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2014年10月31日 (金)

「聖戦貫徹決議」の非現実性と斎藤隆夫のリアリズム

 

 

  現在世界の歴史から戦争を取り除いたならば残る何物があるか。一たび戦争が起こりましたならば、最早問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を膺懲する、これが戦争という意味ではない。

 

 

 

 昭和15年の第七五帝國議会における斎藤隆夫の演説中の言葉である。さらに斎藤は、

 

 

  この現実を無視して、唯いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、いわく国際正義、いわく道義外交、いわく共存共栄、いわく世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがあれば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできないのであります。

 

 

…とまで言い切った。

 それでどうなったのかというと、

 

 

  昭和十五年三月七日、衆議院で斎藤隆夫の除名可決。同月九日、この除名に反対した片山哲ら八議員を所属の社会大衆党が除名する。その同じ日の三月九日、衆議院は「聖戦貫徹決議案」を可決。同じ月の二五日には、各派の衆議院議員一〇〇人余りが「聖戦貫徹議員連盟」を結成した。
     三國一郎 『戦中用語集』(「聖戦」の項より) 岩波新書 1985  59~60ページ

 

 

…という結末を迎える。

 

 結局、「雲を掴むような文字を列べ立てて」も戦争には勝てないという斎藤隆夫のリアリズムは無視され、まさに「千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤る」という事態に立ち至ったわけだが、敗戦という現実を前にして「死してもその罪を滅ぼすことはできない」と自らの責任について考えた政治家がどれだけいたのか? 「聖戦貫徹議員連盟」参加者の敗戦後の出処進退はどのようであったのか?

 

 

 

 斎藤隆夫の、

  一たび戦争が起こりましたならば、最早問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を膺懲する、これが戦争という意味ではない。

…という言葉こそ、リアリズムの極致である。

 勝った者が正しい、それが戦争というものの論理なのである。正しい者が勝つ、というのは確かに道義的な考え方かも知れないが、戦争のリアリズム(戦争を国家間の利害の衝突の解決手段と考える政治的リアリズム)とは関係ないのである。

 人口に膾炙した日本的表現では「勝てば官軍」となるわけだが、そこに反映されている正義に対する相対主義というか、ちょっとシニカルな日本人の構え方こそ庶民的リアリズムであり、政治的にも健全な感覚であろう。

 

 しかし、この「勝ったから正しい(勝てば官軍)」思想が靖国神社の基底となり、本来の相対主義が失われ、勝者の正しさを絶対化させてしまうのである。維新後は、大日本帝國の勝った戦争=正しい戦争の死者を祀る場所になってしまう。

 英霊=正しい(勝ったから正しい)戦争の戦死者、という位置付けのままで、日本は大東亜戦争(支那事変から対米英の世界戦争)に突入してしまうが、しかし、戦争には負けてしまう。勝つことで戦争の正しさが保障されていたのに、負けた戦争という結末である。「英霊=正しい(勝った)戦争の死者」というこれまでの構図は破産してしまう。

 で、戦後は、「負けたけど正しい戦争」ということにしてしまった。「勝ったから正しい戦争」であったものを「負けたけど正しい戦争」へとすり替えたわけである。これは、言わば、神社創設の理念の変更である。そもそも靖国神社は戦死者一般の慰霊施設・追悼施設などではなく、国家による正しい戦争の戦死者=英霊を祀る施設だったのであり、国家による戦争の正しさは、戦争の勝利によって支えられていたのである。神社の起源にまで遡れば、「大義のため」に命を落とした反政府テロリストの墓碑(京都東山の霊明舎)であり、招魂場(招魂社)ということになるのであろう。その意味では、祀る側からすれば、「正しい戦い」での死者として位置付けられたものではある(しかし、幕府の勝利に終わっていれば、「英霊」は「死んだ反政府テロリスト」に過ぎない)。

 

 

 「勝ったから正しい」は、いわゆる「国際法」の基本でもあって、大戦後の連合国による戦後処理も、その典型的事例であろう。いわゆる東京裁判も、「勝者の裁き」になってしまうわけである。

 ただ、忘れてはならないのは、それを日本人が批判は出来ないということだ。

 そもそも斎藤隆夫を衆議院から除名した大日本帝國は、「東亜新秩序建設」を名目として大東亜戦争を遂行したのであって、つまり、それまでの(米英中心の)国際法秩序の改変を、大東亜戦争の目的として掲げていたのである。目論見では、日本が大東亜戦争に勝利し、米英中心の国際法秩序を大日本帝國中心の国際法秩序へと変更する。戦争の勝利による国際法秩序の変更こそが、「大東亜戦争」の「戦争目的」として位置付けられる以上、単細胞な連合国批判はダブルスタンダードになってしまうことには気付いておくべきである(そういう単細胞な輩が多いのには閉口するが)。

 重要なことは、日本の戦争も相対化し、戦後の国際法秩序も相対化することであって、その両者の片方だけでは不十分なのである(ネット上で元気なのは、どちらか片方の信奉者というのは困ったものであるが)。

 

 

 

 実際問題としては、戦争には大義名分がほとんど不可欠なものではあるし、そもそもの話としては、二つの対立する「正しさ」(ある国家の利益はその国家にとっては「正しい」ものである)が存在し、「正しさ」の対立の決着を図ろうとする際に、暴力行使の「勝負」によって解決しようとするものであって、暴力における強さを「正しさ」を測る基準としてしまうものなのである。

 戦争は勝つ前提でしない限り意味はないし、戦争に勝つためには、強い相手と戦争をしないことが必要条件となるのだが、その意味において、大日本帝國は完全に選択を誤り判断を誤ったことは明らかである。

 議会から斎藤隆夫を「除名」し、議会で「聖戦貫徹決議」を可決し、「聖戦貫徹議員連盟」を結成し、「聖戦の美名」に酔いしれ、「雲を掴むような文字を列べ立てて」も、戦争には勝てないのである。「聖戦貫徹」の結果は「敗戦」であり、「聖戦」の勝者は連合国となってしまった。議会が斎藤隆夫の言葉に耳を傾けていれば、「雲を掴むような文字を列べ立て」ることではなく、冷静に現実的な判断をすることに努めていれば、「敗戦」もなく、「東京裁判」など存在しなかったはずである。

 

 もちろん戦争は、必ずしも双方の合意の下に始まるわけではないから、強い相手との戦争に巻き込まれてしまう状況は、確かに存在するし、そのような場合に、生還を期すことなく戦闘に臨むことはある。

 通常はいわゆる日本の「特攻」(だけ)を思い浮かべるだろうが、第二次大戦時のポーランドの鎗騎兵のエピソードにしても、アメリカ史の中での「アラモの戦い」にしても、将兵は、圧倒的で強大な敵に対する生還を期さぬ闘いを遂行し、従容として戦死していったこともまた歴史的事実(人間的な事実)である。

 しかし、大東亜戦争は、日本による主体的な戦争なのである。日本は支那事変の不拡大ではなく拡大を自ら選択し、支那事変の拡大の果ての打開策としての仏印進駐(援蒋ルート閉鎖としての北部、南方資源確保の第一歩としての南部)は、むしろ米国の強硬な対日禁輸政策を招来し、大日本帝國は資源確保のための対米英戦開始に至る。

 支那事変の拡大は、蒋介石の国内的求心力を高めることに役立ち、中国と米英との利害を一致させ協調させることに役立った。

 チャーチルにとっては、日本の対米英開戦はヨーロッパでの英国の孤立の解消に役立った。

 ルーズベルトにとっては、日本の対米英開戦は、米国内世論の戦争忌避感情を一変させ、ヨーロッパでの参戦(英国への援助)の口実を作るのに役立った。

 では、支那事変の拡大は、どのように日本の役に立ったのであろうか?

 この問題から目を逸らすことにばかり夢中になっていては、靖國神社に「英霊」として祀られている戦死者の犠牲への責任の所在を明らかにすることなど出来るはずもない。

 

 

 

 

  この現実を無視して、唯いたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、いわく国際正義、いわく道義外交、いわく共存共栄、いわく世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがあれば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできないのであります。

 

 我々は「国民的犠牲を閑却」し続けてはならない。「国家百年の大計を誤」り、大きな「国民的犠牲」をもたらした責任の所在の追及を「閑却」し続けることは、それこそ「英霊に相済まぬ」ことと言うべきであろう。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/08/28 22:45 → http://www.freeml.com/bl/316274/206994/

 

 

 

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