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2013年1月27日 (日)

恐ろしき者の末の末 4

 

 「石川のおじいちゃん」が、私の祖父(加来金升)の妹の結婚相手であり、海軍少将石川秀三郎であったこと、そして石川秀三郎の娘婿がミズーリ艦上での降伏文書調印式に全権団の随員として列席した柴勝男海軍大佐であったことは書いた。

 

 

 そして、その祖父のもう一人の妹の結婚相手であった「伊江のおじいちゃん」の弟の伊江朝睦が1940(昭和15)年の時点で小菅刑務所長であった話までは書いた。

 さて、ネットを検索すると、その「伊江のおじいちゃん」である伊江朝助が、戦後になっての「第八十九帝國議會貴族院 衆議院議員選擧法中改正法律案特別委員會」でいったい何を語ったのかを読むことが出来る。

 

 

○男爵伊江朝助君 此ノ次ニ施行セラレマスル選擧ニ於キマシテハ沖繩縣ガ全ク選擧ノ執行ガ出来ナイト云フコトハ誠ニ遺憾ノ次第デアリマスガ、併シ情勢上已ムヲ得ズ内務大臣方ノ御苦心ニ對シテモ多トスル次第デアリマス、私ハ此ノ際少シ選擧法トハ懸ケ離レタ問題デアリマスガ、事内務省關係ノ法律案デアリマスル故ニ、少シバカリ希望ヲ述ベサセテ戴キタイト思ヒマス、現ニ沖繩縣カラ九州各縣ニ疎開シテ参リマシタ、主ニ女ト子供デゴザイマスガ、是等ハ非常ニ疲弊困憊ヲ致シテ居リマシテ、此ノ寒サニ非常ニ困難ヲ致シテ居リマス、是等ノ困難ハ、皆サン御推察下サイマスレバ能ク御分リノコトト思ヒマスルガ、實ニ沖繩縣カラ参リマシタ者ハ、此ノ寒サニ非常ニ堪ヘ難ク苦シンデ居リマス、是バカリヂヤナク、「フィリピン」ノ「ダバオ」カラ約七千名ノ移民ガ歸ッテ来テ居リマス、御承知ノ通リ、「フィリピン」ニハ日本移民ガ約一萬九千人居リマシテ、今回ノ「フィリピン」事件で約一萬三千人ニ減リ、後六千何百人ハ、向フデ戰死若クハ饑餓ニ飢エテ死ンデ居リマシテ、約一萬三千五百人バカリ居リマシテ、其ノ中ノ七割ガ沖繩縣ノ移民デゴザイマス、是ガ今日浦賀、ソレカラ鹿児島、長崎、福岡ニ皆歸ッテ来ル、サウシテ是等ノ中ニ約一日ニ十人乃至ニ十人モ死ンデ居リマス、尚是等ハ御承知ノ通リ「フィリピン」ノ暑イ所カラ参リマシタモノデスカラ、寒サニ堪ヘズ、先ニ申上ゲマス通リ、又栄養失調、其ノ他ノ為ニ死ンデ居リマス、ソシテ彼等ノ持ッテ来タ金ト云フモノハ大概軍票デゴザイマシテ、コッチデ「エックスチエンヂ」ガ出来ナイ、ソレデ以テ私ハ現ニ沖繩縣協會ノ會長ヲ致シテ居リマシテ、是等ノ救済ニ東奔西走致シテ居リマス、マダ目途ガ付カナイノデアリマス、此ノ點ニ付キマシテ、政府ノ方デモ相当ニ御援助下サツテ居リマスケレドモ、是デハナカナカ捗ラナイ、現ニ、御承知ノ通リ、沖繩縣ノ農民ト云フノハ主ニ藷ヲ作リ、砂糖ヲ作ッテ居リマシテ、耕ス耕地ガナイノデアリマス、今日各飛行場、其ノ他宮内省邊リノ御料地貸下ゲノ申請中デゴザイマスルガ、是モナカナカ捗ッテ居リマセヌ、サウシテ東京在住ノ沖繩縣民數萬ノ人間ハ、私ニ弾劾案ヲ叩キ付ケテ居リマス、甚ダ盡力ガ足リナイ、貴衆両院議員宜シク自決スベシト云フヤウナ弾劾案ヲ戴イテ居ル關係上、私モ無論力ガ足リナイデ、唯謝罪ヲ致シテ居ルダケデアリマスルガ、此ノ點ニ於キマシテモ、内務省ノ方デモ然ルベク善慮サレムコトノ希望ヲ述ベマシテ、若シ之ニ對スル内務大臣ノ適当ノ御考デモゴザイマシタラ、承リタイト思ヒマスガ、内務大臣ノ方デモ適当ナル御案ガ今日御アリデナケレバ、必ズシモ今日御答弁ヲ承ラナクテモ宜シウゴザイマスカラ、一ツ然ルベク善処シテ戴キタイコトヲ希望シテ置キマス

○國務大臣(堀切善次郎君) 沖繩縣ノ諸君ハ、従来海外雄飛ノ先頭トシテ各地ニ活躍サレテ居リマス、又此ノ戰争中、沖繩縣ガ戰場ト相成リマシタ際ニ縣民ノ諸君ガ現ハサレタ忠誠ノ事實ニ付キマシテハ、我々國民ト致シマシテモ、誠ニ感激ニ堪ヘナイ次第ナノデアリマス、其ノ後各地カラ引揚ゲテ来マスル人達、或ハ又九州方面ニ引揚ゲテ居リマスル人達ノ状態ニ付キマシテハ、只今伊江男爵ノ御話ニナリマシタ通リ、誠ニ御気ノ毒ニ堪ヘナイ次第デアリマス、浦賀ノ方ニ参ラレマシタ人達ニ付キマシテハ、是ハ伊江男爵モ御承知ト存ジマスガ、数日前ニ此ノ議會中、忙シイ所ヲ厚生大臣ガ實地視察ニ参リマシテ、皆ノ誠ニ御気ノ毒ナ、苦シンデ居ラレル模様ヲ視察シテ歸リ、歸郷ノ對策ヲ急イデ居ルノデアリマス、内務省ト致シマシテモ、各地方長官ヲ督励致シマシテ、又沖繩縣ニ對シマシテハ、只今、福岡縣、其ノ他ニ沖繩縣ノ事務所ヲ置キマシテ、沖繩縣ノ内務部長ヲ置イテ、是ガ沖繩縣ノ方々ノ御世話ヲサレルコトニナツテ居ルノデアリマスガ、尚其ノ方面、或ハ各地方長官ヲ能ク督励致シマシテ、出来ルダケノ御世話ヲ致シタイト考ヘテ居ル次第デアリマス

○男爵伊江朝助君 是以上申上ゲル必要モナイノデアリマスルケレドモ、尚一ツ御参考ノ為ニ、向フノ方ノ事情ヲホンノ五分間位御話致シマス、御承知ノ通リ沖繩本島ノ人口ハ、本島ダケデアリマス、離島ハ別ト致シマシテ、人口ハ四十萬居ルノデアリマス、其ノ中ニ疎開者ガ約五萬人、後三十五萬人デ、其ノ中ノニ十萬人ノ女ト年寄ハ北ノ方ニ居ル、後十五萬ガ南ノ方ニ出マシテ戰線ニ参加シテ居ル次第デアリマス、恐ラクハ此ノ十五萬人ハ戰死シテ居ルダラウト思フノデアリマスルガ、併シハツキリシタ事情ハ分リマセヌ、是等ノ者ハ男女共ニ奮戰シテ皆討死シタモノト思ヒマスルガ、沖繩終戰ノ三日前ニ、盛脇ト云フ陸軍ノ中尉ガ牛島司令官ノ命ヲ受ケテ沖繩カラ脱出シタ、其ノ道案内ヲシタ者ガ海軍ノ二等兵曹ノ上地ト云フ男、此ノ男ハ沖繩出身デ、大学ノ学生デアリマシタケレドモ、召集サレマシテ海軍ニ入ッタ男デアリマス、是ガ萬難ヲ冒シテ盛脇ト云フ中尉ヲ連レテ脱出シテ、奄美大島ノ徳之島迄行ツタ、盛脇中尉ハ非常ニ感謝シテ居ツタノデアリマスガ、徳之島ニ上陸スルト盛脇中尉ハ、今回ノ沖繩戰線ノ失敗ハ琉球人ノ「スパイ」行為ニ因ルト云フコトヲ放送シタ、其ノ上地二等兵曹ハ非常ニ憤慨シマシテ、刺違ヘテ、ヤラウト云フ考ヲ起シタ、然ルニ考ヘテ見ルト、司令官ノ命令デ脱出シテ大使命ヲ持ツテ居ルカラト云フノデ其ノ儘ニシテ居ッタ、サウシテ此ノ人ガ九州地方ヲ廻ッテ、九州ノ疎開地ニ、今回ノ沖繩戰ハ沖繩縣人ノ「スパイ」ニ因ッテ負ケタノダト云フヤウナコトガ流行ッテ、沖繩五萬ノ疎開民ガ受入地カラ非常ニ脅迫サレタト云フ事情モアルノデアリマス、我々カラ考ヘマスト、非常ニ残念ニ思フノデアリマス、サウシテ疎開地ノ人間ハ迫害サレタ為ニ、帝國臣民タル光栄ニ對シテ疑問ヲ起スト云フ迄憤慨シテ居ル次第デアリマス、斯ウ云フ點ハ無論内務大臣ノ御耳ニハ達シナイデアリマセウガ、斯フ云フコトモアツタト云フコトダケハチヨツト御耳ニ入レマシテ、私ノ希望ヲ打切ルコトニ致シマス

第八十九帝國議會貴族院 衆議院議員選擧法中改正法律案特別委員會議事速記録第二號 13~14ページ
http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/SENTAKU/kizokuin/089/1200/0890120000211213.html

 

 

 ここで語られているのは、戦中、そして「終戦」の直後に沖縄県民の置かれていた状況(その苛酷な現実)である。

 

 ここでは、「是以上申上ゲル必要モナイノデアリマスルケレドモ、尚一ツ御参考ノ為ニ」との言葉と共に、わざわざ後半の発言で語られた問題に注目しておきたい。

 そこで「男爵伊江朝助君」が憤慨している「盛脇」中尉は、実際には「森脇」中尉であったらしいが(註:1)、いずれにしても、ここでは盛脇(森脇)中尉による、

  今回ノ沖繩戰線ノ失敗ハ琉球人ノ「スパイ」行為ニ因ルト云フコトヲ放送シタ

…という行為のために、

  九州ノ疎開地ニ、今回ノ沖繩戰ハ沖繩縣人ノ「スパイ」ニ因ッテ負ケタノダト云フヤウナコトガ流行ッテ、沖繩五萬ノ疎開民ガ受入地カラ非常ニ脅迫サレタト云フ事情モアル

  サウシテ疎開地ノ人間ハ迫害サレタ為ニ、帝國臣民タル光栄ニ對シテ疑問ヲ起スト云フ迄憤慨シテ居ル次第デアリマス

…として、戦中の帝國陸軍軍人による沖縄県民のスパイ視と、沖縄戦敗北の責任を沖縄県民のスパイ行為に負わせようとする姿勢、その陸軍軍人の姿勢が招いた疎開地での脅迫・迫害という現実に対する「帝國臣民」としての沖縄県民の「憤慨」を、帝國議会の「衆議院議員選擧法中改正法律案特別委員會」の場(つまり、「場違い」な場である)であえて発言し、伝えようとしているということなのである(もちろん、伊江朝助自身も「憤慨」する当事者の一人として、である)。

 この森脇中尉について、山梨学院大学の我部政男教授は、

 

 

  元陸軍中尉森脇弘二の稿本「沖縄脱出記」が、防衛研究所図書館に所蔵されている。その稿本の扉にこう説明してある。「本人は陸軍歩兵学校教官として該地巡回教育の途上沖縄において戦闘の渦中に投じて、32軍司令部付きに命課され、独立混成第44旅団司令部において勤務して作成に従事した。本記事は司令部より戦訓報告のため大本営へ派遣され脱出記事である」と。その第一巻のなかの6月8日の条に次のような箇所がある。少し長い引用になるがいとわず引いておく。

  「洞窟の中を歩いて見ると、以前の顔ぶれが揃っていた。変に思って聞いて見ると、昨日2組出発したが敵のスパイらしいが崖の上で発火信号したため、敵の掃海艇に攻撃せられ、陸軍切込隊は全員行方不明、海軍の組は一名を失っただけで舟をやられて辛うじて流れて帰って来たとのことであった。海軍の兵曹長が今晩スパイを斬って来ると張り切っているそうだ。夕刻になって伊良波が帰ってきた。軍命令は貰って来ていた。「軍命令なくして戦線離脱すべからず軍占領地区内にあるくり舟は軍命令なくしては一艘たりとも使用すべからず、所在部隊は軍命令により森脇中尉に能う限りの協力をせよ」という趣旨のものであった。既に軍の秩序は麻の如く乱れ、その統制は全く行われていない。人は軍律よりも自己の生命の危険に戦いている。この時期に一片の軍命令が何程の効果を発揮し得るだろうか。私は迷ったまま、黙っていた。日暮時兵曹長が「今からスパイを斬って来ます」と言って来た。私は「御苦労さん、拳銃を貸そうか」と言ったが、「何、これさえあれば沢山ですよ」と軍刀を見せ乍ながら出て行った暫くたつと「やはり借りて行った方がよかったですな。手負ひだけど一人逃がしてしまったよ」と残念そうに行って来た。スパイはハイカラな服装をした男一人と女二人で先ず男に一太刀あびせ次に女二人を斬ったが女を斬っている隙に男が拳銃を撃ち乍ら逃げてしなったのだということであった。然し、もう妨害は出来ないだろうと思って安心した。」

 

 

…と森脇弘二陸軍中尉自身の証言と伊江朝助の帝國議会での発言との照応関係を指摘している。

(『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』  平成19年12月25 
教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会  「沖縄戦に関する私見」 山梨学院大学我部政男  http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf

 

 

 

 あの「琉球処分」以来の、近代沖縄の直面させられた厳しい現実が凝縮されたエピソードだと感じられる。大日本帝國により実質的に植民地化(併合・同化)された沖縄の現実が、である。

 植民地住民は、宗主国の軍人からは潜在的なスパイ視されるような存在ということなのである。

 大日本帝國に併合・同化され独立を失った琉球王国の王家の血統に属する(「伊江御殿」の当主としての「伊江王子」である)伊江朝助が、ここでは大日本帝國の忠良な臣民(貴族院議員の地位はその事実を示す)として、盛脇(森脇)中尉の行為を告発している構図を読むと、その真摯さに打たれると同時に、小国の運命の象徴的存在としての痛ましさをも深く感じさせられる。

 

 

 

【註:1】
 「海軍ノ二等兵曹ノ上地ト云フ男」から伝えられた時点(その時点が「伝聞」であった可能性もある)では文字情報ではなく「モリワキチュウイ」という音声情報のみであった可能性が高く、帝國議会での発言もまた音声によるものなので、伊江朝助自身に「盛脇」という漢字表記が意識がされていたかどうかまでは議事録からは判断出来ない。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2013/01/16 21:57 → http://www.freeml.com/bl/316274/200591/

 

 

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コメント

 はじめまして
 佐久間と申します。
 実は私は柴勝男と縁あるものです。
 私の曽祖父(婿)の生家が柴勝男の生家であり、柴勝男とは叔父、甥になると聞いております。
 父は、生前(昭和61年に他界)柴勝男について子供の私によく話を聞かせてくれました。
 石川秀三郎の娘をお嫁さんに頂いたことや仲人が鈴木貫太郎であったこととか等々です。
 私的には、多少誇りにしていた一面もあったのですが、間違いだったのでしょうか?
 なにはともあれ、貴重な情報をご提供頂きましたことを感謝申し上げます。
 

投稿: 佐久間 | 2013年7月18日 (木) 00時55分

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