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2013年2月20日 (水)

琉球國の「独立」と伊江朝直 3

 

 琉球國を独立国として取り扱うことが適切であるかどうかについて考えてきたわけだが、今回は、

 

  琉球國は日本の国家領域内の存在であったのかどうか?

 

…という観点から、問題に照明を当ててみたい。

 

 

 

 与儀武秀氏によれば、日本政府の見解は以下のようであったという。

 

 

 1997年4月の参院特別委員会で、当時参院議員の照屋覚徳氏が「沖縄の人、ウチナーンチュはいつから日本人になったんでしょうか」という質問を行った。これに対し、答弁に立った当時の政府担当者は「明治32年(1899年)に旧国籍法が制定された。沖縄の方々はその旧国籍法施行の前から一般に日本国籍を有するものとされていたというふうに承知している」との返答を行っている。
 …(中略)…
 質疑の前に、通例に従ってあらかじめ質問通告をした際には、議員からの「質問取り」のため照屋氏を訪れた法務省の担当者が、再三にわたり「ウチナーンチュはいつから日本人になったか、との質問は取り下げてもらえないか」「むつかしくて答えられません」と申し入れてきたという。
 だが結局、質疑は取り下げられず、前出のやりとりがなされた。その上で、引き続き論議は、近代沖縄の帰属とそのあり方についての根本的な関連質疑へとつながっていく。
     与儀武秀 「沖縄は何時から日本か」 (「沖縄タイムス」09.06.29)
     http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/history02yogi.html#y01

 

 

 これが、自民党第二次橋本政権下での日本政府の見解である。また、

 

 

 近代日本という統一的な国家内に沖縄が組み込まれた経線について、2006年3月の臨時国会では、衆院議員の鈴木宗男氏が政府の見解を質している。
 鈴木氏は琉球王国についての質疑で、「政府は明治維新の時点で琉球王国は日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか」と尋ねた上で、19世紀中ごろに琉球とアメリカ、フランス、オランダとの間で締結された修好条約が法的根拠を持つ国際条約かを確認した。政府側は「沖縄については、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確か」と説明。各修好条約については「日本国としてこれら各国との間で締結した国際約束ではなく、その当時における法的性格につき政府として確定的なことを述べることは困難である」と答弁した。
 これを受け、鈴木氏は「理由を明示せずに答弁を拒否している部分があるところ、追加質問する」とした上で、「1871年にいわゆる廃藩置県が行われ、藩を撤廃する形での行政改革が行われたにもかかわらず、なぜ沖縄では(1879年に)藩が設置されたのか」「政府は、1868年に元号が明治に改元された時点において、当時の琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか」などとあらためて質問。
 これに対し答弁では「1872年当時、沖縄において県ではなく藩が設置された理由については、承知していない」「いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである」と答えている。
     同 (沖縄タイムス 09.07.13)

 

 

 こちらは自民党第三次小泉政権下での政府見解である。

 結局、照屋覚徳参議院議員の「沖縄の人、ウチナーンチュはいつから日本人になったんでしょうか」という質問に対して、日本政府は「いつ」を明確にすることは出来なかったし、鈴木宗男衆議院議員による「政府は、1868年に元号が明治に改元された時点において、当時の琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか」という質問に対しても、「いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである」としか答えることが出来なかったのである。

 

 つまり、日本政府は、

 

  元号が明治に改元された時点において当時の琉球王国が日本国の一部を構成していた

 

…のかどうかという質問を前に、明確な返答を与えることが出来なかった(「確定的なことを述べるのは困難である」と言っているわけだから)、ということになる。

 別の言い方をすれば、「明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置」以前の時期の琉球王国については、「日本国の一部であったことは確か」とは言えないということなのである。

 つまり「日支両属」時代の琉球國(琉球王国)に関しては、日本の国家領域の内部の存在として明確に位置付けることが困難であることを、日本政府は明言していたことになる。

 

 

 照屋覚徳参議院議員の「沖縄の人、ウチナーンチュはいつから日本人になったんでしょうか」という問いについて言えば、鈴木宗男氏の質問とは異なる問題として考えることも出来る。

 「沖縄の人」が日本人であるかどうかという問題を国籍問題として考えれば、琉球王国の領域が日本の国家領域の内部にあったかどうかという問題(鈴木宗男氏の問い)と重ねて考えることは可能である。

 しかし、照屋議員の問いは、「沖縄の人」が日本人=日本民族(いわゆるヤマト民族)かどうかの問題(民族的帰属問題)としても展開し得るものであり、これもまた一義的に決定され得るような問題ではないのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/02/06 21:46 → http://www.freeml.com/bl/316274/201079/

 

 

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