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2013年9月24日 (火)

検索の道(1) モンテネグロと日本が国際法上100年間戦争状態だった…?

 ネット検索を適切に行うことで、「平成十八年二月十四日提出 質問第六九号 一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問主意書」の存在を知ることが出来る(衆議院での質問主意書の提出者は鈴木宗男氏である)。

 鈴木氏は質問主意書の第二項で、

 二 一九〇四年にモンテネグロ王国が日本に対して宣戦を布告したという事実はあるか。ポーツマス講和会議にモンテネグロ王国の代表は招かれたか。日本とモンテネグロ王国の戦争状態はどのような手続きをとって終了したか。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164069.htm

…と、日本政府に質問している。

 この質問は、個人的に、興味深いものだ…と言うより、その問題に対する個人的興味が、ネット検索を私にさせるに至ったのである。

 まず、ネット上で拾った(というか送りつけられた)以下の文章を読んでいただきたい。

  ネタ本にはその他にも、モンテネグロ(元はチェコスロバキアのバルト三国)と日本が国際法上100年間戦争状態だったとか面白いことが書かれています。
     (送信日時 2010/07/19 12:16)

 「モンテネグロ(元はチェコスロバキアのバルト三国)」という部分を読んだだけで、この一文の主がモンテネグロに関する基礎知識を欠いた人物であることが明らかとなるだろう。

 モンテネグロに関する基礎知識どころの問題ではなく、ここでは、90年代の国際情勢に関する基礎知識の欠如までが明らかになってしまっているのである。1989年のベルリンの壁崩壊に始まりソ連邦崩壊に至る過程と、その結果としての「冷戦終結」がもたらした国際社会の劇的変化に少しでも関心を持っていた者であれば、モンテネグロがどこに存在し、チェコスロバキアがどこに存在し、バルト三国がどこに存在し、冷戦終結過程でどのように国際的地位を変化させたのかは常識に属する基本的知識である。

 つまり、一文の主は、90年代から現在に至る国際社会の変容への自身の無関心を、自ら(それと気づくことなく)暴露しているということなのだ。

 モンテネグロは、冷戦終結まではユーゴスラビア社会主義連邦共和国内の一国であり、冷戦終結後はセルビアとの連邦を構成したがコソボ紛争の際にはセルビアと距離を置くようになり、最終的に2006年に完全な独立国家となった国である。

 チェコスロバキアは、1989年のいわゆる「ビロード革命」を経て共産主義政権に終止符を打ち、1968年の「プラハの春」の立役者であったドプチェクを政治の場に復権させたものの、1993年にはチェコ共和国とスロバキア共和国に分離している。

 バルト三国は、第二次世界大戦後はソ連邦に組み込まれ独立を失っていたが、いちはやくリトアニアが1990年の時点でソ連邦からの独立を宣言(ラトビアとエストニアは1991年に独立)し、その後のソ連邦崩壊の先陣を切っている。

 どれも、「少しでも国際関係の歴史に関心があれば知っていて当然」の部類に入る知識なのである。

 で、そんなわけで当該の一文の前半にある「モンテネグロ(元はチェコスロバキアのバルト三国)」という表現に呆れかえって、後半に注意を向けることなく過ごしてしまっていたのだが、

  モンテネグロと日本が国際法上100年間戦争状態だった

…というのは興味深い話でもあり、あらためて事実関係を調べてみようと思い立ったわけである。検索の結果、冒頭に紹介した鈴木宗男氏の「質問主意書」の存在を知ることが出来た。

 さて、日本政府の答弁やいかに??

 内閣総理大臣小泉純一郎名義による「平成十八年二月二十四日」の日付を持つ「衆議院議員鈴木宗男君提出一九五六年の日ソ共同宣言などに関する質問に対する答弁書」には、以下のように明記されている。

 二について
  政府としては、千九百四年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。モンテネグロ国の全権委員は、御指摘のポーツマスにおいて行われた講和会議に参加していない。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164069.htm

 つまり、日本国政府(自民党政権下の、である)の公式見解によれば、

  モンテネグロと日本が国際法上100年間戦争状態だった

…との主張に関し、「根拠があるとは承知していない」ということなのである。

 もちろん、それは日本政府側の見解であって、モンテネグロ政府の認識は別のものであり得ることも確かである。モンテネグロ側の外交文書に基づき、

  モンテネグロと日本が国際法上100年間戦争状態だった

…と主張されていた可能性も考える必要はある。

 ここで問題とした一文に立ち戻ってみると、

  ネタ本にはその他にも、モンテネグロ(元はチェコスロバキアのバルト三国)と日本が国際法上100年間戦争状態だったとか面白いことが書かれています。

…となっている。当人の主張ではなく、「ネタ本」が存在するというのである。となると、モンテネグロ側の外交文書に基づく研究が存在するのかも知れない。

 で、当人の紹介する「ネタ本」が何かというと、『あらすじとイラストでわかる日本史』(イースト・プレス 2010)なのであった!!

 これでは実証的歴史研究に基づく主張である可能性は低いと判断せざるを得ない。

 ちなみに「イースト・プレス」のホーム・ページに掲載されている最新刊はというと…

  『ぎんが堂 怖いほど本音がわかる心理テスト』
  著者: 中嶋真澄
   あなたの知っているあなたは「ウソ」かもしれない。

  『ぎんが堂 怖すぎる都市伝説』
  著者: 松山ひろし
   この世には、「知ってはならない」話がある。

  『ぎんが堂 合コン女王が教える 2時間で女ゴコロをつかむ技術』
  著者: 絵音
   「お持ち帰りできる男」に、なりたくありませんか?

  『まんがで読破 ソクラテスの弁明』
  著者: プラトン
   ただ生きるのではなく 正しく生きたいのだ

  『タイムスクープハンターコミック1』
  髪結い ちょんまげ騒動記
  著者: 中尾浩之
   髪結いは見た!薄毛武士の悲哀

  『タイムスクープハンターコミック2』
  瓦版ジャーナリスト魂
  著者: 中尾浩之
   江戸のゴシップvsジャーナリズム

  『タイムスクープハンターコミック3』
  熱狂!初ガツオ争奪戦
  著者: 中尾浩之
   江戸に到来、グルメブーム!

  『一生太らないカラダになる』
  著者: 阿部エリナ
   ほんの少しの心がけで「やせる習慣」がしっかり身に付く!

  『1分片づけ術 収納・整理編』
  著者: すはらひろこ
   1日1分、たった「5つのルール」で、もう散らからない!

  『あなたの夢をかなえる 目に見えない力の秘密 理想の人生を引き寄せる7つのステップ』
  著者: (著)ロバート・シャインフェルド(訳)本田健
   「引き寄せの法則」のエッセンスが一瞬でわかる1冊、まったく新しいアプローチの願望実現の実践マニュアルがここに!!

 この問題に関しては『あらすじとイラストでわかる日本史』の記述よりは、日本政府の公式見解の方を信頼しようと思う私であった(註:1)。

【註:1】
 念のために『ウィキぺディア』先生にお伺いを立ててみると…

  独立に際し、日露戦争時にモンテネグロがロシア側に立ち、日本に宣戦布告していることが問題となった。モンテネグロは日本と直接戦ったと半ば伝説化しており、日本とモンテネグロは講和していない為、再独立によって戦争状態が復活するのではと恐れた(手順として、独立と同時に日本と一旦国交を断絶し、あらためて講和しなくてはならない)。しかし、今回の独立承認後にロシアの公文書を調査したところ、ロシア帝国がモンテネグロの参戦打診を断っていたことが明らかとなり、独立しても戦争状態にならないことが確認された。
     (「モンテネグロの歴史」の項による―2013/03/31 閲覧)

 つまり、モンテネグロ側の外交文書を精査しても、

  モンテネグロと日本が国際法上100年間戦争状態だった

…との結論に至る可能性は存在しないということ。
(もちろん、『ウィキペディア』記事の信頼性という一般的問題もあるが、記事の性格から言って、ガセネタである可能性は低いと判断した)

 「今回の独立承認後にロシアの公文書を調査したところ」とは、つまり2006年の時点での話であり、今回の記事本文に示した日本政府の答弁も、平成18(2006)年のものであるという事実が確認出来る。

 それに対し、『あらすじとイラストでわかる日本史』の刊行年は2010年。
 この事実は、『あらすじとイラストでわかる日本史』の記述の信頼性の低さを示す。

 こういう本を「ネタ本」としてコピペ拡散に励むんじゃぁなぁ…

[追記]
 念のために、『ウィキペディア』先生の記述を再確認してみると、なんと驚いたことに、現在では、

  独立に際し、モンテネグロと日本の戦争状態が日露戦争以降続いているかについて、日本の国会で採り上げられた。2006年2月日本政府は1904年にモンテネグロの宣戦布告を見つけられないこと、ポーツマスでの会議にモンテネグロは参加していないことを回答していた。実際には日露戦争時にモンテネグロはロシア側に立ち、1905年日本に宣戦布告し、ロシア軍とともに戦うため義勇兵を満州に派遣していたが、日本とロシアの講和会議にモンテネグロが含まれていなかったため、技術上は戦争状態が続いていることになっていた。
  もっとも、モンテネグロが実際に宣戦布告していたか、宣戦布告が正規のものだったかどうかは、異説がある。しかしながら、2006年6月には、日本はモンテネグロに外務大臣と首相の特使を派遣し、モンテネグロの独立承認と戦争の終了を宣言する文書を届けた。これにより、101年に渡る両国の戦争状態が終わった。
     (「モンテネグロの歴史」)

…と記事内容が変更されていた(前回の検索から半年も過ぎていないが)。

 「2006年6月には、日本はモンテネグロに外務大臣と首相の特使を派遣し、モンテネグロの独立承認と戦争の終了を宣言する文書を届けた」という記述に関しては、実際に以下のように報道もされている。

PODGORICA, Serbia, June 16 (UPI) -- Montenegro says Japan has recognized the Balkan country as an independent state, ending more than 100 years of a state of war.
Akiko Yamanaka, Japan's deputy foreign minister and the prime minister's special envoy is scheduled to arrive in Podgorica next week to deliver a letter to Montenegrin officials declaring the war is over and Tokyo recognizes Montenegro as an independent state, Belgrade's B92 radio reported Friday.
The countries have been in a technical state of war since the 1904-05 Russo-Japan War and Montenegro sided with Russia. A local historian Told B92 that Montenegro's participation in the war was symbolic.
     (June 16, 2006 at 12:19 PM UPI)
http://www.upi.com/Top_News/2006/06/16/Montenegro_Japan_to_declare_truce/UPI-82871150474764/

…となると、この点に関しては、現在の『ウィキペディア』の記述の方が事態を正確に伝えているものと考えられる。

 あらためて整理すると、

  日本政府としては、1904年にモンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない
  モンテネグロ国の全権委員は、ポーツマスにおいて行われた講和会議に参加していない
  しかし、今回の独立承認後にロシアの公文書を調査したところ、ロシア帝国がモンテネグロの参戦打診を断っていたことが明らかとなった
  モンテネグロが実際に宣戦布告していたか、宣戦布告が正規のものだったかどうかは、異説がある
  モンテネグロはロシア軍とともに戦うため義勇兵を満州に派遣していた

…との五点が、現時点でネット検索から得られる、日露戦争に際してのモンテネグロによる対日宣戦布告に関する事実関係情報ということになる。
 満州で対日戦闘に従事するために派遣されたのがモンテネグロの「義勇兵」とされている点からすると、正式な宣戦布告の存在には、まだ疑わしいところが残る。また、両国間の講和条約調印という形式を採らず、しかも宣戦布告した側であるはずのモンテネグロではなく日本の側が「戦争の終了を宣言する文書を届けた」という形式からも、モンテネグロによる正式な宣戦布告の存在への疑念が深まる。
 少なくとも、日本側にはモンテネグロによる宣戦布告文書の受領記録が存在せず、モンテネグロ側でも公文書としての対日宣戦布告の存在が確認されていないように見える(あるいは、宣戦布告はしたが、日本に対して手交していない)。そうでなければ「モンテネグロが実際に宣戦布告していたか、宣戦布告が正規のものだったかどうかは、異説がある」という話にはならないだろう。
 ここではあらためて、「2006年6月には、日本はモンテネグロに外務大臣と首相の特使を派遣し、モンテネグロの独立承認と戦争の終了を宣言する文書を届けた」という経緯が、どのような根拠に基づいた判断であったのか?という新たな課題が浮上するわけである。
 検索の道はまだ続くわけだ(もっとも、ネット上に情報としてアップされているという保証もないのだが)
     (2013年9月25日記)

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/03/31 15:16 → http://www.freeml.com/bl/316274/202233/

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