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2016年1月

2016年1月31日 (日)

鎮魂の方法

 

 二週間前の話である。

 

 

 「平成27年度 武蔵野美術大学 卒業・修了制作展」(註:1)で深く印象に残った作品について書いておきたい。

 

 もちろん、印象深い作品は多数あるが、ここでは美術館第一展示室で出会った佐竹真紀子さんの「この町から問いかけて」を取り上げる(註:2)。

 

 私が佐竹さんの作品に見出したのは、見知らぬ死者への慰霊行為の可能性とでも言うべき問題で、作品はその試みであると同時に彼女なりの解答なのであろうと思われた。作品は、私の心に深く染み入るものとして経験され、だからこそ二週間の時を挟んでも(註:3)、ここに書き記しておこうとさせるのである。

 

 

 

 それが彼女にとって(そして私にとっても)「見知らぬ死者」であるのは、生前には会ったことのないであろう人々であるからだ。

 2011年3月11日の仙台市若林区の津波での死者とは、その生前には(もちろん死後にも)ほぼ確実に顔を合わせたことはない。一度も会ったことはないが、しかし若林区の人々の死を忘れることは出来ない。同地区に限らず、あの東日本大震災の津波被害、それが人々にもたらした災厄の大きさは、テレビ画面の前を離れられなくなってしまった多くの人々に共有されていたものであろう。その一人が佐竹さんであり、彼女は一度も出会ったことのなかったであろう死者達に心を向け続け、その思いを作品として定着させたのであった。

 

 中心となるのは20分ほどの映像作品である。

 (以下、作品の構成に触れることになるので、これから先を読むかどうかは各自で判断していただきたい)

 映像は基本的に手持ちのカメラによるもので、その不安定な映像は、作品を流れる時間の儚さ(現実の現在の時間とかつて存在した住宅街としての時間の「儚さ」)を強調する。撮影されているのは現地での彼女の行為であり、画面に映されるノートへの走り書きだけが映像の最低限の説明として機能する。

 

 

 まず彼女は、仙台の中心部からのバスの(現在の)終点を目指す。バス停の標識を抱えての乗車である。バス停の標識は、現在の終点の更に先にあった(かつての―震災以前の)バス路線の本来の終点のものとして彼女が製作したフェイクである。

 現在の終点でバスを降りた彼女は、バス停を抱えて、かつては住宅街であったであろう町並みの痕跡の中を歩く。そして、かつての終点の場所に、抱えて来たバス停の標識を設置する。

 消失した住宅地に立てられたバス停は、かつての町並みの記憶の標しとなるのだ。彼女の態度は徹底的に控えめであるが、設置されたバス停は、たまたま訪れたかつての住民(設置作業を手伝ってくれたりもする)や、遠くからバス(こちらは地元の路線バスではなく観光バスである)で追悼のために訪れる人々との会話のきっかけとなり、かつて住宅地であった頃の景色が(想像力の中で)共有されるのだ。

 (ジョーダンのように思われた)偽のバス停は、消失した町並みを想像力の中で蘇えさせる力を持つのだ。

 

 

 

 時は過ぎ、一帯は夏草に覆われる。彼女は夏草を刈り始める。繁茂した夏草の下から、かつての住宅の土台やタイル貼りの床面が現れる。

 そこに精霊棚を作り、精霊馬を供え、迎え火を焚く。見知らぬ人の住まいの跡で、見知らぬ人のために盆の行事をするのだ。アノニムな死者であると同時に、あの3月11日にテレビ画面の向こうで、ということは彼女の面前で(そして私の面前で)津波に呑まれていった特定の人々でもある。見知らぬ名も知らぬ人々であると同時に、目の前で死を迎えていった人々でもあるのだ。

 そんな人々の死に心を向ける方法として、彼女はお盆の習俗を選んだ。

 しかし、翌日に再訪すると、精霊馬(キュウリやナスの馬)は消えている(鳥に食べられたのだろうか)。

 時を置いて彼女は再挑戦する。

 ピアニストの友人にエアピアノでバッハを弾いてもらう。バッハの旋律をバックに(現場ではエアピアノだが、映像ではピアノ演奏の録音が流される)、精霊馬(キュウリやナスの)が崩れたままの墓石の後ろから顔を出し、かつての道路面を行列し、やがて各家々の跡地に散り、川面を眺めるのである(ここは動画ではないが、スチール写真によるコマ落とし的構成で動画的に映像化されている―そのことによって現実感は薄められ、見える世界の「儚さ」が強調される)。

 精霊馬(死者の魂の乗り物である)を通して、かつての住人の視線が蘇る、ような気分がするのだ。

 

 

 

 そして、葉の落ちた樹木をイルミネーションで飾る試み。日が暮れると、街灯のない暗闇にイルミネーションが光る。

 そこに現れるパトカーの警官。警官の言葉の向こうに、失われた町並みへの憧憬が感じられる。

 

 

 

 年末、津波の跡地の整備は進み、完成した防波堤の向こうには静かな海が広がっている。静かな海を後にして、かつての住宅の跡を再び訪れる。

 

 

 

 そんな映像に魅せられた。

 

 隣室の奥には、映像の最後に登場するトランクが置かれていた。中身はかつての住宅地で詰めた土である。

 映像の最終シーンと展示室が「土」を通して(そして破片となった鏡の反射を通して)結ばれているのであった。

 

 

 2011年の3月11日、テレビの前の私達は、津波に呑みこまれようとする人々の姿を目にしながら徹底的に無力であった。現在も、あの死者達に対して無力であることに変わりはない。しかし、その死者達に心を向けようという、心を向け続けていたいという佐竹さんの思いに、私は深く共感する。

 

 

 

【註:1】
 2016年1月15日~1月18日(武蔵野美術大学 鷹の台キャンパス)

【註:2】
 20分ほどの映像とインスタレーションで構成されている、武蔵野美術大学大学院油絵コースの修了制作である。

【註:3】
 私的な話だが、インフルエンザのために寝込んでしまったのであった。

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2016/01/31 21:57 → http://www.freeml.com/bl/316274/266583/

 

 

 

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