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2012年9月10日 (月)

第二の被曝

 

 平沢進氏は、

 

 三・一一震災以降、放射能という見えない脅威が日常を覆った。科学はそれを手なずけるだけの成熟を見ないまま、巨大な怪物を産んでしまった。関係機関や政府の公式発表、マスメディアからの情報は信頼を失い、真実を探り当てるべく奮闘する独立系ジャーナリストたちも一斉に放射能の恐怖へと焦点を定める。勿論それは必要なことなのだが、この物語の主人公が人間であるなら、決定的に欠けている何かがある。結果人々は日々逃れられない恐怖に縛り付けられ、絶望しろ、絶望しろ、絶望しろとまくし立てられているようにすら見えてくる。人々は文字通り被曝し、そしてその後は「不安」「恐怖」さらには致死量に至る「絶望」をも被曝している。この第二の被曝に関する警鐘は今、第一の被曝をめぐる喧騒でかき消されている。

 人々はまず第一の被曝を受け、あらゆる場面で解決を渇望しているのだが、しかし、第一の被曝がもたらすとされる不幸を助長し、場合によっては蒙らなくてもよい被害を作り出す第二の被曝の処方箋へと視野を広げなければ悪夢が去るのは遠い遠い未来だ。

     (平沢進 「音楽と放射能 手品師が見た日本の『放射能体験』」 『現代思想』9月臨時増刊号 緊急復刊[イマーゴ] 総特集 東日本大震災と〈こころ〉の行方 2011 Vol.39-12  191ページ)

 

…と、書いている。一年前の(「緊急復刊」された)[イマーゴ]に掲載された文章だ。

 

 

 平沢氏はその先で、

 

 福島第一原発から五〇キロメートルほどの汚染地域で開業する医師が、住民に対して「徹底的に除染せよ、しかし除染しきれない放射能はもう心配するな」と言ったことについて、あるジャーナリストは「馬鹿げた冗談だ」と一刀両断に切り捨てた。勿論これはジャーナリストの善意と正義感から出た言葉だろう。しかし手品師はこれを「被曝原理主義」の失敗例と見る。汚染された地域を捨てて疎開しろというのは簡単だ。しかし、この医師は様々な理由でそこに留まる住民と共に汚染地域で暮らしている。この事実と、そして医師の「徹底的に除染しろ、だが心配するな」という言葉が含む矛盾に目を向けるべきなのだ。そうすれば医師が”虚構を奏で、手品によって現実体験の質を変換し、第二の被曝を回避”しようとしていることがわかるはずだ。これはパニックを回避するために政府が嘘の情報を流すこととは目的も次元も全く異なる。医師ならば、第二の被曝の恐ろしさを充分理解しているだろう。それは人から落ち着きと気力を奪って免疫力、自己修復能力を低下させ、時には致死量の絶望へと発展する。第一の被曝によって動きだした見えない殺し屋に、より良い労働環境を与えてしまうことになるのだ。住民も医師も、これからずっとその場所で見えない殺し屋と共に生きなければならないというのに。
          (193ページ)

 

…と書き進めている。

 

 

 平沢氏の肩書はミュージシャンであり、自身について、

 

 私は今、「科学者」でもなく、「呪術師」でもなく、「手品師」という第三の選択を経た音楽家として「日本の放射能体験」を眺めている。

 

…という書き方をしているが、私は「徹底的に除染せよ、しかし除染しきれない放射能はもう心配するな」と言った開業医の言葉を深いところで理解した平沢氏の視線に共感する。

 ジャーナリストの善意と正義感が見落とし、平沢氏の想像力が掬い取った、

  しかし、この医師は様々な理由でそこに留まる住民と共に汚染地域で暮らしている。この事実と、そして医師の「徹底的に除染しろ、だが心配するな」という言葉が含む矛盾に目を向けるべきなのだ。

…という構図を(そしてその構図を見落とさぬ想像力を)、私たちも共有したい、と思う。

 

 今回の原発災害に関しては、被災者住民には、

  避難する権利がある

  政府には避難する権利を保証し生活支援する義務がある

…ということと同時に、被災者住民には、

  住み続ける権利がある

  政府には住み続ける権利を保証するために除染を徹底し生活支援する義務がある

…ということなのであり、どちらも被災者住民の権利として最大限に保障されなければならないのであって、この両者を二者択一的に考えることは誤りなのだ。

 そして「政府の義務」は、「主権者としての国民の義務」でもあるのだということを忘れるべきではない。

 国民としての私たちにも、被災者の避難する権利を擁護し避難生活を支援することと同時に、住民としての住み続ける権利を擁護し現地生活を支援する義務があるのだと考えておくべきであろう。

 ネット上では、「避難する権利」を主張する人々の中に、「住み続ける権利」の下に被災現地にとどまった人々を誹謗中傷することに熱中する人が散見されるが、非常に悲しく困ったことだと感じている。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2012/09/10 00:15 → http://www.freeml.com/bl/316274/196401/

 

  

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