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2012年8月10日 (金)

統帥の無責任としての特攻精神 8 (ボンバールと靖國の英霊)

 

 前回は、アラン・ボンバールの知見によりながら、B-29スーパー・ダンボの存在の意味を再検討したわけだが、帝國陸海軍が、不時着水した陸海軍航空隊爆撃機搭乗員のために、どのような救難システムを用意していたのかについては、今のところ、何の知識もない状態である。

 

 

 ここでは、前々回に紹介した、

 

 太平洋戦争中に撃沈された一〇〇総トン以上の日本の商船の総数は二五六八隻、八三八万総トンに達している。そしてその中の多くは軍隊輸送の最中に撃沈されており、その犠牲になった将兵の数はおよそ九万五五〇〇名に達しているのである。
 この数は陸軍歩兵八個師団に相当するもので、しかもこの八個師団の将兵は戦わずして無為に失われたもので、各戦線での戦力の絶対的な不足の大きな要因になったわけである。
 太平洋戦争において犠牲になった日本の陸海軍将兵の総数はおよそ一八六万五〇〇〇名とされている。輸送船の撃沈で失われた将兵はこの中の五・一パーセントという無視できない数字となって現れているのである。
     大内建二 『悲劇の輸送船』 (375~376ページ)

 

…という歴史的事実の背景に立ち入ることから始めてみたい。陸軍将兵の海上輸送に際して、彼らがどのような配慮の下に取扱われていたのか?という問題である。

 

 大内氏は書中で、連合国による将兵の海上輸送と、帝國陸海軍によるそれとの比較検討を五項目にわたり行なっている。

 その中の二項目を、ここで引用紹介したい。大内氏は、戦時日本の軍隊輸送船の問題を、

 

 (4)、救命設備は乗船者全員を救助できるだけの十分な数のボートあるいはライフラフトを備えているのは例外中の例外で、既存の救命艇以外には木や竹で組み上げた簡易式筏は搭載されていたが、乗船者全員を収容する数を備えている例はほとんどなく、不足分は甲板上に角材や竹の束を搭載し、沈没に際してはこれらを海面に投げ込み、海に飛び込んだ者がこれにつかまり漂流する方法が採られていた。しかし遭難経験者の話では、漂流者が海面で角材や竹の束にしがみつくことは泳ぎに熟練した者にはできても、大半の漂流者には至難の業で、結局は机上の考えを実行したものと考えるのが妥当である。つまり日本の軍隊輸送船では救命設備の完備ということは、全く存在し得ないことであったことになる。
 (5)、貨物船は本来が人間を輸送する構造にはなっていないものであるが、日本の軍隊輸送はこの「なってはいないもの」を多用したことに問題があった。つまり貨物の搭載場所である中甲板(上甲板と船倉の間に設けられた強度甲板=貨物の搭載場所に使われる)が兵員の居住場所になった。そしてここには乗船する兵員が手足を伸ばして休息するには、常に面積が不足する休息場所(木材で組み上げられた三~四段構造の寝棚=いわゆるカイコ棚)が組み上げられ、兵員たちはこのプライバシーと衛生的という言葉も存在しない劣悪な環境の中で居住を強いられ輸送された。
 実際の例としても、カイコ棚の総面積に対する乗船兵員の割合は、大半が極端な居住性オーバーな状態で、例えばカイコ棚三・三平方メートル当たりの収容人員は、四~六名という状況で、収容された兵員は手足を伸ばして就寝することもできず、お互いに背中をもたせ掛け合いながらの休息となる。多くの兵員は基本的には厳禁である上甲板にしばしの間横たわることで、就寝の時を過ごさざるを得なかった。
 そしてこの状況は乗船する船が不足し出した一九四四年後半になるにつれて過酷さを増していった。
 この過密な収容状況の中で雷撃を受けた場合、居住区域内は大混乱となり、スムーズな脱出を企てること自体不可能になり、犠牲者の数が増加するのは当然である。また貨物船の場合は船倉に魚雷が命中した場合には、爆発力でその上の中甲板の床は大きく破壊され、周辺に配置されているカイコ棚は激しく破壊されるために、当然のこととして犠牲者が増えるのである。
 つまり軍隊を船舶で輸送ということに対し、日本の場合には将兵の人命と人道ということに対する配慮は最低の状態になり、言い換えれば将兵は貨物扱いと極言できる程の劣悪な環境の中で運ばれていったわけである。この状況があるからこそ、軍隊輸送船の沈没に際して犠牲者が欧米に比べて圧倒的に高いことが理解出来るのである。
          (374~375ページ)

 

…と整理しているのである。

 大内氏は、「日本の軍隊輸送船では救命設備の完備ということは、全く存在し得ないことであったことになる」と言うのだ。

 「救命設備は乗船者全員を救助できるだけの十分な数のボートあるいはライフラフトを備えているのは例外中の例外」なのであり、つまりボートで海上を漂流することへの可能性自体が存在しないのである。

 しかも、そもそもが「過密な収容状況の中で雷撃を受けた場合、居住区域内は大混乱となり、スムーズな脱出を企てること自体不可能」なのであって、沈む輸送船の中に閉じ込められたままというケースが多かったわけである。

 たとえ、「例外中の例外」としてボートを手に入れることが出来たにしても、米軍に制海権も制空権も奪われた状況では、友軍による捜索も救助も望めないのである。

 

 それが、

  太平洋戦争において犠牲になった日本の陸海軍将兵の総数はおよそ一八六万五〇〇〇名とされている。

  輸送船の撃沈で失われた将兵はこの中の五・一パーセントという無視できない数字となって現れているのである。

…という数字の内実である(註:1)。

 彼らは、ボンバールの記した状況さえ経験することなく、海に沈んだのだ。

 靖国の英霊の二十人に一人は、そのような死を経験したということなのである。

 

 

 

【註:1】
 帝國陸海軍に、将兵の「生存率の向上」という発想は存在したのだろうか?
 もっとも、「一億総特攻」をスローガンとしてしまえば、「生存率」など問題にならないわけである。

 

 

 

(オリジナルは、投稿日時 : 2011/12/15 22:00 → http://www.freeml.com/bl/316274/177755/

 

 

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