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2013年5月 7日 (火)

『先祖になる』を観る

 

 今年の「メイシネマ祭」は昨日で終わってしまったが、翌日の今日もドキュメンタリー映画に浸る。

 

 

 

 池谷薫監督の『先祖になる』。ここ数カ月間、観たくて観たくて…だった作品を、ようやく観ることが出来た(「ポレポレ東中野」にて)。

 

 

 気仙沼に住む大震災の津波被害に遭った老人を主人公にしたドキュメンタリー、と書いて間違いではないが、しかしそれでは内容を伝えたことにはならない。

 気仙沼に住む大震災の津波被害者の復興への思いを描いたドキュメンタリー、と書いて間違いではないが、しかしそれではやはり内容を伝えたことにはならない。

 津波被害から自分の力で復興してしまう老人の姿を追ったドキュメンタリー、と書けば、ある程度は内容を伝えたことになるだろうか。

 

 老人は1934年生まれ。きこりとしての技術を持っている。

 老人の家も津波被害には遭い、2階の床上まで水が来たという。しかし、家の柱は依然として垂直に保たれていることをカメラに向かって示し、老人は気仙大工の技術への信頼を語る。老人は、浸水被害に遭った家の建て替えを決意するのである。そして実行するのだ。

 老人は、水田を借りて苗を植え、津波被害に遭った土地にソバの種をまき、町内会の存続を訴え、地元の七夕祭りの開催(震災の夏に実行された)を支え、とにかく自ら動くのである。

 

 きこりである老人は、山に入り、家の材料となるべき木を切り倒し、必要な数を揃えてしまう(それが大震災の年の出来事である)。

 

 そんな老人に惚れ込んで(誰が惚れ込まずにいられようか)支え続ける男。彼がまた見事に老人をサポートするのだ。

 行政としては被災地に居住し続けるのではなく避難所に暮らすことを求め、次には仮設住宅への入居を求める。行政にとっての「復興」はその先の話なのだ。被災者が勝手に家を建て替えてしまうような話は、行政の発想にはなじまないのである。それに対し、徹底的に老人を擁護するのが彼。彼の喧嘩っ早い男気のある性格が快い。

 

 

 震災被害からの復興の問題、被災者と行政の間の問題を考える際に、普通は行政の対応の不備を告発する形になるものだが、ここでは「行政は余計なことをするな!」と求められているのである。

 「お上が何もしてくれない」という感覚は、老人には存在しない。

 観る者は、「公」と「個人」の関係をあらためて問われるのである。

 

 老人は決して利己的な人間ではない。むしろ被災地の共同体としての存続のために、その第一歩として自分の家を自分の力で建て替えるのである。

 

 

 しかし、あの東日本大震災の被災地の被災者のそんな老人の存在を誰が想像し得たであろうか?

 私の観たのは、確かに、「津波被害から自分の力で復興してしまう老人の姿を追ったドキュメンタリー」なのであった。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/05/06 21:09 → http://www.freeml.com/bl/316274/203106/

 

 

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