« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月

2016年10月25日 (火)

B-29 (物量としての米国の生産力)

 

 以前に「クライスラーの戦車」と題して、米国の準戦時体制下で、民間の自動車メーカー(クライスラー社)が短期間で、戦車の設計から大量生産にまでを達成してしまうまでの記録フィルム(クライスラー社の広報用である)を紹介した。そこには、詳細な設計の進行と同時に、戦車生産のために新たな工場を建設してしまう米国の自動車メーカーの底力が記録されていた。

 

 

 

 今回は、日本国民にとって、あの「先の大戦(大東亜戦争)」における米国の圧倒的な軍事力の象徴とも位置付けられる四発重爆撃機、あの憎っくきB-29の生産工場をめぐる記録フィルムを紹介しておきたい。

 

 

 

 まず、陸軍省による『Birth Of The B-29 』である。

 

Birth Of The B-29 (1945)
     https://www.youtube.com/watch?v=L5Ny77UgplU

 

 

 動画サイトのデータ(米国版のウィキペディア記事からの引用だが)によれば、1945年制作であるらしい。ただし、内容からして、日本降伏以前のものと思われる。

 フィルムの冒頭では、当時の日本が、オリエンタリズム的視点に戦時プロパガンダを重ねたような切り口で紹介される。そこでは、日本が欧米の「コピー」による近代化を成し遂げたことが語られ、英語圏諸国向けの工業製品に刻印された「Made in JAPAN」の文字が強調されると同時に、その輸出品の収益が軍事力強化に用いられ、中国大陸での軍事的進出の基盤となっていることが主張される。

 その日本による対米開戦後の米国による日本本土初空襲の際の映像に重ねて、それが「Made in America」によるものであることが強調される流れとなり、続いて日本本土攻撃の最新鋭兵器としてのB-29の工場に焦点が合わされ、米国の高い技術力と生産力の実情が視覚的に明らかにされる。

 そこで描かれるのは、工場の圧倒的な巨大さ(建屋内に、あの「重」爆撃機B-29が並んでいるのだ!)や、最新鋭の生産設備の充実ぶりと同時に、生産にあたる工場労働者の姿である。強調されるのは、肌の色の違い、経歴の違い、性別の違い、年齢の違いを超えて(それどころか障害を持つ人までもが)一丸となって生産に励む姿である。すなわち米国にとっての「総力戦」の内実である。「人種」の区別なく(その待遇に区別がなかったかどうかは疑わしいが)、男も女も、老いも若きも、障害の有無を問うことなく、団結して生産に励む姿が、陸軍省による戦時プロパガンダフィルムに記録されているのである。

 フィルムの最後の方では、そんな労働者たちの上をフライトするB-29の姿(オリーブ・ドラブの塗装が施された最初期の機体である―本格的に生産される頃には、あの銀色に輝く無塗装が標準化された)が印象的な爆音と共に映し出され、中国大陸での中国人労働者の人海戦術による飛行場建設の模様と、そこから離陸するB-29の姿でエンド・マークとなる。

 

 

 

 この陸軍省による戦時プロパガンダフィルムにも登場するベル航空機のB‐29生産ラインの詳細と周辺状況が、ベル社自身の広報用フィルムにも描かれている。

 

B-29s Over Dixie: Building the Superfortress - 1944
     https://www.youtube.com/watch?v=ybGGmjm9JZ4

 

 

 B‐29は、ボーイング社の設計になる米国の四発重爆撃機だが、その生産はボーイング社(シアトル工場、ウィチタ工場、レントン工場)だけではなく、ベル社のマリエッタ工場、マーチン社のオマハ工場でも行われており、そのマリエッタのベル社工場にまつわる記録フィルムである。

 こちらも、陸軍省版と同様に、人種、経歴、性別、年齢、障害の有無を問わずに団結して生産に集中する米国の総力戦状況、そして近代的な生産ラインの詳細が記録されているが、興味深いのは工場の福利厚生の充実ぶりまでが記録されている点である。

 充実した工場内食堂(現代からすればかなりカロリーが高そうなメニューだが―戦時下の大日本帝國臣民には夢物語である)の光景だけでなく、労働者用の運動施設、娯楽施設、電化されたキッチンまで備えた工員用住宅…とその福利厚生面での充実ぶりにはうならざるを得ない。しかも、労働者が自家用車で通勤する様子までが(当たり前のように)記録されているのである。

 米国の圧倒的な国力が、最新設備を備えた巨大な生産ラインからだけではなく、福利厚生面での労働者の待遇を通して実感されるはずである。

 ピープル・オブ・デモクラシーによるパワフル・ウェポン・オブ・デモクラシー(どちらもフィルムのナレーションにある表現)の生産ラインとその周辺状況の記録が、民間企業の広報用フィルムとして残されたわけである。

 

 

 この二本は、既に戦時下となった米国の爆撃機生産ラインの記録であるが、対比のために、参戦前(日本による対米開戦以前)の爆撃機生産ラインを記録したフィルムを紹介しておこう。

 

Building a Bomber: The Martin B-26 Marauder 1945
     https://www.youtube.com/watch?v=vnb0Ib5F9GU

 

 

 こちらは米国の「Office for Emergency Management」(「非常時緊急対策局」などと訳されるらしいが、「アメリカ合衆国大統領行政府」の所属機関である)制作による、双発爆撃機B-26の生産ラインの記録である。動画サイトの表題には「1945」とあるが、内容からして米国の参戦前に撮影・編集されたものと推測される。

 冒頭のキャプションやナレーションで強調されるのは、国家の防衛、そしてデモクラシーの擁護の重要性である。全体を通しても、戦時下であれば強調されるはずの爆撃機としての攻撃力への言及は控えめであり、プロパガンダ要素はあっても、具体的な敵への言及はない(ヨーロッパがヒトラー支配下にあることは指摘されてはいるが)。また、飛行シーンに登場する機体の国籍マークも1942年5月までしか使用されていないものであり、撮影時期は当然それ以前でなければならない。

 工場内の情景を見ても、労働者は男性のみであり、しかも若い男性工員の姿が目立つ。ここに参戦後の総力戦状況での工場(先に紹介したB-29の工場の労働者の構成)との著しい相異が見出されるように思う。このフィルムを先の二本の記録フィルムと対比することで、参戦前(ほぼ白人男性のみで、しかも多くの青年労働者を含む―つまり、まだ大量の兵士となるべき若い男性が必要とされていない状況)と参戦後(人種や性別や年齢を問わない)の労働事情の変化が、まさに「目の当たり、あるいは一目瞭然」的に理解されるだろう。そして、視覚的記録の重要性、ということも。

 

 

 

 最後に紹介するのは英国の総力戦状況が伝わる記録フィルムである。

 

Why We Fight: The Battle of Britain (Frank Capra)
     https://www.youtube.com/watch?v=cSZnFo7JORo

 

 

 米国陸軍省による「Why We Fight」と題されたシリーズの一本である。このシリーズは、当時の米国を代表する映画監督が参加しているところに特質があり、このフィルム『Why We Fight: The Battle of Britain 』の監督は、いわばアメリカン・デモクラシーの伝道者とでもいうべき、あのフランク・キャプラである。

 キャプラにより、1940年の英国の状況(まだ米国の参戦前であり、ナチスによる占領をかろうじて免れたものの、ヨーロッパで孤立した戦争を強いられていた時期)、英国がナチス・ドイツによる対英侵攻作戦の撃退に成功するまでの状況に焦点を合わせたドキュメンタリー映像である。

 これを特にここで紹介しようと思ったのには理由がある。このフィルムの7分台から9分台にかけての部分に、英国の総力戦状況が記録されているからである。ここでも、あらゆる年齢層・経歴の男達が軍事訓練に参加し、英国の防衛を志す姿に加え、軍服に身を包み様々な軍務をも担当する女性の姿が描かれるだけではなく、生産ラインでの性別を問わず年齢を問わない工場労働の情景が記録されているのである。

 特に興味深く感じたのは、当初は労働時間の延長による生産の達成が、当然のこととして実行されていたのに対し(最終的には週70時間労働までになったというが、それが現代日本の「ブラック企業」並みなところが何ともな話ではある)、その後の経験により、生産性の観点から政府の政策として長時間労働が否定されるようになったとのエピソードである。「滅私奉公」の「長時間労働」だけにしか活路を見い出せなかった(出そうとしかしなかった)戦時日本との断絶は大きい。英国人は、滅私奉公の長時間労働が生産性向上につながらず、むしろ阻害要因となることを理解し、そこに活路を求めようとはしなかった、ということなのである。

 

 

 

 米国の「物量」、そして総力戦状況の実際(中でも民間企業の福利厚生面でのあまりの充実ぶり!)。参戦前と参戦後の相異。英国の総力戦状況下での長時間労働の否定。

 記録フィルムを通して、「目の当り」にすることが可能になるというお話。

 

 

 

《背景》
 タイトルを「物量としての米国の生産力」としておきながら、本文では、その数量的側面に触れぬままになってしまったので、大内健二氏の『ドイツ本土戦略爆撃』にある「第二次大戦中の各国機種別爆撃機生産量」と題された表から、日米の爆撃機生産量の隔絶ぶりを確認しておきたい。

第二次大戦中の各国機種別爆撃機生産量(単位・機)

アメリカ
四発重爆撃機
ボーイングB17
     12677
コンソリーデッドB24
     18181
ボーイングB29
      3970
コンヴェアB32
       115
双発爆撃機
ノースアメリカンB25
      9793
マーチンB26
      5157
ダグラスA20
      7478
ダグラスA26
      1909
マーチンA30
      1575
 合計  60855

日本
双発軽爆撃機
九九式双発軽爆撃機
      1977
双発爆撃機
九七式重爆撃機
       713
百式重爆撃機「呑龍」
       796
四式重爆撃機「飛龍」
       606
九六式陸上攻撃機
      1048
一式陸上攻撃機
      2416
陸上爆撃機「銀河」
      1002
 合計   9558
大内健二 『ドイツ本土戦略爆撃』 光人社NF文庫 2006 331ページ 第15表より抜粋

 まず日本は四発重爆撃機を保有していなかった。その上で双発爆撃機の生産機数だけで比較しても、日本の双発爆撃機(陸海軍機合計して)の全生産機数は9558機。
 それに対して米国は双発爆撃機5機種を保有するだけでなく、その中のB25だけで9793機と日本の全生産機数を凌駕しているのである。
 B29は3970機と少ないように感じられるかも知れないが、それは単にその時点で戦争が終結してしまったからに過ぎない。それ以上生産する必要がなくなった、ということなのである。
 生産機数12677のB17は日本本土爆撃には用いられていないし、18181のB24も同様である(太平洋戦域での作戦活動はしているが)。
 必要であれば、つまり日本の降伏が遅れれば、より多数のB29が生産され、本土爆撃に用いられた。そう考えればわかりやすいだろう。
 もっとも、ポツダム宣言の時点で、既に日本国内の主要都市は焼け野原となっていたのも事実であり、米国が、より以上のB29を必要と考えたかどうかはわからないが、既にヨーロッパでの戦争に勝利していた米国にとって、ヨーロッパ戦域での主要重爆撃機であったB17とB24の追加生産を必要としなくなった米国にとって、生産能力には十二分な余力があったことも確かなのである。
 上の表にある生産機数に各爆撃機の爆弾搭載能力を加味すると、投下爆弾量の日米差は絶対的なものとなるだろう。

 ちなみに、英国の爆撃機生産機数の合計は36608機である。
 しかも、そのうちの四発重爆撃機だけで、

ショート・スターリング
      2371
ハンドレページ・ハリファックス
      6176
アブロ・ランカスター
      7336

 合計で15883機である。
 この圧倒的な爆弾搭載能力を備えた一万五千を超える重爆撃機群が、ドイツ本土爆撃に用いられたのである。もちろん、それに加えて米軍の四発重爆撃機も、ドイツ本土爆撃作戦を遂行していたのであり、それを考えれば、ドイツ人の空襲体験はどれだけ過酷なものであったか。
 そのドイツの降伏は、アメリカに生産余力をもたらしたのである。

 その生産余力を支えた爆撃機工場労働者が、自宅では既に電化された近代的キッチンで料理をし、自家用車で通勤していた。米国の圧倒的国力、日本との国力差、かみしめておくべきであろう。

 

 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/10/25 17:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/288048/

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »