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2015年5月

2015年5月 9日 (土)

安倍晋三氏の完全なる転向(米議会演説と「歴史認識」)

 

 以下、「歴史認識」問題に焦点を絞っての、安倍晋三氏の米議会演説の「解釈と鑑賞」の試みである。
(テキストとして用いたのは「安倍首相米議会演説 全文」 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150430/k10010065271000.html

 

 

 

 では早速本題に…

 

   私の名字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主主義の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

 

 安倍氏はここで、安倍氏の支持者の反米心情を躊躇することなく否定してみせている。

   日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

 ペリーを米国による軍事的日本侵略の先兵と位置付け、対米戦争をペリー以来の米国の反日政策に対する防衛戦争と位置付け、敗戦後のマッカーサーによる占領統治を米国の日本再侵略と位置付け、戦後の民主化を米国による反日的洗脳政策と位置付け、真珠湾攻撃に始まる対米戦争を正当化し、現憲法を否定するのが、安倍氏のお友達・支持者の多くに共有される心情であることは今や常識に属する事柄だと思われるが、安倍氏は、そのような心情を米国議会の場で否定してみせたわけである。

 安倍氏は、米議会演説で親米政治家であることを宣言し、「親米」の基礎に「民主主義」を据えてしまった以上、現在の日本の民主主義の基礎となっている現憲法の制定への米国の関与も、歓迎すべきことではあれ、否定すべきことではなくなってしまうだろう。

 

 

   先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星の一つ、ひとつが、倒れた兵士100人分の命を表すと聞いたときに、私を戦慄が襲いました。金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

   戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。みずからに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。焦土と化した日本に、子どもたちの飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。米国がみずからの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。

 

 ここに示された安倍氏の「歴史認識」、米国議会(すなわち米国民を代表する人々の前で、ということである)で示された安倍氏の「歴史認識」は驚くべきものである。

 「先の大戦」としての「大東亜戦争」は、米国民に対し安倍氏の「深い悔悟」を呼び起こすものとして示されたことにより、米国を相手にした日本の自存自衛のための戦争として躊躇なく正当化され得るようなものではなくなってしまうだけでなく、「金色の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません」と言ってしまえば、米国人は 「自由を守る」ために日本と戦ったということになってしまう。言い換えれば、安倍氏はここで、「先の大戦」での日本が「自由の敵」だったとの認識を示しているものと、演説の聴衆としての米国民には理解されてしまうことになるのも当然の話だろう。同時に、演説中で「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」を再確認することによって、アジアに対しての植民地解放戦争としての大東亜戦争正当化の道も否定され、総じて安倍氏の支持者の「歴史認識」は(もちろん、本来の安倍氏自身の「歴史認識」が、ということでもあるのだが)否定されてしまっているのである。

 しかも、

   これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません

…という形で、「村山談話」等の継承が宣言され、あらためて安倍氏支持者の「歴史認識」の否定(すなわち安倍氏自身がこれまで示してきた「歴史認識」の否認を意味する)が明言されているのである。

 安倍氏支持者がこの点に気付いていないように見えるのは何とも不思議な話であり、安倍氏批判者がこの点(端的に言えば、「歴史認識」における安倍氏の転向である)を高く評価しようとしないのも、私には不思議な話に感じられてしまう。

 

 確かに「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」への「謝罪」の言葉はどこにもないが(もちろん、「謝罪」を表す言葉の存在は望ましいことではあるのだろうが)、米国議会の場での演説(アジア諸国民に向けられたものではなく、米国民向けの演説なのである)という性格を考えれば、必須の文言とまでは言えないだろう(もちろん、「言いたくないだけ」というのが本音なのであろうが、「慰安婦」への言及の有無についても、問題の当事者ではない米国議会の場での演説である以上、触れなければならぬ問題とは言い難いことも確かである)。

 むしろ、ここでは安倍氏は、「植民地解放戦争」としての大東亜戦争正当化論法に対し、「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」に言及することで日本を「アジア諸国民」への「加害者」として位置付けてしまっている(加害/被害の関係性の中では、「苦しみを与えた」側は「加害者」なのであり、「苦しみを与えられた」側が「被害者」として位置付けられるのは当然のことである)のであり、恩恵を与えた「解放者」としての大日本帝國の位置付けを困難にし、安倍氏支持者の「歴史認識」を見事に裏切ってしまっていることに、私は注目しないわけにはいかない。

 

 

   こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。

 

 ここでは「日本国憲法」の掲げる価値観が礼賛されていることに、安倍氏の支持者は気付いているのだろうか?

   過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。

 まさに「日本国憲法」が日本に「根づかせ」た価値観である。

 

   女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

 

 安倍氏が本気で、

   女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めよう

…としているのだとすれば(安倍氏は、米国議会の場でそのように明言しているわけだが)、これもまさに安倍氏支持者の否定する「日本国憲法」によって明確に示された方向性であり、つまり安倍氏の「お友達」や支持者の価値意識を明らかに裏切るものとなっている。

 

   アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。

 

 安倍氏のいう「3つの原則」こそは、まさに「日本国憲法」の精神そのものである。ここでは憲法九条を支える理念・精神を、安倍氏は「強調」してみせていることになる。

 

   人間一人一人に、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。

 

   日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

 

 これらもまた「日本国憲法」を貫く精神なのであり、現憲法の根幹そのものなのであって、安倍氏がこんなにも「日本国憲法」の理念に理解があるとは私は知らなかったし、ここまで安倍氏が「日本国憲法」の精神を共有し礼賛していることには驚かされるばかりである。

 

 

 安倍氏支持者に必要なことは、明白な安倍氏の裏切りに気付くことであり、安倍氏批判者に必要なことは、安倍氏が示した「歴史認識」が、安倍氏支持者の(そしてこれまでの安倍氏自身の)「歴史認識」を真っ向から否定するものであることを明確にし、(米国の)「民主主義」を礼賛する安倍氏が示したのは、「日本国憲法」の理念・精神そのものであることを強調し、安倍氏の米国議会演説を徹底的に持ち上げること(安倍氏を「ほめ殺し」にすること)であるはずだが、そのことには誰も気付いていないようである。

 

 

 今回の安倍氏の米国議会演説については、いろいろな論点があるのだと思うが、安倍氏の「対米従属の徹底」という問題と、「歴史認識」問題がリンクしていることも、今回の注目点の一つのように思える。

 米議会を前にした安倍氏は、親米政治家であることを対米従属の徹底において明らかにし、その際に「親米政治家」としての安倍氏が示した「歴史認識」は、安倍氏の当初の言説からすれば「完全転向」と言うしかないものなのである。

 政権担当前の安倍氏の主張は、

 

   自民党の安倍晋三元首相は27日、産経新聞のインタビューに応じ、次期衆院選について「政界再編の第一歩と位置づけなければならない。混乱を避けては再編はできない」と述べた。その上で再編のカギを握る大阪市の橋下徹市長率いる大阪維新の会に関し、「違いはあるが、違いを見つけるよりも骨格が同じかどうか、貫く精神が共有できるかどうかだ。橋下氏は戦いにおける同志だと認識している」と表明した。
   次期衆院選とその後の政界再編に向け、橋下氏との連携、協力を深めていく考えを示したとみられる。橋下氏と共有できる具体的な政策の柱については、(1)教育改革(2)憲法改正(3)慰安婦問題をはじめとする歴史認識分野-などを挙げた。
   特に慰安婦問題に関し、橋下氏が「強制連行を直接示すような資料はない」とした平成19年の安倍内閣の閣議決定を引用し、慰安婦募集の強制性を認めた河野談話について「証拠に基づかない内容で最悪」と批判したことを「大変勇気ある発言だった」と評価した。
   再び自民党が政権の座に就いた場合は「(教科書で周辺諸国への配慮を約束した)宮沢喜一官房長官談話、河野談話、(アジア諸国に心からのおわびを表明した)村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」との考えを明らかにした。
     (
産経新聞 2012/08/28 00:57

 

…というものであった。抜き書きすれば、

   再び自民党が政権の座に就いた場合は「(教科書で周辺諸国への配慮を約束した)宮沢喜一官房長官談話、河野談話、(アジア諸国に心からのおわびを表明した)村山富市首相談話、全ての談話の見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう

 この「歴史認識」こそが、積極的安倍氏支持者にとっての正しい「歴史認識」であり、安倍氏の「お友達」にも共有された正しい「歴史認識」であった。

 

 しかし、確かに、「アジア諸国民」に対する「謝罪」の文言こそないが、

   戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません

…と米国議会という公式の場で言ってしまった以上、(歴代内閣によって示された)「侵略への反省と謝罪」が安倍氏(そして安倍内閣)にとっても共通の認識であることは論理的に当然とならねばならぬ話なのであって、それを否定すれば、米国議会での演説そのものの価値が疑われてしまうことになる。

 米議会演説では直接の言及が避けられたにせよ、安倍内閣は「河野談話」の「継承」を明言しているのであり、たとえば演説に先立って行われた米国メディア(ワシントン・ポスト)のインタビュー記事は、

   米紙ワシントン・ポストは27日、安倍晋三首相のインタビューを掲載した。同紙によると、首相は、慰安婦が「人身売買(ヒューマン・トラフィッキング)の犠牲となり、筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみを経験されたことを思うと、心が痛む」と述べたと報じた。インタビューの内容は英訳されており、日本語でどのような表現を使ったかは明らかではない。
   同紙電子版が伝えた詳報によると、首相は慰安婦問題により「女性の人権が侵害された」と指摘。「21世紀を人権侵害のない最初の世紀とすることを願っている」と述べた。
   また、日本の植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年の「村山談話」、戦後60年の「小泉談話」を含め、「過去の政権の歴史認識に関する立場を、安倍内閣は守る」と発言した。慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話」に関しては「見直しはしていない」と語った。
     (
産経新聞 2015/3/28 8:59

…との安倍氏の見解を伝えている。安倍氏は(そして安倍内閣は)、かつての日本による「侵略への反省と謝罪」を明らかにした、「村山談話」や「小泉談話」に示された日本政府としての「歴史認識」を「守る」ことを明言し、「河野談話」の、

   いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

…との認識が、安倍氏(そして安倍内閣)にも「継承」されるものであることを確認しているのである。しかも、それは、安倍氏(安倍内閣)の認識としては既に繰り返し示されたものなのである(詳細は「資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移」を参照)。

   安倍晋三首相が14日、従軍慰安婦制度への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話の見直しを初めて明確に否定した。慰安婦問題で誠意を示すよう求める韓国の朴槿恵大統領に対し、関係改善に向けたメッセージを送った形で、首相は、24日からオランダ・ハーグで開かれる核安全保障サミットに合わせた日米韓3カ国首脳会談の実現につなげたい考えだ。
   実際、首相は同日、河野談話について「安倍内閣で見直すことは考えていない」と明言。「官房長官が答えるのが適当」などとはぐらかしてきた従来の姿勢を転じた。元慰安婦に対しても「筆舌に尽くし難いつらい思いをされたことを思い、非常に心が痛む」と語り、気遣いを見せた。
     (
時事通信 2014/3/14 18:32

 安倍氏は、「当時の軍」の慰安婦制度が、被害者に「筆舌に尽くしがたい痛みと苦しみ」を与えるような「人権侵害」であったことを認めるだけでなく、「河野談話」が示した「心からお詫びと反省の気持ち」を安倍氏も継承・共有するものであることを(米議会演説以前に既に)繰り返し明らかにしていたのである。

 

 その上で、あらためて安倍氏は、米国議会の場で、「歴史認識」における完全転向を表明してしまったのであり、安倍氏支持者の支持に対する裏切り行為を平然と(むしろ誇らしげに)働いてしまったのである。

 

 「謝罪」の有無や「慰安婦」への言及への有無についても確かに重要な問題ではあるが、しかし、(多くの安倍氏批判者のように)そこだけに気を取られてしまうと、その背後に存在する安倍氏の実質的転向という、より重要な事実が見えなくなってしまう。

 それで得をするのは誰でもなく安倍氏本人なのであることを、安倍氏の批判者は理解しておくべきであると思うが、そのような知性(あるいは想像力)を持つ者はいないようである(安倍氏を救っているのは、反安倍を掲げる人々の鈍感さなのである)。

 

 もちろん、「心にもないことを誠意を込めて言える」のも確かに政治家には必要な資質なのかも知れないが、しかし、安倍氏は米国議会という大舞台で大見得を切りながら「転向」を宣言したのである。

 私であれば、安倍氏の「完全転向表明」の言質として最大限に利用することを考えるような局面であるが、誰もそのようには考えることはしないらしい。

 本来なら、国内の安倍氏批判者にも、中韓のように国家として安倍氏を批判する勢力にとっても、安倍氏の転向表明を称賛することこそが必要な局面ではないかと思わずにはいられない(彼らにそのような知恵を期待するのには無理があることは承知しているが、しかし、安倍氏は「歴史認識」において既に実質的に「屈服」してしまっているのである)。

 

 

 いずれにせよ、安倍氏の対米従属姿勢は、自らの、そして支持者の「歴史認識」を平気で裏切るほどに徹底したものだということにもなる(対米従属姿勢が「歴史認識」における安倍氏の「転向」をもたらしたのかも知れないにせよ、結果的に中韓の要求に対する実質的な「屈服」となってしまっていることも確かなのである)。

 

 それとも、英語での演説だったので実際には自分が何を言ったのかを理解していない、ということなのであろうか? (少なくとも、安倍氏の米議会演説を称賛する安倍氏支持者が、実際には演説を読んでいない、あるいは内容を理解していないことは確かであろう)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/05/08 22:02 → http://www.freeml.com/bl/316274/245376/

 

 

 

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2015年5月 7日 (木)

岡村淳監督の『旅の途中 橋本梧郎と水底の滝・第二部』(2014)を観た

 

 「メイシネマ祭 ’15」の三日目(最終日)には、岡村淳監督の『旅の途中 橋本梧郎と水底の滝・第二部』を観た。

 

 

 

 岡村淳監督作品としては、一昨年に『リオフクシマ』を観ているのだが(「『リオフクシマ』を(やっと)観る」参照)、推測するに(作品の成り立ちからすると)『リオフクシマ』は岡村監督作品としてはイレギュラーなんじゃなかろうかという気もするもので、今回が岡村監督作品世界への正面入り口からの遭遇ということになる…のか?

 そんな期待を抱きつつ、会場の小松川区民会館ホールのイスに座り、スクリーンに向き合うのであった。

 

 

 しかし、今回の上映作品は『旅の途中 橋本梧郎と水底の滝・第二部』とタイトルにあるように、「第一部」の「続き」なのである。で、残念なことに「第一部」は未見なのであって、つまり『旅の途中』という長編作品の「途中」から観ることになるわけで、フルコース料理の前菜から数品を食べ損なったままメインディッシュ…的気分もしないでもないのであったが、作品として完結していないわけでもないので、岡村監督ワールドの味わいを堪能することは出来たようにも思える。

 

 主人公は橋本梧郎先生である。「メイシネマ祭」のチラシの作品紹介から引用すれば、「ブラジル移民植物学者、橋本梧郎94才。彼の人生総決算の旅は幻の滝を捜し求めること。目的地はまだまだ途中下車。珍道中記はつづく」というような話で、主人公である橋本梧郎先生は94才の植物学者なのであった。

 当日の配布資料を読むと、岡村監督と橋本梧郎先生の交流の長さが伝わると同時に、橋本先生がいかに並はずれた人物かもわかるはずだ。

 

 1996年製作のテレビ番組が最初(の両者の出会い)だったらしいが、「83歳、現役バリバリだった橋本梧郎先生の日常とライフヒストリーを紹介」に加えて、岡村監督も実際の調査行(橋本先生は文字通り「現役バリバリ」の「植物学者」なのである)に同行し撮影している。

 次の作品が2001年の『パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌』で、「88歳の誕生日を迎えた橋本先生は、弟子の調達した日本の財団の資金で、青年時代からの夢であったパタゴニアの踏査に向かうことになった。南米大陸の南に位置するパタゴニアをチリからアルゼンチンへと横断しながら、ヨーロッパ人が地上最悪の土地と称した過酷な大地を、植物学者のミクロとマクロの視点でとらえていく」という展開となるらしい。88歳という年齢とパタゴニアでのフィールド調査(しかも踏査!である)の組み合わせなのだ。

 その次が2005年の『ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌』で、「90代に突入した橋本先生の最後の願いは、ブラジルとベネズエラにまたがるテーブルマウンテンを訪ねることだった」という展開である。

 で、前作の『南回帰行 橋本梧郎と水底の滝・第一部』(2011)となる。「ギアナ高地の旅から戻った橋本先生は、古木が枯れていくように心身が衰えていった。そんななか、橋本先生は岡本に折り入っての頼みを切り出した。先生は、巨大ダム建設により水底となった滝へ岡村の運転で連れて行ってもらいたい、と言う」と話は続き、今回の「第二部」なのである。

 これが、主人公の橋本先生なのだ。

 

 

 で、「第二部」は94歳になった橋本先生と、運転手にして撮影者(実際に左手でハンドル握りながら右手にカメラ、だったりするのだ)である岡村監督、橋本先生の奥さん、先生の助手役を務める女性といったメンバーによるロングドライブ(と自宅での日常)の記録となっている。

 「植物学者」に限らず、およそ「研究者」として生きようとする人間の終わりなき知的情熱は、「世間の常識」(「常識」の名の下に、人々の多くは「世間」なるものに拘束されて生きようとするのである―しかも、それを自ら求めて)とは別の世界を形成してしまうものだが、橋本先生もまさにそのお一人である。しかも(誰からも文句を言われようのないくらいに)高齢かつ現役なのだ!

 岡村淳監督の手持ちカメラにより撮影されているのは、そのような人物の知的情熱の実際と、日常の姿、なのである(それが実に魅力的なのだ)。

 一方、カメラの手前にいるのは、運転手として橋本先生に引きずり回される岡村監督であると同時に、ドキュメンタリー映画監督として橋本先生にいろいろとけしかけている(ようにさえ見える)岡村淳氏の姿である。

 ドキュメンタリー映画監督もまた「世間の常識」の外部に生きる種類の人間(「常識」は、決して人にドキュメンタリー作品を撮れとは命令しない)だと思われるが、この作品では、「研究者」と「監督」という組み合わせがどこか浮世離れした現実を形成し、しかしその日々があくまでもドキュメンタリー作品として、つまり視覚的現実として記録されているのであった。

 

 

 

 今回の「メイシネマ祭」の会場には、実際に手持ちカメラで周囲を撮影し続ける岡村監督がいた。来場者を含む会場内の光景を撮影していたのだ。

 上映後のトークの中で、撮影のいきさつが語られた。「メイシネマ祭」は(そのように銘打つ前の上映会開催を含めれば)今年で25年目なのである。その記念すべき年に、岡村監督は、「メイシネマ祭」とその背後に控える主催者である藤崎和喜氏をターゲットに撮影を開始した、ということらしい。「世間の常識の外部」で撮影を続けるドキュメンタリー映画監督が作り上げた作品を(誰に頼まれたわけでもないのに)集めて上映するという藤崎氏の行為もまた、「世間の常識の外部」のもの以外の何物でもない(と誰しも思うだろう―そもそも藤崎氏の生業は、映画界とはまったく関係ないのだ)。

 この「新作」では、「ドキュメンタリー映画上映会主催者」と「ドキュメンタリー映画監督」という組み合わせが醸し出す「浮世離れした現実」が記録されているに違いない。

 そんな期待を抱かされつつ、今年の「メイシネマ祭」の会場を後にしたのであった(観たい作品を残して)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/05/06 20:42 → http://www.freeml.com/bl/316274/245202/

 

 

 

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2015年5月 5日 (火)

『まちや紳士録』(2013)と『鳥の道を越えて』(2014)を観る

 

「メイシネマ祭 ’15」の二日目の上映の中から、伊藤有紀監督の『まちや紳士録』(2013)と今井友樹監督の『鳥の道を越えて』(2014)を観た。

 

 

 

 伊藤監督の『まちや紳士録』は、福岡県八女市の八女福島地区の町並みの保存の試みを記録したものだが、監督自身が同地区の古民家に移り住んだ当人であり、その当人が同地区での「町並み保存」の現状をまさに現在進行形で撮影したところに、作品としての特色の一つが見出されるように思える。

 当人自身(とその妻)の地区住民(移住者)としての生活の進展があり、同時に地区内の二つの家屋の修復の進行があり(一方で、修復が期待されながらも本格的に手が付けられるに至らない旧八女郡役所の姿もある)、茨城県から同地区への移住を考える男性(とその家族)が実際に住民となるまで(監督当人もそうであるように、「町並み保存」の要と位置付けられているのは同地区への移住者であるところに、このプロジェクトの特徴がある)が、現在進行形で(つまり同時進行する形で)観客の前に映し出されるのである。画面には何人もの魅力ある人物が登場する。

 まるで廃墟のようになってしまった駅前の商店街の映像に象徴されるように、人口減少の進行する八女市の現実があり、古い町並みを残していた福島地区も例外ではなかったわけだが、それがいかに保存・復活への道へと進み得たのか? 現在進行形の出来事を追う映像の背後には、何が(そしてどのような人物が)それを可能にしたのかも描かれている。先日の「ふくしまの話を聞く 4」(「再び「ふくしまの話」を聞く」参照)でも、講演者の一人であった伊達市の職員のお役人的前例踏襲主義を越えた生き方に希望を見出したものだが、今回の八女市の町並み保存の記録映像の中心にも、そのような魅力ある元公務員が登場する。

 

…と書き続けてしまうと、実際に映画を観る楽しみを奪ってしまうので、これ以上は控えるが、町並みと家屋は物質としての現実の存在であるにしても、その場に生きる人間こそが、町並みに、そしてそれぞれの家屋に命を吹き込み存続させる主人公であることを、あらためて実感させられる映像であったことまでは書いておこう。それと、福島八幡宮境内で上演される「燈籠人形」の舞台には驚かされた―かつての八女が様々な工芸的伝統産業の中心地であった歴史が埋め込まれた、かつての八女の繁栄の歴史の証となる優れた芸能なのである(上映後のトークに登場したプロデューサーの川井田博幸氏によれば、そもそもが「燈籠人形」の上演を観るために八女を訪れたのが、このドキュメンタリー製作の発端だったのだという話であった)。

 

 

 今井友樹監督の『鳥の道を越えて』が追うのは、かつて存在した「カスミ網猟」の記憶である。

 発端は、今井監督自身が少年時代に祖父から聞かされた、今井監督自身の故郷(岐阜県の山中の村である)の空を埋め尽くしたという渡り鳥の姿(それが「鳥の道」として見えたわけだ)の思い出話なのだが、かつては漠然と聞いていただけで終わってしまっていた話の詳細を、あらためて祖父に問い、祖父の同世代の村の人々にも話を聞き、聞けば聞くほど新たにわからないことが見出され、見出された疑問への答えを探るためには新たな出会いが必然となり、しかしそこで話は終わらず、到達した答えの先には新たな問いが生まれてしまう(何かを知ることはゴールではなく、常に新たな何かを知るためのスタート地点に転化してしまうのであり、観客はその構造の中に巻き込まれてしまうのである―これは青原さとし監督作品の魅力にも共通する構造であり、両者が共に「民族文化映像研究所」のスタッフであった事実を考えると、そこに民映研スタイルとでも言うべきものが見出されるのかも知れない)。

 時代をさかのぼれば江戸初期の記録にまで及び、取材の足は福井県にまで至る。個人の記憶の背後には地域の歴史があり、更にその向こうには地域を超えた交流・移動の歴史が見えて来る。「カスミ網猟」は、戦後、占領軍の政策により禁止され、監督の祖父の世代の記憶としてのみ残されるものになったのである(私にも、「カスミ網」を理由としての逮捕を報じる新聞記事を読んだかつての記憶―それは高度成長期になってのものである―があるし、宮澤賢治の「貝の火」には、賢治なりの「カスミ網猟」観が提示されているのを思い出す)。

 そして、自らの経験において「鳥の道」の記憶(「カスミ網猟」が民俗社会の中で行なわれていた時代の「記憶」である)の主人公であった世代の最後となる一人が今井監督の祖父なのであり、同世代の村の人々であったわけで、『鳥の道を越えて』に記録されているのは、今後は誰からも聞くことの出来ない、この国の「かつてあった世界」についての証言なのである。

 映画の中では、現在でも行われている伝統的な狩猟法の一つとして、石川県の「カモ猟」が紹介されるが、これには驚かされたことは付け加えておきたい。まるでミュンヒハウゼン男爵の物語るエピソードのような狩猟法なのである(それがファンタジーではなく「現実」の狩猟法なのだ)。

 

 

 伊藤監督の『まちや紳士録』の方は、基本的に現在進行形の町の中のエピソードだけで話は進んでいくが、今井監督の『鳥の道を越えて』の方は、次々と生み出される監督自身の問いに促された移動・取材によって構成されている。

 そのような意味でスタイルは異なるにしても、両者の映像を通して問われているのが、私たちが安易に「伝統」と呼ぶものの内実である点において、監督の問題意識は重なっているようにも感じられた。それともう一点、出発点としての監督自身のプライベートなエピソードが、社会に直結し、歴史の渦中にある事実を映像を通して明らかにして見せてしまう手法に、両者の共通性を感じたように思う(そこには社会を構成する「私」があり、歴史の構築者となる「私」が存在するのであり、そこに「伝統」も成立するのだ―個々の私が生き物であるように、「伝統」もまた生きて変容し続けるものなのである)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/05/04 22:19 → http://www.freeml.com/bl/316274/245059/

 

 

 

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