カテゴリー「戦争と責任」の記事

2016年3月24日 (木)

洋上のB-29 (映像編)

 

 見つけたのは一ヶ月以上前になるのだが、多忙な日が続き、そのままになっていた動画である。

 不時着水したB-29の乗員の救助の模様が撮影された(それもカラーである!)フィルムなのだが、あらためて詳細を見、解説を読んでみると、何とそれが3月10日のあの「東京大空襲」の際のエピソードであったことに驚かされた。

 

 

 B-29の手厚い救難システムについては既に記事としてあるが(「統帥の無責任としての特攻精神 3 (B-29と戦争遂行のマネジメント)」、「統帥の無責任としての特攻精神 4 (洋上のB-29)」、「統帥の無責任としての特攻精神 5 (洋上のB-29と特攻精神)」)、その実際が映像として記録されていたのである(そしてそれが動画サイトにアップされていた!)。

 映像としては、未編集なままであり、ナレーションもなく(撮影に際して同時録音もされていないのでオリジナルは完全なサイレントである―アップロードされた動画にはBGMが付加されているが)、そのまま見たのでは(ただただ地味な映像で終わってしまう可能性が大きく)内容の理解も難しいと思われるので、映像に先立って解説めいたことをしておきたい(本記事全体の構成としては、映像の後に「資料編」を付してフィルムの背景をより理解し得るようにし、最後にあらためて、これまでの当ブログ上の論点と関連させた考察的な文章を加えてある)。

 

 

 動画に付された説明によれば、12分ほどのフィルムは不時着水したパイロットの子息であるマイク・マッキャスキル(Mr. Mike McCaskill)氏から提供されたもので、不時着水の際に背中を負傷したマッキャスキル氏の父が後送先の米国本土の病院での療養中に、フィルムを撮影したカメラマンと偶然に出会い、カメラマンから贈られた未編集状態の2巻の16ミリフィルム(父のために作成されたコピー)なのだという。ただし、16ミリ映写機を所有していなかったので未見のまま父のクロゼットの中で数十年の時を過ごすこととなっていたという話である。

 

 カメラマンは、救難活動に従事していた米海軍の水上機母艦「ベーリング・ストレイト」( USS Bering Strait (AVP-34) )の艦上から、マッキャスキル氏の父バーナード・“バーニー”・マッキャスキル・ジュニア大尉(Captain Bernard "Barney" McCaskill Jr.)の操縦するB-29「ホープフル・デビル」( "Hopefull-Devil" )の不時着水の瞬間と、救助の過程をフィルムに収めている。

 燃料の不足からテニアンの基地までの飛行が不能になったための「ホープフル・デビル」からの救難要請に「ベーリング・ストレイト」が対応し、マッキャスキル大尉の操縦するB-29は「ベーリング・ストレイト」を目標に飛行し、幸運にも艦の近くに不時着水するのである(作戦―1945年3月10日のいわゆる「東京大空襲」である―での任務を終え、帰投する途上での出来事である)。

 

 更に動画に付された説明を要約(フィルムに映ってない部分も含め)しておくと、2メートル近い波浪に覆われた海面への着水であったために、時速100マイルで着水した機体は海面を滑走することなく、ほぼその場で停止し、その衝撃の大きさのために大尉は背中に大きなダメージを受けてしまう(機体も大破している)。

 それでも操縦室からの脱出には成功し、幸いにもクルー全員の無事を確認する(機長以外の負傷者は、顎に裂傷を負ったリヴァス伍長(Corporal Rivas)のみ―この二名はパープル・ハート勲章を受ける)。しかし、機体は大破しており、大尉は泳げない部下のために自身の救命胴衣(「メイ・ウェスト」と呼ばれている)を提供するだけでなく、副操縦士として搭乗していた(ただし、正規のクルーではない)マコンバー大佐(Col. Macomber)と共に海に飛び込み、部下のための救命用ゴムボートの保持に苦闘する。

 フィルムには着水シーンと、救助艇の接近、救助の過程、救助艇から母艦へのB-29クルーの引揚げ、母艦内のクルーの様子、救助艇による海上浮遊物の回収の模様、そして母艦からの下船までが記録されている。

 

 

 

1945 ABSOLUTELY UNEDITED! B-29 Ditching & Rescue RAW (HD)
       https://www.youtube.com/watch?v=Cme9JcdSepA

 

 

 フィルム全体を通して、現場の浪の高さが感じられたことと思う。他の不時着水の事例(「統帥の無責任としての特攻精神 4 (洋上のB-29)」参照)などを読むと、B-29は沈みにくい構造を持つ機体だったようで(例えば「アルバート・クロッカー大尉操縦の捜索機が行方不明のB-29と乗組員を初めて発見したのは、正午少し前であった。大尉は捜索開始六時間後ようやく、まだ浮いていたB-29の尾翼が太陽に反射してきらめくのに気づき、なお仔細に観察していると、近くに搭乗員の乗る筏が浮いているのが見えた。クロッカー大尉は駆逐艦を呼び出し、軍艦「カミングス」が現場に到着するまで四時間半上空を旋回していた。不時着水から一七時間が経過していた」のようなエピソードがあるし、搭乗員救助後も浮き続ける機体を救助作業に携わった海軍艦艇がわざわざ砲撃して沈めた―浮遊物化すると危険である―ような記述もある)、現場が浪静かであれば機体は大破を免れ、大尉も負傷せずに済んでいたかも知れない。

 また、9分30秒過ぎくらいに、艦の甲板上構造側面ハッチにある(爆撃機で言えば)出撃マーク状の記入が興味深い。救命胴衣を装着した人型のステンシルが55確認出来る。これまでの救助者の数なのであろうか?

 

 

 

《資料編》

 まずは、3月10日の「東京大空襲」の際の米軍の「作戦任務報告書(Tactical Mission Report)」から、「空海救助計画」の項と、「空海救助」の実際を記した部分を中心に抜き書きをしておく(奥住喜重・早乙女勝元 『新版 東京を爆撃せよ 米軍作戦任務報告書は語る』 三省堂 2007 による)。映像の背景には、事前に周到に準備された米軍の救難システムがあることが理解出来るはずである。

 

 

2 作戦の戦略と計画
c.計画の詳細―作戦関係:
 (7) 空海救助計画
  a海軍はこの作戦任務について詳細な情報を提供され、空海救助の目的に役立つ便宜を図るように求められた。
   ①4隻の潜水艦が以下の位置に就いて救命の任に当るよう命じられた(位置は緯度と経度で示されているが詳細は略)。
   ②3隻の水上艦艇が以下の位置に就くよう命じられた(位置の詳細は略)。
   ③2機のダンボ機が次の位置に就くよう命じられた(位置の詳細は略)。
   ④監視艇と救難艇は、離・着陸の危険な時間帯の間、管制塔から解除命令が出るまで、空海救助の任務を遂行するよう命じられた。
  b当爆撃機集団は、4機のスーパー・ダンボ機(救難用B 29)に、以下の位置で旋回することを命じた(位置の詳細は略)。これらのスーパー・ダンボ機は、遭難位置の発見を援け、遭難信号を受信し、救急設備を投下し、空海救助作業が必要となった場合には、潜水艦を誘導することとなっていた。

 

 

 まさに映像では、②の「水上艦艇」の一隻である水上機母艦「ベーリング・ストレイト」によって、海上に不時着水したB-29乗員が救助されるまでの一部始終が記録されているわけである。また、救助作業に当る「ベーリング・ストレイト」の上空を旋回し続けるスーパー・ダンボ機の姿も映像に度々登場するが、それもb項に規定されている通りだということがわかる。米海軍と米陸軍航空軍に属する爆撃機集団が緊密に連携・準備し、実行すること(まさに映像に記録されているように)で、海上で遭難したB-29搭乗員が確実に救助されているのである。

 

 

3 作戦任務の実行
f.作戦の概要:
 (6)空海救助: (詳しくは付篇A、第Ⅵ部を見よ)
  4機のB-29が不時着水し、全部で40名の生存者が救助された。

 

付篇A 作戦
第Ⅵ部 空海救助
1.以下はこの作戦任務で起きた不時着水事故の要約である:(この報告のあとの空海救助図を見よ。―図は省略)
a.No.7 V 759機:第313航空団所属――この機は100145Zに、北緯17”40’-東経145”38’に不時着水した。11名の搭乗員は100725Zに1機のダンボ〔海軍大型飛行艇〕に発見され、101130Zに、水上機母艦ベーリング・ストレイトによって、全員が救助された。〔*訳注 the tender Bering Strait は、作戦任務29番の報告書中に a small seaplane tender "Bering Strait" として登場している〕
b.No.19 V 757機:第313航空団所属――この不時着水は、092238Zに、北緯18”00’-東経145”15’で、水上機母艦ベーリング・ストレイトの傍らで起き、8名の搭乗員に1名の同乗者を加えた全員は、18分以内に救助された。
c.No.25 V 527機:第314航空団所属――この機については、092244Zに、北緯22”00’-東経147”30’の位置で最終の報告が入った。11名の生存者は、102233Zに、北緯22”24’-東経146”19’で発見された。DMS-18(掃海艇)がこの報告を受けて引き返したが、その位置に到着した時刻は110700Zと推定された。11名の生存者の救助は、この掃海艇によって110700Zから111211Zの愛dに行われた。
d.No.44 V 759機:第313航空団所属――この不時着水は、100145Zに北緯19”10’-東経145”30’で報告された。3名は不時着水時に生き残らなかった。9名の生存者はパジャリス島(原語表記略)の海岸にたどりつき、捜索機と連絡をとって、1隻の船が1時間以内に彼らを収容するはずだと知らされた。救出は、補給船クックス・インレット(原語表記略)によって110800Zに実現された。
2.この作戦では、ほかに7機の行方不明機があり、それからは何の連絡もなかった。連絡がないため、捜索することができなかった。

 

 

 「付篇A」からの抜き書きにある不時着水機の2機目が、まさにフィルムに登場するマッキャスキル大尉の「ホープフル・デビル」であり、「8名の搭乗員に1名の同乗者」とある「同乗者」が副操縦席に搭乗していたマコンバー大佐であった。B-29の搭乗員は通常は(他の機がそうであるように)11名であるのだが、なぜ「8名の搭乗員に1名の同乗者」という少ない人数で作戦に参加したのかはわからない(この作戦では、爆弾搭載量を増加させるために装備から防御用の銃砲を取り除いていたので、機銃手の搭乗は必ずしも必要ではなかったということなのかも知れないが)、大佐の搭乗理由(任務)も今のところ不明である。

 時刻表示にある「Z」は、世界協定時ないし標準時を示すもので現地時間とは異なる(動画サイトの解説では、不時着水時刻は「Captain McCaskill ditched alongside at 12:38PM on March 10, 1945」であり、「Wikipedia」の「USS Bering Strait (AVP-34)」の項(https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Bering_Strait)でも「On 10 March, Bering Strait established contact with a B-29, nicknamed Hopeful Devil, that radioed a distress call during its return from a bombing mission over the Japanese home islands. The Superfortress ditched alongside at 12:38 hours, and Bering Strait picked up the nine-man crew in short order」となっている)。

 

 

 マッキャスキル大尉の「ホープフル・デビル」の所属は、動画に添えられた説明によれば「484th Squadron, 505th Bombardment Group, 313th Bombardment Wing」となっており、指揮系統の序列で(上位から下位へ)示せば、陸軍航空軍>第20航空軍>第21爆撃機集団>第313爆撃航空団>第515爆撃群団>第484爆撃戦隊の1機であったことになる。

 「作戦任務報告書」の「付篇E 集約統計表」によれば、313爆撃航空団のB-29保有機数は146機で、出撃予定機数が121機、実際の出撃機数が110機であった。そのうち3機が不時着水しており、その1機が「ホープフル・デビル」ということになる。

 「ホープフル・デビル」については、「USAAF Nose Art Research Project」に爆弾を手にした角の生えた悪魔の描かれたノーズ・アート画像(http://www.usaaf-noseart.co.uk/plane.php?plane=hope-full-devil#.VvOILa1f2M8)が掲載されており、ボブ・ホープにちなんだ命名だと説明されている。また、機体のシリアル・ナンバーが「42-63482」であることも示されているので、手元の資料を参照することで、ボーイングのウィチタ工場製の1634機―量産初期に生産された機体―の1機であることもわかる。

 

 

 「ホープフル・デビル」のクルーを救助した水上機母艦「ベーリング・ストレイト」については、先の『Wikipedia』記事から、1944年7月に米海軍の水上機母艦として就役し、退役が1946年6月。以後、米沿岸警備隊、ベトナム海軍、フィリピン海軍で就役し、最終的に1990年4月に退役していることがわかる。

 米海軍の水上機母艦としては、輸送船の護衛任務、B-29搭乗員の救難、そして沖縄戦では航空機搭乗員救難任務に加え対潜哨戒任務も大戦中にこなしている。

 

 『Wikipedia』記事中で重要だと思われるのは、「ベーリング・ストレイト」による搭乗員救難活動に対し、313爆撃航空団司令官から感謝の言葉が贈られたエピソードである。水上機母艦に宛てたメッセージの中で爆撃航空団司令官は、「ベーリング・ストレイト」が不時着水した搭乗員の「守護天使」として50名の戦闘員を海上で取戻すことに貢献し、彼らの多くを再び敵への戦闘に従事させることが可能になったことに感謝しているのである。

 不時着水した爆撃機搭乗員の救難システムの構築が、単に米軍の将兵への人命尊重精神を示すにとどまらず、まさに戦争遂行のマネジメントの問題でもあったことが示された言葉であろう(将兵の「無駄死に」を避けることはヒューマニズムの問題でもあるが、戦争遂行のマネジメントの問題でもあり、日本の軍隊は、そのどちらにおいても米軍の水準に大きく劣っていた)。

 その点については、動画に添えられた解説の結びの言葉からも読み取れるだろう。そこでは、「ベーリング・ストレイト」による着実な爆撃機搭乗員救難活動が(これは単に「ベーリング・ストレイト」一艦だけの問題ではなく、背景にある空海軍の緊密な協力により組み上げられた救難システムの存在を考えるべきであろう)爆撃機搭乗員の高い士気を後押ししたとの認識が示されているのである(The USS Bering Strait was part of a well coordinated Air-Sea Rescue operation deployed each time the B-29s attacked Japan.  It was a prime concern of the Bomber Command to rescue as many of these downed crewmen as possible.  For American aircrews, this was a huge morale booster)。

 

 

 

《あらためての考察》

 以前の記事(「統帥の無責任としての特攻精神 7 (ボンバールとスーパー・ダンボ)」)で、アラン・ボンバールの知見に基づき、

 

  ここには不時着水と難船との違いはあるが、広い洋上をいつか発見される偶然に頼り漂流するだけという状況は多くの人間には耐え難いものであり、たとえ救命ボートを手に入れられたとしても「死ぬのには三日で十分」という事態になってしまう、とボンバールは言うのである。
  それに対し、スーパー・ダンボやOA-10A飛行艇が空から捜索し、海軍艦艇が洋上から支援し、つまり太平洋上を漂流する搭乗員を発見し救助するための努力が存在するという事実は、孤立無援の絶望感に沈むことではなく生き延びる可能性を考えることにつながるだろう。それは、洋上に不時着水した搭乗員の生存率の向上に、大きく寄与したはずである。
  そこにあるのは自分たちが「見捨てられてはいない」という希望であり、より正確には自分たちが「見捨てられることはない」という信頼感である。

  実際に捜索されることで救助され生存が確保されるわけだが、ボンバールの知見により推測されるのは、捜索されているという事実があり、救助のためのシステムが存在するという事実が、それだけで生存率の向上をもたらすだろうという構図である。

 

…と指摘したが、まさにその点に、フィルムに記録された「ホープフル・デビル」と「ベーリング・ストレイト」のエピソードの背景にある、米軍の手厚い救難システムの存在の意味が見出されるであろう。

 

 また、「統帥の無責任としての特攻精神 5 (洋上のB-29と特攻精神)」で要約して示した、

 

  救難システムの存在には、単なる人命尊重以上の意味があったのである。搭乗員には訓練が必要であり、その養成には時間と資金の投下が不可欠なのである。爆撃機搭乗員とは、その養成に多くのコストを要するものなのであり、使い捨てにするのではなく使いまわさねばならないものなのである。要するに、米軍における救難システムの存在は、単に軍人兵士の人命尊重を意味するだけではなく、戦争遂行のマネジメントの問題でもあるということなのだ。
  特攻とは、訓練養成にコストを要するパイロットを使い捨てにすること(もちろん、航空機という生産に高いコストを要する兵器も使い捨てにされる)で可能となる軍事行動である。
  戦争遂行のマネジメントという観点からしても、軍事作戦としての「特攻」という選択は、「統帥の無責任」を象徴した行為であることを、あらためて確認しておく必要を感じる。

 

  B-29一機の喪失は、11人の搭乗員の喪失に結びつく。機体は失われても、搭乗員を失わないための努力が、このような海上救難システムとして組み上げられていたわけである。それは何より搭乗員自身の生命の問題であるが、銃後で無事な帰還を待つ搭乗員の家族―それぞれに一票を投じる権利を持った、政治的決定に関与出来る、国内世論を形成する家族である―の問題であり、訓練を経た貴重な搭乗員を失う軍の問題でもある。
  米軍の場合、手厚い救難システムの整備をすることが、前線兵士のより高い士気を支えると考えられ、戦争遂行に対する国内世論の確保に結びつくと考えられ、様々な意味で軍の利益に合致すると考えられていた、ということになるのであろう。

 

…との認識の重要性が、動画サイトにある1945年3月10日の太平洋上の記録フィルムを通して、あらためて確認され得たように思われる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2016/03/23 21:51 → http://www.freeml.com/bl/316274/270785/
 投稿日時 : 2016/03/24 19:07 → http://www.freeml.com/bl/316274/270848/

 

 

 

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2015年8月15日 (土)

「安倍談話」を読む

 

 戦後七十年の「安倍談話」から、いわゆる「歴史認識」問題の核心部分を抜き書きしてみることから始める。

 

 

 

  世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
  当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
  満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
  そして七十年前。日本は、敗戦しました。
  戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
  先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
  戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
  何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
  これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
  二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
  事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
  先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
  我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
  こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
  ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
  ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
  戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
  戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
  そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
  寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
  日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

     平成27年8月14日内閣総理大臣談話

     http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

 

 

 

 「先の大戦」あるいは「あの戦争」を「侵略」と位置付けるかどうかについて(つまり「歴代内閣の立場」との整合性について、ということになるのだろうが)今回の「談話」では曖昧である、との批判があるようだが(註:1)、安倍氏は、

 

  先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

  戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

  何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 

…と記しているのである。

 「戦火を交えた国々」(後段ではあらためて「中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域」が指定されている)での「先の大戦(あの戦争)」の被害者として、直接の戦闘での死傷者だけではなく、「食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲とな」った事実をも認めているし、「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」との言葉でまず念頭に置かれているのは、日本軍のいわゆる「従軍慰安婦」とされた人々の存在であろう。

 「あの戦争」における「被害」の問題を、日本人の間の国内問題としてだけではなく、「戦火を交えた国々」そして「戦場となった地域」をも巻き込んだ問題として位置付け、それらの国々と地域の「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」を語ることで、被害をもたらした主体として「我が国」が指名されていることは重要である。

 「侵略」の文言の用法にこだわることも一つの視点ではあろうが、「あの戦争」における加害・被害の関係の中で、「我が国」が「加害」の主体であるとの認識が、安倍氏によって明確に示されていること(及びその重要性)には気付いておくべきである。

 

 

 

 産経新聞は、安倍晋三首相が戦後70年談話の作成に向けて設置した有識者会議「21世紀構想懇談会」が提出した報告書についての「社説(産経新聞紙面では「主張」欄である)」の中で、

 

  未来へ進む土台となる歴史をめぐる表現には、英知の発揮が必要である。過去を一方的に断罪した村山富市首相談話は、日本の名誉と国益を損なってきた。その轍(てつ)を踏んではなるまい。
     (産経新聞 2015/8/7 05:03)

 

…との見解を述べていたが、実際の「安倍談話」に記された「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」との認識の重大性、「我が国」を「戦火を交えた国々」そして「戦場となった地域」に被害を与えた主体(すなわち加害の主体)として位置付けたことの重大性を理解しておいたほうがよい。

 「安倍談話」において、「先の大戦(あの戦争)」は「アジアの植民地からの解放のための戦争」としての自賛の対象でない(註:2)ばかりか、「自存自衛の戦争」としての正当化の対象ですらなく、安倍氏が示しているのは「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」との認識であり、その際の「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実」であり、「先の大戦への深い悔悟の念」なのである。

 

 安倍氏は談話中で、

  日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

…と主張している。

 この前段に着目すれば、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」ということになり、歴代内閣談話が示した認識を過去完了形のものとしようとする試みとして批判の対象とされる可能性もある。しかし、後段には「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」と明記されているのであり、歴代内閣談話を過去完了形の遺物として取り扱おうとするすべての試みは、「安倍談話」の示した認識に反するものとして位置付けられることになる。

 たとえば、「安倍談話」の発表に先立ち、

  自民党の稲田朋美政調会長は11日のBSフジの番組で、安倍晋三首相が14日に公表する戦後70年談話について、「未来永劫(えいごう)謝罪を続けるのは違う」と述べ、先の大戦に関する「おわび」の文言は明記すべきでないとの認識を示した。
     (時事通信 2015/8/11 23:35)

…との報道があったが、「安倍談話」が示した「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」との認識は、稲田氏のような主張とは両立し得ない。「安倍談話」が示した認識は、文字通りに理解する限り、先の稲田氏に代表されるような歴史修正主義的言説をあらかじめ否認し、歴史修正主義者の言説に対する予防拘束的機能を持つものとなっているのである。この点には、十分に着目しておくべきではないかと思う。

 

 いずれにせよ、先に示したように、実際に発表された「安倍晋三首相談話」では、加害の詳細について、「村山富一首相談話」以上に踏み込んだ表現が用いられてもいるのである(註:3)。そのような意味で、「安倍談話」の内容は、産経新聞を含む多くの安倍支持者の期待に対する実質的な「裏切り」と言うしかないように思えるのだが、ネットの反応を見る限り、誰もそれに気付いてはいないようである(註:4)。

 

 

 

【註:1】
 もちろん、今回の「安倍談話」が注目を集めることになったのは、安倍氏(そしてその支持者)が「植民地支配と侵略によりアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実に対する痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を表明した歴代内閣談話の否認をこそ、新たな談話の発表によって画策しているものと見做されていたからである。
 実際、政権獲得前の安倍氏は、再び自民党が政権の座に就いた場合は「宮沢喜一官房長官談話、河野談話、村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」と明言していたのであるし、今回の談話の作成に際しても、

  安倍晋三首相は戦後70年談話の14日の閣議決定に向け、文案の最終調整に入る。首相の私的諮問機関「21世紀構想懇談会」が6日に首相に提出した報告書は、満州事変以後の日本の「大陸への侵略」を認め、1930年代後半から植民地支配が過酷化したことも指摘した。これを踏まえ、首相が談話でアジア諸国への「おわび」を表明するかどうかが焦点になっている。ただ、首相が7日、与党幹部に示した素案には「おわび」の文言は盛り込まれていなかった。
     (毎日新聞 2015/8/9 21:11)

  首相は当初、戦後の歴史に区切りを付ける目的から、談話に先の大戦への「謝罪」を盛り込まない意向だった。だが、公明党は「心からのおわびの気持ち」を表明した村山談話などの継承を要求。首相は同党への配慮のほか、安全保障関連法案の審議などの影響による内閣支持率下落を受け、さらなる世論の反発を避けるため安全策に傾いたとみられる。
  原案は、「侵略」と「植民地支配」も盛り込んだ。有識者会議から異論も上がった「侵略」に関して政府内では、国際社会で認められない行為などの文脈で取り上げ、先の大戦での日本の行為との位置付けと一線を画す案が浮上している。 
     (時事通信 2015/8/11 19:59)

…と報道されていた通りである。「首相が7日、与党幹部に示した素案には「おわび」の文言は盛り込まれていなかった」のであるし、「有識者会議から異論も上がった「侵略」に関して政府内では、国際社会で認められない行為などの文脈で取り上げ、先の大戦での日本の行為との位置付けと一線を画す」ことが目論まれていたのである。
 しかし、「談話」を閣議決定の対象としたことで、

  公明党の山口那津男代表は11日の記者会見で、安倍晋三首相の戦後70年談話について首相と7日に会談した際、「(先の大戦をめぐる)歴代内閣の談話を継承した意味が国民や国際社会に伝わるようにしてほしい」と求めたことを明らかにした。「首相に受け止めていただいたと思っている。首相がどう仕上げるか見守る」と強調した。
  会談では「中韓両国の関係改善への流れが進みつつあり、それに資するものにしてほしい」と伝えたとも話した。
  談話をめぐり、首相は「おわび」の文言を記述する方向で最終調整している。
     (共同通信 2015/8/11 12:17)

…と、公明党の意向を無視し得なくなると同時に、

  NHKは今月7日から3日間、全国の20歳以上の男女を対象に、コンピューターで無作為に発生させた番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行い、調査対象の65%に当たる1057人から回答を得ました。
  この中で、安倍総理大臣が戦後70年のことし発表する予定の談話の中に「過去の植民地支配と侵略に対するおわび」を盛り込んだほうがよいと思うか尋ねたところ、「盛り込んだほうがよい」が42%、「盛り込まないほうがよい」が15%、「どちらともいえない」が34%でした。
     (NHK 8/11日 04:26)

…との世論調査の結果への配慮をしないで済ますことも難しいところへと追い込まれたのであろう。世論調査は、「盛り込まないほうがよい」は15%に過ぎず、たとえ倍にしても42%の「盛り込んだほうがよい」に届かないことを示したのである。
 首相の意思表明として十分に明確なものとは言い難いにせよ、歴代内閣談話に用いられたキーワードはすべて盛り込まれ、新たな談話においては、(歴代内閣談話の否認という)当初の安倍氏(及び支持者)の意図は挫かれたと言い得る結果とはなったのである。
 ちなみにNHKの世論調査では、

  安倍内閣が、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制の整備を進めていることを、評価するかどうか聞いたところ、「大いに評価する」が7%、「ある程度評価する」が23%、「あまり評価しない」が32%、「まったく評価しない」が32%でした。
 集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法案を、今の国会で成立させるという政府・与党の方針には、「賛成」が16%、「反対」が47%、「どちらともいえない」が31%でした。
 安全保障関連法案について、政府は国会審議の中で十分に説明していると思うか尋ねたところ、「十分に説明している」が9%、「十分に説明していない」が58%、「どちらともいえない」が24%でした。
 礒崎総理大臣補佐官が、安全保障関連法案を巡って「法的安定性は関係ない」などと発言し、その後、国会で陳謝し、発言を取り消した問題について、安倍内閣が適切に対応していると思うか聞いたところ、「適切に対応している」が9%、「適切に対応していない」が51%、「どちらともいえない」が30%でした。
 沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画について、工事を1か月間中断し、沖縄県側と集中的に協議することにした政府の対応を、評価するかどうか尋ねたところ、「大いに評価する」が8%、「ある程度評価する」が40%、「あまり評価しない」が28%、「まったく評価しない」が13%でした。
 現在停止している原子力発電所の運転を再開することについて聞いたところ、「賛成」が17%、「反対」が48%、「どちらともいえない」が28%でした。
     (NHK 2015/8/10 19:01)

…との結果も出されており、国民の間では、ネトウヨ的心性を持つ安倍支持者が実は少数派であることが、あらためて明らかにされたところは注目点だと思う。

 

【註:2】
 もっとも、引用紹介した部分の直前には、

  百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

…との記述があり、「日露戦争」の波及効果として「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ」たことが語られているが、「日露戦争」(の勝利)が日本にもたらしたのは満洲の権益であり朝鮮半島の支配権なのであって、日本は植民地支配からの解放者ではなく、植民地支配の実行者としての「列強」の一員となったのだという事実は、安倍氏によって見事に無視されている。

 

【註:3】
 参考のために、実際の「村山談話」と「小泉談話」では、どのように「植民地支配と侵略への反省とお詫び」が表現されていたのかを引いておく。

  わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
     「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

     http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html

  また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
     平成十七年八月十五日内閣総理大臣談話(いわゆる小泉談話)

     http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/15danwa.html

 

【註:4】
 参考のために、政権獲得前の安倍晋三氏の言葉を、産経新聞記事から引いておこう。

  自民党の安倍晋三元首相は27日、産経新聞のインタビューに応じ、次期衆院選について「政界再編の第一歩と位置づけなければならない。混乱を避けては再編はできない」と述べた。その上で再編のカギを握る大阪市の橋下徹市長率いる大阪維新の会に関し、「違いはあるが、違いを見つけるよりも骨格が同じかどうか、貫く精神が共有できるかどうかだ。橋下氏は戦いにおける同志だと認識している」と表明した。
  次期衆院選とその後の政界再編に向け、橋下氏との連携、協力を深めていく考えを示したとみられる。橋下氏と共有できる具体的な政策の柱については、(1)教育改革(2)憲法改正(3)慰安婦問題をはじめとする歴史認識分野-などを挙げた。
  特に慰安婦問題に関し、橋下氏が「強制連行を直接示すような資料はない」とした平成19年の安倍内閣の閣議決定を引用し、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話について「証拠に基づかない内容で最悪」と批判したことを「大変勇気ある発言だった」と評価した。
  再び自民党が政権の座に就いた場合は「(教科書で周辺諸国への配慮を約束した)宮沢喜一官房長官談話、河野談話、(アジア諸国に心からのおわびを表明した)村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」との考えを明らかにした。
     (産経新聞 2012/08/28 00:57)

 安倍氏は、「再び自民党が政権の座に就いた場合は「(教科書で周辺諸国への配慮を約束した)宮沢喜一官房長官談話、河野談話、(アジア諸国に心からのおわびを表明した)村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」との考えを明らかにし」ていたのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/08/14 21:49 → http://www.freeml.com/bl/316274/253138/

 

 

 

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2015年3月30日 (月)

資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移

 

 

《安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移》

 

 〈政権獲得前〉

  自民党の安倍晋三元首相は27日、産経新聞のインタビューに応じ、次期衆院選について「政界再編の第一歩と位置づけなければならない。混乱を避けては再編はできない」と述べた。その上で再編のカギを握る大阪市の橋下徹市長率いる大阪維新の会に関し、「違いはあるが、違いを見つけるよりも骨格が同じかどうか、貫く精神が共有できるかどうかだ。橋下氏は戦いにおける同志だと認識している」と表明した。
  次期衆院選とその後の政界再編に向け、橋下氏との連携、協力を深めていく考えを示したとみられる。橋下氏と共有できる具体的な政策の柱については、(1)教育改革(2)憲法改正(3)慰安婦問題をはじめとする歴史認識分野-などを挙げた。
  特に慰安婦問題に関し、橋下氏が「強制連行を直接示すような資料はない」とした平成19年の安倍内閣の閣議決定を引用し、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話について「証拠に基づかない内容で最悪」と批判したことを「大変勇気ある発言だった」と評価した。
  再び自民党が政権の座に就いた場合は「(教科書で周辺諸国への配慮を約束した)宮沢喜一官房長官談話、河野談話、(アジア諸国に心からのおわびを表明した)村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」との考えを明らかにした。
     (
産経新聞 2012/08/28 00:57

 

 もちろん、問題の中心となるのは、

  宮沢喜一官房長官談話、河野談話、村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべき

…との文言である。

 

 〈政権獲得後〉

  安倍晋三首相は15日の参院予算委員会で、先の大戦を含めた過去の中国との関係について「日本が侵略しなかったと言ったことは一度もない」と明言した。過去の植民地支配と侵略を認めた村山富市首相談話に関しても継承する考えを示した。村山談話をそのまま踏襲しないなどとした従来の発言を軌道修正した。
  …
  首相は中国について「大きな被害、苦しみを与えたことに痛惜の念を持っている」と強調。朝鮮半島にも「大変な被害、苦しみを与え、痛惜の念、反省の上に立って今日の日本がある」と言及。村山談話には「過去の政権の姿勢を全体として受け継いでいく」。
     (
産経新聞 2013/5/15 13:48

 

  【「村山談話」について】
  歴代内閣の立場は引き継いでいる。安倍内閣として侵略や植民地支配を否定したことは一度もない。(参院予算委の首相答弁要旨)
     (
産経新聞 2014/3/4 10:27

  【「河野談話」について】
  菅氏は、政府が河野談話を継承する立場であることを説明し、桜田氏は「政府の立場は理解した」と答えた。その上で菅氏は「誤解を招くことがないようにくれぐれも留意してほしい」と求めたという。(「河野談話」見直し賛同の桜田文科副大臣に注意 菅長官「政府は継承の立場だ」)
     (
産経新聞 2014/3/4 11:02

  【「南京大虐殺」について】
  菅氏は1937(昭和12)年のいわゆる南京大虐殺について、「政府の基本的な立場は旧日本軍によって南京入場後、非戦闘員の殺害、または略奪行為があったことは否定できないというものだ。安倍政権も全く同じ見解だ」と述べた。(首相批判の米紙に抗議 菅長官「著しい誤認」)
     (
産経新聞 2014/3/4 21:21

 

  安倍晋三首相が14日、従軍慰安婦制度への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話の見直しを初めて明確に否定した。慰安婦問題で誠意を示すよう求める韓国の朴槿恵大統領に対し、関係改善に向けたメッセージを送った形で、首相は、24日からオランダ・ハーグで開かれる核安全保障サミットに合わせた日米韓3カ国首脳会談の実現につなげたい考えだ。
  「金曜の集中審議を見てもらいたい」。政府関係者によると、外務省の斎木昭隆事務次官は12日、ソウルでの韓国外務省の趙太庸第1次官との会談でこう語り、14日の参院予算委員会では、首相から踏み込んだ発言があることを事前通告した。
  実際、首相は同日、河野談話について「安倍内閣で見直すことは考えていない」と明言。「官房長官が答えるのが適当」などとはぐらかしてきた従来の姿勢を転じた。元慰安婦に対しても「筆舌に尽くし難いつらい思いをされたことを思い、非常に心が痛む」と語り、気遣いを見せた。
     (
時事通信 2014/3/14 18:32

 

  安倍晋三首相は27日、オバマ米大統領が韓国で慰安婦問題について「甚だしい人権侵害」と言及したことに関し、「筆舌に尽くしがたい思いをした慰安婦の方々のことを思うと胸が痛む。21世紀はそうしたことが起こらない世紀にするため、日本も大きな貢献をしていきたい」と述べた。
  オバマ氏は、25日の米韓首脳会談後の共同会見で「未来を見ることが日本と韓国の人々の利益だ」と指摘し、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は日本に「誠意のある実践が必要だ」と早急な対応を要求した。首相はこれらを念頭に「今後とも日本の考え方や方針を説明していきたい」として、引き続き国際社会に理解を求める考えを強調した。
     (
産経新聞 2014/4/28 7:55

 

 このように(意外に思われるかもしれないが)、政権獲得後の首相としての安倍氏と内閣官房長官は一貫して、「村山談話」の「継承」を明言し、「河野談話」の「見直し」を否定しているのである。

 

  政府は24日の閣議で、慰安婦をめぐる平成5年の河野洋平官房長官談話や、過去の植民地支配を認めた7年の村山富市首相談話に、旧日本軍が慰安婦を強制連行したとする故吉田清治氏の証言は反映されていないとの答弁書を決定した。
  吉田忠智社民党党首の質問主意書に答えた。
     (
産経新聞 2014/10/24 12:05

 

  菅義偉官房長官は22日の記者会見で、河野洋平元官房長官が平成5年に慰安婦問題に関する談話の発表会見で強制連行を認める発言をしたことに関し「談話と河野氏の発言は区別したい」と述べ、談話を継承する政府方針は変わらないと強調した。同時に「戦争は女性の人権が侵害されてきた歴史だ。日本は人権侵害のない世界をつくりたいと戦後取り組んできている」と訴えた。
     (
産経新聞 2014/10/22 22:45

 

 ここでは、「村山談話」及び「河野談話」には「故吉田清治氏の証言は反映されていない」ことを明言すると共に、「河野談話」と、その発表会見上での河野氏による「強制連行を認める発言」を「区別」した上で、「談話を継承する政府方針は変わらない」ことが、安倍内閣の「政府方針」として「強調」されているわけである。この点については一般に大きく誤解されている(そもそも河野氏自身が理解していない)ようだが、実際の「河野談話」の文言では、慰安婦の募集時における軍の関与の間接性がその制度的特徴であることが強調されているのであり、慰安婦の軍による直接的・組織的な暴力的拉致(すなわち「強制連行」である)を、慰安婦制度に伴う一般的事実として認定しているわけではない(もちろん、個々の事例としての「強制連行」に相当する行為の存在を否定しているわけでもない―詳しくは「産経の捏造 1 (「河野談話」と「強制連行」)」を参照)のである。よく読んでみれば、「河野談話」には「見直し」の必要などなかったことに(この期に及んで)気付いたのであろう。

 

 〈最新発言〉

  米紙ワシントン・ポストは27日、安倍晋三首相のインタビューを掲載した。同紙によると、首相は、慰安婦が「人身売買(ヒューマン・トラフィッキング)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べたと報じた。インタビューの内容は英訳されており、日本語でどのような表現を使ったかは明らかではない。
  同紙電子版が伝えた詳報によると、首相は慰安婦問題により「女性の人権が侵害された」と指摘。「21世紀を人権侵害のない最初の世紀とすることを願っている」と述べた。
  また、日本の植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年の「村山談話」、戦後60年の「小泉談話」を含め、「過去の政権の歴史認識に関する立場を、安倍内閣は守る」と発言した。慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話」に関しては「見直しはしていない」と語った。
     (
産経新聞 2015/3/28 8:59

 

  安倍晋三首相は30日の衆院予算委員会で、米紙インタビューで慰安婦について「人身売買」という表現を使用したことをめぐり、「この問題についてはさまざまな議論がされてきているところだが、その中で人身売買についての議論も指摘されてきたのは事実だ。その観点から人身売買という言葉を使った」と述べた。
     (
産経新聞 2015/3/30 11:26

 

 安倍氏自身によって実際に「人身売買という言葉を使った」事実が明らかにされることにより、『産経新聞』による「インタビューの内容は英訳されており、日本語でどのような表現を使ったかは明らかではない」との留保が無用なものであったことが(『産経新聞』の期待に反して、ということになりそうであるが)明確になってしまったわけである。

 

 〈ワシントン・ポスト紙に掲載されたインタビューの詳細〉

  My opinion is that politicians should be humble in the face of history. And whenever history is a matter of debate, it should be left in the hands of historians and experts. First of all, I would like to state very clearly that the Abe cabinet upholds the position on the recognition of history of the previous administrations, in its entirety, including the Murayama Statement [apologizing in 1995 for the damage and suffering caused by Japan to its Asian neighbors] and the Koizumi Statement [in 2005, stating that Japan must never again take the path to war]. I have made this position very clearly, on many occasions, and we still uphold this position. Also we have made it very clear that the Abe cabinet is not reviewing the Kono Statement [in 1993, in which the Government of Japan extended its sincere apologies and remorse to all those who suffered as comfort women].
  On the question of comfort women, when my thought goes to these people, who have been victimized by human trafficking and gone through immeasurable pain and suffering beyond description, my heart aches. And on this point, my thought has not changed at all from previous prime ministers. Hitherto in history, many wars have been waged. In this context, women’s human rights were violated. My hope is that the 21st century will be the first century where there will be no violation of human rights, and to that end, Japan would like to do our outmost.
     (
Washingtonpost 2015/3/26 
http://www.washingtonpost.com/blogs/post-partisan/wp/2015/03/26/david-ignatiuss-full-interview-with-japanese-prime-minister-shinzo-abe/

 

 

《関連記事:米国務省次官とNHK会長の発言》

 

  米国務省は3日までに、シャーマン国務次官の日中韓の歴史認識問題に関する発言が、韓国で反発と波紋を呼んでいることを受け、韓国メディアなどに対し、慰安婦問題に絞った補足の見解を表明した。
  見解は、慰安婦を「性的な目的の女性の売買」と表現し、人身売買だとの認識を示した。また、過去の植民地支配などを謝罪した「村山談話」と、慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」が、「近隣諸国との関係を改善する重要な章になった」と強調した。
  シャーマン氏は2月、戦後70年をテーマにしたワシントンでの講演で、慰安婦問題などで日中韓の協力が妨げられているとの認識を示し、「理解できるが、もどかしい」と発言した。これに対し、韓国メディアは「関係回復の責任は(対立の)原因をつくった日本にある」(韓国日報)などと反発している。
  見解は、村山談話と河野談話に関する米政府の認識が韓国側と共通していることを示し、安倍政権に対して両談話を継承することが望ましいとの意向を示唆することで、韓国側の理解を求めたものとみられる。
     (
産経新聞 2015/3/4 21:58

 

  NHKの籾井勝人会長が、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話は「国の方針ではない」と発言した問題について16日、板野裕爾・NHK専務理事は発言の事実を認めた上で、「籾井会長は、河野談話が閣議決定されていないこともあり、政府方針として判断するのは難しいという思いで発言した。今は正式な方針と認識している」と述べた。衆院総務委員会理事懇談会で説明した。
  NHK関係者によると、籾井会長は今年1月9日の国際放送番組審議会で「安倍(晋三)首相が安倍談話を出せばこれは国の政策だが、河野談話はそうではない」と発言した。
     (
毎日新聞 2015/3/16 22:32

 

 

 

《まとめ》

 

 政権獲得前には、

  再び自民党が政権の座に就いた場合は「(教科書で周辺諸国への配慮を約束した)宮沢喜一官房長官談話、河野談話、(アジア諸国に心からのおわびを表明した)村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」との考えを明らかに

…していた安倍晋三氏は、政権獲得後は再三再四にわたり「村山談話」及び「河野談話」の「継承」を明言し、3月26日の『ワシントン・ポスト』紙のインタビューでは、あらためて、

  慰安婦が「人身売買(ヒューマン・トラフィッキング)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む

…と述べ、

  慰安婦問題により「女性の人権が侵害された」と指摘。「21世紀を人権侵害のない最初の世紀とすることを願っている」

…と述べると同時に、

  日本の植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年の「村山談話」、戦後60年の「小泉談話」を含め、「過去の政権の歴史認識に関する立場を、安倍内閣は守る」と発言した。慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話」に関しては「見直しはしていない」

…と明言したというわけである(「慰安婦問題」を考える際に慰安婦の調達法が「人身売買」に求められることの重大性については「産経の捏造 2 (櫻井よしこ氏と「人身売買」)」を、「河野談話」をどのように読むべきかについては「産経の捏造 3 (橋下徹氏と「河野談話」)」を参照)。

 

 今回のこれまでより踏み込んだ(追い詰められた?)発言内容は、シャーマン米国国務次官の発言(3月4日付産経新聞報道)に照応したもののように見えるが、まるで必要な文言を指定(むしろ「指導」と表現すべきか?)されたようにさえ見えてしまう(「人身売買」への新たな言及と、「村山談話」と「河野談話」の「継承」の再確認)ところが、日米関係の現状を評価する上でも、安倍氏支持層への心理的影響を考える上でも興味深いものとなっている。

 実際、今回の安倍氏の発言を通して、安倍氏の忠臣であるはずのNHK会長の間抜けぶりが際立ってしまったことにもなるわけで、ここで籾井氏の心中をお察ししてみることにも興味を感じるが、その点については私の想像力を超えているような気もしないでもない。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/03/30 18:59 → http://www.freeml.com/bl/316274/242552/

 

 

 

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2014年10月31日 (金)

「聖戦貫徹決議」の非現実性と斎藤隆夫のリアリズム

 

 

  現在世界の歴史から戦争を取り除いたならば残る何物があるか。一たび戦争が起こりましたならば、最早問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を膺懲する、これが戦争という意味ではない。

 

 

 

 昭和15年の第七五帝國議会における斎藤隆夫の演説中の言葉である。さらに斎藤は、

 

 

  この現実を無視して、唯いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、いわく国際正義、いわく道義外交、いわく共存共栄、いわく世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがあれば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできないのであります。

 

 

…とまで言い切った。

 それでどうなったのかというと、

 

 

  昭和十五年三月七日、衆議院で斎藤隆夫の除名可決。同月九日、この除名に反対した片山哲ら八議員を所属の社会大衆党が除名する。その同じ日の三月九日、衆議院は「聖戦貫徹決議案」を可決。同じ月の二五日には、各派の衆議院議員一〇〇人余りが「聖戦貫徹議員連盟」を結成した。
     三國一郎 『戦中用語集』(「聖戦」の項より) 岩波新書 1985  59~60ページ

 

 

…という結末を迎える。

 

 結局、「雲を掴むような文字を列べ立てて」も戦争には勝てないという斎藤隆夫のリアリズムは無視され、まさに「千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤る」という事態に立ち至ったわけだが、敗戦という現実を前にして「死してもその罪を滅ぼすことはできない」と自らの責任について考えた政治家がどれだけいたのか? 「聖戦貫徹議員連盟」参加者の敗戦後の出処進退はどのようであったのか?

 

 

 

 斎藤隆夫の、

  一たび戦争が起こりましたならば、最早問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を膺懲する、これが戦争という意味ではない。

…という言葉こそ、リアリズムの極致である。

 勝った者が正しい、それが戦争というものの論理なのである。正しい者が勝つ、というのは確かに道義的な考え方かも知れないが、戦争のリアリズム(戦争を国家間の利害の衝突の解決手段と考える政治的リアリズム)とは関係ないのである。

 人口に膾炙した日本的表現では「勝てば官軍」となるわけだが、そこに反映されている正義に対する相対主義というか、ちょっとシニカルな日本人の構え方こそ庶民的リアリズムであり、政治的にも健全な感覚であろう。

 

 しかし、この「勝ったから正しい(勝てば官軍)」思想が靖国神社の基底となり、本来の相対主義が失われ、勝者の正しさを絶対化させてしまうのである。維新後は、大日本帝國の勝った戦争=正しい戦争の死者を祀る場所になってしまう。

 英霊=正しい(勝ったから正しい)戦争の戦死者、という位置付けのままで、日本は大東亜戦争(支那事変から対米英の世界戦争)に突入してしまうが、しかし、戦争には負けてしまう。勝つことで戦争の正しさが保障されていたのに、負けた戦争という結末である。「英霊=正しい(勝った)戦争の死者」というこれまでの構図は破産してしまう。

 で、戦後は、「負けたけど正しい戦争」ということにしてしまった。「勝ったから正しい戦争」であったものを「負けたけど正しい戦争」へとすり替えたわけである。これは、言わば、神社創設の理念の変更である。そもそも靖国神社は戦死者一般の慰霊施設・追悼施設などではなく、国家による正しい戦争の戦死者=英霊を祀る施設だったのであり、国家による戦争の正しさは、戦争の勝利によって支えられていたのである。神社の起源にまで遡れば、「大義のため」に命を落とした反政府テロリストの墓碑(京都東山の霊明舎)であり、招魂場(招魂社)ということになるのであろう。その意味では、祀る側からすれば、「正しい戦い」での死者として位置付けられたものではある(しかし、幕府の勝利に終わっていれば、「英霊」は「死んだ反政府テロリスト」に過ぎない)。

 

 

 「勝ったから正しい」は、いわゆる「国際法」の基本でもあって、大戦後の連合国による戦後処理も、その典型的事例であろう。いわゆる東京裁判も、「勝者の裁き」になってしまうわけである。

 ただ、忘れてはならないのは、それを日本人が批判は出来ないということだ。

 そもそも斎藤隆夫を衆議院から除名した大日本帝國は、「東亜新秩序建設」を名目として大東亜戦争を遂行したのであって、つまり、それまでの(米英中心の)国際法秩序の改変を、大東亜戦争の目的として掲げていたのである。目論見では、日本が大東亜戦争に勝利し、米英中心の国際法秩序を大日本帝國中心の国際法秩序へと変更する。戦争の勝利による国際法秩序の変更こそが、「大東亜戦争」の「戦争目的」として位置付けられる以上、単細胞な連合国批判はダブルスタンダードになってしまうことには気付いておくべきである(そういう単細胞な輩が多いのには閉口するが)。

 重要なことは、日本の戦争も相対化し、戦後の国際法秩序も相対化することであって、その両者の片方だけでは不十分なのである(ネット上で元気なのは、どちらか片方の信奉者というのは困ったものであるが)。

 

 

 

 実際問題としては、戦争には大義名分がほとんど不可欠なものではあるし、そもそもの話としては、二つの対立する「正しさ」(ある国家の利益はその国家にとっては「正しい」ものである)が存在し、「正しさ」の対立の決着を図ろうとする際に、暴力行使の「勝負」によって解決しようとするものであって、暴力における強さを「正しさ」を測る基準としてしまうものなのである。

 戦争は勝つ前提でしない限り意味はないし、戦争に勝つためには、強い相手と戦争をしないことが必要条件となるのだが、その意味において、大日本帝國は完全に選択を誤り判断を誤ったことは明らかである。

 議会から斎藤隆夫を「除名」し、議会で「聖戦貫徹決議」を可決し、「聖戦貫徹議員連盟」を結成し、「聖戦の美名」に酔いしれ、「雲を掴むような文字を列べ立てて」も、戦争には勝てないのである。「聖戦貫徹」の結果は「敗戦」であり、「聖戦」の勝者は連合国となってしまった。議会が斎藤隆夫の言葉に耳を傾けていれば、「雲を掴むような文字を列べ立て」ることではなく、冷静に現実的な判断をすることに努めていれば、「敗戦」もなく、「東京裁判」など存在しなかったはずである。

 

 もちろん戦争は、必ずしも双方の合意の下に始まるわけではないから、強い相手との戦争に巻き込まれてしまう状況は、確かに存在するし、そのような場合に、生還を期すことなく戦闘に臨むことはある。

 通常はいわゆる日本の「特攻」(だけ)を思い浮かべるだろうが、第二次大戦時のポーランドの鎗騎兵のエピソードにしても、アメリカ史の中での「アラモの戦い」にしても、将兵は、圧倒的で強大な敵に対する生還を期さぬ闘いを遂行し、従容として戦死していったこともまた歴史的事実(人間的な事実)である。

 しかし、大東亜戦争は、日本による主体的な戦争なのである。日本は支那事変の不拡大ではなく拡大を自ら選択し、支那事変の拡大の果ての打開策としての仏印進駐(援蒋ルート閉鎖としての北部、南方資源確保の第一歩としての南部)は、むしろ米国の強硬な対日禁輸政策を招来し、大日本帝國は資源確保のための対米英戦開始に至る。

 支那事変の拡大は、蒋介石の国内的求心力を高めることに役立ち、中国と米英との利害を一致させ協調させることに役立った。

 チャーチルにとっては、日本の対米英開戦はヨーロッパでの英国の孤立の解消に役立った。

 ルーズベルトにとっては、日本の対米英開戦は、米国内世論の戦争忌避感情を一変させ、ヨーロッパでの参戦(英国への援助)の口実を作るのに役立った。

 では、支那事変の拡大は、どのように日本の役に立ったのであろうか?

 この問題から目を逸らすことにばかり夢中になっていては、靖國神社に「英霊」として祀られている戦死者の犠牲への責任の所在を明らかにすることなど出来るはずもない。

 

 

 

 

  この現実を無視して、唯いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、いわく国際正義、いわく道義外交、いわく共存共栄、いわく世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがあれば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできないのであります。

 

 我々は「国民的犠牲を閑却」し続けてはならない。「国家百年の大計を誤」り、大きな「国民的犠牲」をもたらした責任の所在の追及を「閑却」し続けることは、それこそ「英霊に相済まぬ」ことと言うべきであろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/08/28 22:45 → http://www.freeml.com/bl/316274/206994/

 

 

 

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2014年9月21日 (日)

ノルマンディーの橋下徹

 

 

 第三者と当事者では立場が違うというのは当たり前の話であるはずだが、必ずしもそれが常識とはなり得ていないのもまた現代日本の現実というものであろう。

 三ヶ月ほど前の橋下徹氏の発言を読み返して、あらためて痛感させられたことである。

 

 

 

  大阪市の橋下徹市長(日本維新の会共同代表)は15日、大阪市内の街頭演説で、第二次世界大戦で米国などの連合国軍がナチス・ドイツ占領下のフランス北西部の海岸で展開したノルマンディー上陸作戦について、「ノルマンディーに上陸して、連合国軍兵はフランス人女性を犯した。これはたまったもんじゃないと慰安施設を造った。これは歴史の事実だ。不幸な過去だし、二度とやってはならない」と述べた。
     (毎日新聞 6月15日(日)21時30分配信)

 

 

 

 この橋下氏の発言についての中国のネットユーザーの反応が紹介されているので読んでみよう。

 

  中国のネットではこのニュースについて、以下のようなコメントが出ている。

   「日米は同じ穴のむじな。この発言から明らかになった」
   「日米のかみつき合い、見ものだな」
   「オバマがどう答えるか楽しみだ」
   「慰安婦問題の核心は『強制』の二文字にある。第2次大戦で同盟関係にあった米仏と、日本人が中国・韓国の女性に行った行為を同列に考えることはできない」
   「この発言が事実だとしても、日本の従軍慰安婦問題を否定することはできない」
   「米国が世界に与えているイメージとは、こんなひどいものさ。弟分の日本にまでこんなこと言われて、世界のボスをやっていけるのか?」
   「フランス人の問題はフランス人が抗議する。当然、中国人は日本人に抗議する。まさかフランス人の代わりに米国に抗議するとでもいうのか」
   「どっちもどっちだろ」
     (Record China 6月16日(月)17時47分配信)

 

 

 

 
 この問題については、中国人の一人の言う、

 

  フランス人の問題はフランス人が抗議する。当然、中国人は日本人に抗議する。まさかフランス人の代わりに米国に抗議するとでもいうのか

 

…との評価が正しい(私もそのように思う)。

 そこに加害と被害の関係があれば、被害者が加害者に抗議するのは当然の話であるというだけだ。ベトナムでの韓国軍の振る舞いに被害者として抗議する資格を持つのはベトナム人であって日本人ではないし、ノルマンディーでの米兵の振る舞いに被害者として抗議する資格を持つのはフランス人なのであって日本人ではない。日本人はそこでは被害者ではないのである。

 

 

 

 ちなみに、ノルマンディーでの米兵の振る舞いの問題については、

 

  第2次世界大戦(World War II)中の仏ノルマンディー(Normandy)上陸作戦に参加した米軍兵士たちは、フランスをナチスドイツ(Nazi)から解放した勇敢な英雄として描かれてきた。そうした「若いハンサムな米兵さん」のイメージに隠された負の側面を明らかにした研究書が来月、米国で出版される。
  6月に刊行予定の「What Soldiers Do: Sex and the American GI in World War II France(兵士らは何をしたのか:第2次世界大戦中のフランスにおける性と米兵」は、米ウィスコンシン大学(University of Wisconsin)のメアリー・ルイーズ・ロバーツ(Mary Louise Roberts)教授(歴史学)が、米仏で膨大な量の第2次大戦中の資料を研究してまとめた著作だ。
  研究の趣旨についてロバーツ教授は、「GI(進駐軍兵士)はたくましい男で、常に正義に基づいて行動するとの典型的な『GI神話』の偽りを暴き出すことだった」と、AFPに語った。教授によると、米軍では当時「フランス人に対して優位に立つ」手段として性欲、買春、レイプが取り入れられていたという。
  米兵たちは、ノルマンディーの人々から「性のアバンチュール」を求めてやってきた、セックスに飢えた荒くれ者と見られていた。これは地元ノルマンディーではよく知られていることだが、一般的な米国人にとっては「大きな驚きだ」とロバーツ教授は述べている。
  米メディアがノルマンディーに上陸した米兵について、キスをする米兵と若いフランス女性の写真を掲載するなどロマンチックな視点で解放者として描いていた間、地元の人々は「問題」に直面していた。地元には、「ドイツ人を見て隠れるのは男たちだったが、米兵の場合は女たちを隠さねばならなかった」という話が伝わっているという。
     (AFP 2013年05月27日 14:38 発信地:ワシントンD.C./米国  http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2946474/10810152?utm_source=yahoo&utm_medium=news&utm_campaign=txt_link_Tue_r3

 

 

 つまり米国の歴史学者の研究によるものである(米国人自らが、米兵のかつての振る舞いに批判的検討を加えているのだということ)。

 日本でも、日本軍の慰安婦の問題を日本人の歴史学者が取り上げ、韓国でも韓国軍の慰安婦の問題を韓国人研究者が取り上げていた(たとえば、2002年には、朝日新聞社後援のシンポジウムでの、慶南大学の社会学の客員教授である金貴玉氏による発表があった)ように、戦時性暴力の問題、軍と性暴力の問題は、研究者の世界では各国で既に手の着けられている領域であるに過ぎない。

 ただ、どこの国でも一般的風潮としては、そのような歴史研究が明らかにした問題に真摯に向き合うことは避けられているのだし、自国の加害者性の問題からは目を逸らし、他国の加害行為を告発することだけに熱中する人が多いだけである。

 もちろん、当事者としての利害を離れたところでの評価・判断、その際の第三者的視点の導入は、冷静な問題解決のためには役立つものである。第三者とは、加害・被害の関係の外部にある(加害者でも被害者でもない)「立場」であり、当事者に対しては「他人」であり、当事者に比較すれば冷静であり得る「立場」として位置付けられる。まさに各国の研究者は、そのような「立場」に身を置こうとすることで、自国民の多くが都合悪く感じるであろう問題からも目を逸らさずにいられるのである。

 当事者であっても、自身を相対化し、自身の行為・感情に対し批判的視点で臨むことで、自身の正当化にのみ熱中することを免れ、冷静な問題解決に近付くことが可能になる。言い換えれば、当事者とは自身の行為・感情の正当性、自身の判断の正当性を絶対化しがちな存在なのであるし、それが当事者であることの出発点でもある。

 

 韓国の国軍もまた大日本帝國の国軍同様に慰安婦制度に依存していたのだし、ベトナム戦争時には戦時性暴力の実行者となったことは否定出来ない。現代の日本人にも、その事実関係を指摘し、韓国の国軍の振る舞いを批判することは可能であるし、実際にそのような行為に熱中している人々は存在する。しかし、韓国軍の慰安婦制度の被害者は韓国人女性であり、韓国国軍の振る舞いを被害者として非難出来るのは彼女らだけである。ベトナム戦争時における韓国国軍による戦時性暴力の被害者はベトナム人女性なのであり、韓国国軍の振る舞いを被害者として非難出来るのは彼女らだけなのである。それが問題の当事者であることの意味である。そしてそこには、もう一方の当事者としての加害者が存在することをも意味する。

 もちろん、現代の日本人が韓国国軍の慰安婦制度の被害者である韓国人女性を支援し、韓国国軍の戦時性暴力の被害者であるベトナム人女性を支援することは間違ったことではない。しかし、その際には(あるいはそれ以前の問題として)、大日本帝國の軍隊の慰安婦制度の被害者の支援に、大日本帝國の軍隊による戦時性暴力の被害者の支援に取り組まれていなければ、日本人の行為としては説得力を欠いたものとなってしまう。それが問題のもう一方の当事者であることの意味なのである。自身の正当化の前に、自身への批判的態度を持つことこそが、第三者的視点から説得力をもってモノを言うための条件なのである。

 韓国には日本軍の慰安婦制度を非難し日本を非難するすることに熱中しながら、韓国軍の慰安婦制度の問題からは目を逸らし続けようとする人々が存在するが、そのような韓国の人々を批判する日本人の多くは日本軍の慰安婦制度の問題から目を逸らし続けようとしている人々でもある。どちらも第三者的視点から見れば恥ずかしいものでしかない。

 

 

 

 最後に参考のために付け加えておけば、このワシントン発のAFP記事と同日の2013年5月27日に、橋下氏は日本外国特派員協会での記者会見で、

 

  かつて日本兵が女性の人権を蹂躙(じゅうりん)したことは痛切に反省し、慰安婦の方々に謝罪しなければならない。日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実に各国も真摯(しんし)に向き合わなければならない。日本だけ非難するのはフェアな態度ではない
     (産経新聞 2013年5月27日)

 

…と語っていたのであった。

 万引きを見つかった中学生が、「自分が万引きをしたことは痛切に反省し謝罪しなければならない。しかし自分以外の少なからぬ中学生も万引きをした事実に真摯に向き合わねばならない。自分だけ非難するのはフェアな態度ではない」と居直っているのと同じに見えてしまうことに、橋下氏は気付いているのだろうか?

 もちろん「かつて日本兵が女性の人権を蹂躙(じゅうりん)したことは痛切に反省し、慰安婦の方々に謝罪しなければならない」との橋下徹氏の主張は正しいものであるが、それだけに、後半の性急な居直り的(に見えてしまう)言動が残念なものとなってしまっているように思われる。当事者と第三者を同時に演じては、他人に対する説得力を持つことは難しい。いや、橋下氏は第三者的視点に立つように見えながら、実際には当事者としての正当化に終始していると言うべきなのかも知れない。

 「日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実に各国も真摯に向き合わなければならない。日本だけ非難するのはフェアな態度ではない」と説得力を持って言い得るのは第三者なのであって、あるいは日本軍の慰安婦制度の被害者の側なのであって、加害の当事者である日本の政治家としての橋下徹氏ではない。分別のある日本人の大人であれば(万引きをするような中学生ならともかく)、それくらいの理屈はわきまえていて当然の話だと思うのだが、現代の日本では話が違うのだろうか?

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/06/16 22:34 → http://www.freeml.com/bl/316274/221950/

 

 

 

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2014年5月24日 (土)

昭和21年5月23日

 

 本日は木村久夫の命日になる。昭和21年5月23日、木村久夫は「戦犯」として処刑された。

 

 

 

 有田芳生氏の「木村久夫遺書全文を公開する」から、田辺元の『哲学通論』の欄外に書き込まれた、いわゆる木村久夫の「遺書」の末尾近くの文章を、あらためて読んでおきたいと思う。

 

 

 

 

 天皇崇拝の熱の最も厚かったのは軍人さんだそうである。然し、一枚の紙を裏返へせば、天皇の名を最も乱用、悪用した者は即ち軍人様なのであって、古今之に勝る例は見ない。所謂「天皇の命」と彼等の言ふのは即ち「軍閥」の命と言ふのと実質的には何等変らなかったのである。只此の命に従はざる者の罪する時にのみ天皇の権力と言ふものが用ひられたのである。若し之を聞いて怒る軍人あるとするならば、終戦の前と後に於ける彼等の態度を正直に反省せよ。私が戦も終った今日に至って絞首台の露と消ゆる事を、私の父母は、私の運の不幸を嘆くであろう。然し、私としては神が斯くも良く私を此処迄で御加護して下さった事を、感謝しているのである。之で最後だと自ら断念した事が幾多の戦闘の中に幾度びもあった。それでも私は擦傷一つ負はずして今日迄生き長らへ得たのである。全く今日迄の私は幸福であったと言わねばならない。私に今の自分の不運を嘆くよりも、過去に於ける神の厚き御加護を感謝して死んで行き度いと考えている。父母よ嘆くな、私が今日迄生き得たと言う事が幸福だったと考えてくれ。私もそう信じて死んで行き度い。

 今計らずもつまらないニュースを聞いた。戦争犯罪者に対する適用条項が削減されて我々に相当な減刑があるだろうと言ふのである。数日前、番兵から此の度び新に規則が変って、命令でやった兵隊の行動には何等罪はないことになったとのニュースを聞いたのと考え合わせて、何か淡い希望の様なものが湧き上った。然し之等のことは結果から見れば死に到る迄での果無い波にすぎないと思はれるのである。

 私が特に之を書いたのは、人間が愈々死に到るまでには、色々の精神的変化を自ら惹起して行くものなることを表はさんがためである。人間と云う物は死を覚悟し乍らも、絶えず生への吸着から離れ切れないものである。

 アンダマン海軍部隊の主計長をしている主計少佐内田実氏は実に立派な人である。氏は年令三十そこそこであり、東京商大を出た秀才である。何某将軍、司令官と言はれる人でさえ人間的には氏に遥か及ばない。其の他軍人と称される者が此の一、商大出の主計官に遥か及ばないのは何たる皮肉か。稀を無理に好む理由(わけ)ではないが、日本の全体が案外之を大きくしたものにすぎなかったのではないかと疑わざるを得ないのである。矢張り書き読み、自ら苦しみ、自ら思索して来た者には、然からざる者とは何処か言ふに言われぬ相異点のあるものだと痛感せしめられた。高位高官の人々も其の官位の取り去られた今日に於ては、少しでもの快楽を少しでも多量に享受せんと見栄も外聞も考慮出来ない現実をまざまざ見せ付けられた。

 今時に於ては全く取り返しのつかない皮肉さえ痛感するのである。精神的であり、亦、たる可きと高唱して来た人々の如何に其の人格の賎しき事を我々日本のために暗涙禁ず能はず。明日は死すやもしれない今の我が身であるが、此の本は興味盡きないものがある。三回目の読書に取り掛る。死の直前とは言ひ乍ら、此の本は言葉では表し得ない楽しさと、静かではあるが真理への情熱を与へてくれる。何だか私の本性を再び、凡ての感情を超越して、振り帰らしてくれるものがあった。家庭問題をめぐって随分な御厄介を掛けた一津屋の御祖母様の苦労、幼な心にも私には強く刻み付けられていた。私が一人前となれば、先ず第一に其の御恩返しは是非せねばならないと私は常々一つの希望として深く心に抱いていた。然し、今や其の御祖母様よりも早く立って行く。此の大きな念願の一つを果し得ないのは、私の心残りの大きなものの一つだ。此の私の意思は妹の孝子に依り是非実現されんことを希ふ。今まで口には出さなかったが、此の期に及んで特に一筆する次第である。

 私の仏前、及び墓前には、従来仏花よりも、ダリヤ、チューリップなどの華かな洋花も供えてくれ。之は私の心を象徴するものであり、死後は殊に華かに、明るくやって行きたい。美味しい洋菓子をどっさり供えてくれ。私の頭腦(とうのう)にある仏壇は余りにも静かすぎた。私の仏前はもっと明るい華かなものであり度い。仏道に反するかも知れないが仏たる私の願う事だ。

 そして私の個人の希望としては、私の死んだ日よりはむしろ、私の誕生日である四月九日を仏前で祝ってくれ。私はあくまで死んだ日を忘れていたい。我々の記憶に残るものは唯私の生れた日丈であって欲しい。私の一生に於て楽しく記念さる可き日は、入営以後は一日も無い筈だ。私の一生の中最も記念さる可きは昭和十四年八月だ。それは私が四国の面河の渓で始めて社会科学の書をひもどいた時であり又同時に真に学問と云ふものの厳粛さを感得し、一つの自覚した人間として、出発した時であって、私の感激ある人生は唯其の時から始まったのである。

 此の本を父母に渡す様お願いした人は上田大佐である。氏はカーニコバルの民政部長であって私が二年に渉って厄介になった人である。他の凡ての将校が兵隊など全く奴隷の如く扱って顧みないのであるが、上田氏は全く私に親切であり、私の人格も充分尊重された。私は氏より一言のお叱も受けた事はない。私は氏より兵隊としてではなく、一人の学生として扱われた。若し私が氏に巡り会ふ事がなければ、私のニコバルに於ての生活はもっとみじめなものであり、私は他の兵隊が毎日やらせられた様な重労働により恐らく、病気で死んでいたであろうと思はれる。私は氏のお陰に依りニコバルに於ては将校すらも及ばない優遇を受けたのである。之全く氏のお陰で、氏以外の誰ものもの為めではない。之は父母も感謝されて良い。そして法廷に於ける氏の態度も立派であった。
(木村久夫による、田辺元『哲学通論』昭和八年版の113~141ページ欄外への書き込み)
     有田芳生「木村久夫遺書全文を公開する」より
 → http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2014/04/post_0142.html

 

 

 

 (引用部の冒頭にも記されているような)皇軍の現実を皇軍の一員として味わった木村久夫が、28年の人生の最後に書き残した言葉である。

 

 全体の冒頭(『哲学通論』の扉と1ページ目)には、この「遺書」の書かれた状況が記されている。

 

 

  死の数日前偶然に此の書を手に入れた。死ぬ迄にもう一度之を読んで死に赴こうと考えた。四年前私の書斎で一読した時の事を思い出し乍ら。コンクリートの寝台の上で遥かな古郷、我が来し方を想ひ乍ら、死の影を浴び乍ら、数日後には断頭台の露と消ゆる身ではあるが、私の熱情は矢張り学の途にあった事を最後にもう一度想ひ出すのである。

  此の書に向っていると何処からともなく湧き出づる楽しさがある。明日は絞首台の露と消ゆるやも知れない身であり乍ら、盡きざる興味にひきつけられて、本書の三回目の読書に取り掛る。昭和二十一年四月二十二日

 

 

 「三回目の読書」と共に書き込まれたであろう木村久夫の言葉の中に、木村自身が味わった皇軍の現実(そして日本社会の現実)に対する幻滅(そして怒り、そして若干の希望)が記されているのを読むことは難しいことではない。たとえば…

 

 

  我々罪人を看視しているのはもと我軍に俘虜たりしオランダ軍兵士である。曾て日本兵士より大変なひどい目に遭はされたとかで我々に対するしっぺ返しは大変なものである。撲る蹴るは最もやさしい部類である。然し吾々日本人も之以上の事をやっていたのを思えば文句は出ない。
  更って文句をブツブツ言ふ者に陸軍の将校の多いのは曾ての自己を棚に上げた者で、我々日本人にさえも尤もだと言ふ気は起らない。一度も俘虜を使った事のない、又一度もひどい行為をした事のない私が斯様な所で一様に扱われるのは全く残念ではあるが、然し向こふ側よりすれば私も他も同じ日本人である。区別してくれと言ふ方が無理かも知れぬ。
  然し天運なのか、私は一度も撲れた事も蹴られた事もない。大変皆々から好かれている。我々の食事は朝米紛の糊と夕方に「カユ」を食ふ二食で一日中腹ペコペコで、やっと歩ける位の勢力しかないのである。然し私は大変好かれているのか、監視の兵隊がとても親切で夜分こっそりとパン、ビスケット、煙草などを持ってきてくれ、昨夜などはサイダーを一本持って来てくれた。私は全く涙が出た。モノに対してよりも親切に対してである。
  其の中の一人の兵隊が或は進駐軍として日本へ行くかも知れぬと言ふので、今日私は私の手紙を添へて私の住所を知らせた。可能性は薄いが、此の兵隊が私の謂はば無実の罪に非常に同情し、親切にしてくれるのである。大極的には徹底的な反日の彼等も、斯の個々に接して居る内には斯様に親切な者も出てくるのである。矢張り人間だ。
  此の兵士は戦前はジャワの中学校の先生で、我軍に俘虜となっていたのであるが、其の間、日本の兵士より撲る、焼くの虐待を受けた様子を詳しく語り、其の人には何故日本兵士には撲る蹴るなどの事があれ程平気で出来るのか全く理解出来ないと言っていた。私は日本人全般の社会教育、人道教育が低く、且 社会的試練を充分に受けていないから斯くある旨をよく説明して置いた。又彼には日本婦人の社会的地位の低いことが大変な理解出来ぬ事であるらしい つまらぬ之等の兵士からでも、全く不合理と思へる事が日本では平然と何の反省もなく行われている事を幾多指摘されるのは全く日本に取って不名誉な事である。彼等が我々より進んでいるとは決して言わないが、真赤な不合理が平然と横行するまま許してきたのは何と言っても我々の赤面せざる可からざる所である。単なる撲ると言ふ事から丈でも、我々日本人の文化的水準が低いとせざる可からざる諸々の面が思ひ出され、又指摘されるのである。殊に軍人社会、及び其の行動が其の表向きの大言壮語に不拘らず、本髄は古い中世的なもの其物に他ならなかった事は反省し全国民に平身低頭謝罪せねばならぬ所である。

 

 

 ここでは皇軍軍人によるオランダ軍捕虜への処遇がどのようなものであったのかが語られ、その延長として、敗戦後に立場逆転しオランダ軍の捕虜となり戦犯容疑者とされた皇軍軍人がどのような処遇を受け、どのように振る舞うこととなったのか(まさに「曾ての自己を棚に上げた」振る舞いであった)が語られている。

 しかし、同時に、木村自身が受けた処遇については、「然し私は大変好かれているのか、監視の兵隊がとても親切で夜分こっそりとパン、ビスケット、煙草などを持ってきてくれ、昨夜などはサイダーを一本持って来てくれた。私は全く涙が出た。モノに対してよりも親切に対してである」と記されている。オランダ人がオランダ人として一般化されるようなことはなく、(木村に親切に振る舞った)個人の行為が見出されているのである。ここでは、そのように木村を取り扱ったオランダ人の側も、木村を日本人一般としてではなく、個人としての木村久夫として見出していた事実を(そこに成立していた相互的な関係を)読み取っておくべきであろう。

 木村自身の皇軍の現実(皇軍組織一般の現実)に対する幻滅と怒りを読むことと同時に、内田少佐や上田大佐についての言及からは、木村が皇軍軍人をただ一般化し「類」として批判するのではなく、そこに尊敬すべき個人の存在を見出し、最後に残された時間の中で、『哲学通論』の欄外に書き記したことが持つであろう意味にも、読み手としての私たちは注意深くありたい。

 

 

 この、木村に対するオランダ人の振る舞いからも、大言壮語・空威張り(これが皇軍軍人のスタンダードに木村には見えた)から遠い内田少佐と上田大佐の姿からも、そして彼らの振る舞いを書き残した木村久夫自身からも、私は、「教養の力」とでも言うべきものを感じる。教養無き者を見下す態度に結実する浅薄な衒学的振る舞いの基底として「教養」を位置付けるのではなく、大言壮語・空威張りから自身を遠ざけ、批判すべき「類」の中からも尊敬すべき個人の姿を見出し得る冷静で謙虚な態度にこそ、「教養」と呼ぶに値するものを見出そうとするわけだ。

 全体冒頭の一文からも、そのような木村の態度(教養の力)が静かに滲み出ているように思われる。

 

 

 

 

 「遺書」の最後は、以下のように結ばれている。

 

(奥付けの右ページ)
 此の一書を私の遺品の一つとして送る。昭和二十一年四月十三日 シンガポール チャンギー監獄に於て読了。死刑執行の日を間近に控え乍ら、之が恐らく此の世に於ける最後の本であろう。最後に再び田辺氏の名著に接し得たと言う事は無味乾燥たりし私の一生に最後一抹の憩ひと意義とを添えてくれる物であった。母よ泣く勿れ、私も泣かぬ。
(巻末余白ページ)
 紺碧の空に消えゆく生命かな

 

 

 

(木村久夫については、「日本人であること、あるいは木村久夫の刑死」も併せて読んでいただくことで、今回の記事で「教養の力」と呼んだものへの理解が、より深まるのではないかと思う)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/05/23 23:06 → http://www.freeml.com/bl/316274/220318/

 

 

 

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2014年3月26日 (水)

産経の捏造 3 (橋下徹氏と「河野談話」)

 

 シリーズの第一回では、産経新聞による「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたものだ」との主張について、

 

  実際には、「河野談話」には「強制連行」を認める記述は存在しない

  そもそも、「強制連行」という語が、「河野談話」では一度も用いられていない

  文言として「強制連行」という語を用いているかどうかは別としても、「河野談話」では、慰安婦の軍による直接的・組織的な暴力的拉致を、事実として認定してはいない

  慰安婦の募集時における軍の関与については、基本的に、間接性がその特徴であることは明示されている

 

…という事実を指摘し、「産経新聞」は、文言上の根拠もないまま「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」と「決めつけた」のだという話をした(「産経の捏造 1 (「河野談話」と「強制連行」)」)。

 

 

 

 「河野談話」の示しているのは、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 

…との認識なのであり、そこでは慰安婦の募集に際しての軍の関与の間接性が前提とされているのである(ただし、現実の運用においては「更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと」も事実として認定している)。一般的には、あるいは多くの場合では、慰安婦の調達に際しての軍の関与は間接的なものであったとの認識を示し、例外的には、あるいは少数の事例においては「官憲等が直接これに加担したこともあったこと」(ここで直接的関与をしているのは「官憲」であり「軍」ではないことにも留意)を認定しているに過ぎない(「こと・も・あった」という文言の「も」が強調するのは、一般性ではなく例外性である)。

 つまり、「河野談話」が依拠しているのは、慰安婦の募集に際しての軍の関与の間接性という構図であり、「直接これに加担した」のも「官憲等」としており、そこでは「軍」が直接的加担の実行者として名指されていない事実は丁寧に読み取っておくべきである。もちろんそこに「等」という語を用いることによって、「軍」の直接的関与事例の可能性を否定しない表現に仕上げているが、その点について言えば「河野談話」は朝鮮半島における―つまり日韓の間の―慰安婦の問題に限定された官房長官の「談話」ではなく、アジアの日本軍占領地域における現地の慰安婦の存在をも念頭に置いたものであり、たとえば「河野談話」の作成の際に参照された「バタビア臨時軍法会議の記録」は、まさに軍の直接的加担の事例なのである(そもそも「河野談話」に示された認識は朝鮮人元慰安婦の証言のみに基づいたものではない)。念を押しておくが、慰安婦の募集・調達における軍の関与の間接性こそが、「河野談話」を支える基本的認識なのである。

 

 

 あらためて、「河野談話」の実際の文言を示せば、

 

  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。

 

…というものなのである。あくまでも、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり

 

…ということなのであり、慰安婦の調達の際の軍による直接的暴力的拉致連行を事実として認定してはいないし、慰安婦の募集の際の「甘言、強圧」の主体は「軍の要請を受けた業者」であって「軍」ではない(「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」という記述もあるが、「募集」における「甘言、強圧」の主体は軍ではない)。

 もっとも、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」としており、その過程における「甘言、強圧」の主体が軍であるケースの存在を認めていることにはなるが、これはいわゆる「広義の強制性」に連なる問題であり、慰安婦の調達の際の軍による直接的暴力的拉致連行(いわゆる「狭義の強制性」)を認定したものとはなっていない。別の言い方をすれば、「河野談話」は、慰安婦の強制連行=軍による慰安婦狩り的イメージを、軍の関与の間接性を強調することで明確に否定しているのである。

 

 

 

 「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」としているが、「募集」については間接的関与が基本であったとした上で、しかし日本軍による日本軍のための慰安所であり慰安婦であったとの認識を示しているのである。その際に、一局面における関与の間接性により責任回避を可能と考えることはせず、慰安所の存在、慰安婦の存在をシステムとして(軍により構築された制度として)捉えることで、システムを構築し運用し利用したことへの責任を明言しているところにこそ「河野談話」の特質がある(関与の間接性を責任回避の正当化の理由としないことには、倫理的に積極的な価値があるはずである)。「河野談話」にある

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との文言は、そのように読み取らなければならない。

 

 

 再確認すれば、「河野談話」は、(いわゆる「狭義の強制性」を意味する)慰安婦募集における軍の直接的暴力的拉致連行としての「強制連行」を認めたものとはなってはいないのであり、むしろ慰安婦の強制連行=軍による慰安婦狩り的イメージを否定するものとしても機能するように、細心の注意の下に組み上げられた「談話」なのである。「根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」として読まれるべき文言は、「河野談話」には存在しないのである。

 

 

 

 

 さて、以上の構図を確認した上で、ここであらためて、昨年の5月の橋下徹氏による慰安婦をめぐる発言が何であったのかを振り返ってみよう。

 橋下氏の当初の問題意識は、橋下氏自身のツイートによれば(つまり当人の言葉によれば)、

 

  日本の慰安婦制度が世界的な非難を浴びているのは、国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせたとされている点。この点については、僕は歴史家ではないので、具体的な事実を全て把握しているわけではないが、2007年の閣議決定で、それを裏付ける証拠は見当たらないとなっている。
     posted at 06:53:02 5月14日

  ただ国を挙げて韓国女性を拉致して強制的に売春させた事実の証拠がないことも、厳然たる事実。世界が誤解しているなら、日本が不当な侮辱を受けないために言うべきことは言わなければならない。だいたい、アメリカはずるい。アメリカは一貫して、公娼制度を否定する。現在もそうだ。
     posted at 07:16:43 5月14日

  この問題については当初より言っているが、国を挙げて女性を拉致したと言う事実があれば、それはある意味日本の特殊性になる。しかし現段階ではその証拠がないと言うのが日本政府の立場だ。このようなことは、グローバル化時代、国民はしっかり認識しなければならない。
     posted at 08:29:48 5月15日

 

…というものであった。発端となった最初の記者会見の背景にある橋下氏の認識を説明したものだが、会見の場での発言が騒動に発展した後の日本外国特派員協会での記者会見の席では、あらためて、

 

  一方で、従軍慰安婦についての政府の公式見解である河野洋平官房長官談話については「否定するつもりはない」としつつ、内容に疑問を呈した。
  橋下氏は「国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買した点を裏付ける証拠はないのが日本の立場だ」と説明し、拉致・人身売買については日韓両国の歴史学者による事実解明を主張。「この核心的論点について河野談話は逃げている。これが日韓関係が改善しない最大の理由だ」と述べ、日韓間の慰安婦を巡る対立は河野談話に起因しているとの主張を展開。河野談話に「表現はもっと付け足さないといけない」と述べた。
  これに対し、河野談話が元慰安婦の証言などをもとにしていることを踏まえ、「元慰安婦の証言は信用できないのか」などと追及されると「最大の論点は人身売買を国家の意思として組織的にやったかどうかだと思う」などと主張し、明確には答えなかった。【阿部亮介、林由紀子】
(毎日新聞 5月27日(月)21時30分配信)

 

…と、「日韓間の慰安婦を巡る対立は河野談話に起因している」との問題意識を示していた。

 その際に橋下氏は「国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせた」のかどうかを問い、「国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買した点を裏付ける証拠はないのが日本の立場」との認識を示し、「この核心的論点について河野談話は逃げている」と言い、「日韓間の慰安婦を巡る対立は河野談話に起因している」と主張していたわけである。

 

 しかし、国の直接的関与という意味で、「国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせた」という構図(軍による慰安婦狩り的イメージ)を「河野談話」は認定していない。あくまでも、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが」とその関与の間接性を明言し、その場合も「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた」という文言を選択し、「暴行脅迫」あるいは「拉致」というような、いわゆる「狭義の強制」(産経的な意味での「強制連行」)を意味する語の使用は避けられている(「強圧」は「脅迫」であり得ても「暴行」を意味する語ではない)。その意味で、「河野談話」の文言の選定は見事(あるいは巧妙)だと言うべきなのである。

 繰り返せば、「河野談話」では、いわゆる(軍による組織的直接的暴力的拉致連行=軍による慰安婦狩りという意味での)強制連行の構図(軍が組織として恒常的に「暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせた」との認識)は採用してはいないのであり、橋下氏が慰安婦の調達における国家の直接的暴力的関与の有無(慰安婦狩りの事実の有無)を問題にしているのであれば、「河野談話」は国家による直接的暴力的関与(軍による慰安婦狩り)を認めるものとして書かれてはいないことは明白なのであり、その意味では問題そのものが最初から存在しないのである。

 

 

 しかし、法律家であるはずの橋下氏の言葉こそ曖昧であり、国家の関与の直接性か間接性かという論点を採用せず、「国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせたのかどうか」を問い、「国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買したのかどうか」という構図を持ち込んでしまう。これでは「間接的関与」の強調により達成される(現に「河野談話」の文言において達成されている)、「国を挙げて」あるいは「国家の意思として」というニュアンスからの距離の保持を失効させてしまう。

 

 既に近代日本の「公娼制度」の基盤が「人身売買契約」にあることは1930年代当時から国際的に問題となっており、慰安婦の募集の際の(慰安婦となる女性と「軍の要請を受けた業者」の間の)「契約」が、近代公娼制度を支えた人身売買契約の形式を継承しているであろうことは指摘されている。「国家の意思として組織的に女性を人身売買したのかどうか」と問題設定をしてしまえば、たとえそれが間接的関与であれ、「軍の要請を受けた業者」の行為(人身売買)の背後にある「国家の意思」がクローズアップされ、そのように「業者」を「組織」した「(軍=)国家の意思」の存在がクローズアップされてしまうだろう。「河野談話」が採用しているような「間接的関与」の強調によってこそ人身売買の実行者としての「軍の要請を受けた業者」と「国」との距離が保たれるのに対し、「国を挙げて」という用語法は「国」と「軍の要請を受けた業者」を一体化させる効果を生んでしまうのである。「河野談話」では、慰安婦の募集における軍の関与の間接性を強調することで、一度は慰安婦の「調達」の実行者としての「業者」と「国家」を分離することに成功している。その上であらためて「国家」を慰安婦制度全体に対する責任を負う存在として認めるとの理路を用いているのである。それに対し、橋下氏の論法では、「業者」と「国家」は分離されずに最初から一体のものとして描かれてしまうのである。この違いは大きい。

 

 重要な点なので再確認しておくと、橋下氏が慰安婦の調達における国家の直接的暴力的関与(軍による慰安婦狩り)の事実の有無の認定を問題にしているのだとすれば、「河野談話」が国家による直接的暴力的関与(軍による慰安婦狩り)を認めるものとして書かれてはいないことは明らかなのであり、その意味では問題そのものが最初から存在しないことになる。「河野談話」は橋下氏の問題意識(橋下氏が、そのように問題を捉えていたのだとすれば、ということであるが)を最初からクリアしているのである。

 また橋下氏は、自身のツイートで、

 

  慰安所での慰安婦の生活や、慰安婦の心情をみるに、それは大変不幸なことであり、筆舌に尽くしがたい。このようなことが二度と起こらないようにするのは当然だ。
     posted at 15:21:52 5月14日

  軍が施設を管理し、意に反して慰安婦になった方が悲惨な境遇であったことは確かだが、これは他国の軍でもある話だ。
     posted at 15:27:37 5月14日

  当時意に反してそのような職に就かざるを得なかった方は大変不幸であり、その心身の苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。ただそれは韓国人だけでなく、日本人も、その他世界各国の軍が活用していたいわゆる慰安婦制度の慰安婦も同じだ。
     posted at 00:14:09 5月15日

  現在、慰安婦制度が必要だとは言ったこともない。むろん、現在はあってはならない。むしろ、日韓基本条約がある中でも、意に反して慰安婦になった方へは配慮が必要だと言い続けている。
     posted at 11:44:56 5月15日

 

…との認識も示しているし、産経新聞報道によれば、

 

  強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない
  『日本が強制連行をしたのではない』と言って、慰安婦問題を正当化しようとしたり、自分たちの責任を回避しようとしたりする人が非常に多い
(2013/05/16 12:31 産経新聞)

 

…と主張もしているのである。これは「河野談話」が示した、

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との日本政府としての見解にも合致する。橋下氏の「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」との主張は、まさに「河野談話」の理路そのものなのである。

 橋下氏が本心から「慰安所での慰安婦の生活や、慰安婦の心情をみるに、それは大変不幸なことであり、筆舌に尽くしがたい」との認識を持ち、「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」と本気で考えていたのであれば、「河野談話」は橋下氏にとって批判すべきものではなく、むしろ擁護すべきものであったはずなのである。慰安婦問題の存在を認め「河野談話」を擁護しようとする人々が「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」と主張する橋下氏を非難し、慰安婦問題の存在を認めず「河野談話」を非難し続ける人々が「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」と主張する橋下氏を熱心に擁護していたのは、私からすれば実に不思議な展開であった。誰も「河野談話」の実際の内容に関心がなく、橋下氏の実際の言葉にも関心を持たなかった、ということなのであろうか? このような実情が、「歴史認識問題」の解決を、より困難なものとしていることだけは間違いない。

 

 

 いずれにしても、橋下氏は文言の選択における慎重さに欠け、法律家としても政治家としても、発言に不用意さが目立つと言わざるを得ない(その点については既に「橋下氏の終着点」及び「橋下氏の新たな一歩」で論じてある)。そんな橋下氏が「河野談話」における文言選択の巧妙さに気付くことが出来ないのは仕方のない話なのかも知れないが、残念な話だとは思う。

 「河野談話」の基調にあるのはまさに(橋下氏の言葉通りの)「慰安所での慰安婦の生活や、慰安婦の心情をみるに、それは大変不幸なことであり、筆舌に尽くしがたい」との認識であり、その上で、(橋下氏の「強制連行があろうとなかろうと」との言葉の延長上に)「強制連行がなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」として記されるべき日本政府の見解、そして決意を示しているのである。すなわち、

 

  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 平成5年8月4日
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/03/25 22:07 → http://www.freeml.com/bl/316274/216691/

 

 

 

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2014年3月 8日 (土)

産経の捏造 2 (櫻井よしこ氏と「人身売買」)

 

 

 前回は、「慰安婦問題」と「河野談話」をめぐる、「朝日新聞」ならぬ「産経新聞」の「捏造」という、実に日本の国益に有害な問題について指摘した(「産経の捏造 1 (「河野談話」と「強制連行」)」)。

 「産経新聞」によれば、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」ということになるのだが、「河野談話」には「強制連行」を認める記述は存在しないし、そもそも、「強制連行」という語が、「河野談話」では一度も用いられていないのである(「河野談話」の中には「強制連行」という四文字は存在せず、 「強制」の二文字が一か所で用いられてはいるが、「連行」の二文字はそれ自体が存在しない)。

 

 

 

 さて、その「産経新聞」紙上でのオピニオン・リーダー的存在である櫻井よしこ氏も、大変に残念なことに、、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」という「産経新聞」の「捏造」を信じているようである。

 櫻井氏によれば(【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】 真実ゆがめる朝日報道 2014.3.3 03:13 「産経新聞」)、

 

  91年8月11日、大阪朝日の社会面一面で、植村隆氏が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた。
  この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである。

  この延長線上に93年の河野談話がある。談話は元慰安婦16人に聞き取りを行った上で出されたが、その1人が金学順氏だ。なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか。そのことの検証もなしに誰よりも「前のめり」になったのが河野氏だ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140303/plc14030303220003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140303/plc14030303220003-n3.htm

 

…ということになるのだそうだ。

 

 櫻井よしこ氏は、「河野談話」作成の際の証人の一人であった金学順氏について、

  なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか。

…と問うことで、 「河野談話」の無効性を主張出来るのだと考えているらしい。

 しかし、金学順氏が「人身売買」により慰安婦とされたという事実は、むしろ、「河野談話」の適切性の証明にしかなり得ない。「なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか」と問うこと自体、慰安婦問題で何が問題とされているのかについての櫻井氏の無理解を示すものでしかない。「継父に売られた彼女」は「日本政府や軍」が関与した「人身売買」の「証人」そのものなのである。

 既に論じたように、「河野談話」は(慰安婦が軍により直接的・暴力的に拉致連行されたという意味での)「強制連行」を認めたものではない。「河野談話」の示しているのは、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 

…との認識なのであり、そこでは慰安婦の募集に際しての軍の関与の間接性が前提とされているのである。ただし、現実の運用においては「更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと」も事実として認定している、ということなのだ。「河野談話」の文言を、単純に「慰安婦の強制連行を認めたもの」として理解してしまうことは、官房長官の談話(という公文書)の読解としては未熟に過ぎるのである。

 

 再び、「河野談話」の文言に戻ると、

 

  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが…

 

…とあるように、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」とし、「募集」については間接的関与が基本であったとはしているが、要するに日本軍による日本軍のための慰安所であり慰安婦であったとの認識を示しているのである。その際に、関与の間接性により責任回避が可能とするのではなく、慰安所の存在、慰安婦の存在をシステムとして(軍により構築された制度として)捉えることで、システムを構築し運用し利用したことへの責任を明言しているところに「河野談話」の性格の特質を読み取らねばならない。

 関与の一局面での間接性を責任回避の理由とするのではなく、

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との日本政府の認識を示したものなのである。

 

 金学順氏が「人身売買の犠牲者」となった背景には、「人身売買」を介して慰安婦を調達した軍の存在がある。「軍の要請を受けた業者」による「人身売買」に依存した制度を構築し運用し利用したことへの責任が問われているのであり、「人身売買」への「間接的関与」は責任回避の理由とはならないとの判断が、「河野談話」を支えているのだと理解しなければならない。

 

 

 そもそもの話、日本の近代の「公娼制度」を支えていた「人身売買」は、 既に1930年代の国際連盟婦人児童売買委員会の場で問題とされ、つまり国際的な批判の対象となっていたものなのである。たとえば、

 

  しかも一見同じように公娼制度を保持しているフランスなどとも異なり、日本では、多額の前借金に基づく女性の人身売買と、芸娼妓酌婦周旋業が国家公認されていたのであり、人身売買の慣行が本国だけでなく、国境を越えて合法的に、とりわけその植民地と勢力圏下の諸都市で広く行なわれていたということである。これは、国際連盟の婦女売買問題委員会の基準で言えば、「国際的婦女売買」が国家公認されているのに等しいということが、東洋婦女売買調査団と日本政府(朝鮮総督府・関東庁・内務省など)とのやりとりのなかで明らかにされていったのである。
  そのやりとりのなかで、調査団はとくに、①前借金契約と②芸娼妓酌婦周旋業について問題にした。前借金契約は当事者の女性自身の「自由意志」に基づくものだとする日本政府に対し、調査団は親による強制なのであり、違法化すべきだと主張した。また、道徳的人物のみに芸娼妓酌婦周旋業を許可しているとした日本政府に対して、調査団はこの種の職業自体が不道徳ではないのかと反論したのである。
(小野沢あかね 論文要旨 近代日本社会と公娼制度―民衆史と国際関係の視点から― 2011 http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=summary&thesisID=268

 

…ということなのである。金学順氏については、日本軍の用いた慰安婦が、「軍の要請を受けた業者」による「人身売買」により調達・確保されていた事実への「証人」として位置付け、理解する必要があるのだ。

 

 「人身売買」を慰安婦問題の正当化の理由にし、 「河野談話」の内容を非難しようとするのは、 仲間内でのみ通用する論法であり、国際的自滅行為であるに過ぎない。

 「河野談話」が示した、

 

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との認識は、慰安婦が軍により直接的・暴力的に連行されたかどうかではなく (その事実を認定するものとしてではなく)、当時から国際的に問題とされていた「人身売買」に基盤を置いた、慰安婦制度システム全体への日本としての責任を認め謝罪したものとして、 二十年が経過した現在においても、文言として適切なもの(「河野談話」には「人身売買」の有無への言及はないが、櫻井よしこ氏の指摘する金学順氏の証言内容は踏まえているわけである)なのである。

 「人身売買」は慰安婦制度をめぐる日本の大きな「弱点」なのであり(「金学順氏は人身売買の犠牲者だから慰安婦制度には問題がない」のではなく「金学順氏が人身売買の犠牲者であるところに慰安婦制度の問題がある」ということ)、その「弱点」を武器に慰安婦問題で闘おうとする櫻井よしこ氏には(「弱点」が武器として有効であると考える櫻井よしこ氏には)心底呆れるばかりである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/03/07 14:49 → http://www.freeml.com/bl/316274/215713/

 

 

 

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2014年3月 7日 (金)

産経の捏造 1 (「河野談話」と「強制連行」)

 

 ネットを用いて「慰安婦」や「強制連行」という語を検索すると、「朝日の捏造」という語とセットになった記事を多く目にする。いわゆる「従軍慰安婦問題」について、「朝日新聞」による「捏造記事」を起源とする理解が存在することを、ネット上で確認することは難しくない。

 今回は、「では産経は大丈夫なのか?」という問題を考えておきたい。「産経新聞」もまた「慰安婦問題」については、重要な情報の「捏造」の当事者であると、私は言わざるを得ない。

 

 

 まずは、サンプルとして、以下の記事を読むことから始めたい。

 

  慰安婦に関する平成5年の河野洋平官房長官談話について、菅義偉官房長官が「政治、外交問題にすべきでない」としつつ、「学者や有識者の研究が行われている。そうした検討を重ねることが望ましい」と述べた。
  河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたものだ。その見直しが必要とされ、有識者による検討の必要性に言及した菅氏の発言を評価したい。
  安倍晋三首相は秋の自民党総裁選で「私たちの子孫にこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」と述べ、衆院選前の党首討論会では「有識者の知恵を借りながら考える」と有識者会議を設置する意向を示していた。菅氏の発言は、こうした安倍首相の意向を受けたものといえる。
  繰り返すまでもないが、河野談話が出される前、当時の宮沢喜一内閣が集めた二百数十点に及ぶ公式文書には、旧日本軍や官憲が慰安婦を強制連行したことを裏付ける資料は一点もなかった。
  にもかかわらず、談話発表の直前に韓国のソウルで行った韓国人元慰安婦からの聞き取り調査だけで、強制連行があったと決めつけた。有識者会議では、これらの経緯や当時の時代背景などを改めて検証してほしい。
(【主張】官房長官発言 河野談話の見直しに期待 『産経新聞』 2012/12/28 03:11 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/618160/

 

 この『産経新聞』の「主張」によれば、

  河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの

…ということになるらしいが、実際には、「河野談話」には「強制連行」を認める記述は存在しない。そもそも、「強制連行」という語が、「河野談話」では一度も用いられていないのである(「河野談話」の中には「強制連行」という四文字熟語は存在せず、「強制」が一か所で用いられているが、「連行」の二文字は存在しない。「強制」が用いられているのは、「また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という一文においてのみであり、これは「強制連行」の含意に連なる文脈ではないことは明らかである)。

 「強制連行」という語を用いずに、「強制連行を認める」ことは、常識的に不可能であろう。

 このような公文書の記述における用語選定には細心の注意が払われている(解釈に際しては、どのような語が選択され、どのような語が排除されているのかを注意深く読み取らなければならない)。「河野談話」の文言に「強制連行」という語が用いられていない以上、原理的に、「強制連行を認めたもの」とされ得る文書にはなり得ないのである。

 繰り返すが、「河野談話」には「強制連行」という語は用いられていないのである。それにもかかわらず、「産経新聞」は、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」だと位置付けてしまった。まさに「産経新聞」の「捏造」である。重要な問題なのでしつこく繰り返せば、「産経新聞」は、文言上の根拠もないまま「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」と「決めつけた」のである。

 

 

 文言として「強制連行」という語を用いているかどうかは別としても、「河野談話」では、慰安婦の軍による直接的・組織的な暴力的拉致を、事実として認定してはいない。慰安婦の募集時における軍の関与については、基本的に、間接性がその特徴であることは明示されているのである(つまり、「産経新聞」が「河野談話」を否定する必要は最初から存在しない―「産経の捏造 3 (橋下徹氏と「河野談話」の解釈と鑑賞)」では、あらためて「河野談話」の理路の詳細を追うことで、橋下徹氏の慰安婦問題に関する主張と「河野談話」の示す認識が一致していることも示してある)。

 

 「河野談話」の実際の文言では、その点について、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
 (慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  平成5年8月4日 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

 

…と記されているし、その上で、

 

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 

…との認識を示しているのである。

 要するに、いわゆる「強制性」の問題としては、

  総じて本人たちの意思に反して行われた

…と認定しているわけだが、この「総じて」という挿入は重要で、

  すべて本人たちの意思に反して行われた

…という話とはなってはいない。つまり、

 すべての慰安婦が本人たちの意思に反して、
 軍により直接的・暴力的に拉致連行された

…という認識は、「河野談話」のどこにも書かれていないのである。

その上で、

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との言い方をしている。

 「お詫びと反省」の対象は、朝鮮半島出身者のみではなく、「その出身地のいかんを問わず」となっている。これも重要な点で、日韓の間の問題としてだけで「河野談話」の文言を解釈することは不適切なのである。軍による直接的・暴力的な拉致連行の事実が南方占領地域に存在したことを前提とすれば、むしろ適切な認識と言えよう。

 

 

 もっとも、「河野談話」にある、

  官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった

…との記述が具体的にどのような根拠を持つものであるのかは、必ずしも明確ではない。ただし、

 

三 一九九三年八月四日の「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」には、〔法務省関係〕(バタビア臨時軍法会議の記録)がある。それは、1「ジャワ島セラマン所在の慰安所関係事件」、2「ジャワ島バタビア所在の慰安所関係の事件」についての「被告人」「判決事実の概要」などを記したものである。この事実に間違いないか。
四 この〔法務省関係〕(バタビア臨時軍法会議の記録)は、1「ジャワ島セラマン所在の慰安所関係事件」について、「判決事実の概要」を記しているが、そこには、「ジャワ島セラマンほかの抑留所に収容中であったオランダ人女性らを慰安婦として使う計画の立案と実現に協力したものであるが、慰安所開設後(一九四四年二月末ころ)、「一九四四年二月末ころから同年四月までの間、部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」などの記述がある。間違いないか。
(平成二十五年六月十日提出 質問第一〇二号 「強制連行の裏付けがなかったとする二〇〇七年答弁書に関する質問主意書」 提出者 赤嶺政賢 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a183102.htm

三及び四について
 内閣官房内閣外政審議室が平成五年八月四日に発表した「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」において、御指摘のような記述がされている。
(平成二十五年六月十八日受領 答弁第一〇二号 内閣衆質一八三第一〇二号 平成二十五年六月十八日 内閣総理大臣臨時代理 国務大臣 麻生太郎 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b183102.htm

 

…とのやり取りが、その後の国会においてなされている。「河野談話」の作成に際し、この「バタビア臨時軍法会議の記録」を参照した事実(「内閣総理大臣臨時代理」としての麻生氏は、その点について否定していない)からすれば、「官憲等が直接これに加担したこともあったこと」の根拠が、「産経新聞」の主張するように、「談話発表の直前に韓国のソウルで行った韓国人元慰安婦からの聞き取り調査だけ」ということにはならないだろう。

 

 

 「河野談話」の全体を、その文言の示す通りに読めば、「産経新聞」流の非難が的外れというか、実際には「河野談話」に書いてないことを非難していたというか、いずれにせよ結果的に「産経新聞」の「捏造」問題は、その熱心で無批判な読者を不必要に刺激し、日本の不利益としてのみ帰結するものであったということになる。

  「強制連行」という語自体を一度も用いず、軍による組織的・暴力的な拉致を認定する文言も存在しない「河野談話」を、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」として非難し続けることで、「産経新聞」は「河野談話」を実際に読んで確かめもしない人々を煽り、問題の解決をより困難にし、より日本にとって不利な状況に追い込んだのである。実に罪深い、「産経新聞の捏造問題」と言えるだろう(「河野談話」をめぐる「産経新聞の捏造問題」については「産経の捏造 2 (櫻井よしこ氏と「人身売買」)」も参照のこと)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/03/06 19:53 → http://www.freeml.com/bl/316274/215666/

 

 

 

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2013年5月27日 (月)

橋下氏の新たな一歩

 午後、時間がとれたので、橋下徹氏の、日本外国特派員協会での記者会見の後半をニコ動の中継で見ていた。

 内容的には、『毎日新聞』の以下の報道に相当する部分(この「毎日」による要約は、橋下氏の発言内容をほぼ正確に伝えている)だ。

 一方で、従軍慰安婦についての政府の公式見解である河野洋平官房長官談話については「否定するつもりはない」としつつ、内容に疑問を呈した。
 橋下氏は「国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買した点を裏付ける証拠はないのが日本の立場だ」と説明し、拉致・人身売買については日韓両国の歴史学者による事実解明を主張。「この核心的論点について河野談話は逃げている。これが日韓関係が改善しない最大の理由だ」と述べ、日韓間の慰安婦を巡る対立は河野談話に起因しているとの主張を展開。河野談話に「表現はもっと付け足さないといけない」と述べた。
 これに対し、河野談話が元慰安婦の証言などをもとにしていることを踏まえ、「元慰安婦の証言は信用できないのか」などと追及されると「最大の論点は人身売買を国家の意思として組織的にやったかどうかだと思う」などと主張し、明確には答えなかった。【阿部亮介、林由紀子】
(毎日新聞 5月27日(月)21時30分配信)

 要するに、「河野談話」が「いわゆる強制連行」を認めたものであるのかどうかについての疑念と、日韓の歴史学者による問題の解明を求めたものである。

 別稿(註:1)で述べたように、慰安婦が軍により組織的・暴力的に拉致連行されたという意味において「強制連行」という語を用いるのだとすれば、「河野談話」はそのような意味での「強制連行」を認めたものではない。しかし、この、

  国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買した点を裏付ける証拠はないのが日本の立場だ

  最大の論点は人身売買を国家の意思として組織的にやったかどうかだと思う

…との言い方は諸刃の剣である。

 実際問題として、『ニューヨークタイムス』の女性記者は、「人身売買」はシステムとして考えるべき問題であること、募集の時点だけではなく、(人身売買された)女性の移送、(人身売買された)女性の使役、(人身売買された)女性の利用のすべての局面により構成されるものであることを指摘し、その点についての橋下氏の認識を問うていた。

 しかし、橋下氏は、この問いに対する明確な返答をしていない。問題の所在に気付けなかったのか、気付いていながらはぐらかそうとしたのかは不明だが、この論点は重要である。

 別稿(註:1)で書いたように、日本軍の「慰安婦制度」の特徴として、慰安婦の募集には(そして多くの場合、慰安所の運用にも)民間業者を活用し、軍の直接的関与を避けていた事実がある。軍の関与の直接性ではなく間接性が、慰安婦制度の基本構図なのである。

 しかし、間接的関与ではあっても、慰安所の設置を起案するのは軍であり、民間業者に慰安婦の募集を求めるのも軍であり、戦地に慰安婦を移送するのも軍であり(これは直接的関与に属する)、民間業者の運営する慰安所を警備するのも軍であり、民間業者の運営する慰安所の衛生管理をするのも軍であり、民間業者の運営する慰安所の顧客も軍であった。

 慰安所は軍による軍のための施設なのであり、慰安婦は軍が集めさせた軍のための戦時売春婦(平沼赳夫氏の表現)なのである。

 つまり、慰安婦の募集の時点での出来事としての「人身売買」であるにしても、「人身売買」の現場での一方の当事者が「民間業者」であったにしても、その背後には軍による募集依頼の事実があり、その後の全過程は軍のためのものであったのである。

 その意味で、募集の時点での「強制連行」の有無の問題は、今後の議論では、大きな問題ではなくなってしまう可能性が高い。

 繰り返せば、

  慰安所は軍による軍のための施設なのであり、慰安婦は軍が集めさせた軍のための戦時売春婦(平沼赳夫氏)なのである

…ということなのであり、たとえそれが間接的関与であっても、その全過程に(システムとしての人身売買の全過程に、ということである)軍が関与しているという事実の重さが、あらためて我々の上にのしかかってくることになるはずである。

 橋下氏の今回の日本外国特派員協会での主張は、そのような新たな展開への第一歩であったように思われる。

【註:1】
 いわゆる「河野談話」について、「強制連行」を認めたものとして非難されることが多いが、慰安婦が軍により組織的・暴力的に拉致連行されたという意味において「強制連行」という語を用いるのだとすれば、「河野談話」は「強制連行」を認めたものではない。

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

               平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

 「強制連行」の有無の判断に関わるのは、

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

…との記述ということになるが、ここに示されているのは軍の直接的関与ではなく、間接的関与(軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たった)の事実であり、確かに「官憲等が直接これに加担したこともあった」にせよ、慰安婦が軍により組織的・暴力的に拉致連行されたという意味においての「強制連行」の事実を認めたものではない。

 日本軍の慰安婦制度の特徴は、あくまでも慰安所の設置に軍が主導的役割を果たしながらも、募集においては軍が前面に出ることを避け、民間業者を利用していた点にある。

 しかし同時に、植民地という当時の状況(橋下氏は「植民地支配」の事実を認めている)を考えれば、そこには日本人と朝鮮人の間に、権力における圧倒的に非対称的な関係がある。日本人は政治的にも経済的にも圧倒的な強者であり、朝鮮人は弱者であった。その弱者が「慰安婦」にならざるを得ない状況に追い込まれていたわけである。日本人慰安婦について考えればわかるはずだが、慰安婦になる動機は愛国心ではなく絶対的な貧困なのである(そうでなければ良家の子女-まずは高級軍人の子女-が率先して慰安婦となっていたはずである)。
  また、100人の人間を服従させるために100人全員に暴力をふるう必要はないという点にも配慮が必要だろう。見せしめは一人で十分なのである。
 実際には、詐欺的な募集が横行し、人身売買として理解される状況が多く存在していたことも確認されている。
 「河野談話」は、それらの点について、

  甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり

…との言い方をしているわけである。

 ところで橋下氏は自身のツイートで以下の主張をしている。、

  日本の慰安婦制度が世界的な非難を浴びているのは、国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせたとされている点。この点については、僕は歴史家ではないので、具体的な事実を全て把握しているわけではないが、2007年の閣議決定で、それを裏付ける証拠は見当たらないとなっている。
     posted at 06:53:02 5月14日

 が、「河野談話」は、

  国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせた

…と言っているわけではない。 

 しかし、橋下氏は、

  日本の慰安婦利用は悪かった。しかし、世界各国の軍も当時は女性を利用していた。にもかかわらず、世界は日本だけ「性奴隷」を使っていたと徹底非難。日本の国会議員も政府もメディアもなぜ徹底抗議しない。今年に入ってから、アメリカの州議会で4件も、日本に対する非難決議がなされている。
     posted at 19:47:54 5月19日

…という形で「性奴隷」という語の用語としての妥当性にまで論及してしまう。

 そうなると、募集時の「強制連行」の有無とは別に、慰安婦であり続けることへの自由意思の問題がクローズアップされてしまう。

 自由意思で慰安婦をやめることが出来たのかどうか?

 また、朝鮮半島を遠く離れて海外へ移送された慰安婦には、そもそも帰還の自由さえ存在しないのである。
 職業離脱の自由がなく移動の自由がなければ、それは「奴隷」の境遇であるし、そこで「戦時売春婦」(平沼赳夫氏)として取り扱われ続けたのであれば、それはまさに「性奴隷」と言うしかない話となってしまう。

 結果として募集時の「強制性」の有無を論じる意味が、それを論じることに当初期待されていたはずの意味が失われてしまう。

 一方で、米軍兵士(進駐軍兵士)の利用したパンパンガールには、その経済的事情を抜きにすれば、

 自由意思でパンパンガールをやめることは可能であり

 もちろん移動の自由は存在していた

…という点は明らかであり、日本軍の慰安婦とは事情が違い過ぎる。「性奴隷」とのくくりで両者を呼ぶことは乱暴に過ぎる話なのである。

 これもまた、橋下氏の不用意な論法の帰結である。

(オリジナルは、
     投稿日時 : 2013/05/27 22:09 →  http://www.freeml.com/bl/316274/203978/
     投稿日時 : 2013/05/26 21:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/203952/

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