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2013年10月 7日 (月)

検索の道(2) 竹内偲治と竹内徳治(小暮泰用の上司の名は?)

 

 「朝鮮人強制連行問題の基本構図」の「註」を充実させておこうと思い、1944年の小倉泰用による「復命書」について、当初は、

 

【註:3】
小暮泰用による「復命書」 内務省 1944年7月31日
アジア歴史資料センター B02031286700

 

…と、史料へのアクセス先のみを記したものだったのを、最終的に、

 

 【註:3】
小暮泰用による「復命書」 内務省 1944年7月31日
アジア歴史資料センター B02031286700

参考のために、文書の冒頭部と目次を掲げておく。

   復命書
        嘱託 小暮泰用

依命小職最近ノ朝鮮民情動向竝邑面行政ノ状況調査ノ為朝鮮ヘ出張シタル處調査状況別紙添付ノ通ニ有之右及復命候也
     昭和十九年七月三十一日

   管理局長 竹内徳治

     目次
一、 戦時下朝鮮ニ於ケル民心ノ趨勢
     殊ニ知識階級ノ動向ニ関スル忌憚ナキ意見
二、 都市及農村ニ於ケル食糧事情
三、 今次在勤文官加俸令改正ノ官界並ニ民間ニ及シタル影響
四、 第一線行政の実状
     殊ニ府、邑、面ニ於ケル行政浸透ノ現状如何
五、 私立専門学校等整備ノ知識階級ニ及シタル影響
六、 内地移住労務者送出家庭ノ実情
七、 朝鮮内ニ於ケル労務規制ノ状況並ニ学校報国隊ノ活動状況如何
               以上

 小暮泰用は内務省の嘱託として、大日本帝國による朝鮮の植民地化、朝鮮人への皇民化政策を肯定していることが、文書の全体を読むことで理解出来る。「復命書」で植民地主義批判をしているわけではない。
 戦時期の朝鮮人の動向としては、基本的に日本への戦争協力姿勢を明確化しつつあるものとして、肯定的に評価している。ただし、植民地統治上、戦争遂行上の障害となる可能性のある問題のひとつとして、労務動員の実態を報告しているのである。
 「復命書」の提出先である竹内徳治は、昭和19年当時、内務省管理局長であると同時に、朝鮮の植民地化のための国策会社であった東洋拓殖株式会社の監理官の肩書も保有しており、大日本帝國の植民地経営に深く関与していた(対満事務局勤務の経歴もあり、昭和15年には企画院部長として叙勲(勲等進叙ノ儀)対象となり翌年には「満洲國皇帝陛下ヨリ肇國鴻業ニ關シ功勞アリタル廉ニ依リ御紋章附銀杯一組贈與相成候」ような)高級官僚である。

 

…という内容へと、大幅に加筆した。

 「文書の冒頭部と目次」に関しては、アジア歴史資料センターにアクセスし、「復命書」の画像から書き起こしたものだ(旧字体の漢字表記については不完全であるが)。

 その上で、文書全体の内容について、植民地主義批判を目的として書かれたものではなく、あくまでも大日本帝國内務省サイドの植民地統治者の視線により書かれたものであることを説明しておくことにした。

 さて、文書の冒頭の書き起こしに最初のハードルがあった。管理局長の名が判然としないのである。「竹内〇治」という状態。私は「徳」であると判断したが、あらためてネット上の関連記事を検索すると、竹内偲治となっているものと、竹内徳治となっているものがある。

 実際問題としては、画像を一見した限りでは、「徳」であるより「偲」に見えるのである。

 この文書は、水野直樹編『戦時期植民地統治資料』第7巻 (柏書房 1998)に収録されており、そこからの引用としてネットにアップされているものに「偲治」表記が採用されているようである。

 一方、外村大氏による論考では、「徳治」が採用されていた。

 

 で、あらためてアジア歴史資料センターにアクセスし、画像の名前の部分を拡大してみることにした。ところが、拡大しても、問題の一字だけが鮮明とは言い難い(それでも「偲」よりは「徳」らしく思えるようになったのだが)。

 

 で、次の策を考え、あらためてアジア歴史資料センターの検索機能を利用し、「竹内徳治」で文書の検索をかけてみた。

 すると多くの文書がヒットする。内容を確認すると、昭和10年代のもので、「対満事務局事務官」だの「企画院部長」だのの肩書のあるものが続き、問題の昭和19年のものに、確かに「内務省管理局長 竹内徳治」となっている複数の文書を発見。これで一件落着である。

 

 加えて、昭和19年のものに、内務省管理局長の肩書に加えて東洋拓殖株式会社監理官が併記されている文書(東洋拓殖株式会社の朝鮮半島の支店長人事に関するもの)まで見つかり、竹内徳治という人物の具体像も、当初に比べれば格段に明確になったわけである。

 で、小暮泰用も、そんな竹内の社会的位置付けを知った上で、竹内の命により朝鮮半島に出張し、「朝鮮民情動向竝邑面行政ノ状況」を調査し、竹内の意に添うべく「復命書」の文章を考えたに違いない。

 

 

 続きの記事(「検索の道(3) 内務省管理局長竹内徳治」及び「検索の道(4) 竹内徳治、味の素、そして駐日ローマ法王庁」)でも明らかにしたように、ネット上には、実はこれだけの情報がアクセスされるを待っているのである。ネット情報を吟味することなく安易に「拡散」に励む人々にも、このような情報発掘の楽しさを一度は味わって欲しいとは思うのだが(無理な望み、望んでも無駄な話であろうか?)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/09/13 21:49 → http://www.freeml.com/bl/316274/207590/

 

 

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投稿: モンクレール 春物 | 2013年11月 1日 (金) 15時44分

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