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2013年1月25日 (金)

恐ろしき者の末の末 2

 

 前回の記事にある石川秀三郎は、母から「石川のおじいちゃん」として聞かされていた人物であった。それが私の祖父(加来金升)の妹の結婚相手であったという具体的関係を知ったのは、母の死後に相続関係の書類(古い戸籍謄本)に目を通していた際だから、母の話を聞いていた時点では、私とどういう関係にある「おじいちゃん」であるのかまでは把握してはいなかったというのも我ながら呑気な話ではある。

 

 そんな話の際に母から聞いた「石川のおじいちゃん」のエピソードというのは、「三笠の艦長」だった親族であるという話と、海軍軍人のハイカラな生活ぶりについての話だけで、具体的にどのような軍歴の持ち主なのかは知らず仕舞いだったのが実情である。

 それが、ネット検索の結果、時代の中での「石川のおじいちゃん」の姿が、急に立体的に見えて来たわけである。

 

 ちなみに、「海軍軍人のハイカラな生活ぶりについての話」として覚えているのは、「自宅を訪問すると紅茶でもてなされ」、「応接間にあるピアノをお嬢さんが弾いているような世界」であったというくらいではあるが、これが「戦前」の話(それも軍人一家の話)なわけである。

 それをすべてダメにしてしまったのが「戦争」というのは、いささかに皮肉な話ではある。

 

 

 ここは強調しておいた方がいい点なのかも知れないが、私にとって(私が育った家族の世界の中では)、戦前は決して「暗い時代」ではないのである。

 で、これも強調しておいた方がいい点なのかも知れないが、そんな戦前の生活が「敗戦」により失われた、ということなのだ。

 もちろん、「戦前」とは「格差社会」そのものであり、その意味では、全面的に肯定出来るような世界ではない。「格差社会」の中で、恵まれた場所にいられた一族が、敗戦を境に、恵まれた場所を失っただけの話でもある(註:1)。

 

 

 明治以来の富国強兵的世界の中で、それなりに恵まれた場所にいたということ、それも草創期以来の海軍の一翼を担って来た歴史を持つということは、敗戦に至る過程に関しても、分相応の責任を感じるような意識につながるわけである。「敗戦」もまた、恵まれた場所の延長に位置する歴史的事象、ということなのである。なので、私の大日本帝國に対する批判的な言動には、敗戦に至る歴史の中に埋め込まれた家族の歴史の問題と密着した所で発せられるものという側面もある。ある意味で「身内の問題」なのである。

 

 

 で、この石川秀三郎の娘婿が柴勝男であるということも、今回のネット検索から、あらためて明らかになったのであった。

 柴は海軍内の親独派の中心として知られたような人物なので、結局、身内が「すべてをダメにした」ような話でもあるという、より一層、何とも皮肉な話となるわけだ。柴との関係を知ることで、先に示した「身内の問題」という感覚は強められることになる。

 

 母からは、ヒトラー時代のベルリン勤務をしていたという、親戚の誰だかの話は聞いていたのだが、それが「誰」であるのかは知らなかった(あるいは覚えていなかった、あるいはわざわざ確かめようとまではしなかった)。今回、それが柴勝男であることが判明したわけである。尾形惟善にしても、「石川のおじいちゃん」にしても中央での軍歴はなく、その意味で政治過程からは離れていたことになる。

 しかし、この柴勝男は、昭和15~18年といった時代を軍令部で過ごし(中佐から大佐)、対米英開戦の決定に深く関与した人物なのである(昭和20年の降伏調印式の際には、全権団の随員としてミズーリ艦上にいた人物でもある)。

 

 

 対米英開戦決定に深く関与し、敗戦の象徴的シーンにも登場するのが身内なのであった。

 この事実は、私の中では、敗戦に至る歴史の責任のある部分を身内が負っているという認識(を、より強化すること)につながる。

 しかし、だからと言って、いわゆる「じっちゃんの名誉」(私の祖父ではないが身内のひとりである)のために、あの歴史的過程を正当化することに腐心するのは、私の採る態度ではない(註:2)。

 その都度の主張や決断の理路を、より詳しく理解したいという欲求が強くなっただけである。

 

 

 

【註:1】
 まさに「斜陽」である。
 以前の記事で紹介した太田静子の『斜陽日記』のエピソード(「丸ノ内ホテルのサンドウィッチ 」を参照)は、「戦前」ではなくて「戦中」の話だが、このノーテンキな太田静子の母娘の姿から、「暗い時代」ではない「戦前」のイメージがつかめるかも知れない。
 この母娘の疎開先として「別荘」を貸したのが、私の祖父である(「別荘」の詳細については「雄山荘焼失を惜しむ 」を参照)。

【註:2】
 政治的決定・軍事的決定のトップに身内がいたということではないが、しかし、まったく無関係と言うことも出来ない。

 そのような意味で、日本の「敗戦」に至る歴史は、私には、

  どこかの誰かが悪い

…という捉え方ではしっくりこない、ということなのであろう。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/01/05 22:52 → http://www.freeml.com/bl/316274/200307/

 

 

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