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2013年10月 8日 (火)

検索の道(3) 内務省管理局長竹内徳治

 

 昭和19年7月31日付の、小暮泰用による「復命書」の提出先の内務省管理局長の名が、竹内偲治ではなく竹内徳治であることまでは明確となった( 検索の道(2) 竹内偲治と竹内徳治(小暮泰用の上司の名は?) )。

 そして、当時、竹内が東洋拓殖株式会社の監理官の肩書も保有していたことも判明した。昭和10年には対満事務局事務官であったことからも、竹内が大日本帝國による植民地経営に深く関与した高級官僚と判断した。

 

 さて、そうなると、あらためて、内務省の管理局という部署について知っておく必要を感じる(そういう問題は、恥ずかしながら、私には未知の領域である)。

 で、ネット検索の道を進むと、水野直樹氏が内務省管理局について書いている文章に行き当たる。

 水野氏によれば、

 

 朝鮮や台湾に対する日本の植民地支配の歴史は、研究者のレベルだけでなく、強制連行や従軍慰安婦問題に見られるように社会的にも注目を集めるテーマとなっている。しかし、植民地に対する日本の政策や認識、支配の実態を明らかにするために必要な資料がすべて公開されているわけではない。むしろいまだに非公開のまま眠っている資料の方が多いかもしれない。
 その代表的な例が旧内務省文書である。内務省といえば、警察・土木・地方行政・社会衛生などを担当し、戦前日本の中央官庁の中で最も規模が大きかったが、1943年には「外地行政事務」をも管轄することになった。
 それ以前、植民地の事務を扱う中央官庁としては、1929年に設置された拓務省があった。ところがアジア太平洋戦争期に大東亜省が新設されると、拓務省は廃止され、朝鮮・台湾に関する事務は内務省が管轄することになり、内務省管理局が設けられた。「内政」の中心である内務省が「外地」=植民地の行政事務を扱うというのは、少し不思議な気がするが、大東亜省に朝鮮・台湾の事務を任せるわけにはいかないこと、当時は「外地の内地化」が目標とされていたこと(ただし「外地」という実態には変わりなかったが)から、内務省に植民地行政事務が移管されることになった。
 戦時期のごく短い期間であったが、植民地行政を扱う内務省にそれに関する文書が蓄積されたと考えられる。拓務省とそれ以前の植民地行政官庁の文書も引き継いだはずであるし、戦争末期の植民地に関する文書が内務省で作成されたり、送付されたりしたはずである。内務省文書というと、主に在日朝鮮人の民族運動・社会運動に関わる特高警察の資料を思い浮かべるが、植民地全般に関わる資料が含まれているのである。
 戦後内務省は解体されたが、「旧外地」に関わる事務は内務省管理局から外務省管理局に移管され、在外日本人の引揚げなどを担当した。このような経緯から、外務省は旧内務省管理局の文書を引き継いだ。それらは現在外交史料館にあり、一部が公開されている。「本邦内政関係雑件 植民地関係」と題された6冊のファイルが公開されているが、興味深い文書が数多く含まれている。
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/naimusho.html

 

…ということなのであった。抜き書きすれば、

  内務省といえば、警察・土木・地方行政・社会衛生などを担当し、戦前日本の中央官庁の中で最も規模が大きかったが、1943年には「外地行政事務」をも管轄することになった。
  それ以前、植民地の事務を扱う中央官庁としては、1929年に設置された拓務省があった。ところがアジア太平洋戦争期に大東亜省が新設されると、拓務省は廃止され、朝鮮・台湾に関する事務は内務省が管轄することになり、内務省管理局が設けられた。

…との経緯が、問題の焦点として明らかになったわけだ。

 

 さて、更にネット検索の道を進むと、神戸大学の電子図書館に、以下のような昭和17年11月2日の『大阪朝日新聞』記事があった。

 

必勝の官界体制確立
 大東亜相に青木一男氏
     各省新陳容一斉に発令

政府は大東亜戦争勃発以来戦争完遂に必要な国内体制強化のためあらゆる部面において着々各般の施策を講じて来たが最後まで取残され国民から久しく要望されて来たところの官界新体制の確立、行政の刷新の懸案も一日行政簡素化、大東亜省設置並に内外地行政一元化勅令の公布施行によりここに結実を見るにいたり戦争必勝の行政機構が完成した、しかして一日午前十時宮中において大東亜大臣の親任式がとり行わせられ国務相青木一男氏が初代大臣に就任し征戦下大東亜建設に邁進すべき重大使命を担当することとなり、また同日大東亜省はじめ各省の新機構による陣容が一斉に発令せられた、かくて青木一男氏の大東亜大臣就任によって東条内閣の陣容はここに整備せられるとともに新機構の発足によって政府の陣頭指揮が強力に運営されることとなった、政府は刷新された新機構の上に立って直ちに対議会策に専念するとともに今後執拗に来るべき米英の反撃を撃砕しつつ長期建設戦を完遂するため当面喫緊の要務たる生産の増強、国民生活の安定確保その他戦争遂行上の重要施策の実行に挺身て行くことと期待される
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10105829&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 

 東條内閣での大東亜省発足を伝える記事であるが、その続きに、各省の人事を伝えるものがあり、その中に竹内徳治の内務省管理局長任命記事もあった。

 

内務省
 拓務省殖産局長 竹内徳治
任内務省管理局長(二)
 内務書記官 金子辰太郎
命管理局経済課長
命管理局監理課長 同 橋爪恭一
命管理局理財課長 同 中尾荘兵衛
命管理局殖産課長 同 佐藤勝也
命管理局民政課長 同 荒木和成
(竹内徳治のみ写真付きで掲載されている)

 

 拓務省の殖産局長であった竹内徳治は、大東亜省の設置に伴う拓務省の廃止により、拓務省の管轄であった「朝鮮・台湾に関する事務」を内務省管理局の初代局長として取り仕切ることになったわけである。

 

 小暮泰用に朝鮮への出張調査を命じたのは、そのような人物なのであった。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/09/14 23:22 → http://www.freeml.com/bl/316274/207625/

 

 

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