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2012年9月26日 (水)

歴史としての「原子力の明るい未来」 広島篇

 

 

 原子力エネルギーに関しては、プラスイメージもマイナスイメージも歴史的に理解しておく必要がある。私たちが「歴史」を対象に考える際には、現代の視線で当時の感覚を考えてはならないという歴史の鉄則を、ここでも思い出しておきたい。原発推進派も、必ずしも、危険なものを安全と考えて始めたわけでもないかも知れないことへの想像力を持った上で、原発依存政策の定着過程を検証することが重要なのではないか。これは原発反対派が、その都度、どのような論点を反対運動の柱として来たのかの検証と相補的に行なわれることで、歴史を単純で平板な善悪対立の物語としてではなく、当事者にも予測不能なダイナミックな過程として、立体的に把握することへとつながるはずである。

 

…などと書いたのは昨年の話だった( 歴史としての「原子力の明るい未来」 )が、吉見俊哉氏は、近著の『夢の原子力』(ちくま新書 2012)で、原子力エネルギーのプラスイメージの起源と定着過程を明らかにしている。

 

 

 

 印象的なエピソードを引用しておく。

 

 

 さて、一連の原子力平和利用博のなかでも、その文化政治的含意が最も露骨に示されたのは、一九五六年に広島の爆心地(グラウンド・ゼロ)で開催された原子力博である。
 主催者には、中国新聞とUSISだけではなく、広島県、広島市、広島大学が加わり、都市広島をあげての開催となった。主催者の弁では、それまでの原子力博は、主にUSISと地元新聞社が共催しただけであったが、広島はちょうど町ぐるみで広島カープの野球を応援するのと同じように、県も市も大学も全部が博覧会を支える土地柄だということであった。そしてこの博覧会の会場に、その前年に平和記念公園のなかに開設された平和記念資料館(第一会場)と平和記念館(第二会場)が当てられていく。被爆のシンボル的空間での開催である。こうして開館したばかりのこれらの施設での原爆資料展示は、博覧会会期中、近くの基町の公民館に一時的に移されることになった。文字通り、原子力の「被爆」の展示は、原子力の「未来」の展示に取って代わられたのである。
 開会に先立って中国新聞は「原子力に対する理解を深めよう」と題した社説を掲げ、最初の原子爆弾投下によって二十数万の犠牲者を出した広島市民が原子力自体に対して強い憎悪や恐怖に似た感情を抱きつづけてきたことは当然」であったが、「いまやわれわれは、地上において人類がかち得た最大のエネルギーである原子力の平和利用について世界の各国民が全知全能を傾けつつある事実」に関心を寄せるべきだと呼びかけた。どのような関心かというと、原子力に対し「まず主観的な要素を捨て、これを客観的に科学的な眼でながめ、その本質を探り、その価値を判断する」のである。つまりは、「原子力に対しても、まず恐怖とか憎悪とか反感などの先入的な感情を捨て、客観的に対処することが大切」である。それでは、この「客観的に対処する」とはいかなることか――。社説はこれを「国民全体の原子力に対する関心や知識が深まり、平和利用への熱意」が広がることだと説明している(中国新聞、五六年五月二六日)。
 こうした社説に呼応するかのように、紙面には、原子力博は「広島のような原子力と切っても切れぬ関係のある土地ではもっと早く行われ」るべきだったとの声も掲げられた。被爆体験の原子力平和利用博への取り込みは、博覧会の様々な演出を通しても進められ、たとえば「東京会場で呼びもののマジック・ハンドを操作していたIさんは、広島で原爆に会ったアルバイト女学生で、国連軍最高司令官レムニッツァー大将が入場したとき、とっさの思いつきで『歓迎』をマジック・ハンドで大書きした。原子力平和利用博だからこそ、軍人の代表がこの博覧会に関心を示してくれることはうれしかったことだろう。広島では、東と西から放射能雨が降り注ぐ原爆慰霊碑前の会場で、アメリカ大使館が約一億円の出品費を負担して成立したこの博覧会が、世界の平和と現代人の新しい生活の願望のためのささやかなサービス」となるといった主張が繰り広げられた(中国、五六年五月二七日)。
 こうした主張の脳天気さは、他面で原子力博への懐疑的な見方への批判にも転化した。開会式当日、中国新聞は広島市や広島大学の原子力博関係者を集める懇談の場を設けているが、その懇談のなかでも「広島では『原子力イクォール原爆』と思っている人がむしろ知識階級に多い』が、これは誤った観念で、「最近の学生の考え方は、原・水爆と平和利用博覧会とをはっきり区別して割り切ってる」との意見が述べられていた。これは、広島大教授だった高中順一によるものだが、広島市助役の佐々木銑は、「一部に『この博覧会はアメリカの売り込みの手先になることではないか。そういうものに県や市が協力するのはおかしい』と抗議する人がいるが、平和利用は将来必ず実現せねばならない前向きの問題だから、広島が原爆でやられたからといって、この機会を利用しないのは了見がせまい」と批判していた(中国、五六年五月二七日)。
 広島での原子力博には西日本各地から団体客が訪れていたが、そのなかには長崎からの団体客も含まれていた。開会の翌々日の中国新聞は、原爆被害者団体協議会に出席するために広島を訪れた長崎原爆青年乙女の会の一行が原子力博の会場を見学したことを伝えている。同じ被爆地長崎から原子力博にやって来た一行は、新聞のインタビューに答え、「私たちは原爆ときいただけで心からの憤りを感じますが、会場を一巡してみて原子力がいかに人類に役立っているかが分かりました」と語っている(中国、五六年五月二九日)。
 このように、爆心地広島で開催された原子力博覧会は、広島と長崎の被爆者を巻き込み、原子力を原爆の記憶とだけ結びつけることを声高に批判し、原子力平和利用の客観性と世界性、進歩性を強調し続けたのである。
     吉見俊哉 『夢の原子力』 ちくま新書 2012  148~151ページ

 

 

 ビキニ環礁で第五福竜丸が被爆したのは1954年3月のことであって、この広島での原子力平和利用博覧会の開催は、その経験を経ての日本での、それも広島での話なのである。

 

 ちなみに、原子力平和利用博覧会の開催は、1954年8月の新宿伊勢丹百貨店での読売新聞主催の「だれにもわかる原子力展」に始まる流れの中で、1955年末の東京・日比谷公園での開催(読売新聞主催)とその成功を嚆矢とし、その後の列島巡回となったものである。

 日本の「原子力平和利用」の歴史が語られる際には、読売新聞社と正力松太郎の役割の大きさが強調されるが、京都と大阪での原子力平和利用博覧会の主催者は朝日新聞社なのであった。

 被爆地広島の人々にとっても、そして被爆地広島で開催された「原子力平和利用博」を訪れた「長崎原爆青年乙女の会の一行」にとっても、「原子力の明るい未来」イメージは(当時の日本国民の多くと同様に)共有され得るものであったのである。

 戦争の帰趨を決定したのが原爆だった。つまり、圧倒的な科学の力だった。それが、戦後の日本人に深く刻み込まれたトラウマであり、そこに成立したのが、

 原子力=原爆=科学の力

…という構図であったということなのだろうか? あの戦争の敗戦をもたらした非科学的精神主義へのトラウマが、原子力の明るい未来イメージに結実した、と言えるのかも知れない。

 アイゼンハワーが「平和のための原子力」を打ち出すと、原子力=原爆の忌まわしさが薄められ、「原子力=科学による明るい未来」のイメージが前景化する。原子力エネルギーのプラスイメージが前景化するわけである。

 被爆という形の被曝(放射能被害)は、広島という都市と住民に対するマイナスイメージを日本国民の間に醸成させた(それはヒバクシャ差別として現実化した)側面さえあるように思われるが、アイゼンハワーによる「平和のための原子力」は、そのような現実の逆転に結びつくかも知れないのである。原子力の持つマイナスイメージ(被曝=放射能被害)のプラスイメージ(原子力の平和利用)への逆転は、広島の人々に刻印されたヒバクシャとしての境遇の逆転に結びつくものと期待されたからこその平和利用博開催であり、平和利用博への広島市民の支持であったようにも思われる。

 

 

 総じて見れば、読売新聞社から朝日新聞社まで、広島・長崎市民も含めての、戦後日本国民の抱いた、原子力の平和利用への夢であったわけである。そして、その夢から覚めての過酷な現実が、福島の人々のものとなってしまってから、既に一年半が過ぎてしまったのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/08/22 18:31 → http://www.freeml.com/bl/316274/195381/

 

 

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