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2016年12月31日 (土)

フォードの爆撃機、あるいはロージーのリベレーター

 

 いわゆる「先の大戦」で日本は米国に戦いを挑み、そして敗れた(日本にとっては「大東亜戦争」、すなわちアジアでの戦争であったが、米国にとっては「第二次世界大戦」であり、アジアとヨーロッパの二正面での、まさに世界戦争であった)。ヨーロッパとアジアの二正面の戦争での米国の圧倒的な勝利を支えた米国の国力、その圧倒的な生産力については、これまでにも当時の映像を通して考えてきた。

 クライスラー社の広報用フィルム(『Assembly Lines Of Defense』)に記録されていたのは、(米国参戦前の)準戦時体制の下で、民間の自動車メーカーが大規模な戦車工場を設計し建造すると同時に戦車の設計を進行させ製造ラインを構築し、実際に製造ラインを稼働させることで戦車の大量生産を実現してしまう姿であった(「クライスラーの戦車」)。

 ボーイング社設計の新鋭四発重爆撃機B-29の生産を担当した航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の広報用フィルム(『B-29s Over Dixie』)には、B-29生産のために新たに建設したマリエッタ工場での、人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細に加え、工場の福利厚生の充実ぶりまでが記録されていた(「B-29 (物量としての米国の生産力)」)。

 

 

 

 今回は、コンソリ―デッド社の設計による四発重爆撃機B-24リベレーターの生産を請け負った自動車メーカー、フォード社の広報用フィルムを通して、四発重爆撃機の製造に際して自動車並みの大量生産を成し遂げてしまった米国の自動車メーカーの底力と、フォード社のウィローラン工場の生産力を支えた女性労働者の存在に焦点を当ててみたい。

 

 

 B-24の生産に際して、フォード社の果たした役割については、まず牧英雄氏の論考を読むことで、その驚異的生産力の概略を把握しておこう。

 

  各社が揃って生産に入ったB-24D系列(E/C型を含む)の機体を見ると、コ社(=コンソリ―デッド社:引用者註)のサンディエゴ工場が1942年1月、フォートワース工場が5月、ダグラスのタルサ工場が1942年8月、フォードのウィローラン工場が9月、最後に少し遅れて翌42(ママ)年4月にノースアメリカンのダラス工場が、それぞれ最初の機体を送り出している。
  このうち、注目すべきはフォード社であった。優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった。ジェネラル・モーターズなどは、各工場をイースタン部門として統合、ついには自ら開発を行なうまでになった。
  フォード社も、ミシガン州ウィローランに急遽工場を新設、製作図面を量産向けに書き直したうえ、生産設備も自動車並みに変更して大量生産に入った。
  当初は部品のみを月産100機分の予定であったが、計画を大幅に拡大、機体200機、部品150機分を月産、半ば以降はB-24生産の中心的存在となった。
  最高精密機械の航空機といえども、充分マスプロが可能なことを知らしめたのである。
  こうしたことから、最初XB-24の開発に$2.880.000、YB-24では$360.000もした価格は、1941年には平均$269.805、42年末には$137.000にまでなった。これはP-38(一人乗りの双発戦闘機である:引用者註)よりわずか1万ドル高いだけであった。 
  最大の生産がなされたB-24だが、やはり他の機体同様終戦によりPB4Y(海軍で使用されたタイプ:引用者註)と合わせ5.700機ほどがキャンセルされており、1945年5月31日に最後の機体(YB-24Nとされる)がウィローラン工場をロールアウト、10月にはプライバティア(海軍用の単尾翼タイプの機体:引用者註)の最終機も完成し、その生産は完全に幕を閉じた。
     (牧英雄 「B-24 技術的解剖と開発、各型」 『世界の傑作機No.24 B-24リベレーター』 文林堂 1995  12ページ)

 

 

 B-24の全生産機数は最終的に18000機を超える(B-24の主戦場となったのは北アフリカ及び地中海方面を含むヨーロッパ戦域だが、日本本土空襲の主力とはならなかったとはいえ、アジア太平洋戦域に展開する日本軍へはダメージを与えているのも事実である)のだが、その半数に近い8685機をフォード社が生産しているのである。B-24を開発した航空機メーカーであるコンソリーデッド社の二つの工場に加え、やはり航空機メーカーであるダグラス社とノースアメリカン社の生産機数の合計(これが航空機専業メーカの実績、ということだ)に匹敵する生産量を、自動車メーカーであるフォード社一社で達成しているのだ。

 ちなみに、日本は四発重爆撃機を開発・保有し得るだけの国力を持たなかったし、双発爆撃機の生産機数だけで比較しても日本の双発爆撃機(陸海軍機合計して)の全生産機数は9558機に過ぎず、それに対して米国は双発爆撃機5機種を保有するだけでなく、その中のB-25一機種だけで9793機と日本の全双発爆撃機生産数を凌駕していたのが、日米の生産力に関する事実である。

 四発重爆撃機であるB-24は、その双発のB-25の二倍近い生産機数であり、その半数、すなわち日本の全双発爆撃機の生産機数に匹敵する機数のB-24をフォード社一社で生産してしまっていたことになる。

 近代戦争における「物量」の問題については、圧倒的な(軍需品)生産力=供給量における絶対的優位を意味することはもちろんだが、牧氏の論考にあるように生産コストの視点も重要である。フォード社は流れ作業の導入による自動車の大量生産に成功し(=生産コストの低減)、高価であった自動車の低価格化を成し遂げ、自動車を大衆のものとした。その大量生産システムを航空機、それも軍事的に大量な供給が必要とされた重爆撃機に応用し、単に問題の量的側面を解決しただけでなく、国費の消尽としての戦争において、コストの大幅な削減にも成功していたということなのである。近代総力戦がマネジメント能力の戦争でもあったことを思い知らされるエピソードであろう(註:1)。

 

 

 そのフォード社が1943年に制作したのが、『Women on the Warpath』である。10分ほどの広報用フィルムだが、全編がカラーであるところにも、当時の日本と隔絶した米国の国力を見ることが出来るだろう(既に「昭和11年のシンデレラ(シボレーのシンデレラ)」でも示したように、自社のコマーシャルフィルムをカラーで制作してしまうのが米国の自動車メーカーの戦前以来の実力なのであった)。

 

 

Ford Willow Run Plant in World War II: "Women on the Warpath" 1943 Ford (B-24 Liberator Mfg)
     https://www.youtube.com/watch?v=Y0P6UiKPrlI 

 

 

 タイトルに『Women on the Warpath』(戦いに臨む女たち)とあるように、中心に描かれるのは女性たちの姿である。

 映像はウィローラン工場の紹介から始まるが、そこでは一時間当たり一機のB-24の生産が期待されていることが説明されると同時に、男性だけではそれが達成困難であることも語られる。加えて、既に陸海軍の婦人部隊(WAC及びWAVES)で活躍する女性たちの姿、そしてガソリンスタンドで働く女性の姿が示される一方で、まだウィンドーショッピングやゴルフに時間を費やす女性、そして家庭内で家事にいそしむ女性の姿が映し出される。彼女たちに向けて、軍需工場での労働への参加が呼びかけられるのである。

 続いて、その呼びかけに応えた女性たちの姿が映し出されるのであるが、彼女らの通勤の手段は既に自家用車なのである(それが当然のこととして描かれている)。

 洗濯物を干しながら上空のB-24を見上げていた主婦が、B-24を生産する工場の労働者となる。様々な工程が既に女性労働者によって置換されていることが示され、(その前提となる)充実した職業訓練・教育の模様が映し出される。そして当時のヒット曲『Rosie, The Riveter』(ロージー・ザ・リベッター、「リベット打ちのロージー」とでも訳すか?)のメロディーを背景に、まさにリベット打ちの作業に携わる女性労働者たちの姿が続く。

 キャンパスの女子学生も工場でのリベット打ちへと転身する(リベット打ち機の音は、文化的で民主的な生活を守る機関銃の発射音に擬せられる―リベット打ち機の連続音は『Rosie, The Riveter』の歌詞にも反映されている)。

 工場のすべての部品製造が女性労働に担われていることが強調され(プレキシガラスの成型シーンは『B-29s Over Dixie』にも登場していた―実際、見ていて面白い)、ブルーの作業服にバンダナ姿の女性労働者の姿は、ノーマン・ロックウェルの描くところの『Rosie, The Riveter』に重ねてイメージされる。

 工場の食堂や付属職業訓練校の図書室の映像は、ベル社のマリエッタ工場の福利厚生面での充実ぶりを思い出させる。

 製造ラインと組み立てラインは女性たちに支えられており、彼女たちは既に戦場の男たちの帰りを待つだけでの存在はないのだ。

 完成したオリーブドラブ塗装仕様のB-24Eは、工場に付設されたウィローラン飛行場へと移され、国民の希望と敵の恐怖の象徴として、自由な空を愛国的メロディーの合唱に伴われながら星条旗を背景に飛行し、盛り上がったところでエンドマークとなる。

 

 

 ただし『Wikipedia』(英語版)の「Willow Run」の項目等を読むと、ヘンリー・フォード自身は、当初は工場労働者としての女性の雇用には否定的であったし、工場の完成から本格的稼働(一時間に一機の生産達成)までには時間を要しているのが実情のようである(実際、ウィローラン工場については、当初はヘンリーの息子のエドセルがフォード社長としてB-24生産体制確立への指揮を執っていたが、1943年に胃癌で死去している―ウィローラン工場問題のストレスのためと言われている)。

 自家用車による通勤にしてもデトロイトからは一時間を要し、ガソリン供給に制限のあった時期の労働者にとっては決して利便な勤務地ではなく、しかも工場近郊での住宅供給は遅れ、労働者の定着率の低さに悩まされていたのが工場稼働の初期段階(労働者のストライキさえあったという)の現実でもあったらしい。

 しかし、最終的には一時間に一機のペースでの製造には成功し、最盛期には月産650機を記録するところまで到達している。

 

 いずれにせよ、ヘンリー・フォードが工場労働者としての女性の雇用に否定的であろうが、多くの男性が兵士として前線へと送られる状況の中では女性の積極的雇用にしか選択の余地はない。それが「近代総力戦」の現実であった。そして、実際に多くの女性が、それまで「男の仕事」とされていた職務を男性に遜色なくこなしたのであった。

 

 

 

 せっかくの機会なので、あらためて『Rosie, The Riveter』がどんな曲であるのかを確かめておこう。

 

 

Rosie, The Riveter ~ Allen Miller & His Orchestra (1943)
     https://www.youtube.com/watch?v=XJxe3vQRMuY

 

 レッド・エヴァンスとジョン・ジャコブ・ローブによる1942年の曲で、様々なレコーディングが残されているらしい。

 

 歌詞は、

 All the day long, whether
 rain or shine
 She's a part of the
 assembly line
 She's making history,
 working for victory--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Keeps a sharp lookout
 for sabotage
 Sitting up there on
 the fuselage.
 That little frail can do more
 than a male can do--
 Rosie, brrrrrr, the riveter.

 Rosie's got a
 boyfriend, Charlie.

 Charlie, he's a
 Marine.

 Rosie is protecting
 Charlie, workin'
 overtime on the
 riveting machine.

 When they gave her
 a production "E,"
 she was as proud
 as a girl could be!

 There's something
 true about--red,
 white, and blue
 about--Rosie,
 brrrr, the riveter.

 

 リフレインされる「Rosie, brrrrrr, the riveter.」、この「brrrrrr」の部分がリベット打ち機の作動音(擬音)として非常に効果的に用いられているのが録音を通して伝わるだろう。「Rosie is protecting Charlie, workin' overtime on the riveting machine.」とはつまり、戦場の恋人チャーリーを守るのが、雨にも負けず風にも負けずに一日中(All the day long, whether rain or shine)工場で生産に励むロージーのリベッティングマシーンだというレトリックである(戦場の男は、工場の女に守られる存在だ!というのである)。

 

 

 図像的には、1942年にJ・ハワード・ミラーによってウェスティングハウス社のためにデザインされたポスター(ミラーがウェスティングハウス社のためのポスターシリーズのデザイン契約をしたのが1942年で、当該のポスターは1943年2月にウェスティングハウスの工場内に掲示されたものである:2017/01/26追記)と、1943年に「サタデー・イブニング・ポスト」誌の表紙としてノーマン・ロックウェルが描いたものが、リベット打ち(リベット工)ロージーの視覚的イメージを代表するものとなっている(註:2)。

 動画で歌の背景に用いられている当時の女性労働者の画像も興味深いし、『Women on the Warpath』に実際に登場するブルーの作業服にバンダナの女性の被写体としての選択にも、ミラーやロックウェルのイメージが反映されているように感じられる。

 

 

 "We Can Do It!" by J. Howard Miller
 (https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:We_Can_Do_It!.jpg

 

 Norman Rockwell's Saturday Evening Post cover
 https://en.wikipedia.org/wiki/Rosie_the_Riveter#/media/File:RosieTheRiveter.jpg 

 

 

 ミラーとロックウェルは、若い女性の姿としてロージーを描いているように見えるが、先の『Women on the Warpath』では家庭内の主婦(ミセス)もまたロージーとなり得ることが示唆されている(むしろ主婦に対し、家庭内から外へ出て働くことが積極的に推奨されている)。

 夫は戦場にあり、(夫に対しての)家事労働の必要は減少していたにせよ、主婦の守るべき家庭には子どもという存在がある。育児の問題を解決せずして、子育ての渦中にある女性の工場労働者としての身分は不安定なままである。保育所の確保は、当時の米国女性(そして行政)にとっても課題であったが、保育への公的支援の枠組みが一般的なものとして構築される前に戦争は終わってしまった(たとえば松本園子「第二次世界大戦期アメリカ合衆国における保育問題」2005 が参考になる→ http://ci.nii.ac.jp/naid/110004475970)。公的な保育所の整備の必要は女性労働者の確保(要するに「戦時動員」である)の上でも切実なものであったが、社会が戦時から平和へと移行するに伴い、行政上の関心は失われてしまったのである(註:3)。

 戦時の産物が戦後に一般的になったものとして、インスタント食品の普及が指摘されるが、女性が外で働く上で、インスタント食品の果たした役割も無視し得ない(柏木博 『家事の政治学』 青土社 1995)。インスタント食品は軍の糧食としても役立ったが、家庭の外で働くことを選んだ女性たちの支えにもなったのである。

 

 

 

 最後に再びフォード社の広報用フィルムを見ておこう。『STORY OF WILLOW RUN』は、戦前のまだ田園地帯であったウィローラン地域の映像から始まる。

 そこにフォード社は、世界最大規模の爆撃機生産工場を建設し、工場のための飛行場まで自身の手で開設してしまうのである。

 

 

" STORY OF WILLOW RUN "
Save the Willow Run Bomber Plant landmark - Amazing Local History in WW II effort

     https://www.youtube.com/watch?v=77_6MExOp8g&t=22s  

 

 

 映像はヤンキー航空博物館(Yankee Air Museum)の提供によるもの(ただしモノクロの不鮮明な映像なのが残念)のようだが、この航空博物館こそは、かつてのウィローランの記憶を伝えるために、現在のウィローランで設立・運営されているものなのである。

 戦前、1930年代のウィローランは、ヘンリー・フォードの農場であった。フォードは青年教育の場として農場を位置付け、都市部の青少年の体験の場としたのである(都会っ子が田園生活と農場労働を体験し、自立心を涵養し、やがては良き労働者となる)。

 1930年代にはナチスが台頭し、1939年にはヨーロッパでの戦争が現実化する。米国でも、四発重爆撃機の開発・配備が課題として意識されるようになる。B-24も、その中でコンソリ―デッド社によって生み出された機体である。そして牧英雄氏の論考にあるように、「優秀な特定の機体を、直接航空機と関係のない企業を含むいくつかのメーカーで生産する体制は、当時アメリカで広く行われたことであるが、とくに威力を発揮したのが自動車メーカーで、その生産能力において航空機メーカーの比ではなかった」という状況の下で、ウィローランのフォード農場は、四発重爆撃機製造工場と付設飛行場として再出発することになる。

 映像で強調されるのは、大量生産を得意とする自動車メーカーによる、一時間に一機という生産ペースへの期待と達成である(航空機専業メーカーでは一日に一機がやっとなのが実情であった)。

 まずは大規模プラントの建設である。設計を担当したのは、クライスラー社の戦車工場(デトロイト工廠)の設計者でもあったアルバート・カーンであった(1942年に死去したカーンの最後の作品と言われる)。

 併設された飛行場へ着陸するB-24の姿に続くのは、広い駐機場にずらりと並ぶ重爆撃機の威容であり、そこに見出されるのは米国の国力であり、フォードの生産力である。

 このフィルムにも自家用車で通勤する労働者の姿が記録され、続いて行き届いた職業教育訓練の模様が映し出される。

 部品の製造から組み立て完成まで、そのすべてが工場内で果たされる。大規模な、そして精密な工作機械が製品―すなわち四発重爆撃機―の完成度を保証するのだ(精度の確保は工業生産品としての互換性の確保を意味する)。大量の訓練された労働者が、その生産を可能にする(トヨタ的には、労働者の動きは緩慢に見えるだろうが)。映像の9分付近ではリベット製造工程が記録されているのも興味深い。

 やがて生産現場での女性労働者の存在が明確に描かれるが、そのすべてが白人であるところが、ベル社のマリエッタ工場の記録フィルムとは大きく異なる点ではある。

 そして自動車メーカーとしての大量生産の経験と爆撃機製造ラインでの高い生産能力の連続性が語られる。組み立てラインでは、機体はまず6区画に分割製造され、それが一体化される。

 技術を要求される溶接工もリベット打ちも女性がこなし、ここでもプレキシガラスの成型シーンが登場する(効率的ではあるが手作業に依存していることもわかる―つまり訓練が必要な労働ということでもある)。

 組み立て工程でも自動車大量生産の経験が反映されていることが繰り返し強調される。

 外翼部と中央部の接合に際して活躍するのは、小人の男性である(差別の対象ともなる身体特徴が利点となる)。この映像には、正直なところ驚かされた。

 最終的に分割製造された機体を組み上げる工程が描かれるわけだが、その背景となっている工場の規模の巨大さ(組み上げのために機体各区画の効率的移動を保証するのは工場の天井高の余裕である)にも気付いておきたい。

 工場建屋内に列をなす完成されたB-24を背景にナレーションが誇らしげに語るのは、ウィローラン工場開設の1941年当時には不可能と見做されていた毎時一機の重爆撃機生産を、実際に達成してしまったフォード社の「ミラクル」な能力である。

 完成したB-24は工場内から飛行場へと移され、作動テストが始められる。機銃の試射が行なわれ、模擬爆弾が搭載された爆撃機にはクルーが乗り組み、飛行試験が行われ、模擬爆弾の投下も含め様々な機器がチェックされる。

 無塗装のB-24が、まさに銀翼を輝かせ飛行する姿は印象的である(註:4)。

 

 

 

 フォード社の桁違いな航空機生産能力を見せつける(ための?)フィルムだと思うが、もちろん、フォード社の本業は自動車の大量生産であり、フォード社は大量の車両も供給している。戦時期を代表する軍用車両であるジープについてだけ見ても、総数64万台のうちフォード社は27万8千台近くを生産・供給しているのである(残りの36万台はウィリス社が生産)。米国の二正面での戦争の勝利は、このような民間企業の生産力に支えられていたことを、この機会に再確認しておきたい。

 

 

 

【註:1】
 戦時期に陸軍の統計管理局でそのマネジメント能力を発揮したハーバード・ビジネススクール出身者の一人であるロバート・マクナマラは、戦後にフォード社の一員となり、最終的にはフォード社の社長の地位を得る。更にケネディー政権の国防長官に就任するが、マクナマラを中心とした「ベスト・アンド・ブライテスト」は、そのマネジメント能力をフルに発揮することによって、米国をベトナム戦争の泥沼へと導くこととなった。

【註:2】
 ロックウェルのロージーは当時を代表する雑誌の表紙絵として、確かに戦時期米国の女性労働者のイメージ形成に影響力を持ったであろうが、ミラーのポスターはウェスティングハウスの社内用で当時から知名度が高かったわけではないし、そもそもリベット工の女性を描いたものではなかった(1980年代のフェミニズム運動の中で図像が「再発見」され、現在では非常に影響力ある視覚イメージとして流通しているが)。

 現在ではモデルも特定されている。
  J・ハワード・ミラーの「We Can Do It!」のモデルのナオミ・パーカー
   → http://www.naomiparkerfraley.com/we_can__do_it1pose.jpg
    (→ http://www.naomiparkerfraley.com/
  ノーマン・ロックウェルの「Rosie, The Riveter」のモデルのマリー・ドイル
   → http://www.trbimg.com/img-55381803/turbine/os-mary-doyle-keefe-20150422
    (→ http://www.huffingtonpost.com/2015/04/23/rosie-the-riveter-dead_n_7126782.html
  米国の国民的アイコンとして、様々なパロディーの供給源ともなっている。
   → http://www.shoptv.com/imgcache/product/resized/000/981/134/catl/donald-trump-rosie-the-riveter-2016-build-a-wall-t-shirt-945_1500.jpg?k=32094d60&pid=981134&s=catl&sn=shoptv

【註:3】
 『MANPOWER』と題された1943年の米国政府の公式フィルム(戦争情報局制作)には、保育の問題も取り上げられている(https://www.youtube.com/watch?v=eKrHfTGWxQ4)。このフィルムでは、恐慌以来の失業者、(これまで多くの職業から閉め出されていた)有色人種、女性、そして障害者が戦時下での新たな労働者として取り扱われており、それはまさにB-29の生産を担当した航空機メーカーであるベル・エアクラフト社の広報用フィルム、『B-29s Over Dixie』に登場する人々と共通する。
 松本園子氏の論文にも、戦時期になって保育所の入所申込用紙の「申込み理由」欄に「共働き(both working)」の項目が新設されたことが記されているが、フィルム中でも軍需産業での「共働き」と「保育の保障」の密接な関係が描かれている(しかも性別による区別のない同一労働同一賃金の原則が強調されている点も見逃せない)。戦時動員のプロパガンダの主体としての戦争情報局(Office of War Information)の認識が反映されてのこと―保育施設設置は「ランハム法」に基づき連邦職業庁(Federal Works Agency)が管轄した―であろうが、連邦社会保障庁(Federal Security Agency)児童局が保育所拡充に消極的であったこと(一枚岩の体制とはなっていなかったこと)も松本氏の論文には記されている。保育所の問題については、連邦としての(つまり「国策」としての)一枚岩の戦時体制が構築される前に戦争は終結したということのようである。

【註:4】
 『Women on the Warpath』の時点、すなわち1943年の生産機種であるB-24Eはオリーブドラブに塗られていたが、『STORY OF WILLOW RUN』に登場するのは無塗装の機体である。
 無塗装が採用されたのはB-24H-10-FO以降だとされるが、機体の形状からはB-24J及びMとの判別は難しい。
 『Women on the Warpath』に登場するB-24Eには1942年5月から1943年6月まで用いられた国籍マークが記され、『STORY OF WILLOW RUN』に登場する機体に記されているのは1943年9月以降に用いられたものだと思われる(http://www.bowersflybaby.com/stories/army_paint.html)。
 ちなみに、『Women on the Warpath』については1943年のフィルムとされているが、『STORY OF WILLOW RUN』については明確ではない。
 この『STORY OF WILLOW RUN』のナレーションでは、フォード社の総生産機数を「8685」と明言しており、(撮影時期はともかくとして)生産の終了した1945年6月以降の編集である可能性はある。一方でこれからも繰り返し出撃することが語られていることからすれば、戦争終結以前に編集されたフィルムであることも言えそうである。

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/12/31 11:39 → http://www.freeml.com/bl/316274/292629/

 

 

 

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