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2016年5月17日 (火)

「民族」としての「沖縄の人々」 (琉球國の「独立」と伊江朝直 9)

 

 

 

  木原誠二外務副大臣は27日午前の衆院内閣委員会で、国連の人種差別撤廃委員会などが沖縄の人々を「先住民族」とする見解を示していることに対し「事実上の撤回、修正をするよう働きかけを行っていきたい」と述べた。自民党の宮崎政久氏の質問に答えた。
  また、外務省の飯島俊郎参事官も「政府として、先住民族と認識している人々は、アイヌ以外に存在しない。これらの委員会による最終見解や勧告などは法的な拘束力を有するものではない」と強調した。
  宮崎氏は「(日本人に)沖縄県民は先住民族だと思っている人はいない。誠に失礼な話だ。民族分断工作と言っても良い。放置しないでほしい」と政府に毅然とした対応を求めた。
     (産経新聞 2016/04/27 12:54)

 

 

 ここでは、「沖縄の人々」を「先住民族」と位置付けることの妥当性が問題にされているわけである。

 その妥当性を判断するには、「先住民族」とは「どのような人々」に対して用いられる語なのかを、まず問う必要がある。

 「先住民族」と同様に用いられるのが「先住民」であるが、現在の日本語では、両者は厳密に使い分けられているわけではない。たとえば代表的な国語辞典である『広辞苑』(手元の電子辞書によるが)では、「先住民」の項に、

 

  現在住んでいる人々に先立って住んでいる人々。大国や支配的民族によって土地や固有の文化を奪われている場合がある。先住民族。

 

…との定義が示されている(『広辞苑』には「先住民族」の項は存在しない)。一般に流通しているのも、このような意味合いでの理解であろう。

 一方で、より厳密には、たとえば『百科事典マイペディア』(これも手元の電子辞書によるが)には、

 

  一般に,ヨーロッパを起源とする〈近代化〉が世界的に展開する中で支配的集団により一方的に国家に統合されながら,民族としての存在と固有の文化を否定され,その植民地政策によって同化を強制された民族的集団をさす。 英語でindigenous peoples。先住民とも。先住民の認定には,どちらが先に住んでいたのかの〈先住性〉や,何が民族であるのかの〈民族性〉の問題は副次的であり,主権国家の成立が自己の国家宣言に始まるように,外部から定義されるものではなく,自己認定によるとされる。この点,〈先住民族〉は人類学の概念ではなく,政治学の概念である。典型的な先住民族としては,〈インディアン〉(アメリカン・インディアン),〈インディオ〉と差別的な意味を込めて呼称されてきた南北アメリカ大陸の先住民族,北極圏のサーミ,オーストラリアのアボリジニー,ニュージーランドのマオリ,東アジアのアイヌなどがある。また第2次世界大戦後の植民地解放は,それまでの植民地を地域の主要な民族に解放しただけで,〈国民形成〉という名目での植民地支配が継続しているという視点から,アジア・アフリカにおいても多くの民族集団が自らを〈先住民族〉と主張している。
  国連の推計によれば〈先住民族〉は世界70国以上に約3億人が生活しているとされ,その文化や環境には大きな違いがあるものの,コロンブス到達以降のアメリカ大陸の状況に象徴される共通の歴史を体験してきた。また,虐殺や弾圧による人権侵害のほか,大規模開発による生活環境の破壊,強制移住,貧困,差別など,今日の地球環境問題も含めて,近代社会のほとんどすべての矛盾を押し付けられてきた。しかし国連機関を中心とした国際社会で,自決権や土地獲得などの積極的な運動を展開し(〈マボ判決〉参照),1993年の〈国際先住民年〉や1995年-2004年の〈先住民の国際10年〉などを契機に,広範な国際理解と具体的な権利回復が実現されつつある。先住民族の国際的な組織としては,国際インディアン条約評議会,世界先住民族評議会,イヌイット周極会議,サーミ評議会などが代表的なものである。日本でも1997年に〈アイヌ文化振興法〉が制定されている。

 

…とあるように、ある程度の専門性の中では、一般に流通しているものとは異なる意味合いの下に用いられる語であることも事実である。

 

 

 確かに「沖縄の人々」を、「現在住んでいる人々に先立って住んでいる人々」と位置付けるには無理がある。しかし、「沖縄の人々」を、「〈近代化〉が世界的に展開する中で支配的集団により一方的に国家に統合されながら,民族としての存在と固有の文化を否定され,その植民地政策によって同化を強制された民族的集団」として位置付けることは、その歴史的経緯に鑑みて間違ってはいないだろう。

 

 日本政府が、「沖縄の人々」を「先住民族」とする国連人種差別撤廃委員会の見解に対して、どのような理路を用いて「事実上の撤回、修正をするよう働きかけを行」ったのかは興味深いところであるが、ここではその問題には深入りせずに、そもそも「沖縄の人々」を独立した「民族」として位置付けることが可能なのかどうかについて、まず考えてみたい。

 

 

 明治以降を日本の「近代」とし、その前の時代を「近世」とするならば、「近世」においては沖縄は「琉球國」の領域であり、琉球の国王が統治する領域であった。

 「日本列島」と現在の用語で呼ばれる領域の中で、「本州」と呼ばれる島、「四国」と呼ばれる島及び「九州」と呼ばれる島とその周辺の島々は「日本」と名乗る国家の領域であり、近世においては天皇の下に将軍家の統治する領域であった(ここでは「日本」を国号としておく―公式の歴史書が『日本書紀』と名付けられているので―が、近代になっても正式の国号表記には揺れがあったのも事実である→「日本国の象徴と、國體の本義 18(大日本帝國の「大」)」参照)。

 「日本列島」の中でも現在は「北海道」と呼ばれる島は、近世においては特定の国家に領有されることはなく、アイヌ民族の居住する領域であり、「日本」の側からは「蝦夷地」と呼ばれていた(「蝦夷」とは、近世における「日本」の側からのアイヌ民族の呼称であり、「蝦夷地」とはまさにそこがアイヌ民族の土地であったことを示す)。

 現在の主権国家としての「日本国」の領域は、近代以前には、「琉球國」と「日本」の二つの国家の統治する二つの異なる国家領域と、「蝦夷地」と「日本」からは呼ばれた非国家的領域に三分されていたのである。

 

 

 以下、論点を「琉球國」と「日本」の関係に絞ることとするが、実際、国家領域に関する幕末期の日本側の認識の事例を示せば(「琉球國の「独立」と伊江朝直 1」参照)、

 

  1850年代に入ると、琉球・日本への外圧はさらに増大した。「黒船」を率いて来日したペリー提督との開国交渉の前後に、江戸幕府の内部では琉球の「所属」問題が重要議題として論議され、老中の阿部正弘は琉球を日清両属と位置づけることが妥当かどうか、関係部門へ諮問した。林復斎(儒官、大学頭)らは琉球を日清「両国に随従」している国としながらも、最終的には「唐土の属国と申し候て然るべし」と答申し、井戸石見守(海防掛)らは「矢張り両国随従の国」とみなし日清両属論を妥当としたが、川路(勘定奉行)らはいずれとも「差し極め申し上げ難く」と態度を保留し、琉球を管轄する薩摩藩主島津斉彬の意見を聞くべきだと回答した。斉彬は17世紀の明清交替時点における幕府の選択(琉球切り捨て論)に注目しながらも、最終的には琉球の意思を確かめる必要があるとして、自らの直接の意思表示を避けた(洞富雄訳『ペリー日本遠征随行記』「付録2」)。
     西里喜行 琉球処分再考(上)沖縄タイムス(2009・06・29)
     
http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/history02.html

 

…というもので、「琉球國」は「日本」の領域の外部として、少なくとも「日本」の内部とは言い切り得ない領域として認識されていたのである。

 明治になっても、いわゆる「琉球処分」の過程の中での(それまでの)琉球国王に対する華族宣下の是非を論じる中で、当時の左院(立法院)は、

 

  華族宣下ノ不可ナル所以ハ国内形成沿革ノ自来ルニ従テ人ノ族類ヲ区別シテ皇族華族士族ト称謂ヲ定メタルハ国内人類ニ於テ自然ニ斯ク名目ヲ設ケサルヲ得サル勢ニ立至リシモノニシテ今般更ニ琉球国王ニ華族ノ称ヲ宣下スヘキ謂レアラス琉球国王ハ乃チ琉球ノ人類ニシテ国内ノ人類ト同一ニハ混看スへカラス

 

…との見解を示すことで(明治5(1872)年の左院の答義)、琉球国王への華族宣下に反対していたのである。しかも左院は、琉球國が日本の外部の異国であるのみならず、異民族の領域であるとの認識まで示しているのである(詳細については「琉球國の「独立」と伊江朝直 4」参照)。

 

 実は、この認識は戦後の日本政府にも受け継がれているのである。第二次橋本内閣(自民党)及び第三次小泉内閣(これも自民党政権)の下での政府答弁からは、

 

  結局、照屋覚徳参議院議員の「沖縄の人、ウチナーンチュはいつから日本人になったんでしょうか」という質問に対して、日本政府は「いつ」を明確にすることは出来なかったし、鈴木宗男衆議院議員による「政府は、1868年に元号が明治に改元された時点において、当時の琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか」という質問に対しても、「いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである」としか答えることが出来なかったのである。
  つまり「日支両属」時代の琉球國(琉球王国)に関しては、日本の国家領域の内部の存在として明確に位置付けることが困難であることを、日本政府は明言していたことになる。
     (「琉球國の「独立」と伊江朝直 4」)

 

…との日本政府の認識が読み取れるのである(照屋議員の質問と答弁書には、近代以前の沖縄が単に異国であるだけでなく、異民族の領域として位置付けられ得る可能性も示されていることには留意する必要がある)。

 

 

 あらためて検討しなければならないのは、「沖縄の人々」を、近代以前からの「日本」(本州・四国・九州)に住んでいた人々(沖縄から見れば「内地」の住民)と異なる民族として位置付けることの妥当性(あるいは可能性)である。ここからは、煩雑を避けるために前者を「琉球人」と呼び、後者を「和人」と呼ぶことにする。琉球人と和人は、果たして一つの民族であるのか、それともそれぞれに独立した異なる民族と考えられ得るのか?

 

 しかし、そもそも「民族意識」(ある民族への帰属意識)は、当事者の持つ帰属意識の問題でもある。言い換えれば、当事者が同族意識を持つ範囲に規定されるものであるが、その範囲を最終的に決定するのは当事者自身である。つまり主観的な要素に依存するものであり、いわゆる「客観的」に(外部の基準のみにより)規定されるものではない。

 しかも同族意識の対象の範囲は様々な属性(互いに共有される属性の有無)によって判断されるものであるが、どのような属性が問題とされるのかはあらかじめ確定されてはいない。

 しかし、煩雑な議論を避けるために、あえて包括的に言えば、「歴史的経験の共有意識」ということになるだろう。もちろんそれは年代記的な歴史の問題に止まらない。むしろ、言語、文学的伝統、音楽的伝統、葬送に関する伝統、食文化の伝統,宗教的祭祀の伝統、伝承された起源神話、そして日常的な立ち居振る舞い等々に至るまでの文化の諸相であり、それぞれに共有された歴史の中で育まれ伝えられて来たものである。それらが共有される範囲、そこに同族意識の範囲は重ねられる(何を重要視するのか、何が重要視されるのかは、時代や集団によって異なる)。

 

 いずれにせよ、ここで重要なのは、和人と琉球人では、言語、文学的伝統、音楽的伝統、葬送に関する伝統、食文化の伝統、宗教的祭祀の伝統、伝承された起源神話、そして日常的な立ち居振る舞いに至るまでの多くが異なっているという事実(つまり、琉球人は和人とは異なる文化的伝統を保有しているという事実)である。

 和人の用いる「日本語」と琉球人の用いる「琉球語」は、フランス語とイタリア語(あるいはスペイン語)の違いと同程度に異なると言われているし、文学伝統について言えば、琉球の歌謡と「日本」の歌謡は異なる詩形を用いるし、音楽について言えば、琉球と「日本」では異なる音階システムを採用している。墓制も含めて葬送に関する習慣は異なっているし、食文化についても「日本」とは異なり肉食が禁忌とされることはなかったし、宗教的祭祀についても異なれば、和人と琉球人は異なる起源神話を持ち伝えて来た。起源神話の違いは、それぞれに異なるルーツが想定されていることを示す。「日常的な立ち居振る舞い」の一例としては、「ウチナータイム(沖縄時間)」をあげておこう(様々な「立ち居振る舞い」の基盤にある時間感覚そのものからして違うのである)。

 

 要するに、琉球人と和人とは(生まれる前から死して後の世界に至るまで、すなわち起源神話から葬送儀礼に至るまで)文化を大きく異にする存在なのであり、両者が民族というレベルで異なると考えることは十分に可能なのである(註:1)。

 

 

 以前に私は、

 

  そもそも日本と沖縄の間には「ライン」が存在していたのだ、と言うことも可能である。現在の枠組みで言えば、(日本国籍の保有者という意味において)どちらも「日本人」であるにしても、歴史的に見れば、(そして言語学的にも)異なる世界を人々は生きていたのである。
     (「「慰霊の日」に、比嘉賢多監督の『沖縄/大和』(2014)を観た」の「註:1」参照)

 

…との構図を(いささか控えめに)示したことがあるが、今回は、琉球人と和人を異なる民族集団として位置付けることの可能性にまで踏み込んでみたわけである。

 ここまで来れば、「沖縄の人々」が「先住民族」かどうかの議論をするまでもなく、この現在の日本国は、「北海道」の先住民族であるアイヌ民族に加え、和人と琉球人というそれぞれに異なる民族(もちろん韓国・朝鮮人の存在も忘れてはならない)によって構成されているのだということを明らかにし得たであろう。

 もちろん、先に示したように「民族意識」は当事者の「帰属意識」に依存する。「沖縄の人」が自身を「日本人」という民族に帰属する存在として位置付けることも決して間違ったことではない。民族への帰属とは、当事者の持つ同族意識の問題なのであり、あくまでも当事者が自身で自己決定すべき問題なのである。

 

 

 いずれにせよ、いまだに解決されない基地問題は、「沖縄の人々」が、「〈近代化〉が世界的に展開する中で支配的集団により一方的に国家に統合されながら,民族としての存在と固有の文化を否定され,その植民地政策によって同化を強制された民族的集団」の末裔であることを象徴的に示す事例と言い得る。沖縄への米軍基地の過度な集中は、「沖縄の人々」に本州・四国・九州の住民とは圧倒的に異なる負担を強いようとするものであり(「沖縄の人々」は「本土の人々」と同等の存在として扱われていないのである)、沖縄がいまだに「本土」としての「日本」に対して植民地的地位にあることを示すものであろう。

 

 

 あらためて振り返れば、「沖縄の人々」が、(国際的な「先住民族」をめぐる議論の文脈では)「先住民族」としての一般的状況の中に現に生きている人々(そのように生きることを強いられている人々)として見做され得る事実も、確かなものとして見えて来るのではないだろうか?

 

 

 

【註:1】
 言うまでもない話だとは思うが念のために付け加えておくと、琉球人は単に文化的レベルで和人と異なるだけの存在ではない。
 (既に示したように)琉球人は和人とは異なる政治共同体(すなわち琉球國である)に属していたのであり、和人とは異なる政治的一体性の歴史を持った存在なのである。同時に琉球國の国家領域の住民(すなわち琉球人)は、血縁関係においても「本土」の「和人」とは隔たりある存在であった(琉球人と和人は異なる通婚圏の中に生きていたのである)。
 すなわち、琉球人と和人の間には、政治的にも文化的にも血縁的にも境界が存在し、政治的にも文化的にも血縁的にも、「和人」とは異なる世界に属していたのが「琉球人」なのであって、そこに「民族」というレベルでの「違い」を見出すこと自体は理に適った話なのである(「補註:1」及び「補註:2」)。
 もちろん、民族の相違は当事者の帰属意識が決定する問題であるし、民族の相違の自覚を国家としての独立(琉球―沖縄の日本からの独立)に直結させる必要もない。複数の民族が権利において平等である国家を追求するという選択もあり得るのである。いずれにせよ、決定の当事者は、あくまでも琉球人(沖縄の人々)でなくてはならない。
          (追記:2016/06/19)

 〔補註:1〕
 ここでは、20世紀に大きな影響力を発揮したスターリンによる「民族」の定義を参照しておこう。
 スターリンは、『マルクス主義と民族問題』(1913)の中で、民族(ナーチア)を、

  言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態、の共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された、人間の堅固な共同体

…と定義した。
 この定義の妥当性についての議論は避けるが、この定義は社会主義的な民族解放論を支えたと同時に、行政実務的な意味で、多民族により構成された社会主義国家としてのソ連の国内民族政策の理論的枠組みとしても機能しただけでなく、更に社会主義イデオロギーとしての役割を超えて、20世紀の民族をめぐる議論(民族自決原則の適用対象としての資格問題)に大きな影響を与えたものでもある。
 ここで注目しておきたいのは、スターリンが「民族」の条件とした「言語、地域、経済生活、および文化の共通性」のすべてにおいて、琉球國(琉球人)は日本(和人)に対し独自性を保ち続けたと言い得る点である(これまでに論じなかった「経済生活」についても、琉球國は日本と異なる通貨体系を採用していた―すなわち異なる経済圏の中にあった―事実は覚えておいてよい)。
          (追記:2016/06/22)

 〔補註:2〕
 日本語の「民族」は、「ネーション(nation)」の訳語として用いられると同時に、「エトノス(ethnos)」の訳語としても用いられるが、両者は語源を異にしニュアンスを異にする概念である。
 後者については特に「エスニック・グループ(ethnic group)」という言い方もされるが、(語源的問題―そしてそれは概念の本質的問題でもあるのだが―を別にすれば)両者の相違点としては、前者では対象となる人々の集団が政治的共同体としての機能をも果たしていたのか否か、政治的権利主体として自覚的に振る舞った歴史を有するのか否か、より具体的には(あるいはより単純化された文脈では)国家形成を志向した歴史の有無が問題とされるのに対し、後者ではその点が要件とされることはない(その意味で、後者より前者の方がハードルが高い)。
 誰が「民族自決権」を持つのかが問題となる文脈(民族自決原則の適用対象としての資格問題)では、後者(「ネーション」ではなく「エスニック・グループ」と位置付けられる人々)を民族自決権を持つ主体として取り扱わないことで、既存の国家(国内に少数民族問題を抱える国家)は自国内の民族問題を処理し、国家の分裂(複数の民族国家への分裂)としての帰結を避けようとする傾向がある。
 しかし、いずれにせよ、琉球人は琉球國という形で国家形成をした歴史を持つのであり、「民族」の定義としてハードルの高い「ネーション」概念からしても、琉球人を和人と異なる民族集団として見做すことは可能だということ、「沖縄の人々」を独立した「民族」として取り扱うことが決して不適切ではないということは再確認しておきたい。
          (追記:2016/06/22)
 

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/05/17 15:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/275330/

 

 

 

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