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2012年8月 7日 (火)

統帥の無責任としての特攻精神 2 (従軍体験の中の皇軍)

 

 会田雄次の発言として、

 

 彼(ビルマの最高司令官・木村兵太郎大将)は気分としてどうしても許すことができない。あの男は片腕を失った兵隊でも除隊を許さず敵にかみついて死ねと前線に送りだした。だが英軍が来るとラングーンに何万という日本の婦女子、看護婦、一般市民、それから軍隊を置いて逃げ帰ってしまった。卑劣とも何ともいいようがない敗戦責任者です。だから戦犯で処刑するのではなくて、敗戦責任で殺すべきだったと思う。部下をおいて逃げて帰ってしまった司令官はそうされてしかるべきです。しかも彼らは逃げて帰る時の飛行機のなかで辞令によって昇進している。

 

…というものがあるらしい(「日本人は敗戦を認めよ」 月刊【発言者】 Aug.'95. 西部邁事務所)。確かに、あの『アーロン収容所』中にも、この木村の所業に対する怒りが書かれていたことを思い出す。

 また、会田は続けて、次のようにも言っている。

 

 私は少なくとも戦争中に将官になっていた人々は、天皇陛下の命令で任務についたわけですから、全員切腹するのかと思った。昔の武士のように腹を切るのだと思った。ところが阿南陸相など四、五人が腹を切っただけでした。それどころか、日本人はその人たちを戦後持ち上げた。なかでも辻参謀というとんでもない破廉恥男を、参議院でトップ当選させた。この男は単なる人殺しです。こんな男を選挙で当選させるから、ますますわけがわからなくなった。
 一方B、C級戦犯の場合のように明らかに無実の男が残虐行為だといってどんどん絞首刑になっているにもかかわらず私たちは反抗もしなかった。けしからんともいわなかった。

 

 

 前回、特攻精神礼賛的メンタリティーへの違和感について書いたが、そこで「統帥の無責任」という視点を提示した。

 歴史としての大東亜戦争を振り返る時、皇軍という組織の抱えた問題として、そして皇軍という組織を抱えていた大日本帝國そのものの問題として、この「統帥の無責任」という問題に、あらためて私たちがきちんと立ち向かう必要を感じる。

 靖国の英霊、その犠牲を無駄なものとしないためには、この「統帥の無責任」という問題をうやむやにすることは許されないのだと思う。

 そんなことを考える上で、先に引用した会田雄次の発言を深く噛み締めておきたい。

 

 皇軍兵士としての戦場での体験が、会田に、そのような言葉を吐かせているということ。根底にあるのは、皇軍という存在への批判(その存在様態への批判)である。

 この問題は、会田に限らず、たとえば山本七平にも共有されているものであり、山本の旧日本軍批判も激烈なものだ。

 つまり、職業軍人ではない二人の従軍体験は、皇軍という存在への怒りに収斂しているのである。

 

 この感情は、多くの従軍体験世代に共通したものだと思われる。そして、それが継承されることなく忘れ去られようとしているようにも見える。渡辺昇一氏や小堀桂一郎氏の書くものから抜け落ちているのがこの問題(つまり「統帥の無責任」という、皇軍と大日本帝國の抱える問題)であり、それは彼らが従軍体験のない世代に属するがゆえであるようにさえ思える(こんなことを戦後生まれの私が言うのもなんだが、両人共に、その意味でお気楽なのである)。

 

 

 

終戦後海軍当局ノ釈明ニヨレバ、敗勢急迫ニヨル焦リト、巨艦維持ノ困難化(一日分ノ重油消費量ハ駆逐艦三十隻ノソレニ当ル)ノタメ、常識ヲ一擲シテ敢ヘテ採用セル作戦ナリトイフ アタラ十隻ノ優秀艦ト、数千人ノ人命ヲ喪失シ、慙愧ニ耐ヘザル如キ口吻ナリ
カカル状況ヲ斟酌スルモ、ソノ余リニ稚拙、無思慮ノ作戦ナルハ明ラカナリ

 

艦隊敗残ノ状既ニ蔽ヒ難ク、決定的敗北ハ単ナル時間ノ問題ナリ――何ノ故ノ敗戦ゾ 如何ナレバ日本ハ敗ルルカ
マタ第一線配置タル我ラガ命スデニ且夕ニ迫ル――何ノ故ノ死カ 何ヲアガナヒ、如何ニ報イラルベキ死カ
     吉田満 『戦艦大和の最期』 (創元社 昭和二十七年)

 

 ここに残された吉田満の怒り、そして戦艦大和と共に失われた「数千人ノ人命」に思いを致す時、あらためて会田雄次や山本七平の皇軍という存在(その存在様態、つまり現実としての皇軍組織)への怒りをも思い出し、それを継承しなければならないことを痛感させられるのだ。

 

 私たちが、あの臼淵大尉の残した、

 

「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ
日本ハ進歩トイフモノヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダハツテ、真ノ進歩ヲ忘レテヰタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ
俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂャナイカ」

 

…という言葉(吉田満 前掲書)に応えるためには(つまり、彼らの死を無駄なものとしないためには)、「特攻精神礼賛」で思考を停止するのではなく、「特攻」を生み出した「統帥の無責任」という問題を追求することを忘れてはならないのではないか。

 臼淵大尉は大和乗り組みの将兵を前に、

  負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ

…と語ったわけだが、この言葉に「特攻精神礼賛」で応えては、いまだに、

  負ケテ目ザメルコトガ出来ヌモノ

…で終わってしまうように思われるのである。

 

 

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2011/11/29 22:10 → http://www.freeml.com/bl/316274/176533/

 

 

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