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2016年3月24日 (木)

洋上のB-29 (映像編)

 

 見つけたのは一ヶ月以上前になるのだが、多忙な日が続き、そのままになっていた動画である。

 不時着水したB-29の乗員の救助の模様が撮影された(それもカラーである!)フィルムなのだが、あらためて詳細を見、解説を読んでみると、何とそれが3月10日のあの「東京大空襲」の際のエピソードであったことに驚かされた。

 

 

 B-29の手厚い救難システムについては既に記事としてあるが(「統帥の無責任としての特攻精神 3 (B-29と戦争遂行のマネジメント)」、「統帥の無責任としての特攻精神 4 (洋上のB-29)」、「統帥の無責任としての特攻精神 5 (洋上のB-29と特攻精神)」)、その実際が映像として記録されていたのである(そしてそれが動画サイトにアップされていた!)。

 映像としては、未編集なままであり、ナレーションもなく(撮影に際して同時録音もされていないのでオリジナルは完全なサイレントである―アップロードされた動画にはBGMが付加されているが)、そのまま見たのでは(ただただ地味な映像で終わってしまう可能性が大きく)内容の理解も難しいと思われるので、映像に先立って解説めいたことをしておきたい(本記事全体の構成としては、映像の後に「資料編」を付してフィルムの背景をより理解し得るようにし、最後にあらためて、これまでの当ブログ上の論点と関連させた考察的な文章を加えてある)。

 

 

 動画に付された説明によれば、12分ほどのフィルムは不時着水したパイロットの子息であるマイク・マッキャスキル(Mr. Mike McCaskill)氏から提供されたもので、不時着水の際に背中を負傷したマッキャスキル氏の父が後送先の米国本土の病院での療養中に、フィルムを撮影したカメラマンと偶然に出会い、カメラマンから贈られた未編集状態の2巻の16ミリフィルム(父のために作成されたコピー)なのだという。ただし、16ミリ映写機を所有していなかったので未見のまま父のクロゼットの中で数十年の時を過ごすこととなっていたという話である。

 

 カメラマンは、救難活動に従事していた米海軍の水上機母艦「ベーリング・ストレイト」( USS Bering Strait (AVP-34) )の艦上から、マッキャスキル氏の父バーナード・“バーニー”・マッキャスキル・ジュニア大尉(Captain Bernard "Barney" McCaskill Jr.)の操縦するB-29「ホープフル・デビル」( "Hopefull-Devil" )の不時着水の瞬間と、救助の過程をフィルムに収めている。

 燃料の不足からテニアンの基地までの飛行が不能になったための「ホープフル・デビル」からの救難要請に「ベーリング・ストレイト」が対応し、マッキャスキル大尉の操縦するB-29は「ベーリング・ストレイト」を目標に飛行し、幸運にも艦の近くに不時着水するのである(作戦―1945年3月10日のいわゆる「東京大空襲」である―での任務を終え、帰投する途上での出来事である)。

 

 更に動画に付された説明を要約(フィルムに映ってない部分も含め)しておくと、2メートル近い波浪に覆われた海面への着水であったために、時速100マイルで着水した機体は海面を滑走することなく、ほぼその場で停止し、その衝撃の大きさのために大尉は背中に大きなダメージを受けてしまう(機体も大破している)。

 それでも操縦室からの脱出には成功し、幸いにもクルー全員の無事を確認する(機長以外の負傷者は、顎に裂傷を負ったリヴァス伍長(Corporal Rivas)のみ―この二名はパープル・ハート勲章を受ける)。しかし、機体は大破しており、大尉は泳げない部下のために自身の救命胴衣(「メイ・ウェスト」と呼ばれている)を提供するだけでなく、副操縦士として搭乗していた(ただし、正規のクルーではない)マコンバー大佐(Col. Macomber)と共に海に飛び込み、部下のための救命用ゴムボートの保持に苦闘する。

 フィルムには着水シーンと、救助艇の接近、救助の過程、救助艇から母艦へのB-29クルーの引揚げ、母艦内のクルーの様子、救助艇による海上浮遊物の回収の模様、そして母艦からの下船までが記録されている。

 

 

 

1945 ABSOLUTELY UNEDITED! B-29 Ditching & Rescue RAW (HD)
       https://www.youtube.com/watch?v=Cme9JcdSepA

 

 

 フィルム全体を通して、現場の浪の高さが感じられたことと思う。他の不時着水の事例(「統帥の無責任としての特攻精神 4 (洋上のB-29)」参照)などを読むと、B-29は沈みにくい構造を持つ機体だったようで(例えば「アルバート・クロッカー大尉操縦の捜索機が行方不明のB-29と乗組員を初めて発見したのは、正午少し前であった。大尉は捜索開始六時間後ようやく、まだ浮いていたB-29の尾翼が太陽に反射してきらめくのに気づき、なお仔細に観察していると、近くに搭乗員の乗る筏が浮いているのが見えた。クロッカー大尉は駆逐艦を呼び出し、軍艦「カミングス」が現場に到着するまで四時間半上空を旋回していた。不時着水から一七時間が経過していた」のようなエピソードがあるし、搭乗員救助後も浮き続ける機体を救助作業に携わった海軍艦艇がわざわざ砲撃して沈めた―浮遊物化すると危険である―ような記述もある)、現場が浪静かであれば機体は大破を免れ、大尉も負傷せずに済んでいたかも知れない。

 また、9分30秒過ぎくらいに、艦の甲板上構造側面ハッチにある(爆撃機で言えば)出撃マーク状の記入が興味深い。救命胴衣を装着した人型のステンシルが55確認出来る。これまでの救助者の数なのであろうか?

 

 

 

《資料編》

 まずは、3月10日の「東京大空襲」の際の米軍の「作戦任務報告書(Tactical Mission Report)」から、「空海救助計画」の項と、「空海救助」の実際を記した部分を中心に抜き書きをしておく(奥住喜重・早乙女勝元 『新版 東京を爆撃せよ 米軍作戦任務報告書は語る』 三省堂 2007 による)。映像の背景には、事前に周到に準備された米軍の救難システムがあることが理解出来るはずである。

 

 

2 作戦の戦略と計画
c.計画の詳細―作戦関係:
 (7) 空海救助計画
  a海軍はこの作戦任務について詳細な情報を提供され、空海救助の目的に役立つ便宜を図るように求められた。
   ①4隻の潜水艦が以下の位置に就いて救命の任に当るよう命じられた(位置は緯度と経度で示されているが詳細は略)。
   ②3隻の水上艦艇が以下の位置に就くよう命じられた(位置の詳細は略)。
   ③2機のダンボ機が次の位置に就くよう命じられた(位置の詳細は略)。
   ④監視艇と救難艇は、離・着陸の危険な時間帯の間、管制塔から解除命令が出るまで、空海救助の任務を遂行するよう命じられた。
  b当爆撃機集団は、4機のスーパー・ダンボ機(救難用B 29)に、以下の位置で旋回することを命じた(位置の詳細は略)。これらのスーパー・ダンボ機は、遭難位置の発見を援け、遭難信号を受信し、救急設備を投下し、空海救助作業が必要となった場合には、潜水艦を誘導することとなっていた。

 

 

 まさに映像では、②の「水上艦艇」の一隻である水上機母艦「ベーリング・ストレイト」によって、海上に不時着水したB-29乗員が救助されるまでの一部始終が記録されているわけである。また、救助作業に当る「ベーリング・ストレイト」の上空を旋回し続けるスーパー・ダンボ機の姿も映像に度々登場するが、それもb項に規定されている通りだということがわかる。米海軍と米陸軍航空軍に属する爆撃機集団が緊密に連携・準備し、実行すること(まさに映像に記録されているように)で、海上で遭難したB-29搭乗員が確実に救助されているのである。

 

 

3 作戦任務の実行
f.作戦の概要:
 (6)空海救助: (詳しくは付篇A、第Ⅵ部を見よ)
  4機のB-29が不時着水し、全部で40名の生存者が救助された。

 

付篇A 作戦
第Ⅵ部 空海救助
1.以下はこの作戦任務で起きた不時着水事故の要約である:(この報告のあとの空海救助図を見よ。―図は省略)
a.No.7 V 759機:第313航空団所属――この機は100145Zに、北緯17”40’-東経145”38’に不時着水した。11名の搭乗員は100725Zに1機のダンボ〔海軍大型飛行艇〕に発見され、101130Zに、水上機母艦ベーリング・ストレイトによって、全員が救助された。〔*訳注 the tender Bering Strait は、作戦任務29番の報告書中に a small seaplane tender "Bering Strait" として登場している〕
b.No.19 V 757機:第313航空団所属――この不時着水は、092238Zに、北緯18”00’-東経145”15’で、水上機母艦ベーリング・ストレイトの傍らで起き、8名の搭乗員に1名の同乗者を加えた全員は、18分以内に救助された。
c.No.25 V 527機:第314航空団所属――この機については、092244Zに、北緯22”00’-東経147”30’の位置で最終の報告が入った。11名の生存者は、102233Zに、北緯22”24’-東経146”19’で発見された。DMS-18(掃海艇)がこの報告を受けて引き返したが、その位置に到着した時刻は110700Zと推定された。11名の生存者の救助は、この掃海艇によって110700Zから111211Zの愛dに行われた。
d.No.44 V 759機:第313航空団所属――この不時着水は、100145Zに北緯19”10’-東経145”30’で報告された。3名は不時着水時に生き残らなかった。9名の生存者はパジャリス島(原語表記略)の海岸にたどりつき、捜索機と連絡をとって、1隻の船が1時間以内に彼らを収容するはずだと知らされた。救出は、補給船クックス・インレット(原語表記略)によって110800Zに実現された。
2.この作戦では、ほかに7機の行方不明機があり、それからは何の連絡もなかった。連絡がないため、捜索することができなかった。

 

 

 「付篇A」からの抜き書きにある不時着水機の2機目が、まさにフィルムに登場するマッキャスキル大尉の「ホープフル・デビル」であり、「8名の搭乗員に1名の同乗者」とある「同乗者」が副操縦席に搭乗していたマコンバー大佐であった。B-29の搭乗員は通常は(他の機がそうであるように)11名であるのだが、なぜ「8名の搭乗員に1名の同乗者」という少ない人数で作戦に参加したのかはわからない(この作戦では、爆弾搭載量を増加させるために装備から防御用の銃砲を取り除いていたので、機銃手の搭乗は必ずしも必要ではなかったということなのかも知れないが)、大佐の搭乗理由(任務)も今のところ不明である。

 時刻表示にある「Z」は、世界協定時ないし標準時を示すもので現地時間とは異なる(動画サイトの解説では、不時着水時刻は「Captain McCaskill ditched alongside at 12:38PM on March 10, 1945」であり、「Wikipedia」の「USS Bering Strait (AVP-34)」の項(https://en.wikipedia.org/wiki/USS_Bering_Strait)でも「On 10 March, Bering Strait established contact with a B-29, nicknamed Hopeful Devil, that radioed a distress call during its return from a bombing mission over the Japanese home islands. The Superfortress ditched alongside at 12:38 hours, and Bering Strait picked up the nine-man crew in short order」となっている)。

 

 

 マッキャスキル大尉の「ホープフル・デビル」の所属は、動画に添えられた説明によれば「484th Squadron, 505th Bombardment Group, 313th Bombardment Wing」となっており、指揮系統の序列で(上位から下位へ)示せば、陸軍航空軍>第20航空軍>第21爆撃機集団>第313爆撃航空団>第515爆撃群団>第484爆撃戦隊の1機であったことになる。

 「作戦任務報告書」の「付篇E 集約統計表」によれば、313爆撃航空団のB-29保有機数は146機で、出撃予定機数が121機、実際の出撃機数が110機であった。そのうち3機が不時着水しており、その1機が「ホープフル・デビル」ということになる。

 「ホープフル・デビル」については、「USAAF Nose Art Research Project」に爆弾を手にした角の生えた悪魔の描かれたノーズ・アート画像(http://www.usaaf-noseart.co.uk/plane.php?plane=hope-full-devil#.VvOILa1f2M8)が掲載されており、ボブ・ホープにちなんだ命名だと説明されている。また、機体のシリアル・ナンバーが「42-63482」であることも示されているので、手元の資料を参照することで、ボーイングのウィチタ工場製の1634機―量産初期に生産された機体―の1機であることもわかる。

 

 

 「ホープフル・デビル」のクルーを救助した水上機母艦「ベーリング・ストレイト」については、先の『Wikipedia』記事から、1944年7月に米海軍の水上機母艦として就役し、退役が1946年6月。以後、米沿岸警備隊、ベトナム海軍、フィリピン海軍で就役し、最終的に1990年4月に退役していることがわかる。

 米海軍の水上機母艦としては、輸送船の護衛任務、B-29搭乗員の救難、そして沖縄戦では航空機搭乗員救難任務に加え対潜哨戒任務も大戦中にこなしている。

 

 『Wikipedia』記事中で重要だと思われるのは、「ベーリング・ストレイト」による搭乗員救難活動に対し、313爆撃航空団司令官から感謝の言葉が贈られたエピソードである。水上機母艦に宛てたメッセージの中で爆撃航空団司令官は、「ベーリング・ストレイト」が不時着水した搭乗員の「守護天使」として50名の戦闘員を海上で取戻すことに貢献し、彼らの多くを再び敵への戦闘に従事させることが可能になったことに感謝しているのである。

 不時着水した爆撃機搭乗員の救難システムの構築が、単に米軍の将兵への人命尊重精神を示すにとどまらず、まさに戦争遂行のマネジメントの問題でもあったことが示された言葉であろう(将兵の「無駄死に」を避けることはヒューマニズムの問題でもあるが、戦争遂行のマネジメントの問題でもあり、日本の軍隊は、そのどちらにおいても米軍の水準に大きく劣っていた)。

 その点については、動画に添えられた解説の結びの言葉からも読み取れるだろう。そこでは、「ベーリング・ストレイト」による着実な爆撃機搭乗員救難活動が(これは単に「ベーリング・ストレイト」一艦だけの問題ではなく、背景にある空海軍の緊密な協力により組み上げられた救難システムの存在を考えるべきであろう)爆撃機搭乗員の高い士気を後押ししたとの認識が示されているのである(The USS Bering Strait was part of a well coordinated Air-Sea Rescue operation deployed each time the B-29s attacked Japan.  It was a prime concern of the Bomber Command to rescue as many of these downed crewmen as possible.  For American aircrews, this was a huge morale booster)。

 

 

 

《あらためての考察》

 以前の記事(「統帥の無責任としての特攻精神 7 (ボンバールとスーパー・ダンボ)」)で、アラン・ボンバールの知見に基づき、

 

  ここには不時着水と難船との違いはあるが、広い洋上をいつか発見される偶然に頼り漂流するだけという状況は多くの人間には耐え難いものであり、たとえ救命ボートを手に入れられたとしても「死ぬのには三日で十分」という事態になってしまう、とボンバールは言うのである。
  それに対し、スーパー・ダンボやOA-10A飛行艇が空から捜索し、海軍艦艇が洋上から支援し、つまり太平洋上を漂流する搭乗員を発見し救助するための努力が存在するという事実は、孤立無援の絶望感に沈むことではなく生き延びる可能性を考えることにつながるだろう。それは、洋上に不時着水した搭乗員の生存率の向上に、大きく寄与したはずである。
  そこにあるのは自分たちが「見捨てられてはいない」という希望であり、より正確には自分たちが「見捨てられることはない」という信頼感である。

  実際に捜索されることで救助され生存が確保されるわけだが、ボンバールの知見により推測されるのは、捜索されているという事実があり、救助のためのシステムが存在するという事実が、それだけで生存率の向上をもたらすだろうという構図である。

 

…と指摘したが、まさにその点に、フィルムに記録された「ホープフル・デビル」と「ベーリング・ストレイト」のエピソードの背景にある、米軍の手厚い救難システムの存在の意味が見出されるであろう。

 

 また、「統帥の無責任としての特攻精神 5 (洋上のB-29と特攻精神)」で要約して示した、

 

  救難システムの存在には、単なる人命尊重以上の意味があったのである。搭乗員には訓練が必要であり、その養成には時間と資金の投下が不可欠なのである。爆撃機搭乗員とは、その養成に多くのコストを要するものなのであり、使い捨てにするのではなく使いまわさねばならないものなのである。要するに、米軍における救難システムの存在は、単に軍人兵士の人命尊重を意味するだけではなく、戦争遂行のマネジメントの問題でもあるということなのだ。
  特攻とは、訓練養成にコストを要するパイロットを使い捨てにすること(もちろん、航空機という生産に高いコストを要する兵器も使い捨てにされる)で可能となる軍事行動である。
  戦争遂行のマネジメントという観点からしても、軍事作戦としての「特攻」という選択は、「統帥の無責任」を象徴した行為であることを、あらためて確認しておく必要を感じる。

 

  B-29一機の喪失は、11人の搭乗員の喪失に結びつく。機体は失われても、搭乗員を失わないための努力が、このような海上救難システムとして組み上げられていたわけである。それは何より搭乗員自身の生命の問題であるが、銃後で無事な帰還を待つ搭乗員の家族―それぞれに一票を投じる権利を持った、政治的決定に関与出来る、国内世論を形成する家族である―の問題であり、訓練を経た貴重な搭乗員を失う軍の問題でもある。
  米軍の場合、手厚い救難システムの整備をすることが、前線兵士のより高い士気を支えると考えられ、戦争遂行に対する国内世論の確保に結びつくと考えられ、様々な意味で軍の利益に合致すると考えられていた、ということになるのであろう。

 

…との認識の重要性が、動画サイトにある1945年3月10日の太平洋上の記録フィルムを通して、あらためて確認され得たように思われる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2016/03/23 21:51 → http://www.freeml.com/bl/316274/270785/
 投稿日時 : 2016/03/24 19:07 → http://www.freeml.com/bl/316274/270848/

 

 

 

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