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2014年3月

2014年3月26日 (水)

産経の捏造 3 (橋下徹氏と「河野談話」)

 

 シリーズの第一回では、産経新聞による「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたものだ」との主張について、

 

  実際には、「河野談話」には「強制連行」を認める記述は存在しない

  そもそも、「強制連行」という語が、「河野談話」では一度も用いられていない

  文言として「強制連行」という語を用いているかどうかは別としても、「河野談話」では、慰安婦の軍による直接的・組織的な暴力的拉致を、事実として認定してはいない

  慰安婦の募集時における軍の関与については、基本的に、間接性がその特徴であることは明示されている

 

…という事実を指摘し、「産経新聞」は、文言上の根拠もないまま「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」と「決めつけた」のだという話をした(「産経の捏造 1 (「河野談話」と「強制連行」)」)。

 

 

 

 「河野談話」の示しているのは、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 

…との認識なのであり、そこでは慰安婦の募集に際しての軍の関与の間接性が前提とされているのである(ただし、現実の運用においては「更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと」も事実として認定している)。一般的には、あるいは多くの場合では、慰安婦の調達に際しての軍の関与は間接的なものであったとの認識を示し、例外的には、あるいは少数の事例においては「官憲等が直接これに加担したこともあったこと」(ここで直接的関与をしているのは「官憲」であり「軍」ではないことにも留意)を認定しているに過ぎない(「こと・も・あった」という文言の「も」が強調するのは、一般性ではなく例外性である)。

 つまり、「河野談話」が依拠しているのは、慰安婦の募集に際しての軍の関与の間接性という構図であり、「直接これに加担した」のも「官憲等」としており、そこでは「軍」が直接的加担の実行者として名指されていない事実は丁寧に読み取っておくべきである。もちろんそこに「等」という語を用いることによって、「軍」の直接的関与事例の可能性を否定しない表現に仕上げているが、その点について言えば「河野談話」は朝鮮半島における―つまり日韓の間の―慰安婦の問題に限定された官房長官の「談話」ではなく、アジアの日本軍占領地域における現地の慰安婦の存在をも念頭に置いたものであり、たとえば「河野談話」の作成の際に参照された「バタビア臨時軍法会議の記録」は、まさに軍の直接的加担の事例なのである(そもそも「河野談話」に示された認識は朝鮮人元慰安婦の証言のみに基づいたものではない)。念を押しておくが、慰安婦の募集・調達における軍の関与の間接性こそが、「河野談話」を支える基本的認識なのである。

 

 

 あらためて、「河野談話」の実際の文言を示せば、

 

  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。

 

…というものなのである。あくまでも、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり

 

…ということなのであり、慰安婦の調達の際の軍による直接的暴力的拉致連行を事実として認定してはいないし、慰安婦の募集の際の「甘言、強圧」の主体は「軍の要請を受けた業者」であって「軍」ではない(「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」という記述もあるが、「募集」における「甘言、強圧」の主体は軍ではない)。

 もっとも、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」としており、その過程における「甘言、強圧」の主体が軍であるケースの存在を認めていることにはなるが、これはいわゆる「広義の強制性」に連なる問題であり、慰安婦の調達の際の軍による直接的暴力的拉致連行(いわゆる「狭義の強制性」)を認定したものとはなっていない。別の言い方をすれば、「河野談話」は、慰安婦の強制連行=軍による慰安婦狩り的イメージを、軍の関与の間接性を強調することで明確に否定しているのである。

 

 

 

 「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」としているが、「募集」については間接的関与が基本であったとした上で、しかし日本軍による日本軍のための慰安所であり慰安婦であったとの認識を示しているのである。その際に、一局面における関与の間接性により責任回避を可能と考えることはせず、慰安所の存在、慰安婦の存在をシステムとして(軍により構築された制度として)捉えることで、システムを構築し運用し利用したことへの責任を明言しているところにこそ「河野談話」の特質がある(関与の間接性を責任回避の正当化の理由としないことには、倫理的に積極的な価値があるはずである)。「河野談話」にある

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との文言は、そのように読み取らなければならない。

 

 

 再確認すれば、「河野談話」は、(いわゆる「狭義の強制性」を意味する)慰安婦募集における軍の直接的暴力的拉致連行としての「強制連行」を認めたものとはなってはいないのであり、むしろ慰安婦の強制連行=軍による慰安婦狩り的イメージを否定するものとしても機能するように、細心の注意の下に組み上げられた「談話」なのである。「根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」として読まれるべき文言は、「河野談話」には存在しないのである。

 

 

 

 

 さて、以上の構図を確認した上で、ここであらためて、昨年の5月の橋下徹氏による慰安婦をめぐる発言が何であったのかを振り返ってみよう。

 橋下氏の当初の問題意識は、橋下氏自身のツイートによれば(つまり当人の言葉によれば)、

 

  日本の慰安婦制度が世界的な非難を浴びているのは、国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせたとされている点。この点については、僕は歴史家ではないので、具体的な事実を全て把握しているわけではないが、2007年の閣議決定で、それを裏付ける証拠は見当たらないとなっている。
     posted at 06:53:02 5月14日

  ただ国を挙げて韓国女性を拉致して強制的に売春させた事実の証拠がないことも、厳然たる事実。世界が誤解しているなら、日本が不当な侮辱を受けないために言うべきことは言わなければならない。だいたい、アメリカはずるい。アメリカは一貫して、公娼制度を否定する。現在もそうだ。
     posted at 07:16:43 5月14日

  この問題については当初より言っているが、国を挙げて女性を拉致したと言う事実があれば、それはある意味日本の特殊性になる。しかし現段階ではその証拠がないと言うのが日本政府の立場だ。このようなことは、グローバル化時代、国民はしっかり認識しなければならない。
     posted at 08:29:48 5月15日

 

…というものであった。発端となった最初の記者会見の背景にある橋下氏の認識を説明したものだが、会見の場での発言が騒動に発展した後の日本外国特派員協会での記者会見の席では、あらためて、

 

  一方で、従軍慰安婦についての政府の公式見解である河野洋平官房長官談話については「否定するつもりはない」としつつ、内容に疑問を呈した。
  橋下氏は「国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買した点を裏付ける証拠はないのが日本の立場だ」と説明し、拉致・人身売買については日韓両国の歴史学者による事実解明を主張。「この核心的論点について河野談話は逃げている。これが日韓関係が改善しない最大の理由だ」と述べ、日韓間の慰安婦を巡る対立は河野談話に起因しているとの主張を展開。河野談話に「表現はもっと付け足さないといけない」と述べた。
  これに対し、河野談話が元慰安婦の証言などをもとにしていることを踏まえ、「元慰安婦の証言は信用できないのか」などと追及されると「最大の論点は人身売買を国家の意思として組織的にやったかどうかだと思う」などと主張し、明確には答えなかった。【阿部亮介、林由紀子】
(毎日新聞 5月27日(月)21時30分配信)

 

…と、「日韓間の慰安婦を巡る対立は河野談話に起因している」との問題意識を示していた。

 その際に橋下氏は「国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせた」のかどうかを問い、「国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買した点を裏付ける証拠はないのが日本の立場」との認識を示し、「この核心的論点について河野談話は逃げている」と言い、「日韓間の慰安婦を巡る対立は河野談話に起因している」と主張していたわけである。

 

 しかし、国の直接的関与という意味で、「国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせた」という構図(軍による慰安婦狩り的イメージ)を「河野談話」は認定していない。あくまでも、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが」とその関与の間接性を明言し、その場合も「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた」という文言を選択し、「暴行脅迫」あるいは「拉致」というような、いわゆる「狭義の強制」(産経的な意味での「強制連行」)を意味する語の使用は避けられている(「強圧」は「脅迫」であり得ても「暴行」を意味する語ではない)。その意味で、「河野談話」の文言の選定は見事(あるいは巧妙)だと言うべきなのである。

 繰り返せば、「河野談話」では、いわゆる(軍による組織的直接的暴力的拉致連行=軍による慰安婦狩りという意味での)強制連行の構図(軍が組織として恒常的に「暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせた」との認識)は採用してはいないのであり、橋下氏が慰安婦の調達における国家の直接的暴力的関与の有無(慰安婦狩りの事実の有無)を問題にしているのであれば、「河野談話」は国家による直接的暴力的関与(軍による慰安婦狩り)を認めるものとして書かれてはいないことは明白なのであり、その意味では問題そのものが最初から存在しないのである。

 

 

 しかし、法律家であるはずの橋下氏の言葉こそ曖昧であり、国家の関与の直接性か間接性かという論点を採用せず、「国を挙げて暴行脅迫をもって女性を拉致して慰安婦にさせたのかどうか」を問い、「国家の意思として組織的に女性を拉致、人身売買したのかどうか」という構図を持ち込んでしまう。これでは「間接的関与」の強調により達成される(現に「河野談話」の文言において達成されている)、「国を挙げて」あるいは「国家の意思として」というニュアンスからの距離の保持を失効させてしまう。

 

 既に近代日本の「公娼制度」の基盤が「人身売買契約」にあることは1930年代当時から国際的に問題となっており、慰安婦の募集の際の(慰安婦となる女性と「軍の要請を受けた業者」の間の)「契約」が、近代公娼制度を支えた人身売買契約の形式を継承しているであろうことは指摘されている。「国家の意思として組織的に女性を人身売買したのかどうか」と問題設定をしてしまえば、たとえそれが間接的関与であれ、「軍の要請を受けた業者」の行為(人身売買)の背後にある「国家の意思」がクローズアップされ、そのように「業者」を「組織」した「(軍=)国家の意思」の存在がクローズアップされてしまうだろう。「河野談話」が採用しているような「間接的関与」の強調によってこそ人身売買の実行者としての「軍の要請を受けた業者」と「国」との距離が保たれるのに対し、「国を挙げて」という用語法は「国」と「軍の要請を受けた業者」を一体化させる効果を生んでしまうのである。「河野談話」では、慰安婦の募集における軍の関与の間接性を強調することで、一度は慰安婦の「調達」の実行者としての「業者」と「国家」を分離することに成功している。その上であらためて「国家」を慰安婦制度全体に対する責任を負う存在として認めるとの理路を用いているのである。それに対し、橋下氏の論法では、「業者」と「国家」は分離されずに最初から一体のものとして描かれてしまうのである。この違いは大きい。

 

 重要な点なので再確認しておくと、橋下氏が慰安婦の調達における国家の直接的暴力的関与(軍による慰安婦狩り)の事実の有無の認定を問題にしているのだとすれば、「河野談話」が国家による直接的暴力的関与(軍による慰安婦狩り)を認めるものとして書かれてはいないことは明らかなのであり、その意味では問題そのものが最初から存在しないことになる。「河野談話」は橋下氏の問題意識(橋下氏が、そのように問題を捉えていたのだとすれば、ということであるが)を最初からクリアしているのである。

 また橋下氏は、自身のツイートで、

 

  慰安所での慰安婦の生活や、慰安婦の心情をみるに、それは大変不幸なことであり、筆舌に尽くしがたい。このようなことが二度と起こらないようにするのは当然だ。
     posted at 15:21:52 5月14日

  軍が施設を管理し、意に反して慰安婦になった方が悲惨な境遇であったことは確かだが、これは他国の軍でもある話だ。
     posted at 15:27:37 5月14日

  当時意に反してそのような職に就かざるを得なかった方は大変不幸であり、その心身の苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。ただそれは韓国人だけでなく、日本人も、その他世界各国の軍が活用していたいわゆる慰安婦制度の慰安婦も同じだ。
     posted at 00:14:09 5月15日

  現在、慰安婦制度が必要だとは言ったこともない。むろん、現在はあってはならない。むしろ、日韓基本条約がある中でも、意に反して慰安婦になった方へは配慮が必要だと言い続けている。
     posted at 11:44:56 5月15日

 

…との認識も示しているし、産経新聞報道によれば、

 

  強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない
  『日本が強制連行をしたのではない』と言って、慰安婦問題を正当化しようとしたり、自分たちの責任を回避しようとしたりする人が非常に多い
(2013/05/16 12:31 産経新聞)

 

…と主張もしているのである。これは「河野談話」が示した、

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との日本政府としての見解にも合致する。橋下氏の「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」との主張は、まさに「河野談話」の理路そのものなのである。

 橋下氏が本心から「慰安所での慰安婦の生活や、慰安婦の心情をみるに、それは大変不幸なことであり、筆舌に尽くしがたい」との認識を持ち、「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」と本気で考えていたのであれば、「河野談話」は橋下氏にとって批判すべきものではなく、むしろ擁護すべきものであったはずなのである。慰安婦問題の存在を認め「河野談話」を擁護しようとする人々が「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」と主張する橋下氏を非難し、慰安婦問題の存在を認めず「河野談話」を非難し続ける人々が「強制連行があろうとなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」と主張する橋下氏を熱心に擁護していたのは、私からすれば実に不思議な展開であった。誰も「河野談話」の実際の内容に関心がなく、橋下氏の実際の言葉にも関心を持たなかった、ということなのであろうか? このような実情が、「歴史認識問題」の解決を、より困難なものとしていることだけは間違いない。

 

 

 いずれにしても、橋下氏は文言の選択における慎重さに欠け、法律家としても政治家としても、発言に不用意さが目立つと言わざるを得ない(その点については既に「橋下氏の終着点」及び「橋下氏の新たな一歩」で論じてある)。そんな橋下氏が「河野談話」における文言選択の巧妙さに気付くことが出来ないのは仕方のない話なのかも知れないが、残念な話だとは思う。

 「河野談話」の基調にあるのはまさに(橋下氏の言葉通りの)「慰安所での慰安婦の生活や、慰安婦の心情をみるに、それは大変不幸なことであり、筆舌に尽くしがたい」との認識であり、その上で、(橋下氏の「強制連行があろうとなかろうと」との言葉の延長上に)「強制連行がなかろうと、こういう制度を持ったことは申し訳ないし恥ずべきことだし、二度と繰り返してはならない」として記されるべき日本政府の見解、そして決意を示しているのである。すなわち、

 

  われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 平成5年8月4日
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/03/25 22:07 → http://www.freeml.com/bl/316274/216691/

 

 

 

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2014年3月 8日 (土)

産経の捏造 2 (櫻井よしこ氏と「人身売買」)

 

 

 前回は、「慰安婦問題」と「河野談話」をめぐる、「朝日新聞」ならぬ「産経新聞」の「捏造」という、実に日本の国益に有害な問題について指摘した(「産経の捏造 1 (「河野談話」と「強制連行」)」)。

 「産経新聞」によれば、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」ということになるのだが、「河野談話」には「強制連行」を認める記述は存在しないし、そもそも、「強制連行」という語が、「河野談話」では一度も用いられていないのである(「河野談話」の中には「強制連行」という四文字は存在せず、 「強制」の二文字が一か所で用いられてはいるが、「連行」の二文字はそれ自体が存在しない)。

 

 

 

 さて、その「産経新聞」紙上でのオピニオン・リーダー的存在である櫻井よしこ氏も、大変に残念なことに、、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」という「産経新聞」の「捏造」を信じているようである。

 櫻井氏によれば(【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】 真実ゆがめる朝日報道 2014.3.3 03:13 「産経新聞」)、

 

  91年8月11日、大阪朝日の社会面一面で、植村隆氏が「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」を報じた。
  この女性、金学順氏は後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである。

  この延長線上に93年の河野談話がある。談話は元慰安婦16人に聞き取りを行った上で出されたが、その1人が金学順氏だ。なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか。そのことの検証もなしに誰よりも「前のめり」になったのが河野氏だ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140303/plc14030303220003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140303/plc14030303220003-n3.htm

 

…ということになるのだそうだ。

 

 櫻井よしこ氏は、「河野談話」作成の際の証人の一人であった金学順氏について、

  なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか。

…と問うことで、 「河野談話」の無効性を主張出来るのだと考えているらしい。

 しかし、金学順氏が「人身売買」により慰安婦とされたという事実は、むしろ、「河野談話」の適切性の証明にしかなり得ない。「なぜ、継父に売られた彼女が日本政府や軍による慰安婦の強制連行の証人なのか」と問うこと自体、慰安婦問題で何が問題とされているのかについての櫻井氏の無理解を示すものでしかない。「継父に売られた彼女」は「日本政府や軍」が関与した「人身売買」の「証人」そのものなのである。

 既に論じたように、「河野談話」は(慰安婦が軍により直接的・暴力的に拉致連行されたという意味での)「強制連行」を認めたものではない。「河野談話」の示しているのは、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 

…との認識なのであり、そこでは慰安婦の募集に際しての軍の関与の間接性が前提とされているのである。ただし、現実の運用においては「更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと」も事実として認定している、ということなのだ。「河野談話」の文言を、単純に「慰安婦の強制連行を認めたもの」として理解してしまうことは、官房長官の談話(という公文書)の読解としては未熟に過ぎるのである。

 

 再び、「河野談話」の文言に戻ると、

 

  今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが…

 

…とあるように、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」とし、「募集」については間接的関与が基本であったとはしているが、要するに日本軍による日本軍のための慰安所であり慰安婦であったとの認識を示しているのである。その際に、関与の間接性により責任回避が可能とするのではなく、慰安所の存在、慰安婦の存在をシステムとして(軍により構築された制度として)捉えることで、システムを構築し運用し利用したことへの責任を明言しているところに「河野談話」の性格の特質を読み取らねばならない。

 関与の一局面での間接性を責任回避の理由とするのではなく、

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との日本政府の認識を示したものなのである。

 

 金学順氏が「人身売買の犠牲者」となった背景には、「人身売買」を介して慰安婦を調達した軍の存在がある。「軍の要請を受けた業者」による「人身売買」に依存した制度を構築し運用し利用したことへの責任が問われているのであり、「人身売買」への「間接的関与」は責任回避の理由とはならないとの判断が、「河野談話」を支えているのだと理解しなければならない。

 

 

 そもそもの話、日本の近代の「公娼制度」を支えていた「人身売買」は、 既に1930年代の国際連盟婦人児童売買委員会の場で問題とされ、つまり国際的な批判の対象となっていたものなのである。たとえば、

 

  しかも一見同じように公娼制度を保持しているフランスなどとも異なり、日本では、多額の前借金に基づく女性の人身売買と、芸娼妓酌婦周旋業が国家公認されていたのであり、人身売買の慣行が本国だけでなく、国境を越えて合法的に、とりわけその植民地と勢力圏下の諸都市で広く行なわれていたということである。これは、国際連盟の婦女売買問題委員会の基準で言えば、「国際的婦女売買」が国家公認されているのに等しいということが、東洋婦女売買調査団と日本政府(朝鮮総督府・関東庁・内務省など)とのやりとりのなかで明らかにされていったのである。
  そのやりとりのなかで、調査団はとくに、①前借金契約と②芸娼妓酌婦周旋業について問題にした。前借金契約は当事者の女性自身の「自由意志」に基づくものだとする日本政府に対し、調査団は親による強制なのであり、違法化すべきだと主張した。また、道徳的人物のみに芸娼妓酌婦周旋業を許可しているとした日本政府に対して、調査団はこの種の職業自体が不道徳ではないのかと反論したのである。
(小野沢あかね 論文要旨 近代日本社会と公娼制度―民衆史と国際関係の視点から― 2011 http://www.soc.hit-u.ac.jp/research/archives/doctor/?choice=summary&thesisID=268

 

…ということなのである。金学順氏については、日本軍の用いた慰安婦が、「軍の要請を受けた業者」による「人身売買」により調達・確保されていた事実への「証人」として位置付け、理解する必要があるのだ。

 

 「人身売買」を慰安婦問題の正当化の理由にし、 「河野談話」の内容を非難しようとするのは、 仲間内でのみ通用する論法であり、国際的自滅行為であるに過ぎない。

 「河野談話」が示した、

 

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との認識は、慰安婦が軍により直接的・暴力的に連行されたかどうかではなく (その事実を認定するものとしてではなく)、当時から国際的に問題とされていた「人身売買」に基盤を置いた、慰安婦制度システム全体への日本としての責任を認め謝罪したものとして、 二十年が経過した現在においても、文言として適切なもの(「河野談話」には「人身売買」の有無への言及はないが、櫻井よしこ氏の指摘する金学順氏の証言内容は踏まえているわけである)なのである。

 「人身売買」は慰安婦制度をめぐる日本の大きな「弱点」なのであり(「金学順氏は人身売買の犠牲者だから慰安婦制度には問題がない」のではなく「金学順氏が人身売買の犠牲者であるところに慰安婦制度の問題がある」ということ)、その「弱点」を武器に慰安婦問題で闘おうとする櫻井よしこ氏には(「弱点」が武器として有効であると考える櫻井よしこ氏には)心底呆れるばかりである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/03/07 14:49 → http://www.freeml.com/bl/316274/215713/

 

 

 

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2014年3月 7日 (金)

産経の捏造 1 (「河野談話」と「強制連行」)

 

 ネットを用いて「慰安婦」や「強制連行」という語を検索すると、「朝日の捏造」という語とセットになった記事を多く目にする。いわゆる「従軍慰安婦問題」について、「朝日新聞」による「捏造記事」を起源とする理解が存在することを、ネット上で確認することは難しくない。

 今回は、「では産経は大丈夫なのか?」という問題を考えておきたい。「産経新聞」もまた「慰安婦問題」については、重要な情報の「捏造」の当事者であると、私は言わざるを得ない。

 

 

 まずは、サンプルとして、以下の記事を読むことから始めたい。

 

  慰安婦に関する平成5年の河野洋平官房長官談話について、菅義偉官房長官が「政治、外交問題にすべきでない」としつつ、「学者や有識者の研究が行われている。そうした検討を重ねることが望ましい」と述べた。
  河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたものだ。その見直しが必要とされ、有識者による検討の必要性に言及した菅氏の発言を評価したい。
  安倍晋三首相は秋の自民党総裁選で「私たちの子孫にこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」と述べ、衆院選前の党首討論会では「有識者の知恵を借りながら考える」と有識者会議を設置する意向を示していた。菅氏の発言は、こうした安倍首相の意向を受けたものといえる。
  繰り返すまでもないが、河野談話が出される前、当時の宮沢喜一内閣が集めた二百数十点に及ぶ公式文書には、旧日本軍や官憲が慰安婦を強制連行したことを裏付ける資料は一点もなかった。
  にもかかわらず、談話発表の直前に韓国のソウルで行った韓国人元慰安婦からの聞き取り調査だけで、強制連行があったと決めつけた。有識者会議では、これらの経緯や当時の時代背景などを改めて検証してほしい。
(【主張】官房長官発言 河野談話の見直しに期待 『産経新聞』 2012/12/28 03:11 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/618160/

 

 この『産経新聞』の「主張」によれば、

  河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの

…ということになるらしいが、実際には、「河野談話」には「強制連行」を認める記述は存在しない。そもそも、「強制連行」という語が、「河野談話」では一度も用いられていないのである(「河野談話」の中には「強制連行」という四文字熟語は存在せず、「強制」が一か所で用いられているが、「連行」の二文字は存在しない。「強制」が用いられているのは、「また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という一文においてのみであり、これは「強制連行」の含意に連なる文脈ではないことは明らかである)。

 「強制連行」という語を用いずに、「強制連行を認める」ことは、常識的に不可能であろう。

 このような公文書の記述における用語選定には細心の注意が払われている(解釈に際しては、どのような語が選択され、どのような語が排除されているのかを注意深く読み取らなければならない)。「河野談話」の文言に「強制連行」という語が用いられていない以上、原理的に、「強制連行を認めたもの」とされ得る文書にはなり得ないのである。

 繰り返すが、「河野談話」には「強制連行」という語は用いられていないのである。それにもかかわらず、「産経新聞」は、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」だと位置付けてしまった。まさに「産経新聞」の「捏造」である。重要な問題なのでしつこく繰り返せば、「産経新聞」は、文言上の根拠もないまま「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」と「決めつけた」のである。

 

 

 文言として「強制連行」という語を用いているかどうかは別としても、「河野談話」では、慰安婦の軍による直接的・組織的な暴力的拉致を、事実として認定してはいない。慰安婦の募集時における軍の関与については、基本的に、間接性がその特徴であることは明示されているのである(つまり、「産経新聞」が「河野談話」を否定する必要は最初から存在しない―「産経の捏造 3 (橋下徹氏と「河野談話」の解釈と鑑賞)」では、あらためて「河野談話」の理路の詳細を追うことで、橋下徹氏の慰安婦問題に関する主張と「河野談話」の示す認識が一致していることも示してある)。

 

 「河野談話」の実際の文言では、その点について、

 

  慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。
 (慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話  平成5年8月4日 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

 

…と記されているし、その上で、

 

  なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 

…との認識を示しているのである。

 要するに、いわゆる「強制性」の問題としては、

  総じて本人たちの意思に反して行われた

…と認定しているわけだが、この「総じて」という挿入は重要で、

  すべて本人たちの意思に反して行われた

…という話とはなってはいない。つまり、

 すべての慰安婦が本人たちの意思に反して、
 軍により直接的・暴力的に拉致連行された

…という認識は、「河野談話」のどこにも書かれていないのである。

その上で、

 

  いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 

…との言い方をしている。

 「お詫びと反省」の対象は、朝鮮半島出身者のみではなく、「その出身地のいかんを問わず」となっている。これも重要な点で、日韓の間の問題としてだけで「河野談話」の文言を解釈することは不適切なのである。軍による直接的・暴力的な拉致連行の事実が南方占領地域に存在したことを前提とすれば、むしろ適切な認識と言えよう。

 

 

 もっとも、「河野談話」にある、

  官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった

…との記述が具体的にどのような根拠を持つものであるのかは、必ずしも明確ではない。ただし、

 

三 一九九三年八月四日の「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」には、〔法務省関係〕(バタビア臨時軍法会議の記録)がある。それは、1「ジャワ島セラマン所在の慰安所関係事件」、2「ジャワ島バタビア所在の慰安所関係の事件」についての「被告人」「判決事実の概要」などを記したものである。この事実に間違いないか。
四 この〔法務省関係〕(バタビア臨時軍法会議の記録)は、1「ジャワ島セラマン所在の慰安所関係事件」について、「判決事実の概要」を記しているが、そこには、「ジャワ島セラマンほかの抑留所に収容中であったオランダ人女性らを慰安婦として使う計画の立案と実現に協力したものであるが、慰安所開設後(一九四四年二月末ころ)、「一九四四年二月末ころから同年四月までの間、部下の軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどしたような戦争犯罪行為を知り又は知り得たにもかかわらずこれを黙認した」などの記述がある。間違いないか。
(平成二十五年六月十日提出 質問第一〇二号 「強制連行の裏付けがなかったとする二〇〇七年答弁書に関する質問主意書」 提出者 赤嶺政賢 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a183102.htm

三及び四について
 内閣官房内閣外政審議室が平成五年八月四日に発表した「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」において、御指摘のような記述がされている。
(平成二十五年六月十八日受領 答弁第一〇二号 内閣衆質一八三第一〇二号 平成二十五年六月十八日 内閣総理大臣臨時代理 国務大臣 麻生太郎 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b183102.htm

 

…とのやり取りが、その後の国会においてなされている。「河野談話」の作成に際し、この「バタビア臨時軍法会議の記録」を参照した事実(「内閣総理大臣臨時代理」としての麻生氏は、その点について否定していない)からすれば、「官憲等が直接これに加担したこともあったこと」の根拠が、「産経新聞」の主張するように、「談話発表の直前に韓国のソウルで行った韓国人元慰安婦からの聞き取り調査だけ」ということにはならないだろう。

 

 

 「河野談話」の全体を、その文言の示す通りに読めば、「産経新聞」流の非難が的外れというか、実際には「河野談話」に書いてないことを非難していたというか、いずれにせよ結果的に「産経新聞」の「捏造」問題は、その熱心で無批判な読者を不必要に刺激し、日本の不利益としてのみ帰結するものであったということになる。

  「強制連行」という語自体を一度も用いず、軍による組織的・暴力的な拉致を認定する文言も存在しない「河野談話」を、「河野談話は、根拠もないまま慰安婦の強制連行を認めたもの」として非難し続けることで、「産経新聞」は「河野談話」を実際に読んで確かめもしない人々を煽り、問題の解決をより困難にし、より日本にとって不利な状況に追い込んだのである。実に罪深い、「産経新聞の捏造問題」と言えるだろう(「河野談話」をめぐる「産経新聞の捏造問題」については「産経の捏造 2 (櫻井よしこ氏と「人身売買」)」も参照のこと)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2014/03/06 19:53 → http://www.freeml.com/bl/316274/215666/

 

 

 

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