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2013年3月 2日 (土)

ふくしまの話を聞く

 

 「ふくしまの話を聞こう 2  チェルノブイリ被災地訪問報告 ―ベラルーシ・ノルウェーで見た「放射線」と向き合う暮らし―」という企画があり、パートナーに誘われたので、中央線でお茶の水、山手線に乗り換えて秋葉原、日比谷線に乗り換えて三ノ輪、都電に乗り換えて…会場の荒川区民センターに到着。

 

 

 

 第一部が「ノルウェイの被災地における畜産業と暮らし」と題された講演。話をした佐藤吉宗氏は、スウェーデンのヨーテボリ大学研究員で、

 

 京都大学経済学部在学時の交換留学がきっかけで2000年夏以降、スウェーデンに在住。
 経済学博士。チェルノブイリ事故後のスウェーデンにおける汚染対策の知見や反省点について、同国政府がまとめた報告書を翻訳し『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』として2012年に出版。ツイッターを通して安東さんらの「福島のエートス」の活動に関心を持ち、ノルウェーとベラルーシにアシスタントとして同行した。

 

…として紹介された人物。

 

 フィンランドやポーランドのチェルノブイリ事故後の対応を調べていて(ウチのパートナーが、という話ですが)、自国の保有する原発事故発生の可能性とか冷戦期ならではのヨーロッパ大陸での核戦争発生の可能性という、それぞれに大規模な放射能汚染の可能性を現実問題として考え、それに対する現実的なシミュレーションをしていた結果が、チェルノブイリ後の放射能汚染対応(迅速なヨウ素剤の配布など)にも表れているような印象を持っていたのだけど、今回の話を聞くと、ノルウェーの場合は、そもそも原発がなかったりするので、事前のシミュレーションは存在しなかったらしい。

 異常な放射線量を最初に確認したのはスウェーデンであったが、それが武装中立国としての核戦争対応システムによるものだったという点、そして異常な放射線量を当初は自国の原発事故由来と判断し、まずスウェーデン国内の原発の停止措置をとった話なども興味深く聞いた。

 で、風向きの関係などで、実際問題としてノルウェーの放射能汚染が深刻なものとなってしまったところから、様々な対策が始められたということのようだ。

 食品の安全基準などは、日本の6倍の数値で「安全」とされている(もっとも牧畜業がメインの地域なので、対象が穀物や野菜のような農産物とは性格が異なるという問題も―食習慣との関連で―あるかも知れない)ようだが、チェルノブイリ後25年以上過ぎても健康被害の問題は生じていないという話など考えさせられる(もっとも人口そのものが少ない―母集団の規模が小さい―ので健康被害発生に至る可能性のある人間の数も少なくなるという統計的問題もあるだろうが)。

 日本の安全基準はそれよりも更に低い値に設定されているということなのだが、聞く気のない人には通じないのだろうなぁ、とも思う。

 

 

 第二部は「ベラルーシで見たこと、聞いたこと、会った人」というタイトルでの安東量子さんの講演。安東さんは、「福島のエートス」の代表で、

 

 1976年生まれ、福島県いわき市在住。
 放射線を測り、知り、対処しながら、コミュニティでの生活再建を目指す住民活動を行っている。
 「エートス」は、チェルノブイリ事故10年後のベラルーシで始められた、ETHOS プロジェクトから。

 

…と人物紹介にある通りで、現に福島県に住み続けている方。

 

 ベラルーシでのチェルノブイリ原発事故対応が本格化するのは1991年で、つまり既に事故後5年が過ぎてからのことになるようだ。

 これは、以前のETV特集でのウクライナの話でも、放射能汚染地図の作成と除染や食料品規制に代表される対策の本格化が(確か)1992年以降となっていたから、まともな対応がされたのが両国共にソ連崩壊後になってのことになる(つまり事故後5年は放置状態だった)。

 この構図は重要で、今回のフクシマの対応がウクライナ・ベラルーシより酷いという言い方がされ、今後の福島での被害の深刻化が喧伝さているわけだが、ウクライナやベラルーシの現状は、事故後5~6年過ぎての本格的放射線防護がもたらしたものなのである。日本政府の対応が十分であるなどと主張するつもりはまったくないが、事故後の5~6年間、必要な対応がされないまま放置された結果の現地での健康被害の問題(ETV特集に詳しいが)を、そのまま日本の現状と同列に語ることは理解として正確ではないはずなのである。(この辺は、安東さんの話そのものではなくて、こちらの感想だが)

 

 ベラルーシの人々のインタビューの内容を聞いても、避難する権利を保障することの重要性は明らかだし、確かに避難は現実の放射能汚染と放射能汚染への不安から距離を置くことには役立つけれど、故郷を離れた生活もまた精神的不安定の原因となるということも伝わってくる。精神的ストレスもまた、身体的不調をもたらし得るのであるし、人間関係を不安定化させる要因ともなるし、そのことが新たな精神的ストレスを生み出すという問題は、避難者にも残留者にも降りかかるものなのである。

 避難指定地域への帰還が可能になったとしても、生活基盤が失われた土地への帰還の決断も簡単なものではない。また、たとえ当初の放射線値の低減化が果たされたにせよ、ホットスポットの存在への注意深い対応の必要は依然として残されるのである。であるからこそ、安東さんの人物紹介にある「放射線を測り、知り、対処しながら、コミュニティでの生活再建を目指す」とは、放射能汚染からの安全の宣言としてではなく、被災地に居住する当事者の注意深い行動の指針として理解されねばならない。

 「放射能汚染」がもたらす「不安」にどのように対応すべきかという問題として考えれば、強制的避難指定地域以外の場合、避難することも居住し続けることも、そのどちらもが強制されてはならず、どちらもが保障される必要がある。被災地域からの距離が「不安」の解消に役立つ場合もあれば、自らが注意深い対処の当事者となることで「不安」に距離を置くことが可能になると考える人々も存在することを理解しておくべきであろう。

 それは結局のところ、かつて存在したコミュニティが元通りになる保障はないということを意味するものでもある。それが原発事故が住民にもたらす過酷な現実である。

 

 いずれにしても、以前にも指摘したことだが、原発被災者には、

  避難する権利は保障されなければならない

…ということと同時に、

  住み続ける権利も保障されなければならない

…ということなのである。

 それを二者択一で考えてはいけないということなのであって、その両方を保障するだけで膨大なコストが必要となるが、そのコストを最終的に支えるのは主権者としての我々だということなのだと思う。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/02/24 23:43 → http://www.freeml.com/bl/316274/201484/

 

 

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