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2017年6月29日 (木)

軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (2)

 

 昭和10年代の多摩(武蔵野)地域が軍産複合地帯化していたことについて、前回は星野朗氏の論考により、地域内の工場群の様相―地域内に軍需工場が集中している実態―についての概観を得るところまで進んだ(「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (1)」)。すなわち「軍産複合」の中での「産」の展開状況である。星野氏は、地域を4つのグループにわけ、

 

  ① 武蔵野・三鷹・田無・保谷を中心に、中島飛行機株式会社を核に、航空機用発動機を組立生産した地域、また横河電機や日本無線など電気や通信機器の組立生産を主とした地域で、部品・下請企業は近隣地域から大森・蒲田・品川など遠く京浜地域にひろがる。
  ② 小平・国分寺・小金井・調布・狛江にわたる地域で、①の地域の南と西に隣接する地域。①あるいは他と重なりあうが、東京重機工業や中央工業南部銃製作所など造兵廠と結ぶほか、多くの民間企業が多様な兵器を生産した地域。軍事施設も多い地域。
  ③ 立川・大和・昭和・拝島を中心に、立川の陸軍飛行場と航空廠を中心に、陸軍用航空機組立の立川飛行機株式会社と発動機生産の日立航空機株式会社を中心とする地域と、海軍機用航空機組立の昭和飛行機株式会社との二つの航空機生産地域がある地域。
  ④ 府中・日野・町田・稲城など多摩川に沿い、また多摩丘陵にかかる地域で、軍用車輛・戦車・砲弾や火薬などが目立つ製品となり、日本製鋼・東京芝浦電機・日野自動車など民間企業が板橋や相模など陸軍造兵廠とかかわりをもち生産を続けた地域。
     星野朗 「昭和初期における多摩地域の工業化」(『駿台史学』 第105号 1998 122~124ページ

 

このように、「4つの地域間には境界線を引くことは困難で、区分は考察への一つの目安である」との留保を付けた上で、各地域の特徴を明らかにしている。

 

 

 今回は、軍産複合地域を成立させる上でもう一つの重要な要素となる、軍事施設(軍の飛行場、工廠、補給廠、研究施設、教育施設、軍病院等)が実際にどのように地域内に配置されていたのかについて、すなわち「軍産複合」の中での「軍」の展開状況について、星野論文の付表等を参考としながら確かめておきたい。

 

 

 まず、①の武蔵野・三鷹・田無・保谷地域について言えば、「中島飛行機株式会社を核に、航空機用発動機を組立生産した地域、また横河電機や日本無線など電気や通信機器の組立生産を主とした地域」と要約されている通りで、軍の施設としては、田無・保谷(現在の西東京市)に陸軍兵器本廠田無教育隊が設置(1938年)されたのが目につくくらいである。

 

 次に、②の小平・国分寺・小金井・調布・狛江地域についてだが、「軍事施設も多い地域」とある通りで、年代別に整理すると、

 

 1938(昭和13)年

  調布飛行場用地買収開始(調布)

 1940(昭和15)年

  傷痍軍人武蔵療養所(小平)

  陸軍少年通信兵学校(東村山)

 1941(昭和16)年

  陸軍技術研究所(小平・小金井)

  調布飛行場竣工(調布)

 1942(昭和17)年

  陸軍経理学校・練兵場(小平)

  陸軍技術研究所(小平・小金井)

  陸軍兵器補給廠小平分廠(小平)

 

このように、現在の小平市内に特に各種の軍事施設が集中している状況が明らかになる。ちなみに、地域内の軍需産業としては、国分寺の中央工業南部銃製作所、調布の東京重機工業が共に銃砲の生産を担っていた。

 

 続いて、③の立川・大和・昭和・拝島地域だが、まず中心となるのは「立川の陸軍飛行場と航空廠」といった軍事施設であり、それらの立地の上に「陸軍用航空機組立の立川飛行機株式会社と発動機生産の日立航空機株式会社を中心とする地域と、海軍機用航空機組立の昭和飛行機株式会社との二つの航空機生産地域」となっている。軍事施設について、こちらも年代別に整理しておくと、

 

 1922(大正11)年

  立川飛行場完成―当初は陸軍と民間の共用飛行場(立川)

 1928(昭和3)年

  陸軍航空本部技術部(所沢より立川に移転)

 1933(昭和8)年

  陸軍航空本部補給部(所沢より立川に移転)

 1935(昭和10)年

  陸軍航空本部技術部は航空技術研究所へ改組

  陸軍航空本部補給部は航空廠へ改組

 1938(昭和13)年

  陸軍航空輸送部立川支部(立川)

  陸軍気象部立川観測所(立川)

 1939(昭和14)年

  陸軍航空技術学校(所沢より立川に移転)

 1940(昭和15)年

  陸軍航空工廠(昭島)

  陸軍多摩飛行場開設(福生)

  陸軍航空審査部(福生)

 1941(昭和16)年

  陸軍資材本廠(立川)

  立川飛行場拡張(砂川)

  陸軍多摩飛行場少年飛行兵学校(福生)

 

小平の軍事施設が多様であるのに比べ、航空関係の軍事施設が圧倒的に多く、その周囲を航空機生産各社の工場が取り巻いていることがわかる。

 

 最後に、④の府中・日野・町田・稲城など多摩川に沿い、また多摩丘陵にかかる地域だが、こちらも軍事施設について年代別に整理しておくと、

 

 1937(昭和12)年

  陸軍燃料廠(府中)

 1938(昭和13)年

  陸軍火工廠(稲城)

  陸軍兵器学校(相模原)

  東京工廠相模兵器製作所(相模原)

 1939(昭和14)年

  陸軍火工廠が造兵廠多摩火薬製造所に

  陸軍第九技術研究所(登戸)

 1940(昭和15)年

  東京工廠相模兵器製作所が相模陸軍造兵廠に

 1943(昭和18)年

  通称「戦車道路」開通(町田)

  多摩火薬製造所拡張

 

地域内で「軍用車輛・戦車・砲弾や火薬などが目立つ製品」となっているのは、これらの軍事施設(「軍」)と軍需工場(「産」)が連動しての話と言えよう。

 ①の武蔵野・三鷹・田無・保谷地域、②の小平・国分寺・小金井・調布・狛江地域及び③の立川・大和・昭和・拝島地域が、武蔵野台地上の平坦な地形を特徴とするのに対し、④の府中・日野・町田・稲城(特に日野・町田・相模原)は多摩丘陵にかかる地域であり、必ずしも平坦な地形ではないが、人家が少ない丘陵地は秘密保持(日野の小西六写真工業)の必要や危険な火薬の製造・貯蔵(陸軍火工廠・造兵廠多摩火薬製造所)にはむしろ適地でもあった。「軍」と「産」の「立地」の問題として整理すれば、武蔵野台地の平坦な地形はもちろんのこと、多摩の丘陵地の地形的特徴も積極的に利用され、それぞれに様々な軍需品生産拠点選定に際しての自然的基盤となっていたことになる。

 

 

 

 このように整理してみることで、昭和10年代の多摩地域が、陸軍の飛行場、陸海軍の航空機製造拠点、戦車・軍用車輛等の陸上兵器製造拠点、両者に関係する通信機製造拠点及び銃器製造拠点、燃料貯蔵・供給施設と火薬製造・貯蔵拠点、そして各種軍事教育機関、研究機関、傷痍軍人病院といった軍事施設群(すなわち「軍」の施設である)及び軍需工場群(すなわち「産」の施設である)によって構成された、まさに軍産複合地帯と呼ばれるにふさわしい地域であったことが再確認されるであろう。

 

 

 

     (「軍産複合地域としての昭和十年代多摩 (3)」に続く)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2017/06/29 18:47 → http://www.freeml.com/bl/316274/307652/

 

 

 

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