カテゴリー「田母神「論文」を読む」の記事

2008年12月 7日 (日)

田母神氏にとってのプライドという問題

 

 自分の失敗を、誰かのせいにする。

 誉められた話ではないと思う。プライドがあるなら、してはいけないことだろう。

 今回も、

 我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 (http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

という、田母神氏の文章への感想だ。

 別のところでは、田母神氏は、対米開戦の決定を、ルーズベルトのせいにしている。

 プライドがあるなら、他人のせいにするな。

 政治的過程において、様々な駆け引きをし、深慮遠謀をめぐらすことは当然なのであって、その能力に欠けることは、政治家としての力量不足を示すに過ぎない。

 蒋介石のせいで日中戦争に引きずり込まれ、ルーズベルトのせいで対米開戦をさせられた、あるいはコミンテルンのせいで戦争をすることになった、などという主張は、単に主張している当人の政治的想像力の未熟さと、擁護されている大日本帝國の政治指導者の政治的力量不足を露呈してしまうものとなるだけに過ぎない。

 プライドあるナショナリストなら、恥ずかしくて出来ない類の話である。

 しかし、その田母神氏は、そんな内容の「論文」で賞金300万円をゲットしてしまったわけだ。要するに、審査委員も、賞の主催者も、田母神氏の礼賛者達も、プライドあるナショナリストではなかった、と考えておくべきなのだろうか?

 存在するのは、大日本帝國の政治的・軍事的指導者に比しての、蒋介石の政治的・軍事的力量及びルーズベルトの政治的構想力の卓越さなのである。

 実際の政治的・軍事的決定過程を支配していた大日本帝國の軍人達には、戦術的にも戦略的にも、低い評価しか出来ないということだ。

 肝心の点から目をそらし続ける限り、歴史から何かを学ぶということは出来ない。

 負けた戦争の反省という点において、自らの側の力量不足を問うことなく、相手が強過ぎたから負けたのだ、強過ぎた相手がズルイ、なんて言ってしまっては、あまりにみっともないのではないか、と私は思うのだが、田母神氏や田母神氏の礼賛者達には、そのような発想はないのであろうか?

…というか、負けた戦争をもたらした大日本帝國の指導的軍人達に特徴的であったのが、すべてにおいて自分に都合よく考えるという精神であった、ようにも思えるわけだ。

 事実関係を冷徹に分析することが出来ず、希望的観測にすべてをゆだね、論理的整合性や合理的判断を軽視した精神主義に陥った果てに、歴史的に未曾有の敗戦という結末を迎えてしまったのだと考えることこそが重要であろう。

 そのように考えた時に、田母神氏とその礼賛者達の発想が、実に、かつての大日本帝國の軍事指導者達の似姿であることに気付かされる。

 すべてに自分にのみ都合よく考えるという精神のあり方。

 亡国に至る精神である、と私は思う。

 少しはプライドを持ってくれ、それが彼らへの私の願いである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/11/15 21:51 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/85459/user_id/316274

 

 

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田母神氏は『軍人勅諭』もご存じない?

 

抑(そもそも)国家を保護し国権を維持(ゆゐぢ)するは兵力に在れは兵力の消長は是国運の盛衰なることを弁へ世論に惑はす政治に拘らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覺悟せよ其操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ

 → http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gunnjinntyokuyu.htm

…と、『軍人勅諭』には書かれている。

 もちろん、注目点は、

   世論に惑はす政治に拘らす

という一節であろう。

 大日本帝國は、大東亜戦争の結果、滅び去ったわけであるが、昭和期の大日本帝國における特徴的事態として、軍人の政治への積極的関与が指摘出来るだろう。

 端的に言って、まさに、軍人の政治への直接的関与、政治過程における軍人の直接的権力行使こそが、大日本帝國の滅亡をもたらしたのだということは、日本の近代史を語る上で、銘記されるべき事項であることは否定し難い。

 昭和期の軍人が、『軍人勅諭』の精神を踏みにじり、政治に介入し、政治を軍事に従属させた果てに、ポツダム宣言の受諾という実質的無条件降伏にまで、国家を至らしめたということは、この国の歴史的経験として深く認識されるべき事柄であろう。

 自国民と他国民の身の上に、膨大な犠牲を強いた果てに、大日本帝國は滅びたのである。

 軍人勅諭の精神を踏みにじり、人々の命を踏みにじり、大日本帝國の存在を踏みにじった者こそが、昭和期の指導的軍人であったことを、決して忘れるべきではないのである。もし、自分を愛国者であると考えようとするならば。

 自らの所属する国家を滅ぼし、多数の国民を死に至らしめたことの責任は大きいだろう。かつての大日本帝國における、政治を軍事に従属せしめるような事態を作り出してしまった高級軍人達の責任の大きさから目をそらさず、その責を追求し続けることこそ、愛国者であることを目指す者の義務ではないだろうか?

 昨日、引用した猪木正道氏の言葉を、ここで再び読み返すことも、問題の理解の上で必要なことと思える。

 猪木氏が、

 軍国日本が自爆したのは、軍に立憲国家を超えた特権的地位を与えた結果である。日露戦争に勝ってから、日本の軍人におごりが生じたのは、無理もない。しかし満洲を中国から切り離して日本の支配下に置こうとする野望に対しては、1906年5月の”満洲問題に関する協議会”で、元老伊藤博文がきびしく児玉源太郎参謀総長を叱ったように、文民統制を貫徹するべきであった。

 国際協調主義を堅持していたかぎり、日本の軍事力は国民からも外国からも信頼されて、わが国の興隆の原動力となった。軍事力が暴走しはじめた時、わが国は国際社会に孤立して、自爆ないし自殺に追いこまれたのである。
 (猪木正道 『軍国日本の興亡』 中公新書 1995)

と書いていた、その意味を、深く認識しなければならない。

 まさに戦後日本は、その反省から、シビリアン・コントロール(文民統制)を、政治過程の基本原則としたのである。

 その上に、自衛隊法も存在するわけだ。自衛隊法では、

(政治的行為の制限)
第六十一条  隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。
2  隊員は、公選による公職の候補者となることができない。
3  隊員は、政党その他の政治的団体の役員、政治的顧問その他これらと同様な役割をもつ構成員となることができない。

と定めている。

 『軍人勅諭』においてと同様に(と言ってよいのかどうかはわからないが)、「自衛隊法」においても、軍人としての自衛官には、政治的行為からの距離が求められているのである。

 航空幕僚長であった田母神俊雄氏の、「日本は侵略国家であったのか」というタイトルの「論文」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)の内容は、集団的自衛権をめぐる主張はもちろんのこと、歴史解釈への言及自体が、非常に政治性を帯びたものとなっている。

 「論文」の発表にとどまらず、防衛相による処分への反発まで公言するようでは、田母神氏の行為は、文民統制の精神をはなはだしく逸脱しているものと言わざるを得ない。

 『軍人勅諭』の文言を用いれば、田母神氏の、「世論を惑はし政治に拘り」という姿勢こそが問題、ということになるわけだ。

 かつての大日本帝國の高級軍人達の、『軍人勅諭』の精神からの逸脱は、亡国の事態を招いた。

 今回の、航空幕僚長であった田母神俊雄氏の「文民統制」の精神からの逸脱、「自衛隊法」の精神からの逸脱も、その放置は、やがての新たな亡国にまで発展しうる、大きな危険性を秘めたものであると考えておくべきであろう。

 もし、自分を愛国者であると考えるならば。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/11/13 22:01 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/85241/user_id/316274

 

 

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田母神氏の「論文」のホントのお値打ちは…??

 

 航空幕僚長であった田母神俊雄氏の、「日本は侵略国家であったのか」というタイトルの「論文」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)の評価に関する私の考えを、

 「創氏改名」と賞金300万円の駄文
  → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/84585

 実は蒋介石を賞賛している(!?)賞金300万円獲得「論文」の不思議
  → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/84908

 実は「東京裁判史観」を披瀝している田母神氏の謎
  → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/85012

と、これまで3回に渡って書いて来た。

 「論文」と呼ぶに値する文章に必要なのは、何らかの新しい知見の存在ということになるだろうか?

 少なくとも事実関係の確定への努力と、記述に際しての論理的整合性の保持を抜きに、提示された文章が「論文」として評価されることは、通常なら、あり得ないことだろうう。

 大量の事実関係についての認識の誤り、そして論理的整合性のまったくの欠如。それが、田母神俊雄氏の「論文」を特徴付けていることは、これまでの3回の私の論考をお読みになれば、ご理解いただけるものと思う。

 少なくとも、「論文」として考える限り、田母神氏の「日本は侵略国家であったのか」という文章には、一文の価値もないと評価せざるを得ないのではないだろうか?

 300万円もの金銭を、あの「論文」の賞金として提供するというのは、実に異常な事態であると言わねばなるまい。一般的な意味での「論文」としての評価からは、300万円という金額は、(繰り返すが)、実に異常である。

…というようなことを考えながら、猪木正道氏の『軍国日本の興亡 - 日清戦争から日中戦争へ』(中公新書 1995)を読み返していた。

 大正三(1914)年生まれの猪木正道氏は、言うまでもないだろうが、防衛大学校の校長という経歴の持ち主である。

 かつての防衛大学校の校長は、その著書の「まえがき」を、

 戦前・戦中の軍国主義は、戦後の空想的平和主義とみごとな対照をなしている。敗戦で軍国主義から解放されたわれわれ日本国民は、戦後空想的平和主義にとりつかれた。たとえば社会党が野党の時代の村山富市氏の言動は、空想的平和主義そのものだといっても過言ではあるまい。

という言葉から始め、そのしばらく後で、

 広く深く根を張った空想的平和主義が一体何に起因するのかを考察して、私は戦前・戦中の軍国主義を裏返しにしたものだと気付いた。戦前・戦中の軍国主義と戦後の空想的平和主義とは、まるで双生児のようによく似ている。考え方が独善的であり、国際的視野を欠いて一国主義的であること等そっくりである。

 空想的平和主義を克服するためには、戦前・戦中の軍国主義を振り返ることが必要だと、私は痛感し、日清戦争からはじめて、日中戦争にいたる歴史を書くことにした。

と、『軍国日本の興亡』の執筆の動機を語っている。

 実際に戦争を体験した世代の、「空想的平和主義」を批判する側の陣営に属する人物によって書かれた『軍国日本の興亡』の最終章は、

 軍国日本が自爆したのは、軍に立憲国家を超えた特権的地位を与えた結果である。日露戦争に勝ってから、日本の軍人におごりが生じたのは、無理もない。しかし満洲を中国から切り離して日本の支配下に置こうとする野望に対しては、1906年5月の”満洲問題に関する協議会”で、元老伊藤博文がきびしく児玉源太郎参謀総長を叱ったように、文民統制を貫徹するべきであった。

 軍人の野望を制御できないと、日本は二つの強敵によって、はさみ討ちにあうことになる。一つは中国の”門戸開放”という原則から、日本の中国への侵略を絶対に認めないアメリカ合衆国の圧倒的な力である。いま一つは、半植民地化の危機に直面して、ようやくめざめた中国民族主義の巨大なエネルギーにほかならない。

 1922年2月6日、ワシントンで、「中国に関する九ヶ国条約」に調印し、1929年7月に発動した不戦条約に前年調印して参加しながら、軍国日本は、1931年から中国への露骨な侵略を開始した。中国に対する日本の侵略を、18、19世紀に英国が行った侵略と単純に比較して日英同罪を説くものがある。英国がインドや中国を侵略したころ、不戦条約はもちろんのこと、中国の主権と独立を約した九ヶ国条約も存在しなかった。侵略は美徳ではないまでも、悪徳とは考えられていない。侵略をはっきりと非難し、戦争を排撃するようになったのは、第一次世界大戦の惨禍を経験した後である。

 中国への日本の侵略行為が交際社会のきびしい非難にさらされた背景には、戦争、平和、侵略などに関する人類の価値観がはっきり転換したという重大な変化があった。

 軍国日本の自爆はもちろん、一部軍人だけの暴走ではない。広田内閣も、近衛内閣も、国際社会で日本を孤立化させるのにすこぶる寄与したし、浜口、若槻内閣は、間違った財政・金融政策に固執して、日本国民を未曾有の不況に追い込み、一部軍人の暴挙を支持する狂気を生んだ。

 国際協調主義を堅持していたかぎり、日本の軍事力は国民からも外国からも信頼されて、わが国の興隆の原動力となった。軍事力が暴走しはじめた時、わが国は国際社会に孤立して、自爆ないし自殺に追いこまれたのである。

という言葉で終えられている。

 リアリズムに裏付けられた、かつての防衛大学校校長の歴史認識がここにある、ということが出来るだろう。

 田母神氏やその称賛者達が、「東京裁判史観」を批判することに、わざわざ文句を言おうとは思わない。

 しかし、大日本帝國の歴史が、亡国に至る歴史であったことからは、目をそらさずにいて欲しいと思う。

 そして、その亡国に至る歴史の責任者の多くは、「東京裁判」の被告と重なるのだ、ということからも目をそらさないでいて欲しいと思う。

 田母神氏の称賛者達には、「日本は侵略国家であったのか」のような文章を読んで、身内の盛り上がりに終始するのではなく、せめて猪木正道氏の『軍国日本の興亡』に目を通し、歴史的事実関係をきちんと押さえたリアルな認識を獲得していただきたいと思うのだが…

…もちろん無理を承知での「願い」である。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/11/12 23:45 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/85125/user_id/316274

 

 

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実は「東京裁判史観」を披瀝している田母神氏の謎

 

 今日も、300万円の稼ぎ方のお勉強を続けようと思う。

 

 田母神氏の例の「論文」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)中には、

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

という言葉がある。

 ここには、大変に由々しき主張が隠されているのであるが、その問題性を指摘する前に、まず、数字のレトリックから検討の対象としよう。

 

満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。

と、田母神氏は主張するのだが、田母神氏による人口統計の引用には仕掛けがある。

 満洲の人口増加について考えるのであれば、1932年~1945年のデータのみをもって、何かの結論を出すべきではないだろう。

 1908年~1931年のデータと比較してみよう。

 『ウィキペディア』によれば、

1908年の時点で、満洲の人口は1583万人だったが、満洲国建国前の1931年には3000万人近く増加して4300万人になっていた。

  (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD

ということである。つまり、「農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野に」、1908年から1931年までの23年間で、3000万人の人口増加がみられたということなのである。満洲国成立以前の満洲では、既に毎年130万人以上の人口が増え続けていたのである。

 であるとすれば、

満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。

という田母神氏の主張は、実際には、成立しない。

 もっとも、満洲の人口をめぐる私の知識は、『ウィキペディア』の記述以上のものではない。上記の指摘の妥当性は、現在の私には、本当のところ、わからないと言わざるを得ない。

 しかし、当の田母神氏ご自身も、満洲の人口問題について、私以上の知識の持ち合わせがあるとは思えない(「論文」と称するにもかかわらず、典拠も示されていないくらいだから)。

 

 満洲に関しての記述に続く、

朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。

という主張に関しても、水野直樹氏によれば、朝鮮半島の人口データに関しては、「1925年に簡易国勢調査が朝鮮でも行われたため、それ以降は正確度の高い数字を得ることができることになった」ということになる。つまり1925年以前の人口データの信頼性には、研究者により、疑問が付されているのである。

 もちろん、朝鮮半島の人口動態に関しては、私はまったくの門外漢であり、水野氏の主張の当否は判断出来ない。
 しかし、田母神氏ご自身が、私以上に、その問題に関し知識をお持ちとも思えない。

朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている

という田母神氏の記述の信頼性は、相当に低いと言わざるを得ないのである。

 つまるところ、都合よく解釈した人口データを根拠とした田母神氏の、

戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

という主張からは、説得力は失われてしまうわけだ。

 

 

 さて、ここからが本論である。

 田母神氏の「論文」のモチーフは何かと問われれば、一言で言えば、「東京裁判史観」からの、「大日本帝國の擁護」ということだろう。

 しかし、田母神氏の主張である、

我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。

我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。

という記述は、まさに「東京裁判史観」に立脚したものと言わざるを得ないのである。

 満洲事変後の満洲の取り扱いにおいて、大日本帝國政府は、満洲国の「建国」という道を選択している。田母神氏には、その意味がまったく理解出来ていないらしい。

 あくまでも、満洲国は独立国家なのである。まぁ、確かに、満洲国の「独立」など名目上のものに過ぎない。実態としては、確かに大日本帝國の「植民地」であったと言えるだろう。

 しかし、それを言っちゃぁ、大日本帝國政府の立つ瀬がないのである。

 手元にある、靖国神社・遊就館の図録(わが愛読書である)の[満洲事変]のページの「国際連盟脱退」の項には、

国際世論には、民族自決の精神に基づく満洲民族の国家承認という観点はなかった。

という説明文がある。

 大日本帝國政府の公式見解を尊重するなら、満洲国とは、あくまでも「民族自決の精神に基づく満洲民族の国家」でなくてはならないのである。

当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。

我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。

というような田母神氏の記述は言語道断と言わねばなるまい。

 満洲をめぐって「植民地」などと記述することは、まさに「東京裁判史観」そのものではないか。

 とんでもない話なのである。

…という、実に何とも重要な問題に、当の田母神氏はおろか、審査委員の皆さんも、賞のスポンサーも、田母神氏を称揚する「東京裁判史観」批判者の皆さんも、一向に気付いていらっしゃらないらしいのである。

 「天下の奇観」というのは、このような光景のための言葉ではないだろうか?

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/11/11 21:52 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/85012/user_id/316274

 

 

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実は蒋介石を賞賛している(!?)賞金300万円獲得「論文」の不思議

 

 今日も、300万円の稼ぎ方のお勉強をしておきたい。

 田母神氏は、例の「論文」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)中で、

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。

 我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

という「論理」で、蒋介石を非難している。

 しかし、そもそも、大日本帝國と清国、そして中華民国政府との間で締結された条約と、日米安全保障条約の性格は異なるものだ。

 日米安全保障条約により日本国内に駐留する米軍は、日本国の安全保障に不可欠の存在として、少なくとも歴代日本国政府からは考えられて来た。

 それに対し、かつて、中国大陸に駐留していた大日本帝国の軍隊が守ろうとしていたのは、大陸における大日本帝國の権益である。そこに存在していたのは、中国国民及び中国国民政府の利益を脅かす存在なのである。

 そこにあるのは、まったく異なる性格の条約であり、まったく異なる性格の駐留軍なのである。

 田母神氏は、その相違を無視するところで、身勝手な論理を展開しているに過ぎない、という点をまず指摘しておこう。

 その上で、田母神氏による蒋介石非難の「論理」を検討してみたい。

 田母神氏は、要するに、

1) 多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない

2) 我が国は国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置した

3) この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返した

4) 我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである

という「論理」で、大日本帝國を「被害者」として位置付け、蒋介石を非難しているわけだ。

 しかしその一方で、田母神氏は、かつての大日本帝國の行動の正当化の為に、

現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。

と書いてもいるのである。

 そこにある「論理」は、

1) 人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた

2) 強者が自ら譲歩することなどあり得ない

3) 戦わない者は支配されることに甘んじなければならない

ということになるだろう。

 この「論理」を肯定することにより、蒋介石の行為は、実に正当な行為としてしか評価出来なくなってしまうことになる。

 田母神氏は、その「論文」の結語部分で、

 

 私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

 

と書いているのだが、蒋介石は、まさに「自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛する」が故に、「強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない」と田母神氏により表現された当時の国際情勢の中で、大日本帝國による支配と戦った隣国の愛国者として、高く評価されざるを得なくなってしまうのである。

 少なくとも、田母神氏の論理展開には、そのような反論に対し、再反論をするための論理が用意されていない。

 つまるところ、この「論文」で田母神氏は、蒋介石を批判しているつもりで蒋介石の行為の正当化の根拠を提供しているのである。

 賞金300万円の提供者は、気付いているのだろうか?

 実は自分たちは、(それに気付くことなく)、蒋介石の愛国者ぶりを称揚してしまうような「論理」の隠された「論文」に、300万円を授けていたのだということに。

 論文を書いた当人、選考に当たった審査委員、そして賞金を提供した社長だか会長だかは気付いているのだろうか?

…って、そりゃぁ、気付いていたら、こんなことになってはいないだろうなぁ。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/11/10 22:11 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/84908/user_id/316274

 

 

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「創氏改名」と賞金300万円の駄文

 

 今日は、参加しているMLに、話題の「論文」が紹介されていた。読んでみて、あまりに問題外な内容に驚かされたわけである。

 例の(?)、田母神俊雄元航空幕僚長の「論文」(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)について、

 ↓ ↓ ↓

 多くの情報の中で、誤った事実については、
 注意深く検証する必要があると思います。

 関東軍の爆破事件
 こんな説もあるとは驚きでした。

 創始改名や人口の増加など、
 事実を積み上げていくと、ちょっと違った見方ができるように思います。

 たしかに、今の感覚で考えても、人口が増えるのは、
 暮らしやすかったとか、仕事があったのかと想像してしまいます。

 ↑ ↑ ↑

というご意見を、紹介者が表明しているのを目にしてしまったわけだ。

 関東軍の爆破事件
 こんな説もあるとは驚きでした。

なんて言われても、そんなことで驚くようじゃダメじゃん、としか言いようがないですよ。

 田母神氏のお説の通りに、張作霖爆殺の背後に関東軍が存在していないなら、田中義一が首相を辞める理由はなかったわけだし、柳条湖での満鉄線路爆破については、戦後に当事者の元関東軍将校が告白本を出版しているわけだし、その辺の検証を全く欠いたところで議論をすることには、意味はないと言うしかない。

 あの文章を「論文」と称するなら、最低限必要な作業でなくてはならないだろう。

 感心するような内容ではないのである。

 まぁ、私はそのお粗末さには、確かに「感心」してしまったのだけれど。

 で、MLコミュニティには、投稿者に対して、

 話題の田母神氏の「論文」をご紹介いただきました。
 私も、今回の「論文」がどんなものなのかわかり、
 大変に勉強になりました。
 お手数ありがとうございました。

と礼を述べた上で、

 その「論文」にどのような問題点があるのかについても、
 様々に論じられているようですが、
 私自身が勉強になったと感じたものをご紹介しておきます。
  ↓ ↓

 伊東乾 「KY空幕長の国益空爆」 (日経ビジネス オンライン)
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/

 櫻田淳 「【正論】東洋学園大学准教授 櫻田淳 空幕長論文の正しさ・つたなさ」 (産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081107/acd0811070337000-n1.htm

 ご参考にしていただければと思います。

 その上で、私の感想を一点だけ述べておきましょう。

 田母神氏は、
 「創氏改名」についても触れているようですが、
 何が問題なのがが理解出来ていないことだけは確かのようです。

 「創氏改名」というのは、
 多くの方に誤解されているようですが、
 朝鮮名を日本風の名前に変更することのみを、
 言うのではありません。
 朝鮮名を日本風に変更しなかった事例は、
 別に珍しいものではないのです。

 ご存知のように、
 韓国・朝鮮では、
 結婚後も、妻は夫の姓を名乗ることはありません。
 ここに、朝鮮半島の家族制度の根幹のひとつがあります。
 これは、家族制度という文化の問題であり、
 日本の戸籍システムと朝鮮半島のシステムの、
 優劣の問題ではありません。
 現代日本で考えてみれば、
 夫婦別姓に多くの人が抵抗感を持つようですが、
 夫婦であること(夫婦の絆)と、
 姓の問題は、本質的には関係ありません。
 夫婦同姓は、決して、
 離婚を防ぐ手段にはならないわけですから。
 要するに、
 それぞれの文化の中での、
 親族体系の捉え方、命名法のバリエーションとして、
 考えるべき問題であるということです。

 ですから、
 法的に「創氏改名」の何が問題なのかと言えば、
 姓名を日本風にすることの強制の有無ももちろん問題ですが、
 問題の焦点はそこではなく、
 家族制度という文化のあり方の、
 強制的な改変であったという点にあるのです。

 当事者が伝統的なものとして考えている家族制度の改変が、
 いかに困難であるのか、
 そこからいかに大きな抵抗感が生じるものであるのかについては、
 「夫婦別姓」をめぐる議論を振り返ってみれば、
 容易に理解出来ることでしょう。
 要するに、
 朝鮮半島で大日本帝國がしたことは、
 現代の日本で、
 外国から「夫婦別姓」を強要されるようなものであった、
 と理解しなければならないということになります。

 以下は知人から伺った話です。

 田母神氏は、
 日本が朝鮮で大学を作るなど教育の向上に力を入れ、
 また朝鮮人を日本の士官学校や学習院に入学させたことを、
 高く評価しているようですが、
 当時の京城(現・ソウル)帝国大学は、
 主に日本人用の大学であり、
 たとえば、医学部の定員200名のうち、
 朝鮮人枠はわずか4人だったということです。
 また、京城市の周辺には、
 12の旧制中学校が設けられましたが、
 朝鮮人用の中学は3校だけであり、
 日本の士官学校や学習院へ入学出来たのも、
 旧王族や一部の特権階級だけだったそうです。

 多くの情報の中で、誤った事実については、
 注意深く検証する必要があると、私も思いました。

というお返事をしておいた。

 伊東乾氏が、「KY空幕長の国益空爆」でも書いている通り、論文としては、あまりに「ツッコミどころ満載」状態で話にならないことに(ウワサでは聞いていたものの)、まさに「こんな説もあるとは驚きでした」という気分を味わされたものだ。

 まぁ、これも紹介者のお陰である。

 しかし、こんな内容の「論文」で賞金が300万円!

 ダブニストもこれには実際驚いた。

 世の中にはウマイ話が転がっているものである。

 

 

〔付記〕

MLへの投稿を読み返し、肝心の点について不明瞭な書き方をしていたことに気付き、以下の投稿を追加した。

 ↓ ↓ ↓

 読み返してみたら、肝心の点を書き落としてしまっていました。

 要するに、「創氏改名」とは、
 朝鮮名を日本名へ改変することが強制されたかどうか、
 という問題にとどまることではなく、
 日本の戸籍制度の強制による、
 朝鮮半島の伝統的家族システムの破壊という問題をはらむ、
 大日本帝國による施策であったということを、
 きちんと理解しておく必要がある、ということですね。

 朝鮮名の継続的使用の事例が、
 「創氏改名」が存在しなかったとか、
 それが強制的なものではなかったという結論に結びつくとすれば、
 その認識自体が誤りだ、ということです。

 田母神氏ご自身は、
 その「論文」の結語部分で、
  ↓ ↓

 私たちは日本人として我が国の歴史について
 誇りを持たなければならない。
 人は特別な思想を注入されない限りは
 自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を
 自然に愛するものである。

 私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
 歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

  ↑ ↑

 と書いているわけです。

 田母神氏に何より必要なのは、
 この文の主体を、朝鮮人あるいは韓国人として、
 置き換えて考えてみることの出来る想像力でしょう。

 「創氏改名」という大日本帝國の施策は、
 自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を
 自然に愛することの出来た朝鮮半島の人々にとって、
 歓迎すべきものではなかったことを理解しなければなりません。

 輝かしい韓国・朝鮮の歴史を取り戻さなければならない、
 歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである、
 と考えた朝鮮半島の人々により、
 大日本帝國の敗戦と共に、
 「創氏改名」という施策が葬り去られたことの意味を、
 きちんと理解しないと、
 歴史から何かを学んだということにはならないでしょう。

               (投稿日時:2008/11/08 08:38

 ↑ ↑ ↑

という一文をMLに送信。

 田母神氏自身が、

 私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
 歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

と主張しているわけだけど、ご自身が歴史的事実の改変・抹殺を実行しているわけで、まことに困った事態。これじゃ、ホントに、日本も「衰退の一途を辿るのみ」ってことになっちゃうよ。

               (11月8日朝に記す)

 

 

〔追記〕

 要するに、文中でも書いたが、「創始改名」の問題の焦点は、姓名を日本風に変更することの強制の有無にあるのではなく、それぞれの民族の文化的固有性に基づく家族制度そのものを強制的に改変したところにあるのだ。

 占領軍(GHQ)による夫婦別姓の強制を仮定してみれば、多くの日本人にとって、それが簡単には受け入れ難い事態であったことが理解出来るであろう。

          (2010年2月24日)

 それとも、日本人には、「夫婦別姓」は、さして抵抗なく受け入れられるものだったであろうか? 聞くところによれば、「日本でも、明治年間に夫婦同姓が定められるまでは結婚しても女性は改姓しなかった」ということであるらしい。

          (2010年4月12日)          

〈参考〉

 金英達 『創氏改名の法制度と歴史』 (金英達著作集 1 明石書店 2002)

 「創氏改名」
  → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E6%B0%8F%E6%94%B9%E5%90%8D 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2008/11/07 22:24 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/84585/user_id/316274

 

 

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