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2014年11月16日 (日)

東京大学駒場博物館 「越境するヒロシマ」

 

 本日の目的地は東京大学駒場博物館で開催中の、「越境するヒロシマ ロベルト・ユンクと原爆の記憶」と題された展示(2014年10月18日~12月7日)。

 

 

 

 

  1913年ベルリン生まれのロベルト・ユンクは、戦後世界の核問題を警告する著名な科学ジャーナリスト・ドキュメンタリー作家として、かつては日本でもよく知られた人でした。1957年以降たびたびヒロシマを取材し、その後、彼の人生は大きく変わります。彼の後半生は、ヒロシマを世界に伝える、という強い意志に貫かれました。

 

…と、広島平和記念資料館での展示(2013)の際に作成されたパンフレットには書かれている。

 年譜によれば、ユンクはユダヤ系で、1930年代は反ナチの活動に携わっていた人物であり(ウィーン生まれのユダヤ系の妻共々、親族の多くをナチスのために失っている)、戦後は米国でジャーナリスト作家として活動することからその経歴を開始している。

 

 最初のベストセラーとなった著作のテーマは原爆の開発(『未来はすでに始まった』 1952)で、その後も核兵器開発をめぐる問題を追っている(『千の太陽よりも明るく』 1956)。破壊的な巨大科学技術が政治的に推進され、それが巨大技術であるがゆえに政治による制御を超えてしまうという問題をクローズアップした、先進的な著作である。そもそも原爆開発の中心となったのも、ヒトラーの支配に対抗しよう(そこに正当性が見出されていたし、実際に一方の当事者として切実な問題であった)としたユダヤ系の科学者であったわけだが、ユンクはそのような正当化から最初から距離を置いているところが、とても印象深い。

 

 そして1957年に来日し、広島での取材に基いた『灰墟の光』(1959)の刊行に至る。

 1960年には同名のテレビ用のドキュメンタリー作品(バイエルン放送局制作)にも携わり、放映されている。

 

 

 その後も、ドイツ語圏での反核・反戦運動の中で重要な位置を占めた人物である。核兵器だけではなく原発にも反対を表明し続けていた。

 そんな人物の、ヒロシマとの関わりを中心にした展示であった。

 

 

 

 いろいろと勉強になったことも確かであったが、展示法には問題があるように感じる。展示に徹底的に欠けているのが、見せるためのディスプレイ作製への配慮の姿勢である。わざわざ展示として見なくても、印刷資料を読めばわかる内容なのである。そのような意味でとても惜しいように思える。本来なら展示品のキャプションであるはずの内容が、展示物として展示されているような状態なのだ。以前に別の展示で訪れた際も、同様の傾向で、現代の「博物館」の展示というより、どこかの「公民館まつり」でのお勉強サークルの発表展示のような印象であった。

 

…と文句をつけておきたくなるような展示センスではあったが、会場で上映されていた『灰墟の光』(1960)を観られただけでも、個人的には十分(出かけた甲斐があった)という気もしないでもない。

 日常的に向精神薬(それが薬局で市販されているのである)に依存する人々(「原爆ノイローゼ」と呼ばれていた)がフツーの存在であった時代の広島の姿が記録されているのである。放射線による健康への不安(というより、実際に健康被害のある現実があり、放射線障害は差別の対象にもなるのであって、不安は現在のものであると同時に自身の未来が様々な意味での不安そのものなのである)の渦中にある、1960年の広島の人々の姿が記録されているのである。

 

 

 

 

〔追記〕

 展示の中で紹介されていた『灰墟の光』の中の文章が印象深い。「被爆」が何をもたらすのか、「被爆」の持つ意味、核兵器使用の意味が正確に示されている。

 

  広島が平和への警告となるのは、〈平和〉という言葉を、広告のレッテルのように手当たりしだいに貼りつけているからではなく、原子戦争のあとでわれわれのこの地球がどんな状態になるかを、わずかながらも予感させてくれるからである。地球が完全に死滅した人気のない荒地となるよりも、むしろただ一つの巨大な病院――病人や負傷者ばかりの世界――があとに残ることであろう。(中略)
  広島の警告の旗印は、モニュメンタルな記念建造物ではなくて、皮膚や血液や生殖細胞のうちに〈あの日〉の思い出の烙印を受けた生存者たちなのである。彼らはまったく新しい性質の戦争――休戦条約とか平和条約によって終わることのない戦争、その現在をこえて未来をも破壊の危機にまきこむ〈終結なき戦争〉――の最初の犠牲者にほかならないのである。
     『灰墟の光 甦るヒロシマ』 文芸春秋新社 1961  250ページ (パンフレット中の引用文による)

 

 

 広島平和記念資料館での展示の際に作成されたパンフレットには、1977年刊行の『原子力帝国』を紹介する言葉として、

 

  1973年の石油危機をきっかけとして、先進諸国の多くがエネルギー政策の重心を原子力発電所(原発)に置きました。原発の建設により、プルトニウムの蓄積量は一挙に増加していきます。この頃から、原発建設に対するユンクの徹底抗戦が始まりました。核エネルギー(原子力)利用は、それ自体の破壊性と危険性のみならず、その危険物の管理のために住民を敵視し監視する専制的で無責任な「全体主義の原子力国家」をもたらし、それゆえに確実に原発事故が生じる、とユンクは考えました。

 

…と記されているが、まさに問題の核心を示したものであろう。「原子力の平和利用」の本質的問題である。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/11/15 22:22 → http://www.freeml.com/bl/316274/233044/

 

 

 

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