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2014年8月 6日 (水)

何でガンスカノー? (『廣島原子爆彈の手記 絶後の記録』 昭和20年8月6日)

 

 

 その時、俺は耳もと近くにせきこむような人聲をきいた。
 「何でガンスカノー?」
 「どこでガンヒョウ?」
 振り向くと中背の六十歳近い男が二人、この近所のお百姓らしい。
 「西練兵場あたりじやないでしようか」
 「そのあたりでガンスノー」
 「やっぱり爆彈でガンヒョウカ」
 「イヤ……」
 俺はうかつなことはいえないと思つて言葉を切つた。お前も知つているようにあの頃の廣島の「流言蜚語」の取締は實にひどかつたからね。尤も、あれも仕方がなかつたかも知れないよ。俺が敗戰後にある軍の参謀から聴いたことだが、あの頃全國の主要都市がみんな片つぱしから爆撃されているのに、廣島がまぎれ彈を二三發見舞われただけで、大規模な爆撃を全然受けていなかつたのは、スパイが多數入り込んでいるからかも知れない、という解釋をしていたというのだからね。
 だが俺は、「何か新兵器ちゆうもんでガンヒョウカ」とたたみかけてきかれると「私は火藥庫の爆發じやないかと思うんですがね」と答えてしまつた。ところが、「やっぱり爆彈を落とされたんでガンヒョウカ」と追及された。俺は軍の過失による爆發と思いこんでいたのだ。だつて飛行機の一臺もこない爆撃なんてナンセンスだものね。そこで「飛行機の来ない爆撃なんてまだ日本にはないでしよう」と皮肉るつもりで答えたのだ。すると意外、二人共殆ど異口同音にきおいこんでいうのだ。
 「きましたぜ、こつちからあつちへ」
 やつぱり二人いつしよに東から西の方を指すのだ。
 「いつ?」
 「ホンさつき――B29でガンス」
     小倉豊文 『廣島原子爆彈の手記 絶後の記録』 中央社 昭和24年(初版は昭和23年) 15~16ページ

 

 

 

 

 広島への「原爆」の投下直後の情景である。

 小倉豊文は、この時、爆心から東に4キロ以上離れた地点にいた。

 何が起きたのか、誰にもまだ本当のところは理解されていないのである。米軍による爆撃とは思わず、日本軍の火薬庫の爆発と考えていたことが記されている。

 

 その日一日をかけて市内を横切り(爆心地から500メートルほどの地点を通る―ただし爆心がどこかも知らないままに―想像力の限界を超えたような惨状の続く中を)、最終的に爆心から3キロ西方のかつての家主の住まいで夜を過ごす(家族の所在も安否もわからないままに)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/08/06 23:41 → http://www.freeml.com/bl/316274/206218/

 

 

 

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