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2014年12月

2014年12月 7日 (日)

『311』(2011)をやっと観る (対談:安岡卓治×松江哲明)

 

 武蔵野美術大学の第41回イメージライブラリー映像講座として、安岡卓治氏(映画プロデューサー)と松江哲明氏(ドキュメンタリー監督)の対談の企画があり、対談に先立ち『311』(2011)も上映された。『311』は、安岡卓治、森達也、渡井健陽、松林要樹の四名による震災直後の被災地の記録であり、松江哲明監督のドキュメンタリー作品『トーキョードリフター』(2011)の方は、既に12月2日に上映されている(参照:松江哲明監督の『トーキョードリフター』(2011)を観る )。

 

 

 

 『311』には、被災から二週間後の被災地の姿が記録されている。被災の現実が記録され、被災の現実に圧倒されつつも、その現実を記録しようとする四名の姿が記録されている。四名はまず福島第一原発を目指して進み、放射線に阻まれ、その後は津波被害の惨状の記録へとシフトする。四名には、現状を自身の目で確かめたいという以上の共通の一貫した取材方針があったわけではなく、しかし被災現地の現状を映像で記録するという手段だけは共有されていた。実際に撮影していたのは、森達也、綿井健陽、松林要樹の三名であり、その三名により撮影された映像を暫定的に安岡卓治が編集したものが、結果的に『311』という「作品」として一般上映された、ということであるらしい(上映後の対談中での安岡氏の発言による)。

 

 

 震災被害、津波被害、原発事故被害、どれもが「甚大」なものであり、「未曾有」なものであった。その映像はスマホの普及により、ジャーナリストの存在に依存することなく、被災者自身から直接発信され、ネットを介して被災地以外の人々にも共有された。従来なら、「報道」(メディア)に依存せざるを得なかった映像が、現地での報道関係者の存在の有無に関係なく、広く「拡散」されたところに、今回の「東日本大震災」の特徴がある。

 しかし、そのような情報は断片的であり、マスコミにより報道された現地の映像も断片的であることを免れない。どちらからも全体像が欠けているのである。被災当事者により発信された情報は生々しく切迫したものであると同時に限定的であり、報道は一過性のものであって、速報性は求められても全体像の提供は求められてはいない。あらためて『311』を観ると、それでも二週間後の「被災」の現実が、全体性をもって記録として残されていることが理解出来る。もちろん、震災被害、津波被害、原発事故被害のあの時点での現状を網羅的に記録したものではない(あり得ない)。しかし、あの被災後二週間の時点での取材地での現状の暫定的な記録を通して、その時の被災地の状況(その惨状)、被災者の置かれた状況が、被災当時者やマスコミ報道の断片性・限定性を超えた、ある程度の全体性を確保し得たものとして提示されているように思える(それが「作品」として固定されたことの効果である)。被災地の情景(津波被害の甚大さ)については、基本的には、当時、「報道」が提供した映像と大きく隔たるものがあるというわけでもないが、しかし報道は断片的で一過性のものなのである。現在―2014年―の我々が(あるいは2014年の我々であっても)、当時の報道による映像に網羅的にアクセスし、「あの時点」での状況をある程度の全体性をもったものとして再現・把握することは困難である。『311』が「作品」として残され上映されることによって、我々は「あの時点」での状況を「ある程度の全体性をもったもの」として把握し得るのである。

 現在の時点で『311』を観ると、当時の「報道」を介して知り得た程度の被災状況でさえ、半ば忘れている自身の現実に気付くことが出来るはずである。記録は、忘却からの保護回路となるのである(『311』の映像を観ることで、当時―震災二週間後―の私自身の感情の昂ぶりも蘇る)。

 『311』は作家性の強いドキュメンタリーではない(映像の撮影者と編集者は存在しても、「監督」は不在なのである)が、ドキュメンタリー作品のジャーナリスティックな機能は十分に果たし得ているとも思う。

 

 福島第一原発への接近の試みとその断念、そして津波被害の取材へのシフト等、そこに映し出されているのは、取材する四名の切迫感と混乱でもある。

 しかし、大川小学校での犠牲者の母親、(遺体としての)わが子を探し続ける母親とのやり取りなど、報道からは漏れ落ちた被災の現実が丁寧に記録されており、それだけでも、現在もなお、観る価値のある「作品」となり得ていることも確かである。

 

 

 

 上映後のお二人の対談とその後の質疑応答がまたエキサイティングなものであった。

 安岡氏からは、あらためて『311』の撮影の経緯、「作品」としての上映に至る経緯が語られ、松江氏からは、『トーキョードリフター』撮影に至る経緯と撮影の状況が語られた。

 『311』は、『311』というドキュメンタリー作品の製作のためのチームにより撮影された「作品」ではなく、その時点で被災地取材の必要を感じた四名が(「震災をその目で確認する」ためにとりあえず)組み上げたチームのメンバーにより、それぞれが撮影した映像を(とりあえず共有可能なものとするように)編集したものが、結果的に(試写を観た者の反応と、映画祭での招待上映での観客の反応から)一般上映作品となったものであるらしい。先に「映像の撮影者と編集者は存在しても、「監督」は不在なのである」という言い方をしたが、そのような意味で、マス・メディア報道の在り方に近い側面がある。

 それに対し、『トーキョードリフター』は「震災をその目で確認する」ために被災地取材に向かうという行為からは無縁な作品である。松江氏は、2011年3月11日には韓国に滞在中で、震災を直接経験していないのである(私の神戸在住の知人でさえ、あの「揺れ」を感じたほどの「大震災」であるにもかかわらず、松江氏はその外部にいた)。

 帰国後には、ドキュメンタリー作家として(ドキュメンタリー作家なのだから)被災地取材を期待される状況に置かれる。その点について松江氏は(正確を期すためにイメージライブラリー・ニュースに収録された文章から引用すれば―「対談」の中でも語られていたことである)、

 

 

  僕は絶対に「被災地」で撮影をしたくなかった。僕は現場に行ったら必ず気分が高揚したに違いない。絵になりそうな風景を探し、カメラを回すだろう。瓦礫の上に乗るのは間違いない。その下に遺体があったとしても、だ。それにテレビを見ればどれほど多くのカメラが現地に向かっているか想像がつく。僕の知っているドキュメンタリー作家たちも向っていると聞いていた。確かに放送される情報はどれも似たものが多かったが、これでもカメラは多すぎるのではないか、と思った。

  震災を撮ることも、語ることも僕は否定しない。一方で撮ることや語ることを強制されたくない。人生で経験したことのない災害に見舞われたとしてもだ。

 

 

…という言い方をしている。更に抜き書きをすれば、

 

 

  帰国した時、東京は暗かった。

  あの暗い東京は綺麗だった。新宿の街でさえ20時にもなると真っ暗で、静かだった。

  しかし、社会の流れは違った。灯りは予想以上に早く点き始めたのだ。僕はあの暗さをなかったことにはしたくなかった。その時、カメラで残しておきたいと思った。記録の強みは「現在」を残せることだ。この暗さは将来、見ることが出来ないだろう。

 

 

 これが、『トーキョードリフター』撮影の基底となった松江氏の認識であった。『トーキョードリフター』は、実際、その思いだけで成立している「作品」だと思う。

 

 

 その点に関連して、対談の後の質疑応答の際に質問してみたことがある。

 

  3月11日に韓国ではなく日本にいたら、松江さんはどのように振る舞っていたと思いますか?

 

 驚いたことに、このように問われたことは初めてであったらしい。しばらく考えた後に、「テレビに見入っていたのではないか」との言葉が返って来た。森達也氏が実際にそうであったことは、『311』の中でも語られている(森氏は、当初、被災地取材への同行には消極的であった)。テレビの画面は、既に被災地の惨状を伝える映像であふれていたのである。

 その上で、滞在先の韓国で、大島渚作品(特に『愛のコリーダ』に言及された)が無性に見たくなった当時の記憶が語られた。

 私は問い直した。

 

  被災地への取材に向かうことは考えられませんか?

 

 即座に否定された。その後のやり取りから明らかになったのは、松江氏はジャーナリスティックな体質からは遠い場所にいるドキュメンタリー作家であるということだ。

 松林要樹監督の『相馬看花』(2012)の冒頭は、地震で大きく揺れる自室―世田谷の三畳のアパート―のシーンである(参照:『相馬看花』と『モバイルハウスのつくりかた』を観る )。松林氏は、被災地に取材に行く前に、自身の震災との遭遇を自室でカメラに収めていたのである。松江氏とは対比的であり、その点を指摘すると、「松林監督は、常に自分の手の届くところ―2メートル以内―に取材機器を確保している」との安岡氏の答えがあり、「彼は常にカメラのバッテリーを充電状態にしているけれど、そこは真似出来ない」という趣旨の松江氏の反応があった。常に即応態勢にあるジャーナリスト体質の松林要樹(しかし、作品は時間をかけて対象と丁寧に向かい合い撮影されたものであって、そのような意味で賞味期限の短い報道のジャーナリズムとは一線を画したものだ)、と、まったく異なる資質をもってドキュメンタリーを撮影する松江哲明(両名共に、安岡氏に師事している)。

 その対比がクリアーになった瞬間であった。

 

 

 イメージライブラリーの側が、どのような企みの下に、この二作品を選び、安岡卓治氏と松江哲明氏の対談をセットしたのかは知らないが、「ドキュメンタリー」が何であるのか(何であり得るのか)を考える上で、両者のスタンスの対比は効果的に機能したように思う。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/12/06 23:49 → http://www.freeml.com/bl/316274/234356/

 

 

 

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2014年12月 5日 (金)

松江哲明監督の『トーキョードリフター』(2011)を観る

 

 武蔵野美術大学のイメージライブラリー映像講座関連企画として、松江哲明監督のドキュメンタリー作品『トーキョードリフター』(2011)が上映されたのを観た。

 

 

 

 雨の夜、一人のミュージシャン(ギターを抱え、歌う)が、新宿や渋谷の中心街から私鉄沿線の商店街の裏通りの路上で、時によっては歩きながら、ギターを弾き歌う姿と、その間のバイクでの移動。映し出されるのはそれだけ、映されているのはそれだけである。場所により(時間により、ということでもあるが)雨の勢いは異なり、曲目も異なるが、歌と移動(移動の間に食事もするが)だけのドキュメンタリー作品である(バイクでの移動中も、歌は口ずさみ続けられている)。

 劇的な(ドラマチックな)出来事は何もない。一切、彼が何者であるかについての説明はないし、インタビューめいたシーンはないし、そもそも彼は歌うだけで、カメラに向けて何も語らない。

 彼の歌に、歌声に共感を抱く人間にとっては、それだけでうれしいドキュメンタリー作品となるであろうが、特にそういうことのない私には、雨の夜にミュージシャンの歌う姿を撮影した映像であることに徹した(徹底した)ドキュメンタリー作品なのであった。

 

 

 映像がそれ以上の意味を持つとすれば、撮影されたのが2011年5月27日の夜(から2011年5月28日の朝)であるからに他ならない。

 「第41回イメージライブラリー映像講座」のタイトルは「震災の後に 311×トーキョードリフター」(安岡卓治、松江哲明の両氏による対談が中心となる企画)であり、イメージライブラリーの案内では、

 

 

  2011年5月。東日本大震災後、ネオンが消えた東京の街。降りしきる雨の夜をミュージシャン・前野健太が歌い、叫び、さすらっていく。濡れたアスファルトに、ありったけのユーモアとペーソスを刻みつけながら、新宿、渋谷、そして町の外へ―。

  独特のアプローチで個人と時代をつなぎ、ゼロ年代のニッポンを映し続けてきた松江哲明が、「いま、この東京の姿を記録しておきたい」と、『ライブテープ』(2009)に続き、撮影の近藤龍人、録音の山本タカアキ等と共に、どしゃ降りの雨のなか撮影を敢行。そして完成したのは松江哲明監督作品史上もっとも瑞々しく、最も暴力的な映画。

 

 

…として紹介されている作品である。

 東日本大震災を背景としたドキュメンタリー作品の中の一本ということになる。

 

 それが「東日本大震災を背景としたドキュメンタリー作品」であることを示すのは、撮影の日時と、確かに(言われてみれば)本来よりは暗い(「計画停電」なんてものがされていた時期の東京―東京電力管内の東京、東京電力に依存し、福島の原発に依存していた東京―である)ように見える街の姿だけである。

 

 

 今回の講座の対談者である安岡卓治氏による『311』と対比すれば、「ドキュメンタリー作品」としての成り立ちの違いは明らかである。

 

 

  「震災をその目で確認する」ために、作家・映画監督の森達也、映像ジャーナリストの綿井健陽、映画監督の松林要樹、映画プロデューサーの安岡卓治の4人が東日本大震災後の被災地へと向かい、その惨状にカメラを向けた問題作『311』。

 

 

 このように、『311』は要約・紹介されている。

 

 

 松江哲明氏は、「震災をその目で確認するために」、被災の現地へ向かい「惨状」にカメラを向けることはしない。

 その「惨状」は、あまりに衝撃的であり、それだけで十二分に(「過剰に」と言ってもいいくらい)劇的である(ノンフィクションもまた「ドラマチック」になり得るのである)。

 松江氏は、劇的映像を撮影するために(当人の意図がどうであれ、映像作家はそこで劇的映像を撮影してしまうことになる)被災地へと向かうのではなく、東京にとどまり、東日本大震災を背景としたまったく「劇的ではない映像」を撮影したのである。

 

 そのような意味で言えば、監督の方法論の映像化作品として位置付けられるのかも知れない。

 

 前野健太の歌に特にひきつけられることのない私(そもそも私には、歌を聴いても歌詞を言葉として理解する能力が欠けている―「歌」であっても音の響きとして聴いてしまうのである)には、映像は、雨の夜に歌い移動するミュージシャンの姿の記録に徹したものというに尽き、その背後にある監督の方法論を映像化したものと言うに尽きるものであった。

 

 東京の街を移動しながら雨の中で歌い続けるだけの特に劇的ではない映像作品が持つ意味について考えることに面白味を見出すことが出来るような人物にとっては、興味をひく作品のひとつとなるかも知れない。

 前野健太は、(画面を見る限り)聴衆を前に歌っているわけではない。ある時には立ち止まり、ある時には歩きながら歌い続けるだけだが、特に聴衆に向かって歌うようなことはなく、歌に聴き入る聴衆は不在である(東京の街に向かって歌っているのか?)。彼が、常にそのようなスタイルで歌っているのであれば、映像化されているのはカメラの存在に関係なく続けられている彼の日常である。

 別の視点から言えば、映像化され記録されているのは、カメラに向かって歌う彼の姿である。カメラの存在に対することで現実化した彼の姿である。映像による記録という行為が呼び出した彼の行動である。

 そして、2011年5月27日の夜には彼の前にカメラが存在し、カメラにより記録されたように彼は振る舞い(雨の中を歌い、移動し続け)、それがすべてなのである。カメラが存在しなければ、彼はまったく異なる夜を送っていた可能性が大きいが、しかしそこにカメラは存在し、前野健太の2011年5月27日の夜はカメラにより記録されたようなもの以外の何物でもなくなったのである。

 そして、松江哲明監督作品として上映されることによって、三年後になっても(何時になっても)、2011年5月27日の夜から翌朝にかけての前野健太の姿に、我々がアクセスすることが可能になっているのである。記録されることによって(よってのみ)、出来事は当事者以外の人々にも開示される。藤原敏史監督の『無人地帯』(2012)とはまったく逆方向から、松江哲明監督は、その構図を映像化しようとした(参照:藤原敏史監督の『無人地帯』(2012)を再び観る)。そのように言えるのかも知れない(『トーキョードリフター』の映像作品としての評価とは別に、松江哲明によって提示された問題として)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/12/02 23:40 → http://www.freeml.com/bl/316274/234143/

 

 

 

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