カテゴリー「文化・芸術」の記事

2017年2月10日 (金)

アメリカ人を雇え(トランプと雇用、あるいはワシントンの末裔)

 

 

  ドナルド・トランプ米大統領の上級顧問、ケリーアン・コンウェイ氏は9日、ホワイトハウス記者室から米フォックス・テレビに出演し、トランプ氏の娘イバンカさんのファッションブランドを「買って」と発言を繰り返した。ホワイトハウス職員が民間企業や製品を推奨することを禁じる、連邦倫理規定違反だと批判されている。
  コンウェイ氏は「お店に行ってイバンカのものを買って」、「自分もきょう、買いにくつもり。ここで無料コマーシャルをしますね。みんな、きょう買いに行って」と視聴者に呼びかけた。
     (BBC News 2017/02/10 15:12)

 

 

 ご存じの通り、そもそもの発端は大統領自身で、その間の事情は「イバンカさんの名前を掲げるファッション・ブランドについては、高級百貨店ノードストロムが今月初めに売り上げ低迷を理由に販売中止を発表。それを受けてトランプ大統領自ら、同社を自分のツイッター・アカウントで批判し、大統領公式アカウントがこれをリツイートした」と報じられている。それに加えての今回の「上級顧問」の言動で、あらためて「連邦政府の倫理規定は、ホワイトハウス職員が「いかなる商品、サービス、事業活動の推奨」もしてはならないと定めている」原則的問題と「トランプ政権において、ホワイトハウス関係者が営利活動と関与し利益相反状態に陥る可能性」があることが生み出すであろう倫理的問題が指摘され、その点について既に下院監査政府改革委員会のジェイソン・チェイフェッツ委員長(共和党!)からも批判されていることが報じられている。

 

 で、現政権の突出した公私混同ぶり、倫理観の欠落があらためて明らかになってるわけだが、当人達(大統領本人及び取り巻きの人々)には問題の所在すら理解されていないようである。

 

 

 

 …という問題はさておいて、「イバンカさんの名前を掲げるファッション・ブランド」をめぐるネット上の画像検索から見えてきた話題である。

 

 

 

Do you see it now?
  
http://images.gawker.com/gcqiun8jsyr7ptgwrjq9/c_scale,fl_progressive,q_80,w_800.jpg

 

 

 「イバンカ(イヴァンカ)・トランプ」ブランドの入った段ボール箱が積み上げられている画像だが、そこには「Made in China」と明記されているのだ。

 

ivanka trump made in china
  
https://2.bp.blogspot.com/-MjzP88mM48M/VuN1Eke27OI/AAAAAAAAMIQ/Upxb9BFzeVkwuqq2rvCL_e2ayp9WtjVig/s1600/ivankatrump_dress_china_rossdressforless.jpg

 

 

 製品のタグにも「made in china」の文字が。

 

 

 

 

 大統領となったドナルド・トランプが就任演説で強調したことの一つが「雇用」の問題であった(以下に雇用に関連した部分を抜き書きしておく)。

 

 

  For many decades, we’ve enriched foreign industry at the expense of American industry;
  何十年もの間、我々アメリカの産業を犠牲にして外国の産業を豊かにしてきた。

  One by one, the factories shuttered and left our shores, with not even a thought about the millions upon millions of American workers left behind.
  一つ一つ、工場は閉ざされ、我々の国から遠ざかっていった。何万のアメリカ労働者が取り残されたことなど、見向きもされない

  But that is the past.
  しかし、それは過去のものになった。
  And now we are looking only to the future.
  今、我々は未来だけを見つめるのだ。

  From this day forward, a new vision will govern our land.
  この日を境にして、わが国は新しいビジョンで治められることになる。
  From this moment on, it’s going to be America First. America First.
  まさにこの瞬間からだ。それは、アメリカファースト。アメリカファースト。
  Every decision on trade, on taxes, on immigration, on foreign affairs, will be made to benefit American workers and American families.
  全ての決定は、貿易、税金、移民、外交に関しても、アメリカの家族、労働者にとって有利なものでなければいけない。
  We must protect our borders from the ravages of other countries making our products, stealing our companies, and destroying our jobs.
  他国の犯罪者から私たちの国境を護らなければならない。我々の生産物をつくり、我々の企業と雇用を壊そうとする者から護らなければならない。

  We will bring back our jobs.
  我々は雇用を取り戻す。
  We will bring back our borders.
  国境を取り戻す。
  We will bring back our wealth.
  富を取り戻す。
  And we will bring back our dreams.
  そして我々の夢を取り戻す。

  We will get our people off of welfare and back to work  rebuilding our country with American hands and American labor.
  我が国の国民を豊かにし、雇用を取り戻す。我々の国をアメリカの労働とアメリカの手でつくり直すのだ。
  We will follow two simple rules: Buy American and Hire American.
  我々は二つの単純な原則に従う。「アメリカのものを買え。アメリカ人を雇え
     (
http://www.johoseiri.net/entry/2017/01/21/073326

 

 

 「イバンカ・ブランドの商品を買え」とアメリカの消費者に迫るのはトランプ大統領と「上級顧問」だが、しかし、そこには「made in china」と記されているのだ。

 

 

 

 今回、あらためて調べてみると、「ドナルド・J・トランプ」ブランドの衣料も存在するのだ。しかし…

 

 

our jobs are being taken away from us by china
  
http://undead-earth.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/2015_Trump_Idiot_1.jpg

 

 

 こちらも「MADE IN CHINA」なのである。「The best social program, by far, is a JOB!  Our jobs are being taken away from us by china」とツイートする当人のブランドが「MADE IN CHINA」なのだ。

 

 

A Donald Trump tie made in China.
  
https://pbs.twimg.com/media/CN8J_vvUAAA5iLV.jpg

 

 

 ネクタイだってこの通り、紛うことなき「Made in China」。

 確認してみても…

 

 

Trump Ties are Made in China or Listed As 'Imported'
  
https://heavyeditorial.files.wordpress.com/2016/09/trump-tie.jpg?quality=65&strip=all&strip=all

 

 

 間違いなく、アメリカ製ではなく、メイド・イン・チャイナ(中国製)なのだ。

 

 

 

 トランプのホテルの備品だって…

 

 

trump hotel classy gold lamp made in china
  
https://i1.wp.com/4fc.7d2.myftpupload.com/wp-content/uploads/2016/09/7.jpg

 

 

 由緒正しき「MADE IN CHINA」なのであった(われらがアパホテルは大丈夫か?)。

 

 

 

 

 もちろん、ちゃんと「MADE IN MEXICO」だってあるし…

 

 


DONALD J. TRUMP MADE IN MEXICO
  
http://i.imgur.com/IqoLuNZ.jpg

 

 

 「ドナルド・J・トランプ」ブランドのスーツは、なんと「国境」の向こうで製造されていたのだ(もちろんメキシコ人の手で)。「他国の犯罪者から私たちの国境を護らなければならない。我々の生産物をつくり、我々の企業と雇用を壊そうとする者から護らなければならない」と大統領就任演説でも主張していたトランプ自身が、自社製品を国境の向こう側、そして海の向こう側で製造させていたのである(大統領ドナルド・トランプは経営者ドナルド・トランプと闘うつもりか?)。

 

 

 

 

 これが「正直」の教科書的存在であったジョージ・ワシントンの末裔の姿なのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/02/10 17:20 → http://www.freeml.com/bl/316274/296314/

 

 

 

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2017年2月 5日 (日)

「偉大な指導者」としてのドナルド・トランプ・イメージ

 

 (驚いたことに)ドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任してしまったのは「代替的事実(alternative facts)」などではなく(あるいはハリウッド映画の中の話ではなく)、世界にとっての現実だということを受け入れなければならないわけだが、日曜の午後くらいは逃避的行動の時間としたい。

 画像検索をすると、ドナルド・トランプ大統領はネタの宝庫的存在として、既にその「偉大さ」を示していることがわかる。

 

 

 

 

putin holding trump baby
 
https://i2.wp.com/www.watchthecircus.com/wp-content/uploads/2016/12/putin-holding-trump-baby.jpg

 

 

 言うまでもなく、プーチンの手玉に取られるトランプのイメージである。

 

 

  1月初めに米国から来た人物は、「2013年にトランプがモスクワを訪れたとき、ホテルで不適切な動画を撮影され、ロシア政府が握っているという噂がワシントンで出回っている」と話していた。まもなく同旨の報道が米国で行われるようになり、それを裏付けるとされる文書が出回っていることが分かった。そしてその35ページの文書はネット上で全文暴露されてしまった。
  今週11日、当選後初めて、トランプ次期大統領は記者会見を開き、文書の内容を全面否定する。文書について報道したメディアには質問を許さず、報道しなかったメディアを賞賛するという露骨な差別待遇を行った。
     (ニューズウィーク日本版 2017/01/14 11:00)

 

 この土屋大洋氏の署名記事には、「ただし、これはまだ真偽が確かめられていない」との但し書きが付けられている。トランプ大統領がロシア情報機関に弱みを握られているという話が「事実」であるのか、それとも「代替的事実」(もちろん虚偽の別名だが)であるのかについては、現時点ではいずれとも判断し難いが、当人のキャラクターからすると「ありそうな話」を思われてしまうのも仕方がないだろう。

 

 

 

 で、こちらが画像の元ネタである。

 

 

Stalin loves the little children
 
http://userscontent2.emaze.com/images/3423ec78-209e-4297-929f-761d7c59bb5f/eb4111ba-30e1-4dce-a7d6-7cb19dd5dfe0.jpg

 

 

 かの偉大な書記長が幼児を抱きかかえるスターリニズムど真ん中時代のプロパガンダポスターである。

 

 

 ネット上には、強権的傾向を隠さないトランプ大統領をスターリンになぞらえる画像も多いが、トランプ氏の視覚イメージからすると、イタリアを再び偉大な国とした(MAKE ITALIA GREAT AGAIN !)ファシスト・イタリアの陽気で偉大な首領(ドゥーチェ)であったムッソリーニの方が、よりふさわしい気がしないでもない。

 

 

Trumpolini
 
https://4.bp.blogspot.com/-I-eUEEBc7GM/Vr6a8NvhSAI/AAAAAAAAjNI/A1cQ99QXkWU/s1600/Trump_Dux.jpg

 

 

 顔立ち、表情が似ているのだ。口をへの字に結んでアゴを突き出す尊大なポーズ。

 

 

 で、傑作なのがお次。

 

 

Donald Trump: American Mussolini
 
https://jeffwinbush.files.wordpress.com/2015/12/fascist.jpg

 
 

 「IL DOCE」は「首領」の称号だが、「ILL DOUCHE」はドナルド・トランプという人物の女性蔑視的姿勢(あるいは好色ジジイ・イメージ)と重なるネーミングである。日本語では「ビョーキの膣洗浄器」、だ。思わず人間膣洗浄器と化したドナルド・トランプ氏が「ホテルで不適切な動画を撮影され」たというストーリーを妄想させる。

 ちなみに、ムッソリーニの死が1945年で、トランプは翌年の1946年に生まれていることから、トランプ=ムッソリーニの「生まれ変わり説」もネット上のネタ化されているようである(いずれ、あの大川総裁による守護霊インタビューが公開されるかもしれない)。

 

 

 

 

 最後にこちら、シュピーゲル誌の表紙。「世界の終り」である。

 

 

das ende der welt
 
http://www.zerohedge.com/sites/default/files/images/user3303/imageroot/2016/11/09/20161111_trump1_0.jpg

 

 
 見た通り。説明するのも野暮というものだろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/02/05 15:16 → http://www.freeml.com/bl/316274/295726/

 

 

 

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2017年1月26日 (木)

2017年のロージー(トランプ vs ロージー・ザ・リベッター)

 

 

 

"We Can Do It !" image from Kiara Nelson's tweet
  https://twitter.com/KiaraLynne__/status/822838399275044865/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw

 

 

 ドナルド・トランプの米国大統領就任式の翌日に、反トランプの意思表示も込めて開催された「女性の大行進(Women’s March)」の一シーンである。

 「女性大行進に舞った抗議のプラカード 共感を呼んだ英語表現20選」と題された「バズフィード・ジャパン」の記事(註:1)の中で紹介されていたキアラ・ネルソンさんによるツイート画像だ(ネルソンさんは「Little black girls, you warm my heart」との言葉を添え、この画像をツイートしている)。

 画像の中の少女の一人は、「私たちにはできる!(We Can Do It !)」の言葉と共に腕の力こぶを示す赤いバンダナに青い作業服姿の若い女性が描かれたプラカードを抱えている。

 少女がプラカード化したこのイメージこそは、前回の記事「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」の中で取り上げた、ロージー・ザ・リベッター(リベット打ちのロージー)の姿そのものである。

 

 

 トランプを相手にしたロージーの姿としては、もっと強烈なものもネット上には存在する。

 

 

"Choking Trump" by Kevin Karstens
  https://onsizzle.com/i/we-can-do-it-www-kevinkarstens-blogspot-com-yes-we-can-via-2848873

 

 

 こちらはポッドキャスト・サイトにあった「女性の大行進(Women’s March)」に関連した投稿(註:2)に添えられていた画像だが、ケヴィン・カーステンス氏(註:3)のイラストがオリジナル(註:4)らしい。

 トランプを締め上げるロージー! (このイメージは個人的に「大受け」で、実際、プリント・アウトまでして飾ってしまったくらいだ―襟のロバのバッジは民主党支持者を示しているのだとも思われるが、しかし、個人的にはヒラリーを支持する気もない)

 

 

 

 

 ここで、ロージー・ザ・リベッター(Rosie the Riveter)について復習をしておくと、レッド・エヴァンスとジョン・ジャコブ・ローブによる1942年の曲のタイトルで、戦時下の米国での女性労働者の姿を歌ったものである。様々なミュージシャンにより取り上げられ、リベット工のロージーの名は、戦時下の女性労働者の象徴となったようである(既に「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」の中で紹介した動画だが、登場する女性労働者のイメージが秀逸なので参考のために再録しておく)。

 

 

Rosie, The Riveter ~ Allen Miller & His Orchestra (1943)
  https://www.youtube.com/watch?v=XJxe3vQRMuY

 

 

 

 現在、「Rosie the Riveter」で画像検索をするとまず大量にヒットするのが、件の「We Can Do It !」のポスターとそれをアレンジしたイメージである。

 

 

 "We Can Do It!" by J. Howard Miller
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:We_Can_Do_It!.jpg

 

 これがJ・ハワード・ミラーによってウェスティングハウス社のためにデザインされたオリジナルのポスターで、1943年2月にウェスティングハウスの工場内に掲示されたものである。

 当時は、ウェスティングハウス社の社内用ポスターとして期間限定(二週間という話だ)で工場内に掲示されただけで、一般的には知られることのなかったポスター(戦時期米国の生産増強プロパガンダ・ポスターの一枚、ということである)であった。「ロージー・ザ・リベッター」を視覚化した画像ではなかった(そもそもウェスティングハウスの工場で製造されていたのは樹脂製ヘルメットであり、リベット工の活躍する製品かどうかという問題もある)にもかかわらず、1980年代のフェミニズム運動の中で再発見され、リベッターとしてのロージーのイメージと重ねられて流通し、現在に至ったものである(註:5)。

 

 当時、実際にロージーの視覚的イメージとして流通したのは、ノーマン・ロックウェルにより「サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙のために描かれたものである。こちらはリベット打ち機を膝に載せた姿で描かれており(ポーズはミケランジェロの描く預言者イザヤの姿を模したものである)、ロックウェルは確かに「リベッター」としてのロージーを視覚化している。

 

 

 Norman Rockwell's Saturday Evening Post cover
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:RosieTheRiveter.jpg

 

 

 戦時期アメリカの戦時動員プロパガンダの代表的イメージとして、雑誌の表紙絵としてだけでなく、戦時公債のキャンペーンにも用いられ、当時、広く流通していたのはこちらである(著作権が戦後の流通を阻んだと言われている)。

 いずれにせよ、現在ではミラーの「We Can Do It !」のイメージの方がロージーの姿として定着しており、実際、画像検索の結果にも反映されている通りである。

 

 

 

 

 冒頭に紹介したのは、「女性の大行進(Women’s March)」に際して、反トランプの意思表示のために用いられたロージー(We Can Do It !)のイメージだが、ロージーの姿はフェミニズムの独占物というわけでもない。

 戦時期米国の女性労働者の姿は、愛国的イメージとしても流通しており、実際、昨年の大統領選挙に際しては、ヒラリーだけでなくトランプの選挙キャンペーンでも用いられていたのである(それだけ 米国民に共有されたイメージだということだ―両者共に「We Can Do It !」のミラーのデザインだが、「rosie-the-riveter-t-shirt」と記されている)。

 

 まずは、ヒラリーの選挙キャンペーン用Tシャツ。

 

 

rosie-the-riveter-hillary-clinton-for-president-2016-t-shirt
http://images.prod.meredith.com/product/c8007931a3f02f0458a1492076692c41/00629b16e6468da24b2022adf8d7946b09eb51938155591a72fa53dd4fd50245/l/rosie-the-riveter-hillary-clinton-for-president-2016-t-shirt

 

 

 ヒラリー・クリントンがミラーのポスターの女性労働者のポーズをしている。

 このデザインが呼び起こすのは「We Can Do It !」の言葉であり、ヒラリーにとっての「I Can Do It !」(私には大統領の職務をこなす自信がある)であろう。

 フェミニズムとの親和性の文脈での共感(初の女性大統領の誕生!)が期待されたデザインと言うべきか?

 

 

 

 一方でトランプ陣営でも「We Can Do It !」のイメージは人気のようである。

 トランプ支持者の女性用に製作されたTシャツには、ミラーの描いた女性労働者の姿がそのまま用いられている。

 

 

Rosie Riveter For Trump Women's T-Shirts
  https://image.spreadshirtmedia.com/image-server/v1/compositions/1007445004/views/1,width=300,height=300,version=1478262588/rosie-riveter-for-trump-women-s-t-shirts-women-s-t-shirt.jpg 

 

 

 こちらの選択はフェミニズムの文脈というより、戦時期米国の生産を支えた女性労働者の姿を通した愛国主義的共感獲得への期待であろう。

 

 極めつけは「壁を築く」の言葉と共に力こぶを誇示するトランプの姿であろうか?

 

 

donald-trump-rosie-the-riveter-2016-build-a-wall-t-shirt
  http://www.shoptv.com/imgcache/product/resized/000/981/134/catl/donald-trump-rosie-the-riveter-2016-build-a-wall-t-shirt-945_1500.jpg?k=32094d60&pid=981134&s=catl&sn=shoptv

 

 

 トランプの主張するメキシコとの間の「壁」は、米国内の自動車産業労働者の期待の象徴と言えるだろう。米国自動車産業の白人労働者の雇用の確保の手段として、「壁」は象徴的意味を与えられている。「BUILD A WALL」も、そして「MAKE AMERICA GREAT AGAIN !」もまた、トランプにとっての「We Can Do It !」であり「I Can Do It !」なのである。

 

 米国自動車産業の中心地であるデトロイト、そしてミシガン州はトランプ支持者の中心となる地域でもある。しかも、ロージーとも無縁ではない。むしろロージーの故郷というべき土地でもあるのだ。あのクライスラー社の戦車工場もフォード社の爆撃機工場も、デトロイト周辺、ミシガン州に建設されたものであった(「クライスラーの戦車」及び「フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター」参照)。

 ルーズベルトは1940年12月の有名な演説の中で、参戦前の米国を「民主主義の大兵器廠(The Great Arsenal of Democracy)」として位置付けた(註:6)が、まさにその中心としてイメージされていたのがデトロイトでありミシガンであった(註:7)。参戦後の米国、戦時下の米国で、その「民主主義の兵器廠」の生産を支えたのが女性労働者であり、すなわちロージー・ザ・リベッターのイメージと自身を重ねて時代を生きた女たちであった。

 それまで「男の仕事」とされていたものも戦時下の米国では「We Can Do It !」となった。大統領の職務だってヒラリーにとっては「I Can Do It !」となるだろう。

 米国の雇用環境の防衛のためなら「壁」を築くのも「We Can Do It !」であり、大統領となったトランプにとっては「I Can Do It !」となる。

 ロージーのイメージはフェミニズムとの親和性も高いが、愛国主義との親和性も高いのである。ロージーに締め上げられるトランプが力こぶを誇示しながら壁を築く。

 ミラーのポスターのイメージは米国の人々に深く浸透するものとなり(註:8)、トランプ支持者にも反トランプ派にも共に用いられる人気のアイコンにまで成長したことが、ネットで採集した画像を通して理解出来るはずだ。

 

 

 

【註:1】
 溝呂木佐季 BuzzFeed News 「女性大行進に舞った抗議のプラカード 共感を呼んだ英語表現20選」
  https://www.buzzfeed.com/sakimizoroki/wm-e?utm_term=.pwe0dyOvN#.qsqqzW4YN

【註:2】
 http://inmyroom.podbean.com/e/womens-march-on-washington-special/

【註:3】
 https://www.facebook.com/Kevin.Karstens

【註:4】
 https://onsizzle.com/i/we-can-do-it-www-kevinkarstens-blogspot-com-yes-we-can-via-2848873

【註:5】
 We Can Do It!
  https://en.wikipedia.org/wiki/We_Can_Do_It!
  
https://ja.wikipedia.org/wiki/We_Can_Do_It!
 Rosie the Riveter
  https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter

 日本語の『ウィキペディア』には「We Can Do It!」のページはあるが「ロージー・ザ・リベッター(Rosie the Riveter)」のページはない(2017/01/27 の時点では)。ちなみに『ウィキペディア』の日本語版の「We Can Do It!」の冒頭は以下の通り。

  "We Can Do It!" とは、戦時中のアメリカ合衆国でプロパガンダに使われたポスター・イメージのことである。J・ハワード・ミラーが1942年にウェスティングハウス・エレクトリックの依頼を受けて製作したもので、労働者を鼓舞して勤労意欲を高めることを目的としていた。このポスターは一般に通信社がミシガン州の工場労働者を撮影したモノクロ写真がもとになっていると考えられており、被写体となったその女性の名はジェラルディーン・ホフという。
  第二次世界大戦中にこのポスターが人目に触れる機会はほとんど無かった。それが1980年代の初めに再発見され、様々な形で広く再生産された。しばしば「We Can Do It!」と呼ばれたこのデザインは、軍需工場の労働者の力強い、しかし女性的な姿のアイコンとなってからは「ロージー・ザ・リベッター」とも呼ばれた。そして「We Can Do It!」のイメージは1980年代に始まるフェミニズムなどの政治的問題を唱道するために利用されていった。1984年には「スミソニアン・マガジン」の表紙を飾り、1999年のアメリカでは普通郵便の切手のデザインにも採用された。さらに2008年の選挙戦では、サラ・ペイリン、ロン・ポール、ヒラリー・クリントンといった政治家までこのイメージをキャンペーンの道具として利用するのである。
  今日ではこのポスター・イメージが戦争を呼びかけ、女性労働者を駆り立てるものとしてだけ利用されたという考えがしばしば議論の前提となっている。しかし戦争中、このポスターはウェスティングハウスの内部に向けてのみ展示されたのであり、掲載も1943年2月の間だけだった。そしてそもそも募集広告ではなく、すでに雇用された女性にさらなる労働を説くものとして使われたのだ。フェミニストを始めとして多くの人々がこの啓発的な姿やメッセージに飛びつき、イメージを様々な形に改変し、自己実現や勧誘、扇動、広告、パロディなどに使用した。

 ここには「被写体となったその女性の名はジェラルディーン・ホフ」とあるが、現在ではそれが誤りであったことが知られている。実際に被写体となったのはナオミ・パーカーであった。

   Miller is thought to have based his "We Can Do It!" poster on a United Press International wire service photograph taken of a young female war worker, widely but erroneously reported as being a photo of Michigan war worker Geraldine Hoff (later Doyle.) More recent evidence indicates that the formerly mis-identified photo is actually of war worker Naomi Parker (later Fraley) taken at Alameda Naval Air Station in California.
     (
https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter

【註:6】
 http://www.americanrhetoric.com/speeches/fdrarsenalofdemocracy.html

【註:7】
 http://detroithistorical.org/learn/encyclopedia-of-detroit/arsenal-democracy

【註:8】
 現在では、ハロウィンの仮装のキャラクターとしても人気があるらしい。
  https://jp.pinterest.com/explore/rosie-the-riveter-costume/

   Rosie The Riveter Costume.jpg
Rosie The Riveter Costume
  
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/6d/c7/29/6dc7290fbc0ff2300e55180cabd0ec57.jpg

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/01/26 22:07 → http://www.freeml.com/bl/316274/294613/

 

 

 

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2016年12月31日 (土)

フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター

 

 いわゆる「先の大戦」で日本は米国に戦いを挑み、そして敗れた(日本にとっては「大東亜戦争」、すなわちアジアでの戦争であったが、米国にとっては「第二次世界大戦」であり、アジアとヨーロッパの二正面での、まさに世界戦争であった)。ヨーロッパとアジアの二正面の戦争での米国の圧倒的な勝利を支えた米国の国力、その圧倒的な生産力については、これまでにも当時の映像を通して考えてきた。

 クライスラー社の広報用フィルム(『Assembly Lines Of Defense』)に記録されていたのは、(米国参戦前の)準戦時体制の下で、民間の自動車メーカーが大規模な戦車工場を設計し建造すると同時に戦車の設計を進行させ製造ラインを構築し、実際に製造ラインを稼働させることで戦車の大量生産を実現してしまう姿であった(「クライスラーの戦車」)。

 ボーイング社設計の新鋭四発重爆撃機B-29の生産を担当した航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の広報用フィルム(『B-29s Over Dixie』)には、B-29生産のために新たに建設したマリエッタ工場での、人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細に加え、工場の福利厚生の充実ぶりまでが記録されていた(「B-29 (物量としての米国の生産力)」)。

 

 

 

 今回は、コンソリ―デッド社の設計による四発重爆撃機B-24リベレーターの生産を請け負った自動車メーカー、フォード社の広報用フィルムを通して、四発重爆撃機の製造に際して自動車並みの大量生産を成し遂げてしまった米国の自動車メーカーの底力と、フォード社のウィローラン工場の生産力を支えた女性労働者の存在に焦点を当ててみたい。

 

 

 B-24の生産に際して、フォード社の果たした役割については、まず牧英雄氏の論考を読むことで、その驚異的生産力の概略を把握しておこう。

 

  各社が揃って生産に入ったB-24D系列(E/C型を含む)の機体を見ると、コ社(=コンソリ―デッド社:引用者註)のサンディエゴ工場が1942年1月、フォートワース工場が5月、ダグラスのタルサ工場が1942年8月、フォードのウィローラン工場が9月、最後に少し遅れて翌42(ママ)年4月にノースアメリカンのダラス工場が、それぞれ最初の機体を送り出している。
  このうち、注目すべきはフォード社であった。優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった。ジェネラル・モーターズなどは、各工場をイースタン部門として統合、ついには自ら開発を行なうまでになった。
  フォード社も、ミシガン州ウィローランに急遽工場を新設、製作図面を量産向けに書き直したうえ、生産設備も自動車並みに変更して大量生産に入った。
  当初は部品のみを月産100機分の予定であったが、計画を大幅に拡大、機体200機、部品150機分を月産、半ば以降はB-24生産の中心的存在となった。
  最高精密機械の航空機といえども、充分マスプロが可能なことを知らしめたのである。
  こうしたことから、最初XB-24の開発に$2.880.000、YB-24では$360.000もした価格は、1941年には平均$269.805、42年末には$137.000にまでなった。これはP-38(一人乗りの双発戦闘機である:引用者註)よりわずか1万ドル高いだけであった。 
  最大の生産がなされたB-24だが、やはり他の機体同様終戦によりPB4Y(海軍で使用されたタイプ:引用者註)と合わせ5.700機ほどがキャンセルされており、1945年5月31日に最後の機体(YB-24Nとされる)がウィローラン工場をロールアウト、10月にはプライバティア(海軍用の単尾翼タイプの機体:引用者註)の最終機も完成し、その生産は完全に幕を閉じた。
     (牧英雄 「B-24 技術的解剖と開発、各型」 『世界の傑作機No.24 B-24リベレーター』 文林堂 1995  12ページ)

 

 

 B-24の全生産機数は最終的に18000機を超える(B-24の主戦場となったのは北アフリカ及び地中海方面を含むヨーロッパ戦域だが、日本本土空襲の主力とはならなかったとはいえ、アジア太平洋戦域に展開する日本軍へはダメージを与えているのも事実である)のだが、その半数に近い8685機をフォード社が生産しているのである。B-24を開発した航空機メーカーであるコンソリーデッド社の二つの工場に加え、やはり航空機メーカーであるダグラス社とノースアメリカン社の生産機数の合計(これが航空機専業メーカの実績、ということだ)に匹敵する生産量を、自動車メーカーであるフォード社一社で達成しているのだ。

 ちなみに、日本は四発重爆撃機を開発・保有し得るだけの国力を持たなかったし、双発爆撃機の生産機数だけで比較しても日本の双発爆撃機(陸海軍機合計して)の全生産機数は9558機に過ぎず、それに対して米国は双発爆撃機5機種を保有するだけでなく、その中のB-25一機種だけで9793機と日本の全双発爆撃機生産数を凌駕していたのが、日米の生産力に関する事実である。

 四発重爆撃機であるB-24は、その双発のB-25の二倍近い生産機数であり、その半数、すなわち日本の全双発爆撃機の生産機数に匹敵する機数のB-24をフォード社一社で生産してしまっていたことになる。

 近代戦争における「物量」の問題については、圧倒的な(軍需品)生産力=供給量における絶対的優位を意味することはもちろんだが、牧氏の論考にあるように生産コストの視点も重要である。フォード社は流れ作業の導入による自動車の大量生産に成功し(=生産コストの低減)、高価であった自動車の低価格化を成し遂げ、自動車を大衆のものとした。その大量生産システムを航空機、それも軍事的に大量な供給が必要とされた重爆撃機に応用し、単に問題の量的側面を解決しただけでなく、国費の消尽としての戦争において、コストの大幅な削減にも成功していたということなのである。近代総力戦がマネジメント能力の戦争でもあったことを思い知らされるエピソードであろう(註:1)。

 

 

 そのフォード社が1943年に制作したのが、『Women on the Warpath』である。10分ほどの広報用フィルムだが、全編がカラーであるところにも、当時の日本と隔絶した米国の国力を見ることが出来るだろう(既に「昭和11年のシンデレラ(シボレーのシンデレラ)」でも示したように、自社のコマーシャルフィルムをカラーで制作してしまうのが米国の自動車メーカーの戦前以来の実力なのであった)。

 

 

Ford Willow Run Plant in World War II: "Women on the Warpath" 1943 Ford (B-24 Liberator Mfg)
     https://www.youtube.com/watch?v=Y0P6UiKPrlI 

 

 

 タイトルに『Women on the Warpath』(戦いに臨む女たち)とあるように、中心に描かれるのは女性たちの姿である。

 映像はウィローラン工場の紹介から始まるが、そこでは一時間当たり一機のB-24の生産が期待されていることが説明されると同時に、男性だけではそれが達成困難であることも語られる。加えて、既に陸海軍の婦人部隊(WAC及びWAVES)で活躍する女性たちの姿、そしてガソリンスタンドで働く女性の姿が示される一方で、まだウィンドーショッピングやゴルフに時間を費やす女性、そして家庭内で家事にいそしむ女性の姿が映し出される。彼女たちに向けて、軍需工場での労働への参加が呼びかけられるのである。

 続いて、その呼びかけに応えた女性たちの姿が映し出されるのであるが、彼女らの通勤の手段は既に自家用車なのである(それが当然のこととして描かれている)。

 洗濯物を干しながら上空のB-24を見上げていた主婦が、B-24を生産する工場の労働者となる。様々な工程が既に女性労働者によって置換されていることが示され、(その前提となる)充実した職業訓練・教育の模様が映し出される。そして当時のヒット曲『Rosie, The Riveter』(ロージー・ザ・リベッター、「リベット打ちのロージー」とでも訳すか?)のメロディーを背景に、まさにリベット打ちの作業に携わる女性労働者たちの姿が続く。

 キャンパスの女子学生も工場でのリベット打ちへと転身する(リベット打ち機の音は、文化的で民主的な生活を守る機関銃の発射音に擬せられる―リベット打ち機の連続音は『Rosie, The Riveter』の歌詞にも反映されている)。

 工場のすべての部品製造が女性労働に担われていることが強調され(プレキシガラスの成型シーンは『B-29s Over Dixie』にも登場していた―実際、見ていて面白い)、ブルーの作業服にバンダナ姿の女性労働者の姿は、ノーマン・ロックウェルの描くところの『Rosie, The Riveter』に重ねてイメージされる。

 工場の食堂や付属職業訓練校の図書室の映像は、ベル社のマリエッタ工場の福利厚生面での充実ぶりを思い出させる。

 製造ラインと組み立てラインは女性たちに支えられており、彼女たちは既に戦場の男たちの帰りを待つだけでの存在はないのだ。

 完成したオリーブドラブ塗装仕様のB-24Eは、工場に付設されたウィローラン飛行場へと移され、国民の希望と敵の恐怖の象徴として、自由な空を愛国的メロディーの合唱に伴われながら星条旗を背景に飛行し、盛り上がったところでエンドマークとなる。

 

 

 ただし『Wikipedia』(英語版)の「Willow Run」の項目等を読むと、ヘンリー・フォード自身は、当初は工場労働者としての女性の雇用には否定的であったし、工場の完成から本格的稼働(一時間に一機の生産達成)までには時間を要しているのが実情のようである(実際、ウィローラン工場については、当初はヘンリーの息子のエドセルがフォード社長としてB-24生産体制確立への指揮を執っていたが、1943年に胃癌で死去している―ウィローラン工場問題のストレスのためと言われている)。

 自家用車による通勤にしてもデトロイトからは一時間を要し、ガソリン供給に制限のあった時期の労働者にとっては決して利便な勤務地ではなく、しかも工場近郊での住宅供給は遅れ、労働者の定着率の低さに悩まされていたのが工場稼働の初期段階(労働者のストライキさえあったという)の現実でもあったらしい。

 しかし、最終的には一時間に一機のペースでの製造には成功し、最盛期には月産650機を記録するところまで到達している。

 

 いずれにせよ、ヘンリー・フォードが工場労働者としての女性の雇用に否定的であろうが、多くの男性が兵士として前線へと送られる状況の中では女性の積極的雇用にしか選択の余地はない。それが「近代総力戦」の現実であった。そして、実際に多くの女性が、それまで「男の仕事」とされていた職務を男性に遜色なくこなしたのであった。

 

 

 

 せっかくの機会なので、あらためて『Rosie, The Riveter』がどんな曲であるのかを確かめておこう。

 

 

Rosie, The Riveter ~ Allen Miller & His Orchestra (1943)
     https://www.youtube.com/watch?v=XJxe3vQRMuY

 

 レッド・エヴァンスとジョン・ジャコブ・ローブによる1942年の曲で、様々なレコーディングが残されているらしい。

 

 歌詞は、

 All the day long, whether
 rain or shine
 She's a part of the
 assembly line
 She's making history,
 working for victory--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Keeps a sharp lookout
 for sabotage
 Sitting up there on
 the fuselage.
 That little frail can do more
 than a male can do--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Rosie's got a
 boyfriend, Charlie.

 Charlie, he's a
 Marine.

 Rosie is protecting
 Charlie, workin'
 overtime on the
 riveting machine.

 When they gave her
 a production "E,"
 she was as proud
 as a girl could be!

 There's something
 true about--red,
 white, and blue
 about--Rosie,
 brrrr, the riveter.

 

 リフレインされる「Rosie, brrrrrr, the riveter.」、この「brrrrrr」の部分がリベット打ち機の作動音(擬音)として非常に効果的に用いられているのが録音を通して伝わるだろう。「Rosie is protecting Charlie, workin' overtime on the riveting machine.」とはつまり、戦場の恋人チャーリーを守るのが、雨にも負けず風にも負けずに一日中(All the day long, whether rain or shine)工場で生産に励むロージーのリベッティングマシーンだというレトリックである(戦場の男は、工場の女に守られる存在だ!というのである)。

 

 

 図像的には、1942年にJ・ハワード・ミラーによってウェスティングハウス社のためにデザインされたポスター(ミラーがウェスティングハウス社のためのポスターシリーズのデザイン契約をしたのが1942年で、当該のポスターは1943年2月にウェスティングハウスの工場内に掲示されたものである:2017/01/26追記)と、1943年に「サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙としてノーマン・ロックウェルが描いたものが、リベット打ち(リベット工)ロージーの視覚的イメージを代表するものとなっている(註:2)。

 動画で歌の背景に用いられている当時の女性労働者の画像も興味深いし、『Women on the Warpath』に実際に登場するブルーの作業服にバンダナの女性の被写体としての選択にも、ミラーやロックウェルのイメージが反映されているように感じられる。

 

 

 "We Can Do It!" by J. Howard Miller
 (https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:We_Can_Do_It!.jpg

 

 Norman Rockwell's Saturday Evening Post cover
 https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:RosieTheRiveter.jpg 

 

 

 ミラーとロックウェルは、若い女性の姿としてロージーを描いているように見えるが、先の『Women on the Warpath』では家庭内の主婦(ミセス)もまたロージーとなり得ることが示唆されている(むしろ主婦に対し、家庭内から外へ出て働くことが積極的に推奨されている)。

 夫は戦場にあり、(夫に対しての)家事労働の必要は減少していたにせよ、主婦の守るべき家庭には子どもという存在がある。育児の問題を解決せずして、子育ての渦中にある女性の工場労働者としての身分は不安定なままである。保育所の確保は、当時の米国女性(そして行政)にとっても課題であったが、保育への公的支援の枠組みが一般的なものとして構築される前に戦争は終わってしまった(たとえば松本園子「第二次世界大戦期アメリカ合衆国における保育問題」2005 が参考になる→ http://ci.nii.ac.jp/naid/110004475970)。公的な保育所の整備の必要は女性労働者の確保(要するに「戦時動員」である)の上でも切実なものであったが、社会が戦時から平和へと移行するに伴い、行政上の関心は失われてしまったのである(註:3)。

 戦時の産物が戦後に一般的になったものとして、インスタント食品の普及が指摘されるが、女性が外で働く上で、インスタント食品の果たした役割も無視し得ない(柏木博 『家事の政治学』 青土社 1995)。インスタント食品は軍の糧食としても役立ったが、家庭の外で働くことを選んだ女性たちの支えにもなったのである。

 

 

 

 最後に再びフォード社の広報用フィルムを見ておこう。『STORY OF WILLOW RUN』は、戦前のまだ田園地帯であったウィローラン地域の映像から始まる。

 そこにフォード社は、世界最大規模の爆撃機生産工場を建設し、工場のための飛行場まで自身の手で開設してしまうのである。

 

 

" STORY OF WILLOW RUN "
Save the Willow Run Bomber Plant landmark - Amazing Local History in WW II effort

     https://www.youtube.com/watch?v=77_6MExOp8g&t=22s  

 

 

 映像はヤンキー航空博物館(Yankee Air Museum)の提供によるもの(ただしモノクロの不鮮明な映像なのが残念)のようだが、この航空博物館こそは、かつてのウィローランの記憶を伝えるために、現在のウィローランで設立・運営されているものなのである。

 戦前、1930年代のウィローランは、ヘンリー・フォードの農場であった。フォードは青年教育の場として農場を位置付け、都市部の青少年の体験の場としたのである(都会っ子が田園生活と農場労働を体験し、自立心を涵養し、やがては良き労働者となる)。

 1930年代にはナチスが台頭し、1939年にはヨーロッパでの戦争が現実化する。米国でも、四発重爆撃機の開発・配備が課題として意識されるようになる。B-24も、その中でコンソリ―デッド社によって生み出された機体である。そして牧英雄氏の論考にあるように、「優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった」という状況の下で、ウィローランのフォード農場は、四発重爆撃機製造工場と付設飛行場として再出発することになる。

 映像で強調されるのは、大量生産を得意とする自動車メーカーによる、一時間に一機という生産ペースへの期待と達成である(航空機専業メーカーでは一日に一機がやっとなのが実情であった)。

 まずは大規模プラントの建設である。設計を担当したのは、クライスラー社の戦車工場(デトロイト工廠)の設計者でもあったアルバート・カーンであった(1942年に死去したカーンの最後の作品と言われる)。

 併設された飛行場へ着陸するB-24の姿に続くのは、広い駐機場にずらりと並ぶ重爆撃機の威容であり、そこに見出されるのは米国の国力であり、フォードの生産力である。

 このフィルムにも自家用車で通勤する労働者の姿が記録され、続いて行き届いた職業教育訓練の模様が映し出される。

 部品の製造から組み立て完成まで、そのすべてが工場内で果たされる。大規模な、そして精密な工作機械が製品―すなわち四発重爆撃機―の完成度を保証するのだ(精度の確保は工業生産品としての互換性の確保を意味する)。大量の訓練された労働者が、その生産を可能にする(トヨタ的には、労働者の動きは緩慢に見えるだろうが)。映像の9分付近ではリベット製造工程が記録されているのも興味深い。

 やがて生産現場での女性労働者の存在が明確に描かれるが、そのすべてが白人であるところが、ベル社のマリエッタ工場の記録フィルムとは大きく異なる点ではある。

 そして自動車メーカーとしての大量生産の経験と爆撃機製造ラインでの高い生産能力の連続性が語られる。組み立てラインでは、機体はまず6区画に分割製造され、それが一体化される。

 技術を要求される溶接工もリベット打ちも女性がこなし、ここでもプレキシガラスの成型シーンが登場する(効率的ではあるが手作業に依存していることもわかる―つまり訓練が必要な労働ということでもある)。

 組み立て工程でも自動車大量生産の経験が反映されていることが繰り返し強調される。

 外翼部と中央部の接合に際して活躍するのは、小人の男性である(差別の対象ともなる身体特徴が利点となる)。この映像には、正直なところ驚かされた。

 最終的に分割製造された機体を組み上げる工程が描かれるわけだが、その背景となっている工場の規模の巨大さ(組み上げのために機体各区画の効率的移動を保証するのは工場の天井高の余裕である)にも気付いておきたい。

 工場建屋内に列をなす完成されたB-24を背景にナレーションが誇らしげに語るのは、ウィローラン工場開設の1941年当時には不可能と見做されていた毎時一機の重爆撃機生産を、実際に達成してしまったフォード社の「ミラクル」な能力である。

 完成したB-24は工場内から飛行場へと移され、作動テストが始められる。機銃の試射が行なわれ、模擬爆弾が搭載された爆撃機にはクルーが乗り組み、飛行試験が行われ、模擬爆弾の投下も含め様々な機器がチェックされる。

 無塗装のB-24が、まさに銀翼を輝かせ飛行する姿は印象的である(註:4)。

 

 

 

 フォード社の桁違いな航空機生産能力を見せつける(ための?)フィルムだと思うが、もちろん、フォード社の本業は自動車の大量生産であり、フォード社は大量の車両も供給している。戦時期を代表する軍用車両であるジープについてだけ見ても、総数64万台のうちフォード社は27万8千台近くを生産・供給しているのである(残りの36万台はウィリス社が生産)。米国の二正面での戦争の勝利は、このような民間企業の生産力に支えられていたことを、この機会に再確認しておきたい。

 

 

 

【註:1】
 戦時期に陸軍の統計管理局でそのマネジメント能力を発揮したハーバード・ビジネススクール出身者の一人であるロバート・マクナマラは、戦後にフォード社の一員となり、最終的にはフォード社の社長の地位を得る。更にケネディー政権の国防長官に就任するが、マクナマラを中心とした「ベスト・アンド・ブライテスト」は、そのマネジメント能力をフルに発揮することによって、米国をベトナム戦争の泥沼へと導くこととなった。

【註:2】
 ロックウェルのロージーは当時を代表する雑誌の表紙絵として、確かに戦時期米国の女性労働者のイメージ形成に影響力を持ったであろうが、ミラーのポスターはウェスティングハウスの社内用で当時から知名度が高かったわけではないし、そもそもリベット工の女性を描いたものではなかった(1980年代のフェミニズム運動の中で図像が「再発見」され、現在では非常に影響力ある視覚イメージとして流通しているが)。

 現在ではモデルも特定されている。
  J・ハワード・ミラーの「We Can Do It!」のモデルのナオミ・パーカー
   → http://www.naomiparkerfraley.com/we_can__do_it1pose.jpg
    (→ http://www.naomiparkerfraley.com/
  ノーマン・ロックウェルの「Rosie, The Riveter」のモデルのマリー・ドイル
   → http://www.trbimg.com/img-55381803/turbine/os-mary-doyle-keefe-20150422
    (→ http://www.huffingtonpost.com/2015/04/23/rosie-the-riveter-dead_n_7126782.html
  米国の国民的アイコンとして、様々なパロディーの供給源ともなっている。
   → http://www.shoptv.com/imgcache/product/resized/000/981/134/catl/donald-trump-rosie-the-riveter-2016-build-a-wall-t-shirt-945_1500.jpg?k=32094d60&pid=981134&s=catl&sn=shoptv

【註:3】
 『MANPOWER』と題された1943年の米国政府の公式フィルム(戦争情報局制作)には、保育の問題も取り上げられている(https://www.youtube.com/watch?v=eKrHfTGWxQ4)。このフィルムでは、恐慌以来の失業者、(これまで多くの職業から閉め出されていた)有色人種、女性、そして障害者が戦時下での新たな労働者として取り扱われており、それはまさにB-29の生産を担当した航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の広報用フィルム、『B-29s Over Dixie』に登場する人々と共通する。
 松本園子氏の論文にも、戦時期になって保育所の入所申込用紙の「申込み理由」欄に「共働き(both working)」の項目が新設されたことが記されているが、フィルム中でも軍需産業での「共働き」と「保育の保障」の密接な関係が描かれている(しかも性別による区別のない同一労働同一賃金の原則が強調されている点も見逃せない)。戦時動員のプロパガンダの主体としての戦争情報局(Office of War Information)の認識が反映されてのこと―保育施設設置は「ランハム法」に基づき連邦職業庁(Federal Works Agency)が管轄した―であろうが、連邦社会保障庁(Federal Security Agency)児童局が保育所拡充に消極的であったこと(一枚岩の体制とはなっていなかったこと)も松本氏の論文には記されている。保育所の問題については、連邦としての(つまり「国策」としての)一枚岩の戦時体制が構築される前に戦争は終結したということのようである。

【註:4】
 『Women on the Warpath』の時点、すなわち1943年の生産機種であるB-24Eはオリーブドラブに塗られていたが、『STORY OF WILLOW RUN』に登場するのは無塗装の機体である。
 無塗装が採用されたのはB-24H-10-FO以降だとされるが、機体の形状からはB-24J及びMとの判別は難しい。
 『Women on the Warpath』に登場するB-24Eには1942年5月から1943年6月まで用いられた国籍マークが記され、『STORY OF WILLOW RUN』に登場する機体に記されているのは1943年9月以降に用いられたものだと思われる(http://www.bowersflybaby.com/stories/army_paint.html)。
 ちなみに、『Women on the Warpath』については1943年のフィルムとされているが、『STORY OF WILLOW RUN』については明確ではない。
 この『STORY OF WILLOW RUN』のナレーションでは、フォード社の総生産機数を「8685」と明言しており、(撮影時期はともかくとして)生産の終了した1945年6月以降の編集である可能性はある。一方でこれからも繰り返し出撃することが語られていることからすれば、戦争終結以前に編集されたフィルムであることも言えそうである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/12/31 11:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/292629/

 

 

 

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2016年11月11日 (金)

「あかり/AKALI」展(武蔵野美術大学美術館)を観る

 

 展示を通して何より衝撃を受けたのは、かつての「あかり」の暗さであった。そこにあったのは、まさにかつての世界の「暗さ」を「目の当たりにする」経験である。

 

 

 企画は、平成25年に武蔵野美術大学 美術館・図書館が一般財団法人山際照明造形美術振興会より譲り受けた、広瀬二郎氏収集の灯火具コレクション(約1300点)を広く一般に公開することを目的としたものだそうで、3つの展示室で構成されている。

 それぞれにテーマごとに展示が構成されており、「あかりの世界」として日本の「あかり」の歴史の全体像が示され、「あかりのデザイン」として日本の「あかり」の特質を象徴する器具がピックアップされ、「あかりの感覚」として日本の歴史の中で経験されてきた「あかり」の明るさ(あるいは暗さ)を体感することになる。前二者は展示がそのままコレクションの紹介にもなっているが、「あかりの感覚」の展示は、コレクションにある様々な照明器具の実際の「明るさ(あるいは暗さ)」を体感すると同時に、その照明器具の「明るさ」に規定されたかつての日本の室内空間の特質を示し、更にその中に絵画や彫刻、茶道具等の美術作品(現代では「美術作品」と総称されてしまうが、もちろん、歴史的に言えば、そのようなカテゴリー自体が近代に輸入されたものでしかない)を置くことで、当時の空間にある「あかり」の中でどのように見えたかを体感するように構成されている。

 

 その「あかりの感覚」の展示室は更にいくつかに分割され、導入部の後に続くのが、当時の闇の暗さ(新月の夜の闇)を体感することから始められ、障子越しの光や、行灯の明るさ(暗さ)を体感し、浮世絵の中での光の描かれ方や、「枕草子」の記述を視覚的に経験することで構成されたコーナーであった。

 そこは入り口と出口が暗幕で仕切られており、まず「闇」が何であるかを知ることが出来る。自身の手を目の前にかざしても、何も見えないのだ。そして行灯である。

 実は、私は三回も展示に通ったのだが、最初は衝撃。二回目はその再確認。三回目は、書棚にあった和書(和綴じ本―ただし江戸期のものではなく手近かにあった明治初期の教科書を用いたが、問題は文字のサイズなのでそれでよしとした)と戦前の岩波新書(現在より活字が小さい)を持ちこんで、実際に行灯の光で読めるのかどうかの確認をした次第。結論としては、読むのは難しい。もちろん、行灯の明るさ自体、ある程度は調節可能(灯心の数を増やす等、あるいは有明行灯のように構造上の工夫による直接光と反射光の利用)であり、かつても読書時には今回の展示とは異なった光量であった可能性もあるが、しかし暗いことにはかわりはない。

 いずれにせよ、水戸黄門(テレビドラマの話だが)の室内空間の明るさは虚構であり(エンタメ作品を責める必要はないが)、実際の水戸光圀公が『大日本史』の編纂作業を始めた頃の読書空間の明るさは、この行灯の明るさ(暗さ)から想像する必要がある、ということになるだろう。

 その先の展示コーナーでは、谷中の茶室寿庵の室内空間が再現され、そこに上り込んで、夜明けから日が沈み灯火の下に至るまでの茶室内の光の在り方の移ろいを体験出来るようにもなっている。

 日の移ろいと共に、障子越しの光の差し方も変化し、日中の光と朝夕の光の質的変化までもが体感出来る。その上で、灯火が点される日没後の世界となる。こちらは和紙を通した透過光であった行灯とは異なり、蝋燭の直接光なので、読書には行灯ほどの難はない。しかも、光源が室内の低い位置なので、床上あるいは膝上(そして書見台上)での読書には適したものと言い得る。この光源の位置は、日中の座位に対しては高めの位置の障子越しの光とは異なり、茶道具を用いて茶をたてる手元に意識を集中させることにも役立つ(逆に顔の表情は見えづらくなる)。

 そんな経験を通して、現代の感覚からは想像し難い、かつての日本の室内空間の在り方が見えて来るのである。かつての視覚的経験の世界を、視覚的経験を通して体感する(目の当たりにする)のである。

 それに関連して、「あかりの感覚」展示の中で興味深かったのは、高い位置に光源のないかつての日本の室内空間の中での屏風や襖絵の金の意味(反射光の創出)であったり、浮世絵の陰影のないフラットな表現(輪郭線と面で構成された画面)と暗い室内(日中でも現代感覚からすれば暗いし、日没後には、これまで述べた通りの環境となる)での鑑賞の関係性の指摘であった。

 また、東大寺の「お水取り」だったり、様々な民俗行事などの祝祭的空間での「かがり火」の明るさの持つ意味の性格(夜の闇が当たり前の世界の中での、まさに非日常なのである)。かつての屋内空間の中での仏像彫刻や宗教画の見え方についても深くは考えたことなどなかったし、そこに一貫している座位を中心とした振る舞い方についての重要性についても同様である(光源の位置や座位との関連については「あかりの世界」の中でも示されている)。

 

 そんな視覚的経験を通った上で、あらためて広瀬二郎氏のコレクションに接する。それが単なる今では貴重となったモノのコレクションであることから、かつての日本の空間感覚を宿した道具のコレクションであることに思い至る。

 

 

 教科書的知識としては、たとえば明治になってのガス燈の明るさに驚嘆する当時の人々については十分に知っていたつもりなのだが、それがあくまでも机上の知識に過ぎなかったこと―ガス燈以前の「闇」の深さへの想像力の至らなさ―が暴露される展示でもあった。

 また、そんなガス燈の輸入があり、その後の電化による電燈というより明るく扱いやすい光源(スイッチ一つで点灯・消灯が可能なのだ)を手に入れ、少なくとも都市部での普及には成功した20世紀の日本が、「先の大戦」の際には「灯火管制」により再び「闇」の世界に戻り、更に空襲によるインフラ破壊により「停電」による「闇」を経験することになる。戦時日本は、昂揚される戦意の一方で、(比喩ではなく)実質的に「闇」を体験する世界となっていたことになる(戦後の蛍光灯による明るさの標準化も、戦時の「闇」体験の反動という一面もあるのかも知れない)。

 もちろん、インフラ破壊がもたらされるような大災害時には再び「闇」の支配する世界となるわけで、それと隣り合わせなのが、私たちの享受する明るい日常なのだ。

 

 

 

 かつての「闇」と、その中での「あかり」の明るさ(暗さ)を「目の当たりにする」ことで、様々な思いに導かれる。

 そのような実に秀逸な展示であった(ただし、11月12日で終了してしまう)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/11/11 20:25 → http://www.freeml.com/bl/316274/289160/

 

 

 

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2016年11月 5日 (土)

『シン・ゴジラ』(2016)をついに観た

 

 タイトル通りの話で、11月3日に立川の映画館の「極上爆音上映」企画の上映を観たのであった。

 

 永田町、霞が関方面壊滅後の政府対策拠点となるのが、まさに立川ということで、後半のシーンではどこか臨場感のようなものが感じられたりもするのであった。

 

 

 以下、レビューというよりネタバレ前提の感想文程度の内容となってしまうだろうが、ま、とりあえずのメモ記事である。

 

 

 

 パートナーはなんとこれで4回目の上映館通いという具合(娘も少なくとも2回以上)で、家庭内の会話、ネットで眼に入ってしまう情報等から、映画の全体構成を事前に知ってしまうという理不尽な状況の中での『シン・ゴジラ』だったので、で、事前に知ってしまった通りにストーリー展開するような状況でもあって、初めて見るのに既視感に伴われるという、純粋に映画を楽しむためにはマイナス条件の中での感想文となってしまうわけだ。

 

 

 で、既に観てしまった人向けの内容として、詳しいストーリーの説明はせずに、感じたことを書き連ねておく。

 

 

 で、噂通り、映画のかなりのシーンが、政府の対策会議での政府関係者間のやり取りに費やされている。

 日本の行政システムは法令順守を基本に組み上げられているから、原因のよくわからない災害(最初は海底トンネルの崩落)対策のための対応にしても、そのために新たな組織が必要がどうか等々の検討が必要となるし、新たな組織の立ち上げには閣議決定が必要となるし、閣議決定や省令や通達で可能な対応範囲を超えれば新たな立法措置も必要となる。そのために政府閣僚を含む政治家側の関係者(決定を下す人々)と、実際に行政組織を運営する官僚(決定を実行する人々)の意思疎通が重要であり、しかも状況は時々刻々変化していくのだ。

 その都度の決定権者が誰であり、どの部局が対応に当るのかもまた、その都度の様々なレベルの会議で、法令に定められた通りに決められなければならない。

 ゴジラの登場は、そんな日本の政治行政システムを揺さぶり続けるわけであり、その間のあたふたぶりが笑いを誘うのであった。映画ではまったく描かれていなかったが、「特別立法」は立法府(国会)の審議・承認なしには成立しないわけで、映画の背後では、国会内の様々なやり取り(野党の抵抗とか)もあったはずで、そんな経緯も取り込んだヴァージョンを観たい、という無茶な個人的要望が(正直なところ)生まれたりもしている。

 

 映画ではあまり描かれていなかったと思うが、官僚組織は(そして政治家という人種も)、常に自らの権限の拡張を志向すると同時に、権限の限定により責任から逃れる方策を確保しておこうとするという、相反する傾向への際限のない努力をその習性としている。ゴジラ問題を誰の、そしてどの組織の所管とするのか?これは当事者にとって悩ましい問題となったはずである。映画冒頭からしばらくの間は、事態への楽観が支配し、その点についてはそう深刻にならずに済んでいたはずだが、事態が深刻さを増すに従い、他の部局・組織に任せ、自らは責任を負わずに済ませよう的心理が支配していくことになったであろう。

 

 

 そんな中で立ち上げられるのが主人公率いる「巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)」である。各部門のエキスパートを組織横断的に結集した、と言えば聞こえがいいが、実態は「霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」の集まりであると(映画の中でも)説明されている。

 要するに、高い専門能力は持つが、組織への適応能力が低く、出世とも無縁な連中という設定である。

 これは、戦争アクション映画の王道設定のひとつでもあり、『シン・ゴジラ』はその枠組みの中で進行する、「闘う行政組織アクション映画」として位置付けられる、ということだ。

 

 映画ラストあたりでの「日本はまだまだやれる」的セリフにしても、その「まだまだやれる日本」を支えたのは、民衆でもなく主流派エリートでもなく、「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」であったことは、この映画を評価する上で非常に重要な構図だと、私は思う。

 

 このセリフを含めて、自衛隊の活躍が描かれていること等に対し、サヨクの皆さんからの『シン・ゴジラ』の評判は悪いらしいが、サヨクの皆さんは、日本を救うのが国内の「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」であるという設定を見落としているのではないか、そう思わぬでもない。行政組織アクションとして、それも「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」が中心となった行政組織アクションとして、要するにただただエンタメとして楽しめばいい(エンタメのしてのレベルが低いというのならともかく)のに、誰でも言えそうな形式主義的批判をしていい気になっている(ように見える)のはアホくさい話である。

 

 

 

 で、問題の自衛隊だが、戦闘部隊はゴジラに歯が立たないのである。最終的にゴジラを倒す決定打となるのは工兵部隊(その中の特殊車両部隊)なのである。

 この設定の意味も、もう少し考えてもいいんじゃないかと思う。

 

 自衛隊の戦闘部隊の保有する対戦車兵器も、対航空兵器も、それぞれの(本来の)用途には有効であっても、ゴジラはあまりに巨大で堅牢であり、それらの兵器の口径(あるいはミサイルのサイズ)では太刀打ち出来ない(まったくダメージを与えられない)、ということなのだ。

 ここで気付かなければならないのは、自衛隊の保有するのは、何だかんだ言いながら、(国境線を含む)自国内での敵戦闘力への防御兵器だということで、国外での敵の殲滅には不向きな編成だということである。地中貫通型爆弾の投入でゴジラにダメージを与えたのは米空軍爆撃機なのである。米軍の国外での対敵戦闘能力の象徴のひとつが、この地中貫通型爆弾なのであり、単なる対人兵器でも対戦車兵器でも対航空兵器でもなく、敵の軍事インフラそのものを攻撃するもの(そして民間施設を「誤爆」するもの)なのだ。

 

 これも自衛隊プロパガンダ扱いをされてしまうのかも知れないが、しかし、『シン・ゴジラ』が正確に描いているのは、対外軍事作戦の主力たり得ない自衛隊の姿であり、自国防衛に特化した兵器により編成された自衛隊の姿なのである。もちろん、米軍の「お伴」として米国による対外的軍事作戦の一環を担うという選択肢は残されてはいるわけだが。

 

 で、先に指摘した通り、犠牲を出しながらもゴジラにとどめを刺すのは、同じ自衛隊の中でも工兵部隊なのであり、その際の主力となるのがコンクリート注入用の特殊車両(あの福島第一原発の顛末と同様に)なのだ。そしてその際の薬剤を短期間で供給し得た化学メーカー(その現場の人々の努力・集中力)なのである。

 

 

 

 自衛隊礼賛プロパガンダ映画として(誰でも出来るような)批判をしていい気になるよりは、エンタメとして楽しんだ上に、このようなディティールに着目して楽しむ。

 

 そういう知的余力を備えていた方が人生は楽しめる、んじゃないかと…

 

 

 

 もっとも、最終的にゴジラを倒した(というか凍結した)「ヤシオリ作戦」の経過は、あまりに上手く行き過ぎな印象もあって(あそこまで計算通りにはいかんでしょう、フツー)、リアリストである私には多少の違和感がなきにしもあらずではあるのだが、あそこで成功させないと映画が二時間の枠に納まりきらなくなるという「大人の事情」も理解するので、特に文句を言おうとも思わない(もっとも、娘は二回目の映画館で、「今度は失敗するかも知れない」的気分で見守っていたという話なので、「常にあんなに上手く行くわけはない」的気分は、私と共有されていたようである)。

 

 

 映画館を後にした私とパートナーはビデオ・レンタル店に立寄ったのだが(パートナーがゴジラの旧作チェックを思いついたため)、私が借り出したのは(ゴジラとは関係ない)「鷹の爪」シリーズのアニメDVDで、タイトルは『独立愚連広報部』。この中に、「存在するかも知れないUFOに対する自衛隊出動の法的根拠」を首相に問う石破防衛大臣(福田内閣当時)の姿があって、『シン・ゴジラ』の会議シーンと重なり(そして、『シン・ゴジラ』をめぐる石破氏当人の発言と伝わるもの―ゴジラへの自衛隊の出動は「防衛出動」じゃなくて「災害派遣」の「害獣駆除」であるべきはず―までが思い出され)、あらためて「鷹の爪」の監督フロッグマン氏への敬意も高まったのであった。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/11/05 16:41 → http://www.freeml.com/bl/316274/288765/

 

 

 

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2016年10月25日 (火)

B-29 (物量としての米国の生産力)

 

 以前に「クライスラーの戦車」と題して、米国の準戦時体制下で、民間の自動車メーカー(クライスラー社)が短期間で、戦車の設計から大量生産にまでを達成してしまうまでの記録フィルム(クライスラー社の広報用である)を紹介した。そこには、詳細な設計の進行と同時に、戦車生産のために新たな工場を建設してしまう米国の自動車メーカーの底力が記録されていた。

 

 

 

 今回は、日本国民にとって、あの「先の大戦(大東亜戦争)」における米国の圧倒的な軍事力の象徴とも位置付けられる四発重爆撃機、あの憎っくきB-29の生産工場をめぐる記録フィルムを紹介しておきたい。

 

 

 

 まず、陸軍省による『Birth Of The B-29 』である。

 

Birth Of The B-29 (1945)
     https://www.youtube.com/watch?v=L5Ny77UgplU

 

 

 動画サイトのデータ(米国版のウィキペディア記事からの引用だが)によれば、1945年制作であるらしい。ただし、内容からして、日本降伏以前のものと思われる。

 フィルムの冒頭では、当時の日本が、オリエンタリズム的視点に戦時プロパガンダを重ねたような切り口で紹介される。そこでは、日本が欧米の「コピー」による近代化を成し遂げたことが語られ、英語圏諸国向けの工業製品に刻印された「Made in JAPAN」の文字が強調されると同時に、その輸出品の収益が軍事力強化に用いられ、中国大陸での軍事的進出の基盤となっていることが主張される。

 その日本による対米開戦後の米国による日本本土初空襲の際の映像に重ねて、それが「Made in America」によるものであることが強調される流れとなり、続いて日本本土攻撃の最新鋭兵器としてのB-29の工場に焦点が合わされ、米国の高い技術力と生産力の実情が視覚的に明らかにされる。

 そこで描かれるのは、工場の圧倒的な巨大さ(建屋内に、あの「重」爆撃機B-29が並んでいるのだ!)や、最新鋭の生産設備の充実ぶりと同時に、生産にあたる工場労働者の姿である。強調されるのは、肌の色の違い、経歴の違い、性別の違い、年齢の違いを超えて(それどころか障害を持つ人までもが)一丸となって生産に励む姿である。すなわち米国にとっての「総力戦」の内実である。「人種」の区別なく(その待遇に区別がなかったかどうかは疑わしいが)、男も女も、老いも若きも、障害の有無を問うことなく、団結して生産に励む姿が、陸軍省による戦時プロパガンダフィルムに記録されているのである。

 フィルムの最後の方では、そんな労働者たちの上をフライトするB-29の姿(オリーブ・ドラブの塗装が施された最初期の機体である―本格的に生産される頃には、あの銀色に輝く無塗装が標準化された)が印象的な爆音と共に映し出され、中国大陸での中国人労働者の人海戦術による飛行場建設の模様と、そこから離陸するB-29の姿でエンド・マークとなる。

 

 

 

 この陸軍省による戦時プロパガンダフィルムにも登場するベル航空機のB‐29生産ラインの詳細と周辺状況が、ベル社自身の広報用フィルムにも描かれている。

 

B-29s Over Dixie: Building the Superfortress - 1944
     https://www.youtube.com/watch?v=ybGGmjm9JZ4

 

 

 B‐29は、ボーイング社の設計になる米国の四発重爆撃機だが、その生産はボーイング社(シアトル工場、ウィチタ工場、レントン工場)だけではなく、ベル社のマリエッタ工場、マーチン社のオマハ工場でも行われており、そのマリエッタのベル社工場にまつわる記録フィルムである。

 こちらも、陸軍省版と同様に、人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細が記録されているが、興味深いのは工場の福利厚生の充実ぶりまでが記録されている点である。

 充実した工場内食堂(現代からすればかなりカロリーが高そうなメニューだが―戦時下の大日本帝國臣民には夢物語である)の光景だけでなく、労働者用の運動施設、娯楽施設、電化されたキッチンまで備えた工員用住宅…とその福利厚生面での充実ぶりにはうならざるを得ない。しかも、労働者が自家用車で通勤する様子までが(当たり前のように)記録されているのである。

 米国の圧倒的な国力が、最新設備を備えた巨大な生産ラインからだけではなく、福利厚生面での労働者の待遇を通して実感されるはずである。

 ピープル・オブ・デモクラシーによるパワフル・ウェポン・オブ・デモクラシー(どちらもフィルムのナレーションにある表現)の生産ラインとその周辺状況の記録が、民間企業の広報用フィルムとして残されたわけである。

 

 

 この二本は、既に戦時下となった米国の爆撃機生産ラインの記録であるが、対比のために、参戦前(日本による対米開戦以前)の爆撃機生産ラインを記録したフィルムを紹介しておこう。

 

Building a Bomber: The Martin B-26 Marauder 1945
     https://www.youtube.com/watch?v=vnb0Ib5F9GU

 

 

 こちらは米国の「Office for Emergency Management」(「非常時緊急対策局」などと訳されるらしいが、「アメリカ合衆国大統領行政府」の所属機関である)制作による、双発爆撃機B-26の生産ラインの記録である。動画サイトの表題には「1945」とあるが、内容からして米国の参戦前に撮影・編集されたものと推測される。

 冒頭のキャプションやナレーションで強調されるのは、国家の防衛、そしてデモクラシーの擁護の重要性である。全体を通しても、戦時下であれば強調されるはずの爆撃機としての攻撃力への言及は控えめであり、プロパガンダ要素はあっても、具体的な敵への言及はない(ヨーロッパがヒトラー支配下にあることは指摘されてはいるが)。また、飛行シーンに登場する機体の国籍マークも1942年5月までしか使用されていないものであり、撮影時期は当然それ以前でなければならない。

 工場内の情景を見ても、労働者は男性のみであり、しかも若い男性工員の姿が目立つ。ここに参戦後の総力戦状況での工場(先に紹介したB-29の工場の労働者の構成)との著しい相異が見出されるように思う。このフィルムを先の二本の記録フィルムと対比することで、参戦前(ほぼ白人男性のみで、しかも多くの青年労働者を含む―つまり、まだ大量の兵士となるべき若い男性が必要とされていない状況)と参戦後(人種や性別や年齢を問わない)の労働事情の変化が、まさに「目の当たり、あるいは一目瞭然」的に理解されるだろう。そして、視覚的記録の重要性、ということも。

 

 

 

 最後に紹介するのは英国の総力戦状況が伝わる記録フィルムである。

 

Why We Fight: The Battle of Britain (Frank Capra)
     https://www.youtube.com/watch?v=cSZnFo7JORo

 

 

 米国陸軍省による「Why We Fight」と題されたシリーズの一本である。このシリーズは、当時の米国を代表する映画監督が参加しているところに特質があり、このフィルム『Why We Fight: The Battle of Britain 』の監督は、いわばアメリカン・デモクラシーの伝道者とでもいうべき、あのフランク・キャプラである。

 キャプラにより、1940年の英国の状況(まだ米国の参戦前であり、ナチスによる占領をかろうじて免れたものの、ヨーロッパで孤立した戦争を強いられていた時期)、英国がナチス・ドイツによる対英侵攻作戦の撃退に成功するまでの状況に焦点を合わせたドキュメンタリー映像である。

 これを特にここで紹介しようと思ったのには理由がある。このフィルムの7分台から9分台にかけての部分に、英国の総力戦状況が記録されているからである。ここでも、あらゆる年齢層・経歴の男達が軍事訓練に参加し、英国の防衛を志す姿に加え、軍服に身を包み様々な軍務をも担当する女性の姿が描かれるだけではなく、生産ラインでの性別を問わず年齢を問わない工場労働の情景が記録されているのである。

 特に興味深く感じたのは、当初は労働時間の延長による生産の達成が、当然のこととして実行されていたのに対し(最終的には週70時間労働までになったというが、それが現代日本の「ブラック企業」並みなところが何ともな話ではある)、その後の経験により、生産性の観点から政府の政策として長時間労働が否定されるようになったとのエピソードである。「滅私奉公」の「長時間労働」だけにしか活路を見い出せなかった(出そうとしかしなかった)戦時日本との断絶は大きい。英国人は、滅私奉公の長時間労働が生産性向上につながらず、むしろ阻害要因となることを理解し、そこに活路を求めようとはしなかった、ということなのである。

 

 

 

 米国の「物量」、そして総力戦状況の実際(中でも民間企業の福利厚生面でのあまりの充実ぶり!)。参戦前と参戦後の相異。英国の総力戦状況下での長時間労働の否定。

 記録フィルムを通して、「目の当り」にすることが可能になるというお話。

 

 

 

《背景》
 タイトルを「物量としての米国の生産力」としておきながら、本文では、その数量的側面に触れぬままになってしまったので、大内健二氏の『ドイツ本土戦略爆撃』にある「第二次大戦中の各国機種別爆撃機生産量」と題された表から、日米の爆撃機生産量の隔絶ぶりを確認しておきたい。

第二次大戦中の各国機種別爆撃機生産量(単位・機)

アメリカ
四発重爆撃機
ボーイングB17
     12677
コンソリーデッドB24
     18181
ボーイングB29
      3970
コンヴェアB32
       115
双発爆撃機
ノースアメリカンB25
      9793
マーチンB26
      5157
ダグラスA20
      7478
ダグラスA26
      1909
マーチンA30
      1575
 合計  60855

日本
双発軽爆撃機
九九式双発軽爆撃機
      1977
双発爆撃機
九七式重爆撃機
       713
百式重爆撃機「呑龍」
       796
四式重爆撃機「飛龍」
       606
九六式陸上攻撃機
      1048
一式陸上攻撃機
      2416
陸上爆撃機「銀河」
      1002
 合計   9558
大内健二 『ドイツ本土戦略爆撃』 光人社NF文庫 2006 331ページ 第15表より抜粋

 まず日本は四発重爆撃機を保有していなかった。その上で双発爆撃機の生産機数だけで比較しても、日本の双発爆撃機(陸海軍機合計して)の全生産機数は9558機。
 それに対して米国は双発爆撃機5機種を保有するだけでなく、その中のB25だけで9793機と日本の全生産機数を凌駕しているのである。
 B29は3970機と少ないように感じられるかも知れないが、それは単にその時点で戦争が終結してしまったからに過ぎない。それ以上生産する必要がなくなった、ということなのである。
 生産機数12677のB17は日本本土爆撃には用いられていないし、18181のB24も同様である(太平洋戦域での作戦活動はしているが)。
 必要であれば、つまり日本の降伏が遅れれば、より多数のB29が生産され、本土爆撃に用いられた。そう考えればわかりやすいだろう。
 もっとも、ポツダム宣言の時点で、既に日本国内の主要都市は焼け野原となっていたのも事実であり、米国が、より以上のB29を必要と考えたかどうかはわからないが、既にヨーロッパでの戦争に勝利していた米国にとって、ヨーロッパ戦域での主要重爆撃機であったB17とB24の追加生産を必要としなくなった米国にとって、生産能力には十二分な余力があったことも確かなのである。
 上の表にある生産機数に各爆撃機の爆弾搭載能力を加味すると、投下爆弾量の日米差は絶対的なものとなるだろう。

 ちなみに、英国の爆撃機生産機数の合計は36608機である。
 しかも、そのうちの四発重爆撃機だけで、

ショート・スターリング
      2371
ハンドレページ・ハリファックス
      6176
アブロ・ランカスター
      7336

 合計で15883機である。
 この圧倒的な爆弾搭載能力を備えた一万五千を超える重爆撃機群が、ドイツ本土爆撃に用いられたのである。もちろん、それに加えて米軍の四発重爆撃機も、ドイツ本土爆撃作戦を遂行していたのであり、それを考えれば、ドイツ人の空襲体験はどれだけ過酷なものであったか。
 そのドイツの降伏は、アメリカに生産余力をもたらしたのである。

 その生産余力を支えた爆撃機工場労働者が、自宅では既に電化された近代的キッチンで料理をし、自家用車で通勤していた。米国の圧倒的国力、日本との国力差、かみしめておくべきであろう。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/10/25 17:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/288048/

 

 

 

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2016年8月 9日 (火)

『標的の村』(2013)をやっと観る

 

 先週末のことだが、ついに、三上智恵監督によるドキュメンタリー作品『標的の村』(2013)を観る機会を得た。身近な(?)ところでは、2014年の「メイシネマ祭」で上映されていたのだが、その年はパートナーの体調不良で出かけるに至らず、今回の2016年8月6日となってしまったのであった。

 

 お誘いいただいた友人からのメールによれば、

 

 三上智恵監督「標的の村」の自主上映会を行います。

 会場 : 東京芸術大学 上野キャンパス
 〒110-8714 東京都台東区 上野公園12-8
 大学会館2階 国際芸術創造研究科院生室
 無料・予約不要

 日時: 8月6日( 土曜日 ) 14時~ 18時~(91分・2回上映)

 *18時上映後には、沖縄高江についてのディスカッションを行います。
 参加者: 川田淳、居原田遥、日高良祐、木村奈緒、毛利嘉孝、元山仁士郎

 共同主催・協力 : DMN研究会(デジタルメディア時代の政治的公共性とナショナリズム研究会)、早稲田大学メディア・シティズンシップ研究所

 

…という設定の「自主上映会」で、パートナーも伴い、18時の回に参加したのであった。

 猛暑の中、芸大まで出かけたわけだが、10分前くらいに到着してみると、約40人分の椅子が並べられた会場の残り席は少なく、最終的には最前列で床に座る参加者も出るような状況となった(むしろ床座りの方が椅子席後列―私は中ほどの列だったが、画面全体を見ることは叶わなかった―より画面は見やすかったに違いない)。

 

 

 作品のスタイルとしては、社会派ジャーナリズムによる正統派ドキュメンタリー映画という位置付けになるだろうか? 実際、作品の骨格となっているのは、琉球朝日放送製作によるテレビ用ドキュメンタリーであるらしい。

 

 

 画面に映し出されているのは、非常に理不尽な状況(それ以外に何と言えようか?)に置かれた沖縄県国頭郡東村高江地区の住民による、彼らをそのような理不尽な状況へ平然と追いやろうとする国家行政当局への必死の抵抗の姿である。

 個々のエピソードの紹介としてではなく、高江地区の住民の置かれた全体状況を要約すれば、「一方的に住民に犠牲を強いようとする国家の統治権力」が一方にあり、それに対し「小数者としての、弱者としての彼ら高江地区の住民」がある(少数者=弱者では必ずしもないが、ここでの彼らは少数者であるがゆえに弱者の境遇を強いられているのである)。

 

 あらためて図式化すれば、映像として記録されているのは、

  一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿

…ということになるだろう。

 

 国家は人権の保障装置でもある(あり得る)のだが、たとえ民主的に選ばれた(つまり多数者の意思を反映した)政府による統治であっても、法の執行権力としての行政は、それ自身の合理性(あるいは安易さ)を追求する中で、主権者としての市民の意思に反する振る舞いをするものなのである。時にはそれが「圧政」として現実化することさえある。

 我が国の「保守」を自称する方々の想像力からは完全に抜け落ちている問題意識だと思われるが、米国で銃規制に反対する伝統的な保守派にとって、市民の武装の権利は、圧政へと転化し得る政府への抵抗の手段の確保として位置付けられているのである。

 近代の西欧政治思想においても、多数者の意思を反映したはずの政府による圧政の可能性と、その際の市民による抵抗の正当性についての長い議論の歴史がある。

 まさに高江地区住民が直面させられたのは、そのような状況(圧政として現実化されてしまった国家行政の姿)なのである。その意味で、高江地区の住民の行動を、沖縄のローカルで例外的な状況の産物としてではなく、政治思想史的に普遍性をもった問題の典型的事例と評価することも出来る。

 

 確かに『標的の村』の内容を、文字列として「国家による圧政と闘う市民の姿」として入力変換してみると、私自身、一時代前に流通した陳腐な表現を無自覚に再現して平気な鈍感な人間のようにも感じられてしまう。

 しかし、現に映像として記録されているのは、「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿」以外の何物でもないことも否定し得ない。

 

 今、現実に沖縄で進行しているのは、一時代前の(と言えるつもりになっている)表現がいまだに通用してしまう現実なのである。

 「保守」を自称する人々の間でならば、「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力」と言えば、中国共産党の行使する統治権力の現実が連想され、(サヨク代表の)共産主義者の行為として安心して非難の対象とされるのであろうが、しかし日本の保守政権がその統治権力を行使する際の現実でもあるのだ。

 このドキュメンタリー作品に、高江地区の住民に対し「一方的に犠牲を強いる」日本の統治権力として記録されているのは、第一次安倍政権とそれに続く自民党政権であるだけでなく、(「保守」を自称する人々からはサヨク政権として位置付けられている)鳩山氏や野田氏に率いられた民主党政権(鳩山政権時には福島瑞穂党首の社民党も連立政権を構成していた)の時代でもある。

 

 沖縄県国頭郡東村高江地区の総人口は(2010年の国勢調査時で)、66世帯の142人である。つまり、住民の絶対数が少ない地域なのである。

 その高江地域を米軍の「北部訓練場」(ジャングルでのゲリラ戦を想定した海兵隊の訓練施設)が取り囲んでいる。その敷地の部分返還と引き換えに、(字義通りにはヘリコプターの着陸用施設だが、実際にはオスプレイの利用が想定されている)ヘリパッド移設が日米間で合意され、実行されようとしている。しかし、高江地区の住民にはまったく事前説明がされていない。それがドキュメンタリーの冒頭の2007年の状況である(註:1)。

 ここで象徴的なのは、事態の経緯が示す、「実行」の主体となる防衛施設局の側が、住民への事前説明を必要と考えず、ましてや住民への説得・合意形成への努力の必要など考えもしなかったという事実であろう。明らかなのは、国家行政の最前線に位置する沖縄防衛施設局が、絶対数の少ない住民の意思を問う必要を感じなかった、あるいは必要は感じたにしても無視することの方を選んだという事実である。

 それだけではなく、防衛施設局は説明を求めて抗議行動をした住民を「通行妨害禁止」の仮処分の対象として裁判所へ申し立てることまでする。ここで沖縄防衛施設局に代表される国家は、絶対数の少ない住民に対して説明責任を果たし説得・合意形成への努力をすることではなく、いきなり住民を司法の場へ引き出す恫喝的手法を選んだことを意味する。沖縄防衛施設局は、絶対的な少数者としての住民に対する「説得・合意形成への努力」のポーズさえ必要とは考えなかったのである。そこに「一方的に犠牲を強いる国家の統治権力に対し、何とか抵抗を試みようとする小数者としての、そして弱者としての高江地区住民の姿」という構図が成立することになる。

 これを、沖縄県の東村高江地区の遠い出来事として、他人事として考えてしまう(というか考えもしない)のは、民主主義的社会を維持する上では危うい事態である。この状況を容認してしまえば、やって来るのは、「保守」を自称する皆さんの非難する中国共産党の支配する世界と大して違いのない社会である。

 帰宅後に住民側のサイトで確認したのだが、防衛施設局による「仮処分申請」の際に示された住民による「妨害行為」には、「ブログで座り込みを呼びかけ」や「ヘリパッド反対のイベントを開催」、「DVD・ポスターなどを制作」どころか「防衛局に建設反対の申し入れをしている」ことまでもが含まれているらしい。どれも、社会を民主的に維持していく上で欠かせない行為である。このような政府の主張を容認してしまえば、中国による侵略・占領支配への心配をするまでもなく、既に居ながらにして中華人民共和国の人民と違いのない世界に暮らすことになるのだ(中国共産党の支配から守るべきはずの民主的社会の基盤が既に失われていることを意味する―オスプレイの導入・配備の意義が民主的社会の防衛にあるのだとすれば、その導入・配備の過程において民主的手続きが尊重されていない現状は、オスプレイ配備の意義そのものを根底から否定するものとなってしまう)。「保守」を自称する皆さんにも、大いなる危機感をもって、高江地区住民を支援して欲しいと思う(註:2)。

 

 

 工事作業開始により高江地区でのヘリパット設置反対運動の映像記録が始められた2007年は第一次安倍政権、高江地区住民の行為が国家によって告発され住民が裁判所に引き出されたのは2008年の麻生政権時、司法の場での国家による住民告発を継続させた(取り下げることも可能であったにもかかわらず)のは普天間基地の県外移設を掲げた民主党の鳩山政権時(註:3)で、まだ社民党が連立を組んでいた時点(その後、辺野古への移転―県外移設の断念―の閣議決定を拒否し連立解消)であるし、ドキュメンタリー後半の中心エピソードとして展開されるように、(普天間基地への)オスプレイ導入反対運動を圧殺したのは民主党の野田政権である。

 どちらが与党であっても、絶対的な少数者である高江地区住民の意思を無視することに問題はないと考え、日本全体からすれば少数者である沖縄県民の意思を無視することに問題はないと考えている、ということなのだ。

 

 政権与党(現在は自民党)は日本国民の多数の支持を受けているのであるし、それに次いで支持を得ているのは野党第一党(かつての民主党―現在は民進党)である。いずれの政権下においても、その政策は国民の多数による支持なしには成立し得ない。

 高江地区住民の意思を無視し、沖縄県民の意思を無視する主体は、主権者としての日本国民の多数なのである。

 

 『標的の村』を観て悲憤慷慨するのは当然だとは思うが(「悲憤慷慨」は自然な心情の流露であろう)、その際に「日本政府が悪い!」と言い募るのも実に簡単だが(それが理路として成立しないことはない)、「悪い日本政府」を背後から支えているのは国民の多数者なのである。この点に気付かずにいる限り、安心して悲憤慷慨し、心情的正義感に浸って日本政府を糾弾し続けて済ませていられるだろう。しかし、糾弾すべき相手が遠くの日本政府ではなく多数者としての隣人であり、あるいは多数者を構成する自分自身でもあるかも知れないと考えてしまえば、安易に正義感に浸り続けているわけにもいかなくなる。

 しかも、実際問題として国民の多数者は、高江地区住民の意思を無視してよいと考えているわけでもなく、沖縄県民の意思を無視してよいと考えているわけでもない。そもそも日本国民の多数者は、高江地区住民の払わされる犠牲など眼中にないし、沖縄県民に押し付けられている過大な米軍基地負担にも無関心なのである。

 

 

 

 

《関連記事》

 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

 「民族」としての「沖縄の人々」 (琉球國の「独立」と伊江朝直 9)

 「慰霊の日」に、比嘉賢多監督の『沖縄/大和』(2014)を観た

 

 

 

【註:1】

  そんな中、1996年12月、「沖縄県民の負担を軽減する」という名目の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」の最終報告で、北部訓練場の施設面積の約半分に相当する約3,987ヘクタールが返還される事が、日米政府間の「合意」として発表されました。
  しかし、提示された返還条件は、返還する敷地にあるヘリパッド(7箇所)を残る敷地に「移設」すること。そしてその7ヶ所のヘリパッドの移設は、高江集落の周囲を取り囲むような配置で計画されていたのでした。
  高江区はすぐにヘリパッド建設に反対する区民総決起大会を開き、翌1997年には区民総会で反対決議を全会一致で決議しました。
  その後数年、移設計画に表立った動きは有りませんでしたが、2006年2月、突然、「ヘリパッド6箇所(1箇所減)の移設計画が決定した」と新聞で報道されたのです。その報道以前には、高江住民は一切その事実を知らされていませんでした。
http://helipad-verybad.org/modules/d3blog/details.php?bid=34&cid=5

 重要なのは、「高江区はすぐにヘリパッド建設に反対する区民総決起大会を開き、翌1997年には区民総会で反対決議を全会一致で決議しました」との、1997年時点での住民の「全会一致」での意思表明の事実である。
 この意思表明が徹底的に無視されているのである。

 

【註:2】

  ここに面白い調査がある。沖縄県知事公室地域安全政策課が2013年6~7月に行った「沖縄県民の中国に対する意識調査」である。
  それによると、「中国に対する印象」では、「良くない印象を持っている」と「どちらかというと良くない印象を持っている」が合計で89・4%。その理由のトップは「尖閣諸島を巡り対立が続いているから」が65・1%である。一方、全国調査はそれぞれ90・1%、53・2%である。しかも、「中国と米国でどちらに親近感を覚えるか」では、「中国により親近感を感じる」3・5%に対し「米国により親近感を感じる」59・1%である。全国調査はそれぞれ5・8%、56・1%である。
  辺野古移転反対や反基地運動感情が強いことから、中央政界やメディアでは、「沖縄は反米親中」という見方が強いが、現実はまったく異なる。沖縄は尖閣諸島問題に代表される中国の対日圧力の最前線なのである。そして親米感情も全国平均より高いのである。沖縄が反発しているのは政府や「東京の目線」に対してであり、その感情的な基盤が日本全国から反政府的な活動家まで吸引してにっちもさっちもいかない状況を作り出しているのである。
http://www.nippon.com/ja/genre/politics/l00074/

 

【註:3】

  しかもひどいことに、県外移転が非現実的とわかると、民主党政権はさっさと公約を取り下げてしまった。それだけでなく、なんと民主党政権下で強硬推進が可能になる法改正が行われるのである。地方自治法では、都道府県知事、教育委員会、選挙管理委員会の判断や業務が、法令に違反している、または適性を欠き公益を損なうと国が判断した時、国は是正の勧告や要求を行えることになっているが、これまで、これには強制力はなかった。地方自治体側から国地方係争処理委員会への審査申し出が出来るだけで、国側からそれ以上、働きかける手段はなかった。2012年9月に公布された地方自治法の改正で、国による違法確認訴訟制度が創設され、司法的な手段で地方の「不作為」を排除できる道ができた。もちろん、改正は民主党政権以前からの流れであったが、これで国と地方の関係は一変する。
http://www.nippon.com/ja/genre/politics/l00074/

 

 

 

《関連動画》

 本文でも触れた、テレビ放映版の映像である(ただし映画版の半分の尺)

Targeted Village / 標的の村
     https://www.youtube.com/watch?v=raJ8vTr8r4c

 (23分過ぎに登場するネコの姿にも注目して欲しい←ネコ好きの視線として)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/08/09 20:36 → http://www.freeml.com/bl/316274/282379/

 

 

 

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2016年7月10日 (日)

Evil Mickey attacks Japan (モモタロウvsミッキーマウス 1936)

 

 今回ご紹介するアニメのオリジナル・タイトルは、『オモチャ箱 シリーズ第3話 絵本1936年』(1934年 J.O.スタヂオ製作)である。戦前(昭和9年)の日本製アニメだ。

 動画サイトには「Evil Mickey attacks Japan - A 1936 japanese animation」としてアップされていたりする(別の投稿者によりオリジナル・タイトルでもアップされている→ https://www.youtube.com/watch?v=EpIxwiQUWFo)が、こちらの方が、オリジナルのタイトルより内容を的確に伝えるものとなっているようにも感じられる。

 

 

 舞台は平和な南洋の島。米国アニメを代表するキャラクター、あのフィリックスにしか見えない主人公を中心に(当時の用語で言えば「土人」の姿もある―大日本帝國による南洋の信託統治の反映だろうか)様々なキャラクターが楽しく暮らしている島の上空に現れるのが、やはり米国アニメを代表するキャラクターであるミッキーマウスにしか見えない敵役である(まさに「Evil Mickey」なのである)。

 「Evil Mickey」は陸上のヘビ部隊や海上のワニ部隊を従え、降伏要求に従わないフィリックス(にしか見えない主人公)たちの島を攻撃する(「Evil Mickey」自身はコウモリ・キャラの航空部隊を率いている)。島民は絵本の中のモモタロウに支援を求め、やがて日本昔話の主人公総動員での「Evil Mickey」の軍勢との闘いとなる。

 

 

 

Evil Mickey attacks Japan - A 1936 japanese animation https://www.youtube.com/watch?v=icVu-acHlpU

 

 

 

 「猿蟹合戦」のサルもカニも(そして臼も)共に進軍(こちらは陸軍のイメージが重ねられている)し、亀の背中に乗り一寸法師艦隊(もちろんこちらは海軍のイメージであろう)を従えて進撃する浦島太郎が掲げるのは東郷平八郎の「皇國興廃在此一戦」である(バックに流れる軍歌メロディーも陸軍シーンと海軍シーンで使い分けられるなど、芸も細かい)。1934年作品なので、爆弾三勇士(1932年の第一次上海事変時のエピソード)を思わせる突撃シーンもあれば、サルとカニを搭乗させた臼が戦車(当時の最新兵器)に変身して活躍したりもする。「Evil Mickey」の率いる航空部隊を空中で攻撃・撃退するのも「猿蟹合戦」登場キャラ昆虫のハチ部隊であり、戦闘が陸海空で展開されるものとして描かれていることも注目点であろう。雲の上でのモモタロウと「Evil Mickey」との直接対決(ミッキーの身体は大きい)を経て、地上に墜ちた「Evil Mickey」は浦島太郎の玉手箱攻撃によって急速老化し無力化されてしまう。

 花咲か爺さんにより「Evil Mickey」に対する勝利は祝福され、咲き誇る花の下で島民が踊るのは東京音頭(こちらは1933年にヒット)である。

 で、メデタシメデタシという展開。

 

 

 信託統治下の平和な南洋の島を、米国の象徴である「Evil Mickey」が襲い、「日本昔話」軍団の活躍により侵略は撃退される(米国の攻撃の対象は日本本土ではない)。しかし、島の住民代表的な地位にいるのも米国アニメキャラのフィリックスそっくりさんなのであった。その意味で、作品としては、米国=敵という構図で一貫しているということでもないだろう。

 

 

 

 いわゆるネトウヨ方面では中国=パクリ大国ということになっているが、確かに著作権に寛容な時代(パット・サリバンによるフィリックスの登場は1919年であり、ウォルト・ディズニーのキャラクターであるミッキーマウスの登場は1928年)だったとはいえ、日本のアニメの歴史も米国アニメのパクリと無縁ではなかったことをも教えてくれる作品である…と指摘するのも野暮な話ではあるが、(日本の「近現代史の真実」を考える上で重要な認識でもあるので)この機会に再確認だけはしておこう。

 

 

 

 動画としての仕上がりも上等だし、ストーリーとしても十分に楽しめる、戦前日本アニメの実力を感じさせる作品だと思う(1934年の作品なのにタイトルが「絵本 1936年」となっている理由は、今のところわからない)。

 

 

 

《オマケ:本家米国の1936年製作のフィリックス・アニメ》

Felix the Cat: The Goose That Laid the Golden Egg (1936) (cartoon) https://www.youtube.com/watch?v=MMetcqOBtr8

 1936年、既に米国ではアニメの世界も総天然色になりつつあったのである(「昭和11年のシンデレラ(シボレーのシンデレラ)」も参照)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/07/10 21:09 → http://www.freeml.com/bl/316274/279822/

 

 

 

 

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2016年5月20日 (金)

クライスラーの戦車

 

 先日は、「昭和11年のシンデレラ(シボレーのシンデレラ)」ということで、1936年(つまり「戦前」である)に、米国の自動車メーカーであるシボレーが販促用に作製したフルカラーアニメーション『A Coach for Cinderella 』を紹介した。

 

 今回は、同じく米国の自動車メーカーであるクライスラーによって、1941年に作製されたと思われるドキュメンタリーフィルム『Assembly Lines Of Defense』である。

 

 

 1941年には日本による真珠湾攻撃によって、米国もアジアとヨーロッパの二正面での戦争に参戦することになるが、内容から判断して、まだ米国が参戦していない段階でのフィルムだと思われる。

 既に1939年には、ナチスドイツによるポーランド侵攻によりヨーロッパでの戦争が始まり、1940年には英国を除く西ヨーロッパがナチスの占領下になってしまっていた。そのナチスの軍隊による「電撃戦」を支えていたのが戦車であり、当時の米国はナチスの戦車に対抗し得る戦車を保有していなかった。

 そこで1940年に開発が開始されたのがM3中戦車であり、その生産の中核となったのがクライスラー社であった(M3中戦車は、当時は参戦前にあった米軍用としてだけではなく既にドイツを相手に苦戦していた英軍向けに生産・供給されている―英軍仕様がグラント、米軍仕様がリーと呼ばれたが、クライスラーで生産されたのは米軍仕様のモデルである)。

 

 

 

Assembly Lines Of Defense
     https://www.youtube.com/watch?v=qcn52oeUAF4

 

 

 

 フィルムには、詳細な設計の進行と同時に、戦車生産のために新たな工場を建設してしまう米国の自動車メーカーの底力が記録されている。

 まず工場の規模の大きさに驚かされるであろう。戦車の大量生産には大規模な工場が必要であり、そのためには大量の鉄やコンクリート、ガラスといった資材が必要であり、建設に当る大量の熟練作業員と作業機械が必要であり、まずクライスラーはそのすべてをクリアしているのである。戦車の大量生産には、新たに工員を訓練する必要があるし、新たに様々な部品を設計し、その部品を高精度に製造する技術も必要であるし、その部品を用いて高精度に効率よく組み上げる技術も必要となるし、そのためには新たに様々な工作機械を設計し製造し稼働させることも必要となるが、クライスラーはそのすべてをクリアしている。工場は6カ月で完成し、契約から8カ月で生産が開始されている(フィルムにはその記念式典の映像も収録されている)。

 まだ米国の参戦前の、いわば準戦時体制下の段階で、既に民間企業である自動車メーカー(民生用の乗用車とトラックのメーカー)が戦車の大量生産を達成してしまうのである。ちなみに、クライスラーと共に米軍仕様のM3中戦車の製造を担ったアメリカン・ロコモーティブ社は、機関車製造を専門とした企業であった。

 言うまでもないが、米国の参戦後には、さらに大規模に、様々な民間企業(より正確に言えば、民需品供給企業)が、米国の戦争を支える大量の兵器を生産することになる(まだ準戦時体制下で作製されたこのフィルムの最後の部分―様々な軍需品の生産に参入していくクライスラー社の姿―からも、その片鱗が窺える)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/05/19 22:27 → http://www.freeml.com/bl/316274/275521/

 

 

 

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