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2013年6月 2日 (日)

眩惑的清華寮

 

 

 評判を聞いて、本日の午後に、「ここにあるだけの記憶を煙にからませて 今井新 個展」を観た。武蔵野美術大学課外センターでの学生の個展、ということになる。

 原画による同タイトルの漫画作品の展示と、映像作品という構成。

 作品の舞台となっているのが文京区にあった(というか現在も「廃墟」として「ある」らしい)「清華寮」と呼ばれる昭和初期の集合住宅建築である。

 「ガロっぽい」と評判だった漫画作品(「ガロっぽい」というのならジャンルは「コミックス」なんかではなく「漫画」であろう)では、主人公である作者本人が清華寮住人となる体験(幻想)を、清華寮の建物細部の描写と共に作品化しているのだが、映像作品の方は、作者本人の細部へと向かう視線と共に、廃墟となった清華寮内を移動する仕掛けになっている。

 

 その映像作品にハマってしまった。

 手持ちのカメラ(と言っても本格的専用機材ではない)で撮影されており、つまり揺れる画面を通して、作者の興味関心の対象を追体験することになる。最上階(三階)から、各フロアの部屋の内部にも立ち入ったりしながら、一階の出入り口まで巡るのである。

 漫画作品の中に現れる建築内のディティールに重なるイメージも映像には収められており(もちろん、オリジナルはこちらだが)、幻想としての漫画作品と、リアルな記録としての映像作品ということに(形の上では)なる。

 

 映像は、火事により放棄された建築内部を撮影したものである。と言っても、その痕跡をとどめるのは一部の部屋であって、多くの部屋、そして建築自体は当時の現状のまま廃墟化しているのである。火事の影響を受けていない多くの部屋も、家財もそのままに放棄されているために、かつての居住者の生活がそのまま原状保存されているような状態になっている。もちろん、放棄されてからの時間は室内および家財を風化劣化させ、その風化劣化した家財の姿から、放棄されてからの時間を、作者の視線を通して観る者は感得することになる。

 

 そもそもが昭和初期に台湾総督府の手により、台湾出身者の内地居住用に建築された「寮」であり、昭和初期のコンクリート造りのモダンデザイン建築(同潤会アパート群をイメージするとよいだろう)なのだ。全体のフロア構成(中心を吹き抜けにした回廊形式には中国的伝統が意識されていたかも知れないが)にしても、窓の意匠にしても、タイルを使用した装飾にしても、いかにもな昭和初期のモダン建築である。

 廃墟化し風化劣化しながらも、映像からは、かつての姿が(建築当時の姿が)想像力の中に蘇る。そして放棄される直前の建築の状態もまた、想像力の中で現状に重ねられる。そして最後の居住者たちの生活の場としての建築の姿であり、最後の居住者たちの生活が、映像の中に立ち現れるのである。焼けただれたピアノ、開かれたままのノートパソコン、本棚の本、キッチンの調味料、ノートを開けば日記が記されている。

 室内に放棄された家財の原状のままにある姿は、静止した時間を象徴するが、放棄された家財の風化劣化している現状は、時間の経過を意味するものとなる。撮影時にもなお動き続けている時計(まだ生きている時計の存在!)が印象深い。清華寮での生活の時は止まり、しかし、確実に時間は経過しているのである(経過した時間は、しかし、時計の電池が切れるほどには長くない)。

 室外には窓の擦りガラスを通して、繁茂する樹木の緑が浮かび上がる。自然は、人間の営みと関係なく、存在し続けている。擦りガラスの白い中に浮かび上がる窓外の緑が実に美しい。

 

 遺棄された家財からは、最後の居住者の家族構成、趣味、息遣いまでが伝わってくるのだ。今井新の視線は、そのような細部に向けられ、彼の手持ちのカメラを通して、観る者は今井新の興味関心の向かう先を目眩感と共に追体験させられることになる。

 

 で、それが2~30分の映像だろうくらいの予想で観始めたら、続くのだ。結局、一時間以上、映像を凝視してしまった。

 専用機材ではない手持ちカメラの映像は揺れるだけでなく、ズームの度に焦点は失われるし、観続ければ酔いが回るのである(目眩感は、手持ちカメラが単に揺れるだけではなく、その振れ幅の大きさによってももたらされたように思われる)。

 しかし、(私の場合は)ディティールへの興味が上回り、その一時間以上という時を、映像に魅入られて過ごすこととなってしまったのであった。

 

 

 私が観たのは、リアルな、清華寮の現状の映像、つまりドキュメントとしての映像。

 しかし、その映像の背後には、創建時の清華寮の姿も浮かび上がるし、その後の年月(戦争があり、戦後があり、現在に至る)も刻み込まれ、最後の居住者たちの生活の痕跡もそのままに保存され(建屋内に家財を残してのその後の生活が気にかかる)、しかし、その痕跡にもまた放棄後の時間が重ねられているのである。

 結果として、リアルな映像を前にしながら、幻影を観続けていたような印象が残される。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/06/02 00:08 → http://www.freeml.com/bl/316274/204179/

 

 

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