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2016年11月 5日 (土)

『シン・ゴジラ』(2016)をついに観た

 

 タイトル通りの話で、11月3日に立川の映画館の「極上爆音上映」企画の上映を観たのであった。

 

 永田町、霞が関方面壊滅後の政府対策拠点となるのが、まさに立川ということで、後半のシーンではどこか臨場感のようなものが感じられたりもするのであった。

 

 

 以下、レビューというよりネタバレ前提の感想文程度の内容となってしまうだろうが、ま、とりあえずのメモ記事である。

 

 

 

 パートナーはなんとこれで4回目の上映館通いという具合(娘も少なくとも2回以上)で、家庭内の会話、ネットで眼に入ってしまう情報等から、映画の全体構成を事前に知ってしまうという理不尽な状況の中での『シン・ゴジラ』だったので、で、事前に知ってしまった通りにストーリー展開するような状況でもあって、初めて見るのに既視感に伴われるという、純粋に映画を楽しむためにはマイナス条件の中での感想文となってしまうわけだ。

 

 

 で、既に観てしまった人向けの内容として、詳しいストーリーの説明はせずに、感じたことを書き連ねておく。

 

 

 で、噂通り、映画のかなりのシーンが、政府の対策会議での政府関係者間のやり取りに費やされている。

 日本の行政システムは法令順守を基本に組み上げられているから、原因のよくわからない災害(最初は海底トンネルの崩落)対策のための対応にしても、そのために新たな組織が必要がどうか等々の検討が必要となるし、新たな組織の立ち上げには閣議決定が必要となるし、閣議決定や省令や通達で可能な対応範囲を超えれば新たな立法措置も必要となる。そのために政府閣僚を含む政治家側の関係者(決定を下す人々)と、実際に行政組織を運営する官僚(決定を実行する人々)の意思疎通が重要であり、しかも状況は時々刻々変化していくのだ。

 その都度の決定権者が誰であり、どの部局が対応に当るのかもまた、その都度の様々なレベルの会議で、法令に定められた通りに決められなければならない。

 ゴジラの登場は、そんな日本の政治行政システムを揺さぶり続けるわけであり、その間のあたふたぶりが笑いを誘うのであった。映画ではまったく描かれていなかったが、「特別立法」は立法府(国会)の審議・承認なしには成立しないわけで、映画の背後では、国会内の様々なやり取り(野党の抵抗とか)もあったはずで、そんな経緯も取り込んだヴァージョンを観たい、という無茶な個人的要望が(正直なところ)生まれたりもしている。

 

 映画ではあまり描かれていなかったと思うが、官僚組織は(そして政治家という人種も)、常に自らの権限の拡張を志向すると同時に、権限の限定により責任から逃れる方策を確保しておこうとするという、相反する傾向への際限のない努力をその習性としている。ゴジラ問題を誰の、そしてどの組織の所管とするのか?これは当事者にとって悩ましい問題となったはずである。映画冒頭からしばらくの間は、事態への楽観が支配し、その点についてはそう深刻にならずに済んでいたはずだが、事態が深刻さを増すに従い、他の部局・組織に任せ、自らは責任を負わずに済ませよう的心理が支配していくことになったであろう。

 

 

 そんな中で立ち上げられるのが主人公率いる「巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)」である。各部門のエキスパートを組織横断的に結集した、と言えば聞こえがいいが、実態は「霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」の集まりであると(映画の中でも)説明されている。

 要するに、高い専門能力は持つが、組織への適応能力が低く、出世とも無縁な連中という設定である。

 これは、戦争アクション映画の王道設定のひとつでもあり、『シン・ゴジラ』はその枠組みの中で進行する、「闘う行政組織アクション映画」として位置付けられる、ということだ。

 

 映画ラストあたりでの「日本はまだまだやれる」的セリフにしても、その「まだまだやれる日本」を支えたのは、民衆でもなく主流派エリートでもなく、「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」であったことは、この映画を評価する上で非常に重要な構図だと、私は思う。

 

 このセリフを含めて、自衛隊の活躍が描かれていること等に対し、サヨクの皆さんからの『シン・ゴジラ』の評判は悪いらしいが、サヨクの皆さんは、日本を救うのが国内の「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」であるという設定を見落としているのではないか、そう思わぬでもない。行政組織アクションとして、それも「はぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、異端児」が中心となった行政組織アクションとして、要するにただただエンタメとして楽しめばいい(エンタメのしてのレベルが低いというのならともかく)のに、誰でも言えそうな形式主義的批判をしていい気になっている(ように見える)のはアホくさい話である。

 

 

 

 で、問題の自衛隊だが、戦闘部隊はゴジラに歯が立たないのである。最終的にゴジラを倒す決定打となるのは工兵部隊(その中の特殊車両部隊)なのである。

 この設定の意味も、もう少し考えてもいいんじゃないかと思う。

 

 自衛隊の戦闘部隊の保有する対戦車兵器も、対航空兵器も、それぞれの(本来の)用途には有効であっても、ゴジラはあまりに巨大で堅牢であり、それらの兵器の口径(あるいはミサイルのサイズ)では太刀打ち出来ない(まったくダメージを与えられない)、ということなのだ。

 ここで気付かなければならないのは、自衛隊の保有するのは、何だかんだ言いながら、(国境線を含む)自国内での敵戦闘力への防御兵器だということで、国外での敵の殲滅には不向きな編成だということである。地中貫通型爆弾の投入でゴジラにダメージを与えたのは米空軍爆撃機なのである。米軍の国外での対敵戦闘能力の象徴のひとつが、この地中貫通型爆弾なのであり、単なる対人兵器でも対戦車兵器でも対航空兵器でもなく、敵の軍事インフラそのものを攻撃するもの(そして民間施設を「誤爆」するもの)なのだ。

 

 これも自衛隊プロパガンダ扱いをされてしまうのかも知れないが、しかし、『シン・ゴジラ』が正確に描いているのは、対外軍事作戦の主力たり得ない自衛隊の姿であり、自国防衛に特化した兵器により編成された自衛隊の姿なのである。もちろん、米軍の「お伴」として米国による対外的軍事作戦の一環を担うという選択肢は残されてはいるわけだが。

 

 で、先に指摘した通り、犠牲を出しながらもゴジラにとどめを刺すのは、同じ自衛隊の中でも工兵部隊なのであり、その際の主力となるのがコンクリート注入用の特殊車両(あの福島第一原発の顛末と同様に)なのだ。そしてその際の薬剤を短期間で供給し得た化学メーカー(その現場の人々の努力・集中力)なのである。

 

 

 

 自衛隊礼賛プロパガンダ映画として(誰でも出来るような)批判をしていい気になるよりは、エンタメとして楽しんだ上に、このようなディティールに着目して楽しむ。

 

 そういう知的余力を備えていた方が人生は楽しめる、んじゃないかと…

 

 

 

 もっとも、最終的にゴジラを倒した(というか凍結した)「ヤシオリ作戦」の経過は、あまりに上手く行き過ぎな印象もあって(あそこまで計算通りにはいかんでしょう、フツー)、リアリストである私には多少の違和感がなきにしもあらずではあるのだが、あそこで成功させないと映画が二時間の枠に納まりきらなくなるという「大人の事情」も理解するので、特に文句を言おうとも思わない(もっとも、娘は二回目の映画館で、「今度は失敗するかも知れない」的気分で見守っていたという話なので、「常にあんなに上手く行くわけはない」的気分は、私と共有されていたようである)。

 

 

 映画館を後にした私とパートナーはビデオ・レンタル店に立寄ったのだが(パートナーがゴジラの旧作チェックを思いついたため)、私が借り出したのは(ゴジラとは関係ない)「鷹の爪」シリーズのアニメDVDで、タイトルは『独立愚連広報部』。この中に、「存在するかも知れないUFOに対する自衛隊出動の法的根拠」を首相に問う石破防衛大臣(福田内閣当時)の姿があって、『シン・ゴジラ』の会議シーンと重なり(そして、『シン・ゴジラ』をめぐる石破氏当人の発言と伝わるもの―ゴジラへの自衛隊の出動は「防衛出動」じゃなくて「災害派遣」の「害獣駆除」であるべきはず―までが思い出され)、あらためて「鷹の爪」の監督フロッグマン氏への敬意も高まったのであった。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/11/05 16:41 → http://www.freeml.com/bl/316274/288765/

 

 

 

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