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2018年5月

2018年5月17日 (木)

十四娘を賣つた金 四十圓の家と化す (昭和期日本の貧困 その4)

 

 古書市で入手した昭和9年と10年の新聞切抜き帳(スクラップブック)に貼られた記事を用いて、近代日本を最底辺で支えた貧困層の現実がどのようなものであったのかについて読み進めてきた。

 

 昭和9年、冷害に襲われた東北地方(冷害による飢餓の実態は「草木に露命をつなぐ (昭和期日本の貧困 その2)」参照)の人々は、「口べらし」のために娘を身売りするまでに追い込まれた(「賣られる最上娘 (昭和期日本の貧困 その1)」参照)。

 

 「娘の身売り」に頼る貧困層の姿(「廓模様新紅毛情史 (昭和期日本の貧困 その3)」参照)。それが、昭和戦前期の日本の現実、近代日本の現実の姿であった。

 

 今回も、当時の紙面から切り抜かれ、スクラップブックに残された新聞記事から、「娘の身売り」の実状に迫ってみたい。

 

 

 

 

スクラップブック(昭和9年~10年) 
     十四娘を賣つた金四十圓の家と化す (9.12.1 朝日)

 

 

 

 今回取り上げるのは、昭和9年12月1日付の朝日新聞記事である。

 

 

 

 

 十四娘を賣つた金
  四十圓の家と化す
    冬籠りの窮農を訪ふ
          東北凶作地にて
          荒垣特派員

 

 村の夜道は真つ暗だつた、村には外灯がなかつた、それは昭和六年の凶作から廃止になつたのだ、凶作は色んな意味で村から『明るさ』を奪つて行く、今度はまた娘を、凶作は村から奪い去らうとしてゐる、もう幾人も奪つて行つてしまつた、私はその標本を青森の新城村に求めた
     ▽   △
 『これがその、娘が化けた四十円の家ですよ』と教へられた窓から洩れる鈍い電灯の光で畑の菜つ葉が真白な霜に萎れてゐるのが見えた、この村としては割合に小綺麗な家だが、これが一人の津軽娘が娼妓に売られた身代金で買はれた家かと思ふと異様な汚感に襲われざるを得なかつた
  入つてみると、七十を越したお婆さんと、身売娘の両親と五つ位の女の児とが、煙に燻ぶる囲炉裏を囲んでゐた、女の子は風邪をひいてギャーギャー泣いてゐた
 姉娘が売られて居なくなつてからこの児も泣虫になつたさうだ、『どうして娘つ子売れしたば?』ときくと、婆さんは泥炭の煙に傷められたトラホームの眼をしばたいて『スミエあ売られて難儀してす、吾あ死んでもいいはで孫達あ楽にさせてやりてい』と赤く瀾れた眼から涙をボロボロこぼした、この佐藤一家は、家を借金のカタに取られて近所の家に同居してゐたが、スミエといふ十四の娘を名古屋市賑町の娼妓屋に売つた金で、此家を買つたのだ、身代金は五ヶ年の契約で四百五十円だつたが、そのうち百円は一本になつたら渡すとの事で、娘の着物代にといつて五十円、周旋料だといつてブローカーに廿二円五十銭、親爺と周旋屋とで娘を名古屋まで送つて行つた汽車賃、宿料、自動車代その他雑費だといつて百廿七円五十銭をとられ、結局手に渡つたのは僅百五十円だつた、そのうちから七十円の借金を支払ひ、四十円で家を買ふと残る四十円も何といふことなしに消えてしまつた
     ▽   △
 父親はいつた
  吾あ娘売る気あ夢にもなくてあつたども、周旋屋が家のわらし(娘)ど借金の□なみに眼つけで売れ売れつて四十日の間も付き纏ひした、其うちね飯米あなくなるし女房あ妊娠脚気ねなるし借金取りにや責め立てられるし、おまけね、借金の保証が女房の妹だはで、吾あ済さねば保証人の娘ば売らねまいなくなつて、とうとう売る腹ねなりした
 と溜息をついた、母親はまた母親で
  家のわらし(娘)あ、吾あ妊娠脚気で留守の間ね死んだりへば困るはで行きたくねいといつてをれした、取り返せねいもんですべか?
 と今になつて返らぬ愚痴をいつてゐる
     ▽   △
 そして娘からはもうこんな手紙が来るやうになつた
  …私達はシヨウギさんがゐる家にゐるものですから、ほんとうに嫌ひです、主人は、お正月になるとお客さんをとらせるといつてをします、私はシヨウギなんかやるんぢやない、ほんとうにつまらない、しつかりしたことはお正月にでなければ分かりませんが、ほんとうにお客さんをとらせると直ぐ手紙を出します……
 まだ半信半疑でおびえてゐる十四歳の津軽娘の姿!手紙を出すことより外に策を知らぬ可憐さ!
     ▽   △
 いつのまにか出た冷たい冬の月を浴びて、私は次の『娘を売つた家』に行つた、そこには逆睫毛に悩む母親と、小倉の夏服に綿を入れた洋服を着た少年とがゐた、この綿入れの夏服はやはり姉さんが売られた余剰価値だつた、この村には洋服を着てゐる子供は一人もゐないので、松雄少年はこれが得意だつた、そして『姉さまのお蔭で……とお礼状を出した、すると身売娘からはこんな返事がきた
  松雄は私のお蔭で立派な服をきたと書いてをりますが、私のお蔭ではありません、父上様や母上様のお蔭です……
 いはば自分を売つた非道の親、それを微塵も怨まぬ心はいぢらしい限りだ
     ▽   △
 この娘の母は娘の身代金で逆睫毛の目を手術する事になつてゐた、ところが結局そんな金は余らずいまだに逆睫毛で悩んでゐるとの知らせに娘はビツクリしてゐる、そして自分が家にゐる時は、いつも母の逆睫毛を抜いてやつたのだが、今はどうしてをられるだらうかと『逆睫毛は今誰にとつてもらつてをりますか、知らせて下さい』と涙の筆を綴つてゐる
  私は夜外に出て家の方を見て、家の者が達者にゐますやうにとお月様に祈つてゐます

 

 

 

 記事は「娘の身売り」による解決を望ましいものとして取り扱っているわけではないが、それ以外に手段を持たぬ東北農民の現実を伝えるものとなっている。描かれているのは、冷害に付け込んで実直な東北農民を「娘の身売り」にまで追い込む周旋屋の姿であり、周旋屋を前にしてなす術のない農民の姿である。

 記事の見出しには、

  十四娘を賣つた金 四十圓の家と化す

とあるが、父親は家欲しさに娘を売ったわけではない。

  吾あ娘売る気あ夢にもなくてあつたども、周旋屋が家のわらし(娘)ど借金の□なみに眼つけで売れ売れつて四十日の間も付き纏ひした、其うちね飯米あなくなるし女房あ妊娠脚気ねなるし借金取りにや責め立てられるし、おまけね、借金の保証が女房の妹だはで、吾あ済さねば保証人の娘ば売らねまいなくなつて、とうとう売る腹ねなりした

この言葉を疑う必要を(私は)感じない。

 貧困の果てに、

  吾あ済さねば保証人の娘ば売らねまいなくなつて
  とうとう売る腹ねなりした

ここにまで追い込まれたのである。

 解決の手段が「娘の身売り」以外にない状況。

 記者は取材に先立って、

  これが一人の津軽娘が娼妓に売られた身代金で買はれた家かと思ふと異様な汚感に襲われざるを得なかつた

このように心情を吐露し、母親の言葉に対しては、

  今になつて返らぬ愚痴をいつてゐる

と非難めいた感想を漏らすものの、

 貧困→娘の身売り

これ以外に手段を持たぬ現実に、傍観者であるしかなかった。

 

 記事にあるのは決して例外的状況などではなく、冷害による凶作下での一般的状況なのである。以下に示すのは、昭和6年の事例である。

 

  昭和六年、農業恐慌にあえぐ東北、北海道の農村を冷害による凶作が襲った。同年一〇月三一日付の『東京朝日新聞』は「未曾有の凶作で、北海道、青森に飢饉来 雪近く不安つのる」と、その惨状を報じた。
  この年の東北地方は、四月から七月にかけて異常低温に見舞われ、特に七月の平均気温は盛岡で一八・四度という低さだった。加えて六月の多雨日照不足で、稲の苗代での発育不良、移植期の遅れ、田植え後の活着障害、生育の障害という状態におちいった。
  被害のもっともひどい青森県では、米価下落で「豊作貧乏」といわれた五年の一三〇万石に対し、六年の収穫は半分以下の六〇万八〇〇〇石、北海道も稲作は平年の三六㌫強、畑作六一㌫という大減収だった。作家の下村千秋は、岩手県北部から青森県へと「飢餓地帯」を歩き、「餓死線上」の農民は「岩手県下に三万人、青森県下に十五万人、秋田県下に一万五千人、そうして北海道全道には二十五万人」(『中央公論』昭和七年二月号)と書き、青森県の寒村では「どうせ飢え死ぬなら、せめて一度でも、米のめしがげんなりするほど喰つて見てえ」(『前出』)と老人が語るのを聞いた。
  農民は米不足のため、粟、ひえなどの雑穀、だいこん雑炊、それに木の芽や草の葉を混ぜた薄いかゆなどを食べた。学校へ弁当を持って行けないいわゆる欠食児童は、北海道一万八九八人、青森県六一〇七人、秋田県九九六人、岩手県三五三九人、全国では二〇万人を超すと推定された(昭和七年七月文部省調べ)。
  北海道庁の調査では、七年上半期に六〇六件の人身売買があり、平均一〇六円で多くは都市に売られた。また、内務省社会局の調べでは、青森、山形、秋田、福島、新潟の各県でも、六年一月から七年六月までの間に計一万六〇四人の若い女性が、家族を支えるために「身売り」をした。
  廃娼連盟は六年一一月、他県への「娼妓移出地」といわれる山形県最上郡西小国村の実状を調査し、報告書『農村疲弊と子女売買問題』(松宮一也、橋本成行共著)をまとめた。それによると同村の出稼ぎ娼妓は五七人で、その数は村の一五歳~二五歳の女子四一七人の約一四㌫にあたった。現金収入がなく、負債を返却するには、定期的に村を回る紹介業者に娘を売るしか方途がなかった。
  この惨状が報道されると、東京では学生や無産党系、キリスト教系の諸団体が救援活動を始め、報道も詳細になった。東北・北海道の冷害は、農村不況を克服しようという世論形成の契機になったのである。
     (『昭和 二万日の全記録 第2巻』 講談社 1989  307ページ)

 

 

 ここに紹介された「廃娼連盟」による報告書にある山形県最上郡西小国村は、まさに「賣られる最上娘 (昭和期日本の貧困 その1)」の記事の舞台となった地域でもある。廃娼連盟による昭和6年の調査で明らかになったのは、

  同村の出稼ぎ娼妓は五七人で、その数は村の一五歳~二五歳の女子四一七人の約一四㌫にあたった。現金収入がなく、負債を返却するには、定期的に村を回る紹介業者に娘を売るしか方途がなかった。

という悲惨な現実であった。

 

 朝日新聞記事には「まだ半信半疑でおびえてゐる十四歳の津軽娘の姿」とあったが、当時の公娼制度下でも年齢制限はあり、本来なら「十四歳の津軽娘」が人身売買の対象となることはないはずなのだが、しかし、そこには抜け道があった。元森論文には以下のようにある。

 
  公娼のみを調べた場合,18歳未満は登録できないというタテマエが守られているためそれ以下の者はいないが,私娼には18歳未満もしばしば含まれていることが報告されている。たとえば,上村行彰『売られゆく女』(大正7年,集成2:209)では,娼妓が「異性に触れた当時の職業」として,「家事手伝い」,「女工」に次いで「芸妓酌婦稼業中」が2割1分と多いと述べ,16歳以下の3分の1は芸妓酌婦稼業中に性行為を行っていたことを明らかにしている。「東北凶作を契機とせる女子の貞操問題」として東北の芸娼妓を調べた調査では,12歳7人,9歳1人を含む14歳未満の女子が60人いたことが報告され,「多分口減らしと,之に依つて幾等かの生計費を得て家族の食餌に資せんとしたものであらう」と述べられている(三浦精翁『売られ行く娘の問題』昭和10年,集成5:308-309)。
  帝国議会でも,芸妓の「約半分位は十三で客に接することを強いられて居ると云う記事が(引用者注:前日の新聞に)出ております」(土屋清三郎,第56回帝国議会衆議院未成年者飲酒禁止法中改正法律案外一件委員会第6回速記録,昭和4年,p.24)と問題視されたり,「私娼窟」における低年齢層の売春問題が報告されている。
     (元森,絵里子「自由意志なき性的な身体―戦前期日本の公娼制問題における「子ども」論の欠如―」 『明治学院大学社会学・社会福祉学研究(139)』 2013)

 

 当時から「低年齢層の売春問題」は深刻なものとして注目を集めてはいたのである。「まだ半信半疑でおびえてゐる十四歳の津軽娘の姿」は、決して特異な事例ではなかった。

 元森論文には以下の事例(どちらも昭和4年の事例である)も紹介されている。

 

  現在公娼に於きましては,十八歳以上の女でなければ営業に従事することが出来ないのでありまするが,寺島,亀戸のやうな,いわゆる淫売窟に居りまする所の女と云ふものは,十五歳,十六歳,甚しきは十三歳,十四歳と云ふ風な,殆ど吾々言ふに忍びないやうな少女が,何れも売淫行為を行って居るのであります,是等の年少な少女と云ふよりも,寧ろ幼女に近い婦人と云ふものは,何れも自分の意思に反して ,或いは親の犠牲となり ,若しくは暴行脅迫 ,中には傷害迄受けて ,斯る魔窟に拉し去られて醜業に従事して居るのであります(川島正次郎,第56回帝国議会衆議院請願委員会議録(速記)第9回,昭和4年,pp.2-3) 

 

  最近二万八千二百三十四人の娼妓に就いて取調べた処によれば,内尋常小学の中途退学者が二万〇〇五十八人(即ち七割一分強),まったく尋常小学にさへ登らなかつた者が四千四百六十五人(即ち一割五分強)で,つまり全数の計八割六分以上は,尋常小学に入らないか入つても卒業しないで退学した者共であります。彼等は全く無教育無知である。之に義務教育完了の機会さへ与へず ,之を娼妓などにならせて置くと云ふは ,誰の責任であるか。此の点に於て,日本の国家はその臣民に対する当然の務めを行うて居ないものと言はれても,致方はありますまい。(山室軍平『公娼制度の批判』昭和4年,集成3:125)

 

 川島正次郎の言葉には、「十五歳、十六歳、甚しきは十三歳、十四歳と云ふ風な、殆ど吾々言ふに忍びないやうな少女」が、「何れも自分の意思に反して 、或いは親の犠牲となり 、若しくは暴行脅迫 、中には傷害迄受けて 、斯る魔窟に拉し去られて醜業に従事して居」たことが示されている。

 

 

 悪質な周旋屋の実態については、安中論文に当時の新聞記事を用いた事例紹介がある(安中 進「娘の身売り」の要因と鉄道敷設 現代政治経済研究所(Waseda INstitute of Political EConomy) 早稲田大学 WINPEC Working Paper Series No. J1702 October 2017)。こちらは昭和6年と8年の事例だ。

 

  打続く農村不況に加へて大凶作に見舞はれた青森縣下の農民は ,既に売る物は皆尽して食料に代へ現金は全く農村から姿を消すに至つたが ,暮れを控へて農民の逼迫につけ込む悪徳周旋業者が最近横行し ,純ぼくな農村の娘さん達を「給金高い東京お屋敷へ世話をする」などと言葉巧みに欺き ,東京方面の魔くつに賣飛ばしてゐる,もつとも被害の甚しいのは上北 ,下北 ,三戸地方の収穫皆無地で ,青森発上野行列車などには手付金二 ,三圓といふ安い直段で取引された純な農村の乙女一團が周旋人に連れられて二組か三組は必ず乗込んでゐる有様で,警察方面でも人買ひの取締りに躍起となってゐる。
     「凶作につけ込む娘買ひの悪周旋屋  青森地方では二三圓の手付けで」『東京朝日新聞』 1931 年 12 月 26 日

 

  「寺島署では向島区寺島町七ノ六〇前科二犯無職諸岡ひで(三二)同町七ノ七前科一犯松井幸太郎(三六)同町六の一三四無職小林武(三三)足立区竹塚五十嵐丑蔵八もぐり 六)(足立区竹塚五十嵐丑蔵八もぐり 六)同町の一三四無職小林武(三三)足立区竹塚町四一四五十嵐丑蔵(三八)のもぐり周旋屋一味を留置取調べてゐるが同人らは諸岡ひで総指揮官とし玉の井根城玉の井根城秋田 ,山形 ,北海道等凶作地の婦女を甘言もつて連れだし八十圓から三百五位で玉北海道等凶作地の婦女を甘言もつて連れだし八十圓から三百五位で玉井,亀戸等の魔窟に賣り飛ばし手数料を身代金半分以 上取つてゐたもので被害者は秋田縣生れ影澤あき( 二一)外十八名の多数に上り係官もそ悪辣な手段驚いてゐる」
     「モグリ周旋団 凶作地の子女へ魔手 」,『読売新聞』 , 1933 年 1月 31 日)

 

 

 先に紹介した朝日新聞記事には、記者に「いはば自分を売つた非道の親、それを微塵も怨まぬ心はいぢらしい限りだ」との感懐を抱かしめた「身売り娘」のエピソードが載せられているが、このような事例が決して珍しいものではなかったらしいことも、安中論文の紹介する新聞記事から読み取れる。

 

  十六日朝 ,岩手県警察部からの至急配で危うく身賣 りの一歩手前で救はれた東北娘がある。岩手県稗貫郡石鳥谷町大字北寺林の貧農似内櫻香長女くりさん(二七)永年の間,婚期も忘れて女中奉公に出た仕送りで老父と三人弟妹の一家を養つて来たが ,父子五人が木の實も食へぬ赤貧から青春を汗のために失つた女には身賣り四年間がタツタ三百圓にしか値なかつた ,しかし大金を握らされた一家にとつては桂庵の姿が神にさへ見えたといふ ,この くりさんがいよ洲崎遊郭の春賣樓に売られて娼妓登録の許可申請から縣警察部への照會となり「身賣娘を護れ」スローガン下に奔命してゐる同縣からのS・O・Sで危なく救ひ出された。さてここに喜ばないのは當のくりさん「私を救つて下すつた事は有りがたい事です,けれどもどうして私がこのまま國許へ帰れませうまとまつた金が無ければ父子五人が野垂死をしなければなりません,私一人が死んだ気になれば父や弟妹達が救はれますどうぞ私を娼妓にして下さい」といふ ,警視廳でも「身賣り救済運動」の将来に投げかけられた切實な問題として,早速くりさんを愛國婦人會の手を借りてどこか前借出来る女中奉公口を探してやることになつた
    「『私が犠牲になれば』 救われて浮かぬ娘 凶作地の『血の記録』」 ,『東京朝日新聞』 ,1934 年 11 月 17 日

 

 「私を救つて下すつた事は有りがたい事です、けれどもどうして私がこのまま國許へ帰れませうまとまつた金が無ければ父子五人が野垂死をしなければなりません、私一人が死んだ気になれば父や弟妹達が救はれますどうぞ私を娼妓にして下さい」という「身賣娘」の言葉。この、くりさんの「自分の意思」を「美談」として位置付けることを是認することは正しいのか? 確かに近代日本には、そのような「自分の意思」を示した「身賣娘」の姿に「美談」を感じ取る土壌があった。だからこそ、記者は「いはば自分を売つた非道の親、それを微塵も怨まぬ心はいぢらしい限りだ」との心情を吐露したのであるし、くりさんは「どうぞ私を娼妓にして下さい」との言葉を発したのである。

 その近代日本の現実の中で「身賣り救済運動」に奔走した人々も確かに存在した。しかし、その救済策は「どこか前借出来る女中奉公口を探してやること」でしかなかった。

 

 これが、昭和戦前期の貧困層が置かれた現実であった。そして、昭和12年には大日本帝國は「支那事変」という名称の下での中国との実質的戦争状態に陥る。昭和も戦時期(戦中)となるのである。

 戦時期昭和には、貧困層の娘たちは、いわゆる従軍慰安婦の供給源となる。かつての公娼制度の枠組みの上に、慰安婦の供給システムが構築される。貧困と「娘の身売り」の構図が、軍の存在によって維持される時代となっていくのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 :  2018/05/16 21:07 → https://www.freeml.com/bl/316274/319007/

 

 

 

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