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2013年2月21日 (木)

琉球國の「独立」と伊江朝直 4

 

 前回には、

 

  琉球國は日本の国家領域内の存在であったのかどうか?

 

…と問いを立て、それに日本政府がどのように答えて来たのかを確認してみたわけである。

 

 

 第二次橋本内閣(自民党)及び第三次小泉内閣(これも自民党政権)の下での政府答弁からは、

 

  結局、照屋覚徳参議院議員の「沖縄の人、ウチナーンチュはいつから日本人になったんでしょうか」という質問に対して、日本政府は「いつ」を明確にすることは出来なかったし、鈴木宗男衆議院議員による「政府は、1868年に元号が明治に改元された時点において、当時の琉球王国が日本国の不可分の一部を構成していたと認識しているか」という質問に対しても、「いつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置の時には日本国の一部であったことは確かである」としか答えることが出来なかったのである。

  つまり「日支両属」時代の琉球國(琉球王国)に関しては、日本の国家領域の内部の存在として明確に位置付けることが困難であることを、日本政府は明言していたことになる。

 

…として要約され得るような日本政府の認識が明らかとなった。そのことを確認した上で、

 

  しかし、照屋議員の問いは、「沖縄の人」が日本人=日本民族(いわゆるヤマト民族)かどうかの問題(民族的帰属問題)としても展開し得るものであり、これもまた一義的に決定され得るような問題ではないのである。

 

…という問題の所在にも言及したわけである。念のために照屋議員の問いを再確認しておくと、

 

  沖縄の人、ウチナーンチュはいつから日本人になったんでしょうか?

 

…というものであった。この問いを、

 

  沖縄の人(沖縄人あるいは琉球人)は、日本の外部の存在なのか、それとも内部の存在なのか? 内部の存在だとしたら、いつから日本の内部の存在となったのか?

 

…という問題として考えてみたい。

 

 

 

 明治の新政府の側にいた人々に、その問題はどのように認識されていたのだろうか?

 ここに明治5(1872)年の有名なやり取りがある(いわゆる「琉球処分」の過程の最初の段階のものである)。

 

 明治維新とは、国内の再統一と中央集権化の試みでもあった。そして、藩政奉還・廃藩置県という手続きを介して、日本列島は明治政府の一元的支配下に再編成される。

 それまでの「日支両属」という琉球國(琉球王国)との関係も、再検討されることになる。そこでは、「日支両属」という関係を解消し、琉球國を日本の国家領域内の存在として再編成する方途が政策課題として浮上した。

 方向性としては、「日支両属」を維持しながら日本との関係を強化する(させる)のか? あるいは、琉球國と清国の冊封関係を清算させた上で、琉球を日本の排他的国家領域内部の存在として確定させるのか? という二者に代表されるものとなった。

 

 後者の代表として問題提起をしたのが、当時、大蔵大輔の地位にあった井上馨であった。井上の建議には、

 

 彼ノ酋長ヲ近ク 闕下ニ招致シ其不臣ノ罪ヲ譴責シ且前文慶長大捷以後ノ情況順逆ノ大義土地ノ形勢其他伝記典章待遇交渉ノ上ニ表見スル証跡ヲ挙ケ詳細ニ説明シ彼ヲ使テ悔過謝罪茅土ノ不可私有ヲ了得セシメ然後速ニ其藩籍ヲ収メ明ニ我所轄ニ帰シ国郡制置租税調貢等悉皆内地一軌ノ制度ニ御引直相成一視同仁 皇化洽浹ニ至候

 

…とあった。井上は琉球国王に対し、「速ニ其藩籍ヲ収メ明ニ我所轄ニ帰」するよう求めることを提案したのである。この問題について大蔵省サイドでは、

 

 抑臣等居ル所ハ即チ 天子ノ土臣等牧スル所ハ即チ 天子ノ民ナリ安ンソ私有セへケンヤ今謹テ其藩籍ヲ収メテ之ヲ上ル願クハ 朝廷其宣ニ処シ其与フ可キハ之ヲ与ヘ其奪フ可キハコレヲ奪ヒ凡列藩ノ封土更ニ宜シク 詔命ヲ下シテコレヲ改メ定ムヘシ

 

…という言い方もされていた。「朝廷其宣ニ処シ其与フ可キハ之ヲ与ヘ其奪フ可キハコレヲ奪ヒ」との主張である。

 一方、外務省サイドの建議書では「尚泰ヲ藩王ニ封シ華族ニ列シ其外交ヲ遏メン」と主張された。琉球国王尚泰をあらためて琉球藩王に封じ、華族とする方策である。

 

 その両者に対する左院(立法院)の対応が興味深いわけである。左院は、建議に対し否定的な見解を示したのである。左院の答義には次のようにあった

 

 華族宣下ノ不可ナル所以ハ国内形成沿革ノ自来ルニ従テ人ノ族類ヲ区別シテ皇族華族士族ト称謂ヲ定メタルハ国内人類ニ於テ自然ニ斯ク名目ヲ設ケサルヲ得サル勢ニ立至リシモノニシテ今般更ニ琉球国王ニ華族ノ称ヲ宣下スヘキ謂レアラス琉球国王ハ乃チ琉球ノ人類ニシテ国内ノ人類ト同一ニハ混看スへカラス

 

 左院は、

  琉球国王ハ乃チ琉球ノ人類ニシテ国内ノ人類ト同一ニハ混看スへカラス

…との理由で、琉球国王尚泰に対し「華族ノ称ヲ宣下」することの不可を主張したのであった。「藩王」という名称をめぐっても、

 

 琉球王トカ中山王トカニ封スルハ可トス琉球藩王ニテハ藩号穏当ナラス内地ハ廃藩置県ノ令ヲ布テ琉球ニ更ニ藩号ヲ授ルハ名義ヲ以テ論シテモ前令ト相応セス琉球ハ兵力単弱ニシテ皇国ニ藩屏タル能ハサルハ世ノ知ル処ナレハ実際ヲ以テ論シテモ藩号ノ詮ナシ故ニ藩号ヲ除テ琉球王ノ宣下アルヲ可ナリトス

 

…と批判した。

 左院によって、「琉球ノ人類」は「国内ノ人類ト同一」ではないのであり、琉球は「内地」の「藩」とは異なる取り扱いをすべきものとして主張されたのである。あくまでも琉球は日本の「外部」の存在、ということなのだ。

 もっとも、左院によれば、

 

 皇国ハ東西洋一般ニ知ル所ノ帝国ナレハ其下ニ王国アリ候国アルハ当然ノ事ナレハ琉球ヲ封シテ王国ト為ストモ候国トナストモ我為ント欲スル所ノ儘ナレハ藩号ヲ除キ琉球王ト宣下アリテモ我帝国ノ所属タルニ妨ケナシ

 

…ということなのでもあった。つまり、帝国としての日本の内部の王国として位置付けようというわけである。しかし、この主張は、

 

 右ノ如ク我ヨリ琉球王ニ封シタリトモ更ニ清国ヨリモ王号ノ封冊ヲ受ルヲ許シ分明ニ両属ト看做スヘシ

 

…という認識(「両属」という形式の容認)に伴われるものであり、明治日本が対応を迫られていた近代国際法的秩序(そこでは排他的支配領域の確定が重要になる)に対する理解の不足を示すものと考えることも出来る。

 

 

 しかし、いずれにせよ、ここに明らかに存在したのは、琉球國を、琉球国王を、そして沖縄の人々を、日本なるものの外部の存在として位置付けるような認識のあり方である。

 

 再確認すれば、

  琉球國は日本の国家領域内の存在であったのかどうか?

…という問いに対し、何の躊躇もなく、

  琉球は日本である

…との認識を示すような対応は、明治初年の段階では、政府当局者にとってさえも、自明のものではなかったのである。

 そこに見出されたのは、「異国」としての琉球觀である。

 

 「異国」としての琉球を「征伐」した薩摩藩・徳川幕府権力が、将軍の代替わりや琉球国王の代替わりに際し、「異国」としての琉球からの使節団を迎えることで、その実力を誇示した歴史が反映されているのである。

 「日本」が、琉球をどのように位置付けていたのかという問題は、単純に一刀両断出来るような性質の話ではないのである(註:1)。

 

 

 

【註:1】
 今回の記事で紹介した明治初年の政府サイドの認識と、シリーズの第一回で示した幕末の徳川幕府サイドの認識とを重ねることで、日本と琉球の関係をいかに捉えるのかという問題が、明治維新前後の段階においては、決して自明のものではなかったことが理解されるはずである。以下に再録しておく。

 1850年代に入ると、琉球・日本への外圧はさらに増大した。「黒船」を率いて来日したペリー提督との開国交渉の前後に、江戸幕府の内部では琉球の「所属」問題が重要議題として論議され、老中の阿部正弘は琉球を日清両属と位置づけることが妥当かどうか、関係部門へ諮問した。林復斎(儒官、大学頭)らは琉球を日清「両国に随従」している国としながらも、最終的には「唐土の属国と申し候て然るべし」と答申し、井戸石見守(海防掛)らは「矢張り両国随従の国」とみなし日清両属論を妥当としたが、川路(勘定奉行)らはいずれとも「差し極め申し上げ難く」と態度を保留し、琉球を管轄する薩摩藩主島津斉彬の意見を聞くべきだと回答した。斉彬は17世紀の明清交替時点における幕府の選択(琉球切り捨て論)に注目しながらも、最終的には琉球の意思を確かめる必要があるとして、自らの直接の意思表示を避けた(洞富雄訳『ペリー日本遠征随行記』「付録2」)。
     西里喜行 琉球処分再考(上)沖縄タイムス(2009・06・29)

 示されているのは、徳川幕府の公式見解における混乱ぶりであり、明治以前の段階での、琉球國が日本の内部の存在であるのか外部の(独立した)国家であるのかについての共通認識の不在の事実である。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/02/08 21:05 → http://www.freeml.com/bl/316274/201127/

 

 

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