの証人」とナチスというテーマが続いている。

 

 

 「エホバの証人」が、ナチスの強制収容所の中で、他の収容者から独立したカテゴリーを与えられていたことに着目して、これまでの稿を進めてきたわけである。

 

 

 

 しかし、昨日ご紹介した、『ホロコースト大事典』中のシビル・ミルトンによる「エホバの証人」の項を注意深く読めば、ナチス体制が当初から「エホバの証人」を強制収容所収容者として取り扱っていたわけでもないことがわかる。

 ミルトンによれば、

 35年の強制兵役の導入により、彼らの徴兵拒否や戦争関係業務拒否の結果、しだいに多くのものが刑務所や強制収容所に拘留されることとなった。

ということなのである。

 

 1935年1月のナチスの政権掌握後に、「ハイル・ヒトラー」の敬礼を拒否し、選挙・国民投票への投票を拒否し、ナチ党組織への参加を拒否するといった「エホバの証人」の振る舞いは、就業機会の喪失、資産の没収、社会保証制度からの排除等の、彼らからの社会的基盤の剥奪という事態を生み出した。

 彼らの子供も、ナチスの標的とされることを免れ得ない。再びミルトンによれば、

 エホバの証人の子どもたちは、学校で侮辱と宣伝のはてしない集中砲火を浴びることになった。また同級生や教師による身体的な暴力の散発的な標的にもなった。ナチ国家の抑圧的装置はエホバの証人の家族生活や育児の領域にも拡がった。子どもはナチ教育の規範に従わないということで排斥された。彼らはヒトラー・ユーゲントに加入する意思がないことを理由に、しばしば非行少年と宣告され、矯正施設に監禁された。両親の保護監督権も奪われた。そのもっともらしい理由は、ドイツ民法1666条によるものであった。エホバの証人の親たちは子どもを「国家社会主義の精神におけるドイツ的方法から遠ざけることによって、子どもの福利厚生を危険にさらした」というわけである。38年までに、エホバの証人の860以上の家族から、子どもが矯正施設、感化院、そしてナチスの家庭に移されていった。38年12月27日、帝国内務大臣はすべての青少年局や市町村の監督当局に宛てて回状を出し、「政治的に信頼できない家族」から子どもを引き離しナチスの家庭へ移すことを命じた。さらにナチ国家はまた、エホバの証人の両親には追加的な児童手当の支払いを拒否した。

という事態が、エホバの証人の家族を襲うのである。

 しかし、彼らが反ナチの政治活動をしたというわけではない。そもそも、彼ら自身の意識の中では、彼らはナチス体制への政治的敵対者ではないのである。あくまでも、

 われわれは政治の出来事に関心はないが、キリストのもとにある神の王国にすべてを捧げる。

という、彼らの信仰に基づく、彼らの信仰が彼らに求める振る舞いを続けただけなのだ。

 それがナチス体制に、徹頭徹尾、適合的ではなかったということなのである。

 

 

 現在の「エホバの証人」に関して、彼らの特異性の凝集点として周囲の社会から取り扱われることの多い「輸血拒否」もまた、同様の構図の下にあることが指摘出来るように思う。

 彼らは決して、社会的多数者(マジョリティー)の常識に対する反抗を目的として、「輸血拒否」の意思表明をしているわけではない。

 医療という場において、彼らが彼らの信仰に基づく、彼らの信仰が彼らに求める振る舞いを続けているだけのことなのである。

 ナチス体制下の「エホバの証人」にとり、ナチ体制への非同調は、彼らの信仰の維持の上で切実な問題であったが、ナチ体制への反抗を信者以外の人々に求めるものではなかった。同様に、現在の「エホバの証人」にとって、「輸血拒否」はあくまでも彼ら自身の信仰上の切実な問題なのであって、「輸血拒否」を信者以外の人々にまで求めようとするものではない。

 私も含め、(「輸血」をめぐる問題において)マジョリティーに属する側にいる人間には、その構図に自覚的になっておく必要があるように思う。

 

 

 「エホバの証人」による「輸血拒否」に関しては、彼らの子どもの取り扱いが焦点の一つとなっているわけだが、ナチス体制下でのエホバの証人の家族(彼らの子ども)の運命、その際の彼ら(親達)の態度を振り返ると、ここにも構図の同型性を指摘出来るようにも思う。

 ナチスによる、彼らの子ども達への過酷な取り扱いが、彼らのナチス体制への態度を変化させることはなかったのである。

 あくまでも、

 われわれは政治の出来事に関心はないが、キリストのもとにある神の王国にすべてを捧げる。

ということなのだ。「キリストのもとにある神の王国にすべてを捧げる」以上、現世内での彼ら自身が、そして彼らの子どもが味わう苦痛・苦難が、彼らの信仰上の態度決定に影響するようなことは、あり得ないこととして考えなければならないのである。

 

 

 

 

 そして、1935年、ドイツの再軍備と共に兵役が義務化された際にも、彼らは徴兵拒否の態度を貫き、結果として強制収容所の収容者の独立したカテゴリーを構成することになるのであった。

 

 

 彼らは、あくまでも、

 われわれは政治の出来事に関心はないが、キリストのもとにある神の王国にすべてを捧げる。

という態度、信仰者としての態度をもって、現世に臨んでいるだけなのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/10/20 23:02 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/119724

 

 

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2009年10月21日 (水)

老眼と自己決定 (29) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 5

 

 「エホバの証人」とナチスをめぐる話題の続きである。

 

 

 

 「エホバの証人」のメンバー(信徒と書くべきか?)が、ナチスから敵対的な取り扱いを受け、強制収容所の収容者の独立したカテゴリーまで与えられていたことは、既に書いた。

 前回ご紹介したように、彼らの振る舞いは、ナチス体制への徹底した非同調性、その非妥協的な態度に特徴付けられるのだが、それをナチス体制への「抵抗」として性格付けてしまうことは、いささか的外れに思える。

 

 「この世の政治」への不参加という彼らの信仰の要求する態度が、国民の政治参加の義務化とでも言うべきナチスの全体主義体制の要求からは、敵対的なものとしてしか評価され得なかったというのが現実であろう。

 「エホバの証人」の徹底した「非政治的姿勢」が、その「非政治的姿勢」の徹底性の故に、現世的現実政治の要求に対し対立的な振る舞いとしてしか実践し得ないものとなってしまうのである。「非政治的姿勢」の表現が、現実政治の場において、敵対的な「政治的姿勢」として意味付けられてしまうのである。

 「エホバの証人」は、その「非政治性」において、決してナチス体制への政治的敵対者、政治的抵抗者ではあり得ない。しかし、その信仰が要求する「非政治的姿勢」の故に、ナチス体制の政治的要求を徹底的に無視する以外の選択肢を持たず、それが結果としてナチスの側からの政治的敵対者としての高い評価を生み出してしまったわけである。

 

 

 「エホバの証人」の信仰が信徒に求めたのは、ナチス体制への政治的抵抗ではなく、ナチス体制への不参加であったに過ぎない。より正確に言えば、彼らの信仰は、現世的政治体制すべてへの不参加を求めているのであって、ナチス体制が特異的な対象であったわけではない。

 第二次世界大戦下のアメリカ合衆国では、国旗への敬礼への拒否として表現された彼らの信仰に基づく振る舞いは容認されるものとなったが、ナチス体制の下では、彼らの信仰には強制収容所がふさわしいと判断されたのである。

 

 

 シビル・ミルトンによる『ホロコースト大事典』の記述によれば、

 1934年10月7日、ドイツのエホバの証人の集会はドイツ政府に、ナチ国家の権威に対する全面的な抵抗を肯定する諸原則の公式声明を送った。それは目覚しいものだった。「過去に神の法に反して、、またわれわれの諸権利を侵害して、あなたがたはわれわれがエホバの証人として神の言葉を学ぶために集まり、神を崇め、神に仕えることを禁止した……。それゆえに、ここに次のことを通告する。われわれはどんな犠牲を払っても神の掟に従うだろうし、神が命じるように神を崇め仕えるだろう。もしあなたがたの政府や官庁が、われわれが神に従っていることを理由にわれわれに暴力を加えるならば、そのときわれわれの血はあなたがたの上にふりそそぐことだろう。あなたがたは全能なる神の問いに答えることになろう。われわれは政治の出来事に関心はないが、キリストのもとにある神の王国にすべてを捧げる。われわれは誰に対してであれ傷つけたり、害を与えるつもりはない。われわれは平和に生活し、機会があればすべての人々に善をなすことを喜ぶ。しかし、あなたがたの政府と官庁がわれわれに宇宙の最高の法に背くよう強制しようとしつづけているので、われわれは今やあなたがたに、われわれが神の恩恵によりエホバの神に従うこと、神がわれわれをすべての圧制と迫害から解放することを完璧に信じていることを通告せざるをえなくなった」と。35年4月1日に、ドイツ帝国とプロイセンの内務大臣はエホバの証人の国内でのすべての宗教活動と出版を禁止した。

ということになる。

 ここでミルトンは「ナチ国家の権威に対する全面的な抵抗を肯定する諸原則の公式声明」と、「抵抗」という語を用いて書いているが、声明の内容を見れば明らかなように、その「抵抗」は決して政治的なものではない。

 彼らの態度の核心にあるのは、

 われわれは政治の出来事に関心はないが、キリストのもとにある神の王国にすべてを捧げる。

という認識なのである。あくまでも。

 
 
 

 ミルトンの記述に戻れば、

 ナチ支配のはじめの二年間に、エホバの証人たちは公務員や私企業従業員としての彼らの職を失ってしまった。彼らが労働戦線に加わることや「ハイル・ヒトラー」の敬礼を使うこと、あるいは選挙で投票することを拒否したからだった。1935年1月23日、ドイツ帝国とプロイセンの内相はドイツの「ハイル・ヒトラー」のあいさつを使わないと、官庁や民間企業から解雇されることになると布告した。36年2月2日、ドイツ帝国とプロイセンの労働大臣はエホバの証人にはすべての失業手当や年金が留保されることがありうると布告した。さらに、彼らの個人的な財産や事業の財産も、破壊分子と敵の財産没収法を適用して没収できるとされた。この没収法はもともとは、追放され国籍を奪われた政治的な敵の資産を取り上げるために使われたものだった。エホバの証人はまた人種法に従うことも拒否した、なぜならば、彼らは「すべての人間は神の目には平等である」と信じたからである。彼らの失業手当、福祉手当、年金手当はしばしば否定された。35年の強制兵役の導入により、彼らの徴兵拒否や戦争関係業務拒否の結果、しだいに多くのものが刑務所や強制収容所に拘留されることとなった。35年初め、エホバの証人の逮捕や保護検束を命じるゲシュタポの規則は、以前より体系的になった。

ということになる。

 つまり、

 われわれは政治の出来事に関心はないが、キリストのもとにある神の王国にすべてを捧げる。

という彼らの信仰の求める態度の帰結として、完全な失業、福祉・社会保障制度からの排除、財産の没収といった、生活の根幹を奪われるという事態が彼ら「エホバの証人」の上に降りかかるのである。

 そして、

 35年の強制兵役の導入により、彼らの徴兵拒否や戦争関係業務拒否の結果、しだいに多くのものが刑務所や強制収容所に拘留されることとなった。

とあるように、彼らの信仰が求める「兵役拒否」は、彼らをより過酷な状況に導くものとなるのである。

 

 「兵役拒否」についての詳細は、稿をあらためて、次回の話題としたい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/10/19 22:33 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/119612/user_id/316274

 

 

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老眼と自己決定 (28) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 4

 

 前回の続きとして、ナチス体制の中での「エホバの証人」について書いておきたい。

 

 

 

 

 ウォルター・ラカー編の『ホロコースト大事典』(柏書房 2003)に、シビル・ミルトンの執筆した「エホバの証人」の項がある。

 

 

 ナチスの強制収容所における「紫」カテゴリー(すなわち「エホバの証人」である)の収容者の比率の、収容者全体に占める高さにまず驚かされるだろう。

 ミルトンによれば、

 1935年から39年にかけて、エホバの証人はしばしば刑務所内の保護拘束から強制収容所における無期限拘留に移された。35年以降、強制収容所の囚人数が増加する中で、エホバの証人はかなりの割合を占め、大戦前には、強制収容所の全囚人の10%以上にのぼっていた。39年までに7000人近くのエホバの証人が強制収容所に拘留された。彼らはドイツ、編入されたオーストリア、チェコスロヴァキアの出身だった。38年5月、ブーヘンヴァルトの全囚人の12%がエホバの証人だった。38年に、リヒテンブルクの女性収容所には260人のエホバの証人がいた。それは囚人たちのおよそ18%であった。
 1940年以降、占領されたヨーロッパからやって来るあらゆる種類の囚人で収容所の人口は増大した。その数は、ドイツやオーストリアからのそれ以前の囚人たちよりも多かった。その結果、すべての収容所でエホバの証人の比率は減少した。40年の終り頃、強制収容所には一万人のドイツやオーストリーのエホバの証人に加え、小数のベルギー、チェコ、オランダ、ノルウェー、そしてポーランドのエホバの証人が閉じ込められていた。

ということになる。

 つまり、第二次世界大戦の開始後は、占領地からの強制収容所収容者数の増大により全収容者中のエホバの証人の比率が低下したわけだが、戦争開始以前のドイツ帝国のドイツ人(ユダヤ人、ジプシーも含む)を対象とした強制収容所であった時代には、エホバの証人の全収容者に占めた比率は高いものであった、ということだ。

 ひとつの宗教的信仰集団が、ナチス体制への非同調者として、ナチス体制から単に名指されていたのみならず、強制収容所収容者の独立したカテゴリーを与えられ、実際に全収容者中に高い比率を占めていたことを、まず事実として認識しなければならない。

 

 

 彼らの信仰が、信仰自体が、ナチス体制への同調を不可能にしていたのである。

 戦後の彼らの信仰が、輸血拒否という態度を生み出すものとなったと同様に、戦前戦中のドイツにおける彼らの信仰が、ナチス体制への非同調という彼らの態度を生み出したのであった。

 

 

 ミルトンの記述に従えば、

 ナチスが1933年1月に権力を握った後、エホバの証人への攻撃はほとんどすぐにエスカレートした。それは彼らの信仰や行動のためだったが、とくにナチ国家に敬意を表することを拒否し、あるいは何らかのナチ党付属組織に加わることを拒絶したことによるものだった。…(中略)…つまり、エホバの証人は「ハイル・ヒトラー」の敬礼で腕を上げることを拒否し、鉤十字章の旗を掲揚しようとせず、ナチスの選挙や国民投票で投票しなかった。ドイツ労働戦線に参加せず、冬期救済事業に献金しようとしなかった。子どもたちがヒトラー・ユーゲントに加わることも許さなかった。エホバの証人はしばしば拘留され、殴打された。彼らの事務所は捜索されそして破壊され、彼らの資金は没収され、彼らの定期刊行物や出版物は検閲され、禁止された。何百人ものエホバの証人たちが、いわゆる保護政策(シュッツハット)で刑務所や強制収容所に抑留された。33年4月にエホバの証人の団体と印刷物が帝国全域で禁止された。…(後略)

ということなのである。

 ただし、「ナチスの選挙や国民投票で投票しなかった」とあるが、

 神の王国への支持を表明するため、政治への参加(投票など)をしない。 - ヨハネ 18:36

という『ウィキペディア』の「エホバの証人」の項の記述にあるように、彼らの「この世」での政治への不参加はナチス体制に対するものには限らない。

 また、国旗への敬礼の拒否、国歌斉唱の忌避も、ナチス統治時代に限定されるものではなく、ナチス・ドイツという国家領域に限定されるものでもない。まさに第二次世界大戦中のアメリカ合衆国において、国旗への敬礼の拒否を貫き、連邦最高裁判決でその行為を容認されたのも、彼ら「エホバの証人」の信仰が生み出した歴史的事態なのである。

 

 

 この世の政治への不参加という彼らの信仰の根幹が、特にナチス体制と相容れないものとしての、ナチスによる「エホバの証人」への敵対的な評価となった、ということになるだろう。

 

 

 

 エホバの証人による「兵役拒否」をめぐる問題については、今回は触れることが出来なかった。

 次回の課題としたい。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/10/18 19:45 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/119511/user_id/316274

 

 

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老眼と自己決定 (27) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 3

 

 この話題の前回は、「エホバの証人」の信仰を論じる場合、「輸血拒否」は、本来、中心となるべき話題ではないだろう、という書き出しで始まっていた。

 

 

 その上で、彼らの示す、

 自分の信仰を家族(特にこども)にも強制する

という態度の結果、彼らの子供までが「輸血拒否」の対象とされてしまい、出血多量で死亡する事例について取り上げることを予告してしまっていた。

 しかし、今回は、その問題の検討に入るのではなく、私の「エホバの証人」の存在への関心の核心にある、ナチスとの関係について書いておきたい。

 

 

 

 高橋三郎氏の名著(と私は考えるが)、『強制収容所における「生」』(二月社 1974)に、強制収容所の収容者に対するナチスによる「分類」についての解説があった。

 同書によれば、人種・国籍による分類(が形成するヒエラルキー)が大きな柱となる一方で、

 もうひとつの抑留者の分類は拘禁理由によるもので、政治犯、刑事犯、聖書研究会員、反社会的分子、同性愛者、亡命者といったカテゴリーである。抑留者はカテゴリーを示す色の逆三角形の布を左胸と右足に縫い付けさせられていた。基本的な色(カテゴリー)は次のようなものであった。
 「赤」=政治犯
 (この項の詳細説明の引用は略)
 「緑」=刑事犯
 (この項の詳細説明の引用も略)
 「黒」=反社会的分子
 (この項の詳細説明の引用も略)
 「桃色」=同性愛者
 (この項の詳細説明の引用も略)
 「紫」=聖書研究会員
 「エホバの証人」ともよばれるこのグループは、エホバにたいする信仰から兵役を拒否して、ナチスが政権を獲得した直後から弾圧されていた。しかし、強制収容所の内部ではやや特異な地位を占めていた。彼らは信仰の放棄書に署名さえすれば、いつでも完全に自由の身になることができたのである。また、すすんで勤勉に仕事を果たしたから、SSからもある種の敬意をうけ、比較的楽な仕事やSS隊員の家事に使われた。だが他方、SSは、ドイツ人でありながらかたくなな信仰の故にナチス・ドイツに協調しようとしない「紫」に強い憎しみを抱くことがあった。
 良心的兵役拒否者は、時により「黒」にも「紫」にも分類された。
 「青」=亡命者
 (この項の詳細説明の引用も略)
 「黄」=ユダヤ人
 (この項の詳細説明の引用も略)

として、「拘禁理由」による、ナチス強制収容所の抑留者の分類の実際が紹介されていた。それを読んで以来、「エホバの証人」に関して、ナチス強制収容所の収容者の独立したカテゴリーを形成した人々という強い印象が私のものとなった。ナチスへの非同調者としての「エホバの証人」、ということになる。

 紫の標章を与えられ、つまり強制収容所において「独立したカテゴリー」を形成すべき集団としてナチスから評価されていたということの意味は大きい。裏返しの形ではあるが、そこにナチスによる、「エホバの証人」に対するナチス体制への非同調者としての高い評価を見出すことが出来るからだ。

 

 『強制収容所における「生」』を読んだのは20年以上前の話だが、そこに「聖書研究会員」として登場した「エホバの証人」の印象は、強く私の中に刻印されたのである。

 前後して読んだ、L=F・セリーヌの小説(多分『北』、あるいは『リゴードン』だったか?)中に、北ドイツの荒涼とした光景の中で黙々と作業をする「聖書研究会員」の姿が描かれていたことも、私の印象を強化したように思う。

 

 

 

 以来、我が家を訪れる「エホバの証人」の人々に対して、あのナチスへの非同調者の末裔への敬意の混じった視線が(少しだけ)注がれることになったのである。

 もっとも、その後、戦時期日本の灯台社と明石順三の事跡と、戦後の「エホバの証人本部」との関係の顛末を知るに及び、視線には若干の冷ややかさが加わることになったのではあるが…

 

 

     (ナチス体制と「エホバの証人」の関係の歴史的詳細は次回としたい)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/10/16 22:21 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/119328

 

 

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2009年8月13日 (木)

老眼と自己決定 (26) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理 2

 

 「エホバの証人」の信仰を論じる場合、「輸血拒否」は、本来、中心となるべき話題ではないだろう。「輸血拒否」は彼らにとって、彼ら自身の信仰・教義体系から生み出された態度の一つではあっても、彼らの信仰の焦点などではないはずだ。

 

 ただ、現代のいわゆる先進国において、「輸血」という医療行為に対し社会のマジョリティが示す態度と彼らのそれとの隔たりの大きさが、マジョリティに違和感を抱かせてしまうことにより、彼ら自身の意図を超えて、マジョリティにより構成される社会からの問題視として帰結しまっているのだと思える。

 

 前回(http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-1cec.html)にも指摘したように、「輸血」という医療技術自体が、第二次世界大戦期前夜に確立し、第二次世界大戦での負傷者の治療と共に普及へと向かったものなのである。

 前回は、とりあえずの思いつきで、20世紀生まれの高度医療技術の一つとしての「輸血」と、患者による医療内容の選択としての「輸血拒否」という構図で、問題を整理してみたのだが、そのような形での議論が既になされていることがわかった。高度医療技術と、医療内容に対する患者の自己決定権の組み合わせという構図である。

 

 

 

 文化人類学者の星野晋によれば、

 協会(ものみの塔聖書冊子協会-引用者)が輸血を受け入れないという立場を示したのは1945年のことである。
  (「輸血拒否の主体は誰か-文化人類学的視点から見た輸血拒否-」 日本臨床麻酔学会誌 26巻3号 2006年3月)

ということだ。「エホバの証人」は、1870年代に米国で生まれた教派であるが、当然のことながら、当初から「輸血拒否」を信仰の一部としていたわけではない。「輸血」という医療技術の出現への対応として、1945年になって初めて、「輸血拒否」という態度が彼らのものとなったのである。

 

 

 「エホバの証人の輸血をめぐる問題」と題された、麻酔科医師による論文によれば、

 実際には専門以外の分野を看板に書く医師はほとんどいないが、法的には医学部を卒業して医師免許を取得した者であれば、誰でも「内科」とか「外科」という看板を勝手に掲げることが可能である。
 しかし、「麻酔科」だけは例外である。麻酔は非常に専門性の高い技術であり、一歩間違えれば生命に直結する手技であるため、決められた病院で通 常2年以上の研修を受け、厚生省の医道審議会である「麻酔科標榜資格審査会」で認められた者しか「麻酔科」の看板を掲げることはできない。この資格を「麻酔科標榜医」という。医師には麻酔も含めて治療上必要な処置を行うことが許されているが、麻酔科を正式に名乗るためには麻酔科標榜医である必要がある。
 麻酔科医の役割は多岐にわたるが、手術室での業務は麻酔を施行し、手術中、患者の管理の責任者となることである。薬品や輸液、血液の使用は麻酔科医にすべて任されている。術者は手術に集中し、とてもその他のことを配慮する余裕がないからである。

ということになる。

 つまり、「非常に専門性の高い技術」を要求される麻酔科医の「手術室での業務」に、「薬品や輸液、血液の使用」も含まれているわけである。この<事実>の背後にも、「輸血」という医療技術の「高度医療」としての側面を見出すことが出来るように思える。

 

 

 

 前掲論文では、麻酔科医師の直面させられる問題として、

 信教の自由は最大限尊重されなければならないが、医療を受けるにあたっては医療従事者との接触は不可避である。同じ宗教を信じる医療従事者のみが関与するのであればそれほど問題にはならないのかも知れないが、そのような病院は現在存在しない。「エホバの証人」患者を診療するにあたって、私達が納得できない教義の問題点を以下列挙する。
① 自分の信仰を家族(特にこども)にも強制する。
 これにより聖マリアンナ大学で輸血拒否小児死亡事件がおこった。これについては後述する。
② 赤血球輸血のみを拒否する理由が非合理である。 
 これについての詳細も後述する。
③ 医師の良心を苦しめる
 「死んでも良いから輸血しないでくれ」というのは医師の職業倫理を否定することになる。いくら「免責書」をもらっても、良心のうずきが癒されるわけではない。

という3点が示されている。

 ② に関しては、

 「エホバの証人」の多くは、人工心肺、臓器移植、赤血球を含まない血液製剤の輸血は受け入れている。臓器移植には白血病の治療である骨髄移植も含まれているのであるが、骨髄には当然ながら赤血球を作り出す細胞が含まれており、出来たての赤血球も存在しているわけである。骨髄移植が許されるのに赤血球輸血が許されないとする理屈が全く非論理的である。
 1996年以来、医療機関連絡委員の一部を含むエホバの証人たちが、匿名で現在の輸血拒否の方針に疑問を表明し、その数は増加している。彼らは「血液拒否改革エホバの証人連合」を形成し、彼らの言葉によれば、矛盾と一貫性に欠ける複雑な規則に縛られた輸血拒否の方針が、聖書の根拠も明らかにされないままに厳しく施行されている状態に対して、内部からの改革を提唱している。
 事実としてエホバの証人は過去において、ワクチンを輸血と全く同じ理由(すなわち「血の神聖を犯す」という理由)によって、忌避すべきことを信者に教えたが、三十余年後には同じ機関紙の紙面に正反対の主張をし、現在は認めているのである。輸血についても同様に今後、方針が変更になる可能性は十分にあると考えられる。

と、その詳細が示されている。

 

 これまで私は、エホバの証人による輸血拒否について、「自己決定権」という側面から論じて来たわけであるが、現場で直接に対応に当たる麻酔科医の言葉として、

 私の経験からすると、手術の前に、最大限尊重はするがやむをえない場合には輸血をする方針であることを話してその場では納得された患者でも、あとで知人と称する人達に説得されて、輸血は絶対しない旨の承諾書にサインしなければ手術を受けないと翻意された例を何度も見ており、多くの信者は本心からではなく、やむを得ず輸血拒否を表明させられているのではないかと感じている。

という経験と推測があることを無視することは出来ない。最終的決断は、確かに患者当人のものであるにせよ、「自己決定」に積極的に介入する他者の存在があることも見逃せない。ただし、この場合、患者に「輸血」の受け入れを求め続けることもまた、「自己決定」への「他者の介入」となってしまうわけである。

 

 

 

 

   自分の信仰を家族(特にこども)にも強制する

という ① として示された問題点については、前回の私の観点とも一致するものであり、次回、あらためて考えてみたい。
 

 

 

 

 

 

 

「輸血拒否の主体は誰か-文化人類学的視点から見た輸血拒否-」
 → http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/26/3/296/_pdf/-char/ja/
「エホバの証人の輸血をめぐる問題」
 → http://www.hbs.ne.jp/home/kterasa/sotsuron.htm
 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/08/13 20:47 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/113040

 

 

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老眼と自己決定 (番外編)  麻薬常習と自己決定…??

 

 麻薬使用の問題点は、結果としてもたらされる習慣性・依存性と、その果てに訪れる身体、特に、脳機能の異常ということになるだろう。

 

 毒にも薬にも、という表現があるが、ヤク=薬なのであり、そのヤク=薬への依存による過剰な摂取が、ヤク=毒という状態をもたらすわけである。

 
 

 タバコへの依存に関して言えば、日常生活に支障を生ずるほどの脳機能の異常には結びつくことはないが、肺癌の発症率を高めることになることは否定出来ない。

 タバコが禁止されないのは、税源として依然として有効であることと、受動喫煙という問題が浮上しつつあるとは言え、引き起こされる病態が当人の身体性のものにとどまっているからだろう。喫煙者が、過度の喫煙により傷害事件を起す例は知られていないのである。

 

 麻薬として法的に禁止対象となっている薬物に関しては、その習慣的摂取が、単に当人の日常生活に支障をもたらす脳の病変(それ自体問題ではあるが)にとどまらず、傷害事件を引き起こすような幻覚等の認知・判断力・情動の変化をもたらしてしまうという事実が広く認められているからだろう。

 
 

 自己決定権は尊重されるべきではあるが、他者への傷害に結びつくような習慣の継続は、社会的利益という観点から、支持されるものではない。

 当人自身が、タバコへの依存の結果、肺癌に苦しむことは、社会的利益を大きく侵すものではないと判断されるのであろう。当人の自由の領域の問題として考えることは可能である。もっとも、健康保険支出の問題を考えれば、社会的利益を損なう側面があることも否定出来ない。しかし、一方で、肺癌治療自体が経済行為としてシステム化されており、医療ビジネスという観点からは、タバコの禁止による肺癌の減少は、経済的既得権の侵害として理解され得るものでもある。

 受動喫煙の問題さえ克服出来れば、自身の身体への積極的侵害として、一種の愚行権としての自己決定権の行使として尊重することに、私は異議を唱えることはしない。

 

 健康は権利であっても義務ではない。それが私の基本的信条である。

 
 
 

…と、ここまでは前フリ、そのようにお考えいただきたい。

 

 つまり、これからが本題である。

 
 
 

 私自身が合法的麻薬の依存状態にあることを告白しよう、というわけだ。

 

 今のところ、身体への異常は感じていないし、日常生活に支障をきたすような脳の機能障害にも見舞われていない。幻覚は見ないし、過度に被害的になったり、過度(私にとって必要以上)に攻撃的になるということもない。

 自己申告のあてにならなさ具合、自身で病識を持つことの難しさも承知しているが、家族関係に大きな問題もなく(片付かない部屋という以外には)、職業生活の継続に支障が出ているという事実はない(はずだ)。

 
 

 皆さんがご存知かどうかは知らないが、しばらく前まで私自身も知らなかったことでもあるのだが、「仔猫吸引 」に近いことを日常的に、つまりほとんど習慣化した状態で、行うようになってしまっていることを、この際だから告白しようというわけだ。ここで、「近いこと」と書いたのは、実際に、私が日常的に繰り返しているのは「成猫吸引」と呼ばれる行為だからである。

 
 
 

 「仔猫吸引」時の画像として有名なのは、ブッシュ米前大統領の写真であろう。

 
 

 
 

 この写真を見て、私自身が、あのブッシュと同類であったことを知ってしまったのだ。決してうれしい話ではない。

 

 皆さんも次の画像に見覚えはおありだろう。

 
 

 
 

 私もブッシュと同じことをしているように見えるではないか!
  (吸引しているのは、オレンジの「上物」である)

 

 まぁ、報道によれば、不器用なブッシュは、「吸引」ではなく「咀嚼・嚥下」という実にアブノーマルな行為をしているのであって、そこはお間違えにならないでいただきたい。私の場合は、あくまでも、成猫吸引と呼ばれる行為をしているに過ぎないのである。

 
 
 

 いずれにしても、それがもたらす幸福感を、私は、捨てる気はない。

 健康を阻害することは決してない。そう私は信じている。

 
 

 今後、民主党政権になっても、「仔猫吸引(成猫吸引も)」の禁止立法のないことを願いたい。仔猫の単純所持禁止なんて、とんでもない話だ。

 多分、あくまでも多分だが、たとえ非合法化されても、「仔猫吸引(成猫吸引)」をやめることはないだろう。

 マニフェスト実現の財源としての課税措置も願い下げだ。そのことも、ここに明記しておきたい。

 
 

 禁煙に努力中のオバマ米大統領も、「仔猫吸引」の非合法化を推進することはないと考えたい。核兵器のない、安心して仔猫を吸引出来る世界。

 

 そこにこそ、平和な未来がある、と私は信じる。

 

 

 

 

 

【健康は権利であっても義務ではない】
 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-46de.html
【仔猫吸引】
 → http://ansaikuropedia.org/wiki/%E4%BB%94%E7%8C%AB%E5%90%B8%E5%BC%95
【成猫吸引の瞬間】
 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Photo/node/PhotoEntryFront/user_id/316274/file_id/62284
【成猫吸引の瞬間 ver.2】
 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Photo/node/PhotoEntryFront/user_id/316274/file_id/63057/

 
 
 
 
 
註 : 「freeml」用のネタ、である。

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/08/12 21:50 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/112943

 

 

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2009年8月10日 (月)

老眼と自己決定 (25) エホバの証人、あるいは輸血拒否の論理

 

 どうも、調べてみると、「輸血」という医療技術が本格的に用いられるようになる時期は、第二次世界大戦と重なるようである。

 

 「輸血」による治療の試みは20世紀以前に遡るようだが、「血液型」が発見されるのが1900年、そして血液の「抗凝固剤」が発明されたのが1914年であり、それぞれの発見と技術なしには、「輸血」が医療技術として確立・普及することはあり得なかったわけだ。

 そして最初の「血液銀行」設立が1937年(「盧溝橋」の年)となっている。

 

 つまり、第二次世界大戦前夜に、技術的な基盤が確立し、第二次世界大戦では、その輸血技術が多くの負傷兵の命を救ったわけである。

 (→ http://www.wanonaka.jp/sub10.htm

 

 平和であっても輸血技術は普及したに違いないにしても、戦争が大きく後押しをしたこともまた<事実>ということになりそうである。

 

 

 

 もう一つの20世紀になっての医療技術である「人工呼吸器」は、その本格的使用が朝鮮戦争の時期と重なるようだ。
 ↓ ↓

先にも述べたように、脳死は人工呼吸器なしには発生しない。そして、人工呼吸器が発達したのは、 1950年代に入ってから、朝鮮戦争を契機としてなのである。50年代後半に、朝鮮戦争で急激に発達した 人工呼吸器が一般の医療現場にも積極的に導入されるようになったとき、人工呼吸器を使用している重篤な患者の中に、たしかに心臓は動いているが、どう見ても生きている徴候が全く見られない患者が観察されるようになった。そういった症状に対して、'coma depasse'(行きすぎた昏睡、超過昏睡)とか、卑俗には『力強く脈打つ死体』といった表現が用いられるようになった。
 立花隆 『脳死』(中公文庫 1988)

 ↑ ↑
ということなので、「人工呼吸器」に関しても、その技術的発展の後ろには戦争があったということになる。

 
 
 

 もともとの「脳死」の問題への関心から、人工呼吸器という20世紀の「高度」と言ってよい医療技術、その後のより高度の医療技術の基礎となったものとしての、そして脳死状態を準備した技術としての、「人工呼吸器」の存在は、私には、しばらく前から気になるものであった。

 つまり、「脳死状態」を生み出すのは、実は、その「高度医療技術」なのだから。

 

 
 

  

 今回、あるML上での「エホバの証人」をめぐるやり取りを通して、彼らが異端視される要因となる「輸血拒否」の問題を考えることになった。

 

 ML上では、ナチス時代のドイツにおけるナチスへのキリスト教徒の態度、という問題が論じられていたのだが、強制収容所収容者の一カテゴリーを形成(紫の標章で、他の収容者から区別された)するに至る「エホバの証人」の存在に関する私の言及が、正統的クリスチャンを任ずるらしい他のメンバーからの大きな反発を招いたのである。彼らの教義は、キリスト教徒のものではない、と言うのである。

 私自身は、信仰の外部の人間なので、彼ら「エホバの証人」の信仰をキリスト教内部のものとして評価することの妥当性の判断を、信仰上の問題として論じることは出来ない。そのことを述べた上で、以後は「エホバの証人」については「聖書の文言に基づく信仰を抱く人々」として言及することにした。系譜論的には、「オウム真理教」の教義を仏教教義の一支流として論じることが出来るのと同様に、「エホバの証人」の教義をキリスト教の歴史が生み出したものとして論じることは可能だと考えているが、ここでは「正統派クリスチャン」氏の<情>に配慮したわけである(しかし「正統派クリスチャン」氏の疾走する<情>は、この配慮を理解しなかったのであるが、まぁ、その話はここでは関係ない)。

 

 話を戻せば、確かに、「エホバの証人」の信仰が要求する「輸血拒否」というのは異様な感じを受ける行為である。
 しかし、一方で「輸血」という医療を考えれば、今でこそ普及してはいるが、上記のように、基本的に20世紀になっての「高度医療」に属するものなのであり、「人工呼吸器」同様に、現代のより高度の医療の基底をなしているわけである。

 
 逆に言えば、いわゆる第三世界には、まだまだその恩恵に与ることの出来ぬ人々の存在するタイプの医療、ということになる。
 つまり、現在でも地球レベルでは、必ずしも普遍性ある医療技術ではないということになるわけだ(アフガンやイラクの病院の状態を想像すること)。

 
 高度医療技術としての「輸血」という観点からは、「輸血拒否」を、インフォームドコンセントの延長としての、患者による医療内容の選択という領域の問題と考えることが出来るように思える。医療内容の選択、つまり患者の自己決定権の行使である。

 ここでは「輸血拒否」は、高度医療継続の拒否なのであり、いわゆる「尊厳死」の問題につながるものとして、その一見しての異様な印象とは別に理解することへの可能性が開かれるのではないだろうか。もちろん、あくまでも、彼らの聖書解釈の妥当性という信仰の文脈とは独立して考えることが必要となる。

 

 ここで問題があるとすれば、成人なら確かに本人の自己決定の問題となるが、未成年者の場合の取り扱いであろう。
 自分の子供への輸血拒否は許容されるのかどうか?ということである。つまり、親が子供への輸血拒否をすることの当否、という問題である。

 
 ここで、「脳死」の問題が大きくリンクしてくる。
 先般の臓器移植法の「改正」では、脳死状態に陥った15歳未満の子供からの臓器移植が、その親の同意を要件とすることにより、合法性を備えたものとして可能となった。つまり、子供自身の事前の意思確認なしに、親の同意のみで、脳死臓器移植が可能とされたのである。

 子供自身による自己決定権の尊重という姿勢は失われてしまったのである。
 もちろん、現実には、これまでは、自己決定能力の未完成を理由に、15歳未満の子供からの臓器提供は禁じられていたわけだ。未成熟な責任能力という観点から、15歳未満の子供への意思確認の妥当性自体が否定されていたのである。

 今回の「改正」では、子供の自己決定能力の有無が問われることはなくなり、親の同意のみで子供からの脳死臓器提供が可能となってしまった、ということなのである。

 

…ということは、論理的には、「エホバの証人」による自分の子供への輸血拒否は尊重されねばならない、ということになってしまうはずである。

 子供の受ける医療内容への最終的決定権が、その子供の親にあるというのが、今回の臓器移植法改正の眼目なのだから。

 

 

 まぁ、私自身には、成年者本人はともかく、親の意思による子供への輸血拒否を支持することは出来ないし、そもそも今回の臓器移植法「改正」も支持出来ないわけであるが…

 

 
 

 
 そう言えば、イラク戦争では、ヘルメットの改良により防護能力が高まった結果、逆に、これまでに見られなかったタイプの脳損傷に見舞われた兵士が多く見られるということである。そして、その対処・治療法の確立が問題になり始めているわけだ。

 

 これもまた、戦争と医療の関係の新たな一断面ということになりそうである。

 
 
 
 
 

註 : 「老眼と自己決定 (番外編) 輸血と人工呼吸器、そしてイラクのヘルメット」(2009/08/01 23:38 )のリライト
 (→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/111867/user_id/316274

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/08/10 12:39 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/112664

 

 

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2009年7月17日 (金)

老眼と自己決定 (24) 脳死を生きる 17

 

 国会での「臓器移植法改正案(A案)」議決により、現行法に比べ、脳死体からの臓器移植が容易になることは確かだろう。

 

 

 本人が積極的なドナー希望者であることの確認を要件としていた現行法に対し、本人が積極的なドナー拒否者であることが確認されない限り家族の同意のみでドナーとされてしまうというのが、今回の改正案の主眼の一つである。

 現行法ではドナーカードに明記された本人の意思の確認を要件としているのに対し、改正案ではドナーカードの内容確認は要件とされていないことに留意しておきたい。現行法では、ドナーカードの所持の確認と内容の確認の二段階にわたる確認が要請されているのに対し、改正案では、ドナーカードの所持の確認は既に要件ではなくなっているのである。ドナーカードの不所持者は、現行法ではドナーの対象からはずされるのに対し、改正案では、ドナーカードの不所持は問題とならず(つまりドナーカードが発見されなければそれで終わりということ)、要請されるのは家族の同意の確認のみとされているのである。

 

 脳死が人の死であるにせよ、死後の臓器提供に関しては本人の意思を尊重する、つまり脳死時の臓器提供に関し自己決定権を尊重するという姿勢は、改正案からは失われているのである。

 この変更点に見出すことの出来る自己決定権尊重の理念からの後退は、現行法で禁じていた15歳以下の小児からの臓器提供を家族の同意を要件とすることで可能にした改正案条項にも、一貫性をもって見ることが出来る。本人に自己決定能力がないとされることで、現行法では小児の臓器提供は禁止されていたのに対し、自己決定能力を問わぬことで小児からの臓器摘出は可能にされるのである。

 

 

 これまでも繰り返し書いたように、私自身は、脳死を人の死としてしまうことに、いまだに同意出来ないでいる。

 ひとつは、長期脳死者の存在やラザロ徴候、脳死体からの臓器摘出時に脳死体が示す反応等の事例がある以上、脳死状態=死体と結論してしまうのは時期尚早ではないかという疑念である。脳死状態の身体を生体ではなく死体と判断するには、より一層の基礎的研究の積み重ねが必要に見えるのである。

 もうひとつには、たとえ脳死状態が脳の機能の完全な停止を意味してるのだとしても、身体が生体としての反応を示し続けるという状況に対し、生物としての「死」を宣告することの妥当性という問題を考えざるをえないのである。

 

 後者の問題を、もう少し考えてみよう。

 たとえば、脳死状態=死体と定義することにより、脳死者は既に死んでいるので脳死者からの臓器摘出は殺人とはならないわけである。この場合は、脳死者の身体の利用は臓器摘出の時点で終わる。臓器摘出後には、伝統的な心臓死=死という定義からしても疑問の余地のない死体が残されることになる。

 ここで、長期脳死者の存在を思い出したい。臓器摘出利用の場合は、脳死身体の短期的利用であった。

 長期脳死者の存在は、脳死身体の長期的利用の可能性を示唆するものである。

 脳死とは脳の死であっても身体の死ではないからこそ可能になるのが、長期的な脳死身体の利用、ということになるだろう。

 様々な医学的実験が、生体としての脳死身体を使用することで可能になるわけである。たとえば薬品の発がん性を、生きている人間(脳死状態にない人間)を用いて実験することは許されないだろうが、生きているが死んでいる(身体は生きているが脳は死んでいるわけである)脳死状態の人間の身体を用いて実験することは、論理的に可能なはずだ。

 脳死体が身体として生きているからこそ、薬品の実験には最良の素材となるわけである。それも人間の身体であるからこそ、動物実験とは比較にならない有効性が確保出来るのである。

 脳死≠身体死であるからこそ可能な事態であろう。

 要するに人間として生体であることが、脳死者の身体を利用した実験の有効性を保証することになるわけだ。しかし、もちろん、法的には脳死者の身体は既に死体なのであって、そこに存在するのは生体を利用した実験ではなく死体を用いた実験に過ぎないのである。

 要するに、法的には死体だが、生物学的には(そして実は医学的にも)生体として評価されるからこそ、脳死状態の身体は利用価値を生み出すのである。

 

 

 

 脳死者の臓器摘出利用(脳死体の短期利用)に際し、ドナーの意思が尊重されない法案を選択した以上、脳死者の身体の長期利用(脳死体を用いた生体実験である)に際しても脳死者の意思は尊重されないような事態が待ち受けている可能性は高い。

 衆議院9時間、参議院で8時間という短い審議時間で今回の改正案が成立してしまったことを考えれば、脳死体の長期利用への道も簡単に開通するに違いないのである。

 

 家族の意思で、生体実験材料への道は開かれるのである。それが今回の改正案成立の帰結に見える。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/16 22:23 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110264

 

 

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2009年7月15日 (水)

老眼と自己決定 (23) 脳死を生きる 16

 

 脳死臓器移植「医療」をテーマに書き始めて、今回で16回を数えることになる。

 

 

 

 「脳死を生きる 12」(つまり「老眼と自己決定 (19)」でもある)で書いたことだが、脳死臓器移植「医療」を推進する者にとっての利益と、救急救命医療の対象となる者の利益は一致しないという側面がある。

 脳死体を確保し、脳死体からの臓器摘出利用を利益と考える者と、脳死状態の回避に全力を尽くし救命回復に努力する側の利益は、相反するものとなりうるのである。

 

 

 「脳死を生きる 12」(→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-ec15.html)では、

 一方で、脳死を人の死とすることには宗教界や法曹界、交通事故遺族の会など、さまざまな方面から反対がある。国会での慌ただしい動きに、改正に反対する医師らが先月、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ」と緊急声明を発表した。
 脳神経外科医の山口研一郎氏は「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの」と指摘、早急な結論に危機感を表した。
 (時事通信 2009/06/18 13:42 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009061800447&rel=j&g=soc

という、衆議院本会議での臓器移植法改正案(A案)可決を受けての報道を紹介しておいたが、

移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ。

医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの。

というそれぞれの言葉が、問題の所在を語っているものと思う。

 

 

 7月13日の参議院本会議での臓器移植法改正案(基本的にA案を踏襲)可決後の報道の一つでは、

 小児の脳死移植を可能とする改正臓器移植法が成立。海外に頼らず国内で「助かる命を助ける」ことに近づいたが、もう1つの「助かる命」を抱える小児救急医療現場は、充実しているとはとても言えない状況だ。関係者らは「十分な治療が尽くされなければ臓器提供は成り立たない」と一様に体制整備を訴えている。
 「私たちの医療の根本は脳死の子をつくらないこと」。参院厚生労働委員会に参考人として出席した日本小児科学会会長の横田俊平横浜市大教授はこう切り出した。臓器を提供する側と受ける側、すべての子の命を守りたいとの思いだ。
 同教授は、小児の救命救急システムが全国に2カ所しかないと指摘。その一つ静岡県立こども病院では、おぼれた子どもが医師の乗るヘリで平均1時間以内に集中治療室(ICU)に運ばれ、ほとんどのケースで後遺症もなく回復しているのに対し、システムのない横浜市では病院搬送に1時間半~4時間半かかり、死亡したり重度の脳障害が残ったりしているとの実態を紹介。「体制一つでこんなに違う。こうした状況で『臓器提供を』と言って納得してもらえるのか」と問い掛けた。
 日本は新生児の死亡率が世界一低いのに対し、1~4歳児は21位。小児救急は専門の医師も施設も不足している。こうした実態を踏まえ、重症小児の救急医療に関する厚生労働省の検討会は先週、小児救命救急センターの整備などを盛り込んだ中間報告をまとめている。
 委員を務めた同病院の植田育也・小児集中治療センター長は、日米で脳死の子の診療やみとりに携わってきた。小児の脳死移植には法整備だけでは不十分だとし、「臓器提供が最良の選択だったと、長く思ってもらえるような医療が必要」と話した。
 (時事通信 2009/07/13 16:38 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071300619&rel=y&g=soc

と、小児救急医療現場が抱える問題が指摘されている。

 今回の改正案で可能となった15歳未満の小児からの脳死臓器提供を考える上で、小児救急救命医療自体の不十分さという現状は、脳死臓器移植推進への前提となる環境としてお粗末に過ぎる。

 救急救命医療の受益者としての患者と家族の利益を守るための努力が不十分なところで、脳死臓器移植の受益者としての患者と家族の利益へのより多くの配慮を求めることになってしまうのが、今回の改正案のもたらす帰結であろう。

 もちろん、言うまでもないことだろうが、この指摘は臓器移植法改正案そのものへの批判とは別のことである。脳死を人の死とし、脳死体からの臓器移植を「医療」として推進することの是非とは別に、小児救急救命医療体制は拡充されなければならないのである。

 「私たちの医療の根本は脳死の子をつくらないこと」という日本小児科学会会長の横田俊平横浜市大教授の言葉に、まずは耳を傾けねばならない。

 助けることの出来るはずの命を助けることへの努力を怠ったままに、(怠るからこそ容易になるわけでもあるが)脳死体からの臓器移植の推進を図ることは倫理的ではないだろう。助けることの出来たはずの命を助けずして、助からず脳死状態になった患者の臓器利用にのみ腐心することには同意し難いのである。脳死臓器移植を「脳死の子どもをつくること」という構図の上に成立させてしまうことは、推進者も望まぬものと思いたい。

 

 

 この問題は、臓器移植医療推進の前提として解決されていなければならないはずだ。今回の臓器移植法改正案成立後の大きな課題となるべき事項であろうが、改正案可決に寄与した国会議員諸氏にその自覚はあるのだろうか?

 そもそも、国民それぞれに、その自覚があるのかどうか?という問題であるわけだが…

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/15 22:23 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110179

 

 

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2009年7月14日 (火)

老眼と自己決定 (22) 脳死を生きる 15

 

 脳死臓器移植「医療」をテーマに、いろいろと書いて来たが、基本的に、その推進に対しては批判的なスタンスであった。

 

 

 

 

 実は、私自身は、「死体=生ゴミのようなもの」という感覚を持っている。死体の資源化という発想に対して、倫理的な反感はない。

 ただし、死体を資源として捉えることは、受益者の間に、より多くの死体の確保への欲求を生み出し、より多くの死体供給のための努力として帰結する可能性が大きい。そのことは倫理的に望ましからぬ事態を生じさせるはずである。

 そのような意味で、死体の資源化には慎重さが必要だと考えるのである。

 

 J・ヘラーが、第二次世界大戦の米陸軍爆撃機搭乗員を主人公に書いた小説『キャッチ22』には、主人公ヨッサリアンが機体後部で死にゆく後方銃手を抱きかかえながら過ごす時間を描いたシーンがある。高射砲弾の破片で身体を引き裂かれており、救命の方途はない。彼の血液に浸った状態で基地に帰投する。

 その時の経験が、繰り返しヨッサリアンの脳裏に現れ、繰り返しその意味を問うことになるのだが、死の意味が、(特にヨッサリアンにとって)戦死の意味が、人間が生ゴミと化していく過程として見出されていくのである。

 逆に、そこに戦争を生き抜くことの価値が見出されるというのが、小説の展開なのだが、「死体=生ゴミのようなもの」という私の感覚の形成に影響を与えているエピソードの一つに違いない。

 

 母の介護をする中で、母の姿を毎日撮影していたことも書いた。「ご臨終後」の一部始終も、当然、撮影の対象である。

 続く日々の中では、死体となった母の姿も撮影していたわけである。

 生死は大きく隔てられた状態だ、と、つくづく思わされたものだ。

 寝たきり状態であっても、表情は刻々と変化するのである。死体には、変化というものがまったくない。モノと化した状態。そのことを痛感した。

 

 「生ゴミのようなもの」にせよ「モノと化した状態」にせよ、私にとっての死体とは、生きている人間とは異なる状態に変化してしまった、かつて生きていた人の身体に過ぎない。それは、既に、過剰な思い入れの対象ではない。

 

 死体の資源化自体に、倫理的抵抗感がないのは、そのような感覚が背景にあるからだろう。

 そのような意味で、脳死体の臓器利用自体に抵抗感を感じるわけではないのである。

 先に示したように、私が危惧しているのは、死体の資源化の帰結がもたらす倫理的問題であるに過ぎない(しかし、このことは実に重要な問題であるが)。

 

 

 

 

 そのような話をした上で、脳死を人の死としてしまうという内容の「臓器移植法改正案(A案)」が、衆議院に続いて参議院本会議でも可決されてしまった今日、「脳死」は本当に人の死なのかどうか、そのことをもう一度問うておきたい。

 

 脳死状態が本当に生物の死として記述可能な状態なのであれば、脳死臓器移植「医療」を、死体利用の方法の一つとして考えることは出来る。

 

 しかし、やはり、そこに疑念が残るのである。

 

 

 

 執刀している医者たちが一番嫌うのは、脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する場合だ。脳が死んでいるから、その人は苦しんでいないというが、本当かどうかはわからない。脳死者から臓器を取り出すときに脳死者に麻酔をかけなければ、暴れてうまく手術が行えない事実こそは、脳死と言われているものが本当の死ではない証拠のように私には思える。
 (池田清彦 『脳死臓器移植は正しいか』 角川ソフィア文庫 2006)

という話を思い出してしまう。

 死体に麻酔をかける必要はないはずではないだろうか?そこにあるのが本当に死体であるならば。

 麻酔ではなく筋弛緩剤を使用する医師もいるらしい。筋弛緩剤では、痛みの感覚は緩和されないので、もし脳死状態が感覚の消失を意味していないのだとしたら、ドナーにとっては悲劇である。

 どうもその辺の疑念が検討された形跡がない。衆議院で9時間、参議院では8時間という審議時間なのである。あまりに安易ではないだろうか?

 

 そして長期脳死者の例がある。脳の機能の廃絶の判定の一方で、それ以外の身体は成長を続けているのである。そこでは細胞が生きており、更新され、代謝機能が有効であるからこそ、身体的成長があるはずだ。

 そのような身体機能の継続がありながら、脳の機能にのみ注目することにより、生物体としての「死」を宣告することが、脳死を人の死とすることの意味である。

 重度の心身障害者の姿を目に浮かべる時、心臓死から脳死へと変更された死のラインをほんの少し動かすことで、彼らを死者に参入させることが可能になることに思い至る。

 今回の改正に至る議論が、実に慎重さから遠いところで終始していたことを思えば、今後の死のラインの安易な変更の可能性を否定することも難しい。

 

 「精神的な死者」という、ナチスの安楽死政策の用語を思い出さずにはいられないのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/13 22:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109970

 

 

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2009年7月13日 (月)

LACHRIMAE 介護のエンディング (老眼と自己決定 番外編)

 

          LACHRIMAE

 

 ラテン語で「涙」を意味する、はずである。

 

 

 母を亡くしていることは、何度か書いたと思う。

 

 彼女は、88歳の日々を、肺癌患者として、寝たきり状態で過ごすことになった。

 往診に訪れたかかりつけの医師から、「余命数週間」との診断を伝えられたのが2001年の1月29日のことだった。

 医師が帰った後、母のポートレートを撮影した。「遺影」用に、である。

 前年の10月の検査入院の際に、癌の部位が心臓に接していて「かなり危険」なことを病院の当直医から聞かされ、退院後は毎日、母の姿を撮影するようにはなっていた。話が前後するが、1999年の後半から微熱が続くなどの体調変化に見舞われ、癌の診断を受けたのは、その年の暮れか翌年の正月のことだ。そのことは本人にも伝えてある上での、その後の出来事である。

 

 やがて訪れる死を前提にして、毎日、母(と家族の姿)を撮影する。そんな日々の中で、往診の医師からの「余命数週間」という言葉は、「やがて訪れる死」という言葉の切迫度を高めるものとなったわけだ。

 

 丁度、私の仕事が春休みに入ることもあり、母を入院させるのではなく、自宅での介護という選択をした。4月にはすべてが終わっている、と思ってのことである。桜の咲き誇る下での葬儀となれば上等だなどと考えていたくらいだ。

 そして、新学期からは仕事に復帰する。

 

 そう考えていたのだが、介護の成果なのか、4月に入っても母は存命であった。以後、仕事を休んでの介護の日々が始まる。

 介護保険の発足と重なり、それ以前の家族介護が置かれたであろう状況に比べれば、かなり恵まれたものとはなったはずだ。しかし、相手は回復の可能性の存在しない家族である。嚥下困難により、食事の楽しみさえ失ってのことだ。

 彼女の生の存続は、もちろん息子としての私、そして私の家族の喜びである。しかし、寝たきり状態という当人にとってもつらい状況での生の存続でもある。88歳ということは、十分に老人であることを意味し、その上での肺癌は、回復というエンディングへの希望を断つものなのである。

 エンディングは彼女の死以外になく、それは彼女の苦しみからの解放の時でもある。それは、つらい状況の終了ではあるが、しかし、彼女と家族が共に過ごせる日々が断たれる時をも意味するのだ。

 しかし、しかしその上に、終わりの見えぬ介護というつらい日々からの解放を、私には意味することにもなる。そこでは介護の日々からの解放をもたらすのは、彼女の死なのである。

 

 心理的には、少なくとも私の心理の問題としては、ハッピーエンドへの希望を持ちえない日々だったように思える。

 彼女の死は望まない。しかし、彼女の死がすべての問題を解決する、という考えを否定することも出来ない。

 私自身にとって、うれしい認識ではない。

 付け加えれば、介護のために仕事を休んでいるということは、その間の収入がないことを意味するし、介護には金がかかるのである。介護の継続は、経済状況の絶対的な悪化も意味するのだ。

 

 

 そんな毎日ではあったが、その中で、必ずその日の母の姿を撮影することは続けていた。

 3月に彼女は88歳の誕生日を迎える。当然、その日の姿を撮影した。その1ヵ月後(4月)には、3月の誕生日の写真と彼女を1枚に収めた。その1ヵ月後(5月)には、4月に撮影した3月の誕生日の写真と並ぶ彼女の姿を撮影する。それを一ヵ月ごとに繰り返す。彼女の生の存続の証しである。「余命数週間」が一ヶ月ずつ延びていく様が、一枚の写真に収められるのだ。

 まぁ、そんな楽しみ(?)も交えながら、毎日、肺癌で寝たきりとなった老人の姿を撮り続けた。

 

 介護の日々の心理的にストレスフルな状況については、先に書いた通りだが、撮影用のライトをセットし、カメラを構え、彼女と向き合う時間。それは「介護の時間」とは別の時間の流れを、私と母の間にもたらすものとなった。その間だけ、私たちは写真家とモデルになるのだ。

 カメラを持つ習慣、シャッターを切る習慣も捨てたものではない。介護という関係性は、その時だけは、私たちの間からは消えたのである。

 

 

 

 2002年1月3日に突然訪れる彼女の死までに、数千枚の写真が残されることになる。

 

 

 その中から48枚を選び、2冊のアルバムにまとめた。彼女の友人・親戚も、彼女同様の老人であり、見舞いにも来られなければ葬儀にも立ち会えなかった方々がほとんどだ。彼女の最後の日々を、写真を通して共に過ごしてもらえればという思いでセレクトした48枚であった(枚数はアルバムのフォーマットに規定されている)。

 彼女の親戚・友人達へ届けるためのアルバムのタイトルとして選んだのが「ラクリメ LACHRIMAE」である。

 1604年に出版されたジョン・ダウランドの曲集のタイトルにちなんだものだ。介護の日々、私の中を流れていた音楽。

 

 

 

 

 書き始めたら長くなってしまった。仕事先で私を見知っていた学生から、私をネタに展覧会をしたいという話があり、かつての母の写真を見せたら「それで行きましょう」的展開になってしまったのが、今夜のお話の発端。

 学生にタイトルの由来である「LACHRIMAE」の実際の演奏を紹介しようと思って、「YOUTUBE」を利用して見つけた画像を紹介するだけで終えるつもりが、説明を始めたら長い話となってしまったというのが事の真相である。

 さて、学生にメールで紹介したのは、

J. SAVALL · Hespérion XX · "Lachrimae Antiquae" · Dowland
 → http://www.youtube.com/watch?v=LCfhqh0u20c

STING & EDIN KARAMAZOV (LUTE) - ST LUKES CONCERETTE PART 1
 → http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=ljQDTLUDWC0&feature=related

の2つだったのだが、後になってから、

Jordi Savall, Hespèrion XXI - Lacrimae Pavan, J.Dowland (1563-1626)
 → http://www.youtube.com/watch?v=g2uA4msplTg&feature=related

を発見。サヴァールのライヴ映像だ。

 スティングのヴォーカルによる「Flow my Tears」も好きだけど、

Alfred Deller performs Dowland's 'Flow my Tears'.
 → http://www.youtube.com/watch?v=85C1jX0P28k&feature=related

このデラーも名演だと、久しぶりに聴いてあらためて思った。これ、LPは持っていたはずなんだけど…

 最後に、

Flow My Tears - Jim Moray
 → http://www.youtube.com/watch?v=40bv3m9I7dM&feature=related

やるじゃありませんか…

 

 

 

註 : 私自身の死生観の背景の理解につながると思い、「老眼と自己決定」の「番外編」として、ここに収録することにした。

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/12 22:07 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109862

 

 

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2009年7月11日 (土)

老眼と自己決定 (21) 脳死を生きる 14

 

 脳死臓器移植「医療」を推進するためには、脳死状態の患者からの臓器摘出の合法性を保証しておく必要がある。

 つまり、脳死を人の死と定義することにより、脳死状態の患者は、治療の対象から死体へと変化する。臓器摘出により脳死状態の患者が死ぬのではなく、患者は既に死んでいるというのが、脳死を人の死と定義することにより生み出される解釈である。

 

 そして、別の場所で臓器移植を待ち望む患者に、脳死体となった患者からの臓器が提供され、移植手術が成功すれば、前者の近い将来の確実な死は遠ざけられることになる。

 

 

 一人の患者(ドナー)の死が、一人の別の患者(レシピエント)の生を保証するのである。

 

 

 脳死臓器移植「医療」先進国である米国のリポート(数日前のテレビニュースによる)などを見ると、ドナーの家族にとり(成人ならドナー自身もだろうが)、ドナーの死は臓器移植を通してレシピエントの生と結びつき、レシピエントの体内におけるドナーの生の継続として解釈されるという形式で、脳死臓器移植を受け入れるという構図が出来上がっているらしい(もちろん、「脳死=人の死」という図式が共有されていればこその話であろうが)。

 要するに、脳死臓器移植を通して、あるいは脳死臓器移植という手段があればこそ、ドナーの死は回避されたものとして認識されうるわけである。

 米国のケースでは、レシピエントの現実の延命と同時に、ドナーの想像上の延命として、脳死臓器移植が機能しているということのようである。

 

 死の回避は、確かに人間にとっての究極のと言っていいくらいの根深い願望の一つであろう。

 その意味で、米国における脳死臓器移植医療を支える論理と、そこから生み出される感情は、多くの人類に共有されると思われる不死への願望に適うものとして評価することも出来そうだ。

 

 愛する家族の死を受け入れる上で、家族を脳死臓器移植のドナーとすることに同意することが、その家族にとっては一種の救いとして機能しうるわけだ。家族の死(脳死)の受け入れが、同時に、家族の(他者の臓器としての)生の存続の保証となるのである。

 

 世界からの死の排除という願望を、脳死臓器移植が叶えるのである。

 ここでは、米国での脳死臓器移植医療の普及・進展が、それなりの完結した論理に支えられていることを見ておくべきなのだろう。

 

 レシピエントとしての患者が、どこかの誰かのドナーとしての脳死を期待しながら日常を送ることの倫理性を問うという発想は、このような論理に覆われる世界からは生まれにくいのかも知れない。

 レシピエントの存在こそが、ドナーの死をただただ悲しく不条理なものから、意味あるものへと変換するのだ。

 死を受け入れ可能なものにするのが、死を他人の中で継続する生へと変換する論理であり、その具体的手段こそが脳死臓器移植医療なのである。

 

 

 

 

 私自身は、生きていることはいつか必ず訪れる死を前提とした状態である、という思いの中で日々を生きている。

 小学校2年生の時に、父の死に続いて、双方の祖父母の死を体験したことが、その思いを生み出したのだと考えている。「人は皆、最後には死ぬものなんだなぁ…」という実感が、小学校2年生の私に刻み付けられたのである。

 

 この10数年の間に、姉と母を亡くした。無感動なわけではなかった。悲しみの感情は、常日頃から「人は皆、最後には死ぬものなんだなぁ」と思っている男の上にも宿るものである。

両者に対し、適切な医療の提供は出来たのだろうか?

その都度の選択は、最適なものであったのだろうか?

…といった疑念からは逃れられないし、とにかく、これまで直接的コミュニケーションを交わしていた家族と共に時を過ごすことは出来ないのである。それに気付くことは、既に取り返しのつかない地点にいるのだということを再認識させられることであり、そこで自身の無力感と喪失状態をあらためて味わうことになる。

 

 ただ、そのように考えても、生きていることがいつか必ず訪れる死を前提にした状態である、という認識はそのままに残る。

 やがて死ぬものこそが、現在を生きているものなのだ。

 そのような死生観からは、米国流の脳死臓器移植を支える論理が、魅力的だったり説得力を持ったものとして見えて来るということもない。

 

 

 自らの死を望まないのなら、まずは他人の死を望まない。

 私には、こちらの方が、理屈としても倫理観としても説得力があるものに思える。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/10 22:39 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109689

 

 

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2009年7月 9日 (木)

老眼と自己決定 (20) 脳死を生きる 13

 

 昨夜で、「老眼と自己決定」シリーズの「脳死を生きる」編も、12回目となってしまっている。

 

 いずれにしても、「脳死臓器移植」をめぐる善悪正邪の判定が目的ではなく、要するに自分の腑に落ちない点をはっきりさせておこう、というのが論の主眼である。

 

 

 他人がどう思うかとは別に、私の視点から、気になること、世の中の議論から抜け落ちているように感じられることを書いておきたいわけだ。

 

 

 

 私自身は、これまでにも書いたように、木村敏氏の提起した問題に大きく影響を受けている。

 脳死臓器移植「医療」は、患者(レシピエント)に他人の死を期待する心情を持たせてしまうことになる、という指摘だ。

 その論理、あるいはそこから生み出される倫理観は、少なくとも私自身には、自分自身が脳死臓器移植「医療」でのレシピエントとなることへの抵抗感を抱かせるものとなった。家族という立場でも(つまり、たとえば自分の娘が脳死臓器移植以外に延命の可能性がないという状況になっても)、脳死臓器移植「医療」を選択することはしたくない。

 そのような意味で、脳死臓器移植「医療」に関しては、(脳死臓器移植医療ではなく)しつこく「 」付きで脳死臓器移植「医療」と表記しているように、医療行為としての位置付けに戸惑いを覚えていることも確かなのである。つまり、「中立的立場」で問題を論じていると主張することは出来ない。

 

 しかし、脳死臓器移植「医療」を「告発」することを目的としているわけでもない。

 私の視点から、論点を整理しておくこと。そこに、書き続ける動機がある。

 

 

 批判的な記述が多くなっていることは確かだろうが、私が問題をそのように見ているというだけの話で、読者の同意を求めているわけでもなければ、読者を説得しようとしているわけでもない。

 脳死臓器移植「医療」の推進を求める方には、私の疑念をクリアした上で、その主張を展開していただければよいと思うだけだ。問題をスルーするのではなく、クリアすることにより、推進の論理も強固なものとなるだろう。

 

 

 

 世の中では、シロクロを明確にした議論、わかりやすい結論が求められる傾向があることは承知しているが、そのような方向性は、これまでの議論からも、これから書くかも知れない議論からも見つけることは出来ないと思う。

 

 話としてはわかりにくく、じれったく感じられるかも知れないが、何らかの結論ではなく問題を「考える」姿勢を共有していただければ、それで私の目的は達せられるものと思っている。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/08 23:37 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109495

 

 

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2009年7月 8日 (水)

老眼と自己決定 (19) 脳死を生きる 12

 

 脳死臓器移植「医療」とは、臓器の疾患により遠くない死を宣告された患者及び家族と、脳の損傷(それが外部的要因であれ内部的病変であれ)により脳死の可能性を宣告された患者及び家族との間に介在するものである。

 前者の多くは、中・長期の治療過程を経験しているのに対し、後者は救急救命医療の対象である。

 前者は、脳死臓器移植以外に延命の可能性がない状況にある。

 後者では的確かつ迅速な救命医療の実施が患者にも家族にも望まれるであろうし、その治療の成功は患者に脳死を免れさせ、患者の延命・回復につながるものとなりうる。

 

 そのように考えると、脳死臓器移植「医療」を実施することは、レシピエントとしての前者の「延命」とドナーとしての後者の「延命」との二者択一的状況を出現させるものとなりうることに気付くだろう。

 もちろん、救急救命医療の現場の医師の努力は、脳の損傷により運び込まれた患者の救命に注がれるはずである。

 

 しかし…

 

 一方で、脳死を人の死とすることには宗教界や法曹界、交通事故遺族の会など、さまざまな方面から反対がある。国会での慌ただしい動きに、改正に反対する医師らが先月、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ」と緊急声明を発表した。
 脳神経外科医の山口研一郎氏は「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの」と指摘、早急な結論に危機感を表した。
 (時事通信 2009/06/18 13:42 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009061800447&rel=j&g=soc

 

…という懸念を無視することも出来ない。

 山口研一郎医師の「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった」という指摘は、現時点での問題の所在を語るものであろう。救急救命医療の現場の脳神経外科医自身が、「早急な結論に危機感を表し」ているのである。

 

 それに対し、脳死臓器移植「医療」推進者は、たとえば、

 

 日本心臓血管外科学会(高本真一理事長)は25日、衆院を通過した臓器移植法改正A案を参院で速やかに可決するよう求める声明を発表した。理事の許俊鋭東大特任教授は「移植を待つ患者さんはこういう場に出て来られない。直接診ている我々が患者さんの切なる願いを訴えたい」と述べた。
 同学会によると、1997年の同法施行後64人が心臓移植を受け、うち62人が健在。世界的にも非常に優れた治療成績を上げながら、機会が少ないため、多くの患者が移植を受けられず亡くなっている。
 (時事通信 2009/06/25 19:46 → http://www.jiji.com/jc/zc?k=200906/2009062500957&rel=j&g=pol

 

と主張している。「世界的にも非常に優れた治療成績」を示すと共に、その「機会が少ないために多くの患者が移植を受けられずに亡くなっている」現状を強調しているわけだ。心臓血管外科学会の医師たちが、その患者の利益を考えることは正しいだろう。しかし、彼らの患者の利益は、脳神経外科医の患者の利益を侵すことにより獲得される性質を持つことへの配慮に対しては言及されていない(報道されていないだけだろうか?)。

 日本心臓血管外科学会の声明は、それでも一方の当事者の意見表明としては理解可能なものではある。

 

 

 しかし、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体」という認識は、少なくとも国会審議の場では共有されるべきであろう。

 現行法施行後に明らかになった脳死状態そのものに対する疑義の検討と、救急救命医療の技術的進展への考慮を抜きに、脳死状態への評価を下すことは、あまりに乱暴な話に思える。ドナー側の利益の軽視と言うべき現状である。

 

 

 レシピエント(及び家族)自身の延命に対する利己的心情への配慮を求めるなら、同等なドナー(及び家族)自身の延命に対する利己的心情への配慮も必要であるはずだ。

 

 

 「審議は慎重の上にも慎重であるべき」はずなのである。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/07 22:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109402

 

 

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2009年7月 7日 (火)

老眼と自己決定 (18) 脳死を生きる 11

 

 

  脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

  脳死を「人の死」としている点を改め、現行と同じく臓器提供時に限って人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

 

 前者が、2009年6月18日に衆議院本会議で可決された「臓器移植法改正案(いわゆるA案)」であり、後者は参議院に提出予定の、自民党参院有志議員による衆院改正案に対する修正案である。

 

 いずれにしても、現行法では、本人の明確な臓器提供への意思表示の存在を脳死臓器移植実施の要件と定めているのに対し、本人の意思が不明確であっても家族の同意により、脳死状態に陥った時点で死体として取り扱われ、臓器が摘出されてしまうことになる。

 現行法では、本人の自己決定権の尊重の結果としての脳死臓器提供の容認という形式を踏んでいるのに対し、衆院改正案及び参院修正案の両者共に、自己決定権への配慮は大きく失われている。しかも15歳以下も臓器提供対象とすることで、自己決定能力を問うという現行法の姿勢は完全に失われたと評価することも出来そうである(自己決定能力の不在が、現行法における臓器提供の年齢制限の理由であった)。

 

 

 これまで、まず、一律に脳死を人の死としてしまうことの妥当性への疑念を、「長期脳死者」の事例や「ラザロ徴候」、そして臓器摘出時に脳死体が示す反応例の報告を通して考えて来た。

 脳の状態のみをもって、人が生きている状態の判定基準とすることの妥当性(あるいは危険性)を、ナチスの安楽死政策との対比で考えてもみた。脳死を人の死とする発想は、脳に重度の障害を持つ心身障害者の存在に対し、その生存権への否定につながりかねないものなのである。

 また、脳死臓器移植「医療」がもたらす「死体の資源化」とでも言うべき状態は、より多くの死体の供給への欲求を生じさせることになる。ここでは、救急救命医療の対象であるはずの患者が、同時に潜在的脳死体として評価・期待されるという状況も生まれてしまうだろう。救急救命医療とは正反対のベクトルの上に脳死臓器移植「医療」が成立するという構図として描くことが出来る。

 そして、「自己決定権」という理念の尊重の上に成立している現行法と、「自己決定権」への配慮を喪失させることで脳死者として判定される患者を増加させ、脳死臓器移植「医療」の推進を図ろうとする「臓器移植法改正案」とその「修正案」を対比し、そこに潜む問題を示してみたわけである。

 

…と、これまでの議論を振り返った上で、木村敏氏の提起した、脳死臓器移植の実施が、臓器移植を待ち望む患者に脳死者の出現を待ち望む心理を生み出してしまうという倫理上の問題について、再び考えておきたい。

 

 

 

 

 脳死体からの臓器移植という方法以外に生命の存続の可能性のない患者という状況を、自身に当てはめ想像することは簡単なことではない。とりあえず健康であるということは、この数ヶ月、これから数年間は生きている自分という想定と共に日々を過ごしていることを意味しているはずだ。死の現実的可能性に直面すること、それも近い将来に苦痛を伴う形で実現するという可能性に直面する自分の姿を想定することは簡単なことではないのである。

 健康人に、当事者としての患者の心理状態を想像することは出来ないし、そのような健康人が当事者としての患者の欲求を、自分を高みにおいて批判することはあまりに無責任な話であろう。

 

 そのことを確認した上で、患者(レシピエント)と臓器提供者(ドナー)との関係性を考えてみたい。

 

 脳死状態に陥る他者の出現のみが、自らの生存の可能性を現実化するという状況。それが患者の置かれてしまう状況である。

 自らの生存のために、他者の死(脳死)を望む状況だ。自分が生き続けるために、どこかの誰かの死を願うという状況なのである。

 純粋に、「利己的」な状況と言うことが出来るだろう。自分が願わぬ自身の死と交換に、他者の死(他者も自身の死など望まぬはずであろうに)を願うという状況だ。

 患者が幼児である場合、どこかの幼児の死を願うのは、患者である幼児自身ではなくその家族=両親であろう。自らの愛する子供の生の存続への希望は、どこかの誰かの愛する子供の死への期待の上にのみ成り立つものなのである。そこにあるのは、実に純粋な利己的な心情であろう。

 

 一方で、脳死状態に直面した幼児の家族に要求されるのは、長期脳死状態をもたらすかも知れぬ医療の継続ではなく、脳死を自らの愛する子供の死として受け入れ、どこかの誰かの愛する子供のための臓器提供に同意することとなるわけである。ここでは、自らの愛する子供の延命治療の継続を求めることは否定されるべき利己的な行為として評価され、一方的な利他性のみが要求されることになるだろう。

 

 

 「臓器移植法改正案」及びその「修正案」が生み出すのは、このような構図の中に追い込まれる、現行法より多くの患者であり家族の姿である。レシピエントの側も、ドナーとされる側も、患者も家族も共に、このような倫理的困難の中に追い込まれて行くことになるのである。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/06 23:09 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109310

 

 

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2009年7月 4日 (土)

老眼と自己決定 (17) 脳死を生きる 10

 

 2009年6月18日に衆議院本会議で可決された「臓器移植法改正案(いわゆるA案)」は、

  脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

というものであった。現行法からの変更点は、

1) 脳死を一律に人の死とする
2) 本人の意思が明らかでない場合、家族の同意のみで臓器提供を可能とする
3) 臓器提供者への年齢制限を撤廃する

の3点となる。それぞれに現行法では、

1) 脳死状態に陥った際の臓器提供への本人の事前の意思表示が明らかである場合にのみ、脳死を本人の死とする
2) 本人の事前の意思表示に加え、家族の同意を得て、臓器提供を可能とする
3) 15歳以下の臓器提供は禁止する

ということになる。

 現行法を支えているのは、自己決定権の尊重という理念であろう。

 1)及び 2)は、脳死状態での臓器提供に関する本人の事前の明確な意思表明の存在を前提とし、その意思の尊重という形式で、脳死を本人の死とし、脳死状態の身体からの臓器提供を可能としているわけである。

 3)は、自己決定の責任能力という観点から、15歳以下を脳死臓器提供者から除外していることになる。

 それに対し、改正案の 1)は、法的な「死」の定義そのものを、心臓死から脳死へと変更しようとするものである。法的であるということは、社会的合意としての死の定義の変更であることを意味する。これは、現行法では、死の時点が自己決定の対象とされていることも意味するわけだ。

 改正案の 2)は、現行法では本人の積極的な事前の意思表示の存在を臓器提供の要件としていたのに対し、本人の事前の意思が不明であっても家族の同意のみで臓器提供を可能にするものである。つまり、改正案では、本人の自己決定権の尊重という理念が著しく後退していることを示している。

 改正案の 3)は、自己決定能力の存在を問わずに臓器提供が可能にされているということを意味するものだ。

 

 

 参議院に議論の場が移された現実の国会では、民主、共産、社民、国民新各党などの(野党)有志議員が「子ども脳死臨調設置法案」を既に提出しているのに加え、

 

 自民党の参院有志議員は2日、衆院を通過した臓器移植法改正案のA案の修正案を来週にも参院に提出することを決めた。

 脳死を「人の死」としている点を改め、現行と同じく臓器提供時に限って人の死とする内容だ。

 修正を検討しているのは、自民党の古川俊治参院議員ら。A案は衆院で可決されたものの、脳死を人の死とすることには依然、慎重意見が根強いと見て、修正により支持を広げる考えだ。子どもへの臓器移植を可能にするため、臓器提供の年齢制限を撤廃する規定は維持する。野党にも賛同者を広げ、早ければ7日にも参院に提出したい考えだ。
 (読売新聞 2009年7月2日 20時25分 → http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090702-OYT1T00828.htm

 

と報道されている。

 参院自民有志修正案は、脳死を一律に人の死とするという、衆院での改正案(A案)を後退させるものとなっている。その点では、本人の自己決定権の尊重という現行法の理念に立ち戻っているように見えるが、2)と 3)では衆院の改正案が維持されており、実質的には、自己決定権の尊重という論理は放棄されているのである。

 野党有志議員による「子ども脳死臨調設置法案」について言えば、その背景には、これまでも繰り返し言及して来た、長期脳死者の存在がある。その意味で、必要な手続きであると言えよう。

 自民党議員による修正案の方は、一律に脳死を人の死としてしまうことについて、社会的合意が獲得されていないという現状認識が生み出したものだろう。その意味では、社会の現状への配慮として評価出来るようにも見えるが、実質的には、「A案」の根幹は維持されているのである。

 要するに、参院自民有志修正案では、1)に関しての「自己決定権の尊重」を復活させているように見えるが、脳死状態における臓器提供の決定権を本人ではなく家族にしているのが実態であり、本人の自己決定権への配慮は存在しないに等しい。

 

 

…と、長々と書いて来たが、そもそも、死の時点とは社会的合意にこそ属するものであり、自己決定の対象ではないのである。

 全細胞死の時点をオレの死としてくれ、あるいは53歳の誕生日に死んだことにしてくれ、なんて意思は尊重されることは決してないのである(尊重すれば、法的に処罰されるだけだ)。生体の辿る連続的過程における死の時点は、社会的に定義されるものなのであり、自己決定することは、原理的に不可能なのである。

 その意味で、現行法と参院自民有志修正案における 1)の規定は、本来的な「法」という体系になじむものではない。

 脳死状態の人間を死体として取り扱うことにより、脳死者からの臓器提供を可能にするという目的が生み出した言葉のマジックと考えることが妥当に思えるのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/03 22:40 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108988

 

 

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2009年7月 3日 (金)

老眼と自己決定 (16) 脳死を生きる 9

 

 昨日は、再び、「脳死を人の死とし」てしまうことへの疑念を述べた。

 

 「長期脳死」状態をどのように考えるのか、あるいは「脳死体」が外部刺激に対し示す反応をどのように解釈するのか、といった問題は、現行の臓器移植法成立後に、私たちの視野に入ってきたものであろう。そのような知見が、現在の脳死の定義や脳死判定に対する疑念を呼び起こしてしまうわけだ。

 そこに生まれるのは、脳死者の身体を死体として取り扱ってしまうことへの疑念、ということになる。

 

 

 いずれにせよ、その根底には、脳の機能の廃絶をもって人の死とするという発想が存在する。それは、人という存在、人間という存在の生死の判断を、身体全体の機能の状態からするのではなく、脳の機能状態の判定にのみ依存させることを意味するのである。

 脳という臓器の機能状態が、生死の判断を決定してしまうのである。

 つまり、人が生きていることは、その脳が機能している状態として記述されることになる。

 人生の途上で後天的に起きる脳の機能の喪失。それが脳死なのであり、それを人の死として一般化しようとするのが、衆議院本会議で6月18日に可決された、臓器移植法改正案なのである。

 

 

 

 さて、これまでにも、ナチスの障害者安楽死政策について論じて来た。

 ナチス時代に先立つワイマール期に出版された、法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)では、

 1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
 2)治療不能な知的障害者
 3)瀕死の重傷者
 

の3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定・検討され、2)のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となり、ホッヘは知的障害者への積極的安楽死政策の提言者となったわけである。

 小俣和一郎の言葉を借りれば、

 ホッヘは、精神医学の立場からどのような患者が安楽死の対象となるのか、について詳述している。その際彼は、「精神的に死んだ状態」の有無を最大の引照基準としている(ホッヘによれば治癒不能の精神障害者の大部分がこれに該当する)。そしてこの精神的死の状態を、さらにつぎの二つのグループに分類している。

 第一群 : 脳の老年性変化、いわゆる脳軟化症(麻痺性痴呆)、脳動脈硬化性病変、若年性の痴呆過程(早発痴呆)
 第二群 : 先天性あるいは生後早期に出現する脳疾患(脳の奇形・発育異常にともなう精神薄弱およびてんかん)

 また、ホッヘはこの著作のなかで、のちにナチスによって抹殺されることになる犠牲者を指し示す二つの新語を作り出した。ひとつはこの「精神的死者」、もうひとつは「お荷物」(Ballastexistenz)である。
 (『精神医学とナチズム』 講談社現代新書 1997)

という議論が、ホッヘにより展開されたわけだ。

 

 安楽死の対象として、ビンディングにより指定されたのは、「治療不能な知的障害者」であり、ホッヘによれば、それは彼らが精神的に死んだ状態にある「精神的死者」だからであった。

 

 やがて、ナチスの政権下で、精神障害者に対する安楽死が、実際の政策として実行されることになる。

 精神的に死んだ状態にあると定義された者は、安楽死させられることにより、実際に死んだ者へと変換されるのである。直接的表現を用いれば、そこでは、精神障害者は、国家の政策により、「殺される」のである。

 「治療不能な知的障害者」という、ビンディングにより示された当初の枠組みは簡単に乗り越えられ、広範な精神障害者が安楽死の対象とされ、殺されたのであった。

 

 

 今回の臓器移植法改正案では、脳の機能の廃絶状態と判定された患者は脳死者なのであり、既に死んでいることになる。患者は既に死んでいるのだから、臓器の摘出により死ぬことはない。たとえ臓器摘出時に脳死者が暴れようが、それは既に死体なのだから、臓器摘出は殺人行為ではない。

 脳の機能が廃絶した「精神的死者」は、既に死者そのものなのであり、安楽死させる必要もないわけである。

 

 ナチスの採用した障害者への安楽死というアイディアの論理と、脳死体からの臓器摘出を可能にするためのアイディアを支える用語を混同することは、もちろん、誤りである。

 しかし、そこに親和性を見出すことが出来るのも事実であろう。

 

 脳の機能の喪失状態を、生から死への転換の指標とすることにおいて、その発想は大きく異なるようには思えない。

 

 その発想の妥当性には、まだ議論の余地があるように見えるし、ナチスにおける安楽死対象の拡大は、今回の「改正案」における脳死認定対象の拡大に対応するところがあるようにも思える。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/02 22:36 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108897

 

 

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2009年7月 2日 (木)

老眼と自己決定 (15) 脳死を生きる 8

 

 脳死を人の死とすることにより、脳死状態の人間を死者として取り扱うことが可能となり、死体である脳死者の身体からの臓器の切除・摘出が殺人行為ではない合法的行為であることが保証され、脳死者からの臓器移植が医療行為として社会に受け入れらることを期待する人々の要求は、確かに、満たされるだろう。

 要するに、脳死状態の人間からの臓器の切除・摘出の合法性の確保が、現行の臓器移植法を「改正」し、「脳死を人の死とし」ようとすることの動機なのである。

 それに対し、長期脳死者の存在、「ラザロ徴候群」や、脳死体からの臓器の取り出し時に見られる脳死体の反応等の事例は、脳死状態の人間を死体として取り扱ってしまうことへの疑念を呼び起こすものであった。

 

 私も、池田清彦が書いている、

 執刀している医者たちが一番嫌うのは、脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する場合だ。脳が死んでいるから、その人は苦しんでいないというが、本当かどうかはわからない。脳死者から臓器を取り出すときに脳死者に麻酔をかけなければ、暴れてうまく手術が行えない事実こそは、脳死と言われているものが本当の死ではない証拠のように私には思える。
 (『脳死臓器移植は正しいか』 角川ソフィア文庫 2006)

という、「臓器摘出時の脳死体の反応」とでも呼ぶべき事例を前にして、この「反応」の主体を「死体」と認定することの正当性を素直に受け入れることの難しさに直面してしまう。私の素朴な感覚で言えば、外部からの行為への無反応状態こそが「死体」であることの条件であり、外部からの働きかけへの反応の存在は、反応の主体が「生体」であることを意味するものとして理解されてしまうのである。

 そのような理解からは、脳死状態の人間からの臓器の切除・摘出は、脳死状態の人間への殺人行為そのものとなるだろう。脳死臓器移植「医療」で焦点となっている臓器は心臓なのであり、心臓の摘出が脳死状態の人間(と言うよりすべての人間)に死をもたらすことには議論の余地はないはずだ。

 

 生物の死とは、連続的な過程として記述されるものなのであり、伝統的に受け入れられて来た「心臓死」の時点から「全細胞死」に至るまでにもタイムラグは存在する。そのような意味で、生物の死の時点とは、自然に属する問題ではなく、社会的合意に属する問題なのである。

 池田清彦の著書の事例は、「脳死者」からの臓器摘出の際に「脳死者」が示す反応を、「死体」からの臓器摘出の際に「死体」が示す反応として記述することが正しいのかどうか、「生体」からの臓器摘出の際に「生体」が示す反応と解釈することが誤りであるのかどうかという問題として、一度は考えておくべき必要があるものと思う。医学的・生理学的な検証の必要性が、まだまだ多く残されている事例に見えるのだ。

 

 自分自身が脳死状態に陥り、臓器摘出の瞬間になって苦しい目に遭っても、その時点では遅すぎるのである。実際に既に死んでいるので、そうはならないのかも知れないが、なってしまう可能性を排除出来ないのが現状なのである。

 社会的合意として「脳死を人の死とし」てしまうことは難しいことではないのだろうが、それが、まだ生きている患者からの臓器摘出による殺人の実行への社会的合意とならないという保証はないように思える。

 国会での議論は、あまりに不十分と言わざるをえないのである。

 

 木村敏の言う通り、脳死体からの臓器移植「医療」の実現は、脳死臓器移植以外に健康の維持回復の望みのない患者に、脳死状態の患者=死者の発生への期待を持つことを(結果として)強いるものとなる。既に病魔に追い詰められた患者を、更に他人の死を期待する心理状態へと追い詰めることになるのである。

 その上で、これまで述べた、「脳死を人の死とし」てしまうことへの疑念を考え合わせれば、既に病魔に追い詰められた患者が追い詰められるのは、他者への殺人と交換に獲得出来る自らの健康と表現するしかない、実に追い詰められた状況なのである。

 

 

 人の死の時点、それは社会的合意により判定されるものだ。

 人の死体の利用の適切性の判断も、社会的合意に依存する。

 それが社会的合意であることの意味は、その判定・判断が人類に(あるいは人類を超えて)普遍的で不変のものではなく、ある時代のある文化に限定された(恣意的な)ものだということなのである。

 だからこそ判定・判断基準の変更は可能なのであり、現在の私たちも、その変更の方向性の議論の渦中にあるわけだ。しかし、そこには必要とされるはずの慎重さが見出せない。

 

 現状の議論からは、それが臓器欲しさからの殺人の容認という構図とはならないことへの努力を見出すことは難しいのではないか?

 

 

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いは、まだ続くことになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/01 22:48 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108775

 

 

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2009年6月30日 (火)

老眼と自己決定 (14) 脳死を生きる 7

 

 前回は、

  脳の機能の廃絶

  精神的に死んだ状態

という表現の意味するところを考えてみたわけだ。

 前者は、それをもって対象(患者)を「脳死」と判定し、脳死をもって人の死とする途を拓くものである。

 後者は、それをもって対象(患者)を「生きるに値しない命」と認定し、安楽死の実行への途を拓くものであった。

 前者は、そもそも脳死体からの臓器移植という「医療行為」の実現という目的の前提としてクローズアップされることになった、ある条件化で人間にもたらされる状態である。

 後者は、障害者に対する福祉経費削減という国家経済政策上の要請を満たすという目的の実現の前提としてクローズアップされた、ある条件を生きる人間の様態である。

 前者は、現代の日本でクローズアップされている問題であり、後者はナチス時代のドイツ(もっとも、議論が始まったのはワイマール期の破滅的な経済状況の中であったが)でクローズアップされた問題であった。

 前者では、つまるところ脳死者の「死体」の資源化が目指され、後者では、資源を消費する「精神的に死んだ状態」の人間の廃棄が目指されていたわけである。

 

 

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いを背景に潜ませながら、脳死と脳死体からの臓器移植医療を考え続けている。

 

 前回はナチスドイツにおいて、「精神的に死んだ状態」にあると認定される対象が、政策の具体化と共に拡大していく過程を追ってみた。

 

 現在の日本では、脳死臓器移植の臓器提供者(ドナー)となりうる対象の拡大が図られている(謀られている、と書くべきであろうか?)。

 これまでは、当人が「脳死体」となる以前に、当人により積極的に示された意志の存在が、ドナーとなる(される)ための条件であった。そこには、当人の自己決定権の尊重という理念を見出すことが出来るだろう。現行法を支えているのは、自己決定権の上に存在するドナーという論理である。

 それに対し、現在、議論の対象となっている「臓器移植改正案」では、当人による積極的否定の意思表示が無い限り、家族の同意のみでドナーとする(される)ことになってしまう。当人の自己決定権の尊重という当初の理念は、著しく後退しているのである。

 そこには、ドナー不足により、脳死体からの臓器移植「医療」が普及していないという現行法施行後の日本の現実がある。脳死体からの臓器移植「医療」の推進のためには、脳死体の確保が必要なのである。潜在的脳死体としての日本国民の多くが、自身の自己決定によりドナーとなることを志願しないという現実を前にして、自己決定権の尊重という当初の理念の放棄に至ったのが、脳死体からの臓器移植「医療」推進派の現状、ということになる。

 

 ここでもう一度、ナチスの障害者に対する安楽死政策の歴史を思い起こしてみたい。

 精神障害者へのガス殺の実施は極秘の政策であったのだが、その現状を知った宗教者からの抗議で中止されることになる。その間、1940年1月に開始されたドイツ国内における精神障害者のガス殺は、中止される1941年8月までに7万273名の犠牲者を出すことになった(しかし、それとは別に、薬物注射、計画的な餓死による殺害が実施されており、そちらは続行されるのであるが)。

 ガスによる大量殺害の手法は、ユダヤ人を対象とした絶滅収容所の稼動により、精神障害者の安楽死からユダヤ人の抹殺技術へとシフトし、引き継がれることになる。ユダヤ人に対する、ガス室での大量殺人は、精神障害者安楽死技術の拡大形なのである。

 

 精神障害者の安楽死の目的は、福祉費用削減であり、「精神的に死んだ状態」の人間による資源消費の抑制が目指されていたことは既に説明した。

 それに対し、ユダヤ人を対象にした大量ガス殺人は、死体の資源化という現象をも生み出すものであった。ユダヤ人の死体からの石鹸製造とは、まさに死体の資源化の一例なのである。

 

 

 ここでは、死体を資源として考えること自体を否定しようとは思わない。それは生死観の問題、人間の死体への評価の仕方という文化的問題なのであり、それ自体は別の問題として考えるべきであろう。

 ただ、死体を資源と考えることは、より多くの死体への需要を生み出してしまう可能性をはらむのである。より多くの死体が求められてしまう世界。

 

 「脳死臓器移植法改正案」が、より多くの脳死体を確保するための法改正案であることは、私には否定し難いのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/06/29 22:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108563

 

 

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2009年6月27日 (土)

老眼と自己決定 (13) 脳死を生きる 6

 

 脳死状態の人間を死者として取り扱うことにより、つまり、たとえ心臓が動き身体が温かくとも、人工呼吸器を着けベッドの上に横たわる人物を死体と認定することにより、臓器の切除利用が可能となる。

 つまり、脳の機能の廃絶の判定に基き、まだ心臓が動いている身体からの臓器摘出を可能にするのが、「脳死を人の死とし」てしまう、新たな死の定義なのであった。

 

 「脳死」の定義の特異性は、「心臓死」=人の死とする伝統的な生死観の上ではまだ生きている患者を、既に死んでいるものとみなしてしまうところにある。

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いに関連させれば、人の死を決定するのは社会的合意なのであり、現在の日本社会では、「脳死を人の死とし」てしまうことへの合意形成への試みが、まさに進行中なのである。

 

 

 

 脳の機能の廃絶=死という定式化がここにあるわけだ。つまり、人間が生きていることを、脳が機能している状態として定義するわけである。

 ここで再び、私たちは、あのカール=ビンディング(法学者)とアルフレート=ホッへ(精神医学者)の共著になる『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)を思い出すことになる。

 同書が手元にないので(友人のところへ出張中)、ここでは小俣和一郎『精神医学とナチズム』(講談社現代新書 1997)の同書に関する記述を引用しておくと、

 

 このなかでビンディングは、「正当な基準」(死期が目前に迫っていること、および治癒回復の見込みがないこと、の二点)が満たされさえすれば、(当時の)法的規制はおのずと解除され、安楽死は容認される、との主張を展開している。一方、ホッヘは、精神医学の立場からどのような患者が安楽死の対象となるのか、について詳述している。その際彼は、「精神的に死んだ状態」の有無を最大の引照基準としている(ホッヘによれば治癒不能の精神障害者の大部分がこれに該当する)。そしてこの精神的死の状態を、さらにつぎの二つのグループに分類している。

 第一群 : 脳の老年性変化、いわゆる脳軟化症(麻痺性痴呆)、脳動脈硬化性病変、若年性の痴呆過程(早発痴呆)
 第二群 : 先天性あるいは生後早期に出現する脳疾患(脳の奇形・発育異常にともなう精神薄弱およびてんかん)

 また、ホッヘはこの著作のなかで、のちにナチスによって抹殺されることになる犠牲者を指し示す二つの新語を作り出した。ひとつはこの「精神的死者」、もうひとつは「お荷物」(Ballastexistenz)である。

 この書物がナチ政権の安楽死計画にどの程度の影響を及ぼしたのかについては、今日なおいくつかの議論がある。しかしながらナチスによってのちに好んで使用された「価値なき生命(レーベンスウンヴェルト)」という呼び方は、この書のタイトルに由来している。

 

ということになる。

 ここでホッヘは、「精神的に死んだ状態」の患者を安楽死の対象として主張したわけである。

 現代の脳死論議とは別の話であることも確かではあるが、しかし相似形の問題がそこにあることも否定出来ない。

 

 「脳死を人の死とし」てしまうということは、「精神的に死んだ状態」にある患者を安楽死の対象とするまでもなく、既に死んだものとして取り扱うことを意味してもいるのである。

 

 

 小俣和一郎が言及しているナチ政権の安楽死計画について言えば、1939年8月18日の「遺伝性および先天性重症患児の登録に関する帝国委員会」の極秘通達では、

1、白痴及び蒙古症(とくに盲目または聾を合併している場合)
2、小頭症
3、水頭症(重症ないし進行度の高いもの)
4、すべての奇形、とくに四肢の欠損、重度の頭裂蓋および脊椎裂など
5、リットル病を含む種々の麻痺

という登録すべき障害の条件を示していた。

 1939年9月1日のポーランド侵攻に伴い、ナチス・ドイツはポーランド国内の精神病院入院患者の殺害を実行する。

 ドイツ国内に関しては、9月21日の精神病院施設登録に始まる「精神病院帝国作業委員(RAG)」の活動の一環として、安楽死対象者の判定基準が示されることになる。そこでは、

労働能力の有無
診断名(精神分裂病=統合失調症、てんかん、老年性疾患、梅毒性疾患、精神薄弱、神経疾患の終末状態)
5年以上の入院期間、
犯罪歴の有無、
人種

が鑑定医によって判定され、安楽死対象として選別された患者は安楽死施設に移送され、実際にガス殺の対象となったのである。

 

 「精神的に死んだ状態」と判断され、安楽死の対象とされた患者の範囲の急速な拡大をそこに見ることが出来るだろう。

  

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いかけに立ち戻れば、社会的合意というものの恣意性を、ビンディングとホッヘの著書からナチスの安楽死政策の実行への展開史(その対象の拡大)を追うことで理解しておくことは無駄ではないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/26 22:52 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108259

 

 

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2009年6月26日 (金)

老眼と自己決定 (12) 脳死を生きる 5

 

 生き続ける希望の焦点に他人の死が位置付けられてしまうという状況。

 

 戦場の出来事ではなく、病院のベッドの上での話である。

 

 脳死体からの臓器移植という医療は、病いに苦しむ患者をそのような状況下へと導いてしまう。どこかの誰かの脳死。それが健康の維持回復の条件となるのである。

 

 

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いは、ここでは脳死の決定と関連付けて考えられることになる。

 

 脳死体からの臓器移植医療の出現による、脳死体の臓器利用という局面を抜きにしては、脳死の定義が法的問題として現在のようにクローズアップされることはなかっただろうと思われる。

 

 ここではまず、『ウィキペディア』の記述を利用して、従来の「伝統的」な死と脳死の相違を復習しておこう。

 

古来、人間の死とは何かは自明のことであったため、医学的に厳密に定義することはさほど重要ではなかった。一般に、脳、心臓、肺すべての機能が停止した場合(三兆候説)と考えられており、医師が死亡確認の際に呼吸、脈拍、対光反射の消失を確認することはこれに由来している。順序としては一般に

 肺機能の停止
 心臓機能の停止
 脳機能の停止

という過程を辿ることになる。

しかし医療技術の発達により、脳の機能が完全に廃絶していても(そのため自発呼吸も消失していても)、人工呼吸器により呼吸と循環が保たれた状態が出現することとなった。すなわち、

 脳幹機能の停止
 本来ならば心臓機能が停止する筈だが、人工呼吸器により呼吸が継続される
 心臓機能も維持される

という過程の結果生ずる状態が脳死である。脳死は、心肺機能に致命的な損傷はないが、頭部にのみ(例えば何らかの事故を原因として)強い衝撃を受けた場合やくも膜下出血等の脳の病気が原因で発生することが多い。

本来、脳死に陥った患者は随意運動ができず、何も感じず、近いうちに(あるいは人工呼吸器を外せば)確実に心停止するとされる状態の筈であるが、それを否定するような現象の報告例も多い。また、心臓は動いており、身体も温かい。脳死者の多くは、脊髄反射によって身体を動かすことがある。

脳死という状態は、人工呼吸器が開発・実用化された1950年代頃に現れるようになった。当時は「超昏睡」や「不可逆昏睡」などと呼ばれ、あくまで生きている状態とされていた。

 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%AD%BB

 

 

 要するに、人工呼吸器の出現なしに、脳死状態を人類が経験することはなかっただろう。20世紀の後半になるまで、人類は脳死という死のあり方を経験することはなかったわけだ。現在でも、人工呼吸器のない医療現場には脳死状態は存在しないことになる。

 たとえ人工呼吸器があって、脳死状態が出現しても、目の前の患者の臓器を取り出し移植するという発想がなければ、積極的に(かつ新たに)脳死を人の死とする必要も生じない。これまで通り、心臓死=人の死、とすることで何の問題もないのである。

 心臓死後の「伝統的」な死体からの臓器摘出でも角膜や腎臓などは利用可能であるが、心臓のような臓器は脳死状態の「死体」からの摘出でなければ利用出来ない。心臓死を待っていては遅すぎる、ということになる。

 そこで、脳の機能の廃絶の判定に基き、たとえ心臓が動き身体が温かくとも、人工呼吸器を着けベッドの上に横たわる人物を死体と認定しておくことの必要が生じたわけなのである。

 

 健康状態を喪失し、人工呼吸器を装着した患者を死体として取り扱うことにより、健康状態を喪失し、臓器移植医療以外に健康の維持回復の可能性のない患者の、健康の維持回復への願望を満たすことが出来る。

 それが脳死体からの臓器移植医療の構図なのである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/25 22:55 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108159

 

 

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2009年6月25日 (木)

続々々々々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 4

 

 自殺は人間の権利と言えるのかどうか、という問いを考えることが、そもそもの「老眼と自己決定」シリーズの端緒であった。そして他者の手を借りた自殺としての安楽死、という視点からの考察である。

 

 それらの問題を、

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問い方に集約し、私なりに論じて来た。

 (「老眼と自己決定」~「続々々々々・老眼と自己決定」

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-53f5.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-5574.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e51f.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-3346.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-5c26.html

  → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-f21e.html )

 

 

 

 そして、あらためて、2009年6月18日の衆議院本会議における「脳死臓器移植法改正案」成立を受け、脳死と脳死体からの臓器移植の問題を、

  人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

という問いを念頭に置きながら考える事を始めたわけだ。

 

 

今回採択された「改正案」は、

脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

というものである。

 前回までに、長期脳死者の実際、「ラザロ徴候」の存在、そして臓器摘出時の脳死体の反応といった、現在までに報告されている事例を取り上げることにより、脳死状態及び脳死判定基準への疑念を示して来た。つまり、「脳死を人の死とし」てしまうことへの疑念である。

 特に幼児の長期脳死者の事例は、幼児と成人に対し一律の脳死判定基準を用いることへの疑念を呼び起こすものであり、現行の脳死判定基準の下で「年齢に関係なく臓器提供を可能にする」ことのはらむ危険性を浮かび上がらせるものであった。

 

 いずれにしても、現行の脳死判定による脳死状態の内実には不明の部分が残るのであり、「脳死を人の死とし」てしまうには、まだ時期尚早という感を抱かせる事実であろう。

 

 

 

 ここまでの問題は、脳死及び脳死体からの臓器移植をめぐる技術的側面と言うことも出来る。

 

 さて、これからは、その倫理的とでも言うべき側面を論じて行きたいと思う。

 

 

 脳死体からの臓器移植が現実的話題となり始めたのは、1980年代のことであったように記憶している。少なくとも、私の関心を引く話題となったのは、その年代であったし、手元にある立花隆の『脳死』(中公文庫)の原著の出版年が1986年であるから、「脳死」がジャーナリスティックな話題となったのを1980年代と考えることに、大きな誤りはないであろう。

 

 脳死問題、というより脳死体からの臓器移植の可能性という問題を前にして、私自身、どのように考えるべきなのか思いあぐねている中で、決定的な影響を与えたのは、木村敏氏による論考だった。当時、ある雑誌(誌名の記憶がない)に掲載された文中で木村敏が書いていたのは、

脳死者からの臓器移植による延命の可能性がもたらすのは、移植される側に抱かれることになる脳死者の発生への期待となる

という主旨のことだった。

 要するに、脳死体からの臓器移植以外に延命の手段のない患者(レシピエント)にとり、自らの生存の可能性をもたらすのは、どこかの誰かが脳死者となり臓器提供者(ドナー)となるという事態なのである。つまり、どこかの誰かの脳死という形の死=自分のより長い生存への保障、という図式になる。

 レシピエントは恒常的に、どこかの誰かの脳死への期待の上に病床生活を送ることになる、というのが脳死体からの臓器移植医療がもたらすであろう世界の姿なのである。そこに生まれるのは、他人の死を日常的に期待する状況なのである。

 

 木村敏は、その(少なくとも私にとっては)うれしくない事実を明らかにして見せたのであった。

 

 短期的未来に予測される苦痛の中での確実な死という条件の中で現在を生きる患者にもたらされる希望が、しかし他人の死を通したものであるということなのである。生き続ける希望の焦点に他人の死が位置付けられてしまうのだ。

 脳死体からの臓器移植医療がもたらすのは、既に病魔に追い詰められた人間が他人の死を期待して生きるという、より追い詰められた心理状態なのである。

 

 

 それは望ましい世界のあり方なのだろうか?

 人間の生きるあり方として望ましいものなのであろうか?

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/24 22:21 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/108056

 

 

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2009年6月24日 (水)

続々々々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 3

 

 今回も、

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

という問いかけを背後に潜ませながら、脳死と脳死体からの臓器移植をめぐる問題を考え続けていきたい。

 

 

 

 前回は、医師からの脳死宣告後、心臓死に至るまでに1年9ヶ月を要した有里ちゃんと、「無呼吸テスト」以外の4項目(臨床的にはそれで脳死とされ、脳死宣告の確定のために5項目目として自発呼吸の有無の判定が行われる)では脳死状態と判断されたものの、その8年後の現在も心臓死を迎えることなく「成長」し続けるみづほ君の事例を取り上げた。

 現在の脳死判定基準への疑念を呼び起こすものとして、考えておく必要を感じる。

 

 有里ちゃんの場合は「4歳8カ月で他界するまでの約1年9カ月」、みづほ君の場合は、「1歳のとき、原因不明のけいれんをきっかけに自発呼吸が止まり、脳内の血流も確認できなくなっ」て以来「8年、人工呼吸器をつけて自宅で過ごし、身長は伸び体重も増え」ているわけだが、どちらも成人ではないという共通性もある。ここには、幼児の場合も成人と同様の脳死判定基準で臨むことの是非という問題が浮上している、と言うことも出来る。

 ところが、今回、衆議院本会議で可決された臓器移植法改正案は、

脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする

という内容であり、「脳死を人の死」とするのみならず、「年齢に関係なく臓器提供を可能とする」というところが、現行法との大きな相違点なのである。

 つまり、結果として、幼児にも一律に現行の脳死判定基準が適用されることになってしまうのだ。

 ということは、有里ちゃんは死体として1年9ヶ月を過ごしたことを意味する。

 私は、有里ちゃんの1年9ヶ月を死体としての日々としてではなく、生ある日々として捉えることが大事だと思う。

 成人にも幼児にも一律な脳死判定基準を適用することは考え直すべきだろう。

 しかし、問題は、幼児を対象とした脳死判定だけではないのである。

 

 「ラザロ徴候」と呼ばれる脳死体が示す反応が報告されているのだ。たとえば『ウィキペディア』によれば、

ラザロ徴候(Lazarus sign)
1984年に米国の脳神経学者A・H・ロッパーによって5例が報告された。ラザロ徴候とは脳死の人が呼吸器を外した時に手足を動かすこと。脳死患者が医師の目の前で、突如両手を持ち上げ、胸の前に合わせて祈るような動作をする。動作後は自分で手を元の位置に戻す。同様の現象はその後各国で多数確認され、日本でも医学誌に症例報告がある。動作のビデオも収録されている。ロッパーは「脊髄自動反射」と理解するが、疑問視する声もある。脳死患者を家族に見せないようにすべきとロッパーは書いている。
 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%AD%BB

という状況が確認されているというのである。

 「脊髄自動反射」という解釈は、脳死臓器移植推進には親和性があるが、現在の脳死判定基準による脳死の判断、そして脳死を人の死とすることの妥当性への疑念を払拭するものではない。ラザロ徴候の存在は、「脳死」と呼ばれる状態に関し、より慎重な対応が必要とされていることを示すものではないだろうか。

 

 また、池田清彦は、

 執刀している医者たちが一番嫌うのは、脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する場合だ。脳が死んでいるから、その人は苦しんでいないというが、本当かどうかはわからない。脳死者から臓器を取り出すときに脳死者に麻酔をかけなければ、暴れてうまく手術が行えない事実こそは、脳死と言われているものが本当の死ではない証拠のように私には思える。

 (『脳死臓器移植は正しいか』 角川ソフィア文庫 2006)

と書いている。積極的な脳死臓器移植反対者である池田清彦の著書の記述であることは確かだが、しかし、「脳死者から臓器を摘出するときに、苦しがってバタバタ暴れているようにしか見えない行動が出現する」事例があることもまた確かなことだと考える必要は残る。

 

 

 

 要するに、脳死状態を人の死とすることに関しては、まだ様々な問題が残されているのが現状なのである。

 「脳死体」はまだ死体と呼ぶべき状態になく、脳死臓器移植が実は殺人行為であるという可能性は、完全に払拭出来ていないのではないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/23 22:41 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107981

 

 

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2009年6月23日 (火)

続々々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 2

 

   人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

 

 
 2009年6月18日に衆議院本会議における採決で、臓器移植法改正案(提出されていた4案の内の「A案」)が可決された。

 「脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする」という内容の改正法案(A案)が、430人の投票中、賛成263人、反対167人で可決されたわけだ。

 

 

 脳死を人の死とすることは、前回に書いたように、脳死体からの臓器移植をより容易にするという目的がなければ、意味を持たない事項である。

 

 死とは、生物が必ず迎えなければならない事態であることは確かなのだが、生きている状態から死への移行は連続的変化であり、生体の「死」をその連続的過程のどの時点とするのかは、生物学上の問題ではなく社会的合意の問題なのである。たとえば、脳死→心臓死→全細胞死という段階のどの時点を生体の死とするのかは、社会的合意に属する問題であり、生物学に出来ることは、それぞれの段階の判定作業に過ぎないのである。

 

 脳死を死とすることは、そこに心臓死、そして全細胞死に至る、時間の近接した不可逆的過程を仮定するからなのだが、しかし、実際には、その仮定に疑問が付されつつあるのも、1997年の「臓器の移植に関する法律」成立後の現実である。

 

 

 

 臓器移植法改正でA案が衆院で可決されたことについて、反対する遺族や市民団体が18日午後、衆院議員会館で記者会見し、「脳死を一律に人の死としないで」などと訴え、参院での慎重な議論や廃案を求めた。
 「わたしは死体と寄り添っていたの?」。中村暁美さん(45)は本会議場で、長女有里ちゃんの写真を忍ばせ見守った。有里ちゃんは3年半前、原因不明の急性脳症に襲われ、医師から「脳死」を宣告された。しかし、「温かい体があり、成長する体がある」と、2007年9月に4歳8カ月で他界するまでの約1年9カ月にわたり付き添った。
 「心臓が動かなくなり、体が冷たくなって初めて家族は今旅立ったんだと感じた。脳死は死の宣告ではなかった」と語った。
 議員にも実体験を通じて理解を求めたが、「直前まで『迷っている』と言っていた議員が堂々とA案に投じていた」といい、「むなしさがこみ上げてきた。この瞬間から娘は無になってしまうのか」と涙ぐんだ。 
 ( 時事通信 2009年6月18日 18時38分 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090618-00000127-jij-soci

 
 
 脳死を人の死とし、15歳未満の臓器提供に道を開く臓器移植法改正案が18日、衆院で可決された。「A案が成立すると、うちの子どものような生き方が認められなくなるのではないか」。長男みづほ君(9)が「長期脳死」の女性=関東在住=は、A案の大差での可決を知り、肩を落とした。
 みづほ君は00年、1歳のとき、原因不明のけいれんをきっかけに自発呼吸が止まり、脳内の血流も確認できなくなった。旧厚生省研究班がまとめた小児脳死判定基準の5項目のうち、人工呼吸器を外して自発呼吸がないことを確かめる「無呼吸テスト」以外はすべて満たした。それから8年、人工呼吸器をつけて自宅で過ごし、身長は伸び体重も増えた。
 「今後も移植が必要な人は、どんどん増えるだろう。さらに臓器が足りなくなれば、死の線引きが変わり、私たちの方へ近寄ってくるかもしれない」と不安を口にする。
 みづほ君は、この1年、状態は安定している。女性は「この子は『延命』しているのではない。こういう『生き方』をしている。参院の審議と判断に期待したい」と話した。

 (毎日新聞 2009年6月18日 22時01分 → http://mainichi.jp/select/science/news/20090619k0000m040100000c.html

 

 

 

 現在の脳死判定基準では、(1)深昏睡 (2)瞳孔固定 (3) 脳幹反射の消失 (4)平坦脳波 (5)自発呼吸の消失の5項目についての医師の判定により、脳死状態が確定することになる。これまでは、脳死判定から心臓死までの所要時間は1週間ほどであり、それが不可逆的過程であるとの想定の上に、脳死=死とすることの根拠があったことになる。

 しかし、有里ちゃんやみづほ君の例は、その想定に疑問符をつけるものであるだろう。

 みづほ君の場合、自発呼吸の消失の判定はされていないわけだが、その判定の結果、その時点で容態の変化がもたらされ、現在までの8年間の「身長は伸び体重も増え」るような「成長」はなかった可能性が高い。脳死判定自体が、死の直接的原因となりうるわけである。

 有里ちゃんの場合の判定の実際は不明だが、記事による限り、医師による脳死宣告後の1年9ヶ月に及ぶ期間、心臓死に至ることなく、家族と共にあったのである。記事にある、「わたしは死体と寄り添っていたの?」という母親の問いかけは、私たちにも共有出来るはずである。有里ちゃんの1年9ヶ月間は、生きている時間ではなかったということでよいのだろうか?彼女は死体として、1年9ヶ月間を家族と過ごしたのだろうか?

 

 少なくとも、現在の脳死判定基準は、「死」を定義する上での説得力が、十分なものとなり得ていないのではないだろうか?

 

 その問題が問われることがまったくないままに、改正案の採決が行われてしまったことは、実に驚くべきことであったと、私は思う。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/22 22:33 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107899

 

 

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2009年6月19日 (金)

続々々々々々々・老眼と自己決定 脳死を生きる 1

 

   人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

 

という話を久しぶりに考えてみたい。

(これまでの論考は、「老眼と自己決定」シリーズ・カテゴリー「安楽死と自殺(生きるに値しない命)」 → http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/cat36731516/index.html 参照)

 

 

 衆議院本会議での、「臓器移植法改正案」採決を見ながら、かつての問いを思い出したわけだ。

 

 

 今日の午後、臓器移植法改正案として提出されていた4案のうち、「A案」と呼ばれた提案が、賛成多数で可決されてしまった。

 要約すれば、

脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする(A案)

臓器提供が可能な年齢を現行の「15歳以上」から「12歳以上」に引き下げる(B案)

脳死の定義を現行より厳しくする(C案)

虐待などがないと確認したうえで家族の同意があれば15歳未満からの臓器提供を可能とする(D案)
 (毎日新聞 2009年6月17日 19時08分 → http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090618k0000m010028000c.html

という中の、「脳死を人の死とし、本人の拒否の意思表示がなければ家族の同意で年齢に関係なく臓器提供を可能とする」法案が、430人が投票し、賛成263人、反対167人で可決という結果となったわけだ。

  

 要するに、法的な「人の死」は、国会で決定されるということである。このまま改正案が成立すれば、脳死の時点で、人は生者から死者にされることになる。

 もちろん、変更されるのは法的な死の定義であり、脳死の判定自体は現場の医師の手に委ねられているわけではある。

 

 この変更の試みは、脳死体からの臓器移植を、より容易なものとするためのものであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 実際問題として、高度先進医療に与ることの出来ない地域では、「脳死を人の死とする」かどうかの議論は無意味である。

 つまり、「脳死を人の死とする」かどうかという問題は、人類にとって新しい問題なのであり、伝統的な生死観との整合性が問われざるを得ないものとなるのである。

  

 にもかかわらず、今回の衆院本会議における改正案採決に際し、尽くされるべき審議が存在しないのみならず、先立つ衆院厚労委員会の審議時間も9時間に過ぎないものであった。新聞報道を引用すれば、

厚労委では、この日も含め2日間、計約9時間にわたって審議が行われた。採決に代わって14人の委員が行った意見表明では、「A案」「D案」を支持する声が多く聞かれた。一方で「国民的議論がまとまるまで採決は延長すべきだ」と指摘する声も根強く聞かれた。4案の共倒れを懸念する声もあった。
 (産経新聞 2009年6月6日 7時57分 → http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090606-00000118-san-pol

という状態なのだ。

臓器移植法改正の4案の審議が5日、衆院厚労委員会で終了した。委員会採決はせず、4案すべてが本会議に上程され、再来週に採決される。

 (産経新聞 同記事)

という、「再来週に採決」という予定が、まさに本日の本会議での出来事として実現してしまったのである。

 

 

 議論なき決定が国会の常態であるにせよ、この少ない審議時間には問題を感じざるを得ない。

 しかも、保守与党所属の政治家が、伝統的生死観への配慮を断ち切った「A案」への賛成の多数を占めていたのである。驚いた話だ。

 ほとんどの政党が、党議拘束をかけずに、議員個人の意思を尊重したことだけは評価に値するにせよ、審議時間がないということは、その意思決定に至る思慮の深まりが存在しないということをも意味するのである。

 

 死生観という、文化の根幹にかかわる問題が問われていたという自覚があるようには見えないのである。

 

 

 人の身の上に起る死は、誰かが判定しなければならず、それを周囲が受け入れることが必要なわけだが、「脳死を人の死」としてしまうような死の定義の変更を、この国の人々は本当に受け入れることが出来るのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/18 23:11 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/107508

 

 

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2009年2月14日 (土)

続々々々々々・老眼と自己決定

 

人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

 

 

…という話題に、久しぶり、立ち戻る。

 

 

 

 「続々々々・老眼と自己決定」では、自殺をめぐり、

 

自殺とは、自身の生命を、自身の決定により処分可能であるという事実の上に成立する。ここにも、可能であるのかどうかと、それを権利として主張出来るのかどうかという、異なる二つの側面がある。

生命の処分権は誰のものなのか?

 

という問い方をしてみた。

 

 その上で、

 

一般的な文脈において、自己の権利として処分し得る対象は、自身の所有物として想定されているものだろう。当人の所有物に関しては、当人に処分権が属すると考えるのが、私達の生きる現代社会である。

 

という視点を設定し、その検討の後に、

 

…つまり、自身の生命は自身の所有物とは言えない。

…つまり、自身の生命の処分を自身の権利として主張することは不適切である。

 

と結論付けた。

 

 

 この論点について、今回は別の観点から論じてみたい。

 

 

 

 生命の処分権は誰のものなのか?と考えた時に、処分の対象と成り得るものと、その処分の決定権者の関係について、再度、ここでは考えてみたいのである。

 

 処分の対象物に対し、処分権保有者が処分の実行をした際に生ずる変化に着目しよう。

 処分=破棄と考えた場合、処分実行後には処分対象は破棄され、その存在を失う。しかし、処分権保有者=処分実行者の存在はそのまま残る。

 そこに、所有関係に基づく「処分」を特徴付ける性格を見出すことが出来るだろう。所有物の処分後にも、その所有者の存在自体は、そこにそのまま残るのである。もちろん、そこに残されるのは、かつての所有者としてという意味における存在であり、既に破棄された物件の所有者ではないのであるが、その人物の生命は維持されているのである。

 

 それに対し、「自殺=自身の生命の処分・破棄」と考えてみよう。自分の生命が自身の所有物であるならば、その処分・破棄後にも、自分自身が生き続けている必要がある。もちろん、自殺の意味するのは、自身の生命の抹消であり、処分実行後には、自身の生命の所有者であったはずの自分自身の存在は失われてしまうことになる。

 つまり、結論として、自分自身の生命に関し、それを自身の所有対象として考え、自分自身にその処分権が属すると考えることは誤りである、という認識が導き出されるだろう。

 

 

 

 自殺は行為として可能であるが、やはり、それを当人の「権利」として主張し得るような性格のものとして考えることは妥当ではない。

 

 

 

 

 しかし…

 自身にとっての耐え難い苦痛が存在し、その上で、自身の生の存続を望まぬこと。

 それが自殺の理由であり、安楽死(「尊厳死」と呼ぶにせよ)を望む理由として考えられている事態であろう。その当人に対し、苦痛ある生の存続を強要する権利を持つ者の存在を、私は、想定出来ない。

 

 

 

人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

生命の処分権は誰のものなのか?

 

 

 

 もう少し、考え続けてみたい。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/02/14 23:40→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/95153

 

 

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2009年2月 4日 (水)

続々々々々・老眼と自己決定

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 
 

…という問いを重ねて、ついにタイトルに「続々々々々」と「々」が4つも並ぶところまで来てしまった。

 しかし、まだ考えておくべきことはある。

 
 

 自殺、あるいは安楽死の実行を求めることに、「権利」という語を用いることの妥当性について、昨日は考えた。

 自らの意思で、自らの命を断つこと。自らの手で実行出来れば、それは自殺であるし、他者の手助け無しに実行し得ないのが安楽死である。

 そこに「権利」という語を用いることに関しての違和感と、その根底にあるであろう論理について、昨日は論じてみたわけだ。

 
 

 自殺も安楽死も、自らに対する殺人という意味を帯びてしまう行為であることを否定出来ないが、しかし、他者に対する殺人行為とは大きく異なる側面もある。殺人の対象となる他者は、その行為の被害者であり、実行者は加害者である。自殺の場合は、自らの意思に基づく自らに対する殺人行為であり、そこに被害と加害という関係性は生じ得ない。安楽死の場合も、その実行役としての他者が加害者として、安楽死の実行を希望した当人からみなされることはない。

 殺人と呼ぶことの出来る行為がそこに存在することは確かであるが、しかし、その場所には、一般的な意味において、被害者も加害者も存在しないのである。

 まずそのことを確認しておきたい。

 

 

 さて、その上で、自殺あるいは安楽死の「権利」についての考察を思い出してみよう。「権利」という語を使用して、もう一度問題を見つめておこうと思う。

 

 

 自らの意思で死を選択ようとする人物に対し、その死を禁ずる「権利」を持つ者は存在するのであろうか?

 自ら選択する死は、当人の自由な意思による選択として、尊重されるべきものではないのだろうか?

…という問いが生まれて来てしまうのである。

 
 

 苦痛でしかないと当人には思われる人生の継続を望まぬという、当人による決断を前にして、その決断を禁じ、あるいは阻止する権利は存在するのだろうか?

 
 
 

 一昨日の日記で、その夜の『クローズアップ現代』の話題を取り上げた。

 将来的な安楽死の実行(番組中では「安楽死」という語の使用は慎重に避けられていたように思うが)を希望するALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の男性である照川氏の意思に関し、

 

  照川氏の選択に対し、言葉はない。

 

  もう一度繰り返すが、照川氏の選択自体を非難する理由は、私にはない。

 

と、私は書いた。

 その背後には、先に示した問題があるのだ。自由意志による当人の選択に対し、当人自身による当人自身の人生に関する選択に対し、他人であるに過ぎない私が介入する権利などないだろう。

 
 

 しかし、現実問題として、身近な人間(多分、身近な人物でなくとも)が自殺を志そうとする場に立ち会ってしまったら、私には決してその背中を押すことは出来ないようにも思う。

 あなたが自らの意思で死ぬことは、あなたの自由に属するのかも知れないし、それを阻止する権利は私にはないのかも知れない。しかし、それならば、あなたの死を望まぬ者の存在を無視して自らの死を選択することは、決してあなたの権利ではないことの自覚を求めることも私の自由に属する事柄であろうし、あなたの自殺を阻止するのもまた私の自由に属する行為であろう。

…ということを考えてしまったりもする。

 
 
 
 
 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 
 
 
 
 

(オリジナルは、投稿日時:2009/02/04 20:11→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/94020

 

 

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2009年2月 3日 (火)

続々々々・老眼と自己決定

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

…という問いかけに答えること。

 

 昨日も書いたが、最優先されるべきは、当人の意思だろう。

 自分の死を自分で決定するとはどのようなことなのか?

 生物としての人間の身の上について考えれば、災害死・事故死という偶発的ケースを除外し、重篤な感染症や様々な進行性の疾患を免れることが出来たとしても、身体の老化の果てに、死は必ず向こうから訪れて来るものだ。何人も、最終的な死を免れることは出来ない。

 自身の決定により、最後に訪れる死を左右することは出来ないのである。

 つまり、自身の決定の対象となり得る死とは、生物的あるいは生理学的な過程の果ての肉体の死ではない。事故死・災害死、そして疾病による自ら望まぬ死もまた、自身による選択的決定の対象とは言えないだろう。

 事故死・災害死は、外部から強要される死であろうし、老化の果ての死は、内部崩壊の結果である。疾病による死は、両者の中間にあると言えるだろうか。そのいずれもが、自らの決定によらぬ死であることにおいては同列のものである。

 自身の決定の対象となる死とは、生物としての肉体として避けられぬ死ではなく、生物としての肉体に生の継続の可能性があるにもかかわらず、自ら選び取る死なのである。

 自殺、自死と呼ばれる死こそが、自身の決定の対象となり得る、自らの身の上に起きる死、自らの身の上に自ら起す死なのである。

 自殺という選択は、死を対象化する能力を抜きには存在し得ない。その意味で、大変に「人間的」な能力の上にのみ実現可能な、大変に「人間的」な選択だと言うことも出来るだろう。

 人間であるからこそ、自殺は可能なのである。

 

 人は望めば自殺をすることが出来るのだ。その意味で、自殺は自己決定の問題である。当人の意思に基づく自己決定は尊重されるべきだろう。

 しかし、ここで考えなくてはならないのは、当人の意思の尊重の重要性であると共に、その自殺への自己決定は、他者に対し自らの権利として主張されるべき性格のものであるのかどうか、ということだ。

 自らの生命を自己の意思でストップすること、つまり自らの意思で自らを殺害することは、「権利」として主張されるべき性格の行為なのだろうか?

 自身に対する殺人は、自身の権利であるのだろうか?

…つまり、自殺をめぐる自己決定権の主張とは、自身に対する殺人の権利の主張なのである、と考えることに論理的錯誤は存在するのであろうか?

…つまり、人は殺人の権利を、権利として主張出来るものなのだろうか?

…という問いかけをし、考えることに、私は意味を見出してしまうわけだ。

 

 さて、次に、異なる視点から、事態を見ておくことにしよう。

 自殺とは、自身の生命を、自身の決定により処分可能であるという事実の上に成立する。ここにも、可能であるのかどうかと、それを権利として主張出来るのかどうかという、異なる二つの側面がある。

 生命の処分権は誰のものなのか?

 一般的な文脈において、自己の権利として処分し得る対象は、自身の所有物として想定されているものだろう。当人の所有物に関しては、当人に処分権が属すると考えるのが、私達の生きる現代社会である。

 だとすれば、自身の生命は自身の所有物であるのかどうか?という問いが、ここに浮上して来るのである。

 所有物となり得るのは、自身の労働の成果、金銭による購入物、他者からの譲渡物、そして相続物件、ということになるであろうか?

 自身の生命は、自身の労働の結果の獲得物ではないし、購入物でも譲渡により得たものでもない。相続物件という主張が出来そうにも思えるが、相続対象と成り得る物件の元を辿れば、これも先行世代の労働・売買・譲渡による獲得物なのである。生命と呼ばれる現象を相続物件とみなすことは妥当ではない。

…つまり、自身の生命は自身の所有物とは言えない。

…つまり、自身の生命の処分を自身の権利として主張することは不適切である。

 

 

 人間にとって、他者の殺害であれ、自己の殺害であれ、行為としては可能なものである。

 しかし、それは、権利という範疇で論じられるべき性格の問題ではない。

 そのように考えるわけだ。

 

 「安楽死」もまた、自殺の延長として考えることが可能な行為である。

 自殺は個人の行為として実現可能なものであるが、安楽死は、その実行に他者の手を必要とする。安楽死は、社会的な場においてしか実現出来ないという制約の下にあるということだ。自殺の延長であると共に、自殺との相違も大きい行為として考えることも必要なのである。

 自殺が権利という範疇で論じられるべき問題でないのだとすれば、安楽死もまた権利という範疇の問題ではないだろう。

 どのような文脈で語ることで、社会的に可能な事態として認め得る地点に到達出来るのだろうか?

 安楽死の実行に関与するということは、他者の殺害に関与することでもあるのだ。

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 まだ問いを続けなければならない。

 
 
 

 

 
(オリジナルは、投稿日時:2009/02/03 19:03→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93904

 

 

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2009年2月 2日 (月)

続々々・老眼と自己決定

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

…というテーマ。軽い話ではない。

 そんな話を続けて、今日で4回目である。

 

 

 今夜の『クローズアップ現代』のテーマは、まさにその問題であった。

 意思の疎通が不可能になった時点での、人工呼吸器の取り外しを求めるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の男性の話である。

 筋萎縮性側索硬化症は、文字通り、筋肉の機能が停止することにより、生命の維持が困難になる難病である。肺による呼吸も、食物の咀嚼摂取も、筋肉の働きによるものだ。もちろん、歩くことを含めて、私達が通常、運動として理解している能力は失われてしまう。寝返りも打てないのである。

 かつては、呼吸器の筋肉の停止が、患者に死をもたらしていた。現在では、人工呼吸器の使用により、肺の筋肉の機能が失われても、生き続けることが可能となった。

 

 番組に登場した男性患者、照川氏は20年以上の病歴を持つ方だ。

 通常の会話能力は失われているが(と簡単に書いてしまっているが、声を出さずに他人とコミュニケーションすることの困難をどこまで想像出来るだろうか?)、頬の筋肉の動きを利用し、周囲に伝えたいことはパソコンに入力することが出来る。つまり、そのことにより意思の伝達が可能になっているのである。

 照川氏は、その能力が失われた時点で、つまり周囲に対する自らの意思伝達能力が失われた時点での呼吸器の取り外しを、病院に求めたのである。

 意思伝達能力の喪失と共に、彼の恐れているのは、瞼の筋肉の機能停止により視覚を失うことである。暗闇と化した世界の中で、身動きすることが出来ず、意思の伝達も出来ない自分の姿。照川氏は、その状態での生の存続を望まない。

 病院の倫理委員会は、一年にわたる議論の後に、彼の求めに応じる報告書を提出する。しかし、病院長は、刑事訴追の可能性を指摘し(番組内では、それが明示的な表現であったかどうかは記憶にないが)、実現には消極的である。

 

 

…というのが、現在の照川氏を取り巻く状況だ。

 

 

 さて、どのように考えるべきか? 

…とは私の考えるべきことではない。私に書けるのは、どのように考えるべきかではなく、私はどのように考えるか、それだけだ。

 

 

 まず、人の生死については、最優先されるべきは当事者本人の意思であると思っている。他人が、当人を差し置いて、口を出し・指図すべき問題ではないと考えている、ということだ。

 特に照川氏の場合、ALSの病歴20年の積極的な闘病人生の後の、現在の心情である。その20年という時間は、私の想像力の殆ど及ばぬ場所にある。

 照川氏の選択に対し、言葉はない。

 

 

 その上で、人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか? この視点から、私が何を考えたのか、それを記しておきたい。

 

 病院長の対応を、不適切なものと考えることは私には出来ない。法的なシステムの下に生きるのが、現代の人間の条件である。

 照川氏の希望の実現には、制度的な対応が不可欠と考えざるを得ない。医師や家族による、恣意的な、安楽死という名目の殺人行為が可能となるような条件は、事前に、制度的に、取り除かれねばならないのだ。

 しかし、制度化は両刃の剣である。患者自身、家族、そして医師、更に周囲の社会に対し、難病患者に対する医療継続の打ち切りを促す契機として機能しかねないのである。早期の安楽死実行の決断を求める圧力として機能する可能性は十分にあると考えておくべきだろう。

 難病患者への救いとして想定されていることは確かだが、難病患者の社会からの(世界からの)排除として帰結してしまう可能性も否定出来ないのである。

 問題の書物、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)での主張の帰結は、不健康な者の排除(ガス殺の対象となったのである)を制度化した、アドルフ・ヒトラー氏のユートピアであるナチスドイツの国家政策として現実化したのである。

 同書で、共著者の一人カール=ビンディングは、安楽死の対象として、

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者

の3つの事例を提示していたのであるが、その3事例の共通項は「治療不能状態」なのである。

 ナチスドイツは、治療不能な精神障害者に対するガス殺の実行を制度化してしまった。7万人以上が殺害されたと言われている。

 

 照川氏の願いが、ナチスドイツに直結しているなどど言うのではない。

 しかし、歴史的経験を想像力の内に持ち続けることは、少しは役に立つものだ。

 照川氏の願いの制度化を試みようとするならば、そして難病患者の社会的排除としての帰結を希望しないならば、そのような過去の歴史的経験を見据えておくことが必要だ。

 

 その上で、意思の伝達手段の喪失を理由に、安楽死を認めることは、意思の伝達手段を持たない、それどころか意思の存在すら疑問に付されてしまうような重度心身障害者の生の存続に、消極的な態度を社会にもたらすことにつながる可能性をも秘めているのである。

 重度心身障害者の社会からの(世界からの)積極的排除として帰結してしまう可能性がある、ということだ。

 現在の日本のマジョリティーの現実は、そのような危惧にリアリティーを感じさせるものでありはしないだろうか?

 

 そしてもう一つ。

 安楽死の権利とは、論理的には自殺の権利である。

 自殺は人間にとって権利なのだろうか?

 ある種の精神障害者にとっての自殺への誘惑は、侮ることが出来ないものだ。医療行為とは、彼らをその誘惑から守り、生の側へとつなぎとめておくことではないのだろうか? 自殺の権利の容認は、そのような努力を無効にしてしまう。

 あくまでも論理上の話ではあるのだが…

 

 もう一度繰り返すが、照川氏の選択自体を非難する理由は、私にはない。

 しかし、照川氏の選択が、結果としてどのように機能してしまう可能性があるのかについては、私は考えておかないわけにはいかない。

 人は社会の中で生きているのである。照川氏自身の個人的選択は尊重されるべきだが、その個人的選択は、同時に社会性を帯びたものとして機能してしまうのだ。そして、この人間に課せられた条件からは、誰も逃れることは出来ないのである。

 

 
 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/02/02 20:52→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93796

 

 

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2009年2月 1日 (日)

続々・老眼と自己決定

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 

 

…という話になってしまっているが、発端は「老眼のカミングアウト」だった。まぁ、論文を書いているわけではないので、話の流れに身を任せるのもアリだと考えることにしよう。

 

 老眼になる(なってしまった)のは、自らの意思の結果ではない。つまり、考え・企み・思いつき・計画し・戦略を立て…といった言葉で表現される私の振る舞いの結果ではない。言い換えれば、私が自発的に老眼になったわけではない。

 しかし、一方で、外部の誰かの強制により、老眼となった私が存在するわけでもない。生体としての私に組み込まれたプログラムが発現した結果の老眼、と言うことも出来るだろう。

 私=意思する私、と考えれば、私の自発性に基づく老眼ではない。

 私=生体としての私、と考えれば、老眼は自発的な生体の老化に伴う自発的な現象として表現され得るものだ。

 既に、「私」として表現される対象が、必ずしも自明のものではないということが理解出来るはずだ。

 文脈により、私=意思する私であったり、私=生体としての私であったりする、というのが実際のところだろうか?

 

 さて、人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 私にとっての死自体も、意思する私の死であるのか、それとも生体としての私の死として想定されるのかによって、見え方が異なるものとなるであろう。

 老化による死は、意思する私の「意思」に反するものであるかも知れないが、生体としての私にとっては「自発的な過程」の最終段階に過ぎない。

 外部から強制される死は、意思する私の意思に反する死であると共に、生体としての私の自発性を無視したところに成立する(成立させられる)死でもある。

 

 

 『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)において、法律家カール=ビンディングは、
 

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者
 

の三つのケースを、安楽死の対象とすることの法学的可能性を問題として提起していた。
 しかし、ビンディング自身の本来の議論は、共著者アルフレート=ホッヘの論点(社会的コスト削減を趣旨とした、政策としての知的障害者への安楽死を提言)とは異なり、「自殺」をめぐる法学的考察であった。

 1)と3)のケースは、まさに「自殺」の延長としての「安楽死」であり、意思する私の意思に基づく、他者の手を借りた自殺としての安楽死である。もちろん、社会的合意の存在という前提があっての話だ。1)および3)のケースの対象とされた当事者も、その社会の成員として、安楽死に関する社会的合意の同意者であるという想定が、安楽死実行の合法性を保障するわけである。

 ビンディングは、自殺行為の違法性(の有無)を法学的に考察したわけだが、その違法性を主張する論拠を見出すことは出来なかった。その結果、安楽死の違法性に関しても、自殺の延長と考えることにより、そこに違法性を見出すことは出来ないと考えていたのであろう。

…「考えていたのであろう」とは実に歯切れの悪い表現ではあるが、手元に本がないので記憶に頼って書いていることの結果とご理解いただきたい。ビンディングやホッヘの思想の祖述・紹介ではなく、提出された論点をより深く考えることが今回の一連の文章の焦点なのである、と書いている当人は考えているわけだ。

 

 さて、ビンディングの提出した三つのケースに戻ろう。

 そこには共通点も存在する。「治療不能」という事態だ。

 医療の目的が、「治癒」に至る「医療行為」であるとすれば、「治療不能」という状態は、「医療行為」の終着点であろう。

 しかし、「医療行為」とは「治癒」という終着点をのみ目指すものであるのだろうか? 「苦痛の緩和」もまた、医療行為の中心を占める行為ではないだろうか? 言い換えれば、生体としての人間に対する、生きているという状態へのサポートこそが、「医療行為」の基底を形成するのだと考えることは出来ないだろうか?

 

 

 これは、法学者ではなく、医師にこそ問われるべき問題なのかも知れないが、しかし、医師であるアルフレート=ホッヘこそが、知的障害者への安楽死の積極的主張者なのであった、というのが『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』と題された出版物により世界に放たれた問題の焦点のようにも思えて来るのである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/02/01 21:49→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93678

 

 

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2009年1月31日 (土)

続・老眼と自己決定

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 言うまでもないことだが、誕生の瞬間から、人は(そして、すべての生き物は)、死という生物としての最終地点への道を辿ることを、その生の歩みの内に組み込まれてしまう。

 生き物であることは、同時に、やがて死に行くものであることを意味するのだ。

 誕生という出来事自体が、当人の意思と関係なく起ってしまう事柄であるのと同様に、死もまた、当人の意思のあり方とは無関係に、向こうからやって来てしまうものだ。

 老眼もまた、やがて死へと至る生の過程のある時点で、当人の意思とは関係なく、向こうからやって来るものだ。

 

 

 しかし、人間の場合、当人による死の決定は可能であるし、生物としての条件とは関係なく社会的に決定されてしまう死を経験させられてしまうという事態も存在する。

 自殺こそは、当人の意思に基づく当人の身の上に起る死であろう。それを、実に人間的な行為と呼ぶことも出来る。死という出来事を対象化した思考の存在を抜きに、自殺という死の形態はありえない。自殺に擬せられる集団的なレミングの死は、個々のレミング自身の自己決定の結果と考えることは出来ないのである。そのような意味合いにおいて、自殺は人間的な、人間ならではの行為として考えられることになる。

 死刑制度に代表される、社会的合意により、対象とされた個人または集団に下される死の決定もまた、人間の身の上にのみ起きる事態であろう。

 

 

 法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(1920)では、

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者
 

の3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定・検討され、2〉のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となり、ホッヘは知的障害者への積極的安楽死政策の提言者となる。

 この書が、「悪名高い」ものとして、後世に取り扱われることになるのは、ナチスによる精神障害者への積極的な安楽死政策としてホッヘの提言が結実し、更にその経験が、ユダヤ人に対するガス殺戮への実行へとつながっているからだ。

 しかし、カール=ビンディングのそもそもの問題意識は、「自殺」を犯罪として取り扱うべきかどうかに関する法学上のものであり、その考察過程で、1)、2)、3)のケースの検討が行われていた、というのがビンディング自身の論文の内容であった。確かに「共著」という形態で出版されたが、ビンディングの論文と、ホッヘの論文では問題意識がまったく異なっているのである。

 ビンディング自身の問題意識の焦点については、死の決定主体と法学上の「殺人行為」との相関を問うものではなかったのか、という理解が私にはある。

 死の決定主体が当人であるものが「自殺」であり、死の決定主体が社会であるものが「安楽死」、ということになるだろう。

 その際、「安楽死」を支えるのは、その前提としての社会的合意の存在である。安楽死の対象とされてしまう当人もまた、その社会の成員として、社会的合意への同意者として取り扱われることにより、当人に対する安楽死の実行が正当化されることになるわけだ。

 そのように考えた時に、

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者
 

という、ビンディングにより想定された「安楽死」の対象の中で、2)の異質性が際立つことになる。

 ここで、治療不能な知的障害者として想定されているのは、社会的合意の外部の存在だからである。当人が「治療不能な知的障害者」と判定される根拠には、社会的合意に関する理解の不能状態と、意思表明能力の欠損が想定されているはずだ。

 ビンディングにより、安楽死の対象とされてしまった「治療不能な知的障害者」のケースは、自殺行為の延長として理解可能な側面がある1)及び3)のケースとは、本質的に異なったものとなっているのである。

 

 

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 この問いをもう一度思い出そう。

 自己決定不能者に対する社会的決定としての殺害は、正当化可能なものなのだろうか?

 そしてもう一つ、自己決定可能な存在であるという想定は、自己への殺害としての自殺の正当化を保障するものであり得るのだろうか?

 

 

 

 

(今回の内容は、先日の日記のコメント欄でのやり取り→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93326から生まれた考察、と考えることが出来る。以前から考えていたことではあるけれど、こうして言葉に出来たのはコメントを書いてくれた友人のお陰である。どうもありがとう)

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/31 20:34→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93553

 

 

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2009年1月29日 (木)

老眼と自己決定

 

 老眼のカミングアウト、ってのは、しかし、どこか悔しいところがあるのかも知れない。

 既に「若い者」ではなくなってしまったことを、当人の意思とは無関係に自覚させられるように仕向けられた感じだ。

 データをプリントアウトしたはいいが、メガネ(もちろん近眼用の)のままじゃ読めない。紐の結び目を解くことが出来ない。CDの中身をチェックしようにも、たとえば、文字が小さ過ぎて録音日時の確認が出来ない。

 様々な瞬間に、老眼の自覚を強要されるのである。

 まぁ、生物としてのヒトという枠組みで考えれば、世界からの引退の時期、ということなのだろう。「人生五十年」というのは、要するに、そういうことなのだろう。

 しかし、人類は、寿命の延長に心を砕いて来たわけだ。公衆衛生や医療、戦争の抑制は、寿命延長の原動力だ。

 その結果、先進諸国では、高齢者の人口比率が高まり、老人の存在が社会問題化している。想定内の出来事なのか、それとも想定外の出来事なのであろうか?

 いずれにしても、私が近代以前のシステム内の住人であれば、既に晩年なのであった。

 老眼とは、近代以前には、晩年入りの徴のようなものだったのかも知れない、なんてことを思ってみたりする。

 もっとも、近代以前の社会でも、老人の存在は知られていた。幸運あるいは強運の下では、喜寿米寿も可能性の内部ではあったのだ。生き延びて老人となることは、誰にでも出来ることではなかったが、達成し老境を生きる経験をする人物が皆無であったわけでもない。

 しかし、それはあくまでも稀有な経験であり、だからこそ祝福される対象ともなり得た。

 誰でも老人であることを経験し得る状況。それこそが現代社会で特徴的なことであろう。

 しかし、同時に、それはありふれた事態に成り下がり、既に祝福の対象ではなくなってしまった。老人であることが、当人にとっても周囲にとっても、あまり祝福されるべき事態ではなくなりつつあるように感じる。

 人生から死を遠ざけること。近現代社会の根底にある基本的な方向性と言うことも出来るだろう。

 もっとも、近代における戦争は、人生において国家のための死を受け入れることを、国民に対し要求するものでもあった。そこでは、自らの意思をもって死に近付き行くことこそが求められていたわけだ。

 それでも、第一次世界大戦および第二次世界大戦の経験は、戦争による死がどのようなものであるかについてのリアルな認識を人類にもたらした、とでも言うべき側面があることを否定することも出来ない。

 特に、ナチスドイツによる、(その対象が、ユダヤ人であれ精神障害者であれ)政策的な「生きるに値しない命」への死刑(厳密には「刑」ではないわけだが)宣告は、他者への死の強要の「権利」の所在への、根底的な疑問を持つことを人類に求めるものとなった。

 他者の死への決定権は、誰のものであるべきなのか? あるいは、誰のものでもないのではないか? という反省的思考が、そこに生じ、人類に共有されるものともなった(もちろん、共有しようとしない人間達の存在もまた無視し得ないものではあるのだが)。

 誰が、死を決定出来るのか?

 本人による決定ならオーケーなのか?

 「自殺」は自己決定として尊重されるべき行為であるのかどうか?

 ナチスドイツにより受容・実践させられることになった、「生きるに値しない命」という発想は、1920年に出版された、法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』と題された書物に遡るものだ。

 そこでは、

  1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
  2)治療不能な知的障害者
  3)瀕死の重傷者
 

の3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定され検討され、2〉のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となっており、特にアルフレート=ホッヘによる考察部分が、ナチスの政策として結実していくのである。

 しかし、カール=ビンディングのそもそもの問題意識は、「自殺」を犯罪として取り扱うべきかどうかに関する、法学上のものであった。死の決定主体と、法学上の「殺人行為」との相関を問うものであった、と言い換えることが出来るかも知れない。

 自己に対する、死の自己決定としての自殺を「殺人」という範疇の行為として記述することに、法学者としてのビンディングは慎重であった。当人の意思に反する死の強要こそが「殺人」の構成要件とまで考えたのかどうかは、現在手元に参照するべき本がないので確言出来ないのだが、そのような問題関心が彼の発想の源にはあったわけだ、ということは思い出しておくに値する。

 人の身の上に起る死は、誰によって決定されるべきものなのか?

 我が身の上に起きた老眼の話題から、はるか遠い地点にまで来てしまったが、老眼が当人の意思を越えた地点での出来事であるように、当人の死もまた当人の意思の内部の出来事ではないのではないか、なんてことを考えているわけだ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/01/29 22:03→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93326

 

 

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2008年12月 7日 (日)

ヒトラーのタバコ

   

  命は大切だから、命を大切にしない人間は死刑にすべきだ

という話。

 このような世界では、

命を大切にすることが義務とされ、

つまり、命を粗末にすることは禁止され、

義務に反し、禁止された行為に至れば処罰(最高刑は死刑?)される、

ということになる。

 実際問題として、禁煙の義務化、喫煙の不法化の背後にあるのは、そのような世界である。あるいはそのような世界を求める行為である。あるいはそのような世界が帰結することに無自覚でありながら、結果としてそのような世界を招いてしまう行為である。

…というようなことを、考えたりするわけだ。

 私自身は、タバコを吸わない。最初から吸わない。

 酒は飲んだが、タバコを吸うことなく生きて来た人間だ。体質の問題ではない。

 両親がタバコを吸っていたので、切れると買いに行かされる。それがいやだった。で、自分は吸わない人間になった、というだけの話だ。

 健康のためでは、まったくない。

 で、禁煙の促進の背後にある、健康の義務化とでも言うべき思想とは無縁である。

 世の中には、タバコの煙が苦手な人間も存在するし、路上喫煙も危険である。

 そのことへの配慮がなされるべきことは当然であろう。

 世のヘビー・スモーカーには、確かにそのような配慮が欠けていた(今や昔話と化しつつあるが)。

 しかし、喫煙の自由、喫煙の権利は、たとえ本人の健康状態の悪化として帰結しようが保障されるべきだ、というのが私の考えだ。

 健康は権利ではあっても義務ではない。

 もちろん、他者の健康維持の権利への配慮を欠いた喫煙には問題がある。

 しかし、他者の喫煙の権利を尊重しない禁煙の強制にも問題がある、だろう。

 健康を義務にしてはいけないと思う。

 あくまでも健康は権利だ。

 ここで、気付くことが出来るのは、義務とは他者との関係の中で、他者との関係の維持のために課せられるものであり、権利とは他者との関係の中で、自身の自由の維持のために主張されるものである、ということだ。

 もちろん、他者との関係の維持は、(多くの場合)自身の長期的利益に結びつくものであり、必ずしも自身の利益に反するものではない。つまり、義務(と呼ばれるもの)の遂行もまた、権利の主張とは別の形で、自身の利益に結びついているのである。

…という事情に思いを馳せた上で、あらためて、

健康を義務にしてはいけないと思う。

 あくまでも健康は権利だ、と言ってみたい。

 健康の義務化の終着点は、不健康者の排除される社会だ。

 障害者、病人、老人の排除として帰結してしまうのである。

 禁煙推進のメリットとして、社会的コストとしての医療費の削減への期待が語られる。もちろん、それは無視されるべき問題ではない。

 しかし、社会的コストとしての医療費の削減への要求は、不健康者の社会からの排除へ結びつく可能性もはらむのである。

 ワイマール時代のドイツでは、障害者の安楽死が、福祉・医療コストの削減と関連させて論じられていたことを忘れることは出来ない。

 その後のナチス政権下のドイツは、まさに健康が義務化された社会であった。

 ヒトラー政権の下で、障害者の安楽死は実行されることになる。

 健康の義務化と、その帰結としての不健康者の社会からの排除の問題は、単なる論理上のものではないのである。歴史的経験から導き出された観点なのだ、ということに留意して欲しい。

 もちろん、歴史的経験は教訓として機能しうるものだ。

 しかし、人類が歴史的経験を教訓として学ぶことは非常に稀なことである、というのもまた歴史的経験が教えるところであろう。

 アドルフ・ヒトラー氏は、タバコを吸わず、酒も飲まぬ菜食主義者であった。

 そして国民に、健康であることを義務として課した人物であった。

 もちろん、酒タバコに肉食が、世界を平和にするわけでもない。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/06/22 21:08 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/70748/user_id/316274

 

 

 

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2008年11月26日 (水)

健康という名のテロリズム

 

 健康とは何なのだろうか?

 このところの、コミュニティ「存在の意味」での、やわらか@テロルさんのトピック「人間の存在様式としての「公共性」の問題」の上での、やわらか@テロルさんの発言に注目している。


 ナチスの政策としての、障害者への「断種」と「安楽死」をめぐる議論である。
 アーリア民族至上主義イデオロギーを現実化するにおいて、民族=人種の「健康」がナチスのテーマとなっていた。

 人種の健康の維持に欠かせないのが、不健康者の排除である。
 至上の人種としてのアーリア人の健康への脅威が、外部のユダヤ人であり、内部の精神障害者であった。

 ナチスの政権獲得と共に、ユダヤ人の排除が現実化する。
 外部からの、アーリア人種の健康への脅威の排除が、その目的であった。

 精神障害者は、それ以前から精神病院に収容され、社会からは隔離されてはいた。
 しかし、福祉の対象として、その生存は国家によって保障されていたのである。

 ナチス特有というよりは時代の産物という側面もある当時の「優生学」思想の結実として、政権獲得の年である1933年7月14日に、第三帝国議会において、「遺伝病の子孫を予防するための法律」が可決される。
 精神薄弱者、精神分裂病者(統合失調症患者)、躁鬱病者、癲癇患者、重症アルコール中毒者、先天性の盲人と聾唖者、重度障害児、小人症、痙性麻痺、筋ジストロフィー、フリードライヒ病、先天性股関節脱臼の患者が、断種処置の対象となったのである。
 アーリア人種から、遺伝的障害の拡散の危険が排除された、と理解されていた処置である。
 アーリア人内部における人種の健康の維持は、これで保障される。


 一方で、ヴァイマール期の悪化した経済状態は、国家による障害者への福祉政策への疑問を生じさせた。
 福祉への支出は、国家財政の損失として、一部の人間から理解され始めるのである。
障害者への安楽死の妥当性が議論の対象となり始めるのである。
 これは、優生学的問題意識とは別の文脈として理解することが必要のようである。
 法律家カール=ビンディングと医師アルフレート=ホッへの共著になる『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』と題された1920年に出版された本が、その手の議論の嚆矢とされている。

 この書物では、安楽死の対象として3つのカテゴリーが想定されている。
 

1)助かる見込みのない患者〈末期癌の患者など〉。
2)治療不能な知的障害者
3)瀕死の重傷者
 

 この3つのケースが、法律家カール=ビンディングにより、安楽死の対象として想定され検討されるのである。
 そして、2〉のケースが特に精神科の医師アルフレート=ホッへによる考察の対象となっている。

 出版年はナチス結党の年でもあり、同時代性を感じられると共に、しかし異なる文脈の出来事であることにも留意しておく必要はあると思う(ナチスの思想と同書を直接的に結び付けて論じる風潮に、私は、距離をおきたいと思う〉。

 安楽死が実行されるのは、1939年になってからのことであるが、その際は、カール=ビンディングとアルフレート=ホッへの想定を超えた範囲の「精神障害者」が「安楽死」という名の殺人の対象とされることになった。
 T4アクツィオーンとして知られる作戦の開始である。ドイツ国内の何ヶ所かの精神病院内に、安楽死用のガス室と焼却炉が設置される。
 1941年になり、作戦の内実が知られるようになり、教会関係者からの異議がもたらされ、作戦は中止されるが、その時点で7万人以上の精神障害者がガス室での殺人の対象となっていたのである。

 そして、このT4アクツィオーンの中心に位置していた人物が、後のユダヤ人に対する「最終的解決」の一環としての「絶滅収容所」の設置に携わっていくのである。


 アーリア人種の健康の実現は、ユダヤ人の絶滅と、精神障害者の抹殺にかかっていた、そう考えられていたのである。

 ちなみに、アドルフ・ヒトラーは菜食主義者として有名であり、酒もタバコも嫌っていた。
ナチスの健康な世界の中心にはふさわしい、そう言うことが出来るだろうか。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2007/06/30 23:00 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/34627/user_id/316274

 

 

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