« 敗兵先戦而後求勝 (軍事的リアリズムと戦争) | トップページ | 資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移 »

2015年3月 4日 (水)

マッカーサーの言葉(要出典)、あるいはコピペ市長の悲しさ

 

 

 名取市の佐々木一十郎市長は2日の市議会2月定例会の一般質問で、昨年12月号の市広報コラムに、連合国軍のマッカーサー司令官の証言だとして引用した文章が出所不明で誤りがあったことを認め、謝罪した。
 市長は、1951年5月3日の米上院軍事合同委員会公聴会でのマッカーサーの証言の抜粋として書いた。「先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は自衛戦争をしただけです」「東京裁判はお芝居だったのです」などと続く。
 市長はインターネット上の文章を引用しており「内容を検証せず掲載し、ご迷惑をかけたことをおわびする」と謝罪。「戦後70年の節目に平和や愛国心を考えるきっかけになればと思った」などと釈明した。
     (河北新報 3月3日(火) http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201503/20150303_11018.html

 

 

 

 マッカーサーのエピソードとして、「先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は自衛戦争をしただけです」とか「東京裁判はお芝居だったのです」なんて言葉があるという話がネット上で広まっているらしいことは既に知っていた(何度か遭遇経験あり)。

 私の脳内分類では、いわゆる「要出典」モノ(別の言い方をすれば「ガセネタ」候補)として処理されていたままで、深く追求することまではしていなかった。

 

 

 今回の『河北新報』記事では、件のマッカーサーの言葉は、「1951年5月3日の米上院軍事合同委員会公聴会でのマッカーサーの証言の抜粋」との位置付けの下に名取市市長に引用されたことが示される一方で、市長が「連合国軍のマッカーサー司令官の証言だとして引用した文章が出所不明で誤りがあった」ことを認め「内容を検証せず掲載し、ご迷惑をかけた」と「謝罪」する事態にまで至ったことが報じられている。

 

 記事を読むだけでは必ずしも事実関係として明確ではないが、件のマッカーサーの言葉は、市長により(あるいはネット上の情報では)マッカーサーの言葉の出典元として示されている「1951年5月3日の米上院軍事合同委員会公聴会」でのマッカーサーの実際の証言内容には含まれていないらしく見える。

 

 他の場所でそのようにマッカーサーが語った事実がある可能性はかろうじて残るが、少なくとも「1951年5月3日の米上院軍事合同委員会公聴会」の場でそのようにマッカーサーが語った可能性は低そうである(続く「追記」で、あらためて市長による文章の全文の紹介と、そのあまりにバカバカしい問題点を論じておきましたので、ぜひ目をお通し願います)。

 

 

 

〔追記:「全文」の解釈と鑑賞の試み〕
 ネット上には既に、佐々木一十郎名取市市長の「市広報コラム」の文章の「全文」とされるものが紹介されていた。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/02/the-rumor-of-mcarthur_n_6788700.html

 

 

  「マッカーサーの言葉」 長い引用です。
 『日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。日本は自衛戦争をしただけです。アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメぬき、最後通牒としてハルノートを突きつけました。中国大陸から出ていけとか、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったというのでしょう。当時、アジアのほとんどの国は植民地でした。白人は良くても、日本人には許さなかったのです。
 ハルノートのことは私も知りませんでした。あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。戦争になれば圧倒的武力でアメリカが勝つことはあきらかでした。
 国を弱体化する一番の方法は、その国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することです。戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。まず、日本の指導者は間違った軍国主義でアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました。日本がアジアを白人の植民地から解放したという本当の理由を隠すため「大東亜戦争」という名称を禁止し「太平洋戦争」という名称を使わせました。
 東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。公職追放でまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました。その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。
 徹底的に検閲を行い、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカです。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使い何十万人という民間人を虐殺しました。』 
 これは昭和26年5月3日アメリカ上院軍事合同委員会の公聴会でのマッカーサーの膨大な証言の抜粋で、その趣旨は中国によって共産主義を拡大させてしまったことへの反省です。
 とても60年以上前の証言とは思えないほど、今の日本はアメリカの仕掛けた呪縛にかかったままの状態です。
 ネットでは当たり前に閲覧できますが、日本のマスコミには載りません。

 

 

…というものだそうだが、市長の文章がこの通りなのだとすれば、マッカーサーの言葉として「私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカです」とはいかがなものか? マッカーサーが「自虐史観」なんて言葉を用いるものだろうか? 

 「公職追放でまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました。その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです」って、これは21世紀のある種の日本人の用語法(いわゆるネトウヨ語法)であって、1951年当時のマッカーサーが「代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました。その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです」などという言い方をすると思う(信じてしまう)ようでは、あまりに危なっかしい。

 そもそもの話、1951年当時に「その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしている」わけはないだろうが! 「公職追放でまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました」とは占領初期の状況認識としてはまだいいとするにしても、既に前年(1950年)にマッカーサーは「左翼分子」の排除に手を付けているのである(それがいわゆる「レッド・パージ」で、「左翼分子」の存在がマッカーサーにとっても大問題だったことを示すが、「反日的」かどうかをマッカーサーが問題にすることはないだろう)。いずれにしても、1951年というのは、その「反日的な左翼分子」がまさに現役の時代(パージを免れていれば「教え子」を教育していた時代)なわけで、彼らの「教え子」の時代(「教え子」が「今、マスコミ・政界などで反日活動をしている」ような時代)となるのはこれから先の話なのだ。

 

 

 マッカーサーの言葉というなら、もっとそれらしく、1951年代のマッカーシズム全盛時代を反映させた用語法を徹底して欲しい(当時のマッカーサーにとって重要なのは「反共」なのであって、「反日」かどうかではない)。

 

 

 それに「これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです」とは何事か??

 1951年は、まだ日本は連合国占領下(主権回復前)で、そもそも「独立国」とは言い難い状態にあったのではないのか? その時代背景をきちんと理解してさえいれば、占領軍司令官であったマッカーサー(ちなみに1951年5月の公聴会とは、マッカーサーが占領軍司令官を解任された直後のもの―マッカーサーにとっては自身の軍人としての能力と占領統治政策の正当性をこそ示さねばならぬ機会―である)が、「今に至るまで独立国として自立できない状態が続いている」原因を「徹底的に検閲を行い、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙し」たことに求めているのは変だと気付くのではないだろうか? 日本が「今(1951年)に至るまで独立国として自立できない状態が続いている」のは、「戦争に負けて良かったのだと日本国民」が考えて(あるいは「騙されて」)いるからではなく、日本のポツダム宣言受諾の結果(つまり日本の敗戦の結果、マッカーサー自らが指揮した連合軍の勝利の結果)に過ぎない話なのである。

 

 

 「1951年5月3日の米上院軍事合同委員会公聴会」でのマッカーサーの実際の証言内容を検証するまでもなく(既に検証されてもいるが→ https://www.facebook.com/iguchi.reiko.7/posts/277302169097696)、佐々木名取市市長が引用した「ネットでは当たり前に閲覧できますが、日本のマスコミには載りません」ということになっているマッカーサーの言葉とされるものは、指定されている1951年という年代との整合性(そしてマッカーサーの立場との整合性)に欠けたものでしかなく、情報としての信頼性がないことはそれだけで明らかと言うしかない。ネット上の(ある種の人々による)用語法では「捏造」と呼ばれる種類のものである。佐々木市長によれば「日本のマスコミには載りません」とされているので、この件に関しては「朝日新聞の捏造」ということでもないのだろう。果たして誰による「捏造」だったのであろうか?

 シリアスなドラマで、1951年の東京の中学生の台詞として、「チョーウザイ」だの「~ジャネ?」(もちろん尻上がりのアクセントで)のような言葉を用いたとすれば、脚本家として失格である。1951年のマッカーサーに「公職追放でまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました。その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです」などという台詞を語らせるのは脚本家のご自由であるにしても、それではシリアスな歴史ドラマにはなり得ないということなのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2015/03/03 22:09 → http://www.freeml.com/bl/316274/240443/

 

 

 

|

« 敗兵先戦而後求勝 (軍事的リアリズムと戦争) | トップページ | 資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移 »

ウヨク、サヨク、そしてリベラル」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1135955/59138962

この記事へのトラックバック一覧です: マッカーサーの言葉(要出典)、あるいはコピペ市長の悲しさ:

« 敗兵先戦而後求勝 (軍事的リアリズムと戦争) | トップページ | 資料:いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐる、安倍晋三氏発言と安倍内閣見解の推移 »