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2012年9月14日 (金)

被災地で「どうして生きなきゃならないのか」と問われた時

 

 先日の平沢進氏の「音楽と放射能」に続いて、今回は森川すいめい氏の文章を紹介したい。これも、同じ『現代思想』9月臨時増刊号(2011 Vol.39-12 緊急復刊[イマーゴ] 総特集 東日本大震災と〈こころ〉の行方)に掲載されていたものである。

 

 

 東日本大震災での、人々へのメンタルヘルスを考えるときに最も必要な視点の一つは、これまでに大切にしていたもの、こと、場合によっては「生きる理由」を突然失った人々が多数おられるということである。ある人にとって、それは家族であり、ある人にとっては、半生を掛けて育てた旅館であった。それらは、思い出としてしまいこんだり、忘れようとしたりするにはあまりにも大きく、人々に影響を与えた。地元の人からは、「過ぎ去ってしまったこと」「考えても仕方がない」と何度も聴いた。ところが、「そのようにできなくて苦しい」「みんな同じなのに私だけ気持が切り替えられない」と、自責の念さえも込めながら語った人もおられた。失ったものが、その人がこれから生きるための、自身の未来を想像するためのものとしても重要であったからかもしれない。それは、仕事を失ったら別の仕事をまた始めればよいという単純な話ではなかった。漁師として四〇年、誇り高く生きてきたある方は、単に漁師以外の仕事が技術的にできないかもしれないということではないと言った。それは、誇り高く生きていく場が漁師であったということであった。漁師という場以外で、果たして自分らしく生きられるのかと、今後は何のために生きるのかと自問自答していた。生きる理由を失いかけていた方が「どうして生きなきゃならないのか」と精神科医に問うた。避難所で身動きとれずに蹲っていた方に、PTSD、うつ病などと診断基準に見合うからと診断をしてもあまり意味がないと感じたことも多かった。抗うつ剤は効かない。稼ぐ手段を失ってお金がないというならば生活保護を取れば安心できるということでも決してなかった。必死に、今までの自らの生き方を守るために生きてきた方と多数お会いした。私たちは、「生きる理由」を失わない支援が必要だと感じたが、それは、容易ではなかった。
     (森川すいめい 「被災地で『どうして生きなきゃならないのか』と問われた時 処方薬以外の処方箋」 前掲『現代思想』 67~68ページ)

 

 

 「被災者の心のケアの必要性」という言葉を発することは簡単であるが、そして、その「必要性」は否定しようがないが、その実現は「簡単」なことではない。そこにいるのは、それぞれに取り換えることの出来ぬ人生の歴史を背負った異なる人間なのであり、「被災者一般」の「心」の問題ではないのである。確かに同じ大震災の被災者であるにしても、それまでの人生が異なるように、大震災の被災がその人の人生にもたらした状況も異なるのである。

 森川氏が被災地で出会ったのも、同じ大震災の被災者であり、震災の被災者であるという共通点では結ばれつつも、それぞれに異なる困難に直面している人々なのであった。

 そのような人々と向き合う時間を通して得た感懐を、森川氏は次のように記している。

 

 

 そのままのあなたで生きていいのではないか。直接的にこの言葉を使ったことはなかったが、この地で必要なことは、変わらなくていい、直さなくていいと伝え続けることだった。人が変わることを求められるのは、何か大きな困難に対して、このままの自分ではダメだと思う時か他者からそのように思われる時であろう。しかし、「変わる」というのはどういうことか。果たして、変わることができる人というのは誰なのか。精神医学の中ではこのようなことを言う人もいる。変わらなくてはならない出来事に直面した時に「人間は変わらなくていい。行動を工夫するのみだ」と。それは、これまでの自分を否定し「変化」をするということではなく、これまでの正負すべてを経験値として糧にしながら「成長」をしていくという意味になる。相談の中で、行動を工夫するための処方箋をいくつかきった。最適な処方箋を発行するためには、もちろん、とても長い時間の傾聴が必要だった。
          (70ページ)

 

 

 ここで森川氏は、被災者一般について語っているのではなく、個々の被災者に向き合う経験がもたらした認識を述べているのである。書かれるのは個々に異なる「処方箋」でなければならないが、森川氏は、個々に異なる「処方箋」を書く側に求められる基本的認識をこのようなものとして示している、ということなのだ。

 「長い傾聴の時間が必要」になるのは、まさに個別の被災者に向き合うからこそなのであり、被災地の外で暮らす私たちにもまた、森川氏の語る言葉を通して、被災者のそれぞれの異なる困難への想像力を持つことが求められる。私たちは被災地の一般的状況から目を離すべきではないし、その改善のための支援を怠るべきではないが、その支援を実質的なものとするためには、個々の被災者の個別の困難に対する想像力を持ち続ける必要がある、ということなのである。

 

 

 前回の記事では、平沢進氏の文章(「音楽と放射能」)について、私は、

 

  ジャーナリストの善意と正義感が見落とし、平沢氏の想像力が掬い取った、

   しかし、この医師は様々な理由でそこに留まる住民と共に汚染地域で暮らしている。この事実と、そして医師の「徹底的に除染しろ、だが心配するな」という言葉が含む矛盾に目を向けるべきなのだ。

 …という構図を(そしてその構図を見落とさぬ想像力を)、私たちも共有したい、と思う。

 

…と書いたのだが、善意と正義感にあふれたあのジャーナリストに欠けていたのが、被災地の当事者の直面する困難とそれへの対峙の仕方への想像力であったし、被災地の当事者としての話を個々の被災者に向き合い傾聴しようという努力であったように思われる。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/09/11 21:26 → http://www.freeml.com/bl/316274/196531/

 

 

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