カテゴリー「文化・芸術」の記事

2009年8月19日 (水)

真昼の百鬼夜行

 

 「百鬼夜行」とは字の通りで、夜中の話のはずなんだが、真昼に「百鬼夜行」に出会ってしまった。

 

 

 東京は立川市での話(オケガワは関係ない)。

 

 

 立川から多摩都市モノレールに乗って(妖怪の世界というよりSF的乗り物だ)、次の「高松」駅で下車。(地図によれば)7分ほど歩くと、国文学研究資料館に着く。

 都市計画現実化中、というか都市計画途上というか、草が伸びる空き地が残る広い空間に格子状の広い道路、そして中層(「高層」とまではいかない感じ)の現代的ビルが立ち並ぶところまではいっていないが、やがて立ち並ぶんだろう的世界。完成したら、「鉄腕アトム」的イメージの世界になるんだろうなぁ…

…という区画にある、これもデカめのガラスとコンクリート建築。

 入り口を入ると、広い吹き抜けの空間で左右に分けられている。左が「大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館」のエリア。右側は、南極観測関係のナントカ法人だかナントカ機構だかが占領していた。

 

 このあたり一帯は、東京都心が地震で壊滅した時に国家の中枢機能を移転させる、という構想で整備されているらしいのだが、「立川断層」の真上に位置しているというウワサもあったりする場所だ。地震でどうなるのかは知らないが、基本がSF的「近未来」空間…と言ったって、とっくに21世紀なんだけどね。

 

 

 で、国文学研究資料館で開催されているのが「人間文化研究機構連携展示 百鬼夜行の世界」展なのだ。

 久しぶりに家族全員揃う時間が出来たので、観に行ったわけ。と言っても、夕方から仕事が入っていたので、規模の大きな展示ではないだろうという予測があればこその展観だった(会場はここだけではなくて、国立歴史民俗博物館でも連携展示をしているというスタイルだし)。

 

 

 実際、広い会場ではない(展示会場は、国文学研究資料館全体のほんの一部なのだ)ので、展示点数も多くはなかったけれど、中身は充実していた。あらためて会場で配布されていた「出品目録」でチェックすると(「図録」の方だと、2会場の両方が記載されているので)、展示総数は36点。江戸期を中心に、絵巻もあれば刊本もありの、各種の「百鬼夜行図」に出会うことが出来る。元ネタがコピーを通して展開していく姿も面白い。

 

 「freeml」的(?)には、京都市立芸術大学芸術資料館蔵の、江戸時代後期の『付喪神絵詞(つくもがみえことば)』が興味深い。行列の中に、タヌキだのイタチだのの姿を発見出来るのだ。

 展示品の中に、寛永20(1643)年刊の『仏頂尊勝陀羅尼』があって、この中に「妖怪」除け(?)の呪文が紹介されていたのだが、出品目録では「参考品」となっていて「図録」への掲載がない(会場となった「国文学研究資料館」の所蔵品だった)。なので、ここで再現出来ないのだ。残念な話である。

 それでも「図録」には、「百鬼夜行」を避ける歌の紹介はある。藤原清輔の『袋草紙』によれば、

  堅石やつかせせくりにくめるさけ 手て酔ひ足酔ひわれ酔ひにけり

というのだが、効果の程は…

 

 まぁ、いずれにしても、夜中でも街頭が道を明るく照らす世界では、「百鬼夜行」は出来ませんなぁ…

 真昼の妖狸には悩まされるけれど…

 

 

 

 駅近くに戻り、小さなビルの小さなフレンチの店でランチ。そのビルのほとんど隣が、オタクの殿堂の「フロム中武」。

 寄ると散財するので、駅上の「山野楽器」まで我慢してCDコーナーで散財、のつもりだったのだけど、アニメ関係ショップ狙いの娘について、「フロム中武」の中へ…

 こちらは古銭・コインの店狙い。

  大正2(1913)年 大日本 10銭

  1961-1971 タンザニア 5シリンギ

  1974-1977 アルジェリア 5(ディナール?)

  1975年 パナマ 10(センティノス?)

  昭和51(1976)年 日本国 100円(天皇陛下御在位50年)

  1993年 チェコ 2コルナ

 大正2年は、母の生年。1993年は、娘の生年。家族の生年の各国コインの収集、というのがコレクションの基本(カネがかからない)。

 もう一つが、今はない国、あるいは国家体制、権力者が変る前のコイン(これも、カネがかからない)。

 今回は記念硬貨らしきものが3種(タンザニア、アルジェリア、日本国)。タンザニアは独立10年。アルジェリアは(今のところ)内容・意味不明。日本は読んでの通り(ケース内に記念切手も付属していた)。  

 

 同じフロアで、なんと「古書市」開催中。

 会場内に入ってはいけない、と思いながら、会場の外の台上の本を…

 うわっ! 戦前の岩波新書が…

  小堀杏奴編 森鴎外 『妻への手紙』 (岩波新書17 昭和十三年十一月 ただし昭和十六年六月の6刷) 50銭 250円

  B・M・チェムバレン 『鼠はまだ生きている』 (岩波新書32 昭和十四年四月) 50銭 300円

  笠間杲雄 『回教徒』 (岩波新書33 昭和十四年四月) 50銭 300円

  天野貞祐 『学生に輿ふる書』 (岩波新書45 昭和十四年八月 ただし同年十月の2刷) 50銭 購入額不明(値札脱落 - 以下、同じ理由による))

  山本有三 『戦争と二人の婦人』 (岩波新書47 昭和十四年九月 ただし昭和十五年十一月の3刷) 50銭 250円

  芦田均 『バルカン』 (岩波新書55 昭和十四年十二月) 50銭 購入額不明

  安田徳太郎 『世紀の狂人』 (岩波新書58 昭和十五年三月) 50銭 250円

  西田幾多郎 『日本文化の問題』 (岩波新書60 昭和十五年三月) 50銭 350円

  J・ハックスリ A・ハッドン 『人種の問題』 (岩波新書69 昭和十五年七月 50銭 300円

  許広平 『暗い夜の記録』 (岩波新書215 昭和30年9月) 100円 購入額不明

  A・L・ストロング 『チベット日記』 (岩波新書416 1961年5月) 130円 300円

  ジュール・ロワ 『アルジェリア戦争』 (岩波新書421 1961年6月) 100円 150円

  何長工 『フランス勤工倹学の回想』 (岩波新書956 1976年2月) 230円 100円

  村上重良 『天皇の祭祀』 (岩波新書993 1977年2月) 280円 150円

…を買ってしまう。3000円ちょっとだ。
 

 『妻への手紙』の巻末には、「岩波新書を刊行するに際して」と題された岩波茂雄の有名な(?)言葉は載せられていない。『鼠はまだ生きている』の方には掲載されているのだが、あらためて読んでみるとビックリ、

  天地の義を輔相して人類に平和を輿へ王道楽土を建設することは東洋精神の発露にして、東亜民族の指導者を以て任ずる日本に課せられた世界的義務である。…

…なんて言葉で始まっているのだった。

 そして末尾は、

     昭和十三年十月靖国神社大祭の日

となっているのだ。あの「岩波新書」と「靖国神社大祭の日」の組み合わせである。

 

 やはりオリジナルには価値がある。

 本や論文に、当時の岩波新書からの引用があっても、この巻末の岩波茂雄の言葉を読む機会はない。

 

 値段の変化、出版年の表記が元号から西暦へ変った事実。本文以外のところも、なかなかに見所がある。

 

 

 結局、古銭と古本で5000円ほどの散財。

 まぁ、お安いお楽しみである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/08/18 21:43 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/113552

 

 

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2009年8月11日 (火)

無敵のデリダ 劇団無敵旗揚げ公演潜入記

 

 

 デリダの子供がガタリ。デリダの弟子がドグマ。ドグマの部下がフーコーとバルト。

 
 

…というのは、劇団無敵旗揚げ公演、そのタイトルは『清潔』の中での設定。

 

 「劇団無敵」は、「劇団むさび」の役者にして演出家にして劇作家でもあった金城孝裕が、新たに立ち上げた団体だ。その「旗揚げ公演」が高円寺の明石スタジオであり(今日まで)、家族で楽しんで来た。

 明石スタジオ、20年ぶり(いやそれ以上?)、という感じだ。若干、閉所恐怖症の気味があるので(あくまでも「若干」だが)、小劇場系の公演に、自分から出かけるということはない。つまり、その時々の友人関係(恋人関係?)が、私を小劇場まで引きずり出すのである。今回は、家族関係に引きずり出された、ということになるだろうか? 娘がカネシロファンなのである(これまでにも何度か書いたと思う)。

 
 

 芝居自体について詳しいことを書くのはメンドーなので、とりあえずシチュエーションの中で、こちらに響いた言葉を書き残しておきたい。

 
 

  医学は反自然だ

 

という意味のセリフ。

 つまり「治療」は「反自然的行為」なのである。

 デリダは外科医。ガタリは医学部を目指すデリダの息子。ドグマは、デリダの(不肖の)弟子。 …というシチュエーションの中で、その言葉が、何度か吐かれる。

 これ、「老眼と自己決定」シリーズ(「現代史のトラウマ」の、だ)のテーマとなりつつある問題だ。輸血も人工呼吸も「反自然的行為」なのだ。もちろん、脳死臓器移植は「反自然的行為」の極みだろう。
 (→ http://uma-sica.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-1cec.html

 もっとも、劇中では、医学的な文脈が、天文学的な文脈とシンクロするものとしても描かれている。「反自然」であるはずの「医学」の深奥の秘密は、「自然」である天体の運行に支配されているわけである(あくまでも芝居の中での話だが、それが、動脈、静脈、包帯の赤青白と、月蝕状態の月の赤、地球の青、太陽の白のイメージを用いて説明されていたことは書き残しておこう)

 振り返ってみれば、医学のモチーフの上に進行するストーリーには、もう一つ「人力飛行」という、これまた「反自然」的モチーフが重ねられていたのだった。飛行もまた、反自然ではあるが、自然の原理(物理的原理)に拠ることにより可能になる技術であろう。

 

 「医学」を究めようという欲望に突き動かされ、患者の利益などまったく考えることのないデリダ以下の集団と、「人力飛行」に賭ける仲間が、医師と患者の関係を通して出会ってしまう。そんなシチュエーションが生み出す、非現実的な進行の背後に現実的な問題意識も垣間見せる舞台、という括り方も乱暴ではあるけど、「武蔵野美術大学競技ダンス部」の「協力」も得ての躍動感あるステージに出会えたわけだから、「閉所恐怖症(ただし若干)」を克服(?)して出かけただけの甲斐はあった、と言うことにウソはない。

 
 
 

…と、ここまで書いたのを読み直して、前回の金城作品である『アケオメスト』(劇団むさび公演)のモチーフも、未知を既知へとすることへの努力というか欲望であったことを思い出した。

 「もっと先が見たい・知りたい」という欲望、である。

 今回は、その対象が医学であり、もっと完璧に空を飛びたいという欲求であった。妻が設計した人力飛行具の操縦者として、夫は墜落し、結果として命を失う。墜落した夫の搬送先で、その夫の救命に失敗するのが医師ドグマなのであった。

 

 金城作品のこの先を観たいし、知りたいしという欲望に突き動かされ、小劇場の閉所的空間に足を運ぶことになる。

 どうもそんな未来が待ち受けていそうである。

 
 

 相手は「無敵」なんだから、抵抗はムダなんだろう…

 

 最後になったが、デリダを演じていたのはカネシロ本人であった。

 
 
 
 
 
 
註 : 「反自然的行為」としての「医学」に言及した文章として、ここに採録しておくことにした。

 

 

 

 
 

(オリジナルは、投稿日時 : 2009/08/09 23:33 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/112628

 

 

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2009年7月21日 (火)

「文明賛歌」と「たぬき汁」

 

 まずは小田急線の「成城学園前」駅に向かう、というのが本日のスタート(まぁ、午前中はウダウダしていたので、正午過ぎての「スタート」ではあったが)。

 世田谷美術館分室清川泰次記念ギャラリーで開催中の展覧会「文明賛歌 清川泰次が写したマシーン・エイジ」を観るのが目的。

 

 娘と成城学園前の駅に着いたのは既に午後2時近い時間。まずは昼食をということで、途中のケーキ屋さんらしき店に立ち寄る。キッシュにクロックムッシュで、とりあえずのお昼ごはん。ギャラリーは、そのちょっと先の路地を入って行った所にあった。

 清川氏がご自身の住居兼アトリエとして使用していた建物の内部に、区民ギャラリーと清川氏の作品展示室が作られている。

 

 

 

 

 今回の展示は、案内の文章に、

 輝かしい未来が機械文明と共にあると信じられた時代へ捧げられた、青年からの賛歌

とある通りの、1930年代日本の鉄橋や機関車や街並みの写真で構成されている。学生時代の清川氏が趣味として撮影したものが中心となっている。

 つまりアマチュア写真ということになるのだろうが、それが、まさに時代の写真なのだ。マーガレット・バーク・ホワイトだったりロドチェンコだったりの作品を思い浮かべて欲しい。まさにあの世界が、1919年生まれの慶応ボーイにより残されているのである。

 もっとも、その輝かしい世界は、1940年代の戦争により、日本では灰燼に帰するわけだ。1945年に撮影されたとおぼしき焼けた街並みと駅舎の写真が、その後の日本が辿った歴史を物語っている(後で受付の方に確認したところでは、撮影データが不明で、残念ながらどこの駅なのかはわからない、ということであった)。

 

 展示法が面白いというか見事だった。10枚くらいずつの写真を、当時のグラフ雑誌の誌面のようにレイアウトして、壁面にピン止めしているのだ。90センチ×120センチくらいで一つの画面としたものが、8(あるいは7)画面。ピン止めだけという安価な方法でありながら、レイアウトの構成で、空間の緊張感が作り出されている。

 

 

 

 

 
 

 3時過ぎにギャラリーを辞して、駅の反対側にある母の実家に向かう。10数年ぶりのはずだ。娘はまだ訪れたことがない。

 今回は訪問が目的なのではなく、娘の祖母が若い日々を過ごした家の所在を覚えてもらおうと思ったからだ。

 別に親戚同士、仲が悪いというわけじゃぁない。室内の片付けという作業をしていないに違いないことを承知しているので、突然の訪問は遠慮するのである。

 道を間違えて、20分もかからないはずの道のりに、小1時間もかけてしまったが、暑さがそれほどひどくもなかったので助かった。

 到着後は、玄関先の母の旧姓が書かれているポストの前で娘の姿を撮影。まぁ、夏の街を1時間近く歩かされた後なので、表情がひどい。結果として20分ほどかけての撮影ということになる。今後は演技力を身に着けて欲しい(と注文をつける身勝手な父)。

 

 とりあえずこれで、母(娘にっとっては祖母)の住んでいた家も見たし(といっても建物は改築されていたけど)、ということで駅へと向かう(それが4時半過ぎ)。

 しかし、祖父母(娘にとっては曽祖父母)が存命だった頃とはまったく違う街並みとなってしまっている。相続税の関係だろうが、複雑な思いがする。バカ息子が親の相続財産の広い屋敷で安楽な生活をするというのも実に問題だと思うのだが、相続税対策の結果としてゆとりある街並みが壊れていくというのも、なんとも文化として貧困なものだと思う。

 

 駅近くなって、「キヌタ文庫」という古書店を発見。以前にも一度訪れ、収穫を抱えて帰った記憶がある。娘も、喜んで立ち寄りましょうモード。

 購入本は、

 佐々木輜重兵大佐 『兵站勤務の研究』 偕行社 昭和7(1932)年  2000円

 佐藤垢石 『随筆 たぬき汁』 墨水書房 昭和17(1942)年  700円

 カール・ヤスペルス 著 森 昭 訳 『独逸的精神 マクス・ウェーバー』 弘文堂 昭和17(1942)年  200円

 総合インド研究室 編 『印度の民族運動』 総合インド研究室 昭和18(1943)年  500円

 木村喜久弥 『ネコ その歴史・習性・人間との関係』 法政大学出版局 昭和33(1958)年  400円

 高群逸枝 『日本婚姻史』 至文堂 昭和38(1963)年 200円

 細川護貞 『細川日記 上下』 中公文庫 1979年(ただし1991年の3版)  480円

 藤岡明義 『敗残の記 玉砕地ホロ島の記録』 中公文庫 1991年 300円

 エマニュエル・ウォーラーステイン 『アフター・リベラリズム』 藤原書店 1997年  1300円

 『MUSICAL INSTRUMENTS OF THE WORLD』 PADDINGTON PRESS LTD 1976年  1800円

 『中国楽器図誌』 (中国の書籍で、出版社名が簡体字なので表示不能) 1987年  800円

 

 

 『随筆 たぬき汁』は、かつてネット上から引用した文章の原本(→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/91911/)。こんなところでめぐり合おうとは!!

 『兵站勤務の研究』の表紙には、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」と書いてある。

 他に娘の欲しがった文庫本を合わせて9800円の散財。

 娘は、昨日は一人で近所の大型古書店(例のチェーン)を2つめぐったらしいが、品揃えの違いに大喜びであった。これぞ正しい古本屋の姿であろう(値段に関しても、ウォーラーステインなんかチェーン店だと定価の半額というパターンで2400円のはずだ)。

 

 駅近くのコーヒーショップで一服。娘の母(仕事である)と連絡を取り、地元の駅で合流することに決定。

 7時半近くに地元駅到着。駅上の書店で合流。ここでまた余計な本を買ってしまった。

 『現代思想 7 (特集 人間/動物の分割線)』 青土社 2009 
 田中克彦 『ノモンハン戦争  モンゴルと満州国』 岩波新書 2009

 そんな荷物を増やして(家族それぞれに、だ)、階上のレストラン街で食事。自宅に帰り着いたのは9時近く。

 
 
 

 暑い中、充実した一日だった、ように思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/20 21:30 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/110606

 

 

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2009年7月13日 (月)

LACHRIMAE 介護のエンディング (老眼と自己決定 番外編)

 

          LACHRIMAE

 

 ラテン語で「涙」を意味する、はずである。

 

 

 母を亡くしていることは、何度か書いたと思う。

 

 彼女は、88歳の日々を、肺癌患者として、寝たきり状態で過ごすことになった。

 往診に訪れたかかりつけの医師から、「余命数週間」との診断を伝えられたのが2001年の1月29日のことだった。

 医師が帰った後、母のポートレートを撮影した。「遺影」用に、である。

 前年の10月の検査入院の際に、癌の部位が心臓に接していて「かなり危険」なことを病院の当直医から聞かされ、退院後は毎日、母の姿を撮影するようにはなっていた。話が前後するが、1999年の後半から微熱が続くなどの体調変化に見舞われ、癌の診断を受けたのは、その年の暮れか翌年の正月のことだ。そのことは本人にも伝えてある上での、その後の出来事である。

 

 やがて訪れる死を前提にして、毎日、母(と家族の姿)を撮影する。そんな日々の中で、往診の医師からの「余命数週間」という言葉は、「やがて訪れる死」という言葉の切迫度を高めるものとなったわけだ。

 

 丁度、私の仕事が春休みに入ることもあり、母を入院させるのではなく、自宅での介護という選択をした。4月にはすべてが終わっている、と思ってのことである。桜の咲き誇る下での葬儀となれば上等だなどと考えていたくらいだ。

 そして、新学期からは仕事に復帰する。

 

 そう考えていたのだが、介護の成果なのか、4月に入っても母は存命であった。以後、仕事を休んでの介護の日々が始まる。

 介護保険の発足と重なり、それ以前の家族介護が置かれたであろう状況に比べれば、かなり恵まれたものとはなったはずだ。しかし、相手は回復の可能性の存在しない家族である。嚥下困難により、食事の楽しみさえ失ってのことだ。

 彼女の生の存続は、もちろん息子としての私、そして私の家族の喜びである。しかし、寝たきり状態という当人にとってもつらい状況での生の存続でもある。88歳ということは、十分に老人であることを意味し、その上での肺癌は、回復というエンディングへの希望を断つものなのである。

 エンディングは彼女の死以外になく、それは彼女の苦しみからの解放の時でもある。それは、つらい状況の終了ではあるが、しかし、彼女と家族が共に過ごせる日々が断たれる時をも意味するのだ。

 しかし、しかしその上に、終わりの見えぬ介護というつらい日々からの解放を、私には意味することにもなる。そこでは介護の日々からの解放をもたらすのは、彼女の死なのである。

 

 心理的には、少なくとも私の心理の問題としては、ハッピーエンドへの希望を持ちえない日々だったように思える。

 彼女の死は望まない。しかし、彼女の死がすべての問題を解決する、という考えを否定することも出来ない。

 私自身にとって、うれしい認識ではない。

 付け加えれば、介護のために仕事を休んでいるということは、その間の収入がないことを意味するし、介護には金がかかるのである。介護の継続は、経済状況の絶対的な悪化も意味するのだ。

 

 

 そんな毎日ではあったが、その中で、必ずその日の母の姿を撮影することは続けていた。

 3月に彼女は88歳の誕生日を迎える。当然、その日の姿を撮影した。その1ヵ月後(4月)には、3月の誕生日の写真と彼女を1枚に収めた。その1ヵ月後(5月)には、4月に撮影した3月の誕生日の写真と並ぶ彼女の姿を撮影する。それを一ヵ月ごとに繰り返す。彼女の生の存続の証しである。「余命数週間」が一ヶ月ずつ延びていく様が、一枚の写真に収められるのだ。

 まぁ、そんな楽しみ(?)も交えながら、毎日、肺癌で寝たきりとなった老人の姿を撮り続けた。

 

 介護の日々の心理的にストレスフルな状況については、先に書いた通りだが、撮影用のライトをセットし、カメラを構え、彼女と向き合う時間。それは「介護の時間」とは別の時間の流れを、私と母の間にもたらすものとなった。その間だけ、私たちは写真家とモデルになるのだ。

 カメラを持つ習慣、シャッターを切る習慣も捨てたものではない。介護という関係性は、その時だけは、私たちの間からは消えたのである。

 

 

 

 2002年1月3日に突然訪れる彼女の死までに、数千枚の写真が残されることになる。

 

 

 その中から48枚を選び、2冊のアルバムにまとめた。彼女の友人・親戚も、彼女同様の老人であり、見舞いにも来られなければ葬儀にも立ち会えなかった方々がほとんどだ。彼女の最後の日々を、写真を通して共に過ごしてもらえればという思いでセレクトした48枚であった(枚数はアルバムのフォーマットに規定されている)。

 彼女の親戚・友人達へ届けるためのアルバムのタイトルとして選んだのが「ラクリメ LACHRIMAE」である。

 1604年に出版されたジョン・ダウランドの曲集のタイトルにちなんだものだ。介護の日々、私の中を流れていた音楽。

 

 

 

 

 書き始めたら長くなってしまった。仕事先で私を見知っていた学生から、私をネタに展覧会をしたいという話があり、かつての母の写真を見せたら「それで行きましょう」的展開になってしまったのが、今夜のお話の発端。

 学生にタイトルの由来である「LACHRIMAE」の実際の演奏を紹介しようと思って、「YOUTUBE」を利用して見つけた画像を紹介するだけで終えるつもりが、説明を始めたら長い話となってしまったというのが事の真相である。

 さて、学生にメールで紹介したのは、

J. SAVALL · Hespérion XX · "Lachrimae Antiquae" · Dowland
 → http://www.youtube.com/watch?v=LCfhqh0u20c

STING & EDIN KARAMAZOV (LUTE) - ST LUKES CONCERETTE PART 1
 → http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=ljQDTLUDWC0&feature=related

の2つだったのだが、後になってから、

Jordi Savall, Hespèrion XXI - Lacrimae Pavan, J.Dowland (1563-1626)
 → http://www.youtube.com/watch?v=g2uA4msplTg&feature=related

を発見。サヴァールのライヴ映像だ。

 スティングのヴォーカルによる「Flow my Tears」も好きだけど、

Alfred Deller performs Dowland's 'Flow my Tears'.
 → http://www.youtube.com/watch?v=85C1jX0P28k&feature=related

このデラーも名演だと、久しぶりに聴いてあらためて思った。これ、LPは持っていたはずなんだけど…

 最後に、

Flow My Tears - Jim Moray
 → http://www.youtube.com/watch?v=40bv3m9I7dM&feature=related

やるじゃありませんか…

 

 

 

註 : 私自身の死生観の背景の理解につながると思い、「老眼と自己決定」の「番外編」として、ここに収録することにした。

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/07/12 22:07 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/109862

 

 

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2009年6月21日 (日)

Inside-Out 1と0の為に

 

 井上廣子さんの、「窓」をテーマにした写真展のタイトルが「Inside-Out 1と0の為に」、である。

 

 武蔵野美術大学内のギャラリー「apmg」で開催中だ(6月26日まで)。先日のオープンキャンパスの際に、パートナーと観たのが最初(昨日も、再度訪れたことは既に書いた)。

 

 

 会場内の照明は、ほとんどない。床にランダムに置かれたライトボックスに、作品が浮かび上がっている。室内から、窓を通して見える外の風景。

 ベッドや洗面所の向こうの窓。カーテン越しの外の光景。室内の光と、外の光のバランスが美しい。

 

 

 窓とは、そもそも、室内と室外の間にあるものだ。壁に窓を穿つことにより、室内は閉鎖空間から、外部へとのつながりある空間へと変貌する。

 寒冷地では、板ガラスの登場・普及以前の窓は小さく、外光あふれる生活は望みえなかった。大きな板ガラスの製造技術が、開放感ある室内をもたらしたのである。

 しかし、窓に鉄格子がはめられていたら?

 

 つまり、井上廣子の写したのは、そのような窓なのである。

 大きな窓のある室内。つまり、外の光景も十分に取り入れられた、外光あふれる室内である。しかし、その部屋は、鉄格子により外部から隔てられているのだ。

 

 

 撮影地は、オットー・ワグナー精神病院、ベーリッツ療養所、県立岡山病院(現・岡山県立精神科医療センター)、ベードブルグ・ハウ精神病院…、と続く。

 精神病院以外にも、老人施設や少年院などの隔離施設が撮影の対象となっている。

 

 窓が存在しながら、外部とのつながり以上に、外部から隔てられた場としての室内であることが、写真を見ているうちに理解されるだろう。

 

 

…なんて書いているが、すぐに気付いたわけではない。パートナーの方がすぐに気付き、指摘してくれたのだ。ウチのパートナーは精神科関連業界人なのである。

 要するに、私のような素人(?)には、すぐに気付くことは出来ない情景の要素なのだが、プロにはピンと来るということなのだろう。病院や、老人あるいは障害者関連施設の光景であるらしいことまでは、私にも想像がついたのだが、プロの目はその先まで見抜いてしまうようだ。

 

 実際のところ、鉄格子といっても、昔の監獄のイメージからは遠いものだ。大きな窓に、デザインされた細い格子状のフレームが取り付けられている、ようにも見えるのである。

 

 

 いずれにしても、室内の人間を外部から遠く隔ててしまうものが、窓の外のフレームなのだ。

 外部である社会から、室内の人間を護るということである以上に、室内に人を隔離することにより、外部の社会を護るという発想が、そこには存在するだろう。

 しかし、社会は十分に凶暴であり、弱者としての障害者が、その凶暴な外部から護られることも必要事ではある。

 外部には自由があるかも知れないが、必ずしも安全ではない。しかし、隔離され、拘束されることもまた、人間にとって好ましい状態ではないだろう。自由を奪われた場所で保障される安全な生存を人は望むものだろうか?

 

 もっとも、外部である社会に生きる人間達も、それほど自由であるわけでもなく、身の安全のためには行政権力による日常生活への管理・統制を望んでいるようにも見える。

 

 私たちは、本当にあの窓の外部にいるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/06/21 20:58 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/blog_id/107761/user_id/316274

 

 

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2009年5月 6日 (水)

やなぎみわ マイ・グランドマザーズ

 

 今夜も、映画『靖国』の話題を続けるつもりだったのだが、それは明日にして、今日のことを書いておきたい。

 
 
 

 体調回復した娘も一緒に、雨の中、東京都写真美術館まで出かけた。

 目的は、

「夜明け前 知られざる日本写真開拓史Ⅱ 中部・近畿・中国地方編」 

「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」

の二つの展覧会。

 

 
 
 

 まず3階展示室の「夜明け前」から。

 

 タイトル通りの内容である。幕末から明治中期くらいまでの写真と撮影具(つまりカメラ)の展示。

 これが面白い。堆朱仕上げのカメラなんて、工芸品である。しかもセッティングのお陰で、カメラボックス内のピント面の画像(もちろん反転している)を見ることが出来る。

 露光に時間がかかるから、撮影とは、写真家にもモデルにも「忍耐」であったろう。

 そんな時代の写真を見て来たわけだ。

 

 肖像写真というジャンルは、そのような写真家とモデルの共同作業の産物なのであった。もっとも、それまでに存在したのは肖像画であり、そもそもモデルは絵描きを前に、じっと我慢を強いられていたわけだ。と言っても、日本に肖像画の伝統があったわけでもない(支配階層のトップ以外に)。

 やはり、カメラの前でじっと時を過ごすというのは、この時代の人間達が初めて経験する時間のあり方だっただろう。しかもその結果、鏡を見る以外に手段のなかった自分の姿との対峙を経験することになる。初期の写真のポーズのぎこちなさを支えているのは、写真家にとってもモデルにとっても未経験の世界であったという事実だろう。

 

 そんな写真を見ながら考えたのは、ここに写されているすべての人間が、老いも若きも、男も女も、みんなとっくに死んでいるのだ、ということだった。

 そこには、赤ん坊もいれば老人もいた。その時点での年齢差も記録されている。しかし、その時点での年齢差を越えて時は流れ、皆が既に亡き人になっているのである。

 実は先日、ジガ・ヴェルトフの1929年のフィルムである『カメラを持った男』のDVDを観ていて、サイレント映像(DVDではマイケル・ナイマンの曲が付けられているが)の中に生き生きとした姿を残した人々の全員が故人となっているのだろうな、なんてことを考えてしまったのだった。

 スチールとムービーの違いはあるが、過ぎ去った出来事が、過ぎ去ってしまった人々の存在が、記録として残されていることの意味、と言うより残されてしまったことが生み出してしまう意味を考えてしまうわけだろう。

 

 残された写真を通して、映画を通して、過去に生きた見ず知らずの人々を、見知ることになるわけだ。写真以前、映画以前の世界では想像もつかぬ経験を、私達はしていることになる。

 

 その上で、おびただしい死者そのものの姿を記録として残したのが20世紀であった。見ず知らずの人々の死体となった姿を見知るという経験。21世紀に、何か変化はあるだろうか、ありうるものだろうか?

 
 

 

 2階展示室の「やなぎみわ マイ・グランドマザーズ」は、作られた写真である。

 

 チラシの文面には、

 

このシリーズは、若い女性が思い描く50年後の自分の姿を作り上げたものです。背景、服装、表情にいたるまで、作家と被写体が対話を繰り返しながら生み出した作品には、現実と想像が織りなす濃密な時間が流れています。本展で初公開となる新作も展示します。様々なグランドマザーとの対話をお楽しみください。 

 

と書かれている。

 被写体(モデル)は、皆、年老いた女性の姿だ。やなぎみわにとっての想像上のグランドマザー、あるいはグランドマザーとなった想像上のやなぎみわ? じゃなくて、モデルそれぞれのグランドマザー、あるいはグランドマザーとしてのモデルだった。

 それぞれの写真自体が力強く、それだけで存在感があるのだが、そこに付けられたキャプションを読むと、それぞれの写真にはストーリーも用意されていることがわかる。それぞれが、ある物語性を秘めた時間を定着したものであることが観る側にも理解される。写真自体の力に加えての物語性。

 その上で、観客としては、それぞれの撮影の状況などまで想像してしまう。

 一枚の写真がそれだけで語ってしまうこと。そこに、写真家側が用意した物語性を重ね、観る側の勝手な想像までが重ねられる。

 写真を見ることとは、そのような出来事であり得るのだ。

 

 ところで、このような完全に作り上げられた写真こそが、写真の歴史の初期を特徴付けるものでもあった。

 まず写真は絵画の代替物として登場したのである。しかも、長時間露光の必要は、現在の写真へのイメージの根底にある「瞬間の切り取り」を不可能事としてしまう。

 やなぎみわによる、写真の最新の姿には、写真の歴史も埋め込まれているのだ(というのももちろん、観る側の勝手の想像の一例であるわけだが)。そんな想像力が、3階と2階の展示を結び付けてしまったわけだ。

 

 いずれにしても、見知らぬグランドマザーが、見知ったグランドマザーへと転換され、やなぎみわの伝える物語は、見た者それぞれの物語へ織り込まれていくのである。

 
 
 
 
 
 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/05/05 22:24 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/103216

 

 

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2009年4月30日 (木)

ダミニスト古本購入記

 

 世の中はゴールデンウィークということになっている。

 
 

 今日は休みを利用して、家族で展覧会めぐりの予定だったのだけれど、娘の体調がイマイチだったので、ご近所散歩の午後に変更。

 

 五月間近の陽射しの下、ブラブラと歩き出した。

 まずはケーキ屋さんでケーキとコーヒーを楽しみ、そのまま駅の方向を歩くと古本屋さんがある。

 祝日だというのに、幸か不幸か、店は開いていた。店内に入り、いろいろと買い込んでしまう。

 
 
 

  『第三十四回海軍記念日を迎へて』 (海軍省海軍軍事普及部 1939) 1000円

 

  倉田一郎 『國語と民俗學』 (青磁社 1942) 500円

 

  尾形半 『暗い廊下 -裏から見たソ連-』 (立花書房 1957) 400円

 

  アレクサンドル・コイレ 『閉じた宇宙から無限宇宙へ』 (みすず書房 1973) 600円

 

  『銃後の人々 祈りと暮らし』 (石川県立歴史博物館 1995) 800円

 

  山田規畝子 『壊れた脳 生存する知』 (講談社 2004) 300円

 
 

 以上6冊購入。店頭の紙袋の中にあった、

 

  ダンテ 『神曲 新生』 (筑摩書房 世界文学大系6 1962) 

 

  地引嘉博 『東欧の社会 ドイツとロシアの間で』 (サイマル出版会 1987)

 

の2冊は処分品ということで、なんと無料でいただいて来てしまった。

 

 母娘もなにやら買い込んでいた。展覧会めぐりの出費に比べればお安いもの、というリクツ。

 
 

 古着屋さんが開店(昨日開店らしい)していたので立ち寄る(娘が主体)。

 駅を超えて、大型古書店へと向かう。

 こちらでは、

 

  川崎浹 『権力とユートピア ロシア知識人の肉声』 (岩波同時代ライブラリー 1995) 550円

 

  安島太佳由 『訪ねて見よう! 日本の戦争遺産』 (角川SSC選書 2009) 550円

 

を購入。

 娘の母は、私の発見した、

 

  「シネマ101 第2号 特集 リュミエール」 (映像文化連絡協議会 八潮出版社 1996) 750円

 

を購入(欲しくなったらしい)。

 
 

 家路は別の道を歩き、いつの間にか出来ていた小さなギャラリー「MOGRAG(mograg …?)」で山口昌弘さんの「逝来手!展」に出くわす。帰宅してから、いただいたチラシを見たら、1986年5月1日生まれで2007年没という経歴。パワーあふれる落書き群に出会ったのだった。画面を埋め尽くすことへのエネルギーに、ある種のアウトサイダーアートを思い浮かべたりする。

 明後日が誕生日。生きていれば23歳。ああ。

 展覧会めぐりをあきらめてのお散歩が、しかし、今はなき山口昌弘さんとの出会いにつながったのだった。

 

 並びのたい焼き屋さんでたい焼き購入し、歩き食い。

 近所の大型店で、娘の靴にキャットフード、そして人間用食材を購入し、無事に帰宅。

 
 
 

 そう言えば、日曜日も似たような展開だった。昼食をチェーン店ではないハンバーガーショップで食べ(美味い)、駅の向こうの大型古書店で散在。

 購入本は、

 

  P・マルヴェッリ G・ピレッリ編 『イタリア抵抗運動の遺書』 (冨山房百科文庫 1983) 750円

 

  松本弥 『図説 古代エジプト文字練習帳』 (弥呂久 1994) 850円

 

  NHK取材班編 『プロパガンダ映画のたどった道』 (角川文庫 1995) 100円

 

  藤澤房俊 『大理石の祖国 近代イタリアの国民形成』 (筑摩書房 1997) 1500円

 

  イアン・ブルマ 『イアン・ブルマの日本探訪 村上春樹からヒロシマまで』 (TBSブリタニカ 1998) 800円

 

  内田百閒 池内紀 編 『百閒随筆Ⅱ』 (講談社文芸文庫 2002) 600円

 

  京極夏彦 『対談集 妖怪大談義』 (角川書店 2005) 650円

 

  小沢朝江 『明治の皇室建築 国家が求めた〈和風〉像』 (吉川弘文館 2008) 950円

 

 

 

 

 

 しかし、一体、いつ読むんでしょうかねぇ…

 
 
 
 
 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 2009/04/29 21:02 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/102657

 

 

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2009年4月15日 (水)

前衛の終焉

 

    前衛派

 

  前衛派は前衛ではない。後衛である。

  元来前衛は派などという衣装をまとってはいないの

 だ。いつだって素っぱだかで孤独なものだ。

  前衛派は前衛の死体から皮をはがして身にまとい、

 それをユニフォームにする。

 

  ナンテ粋ナンデショ!

 
 

と、辻まことは『虫類図譜』に書いた。1964年の出版であるが、草野新平による「序」によれば、

 

 「虫類図譜」が最初に『歴程』誌上に現れたのは十年前の一九五四年だった。

 

ということになるらしい。

 

 「前衛」も「前衛派」も、当時はまだ、「現実」として存在していたわけだ。

 
 

 『虫類図譜』には、「前衛派」に類する虫として「亜流」も蒐集されている。

 
 

    亜流

 

  彼は羽根の能力を知らず、その形で飛ぼうとする。

 そして重力に支配されている鉛のような地上の知慧を

 羽根の形にする。重さにつぶされて歪んだ自分の脚は、

 彼にとってたくましさの自負となる。

  そろそろと渡りましょう。

  フム。俺は今自由に空を飛んでいるのだぞ。

  とても軽々とな。

  皆よく見ろ!

  落っこちたら世間のせいだぞ。

 
 

 「そろそろと」、綱渡りをする虫の姿のイラストが添えられている。

 

 「亜流」は、今でも簡単に観察出来るだろう。

 
 
 

 「前衛」であること、「アヴァンギャルド」であることはカッコイイことであったはずだが、「前衛」なんて、今では何とも古風な印象を与える言葉だ。「プログレッシヴ」だって、昔の話になってしまっている。

 
 
 

 「前衛」という語に死を宣告したのは、私の経験の中では赤瀬川原平氏であった。

 赤瀬川原平氏と言えば、1960年代の「前衛芸術」を代表する一人であろう。現代日本美術史の教科書からは外すことの出来ない人物である。

 

 その赤瀬川原平氏の著書『超芸術・トマソン』(白夜書房 1985 / ちくま文庫 1987)に登場する「純粋階段」こそが、私の中で「前衛」の終焉を告げた存在なのであった(→ http://blog.goo.ne.jp/tomotubby/e/30fd4e8f7bbb0e6a235dfd503d47ca50 伝説の「四谷階段」参照)。

 
 
 

 「芸術」というジャンルの語に「純粋」という語が重ねられる。

 「純文学」なんて言葉は、今でも命脈を保っているのだろうか?

 そこに求められるのは、あくまでも芸術のための芸術である。排除されねばならないのは、商業主義であり、娯楽的要素であり、時には「政治」であった。そんな雰囲気が込められた語として「純粋」が用いられていたわけだ。「純粋」には、眉間にしわを寄せて対峙しなければならない。

 

 階段であるだけの階段。高低差を解消し目的地に導くという役割を放棄した「純粋」な階段。

 日常的意識からすれば、役立たずな階段であり、無意味な階段である。道中で出会っても、通常なら見過ごしてしまうだろう。

 

 ある日、役立たずで無意味な階段(というか役割を放棄した階段は既に階段ではないのかも知れないが)が「純粋階段」として再発見されたのである。1972年のことであった、らしい。

 それが概念として熟成し、「トマソン」と総称される路上構築物として、改めて観察の対象となり、一つのムーブメントとして記録され分類されていくのが80年代のこととなる。

 
 

…と書いて気付くのは、70年代というのが、「前衛」という語が「芸術」の世界と共に「政治」の世界でもまだ命脈を持ち得ていた時代だったのだということだ。

 四谷の純粋階段の発見は、連合赤軍による「あさま山荘事件」と、まさに同じ年の出来事であったのである。

 「政治的前衛」は自壊し、「芸術的前衛」が純粋階段を見出す時代。

 70年代が「新左翼」の自壊の時代だったとすれば、80年代は「旧左翼」の自滅の時代であった。1989年、ベルリンの壁に開いた穴は、社会主義世界を崩壊させてしまった。今や政治的前衛など存在しない。

 「現代美術」、「現代音楽」はジャンルとしては存在するのだろうが、現代人にとっては見慣れた世界の風景の一部に過ぎなくなってしまっている。最早、何をやっても、誰も驚きはしないのだ。眉間にしわを寄せての、あの「純粋」スタイルも消えた。

 

 ハプニングからパフォーマンスへと流れる行為としての芸術もまた、見慣れた光景となってしまったのが21世紀の現実だろう。誰も驚きはしない。

 
 
 

 しかし、純粋階段の発見は、新たな世界の見出し方を取り出す行為であった。

 それまでは人の視野に入ることのなかった路上構築物が、ある時以降、意味ある存在として輝き始めてしまったのである。

 無意味な(と思われていた)対象から、新たに意味を見出す行為。そこにこそ芸術の核心を見出すことも可能ではないか、と思い始めてしまうのだ。

 前衛は、しっかり前衛でありながら、前衛という言葉に引導を渡してしまったのである。

 
 
 
 
 
 

赤瀬川原平 

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%80%AC%E5%B7%9D%E6%BA%90%E5%B9%B3

トマソン

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BD%E3%83%B3

あさま山荘事件

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 
 
 
 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/04/14 23:40 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/101223

 

 

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2009年4月11日 (土)

「卒業制作優秀作品展」を観る

 

 4月6日から、「平成20年度 武蔵野美術大学 造形学部卒業制作 大学院修了制作 優秀作品展」が開催されている。

 
 

 先日、娘と共に楽しんで来た。

 
 

 「卒業制作展」リポート(?)にも書いたことだけど、そもそも、美術大学の「卒業制作」自体が面白い。絵画・彫刻だけが「美術大学教育」の対象ではないのである。

→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/92750

→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/92855

→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/92935

→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/93031

 

 その中の「優秀作品」展だ。つまらないわけはない。

 

 「卒業制作展」の時点で強く印象に残った作品が、やはり「優秀作品」として選ばれている姿に出会うのは、(なぜか、どこか)うれしい感じだ。「衆目の一致するところ」というものはある、ということだろう。

 しかし、未見の作品も多いのだ。それだけ大量の作品が、卒業制作として作られるわけだ。ちなみに清掃担当者から聞いた話では、「芸祭」の時期と「卒業制作展」前後が、ゴミの量ではトップを争う状態だそうだ。創作とゴミ。「寓話」が潜んでいそうである。

 
 
 

 展示会場も、美術資料図書館展示室、12号館地下展示室、9号館地下展示室の3ヶ所がメイン会場となっている。スタンプラリー形式のパンフレットになっていて、スタンプを3つ集めると、特製のエコバッグがもらえる仕組みだ。見落としを防ぐための工夫? もちろん、父娘共にエコバッグをゲットしたことは言うまでもない。

 
 
 

 父娘共にお気に入りだったのが、視覚伝達デザイン学科の保田卓也さんの作品だった。

 「プロパガンダの解剖」というタイトルのパネルと本。「レッツ・プロパガンダ」というタイトルのアニメーション。

 アニメのナレーションが、娘の好きなムサビ演劇関係の佐野淳子さんという関係で(?)娘はアニメ、父はよく造り込まれた冊子に夢中。

 戦時日本、ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア、社会主義のソ連、戦時アメリカ、戦時イギリスと、それぞれのプロパガンダポスターの事例を集めた冊子(それぞれに1冊が宛てられている)には、「現代史のトラウマ」関係者(?)としては惹きつけられざるを得ない。血沸き肉踊るステロタイプな世界だ。

 冊子が美しくプリント・レイアウトされた事例集であるのに対し、アニメの方はプロパガンダ作成マニュアル的な構成だったらしい(娘の話による)。なかなかに皮肉の効いたアニメだったようで、娘にオオウケであった(アニメの方は、後日、機会を作って自分の目でも観たいと思っている)。

 

 「現代史のトラウマ」系作品(?)としては、やはり視覚伝達デザインコースの大学院修了制作、パク・ジフンさんの「近代東南アジアにおける文字政策の研究」が興味深かった。

 タイトルは「東南アジア」となっているが、対象となっているのは、日本、朝鮮半島、中国大陸、台湾なので、実際は「東アジアにおける…」であろうけれど。

 それぞれの近代国家としての成立過程と、文字政策(正書法と字体の確定)が考察の中心となっているのだが、朝鮮半島、満洲、台湾の事例は、日本による統治という共通の時期を抱えている。それぞれの教科書が事例として展示されているのだが、日本統治下では、教育されるのは日本語なのである。それぞれの地域の固有言語への配慮はない。そんなことが一目瞭然なのである。これも、もう一度、ゆっくり読み込んでおきたい作品だと思った。

 

 これも、視覚伝達デザイン学科の卒業制作作品だが、川瀬康子さんの「しいたスタイル ~自閉っ子のための玩具~」も見落としたくない。

 彼女が教育実習先で出会った自閉症の小学生達。その中の一人である「しいた」君。その、しいた君の特性(自閉症児としてのキャラクター、つまり、こだわり等の特徴)を把握した上で、彼の興味関心に沿った玩具を開発する。その際、彼の興味関心のあり方の特徴を絞り込むことにより、逆に人間の認知を支える基本特性が見えて来る。結果として彼の興味関心に的を絞ったはずの玩具は、汎用性を持った玩具として完成することとなった。カラフルな木とアクリルのゲーム形式の玩具である。

 

 父娘推薦作品としてもう一つ、田村陽菜さんの作品「グルーミング・アート 1」及び「グルーミング・アート 2」は落とせない。油絵学科の卒業制作ではあるけれど「本」が二冊。

 それも文章で勝負!な、本なのだ。

 美術作家を目指すぞ!という気負いを欠いて、しかし楽しげに制作を続ける一群の学生の存在。そこにある謎(?)に挑んだ作品(?)、という感じだろうか。毛づくろい(グルーミング)をするネコを眺める心地よさと、気負いのない作者達を前にしての感覚の親近性がタイトルの由来らしい。

 実は、田村陽菜さんは、例の「うそ新聞」の作者である。この卒制「グルーミング・アート」も、昨年の芸祭の時点で予告されていたものだ(「うそ」ではなかった→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Photo/node/PhotoEntryFront/user_id/316274/file_id/52295 2007年の「うそニュース画像 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Photo/node/PhotoEntryFront/user_id/316274/file_id/35589)。

 「1」に基本的コンセプト、「2」は、そのテーマを深めるためのインタビュー集という構成である。「うそ新聞」の作者であるから、辛辣さをユーモアで包みながらの展開となっており、大いにウケながら読み終えてしまった。

 この「グルーミング・アート」、岡田斗司夫氏が近年提唱(?)している、「プチクリ」というコンセプトが近い感じである。

 
 
 

…と、まぁ、紹介したのは絵画でも彫刻でもない作品だけど、もちろん、絵画彫刻も観ておくに値する作品が揃っている。

 

 それに、作品によっては、卒業制作展時からヴァージョン・アップされていたりするのだ。

 

 不便な場所だけど、出かけるに値すると思う。

 
 

   (武蔵野美術大学にて、4月22日まで開催。ただし日曜日は休館)

 
 
 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時:2009/04/09 20:45 → http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/100689

 

 

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2009年2月11日 (水)

建物のカケラ

 

 「建物のカケラ」と題された展覧会に出かけた。

 サブタイトルに「一木努コレクション」とある通り、一木努氏による個人コレクションの展示である。内容は、タイトル通り、解体された建物の「カケラ」のコレクションだ。

 展覧会図録にある主催者による「ごあいさつ」の文章には、

建物にとっていちばん幸福な姿とは、建物がその場所に存在し、人々や土地の記憶の中で生き続けること(現地保存)であると私達は考えます。しかし建物は、時が経てばその多くが解体される運命にあります。思い出の建物、風景の一部であった建物は、大小無数のカケラをのこして姿を消すのです。

本展覧会で皆様にご紹介する約700点にもおよぶ建物のカケラたちは、現役の歯科医師でもある一木努氏が、約900箇所の解体現場に通い、40年の長きにわたり収集してきた個人コレクションの一部です。…

…とある。

 開催場所が、「江戸東京たてもの園」(東京都小金井市)であることが、冒頭の「建物にとっていちばん幸福な姿とは、建物がその場所に存在し、人々や土地の記憶の中で生き続けること(現地保存)であると私達は考えます」という言葉に反映されているように思える。「江戸東京たてもの園」とは、現地保存の叶わなくなった建物を移転保存するための施設なのである。

 もちろん、移転保存も叶わない建物、解体され姿を消してしまう建物のほうが圧倒的に多い。「江戸東京たてもの園」の関係者にとっても、実に悲しく歯がゆい事態であるに違いない。

 「江戸東京たてもの園」の学芸員氏が書いたのであろう「ごあいさつ」の文章の後ろには、そんな日々の経験が隠されているように思えるわけだ。

 

 下館市の歯科医師、一木努氏は、現地保存が叶わず、移転保存も出来ずに解体され姿を消していく建物のカケラを解体現場から救い出すことで、その建物のかつてあった徴を保存するという行為を続けて来た方なのだ。

 
 

 図録から、一木氏自身の文章を紹介しよう。

どんな名建築でも取り壊しとなれば、美しい壁もはがされ、立派な柱も倒され、つぶし砕かれて、建築廃棄物となってしまう。つまり、廃材というか、ゴミ。でも、捨てられてしまうそのゴミの一部(カケラ)を集めるとなると、それなりの努力がいる。ゴミといっても、通りの集積場に出してあるわけではない。解体現場の仮囲いの中で、廃棄物となった建物のカケラは、ダンプに積まれ、人目に触れることもなく、そのまま処分場に運ばれてしまう。

建物のカケラを手に入れるには、解体中に、その仮囲いの中に入って、取り外すか、拾い上げるしかない。後から入手するのはほとんど不可能だし、解体前も難しい。

そのため、解体の日程を把握し、現場を巡回しながら頃合いをみて交渉。承諾を得て、現場に入り、選択、最終、運搬という手順になる。

つまり、このコレクションは、建物の持ち主や現場作業員の理解と協力がなければ、成り立たなかった。現場では、解体作業中に、部外者から廃材をねだられるのだから、かなり迷惑だったに違いない。にもかかわらず、どこでも本当に親切にしていただいた。その好意に報いることができるとすれば、現場から救い出したカケラを、少しでも多くの人に、見ていただくことしかないだろう。

 

…と、その収集の方法が明かされているわけだが、その第一号は、1966年、一木氏17歳の夏に始まる。もちろん、その時のカケラ(常陽製菓煙突レンガ)も展示会場にある、というか展示自体もそこから始まるのである。

 

 公共建築もあれば、個人住宅もあるし、ありとあらゆる種類の「建物のカケラ」が集められていることに驚く。

 たとえば、図録中の素材別のコーナーの「石」の項目には、渋谷区神宮前の社会事業大学(旧海軍館)、岡山県岡山市の「中国銀行本店」、千代田区丸の内の「白石ビル」、大阪市南区心斎橋筋の「戎橋キリン会館」、港区海岸の「芝浦石畳」、台東区上野の「本牧亭」、港区芝大門の「昭和電工(旧不動貯蓄銀行本店)」…といった具合である。

 中には、1968年の国際反戦デーに新宿駅での投石に使われた石、なんてものまである。

…と、石もあれば金属金物もあり、タイルのカケラから装飾のレリーフ、そして「キャッツシアター(大阪)」のテント地まで、素材も様々なら、大きさも様々である。

 すべて解体され、建物は現存しないのである。写真でかつての姿を見ることは出来るわけだが、しかし、その建物の一部の実物の持つ存在感は、また格別のものなのだ。

 

 一木氏の営為を讃えないわけにはいかない。

 

 しかし、すべて廃材、ゴミである。そのようなもののコレクションに、家族の理解は得られているのだろうか?と、誰しも不安になるところであろう。

 しかし、ここにもまた驚くべきストーリーが展開するのであった。

 

 展示品に、渋谷区千駄ヶ谷の「藤井邸」のカケラがあった。それには次のようなキャプションが付けられていたのだ。

こののち、結婚することになった女性からもらった初めてのプレゼント。実は、彼女も建物のカケラを中学校時代に収集していたことが判明。

 

 一木氏の伴侶となった女性をも、ここで讃えなければならないのである。

   (これは、同行した家族全員が感動したエピソードである)

 

 

 

なお、「建物のカケラ」展は、江戸東京たてもの園(東京都小金井市)にて、3月1日まで開催。

  

 
 

(オリジナルは、投稿日時:2009/02/11 20:23→ http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/316274/blog_id/94803

 

 

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