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2018年2月20日 (火)

軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (8)

 

 

 「軍産複合地域としての昭和十年代多摩」と題して(記事カテゴリーとしては「多摩武蔵野軍産複合地帯」)、昭和10年代の多摩武蔵野地域の軍産複合地帯化状況を追って来た。

 その際にまず参考としたのは、星野朗氏の論考「昭和初期における多摩地域の工業化」(『駿台史学』 第105号 1998)であり(「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (1)」及び「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (2)」参照)、小平地域の軍事施設設置状況の詳細については主に『小平市史』(2013)を用いた(「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (5)」参照)。

 

 ここであらためて、昭和10年代の(北多摩を中心とした)多摩武蔵野地域の軍産複合地帯化状況の全体像を、国分寺市・国分寺市教育委員会『市制施行50周年記念 国分寺市の今昔』(2015)巻末の資料編にある「北多摩地域を中心とする軍事関係工場」と題された施設一覧(地図も付属)を用いて確認しておきたい。

 

 「北多摩地域を中心とする軍事関係工場」には、「北多摩地域と軍事関係工場の位置図」と題された地図上の番号(1~40)に対応する40施設が一覧表形式で示されている(ただし「位置図」上には番号の附されていない―従って一覧表に掲載されていない―施設も複数存在する)。また一覧表にも地図にも「軍事関係工場」とあるが、実際には「工場」(軍需生産施設―「産」の施設)だけではなく陸軍飛行場や経理学校、補給廠等の様々な軍事施設(「軍」の施設)も多く含まれており、その意味でも「北多摩地域を中心とする」当時の「軍産複合地帯化状況」をあらためて概観する上で都合がよい資料である。

 また、一覧表は番号と共に「施設名」、「沿革」(施設の設置年度)、「内容」(何に用いられた施設であったか)、「所在地」(現在の行政区分名)、「現在跡地に所在する主な施設」(施設跡地の現在の利用状況)が掲載されており、「現在跡地に所在する主な施設」を確認することで、ある程度の(現在の)土地勘を持ってさえいれば、かつての施設の立地区域の把握も容易である(各施設の「跡地に所在する主な施設」は星野論文執筆時から大きく変化しており―工場用地としての利用から大規模集合住宅、あるいは大規模商業施設への転換等、土地利用状況は変化している―『国分寺市の今昔』には2015年作成のまだ新しい「資料」であることの強み―最新状況の反映―がある)。

  一覧にある「現在跡地に所在する主な施設」(現在の跡地利用状況)の項からも、それぞれの敷地の本来の広大さ(すなわち当時の多摩武蔵野地域で「軍」と「産」の施設の占めた地位)が明らかになるだろう。

 「軍」の施設である「陸軍経理学校・練兵場」で言えば、その「現在跡地に所在する主な施設」として「陸上自衛隊小平駐屯地・国土交通大学校・関東管区警察学校・小平団地・防衛省官舎・小平第九小学校・グランスクエア一橋学園・むさしが丘学園・あけぼのパン工場」が挙げられている。現在の個々の施設もそれぞれに十分に広い敷地を必要とするもの(自衛隊駐屯地、各種の学校、大規模集合住宅、工場)であることからも、かつての「陸軍経理学校・練兵場」の敷地の広大さは明らかとなるであろう。

 「産」の施設を中島飛行機関連で見れば、「中島航空金属」の「現在跡地に所在する主な施設」は「ひばりが丘運動場・せせらぎ公園・谷戸第二小学校・市立中原小学校・市立南中学校・公団ひばりが丘団地・住友重工田無製造所・ジャパンエナジー中央研修所」であり、「中島飛行機武蔵製作所」の「現在跡地に所在する主な施設」は「武蔵野中央公園・武蔵野市役所・武蔵野東小学校・NTT開発センター」であり、「中島飛行機三鷹研究所」の「現在跡地に所在する主な施設」が「都立野川公園・国際基督教大学・東京神学大学・ルーテル学院大学・アメリカンスクール・富士重工」となっている。それぞれの敷地の広大さは明らかであろう。

 

 以下、『国分寺市の今昔』にある一覧からの引用である(「」を用いた註釈は引用者によるものである)。

 

 

 

1 中島航空金属

  沿革-1938(昭和13)年中島飛行機武蔵製作所の分工場の田無鋳造工場設置→1939(昭和14)中島航空金属
  内容-武蔵製作所作成エンジンのテスト
  所在地-西東京市・武蔵野市
  現在跡地に所在する主な施設-ひばりが丘運動場・せせらぎ公園・谷戸第二小学校・市立中原小学校・市立南中学校・公団ひばりが丘団地・住友重工田無製造所・ジャパンエナジー中央研修所

 

2 中島飛行機武蔵製作所

  沿革-1938(昭和13)年武蔵製作所設置・1941(昭和16)年多摩製作所設置〔西半分〕→1943年合併武蔵製作所
  内容-武蔵製作所:陸軍機エンジン、多摩製作所:海軍機エンジン
  所在地-西東京市・武蔵野市
  現在跡地に所在する主な施設-武蔵野中央公園・武蔵野市役所・武蔵野東小学校・NTT開発センター

 

3 横河電機製作所吉祥寺工場

  沿革-1930(昭和5)年設置
  内容-航空計器・航空機用磁石発電機の製造
  所在地-武蔵野市
  現在跡地に所在する主な施設-横河電機工場
 

4 日本無線電信電話

  沿革-1937(昭和12)年設置
  内容-航空機用無線・レーダーの製造
  所在地-三鷹市
  現在跡地に所在する主な施設-日本無線

 

5 三鷹航空工業

  沿革-1933(昭和8)年設置
  内容-航空機エンジンの製造
  所在地-三鷹市
  現在跡地に所在する主な施設-井の頭公園西園(旧日産厚生園・下連雀1丁目付近)

 

6 正田飛行機製作所

  沿革-1933(昭和8)年渋谷から移転
  内容-航空機エンジンの製造
  所在地-三鷹市
  現在跡地に所在する主な施設-日産自動車三鷹工場(下連雀5丁目付近)

 

7 中島飛行機三鷹研究所

  沿革-1943(昭和18)年設置
  内容-航空機の設計
  所在地-三鷹市
  現在跡地に所在する主な施設-都立野川公園・国際基督教大学・東京神学大学・ルーテル学院大学・アメリカンスクール・富士重工

 

8 中央航空研究所

  沿革-1939(昭和14)年設置
  内容-航空機の開発
  所在地-調布市・三鷹市
  現在跡地に所在する主な施設-宇宙航空研究開発機構航空宇宙センター・交通安全環境研究所・電子航法研究所海上技術安全研究所・杏林大学・消防研究所・消防大学校

 

9 調布陸軍飛行場

  沿革-1941(昭和16)年設置
  内容-陸軍機の訓練・防空基地
  所在地-調布市・三鷹市・府中市
  現在跡地に所在する主な施設-調布飛行場・武蔵野の森公園・東京外国語大学・警察大学校・大沢総合グラウンド

 

10 傷痍軍人東京療養所

  沿革-1939(昭和14)年設置
  内容-軍人療養施設
  所在地-清瀬市
  現在跡地に所在する主な施設-日本社会事業大学・国立病院機構東京病院

   *: 結核罹患軍人の療養施設

 

11 傷痍軍人武蔵療養所

  沿革-1940(昭和15)年設置
  内容-軍人療養施設
  所在地-小平市
  現在跡地に所在する主な施設-国立精神・神経医療センター・萩山グラウンド

   *: 1931年の満州事変から足掛け15年にわたる戦争でこれまでにない規模の人々が戦地へと動員される中で、心理的な原因で精神疾患になったと考えられた人々は当時「戦争神経症」「戦時神経症」と呼ばれ、軍部や国家の関心事となった。その中で、1938年、国府台陸軍病院が精神神経疾患となった軍人の専門治療機関となり、1940年に精神障がいを対象にした傷痍軍人武蔵療養所が設立された。
     中村江里 「往還する〈戦時〉と〈現在〉:日本帝國陸軍における「戦争神経症」」 (博士論文要約 2015)

 

12 陸軍兵器補給廠小平分廠

  沿革-1940(昭和15)年設置
  内容-兵器・燃料の保管・補給
  所在地-小平市
  現在跡地に所在する主な施設-ブリジストン東京工場・小平第六小学校・小平第二中学校・松見病院

   *: 2015年時点の記述であり、2018年現在では工場施設は小平市から撤退し、研究施設のみとなっている(ブリジストン関係者の話による)

 

13 陸軍経理学校・練兵場

  沿革-1890(明治23)年設置**
  内容-将校の経理養成***
  所在地-小金井市****
  現在跡地に所在する主な施設-陸上自衛隊小平駐屯地・国土交通大学校・関東管区警察学校・小平団地・防衛省官舎・小平第九小学校・グランスクエア一橋学園・むさしが丘学園・あけぼのパン工場

   *: 陸軍経理学校とは、軍隊組織の財政管理・会計実務、軍施設の建設や維持、軍服や糧食などの調達、軍需工場の監督といった軍隊組織の管理運営全般と物資の補給実務を担当する学校で、創立は一八九〇(明治二三)年であった(麹町富士見町)。東京牛込区若松町の校舎(通称若松台)で長く教育にあたっていたが、満州事変の頃から校舎移転の議論が起こり、一九四〇年頃になって「教育の拡充」の必要性から小平村への移転が決定されたのであった。つまりこの移転は、総力戦の時代になって、軍隊組織の管理を担当する将校が質・量ともにそれまで以上に求められるようになったことを示す。
     (『小平市史』 227ページ)

   **: 上記『小平市史』にある通りで、1890(明治23)年は麹町富士見町での創立年。小平への移転・開校は昭和17(1942)年

   ***: 「将校の経理養成」というよりは「経理将校の養成」であろう

   ****: 『小平市史』にある通りで、所在地は現・小金井市ではなく、現・小平市内である

 

14 多摩陸軍技術研究所

  沿革-1942(昭和17)年設置
  内容-銃器・火砲の研究施設
  所在地-小金井市**
  現在跡地に所在する主な施設-東京学芸大学・東京学芸大学附属中学校・東京学芸大学附属小学校・サレジオ中学校・サレジオ小学校・市西部浄水所・つつじ

   *: 陸軍技術研究所 昭和17(1942)年移転
       第二技術研究所(観測・測量・指揮連絡用兵器など)と第五技術研究所(通信機材・整備機材・電波兵器)の敷地が小平
       第一(鉄砲・弾薬・馬具)、第三(爆破用火薬・工兵器材など)、第八技術研究所(兵器材料・化学工芸など)の敷地は小金井
        第1研究所/銃器、火砲、馬具、弾薬等に関係する部署
        第2研究所/測量器、照準器、眼鏡などに関係する部署
        第3研究所/渡河、鉄道、架橋、道路、爆破器材および一般工兵器材などに関わる部署
        第5研究所/電波、通信機材関係の部署
        第7研究所/物理的兵器関係の部署
        第8研究所/兵器の基礎研究に関する部署
      陸軍多摩技術研究所 昭和18(1943)年新設
       第五、第七、第九技術研究所の電波兵器関連研究開発機能を統合
     (『小平市史』及び板倉真也「市内の戦跡保存の取り組みに向けて」(2002/11/24)による)

   **: 上記の通りで、施設所在地は現・小金井市内と現・小平市内にまたがるものであった(施設名称をはじめ、沿革、内容の項にも他資料との異同がある)

 

15 中央工業南部工場

  沿革-1936(昭和11)年設置
  内容-銃器・火砲の製造
  所在地-国分寺市
  現在跡地に所在する主な施設-早稲田実業・東京経済大学

 

16 小林理学研究所

  沿革-1940(昭和15)年設置
  内容-陸海軍水測音波兵器の開発製造
  所在地-国分寺市
  現在跡地に所在する主な施設-リオン

 

17  日立中央研究所

  沿革-1942(昭和17)年設置
  内容-航空機用消化装置・スプリングなどの製造
  所在地-国分寺市
  現在跡地に所在する主な施設-日立中央研究所

   *: 『国分寺の今昔』の表記が「航空機用“消化”装置」となっている

 

18 東洋酸素

  沿革-1943(昭和18)年設置
  内容-高圧酸素・窒素・プロパンガスの製造
  所在地-国分寺市
  現在跡地に所在する主な施設-ドンキホーテホームセンター恋ヶ窪店・サミットストア恋ヶ窪店・東恋ヶ窪くぬぎ公園

 

19 東京碍子

  沿革-1944(昭和19)年設置
  内容-送電・電柱の付属機器製造
  所在地-国分寺市
  現在跡地に所在する主な施設-(東恋ヶ窪4丁目)

 

20 陸軍燃料廠

  沿革-1938(昭和13)年設置
  内容-陸軍用石油代替燃料の研究開発
  所在地-府中市
  現在跡地に所在する主な施設-府中の森公園・府中の森芸術劇場・府中市美術館・航空自衛隊航空総隊司令部・市立浅間中学校

 

21 東京芝浦電機府中工場

  沿革-1939(昭和14)年設置
  内容-軍用機用電波系機器の生産
  所在地-府中市
  現在跡地に所在する主な施設-東芝府中工場

   *: 小平図書館作成の「小平周辺戦争当時軍事施設・軍需工場マップ」(註:1)には以下のようにある(施設名が異なり、製造品も異なっているように見える)。

     日本製鋼所武蔵製作所
     はじめのころ戦車を、のち高射砲をつくっていた。
     東芝車輌製作所
     (今の日本製鋼所、東芝府中工場があるところ)

 

22 日本製鋼所武蔵製作所

  沿革-1938(昭和13)年設置
  内容-海軍用鋳鍛鋼品の製造
  所在地-府中市
  現在跡地に所在する主な施設-すずかけ公園・日銀府中分館・インテリジェントパーク(日鋼町)

   *: 小平図書館作成の「小平周辺戦争当時軍事施設・軍需工場マップ」(註:1)には以下のようにある(製造品が異なっている)。

     日本製鋼所武蔵製作所
     はじめのころ戦車を、のち高射砲をつくっていた。
     東芝車輌製作所
     (今の日本製鋼所、東芝府中工場があるところ)

 

23 村山陸軍病院

  沿革-1941(昭和16)年設置
  内容-陸軍の病院、地域病院としても機能
  所在地-武蔵村山市
  現在跡地に所在する主な施設-東京経済大学武蔵村山キャンパス(グラウンド・野球場・テニスコート)
 

24 所沢陸軍整備学校立川教育隊

  沿革-1943(昭和18)年設置
  内容-陸軍航空技術学校修了者を教育
  所在地-武蔵村山市
  現在跡地に所在する主な施設-村山医療センター・東京小児療育病院・村山特別支援学校・国立感染症研究所・雷塚公園・雷塚小学校・市民総合センター

 

25 東京陸軍航空学校(東京陸軍少年飛行兵学校)

  沿革-1938(昭和13)年熊谷から移転
  内容-陸軍少年飛行兵の基礎教育
  所在地-武蔵村山市
  現在跡地に所在する主な施設-大南公園・菖蒲園・湖南衛生組合・第七小学校・第四中学校

 

26 日立航空機立川工場

  沿革-1938(昭和13)年東京瓦斯電気工業立川工場→1939(昭和14)年日立航空機工場
  内容-陸軍航空機エンジン製作
  所在地-東大和市
  現在跡地に所在する主な施設-東大和南公園・東大和南高校・都立東大和療育センター・北多摩看護専門学校・東大和市民体育館・市民プール

 

27 陸軍獣医資材廠

  沿革-1938(昭和13)年世田谷から移転
  内容-軍馬の管理
  所在地-立川市・国立市
  現在跡地に所在する主な施設-陸上自衛隊東立川駐屯地・立川第二中学校・北多摩高校
 

28 陸軍立川飛行場

  沿革-1922(大正11)年設置、陸軍航空第5大隊を岐阜県各務ヶ原から立川に移転→1924(大正13)年陸軍飛行第5連隊→1929(昭和4)年民間航空機航路導入→1933(昭和8)年陸軍機専用になる
  内容-陸軍機の飛行場
  所在地-立川市・昭島市
  現在跡地に所在する主な施設-陸上自衛隊立川駐屯地・警視庁多摩総合庁舎・自治大学校・立川警察署・立川防災合同庁舎・立川消防署・立川市役所・多摩モノレール基地・国文学研究資料館・南極北極科学館・国立国語研究所

 

29 立川飛行機立川工場

  沿革-1930(昭和5)年石川島飛行機製作所
  内容-陸軍機の製造
  所在地-立川市
  現在跡地に所在する主な施設-新立川航空機

 

30 立川飛行機砂川工場

  沿革-1930(昭和15)年石川島飛行機製作所
  内容-陸軍機の製造
  所在地-立川市
  現在跡地に所在する主な施設-立飛企業立川製造所・砂川高校・立川第六中学校・タチヒゴルフ練習所・新立川航空機・横河エンジニアリングサービス
 

31 東京第二陸軍共済病院

  沿革-1944(昭和19)年設置
  内容-陸軍の病院、地域病院としても機能
  所在地-立川市
  現在跡地に所在する主な施設-立川病院

 

32 陸軍航空技術学校

  沿革-1935(昭和10)年設置
  内容-少年航空兵・少年飛行兵の教育、総合教育
  所在地-立川市
  現在跡地に所在する主な施設-緑町公園・立川市中央図書館・パークアベニュー・高島屋立川店・シネマツー
 

33 立川陸軍病院

  沿革-1922(大正11)年陸軍航空部隊付属医療機関創設→1923(大正12)年立川陸軍病院
  内容-陸軍の病院、地域病院として機能
  所在地-立川市
  現在跡地に所在する主な施設-災害医療センター

 

34 陸軍航空技術研究所

  沿革-1928(昭和3)年所沢より移転
  内容-陸軍機の研究開発
  所在地-立川市・昭島市
  現在跡地に所在する主な施設-国営昭和記念公園(北側)

 

35 陸軍航空廠立川支廠

  沿革-1935(昭和10)年設置
  内容-燃料・弾薬の補給、整備・修理
  所在地-立川市・昭島市
  現在跡地に所在する主な施設-国営昭和記念公園(南側)
 

36 陸軍航空工廠

  沿革-1940(昭和15)年設置
  内容-飛行機の設計・製造する工場
  所在地-昭島市
  現在跡地に所在する主な施設-関東財務局所有地(築地町・福島町)

 

37 昭和飛行機東京製作所

  沿革-1937(昭和12)年設置
  内容-零式輸送機(DC-3)・艦上爆撃機を生産
  所在地-昭島市
  現在跡地に所在する主な施設-昭和飛行機工場・東京システム運輸物流センター・昭和の森ゴルフコース・昭和の森スポーツセンター・上水公園・拝島第二小学校・三井造船工場・三井造船研究所・つつじが丘北小学校・瑞雲中学校・つつじが丘公園・つつじが丘南小学校・昭島市民会館・市民会館公園

 

38 陸軍航空整備学校

  沿革-1943(昭和18)年設置
  内容-将校への整備教育
  所在地-福生市
  現在跡地に所在する主な施設-横田基地

 

39 陸軍多摩飛行場

  沿革-1940(昭和15)年設置
  内容-陸軍立川飛行場の付属飛行場
  所在地-福生市
  現在跡地に所在する主な施設-横田基地

 

40 陸軍航空審査部

  沿革-1940(昭和15)年設置
  内容-航空機関係機器のテスト
  所在地-福生市
  現在跡地に所在する主な施設-横田基地

 

 

 

 これまで参照した資料に、「北多摩地域を中心とする軍事関係工場」の記述内容を加えることで、昭和10年代における多摩武蔵野地域への軍事・軍需関連施設(「軍」と「産」の施設である)の集中の実態の理解が、より深まったたものと思う。一方で、資料間の記述には異同があることも確かであり、解明すべき課題が残されている。

 ちなみに『国分寺市の今昔』の裏表紙見返しには、昭和22(1947)年撮影の「国分寺町周辺航空写真」(国土地理院提供)と、それに鉄道路線名、道路名、施設名等の注記を加えたものが並べて掲載されており(現在の国分寺市、国立市、小金井市、府中市、小平市南部を含む)、当時の土地利用状況を「目の当り」にすることが出来る。優れた試みだと思う。

 

 

 

【註:1】
 参照→ http://library.kodaira.ed.jp/local/tkk/tkk10/tkk10_09.html
 児童向けの解説ではあるが、小平市周辺(にとどまらず西多摩地域・南多摩地域の一部も含む)軍事施設・軍需工場が地図上に示されているので参考になる(ただし、跡地利用状況はマップ作成当時とは変化しているので注意が必要である―たとえば、陸軍経理学校の跡地利用施設の中に「シルバー精工」が示されているが、現在では売却後の跡地に大規模集合住宅としての「グランスクエア一橋学園」の建物群が立ち並んでいる)。

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(オリジナルは、投稿日時 : 2018/02/20 15:18 → https://www.freeml.com/bl/316274/317153/

 

 

 

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