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2013年3月 4日 (月)

琉球國の「独立」と伊江朝直 7

 

 「琉球処分」とは、日本と清国への「両属」状態にあった琉球國が、日本の内部存在として再定義される歴史的過程であった。

 

 その時点で、琉球(あるいは沖縄)の人々は、日本という国家の内部存在となる。琉球人(あるいは沖縄人)は、日本という(やがて大日本帝國と自称するに至る)国家に帰属する存在とされることになるわけである。

 

 

 

 論を先に進める前に、琉球人と呼ぶべきか沖縄人と呼ぶべきかの呼称の問題について、ここでの私の考え方を書いておこう。

 もちろん、これは、まずもって当事者の意識の問題であり、当事者の自称の問題である。

 ただ、沖縄という名称を用いた場合、それがかつての琉球國の領域及びその領域を継承している沖縄県の領域全体を指すものであるのか、あるいは特に沖縄本島を指すものとして用いているのであるのかが判別し難くなるという問題が生じる。その点を考慮し、引用文の場合は別として、今後の私の論の上では、「沖縄人」を沖縄本島に住む人として限定的に用い、琉球國の領域民あるいは沖縄県の領域民について(後者については沖縄県民あるいは沖縄県人とする場合もあるだろうが)は包括的に「琉球人」と呼ぶことにする。
     (あくまでも混乱を避けるための便宜的措置である)

 

 

 

 さて、あらためて、琉球人の帰属意識の問題に戻ることにしよう。

 

 首里王府の国王により支配された琉球國について考える場合、そこに存在するのは近代的意識の下にある国民国家ではない。

 琉球國の支配層にとっては、琉球國こそが帰属意識の向かう先であったにせよ、被支配民として琉球國の領域住民であった人々には、琉球国民としての意識など存在しなかったはずである。生まれ育った村あるいは島が帰属意識の対象となることはあっても、琉球國の領域全体を帰属意識の対象とすることはなかったであろう。

 

 そこには、大里知子氏の言う、

 

  「琉球処分」はまさに、近代化、文明化、日本化の名のもと「頑迷固陋」と称された旧体制からの「解放」の側面もあったが、同時にそれは沖縄の歴史や伝統文化に対する「差別」「偏見」を伴い、強圧的な政策により「同化」を迫ってくる「抑圧」の側面も強くあった。

 

…という構図が存在する。

 首里王府と薩摩の二重支配による過重な搾取の対象であった被支配層に属する琉球人からすれば、そのような「旧体制」への帰属意識を持つことを期待される謂われはない。「琉球処分」はむしろ、そのような旧体制からの脱却・解放として、被支配層としての琉球人からは受け取られた側面がある。

 

 

 また、安良城氏が紹介していた、真境名安興の『沖縄現代史』(1923)に、

 

(1)「是より先幕府の末路より維新に至りし政変が、如何に沖縄に於て観測せられしかといふに、慧敏なる沖縄の政治家は当時外国船?々渡来して外国関係を生ぜしより、夙に世界の気運に鑑み、我国の開国の巳むべからざるを察知し、延いて亦沖縄の政界にも何時か低気圧の襲来すべきことを予測せり。安政5(1858)年即ち明治12(1879)年に於ける沖縄の廃藩置県を距ること20年前に於て、当時73歳の紫金大夫林文海 (城間親方) は、英仏の勢力が漸く東亜に瀰漫し来り、支那に朝貢せし安南の未路を観て、琉球の運命を揣摩し、支那と朝貢を絶ちて、我本土と併合統一せられべきことを論断し

(2)「当時の碩学本国興 (津波古親方政正)の如きは、明治4 (1871) 年に於ける各藩の廃藩置県の処分を観て、沖縄の将来を揣摩し、視察員を内地の藩に派遣して、その状況を調査せしめ、寧ろ我より進んで、版籍奉還を為すを以て沖縄の国益なりと主張し、建策する所ありしも、当時の国論は之を腐儒迂人の言として一顧を与えられざりきといふ。又彼は、本土の事情を知らしむる為に、初めて当時の新聞紙を尚泰王に奉りたるに依り、益々世人の指弾を受けた

 

…とあったように、琉球國の支配層の中にも、当時の国際情勢の把握や明治維新後の日本の国内状況の観察から、

  支那と朝貢を絶ちて、我本土と併合統一せられべきことを論断

  寧ろ我より進んで、版籍奉還を為すを以て沖縄の国益なりと主張

…するに至った人物の存在が知られてもいるのである。

 

 「版籍奉還を為すを以て沖縄の国益なり」とあるように、琉球國の支配層に属しながら、しかも琉球國の「国益」という視点に基づき、「藩籍奉還」という形式での琉球國の消滅(日本の内部化)を主張する姿には、近代世界に呑み込まれようとする小国の運命が反映されているように思われる。

 林文海 (城間親方)や 本国興 (津波古親方政正)に「日本」への帰属意識があったとは考え難いが、琉球の日本への積極的帰属が、合理的選択肢として彼らの中では位置付けられたわけである(ただし、琉球國支配層の支持を得るには至らなかったが)。

 

 

 琉球人の帰属意識の問題もまた近代と近代以前では異なるわけである。

 近代以前の問題として言えば、支配層には国家としての琉球國への帰属意識は存在していただろうが、被支配階層に属する琉球人に琉球國への帰属意識があったとは考えにくい。

 近代の問題として考えれば、「日本」への帰属意識の内発性と外発性、帰属意識の定着と反発の双方を視野に入れる必要がある。「四民平等」としての近代化は被支配階層民の「解放」への可能性であると同時に、「富国強兵」の資本制経済原理が支配する過酷な世界への一元化過程でもあった。

 確かに「四民平等」と「一君万民」は、「富国強兵」に国家としての活路を見出した近代日本を根底から支える国民形成のスローガンであった。しかし現実の明治の国家体制には、「一君」としての天皇の周囲に、親任官、勅任官、奏任官、判任官という官吏の階層序列が存在していたし、華族は「皇室の藩屏」としての特権を行使し、帝國議会への参加は高額納税者に限定され、それらはそれぞれに社会の平等性ではなく臣民間の序列的階層性の存在を意味し、天皇からの距離の序列の存在を意味していた。琉球人は、「四民平等・一君万民」であるはずの世界の中で、天皇からの距離の最も遠い存在である自身の姿に気付くことになる(朝鮮人がやって来るまでは)。

 スローガンとしての「四民平等・一君万民」からの現実の乖離の認識は、スローガンを疑う方向へではなく、むしろスローガンの理念の原理主義的徹底の方向へ意識を導くというのもまた現実というものである。しかも「日本」を相手にして、ダイレクトに理念の徹底を求めるという方向ではなく、平等であるはずの「日本」の四民・万民として自身を徹底するという方向が選択されるのである。つまり「日本」への帰属意識の徹底化であり、「日本」への同化の徹底である。1900年に高等女学校開校式の演説で、「クシャミする事まで他府県の通り」にすべきとの象徴的な言葉を述べたのは太田朝敷であった。

 平等の確保には、その前提としての徹底的同化が必要であると、琉球人自らが認識するのである。つまり、「日本人」として確保される「平等」であり、「日本人となる」ことによってのみ確保される(はずの)「平等」なのである。

 

 

 引きつづき日本に抵抗するか、それとも日本の一員になるか、それは当時多くの沖縄知識人に迫られた苦悩の選択であった。流れは後者だった。「公同会運動」にも積極的に参加した太田朝敷(1865一1938)は、運動終結後に一転して日本への同化運動に身を投じた。太田の「くしゃみの仕方まで日本化」という提唱は、「下から」の日本への同化の努力を象徴するものであった。そればかりか、太田朝敷のような人物が、沖縄の独自性を護持する立場から沖縄の徹底的な日本化を訴える立場へと変節すること自体、まさに近代以降沖縄住民のアイデンティティ葛藤史初期のシンボリックな出来事である。
     林泉忠 『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクスー沖縄・台湾・香港』 明石書店 2005
     http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/Lim-Chuan-Tiong0502.htm

 

 このようにして「近代」は、琉球人に、「日本」への帰属意識を保有しようとする努力の過程として生きられることになる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/02/20 21:37 → http://www.freeml.com/bl/316274/201382/

 

 

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