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2012年11月

2012年11月19日 (月)

丸ノ内ホテルのサンドウィッチ

 

 

 フランス語の帰りに、若いお友達と一緒に、日劇の、一番上の劇場でフランス映画「格子なき牢獄」を見て、午後おそく帰って来て、自分の洋間で着替えをしていると、お母さまが、何時の間にか這入っていらして、
「今朝ね、叔父さまから速達がまいりましたよ。」
 と言って、白い封筒を手に持っていらっしゃった。お母さまは何だか嬉しそうにしていらっしゃる。私は、お手紙を受けとると、直ぐ便箋をひらいた。
「御殿場の下曽我に、加来君の別荘がある。いま空いていて、誰かいい人に住んで貰いたいとのこと。家は支那風の田舎家で、眺めがよく、住めばきっと、いい所だと思う。思し召しがあったら一度家を見に行かれてはどうか。」
 と書いてあった。
「お母さま、御殿場線の沿線て此の間、通ったばかりね。」
「叔父さまがいいって仰っしゃる所だもの、きっと、いい所ですよ。それに、叔父さまがお話し下さるのだから、私は、このまま目をつむって行ってもいいような気がする。」
 と、美しい顔をして仰っしゃった。翌る日、お母さまと一緒に丸の内の日曹本社へ叔父さまに逢いに行った。広い社長室で暫らくお話して、それから丸ノ内ホテルへ食事に行った。ちょうど従弟の英ちゃんも来合して、叔父さまと、お母さまと、英ちゃんと、私を前に、叔父さまは至極上機嫌だった。叔父さまにとって、たった一人の姉と、たった一人の亡兄の長男。そして静子。
「静子はどうする? 一緒に行く?」
 と叔父さまは、私におたずねになった。
「ええ一緒に、だってお母さま、たったひとりでいらっしたらお困りになるでしょう。」
 少しの間、お話をして、ホテルの前で、叔父さまにお別れした。三人は東京駅の方へ歩いた。…
     太田静子 『斜陽日記』 小学館文庫 1998  16~17ページ

 

…。東京駅で英ちゃんに別れて、銀座へ出た。午後の銀座を歩いて、夕方家へ帰って来た。お母さまと二人洋間の椅子に向い合って、丸ノ内ホテルの、サンドウィッチをひらいて、お茶を頂いた。お母さまは美しく微笑して、
「静子はやっぱり文学なんて言っているのがいいらしいのね。」
 と仰っしゃった。
「そうかも知れないわ」
     同書  19~20ページ

 

 

 

 これだけを読んで、これが戦時下の日本、それも昭和19年の秋のエピソードであることを見抜くことは難しいだろう。

 

 実際には、太田静子とその母は、「叔父さま」と東京からの疎開の相談をしていたのである。それは一年前のエピソードに遡る。

 

 

…。翌日の夕方、ホテル(山中湖畔のホテルである―引用者)のヴェランダで、空襲警報を聞いた。傍で本をよんでいらっしゃった中年の紳士も、あわててお立ちになった、サイレンをきっかけに話し合い、直ぐ、一緒に東京に、帰ることになった。
「お家は何処ですか?」
「洗足池の直ぐ傍でごいざいます。」
 その方の家は目黒だった。誰もいない扉のしまったままの東京の家。恐ろしい空襲が始まって、あちらこちらに焼夷弾をおとしたら、あの小さい家は、またたく間に焼けてしまう。いまごろは、もう焼けてなくなっているのではないかしらと、急に不安になった。お母さまも心配して、家を空けたから罰があたったのだと仰っしゃった。間もなく自動車が来た。八時少し前に御殿場へ着いた。三十分ばかりして汽車が来たけれど、御殿場線の車中は真暗だった。九時四十分の上り列車に間に合ってほっとした。大船で警報が解除になり、車中が、ぱっと明るくなった。
「たいしたことがなくてよかったですね。だけどこれから東京の空襲は、いよいよはげしくなるでしょう。いまに私達の住んでいる所も、焼野原になるでしょう。」
 と、同車したかたも微笑みながら、仰っしゃっていた。それから空襲は一年間ばかりなかったのであるが、山中湖で聞いた空襲警報の不気味さを思い出すと、一日も早く東京をはなれたいと思うのだった。…
     前掲書  14~15ページ

 

 

 

 B-29による東京の空襲が始まるのは、昭和19年11月24日のことであったから、太田静子が母と下曽我にある加来金升の支那の田舎家風の別荘に疎開したのは、その直前のことになる。

 空襲下となる東京を離れての、母娘の生活が、このようにして始まったのであった(『斜陽日記』の中心となるのは、その下曽我でのどこか浮世離れしたような母娘の日常である)。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/08/25 21:18 → http://www.freeml.com/bl/316274/195524/

 

 


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