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2015年7月 5日 (日)

尖閣防衛と普天間基地県外移設の合理性

 

 「集団的自衛権」の必要性を尖閣防衛に求めることが的外れであることについては既に論じてあるが(「集団的自衛権論議と外交と軍事のリアリズム」及び「「積極的平和主義」と国民の利益としての「国益」」を参照)、今回は普天間基地の県外移設否定論(要するに日本政府の主張である)との関連で尖閣防衛の問題を考えておきたい。

 

 

 まず、海兵隊基地が沖縄に存在しなければならぬ軍事戦略上の理由のひとつとして、(尖閣を含む)離島防衛上の必要論(離島防衛上に海兵隊の即応的展開が必要だとする論)がある。

 しかし、「米軍にとっての理想の戦場としての尖閣」で論じておいたように、尖閣のような無人の離島を戦場とする場合、まず米国の空軍力と海軍力だけで攻撃には十分に対応し得るのである。たとえ(中国の軍隊に)尖閣に上陸されることがあったとしても、米国海軍及び空軍には、迅速に制海権を掌握し制空権を掌握することで上陸部隊を圧倒し上陸部隊への支援を不可能にする能力があるのであって、一時的に上陸に成功したとしても占領状態の維持への可能性はないのである。

 海兵隊による制圧は(それが必要なのであれば)、その後に果たされればよい話なのであって、その意味で海兵隊が沖縄に駐留しなければならない理由は存在しない。オスプレイの持つ速度と航続力は、むしろ海兵隊が沖縄県外(日本本土)に駐留し得る理由となる。

 要するに、海上の米海軍力と、沖縄駐留の米空軍力の即応的展開があれば、尖閣における米軍の圧倒的優位は確保され、海兵隊兵力の展開はその後で十分なのである。少なくとも、日本の主権領域の確保(つまり個別的自衛権の対象)に関する限り、普天間基地の県外移設は、日本の防衛の弱点となることはない。

 つまり、普天間基地県外移設案への否定(沖縄での海兵隊駐留の継続必要性の主張)は、軍事上の要請ではないのだと考えるべきである。南沙諸島の問題にしても、先に論じたように(「米軍にとっての理想の戦場としての尖閣」参照)、基本的構図は尖閣と同様に米国の海空軍力にとっての「理想の戦場」となるのであって、海兵隊の作戦行動にとって本土駐留という地理的条件がマイナスに働くことはない(沖縄でなければならぬとの論は、本土防衛という観点からすれば、むしろロシアの存在を閑却した主張との批判も可能でさえある)。

 

 

 いずれにせよ、尖閣への攻撃への座視は、日本からすれば日本への攻撃を米軍が座視することを意味し、日本に駐留する米軍の存在意義そのもの(もちろん、沖縄県内の基地に駐留する海兵隊の存在意義についても)を否定することになってしまうのであって、米国として取り得る態度ではないのである。

 

 尖閣防衛を「集団的自衛権」の必要性と関連付けるのはまったくの誤りであるし、尖閣防衛上の軍事的要請と米海兵隊の沖縄駐留の必要性の関係を冷静に考えれば、「普天間基地県外移設」は軍事的観点からは許容される問題であること(県外移設が尖閣防衛への悪影響となることはない)は理解されるはずである。むしろ、尖閣をめぐる緊張の高まりに応じて本土駐留の海兵隊をあらためて沖縄に前進・展開させて見せることで、米国としての意思を明確にする効果(パフォーマンスとしての効果)を持ち得る点を考慮すれば、海兵隊の本土駐留は軍事的にも外交的にも合理的な選択でありさえするように思われる(この点については空軍兵力も同様で、現在のような規模で沖縄に空軍基地を集中させる必要はなく、本土への分散駐留が軍事的なマイナス要因となることはないだろう―沖縄県の基地負担の軽減への努力は、日本政府が、そして本土に住む日本国民が誠実に取り組むべき課題である)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/07/03 23:15 → http://www.freeml.com/bl/316274/249901/

 

 

 

 

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