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2013年2月17日 (日)

琉球國の「独立」と伊江朝直 1

 

 維新慶賀使としての伊江朝直(伊江王子)の評価を語ろうとするに際し、

 

  「琉球処分」により、琉球國の独立が終焉を迎えたのか、それともそれ以前に(薩摩藩の支配により)琉球國の独立は失われていたのか? その問いに簡単に答えることは難しい。

  伊江王子が「琉球処分」の最初の段階を受け入れたことで琉球國が独立を失ったのか、そもそもそれ以前に既に独立状態ではなかったのか? そこから考えなければならない問題なのである。

 

…という話をした(「恐ろしき者の末の末 8」 )が、実際、歴史学の世界で、どのように論じられているのかを読んでおこう。

 

 

 

 西里喜行氏による「琉球処分再考(上)」には、次のような事例が紹介されている。

 

 

 1850年代に入ると、琉球・日本への外圧はさらに増大した。「黒船」を率いて来日したペリー提督との開国交渉の前後に、江戸幕府の内部では琉球の「所属」問題が重要議題として論議され、老中の阿部正弘は琉球を日清両属と位置づけることが妥当かどうか、関係部門へ諮問した。林復斎(儒官、大学頭)らは琉球を日清「両国に随従」している国としながらも、最終的には「唐土の属国と申し候て然るべし」と答申し、井戸石見守(海防掛)らは「矢張り両国随従の国」とみなし日清両属論を妥当としたが、川路(勘定奉行)らはいずれとも「差し極め申し上げ難く」と態度を保留し、琉球を管轄する薩摩藩主島津斉彬の意見を聞くべきだと回答した。斉彬は17世紀の明清交替時点における幕府の選択(琉球切り捨て論)に注目しながらも、最終的には琉球の意思を確かめる必要があるとして、自らの直接の意思表示を避けた(洞富雄訳『ペリー日本遠征随行記』「付録2」)。
     西里喜行 琉球処分再考(上)沖縄タイムス(2009・06・29)
     http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/history02.html

 

 

 示されているのは、明治政府による「琉球処分」に先立つ時期の日本国家を代表する徳川幕府の公式見解(の混乱)と言えるだろう。

 ここに明らかなことは、明治以前の段階での、琉球國が日本の内部の存在であるのか外部の(独立した)国家であるのかについての共通認識の不在の事実である。つまり琉球國の位置付けは、近世日本の統治者にとって自明のものではなかったのである(もちろんそれは、ヨーロッパ起源の「国際法」に基く国家概念の適用という新たな課題を前にしてのことであったが)。

 

 

 安良城盛昭氏は「琉球処分論」の補注で、琉球王国(琉球國)側の認識について、

 

 

 しかしながら、琉球王国は、他方、「異国=外国」ともみなされており、それ故に、琉球国王が中国の皇帝から冊封をうけることが容認され、琉球王国内では中国年号が使用されていた。島津の「領分」であるという点で、日本=幕藩体制社会の一環に組みこまれていながらも、他方、「異国=外国」であり、琉球国王は中国皇帝の冊封を受けているという、琉球王国の特殊な地位を、首里王府は「日支両属」ととらえたのであった。この首里王府の主張は、島津の実質的な琉球支配と、形式的な冊封=朝貢関係以外に現実的な支配=従属関係は一切存在しなかった中国との関係を、等置している点で歴史認識として不正確である

 

 

…と指摘している。

 しかし、本文においては、

 

 

 先にも指摘したように、琉球は薩藩領の一部分であって、したがって、島津氏の琉球領知は、代々の将軍による領知判物によって確認されていた。したがって、本土の諸藩の通例を以てすれば、薩摩藩主島津久光の版籍奉還は、島津の琉球に対する明治2(1869) 年の島津久光の版籍奉還は琉球をも含んでいた筈である。しかしながら、その版籍奉還は、島津久光の琉球支配権の返上=放棄ではありえても、そのことが直ちに、琉球国王尚泰の琉球統治権の天皇への返上に必ずしも直結しないところに、当時の琉球の歴史的地位の特殊性が浮彫りされているのである。
 たしかに、琉球は島津の「領分」に属してはいたが、その国王尚泰は中国皇帝の冊封をうけ、琉球国に対する統治についても、島津の指令権・監督権を容認した上で、かつ、島津に対する一定の貢納義務を負うことを絶対的義務としてはいたが、王府は広汎な内政上の自裁を許されていたのである。かかる歴史的事実は、本土諸藩の通例を以てしては、その版籍泰還を論じられないことを暗示しているのであって、島津久光の版籍泰還によって琉球の版籍泰還が完了しているとは単純にみなし難いのである。
 事実、本土の廃藩置県後、薩摩藩が鹿児島県に移行するにともなって、一応鹿児島県の管轄下に置かれていた琉球王国を、明治5(1872)年、外務省の管轄下に移し、改めて琉球藩とし藩主ならぬ「藩王」という沖縄だけにみられる特殊身分=地位に琉球国王尚泰を任じ、さらに、副島種臣外務卿は、「御国体・御政体永久不相替」と上京した藩吏に約束しているのである。そしてまた琉球藩設置後一応は、「先年来其藩二於テ、各国ト取結候条約、並ニ今後交際ノ事務、外務省ニテ管轄候事」と琉球藩に指示しながらも(明治5年9月28日)、進貢貿易について、明治政府はこれを積極的に公認しないまでもともかく容認しており、明治7年(1874)年秋に沖縄を出帆した進貢船二隻には進貢使国頭親雲上外17名が搭乗しており、翌明治8(1875)年3月一行は北京に現われ、明治7(1874)年10月31日の台湾事件についての日清和議成立以来、琉球の日本帰属の確定を信じて疑わない北京の日本公使館員を驚かせているのである。
     安良城盛昭「琉球処分論」(『新・沖縄史論』沖縄タイムス社1980)
     http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/arakimoriaki78.htm

 

 

…と、「琉球処分」(明治12年の琉球藩に対する「廃藩置県」により完成される「琉球処分」の起点に明治5年の維新慶賀使派遣が位置付けられる)に至る過程を記している。明治新政府の側も、琉球國の処遇を最初から国内問題として取り扱ってはいないことがわかるはずである。

 実際、安良城氏は、

  たしかに、琉球は島津の「領分」に属してはいたが、その国王尚泰は中国皇帝の冊封をうけ、琉球国に対する統治についても、島津の指令権・監督権を容認した上で、かつ、島津に対する一定の貢納義務を負うことを絶対的義務としてはいたが、王府は広汎な内政上の自裁を許されていた

…と書いており、ここにあるのは琉球國に君臨し統治する(「王府は広汎な内政上の自裁を許され」ていたという意味において)琉球國の国王の姿である。しかも、その国王尚泰は中国皇帝の冊封により地位にあるのであって、天皇により律令制官職内部の地位に任じられているわけではない。つまり「国体」(いわゆる天皇制)の外部の存在なのである(私はこれは重要な問題だと考える)。

 当初、琉球藩が外務省の管轄であった事実も、琉球國を日本国の国内の一地方としてストレートに位置付けることの困難さの存在を示しているだろう。

 

 

 しかし、同時に安良城氏は、真境名安興の『沖縄現代史』(1923)に、

 

 

 (1)「是より先幕府の末路より維新に至りし政変が、如何に沖縄に於て観測せられしかといふに、慧敏なる沖縄の政治家は当時外国船?々渡来して外国関係を生ぜしより、夙に世界の気運に鑑み、我国の開国の巳むべからざるを察知し、延いて亦沖縄の政界にも何時か低気圧の襲来すべきことを予測せり。安政5(1858)年即ち明治12(1879)年に於ける沖縄の廃藩置県を距ること20年前に於て、当時73歳の紫金大夫林文海 (城間親方) は、英仏の勢力が漸く東亜に瀰漫し来り、支那に朝貢せし安南の未路を観て、琉球の運命を揣摩し、支那と朝貢を絶ちて、我本土と併合統一せられべきことを論断し

 (2)「当時の碩学本国興 (津波古親方政正)の如きは、明治4 (1871) 年に於ける各藩の廃藩置県の処分を観て、沖縄の将来を揣摩し、視察員を内地の藩に派遣して、その状況を調査せしめ、寧ろ我より進んで、版籍奉還を為すを以て沖縄の国益なりと主張し、建策する所ありしも、当時の国論は之を腐儒迂人の言として一顧を与えられざりきといふ。又彼は、本土の事情を知らしむる為に、初めて当時の新聞紙を尚泰王に奉りたるに依り、益々世人の指弾を受けた

 

 

…との記述のあることを指摘することで、琉球國側の帰属意識もまた変容の渦中にあった、あるいは一元的なものではなかったことを示している。

 ここには、「両属」が国家としての独立を意味するのか二元的従属を示すのかという問題も残されているだろう。

 以前に用いた言葉を繰り返せば、

 

 琉球國を独立国として取り扱うことの正当性は、一義的に決定される性質のものとはなり得ない

 

…ということなのである。

 

 

 

(引用文の文言の表記には問題があるが、ここではネット上のものをそのまま利用している)

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/02/04 22:52 → http://www.freeml.com/bl/316274/201036/

 

 

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