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2012年8月 9日 (木)

統帥の無責任としての特攻精神 6 (海に沈んだ「陸軍」将兵)

 

 「統帥の無責任しての特攻精神」という問題を考え続けているわけだが、その出発点にあったのは、かつての日本軍の用いた特攻作戦についての、

  前線での戦闘過程における、已むに已まれぬ行為としての生還を期さない攻撃なのではなく、中央で作戦として立案され業務として遂行されていく、敵への攻撃でも効果的な防御でもなく、前線パイロットの死を自己目的化した軍事行動に過ぎなくなっていくのである。「玉砕」についてもまた、同様の構図が描けるだろう。
  そこにあるのは、軍事における統帥の無責任である。

…との認識であり、対比的に、B-29のスーパー・ダンボと呼ばれる洋上救難型の機種の実態を追求することで、

  救難システムの存在には、単なる人命尊重以上の意味があったのである。搭乗員には訓練が必要であり、その養成には時間と資金の投下が不可欠なのである。爆撃機搭乗員とは、その養成に多くのコストを要するものなのであり、使い捨てにするのではなく使いまわさねばならないものなのである。要するに、米軍における救難システムの存在は、単に軍人兵士の人命尊重を意味するだけではなく、戦争遂行のマネジメントの問題でもあるということなのだ。
  特攻とは、訓練養成にコストを要するパイロットを使い捨てにすること(もちろん、航空機という生産に高いコストを要する兵器も使い捨てにされる)で可能となる軍事行動である。
  戦争遂行のマネジメントという観点からしても、軍事作戦としての「特攻」という選択は、「統帥の無責任」を象徴した行為であることを、あらためて確認しておく必要を感じる。

…との認識に立至ったわけである。

 

 

 今回は「戦争遂行のマネジメント」としての「統帥の無責任」という問題意識から、「海に沈んだ陸軍将兵」について考えてみたい。

 

 

 この戦争で戦時商船、輸送船に対して日本が犯した失敗の原因を一言で言うならば、「過去のあらゆる体験や失敗に対する原因の究明の欠如と、そこから早急に新しい対策(ソフト・ハード両面の)を生み出そうとする積極的な思考の完全な欠如」であろう。
 自らの行動の結果に対する分析と検討と、次なる対策を早急に考え出そうとする一つのシステムがほとんど機能していなかったことは、軍という組織の中に長い間に育ってしまった習慣の尊重と形式主義の横行、言い換えれば事勿れ主義の横行と常に進取の精神に満ちあふれた科学技術に対する研鑽の欠如の気風の蔓延であったと考えざるを得ないのである。
 第二次大戦中に発生した連合軍側と日本の商船の損害を見たとき、そこには特異な違いがあることに気がつく。それは商船の沈没によって発生する犠牲者の数において日本が圧倒的に多いことである。
 客船や貨物船を軍隊輸送船として徴用し、それらが撃沈された時、一船あたりの犠牲者の数が一〇〇〇名を越えるという例は連合軍側ではわずかに三例を見るだけである。しかもその例の犠牲者の大多数は、輸送中の枢軸軍の捕虜が犠牲となったり、緒戦において連合軍の撤退将兵と民間人の混乗する商船の沈没等の特殊な例に限られていることである。
 ところが日本では一〇〇〇名を超える犠牲を出した沈没事例は実に五〇例にも達するのである。そしてその犠牲者のほとんどが輸送途中の将兵であるという事実に異常性がある。
     大内建二 『悲劇の輸送船 言語道断の戦時輸送の実態』 光人社NF文庫 2007 368~370ページ)

 太平洋戦争中に撃沈された一〇〇総トン以上の日本の商船の総数は二五六八隻、八三八万総トンに達している。そしてその中の多くは軍隊輸送の最中に撃沈されており、その犠牲になった将兵の数はおよそ九万五五〇〇名に達しているのである。
 この数は陸軍歩兵八個師団に相当するもので、しかもこの八個師団の将兵は戦わずして無為に失われたもので、各戦線での戦力の絶対的な不足の大きな要因になったわけである。
 太平洋戦争において犠牲になった日本の陸海軍将兵の総数はおよそ一八六万五〇〇〇名とされている。輸送船の撃沈で失われた将兵はこの中の五・一パーセントという無視できない数字となって現れているのである。
 勿論、輸送船の撃沈で犠牲になったのは将兵ばかりではない。一般民間人や軍属も合計四万八八〇〇名という多数の犠牲を出しているばかりか、各種輸送船の乗組員もおよそ三万一〇〇〇名も失われたのである。
 つまり二五七〇隻の商船の損失の陰には合計十七万五三〇〇名という想像を絶する数の人命が失われているのである。
 日本と欧米の戦時商船の損害の違いの中に隠されている真の犠牲の原因を改めて認識していただきたい。
     (同書 375~376ページ)

 

 つまり、大東亜戦争の対米英戦争段階で靖国の英霊となった将兵の二十人に一人は、撃沈された輸送船の船倉に閉じ込められたまま死んでいったということなのである。

 大内氏は、「この数は陸軍歩兵八個師団に相当するもので、しかもこの八個師団の将兵は戦わずして無為に失われたもので、各戦線での戦力の絶対的な不足の大きな要因になった」と書いているが、そのような事態を引き起こした責任の所在はどこにあるのか?

 

 対米英戦争を開始するに際して、統帥部は船舶需給の見通しを完全に見誤ったし(それは恒常的な船舶不足と、後の「第二次戦時標準船」の粗製濫造―詳細は「註:1」参照―に帰結する)、太平洋戦域という海上輸送が不可欠となる戦場における輸送船団の海上護衛の必要性を考慮することがなかった。南方でやっと獲得した貴重な資源の本土への輸送にも、本土から戦場への兵員と装備の輸送にも、長距離の海上輸送が不可欠であったにもかかわらず、輸送船舶の用意においても、その護衛艦隊の準備においても、あまりに杜撰なものであった。

 

 それは、死んだ兵士にとっては何より自分自身の命の問題であったし、兵士の家族にとっては大事な父であり息子を失うことを意味したわけだが、戦力の基盤である将兵の命の軽視は、軍事的には戦争遂行に必要な戦力の喪失そのものとして帰結し、その重要な問題に無自覚な統帥部の作戦行動に依存した国家の敗戦は必然であったと言うしかない。

 死を恐れない勇猛な兵士は精強な軍隊を基礎付けるが、兵士の生命を消耗品扱いして平気な将軍の存在は、近代総力戦時代の軍を敗北に導くのである。

 兵士はいくら死のうが、新たに召集すれば補充される。そのような考えは、銃後の生産過程から熟練した労働力を奪い、総力戦遂行を根底から突き崩してしまう(註:1)。

 兵士の命の軽視という倫理的問題というだけでなく、総力戦遂行のマネジメントという観点からも、大日本帝國における「統帥」の問題は追及されるべきである(その象徴的事例として「特攻」が位置付けられる)。

 詰まるところ、負けるべくして負けているのだ。それも兵士の生命の徹底的な軽視の上に、である。

 「統帥の無責任」という問題が、輸送船もろとも沈められたりジャングルの奥で餓死した兵士を靖国の英霊として祀り上げることで済ませられては、心情的な「特攻精神礼賛」で思考を停止して終わらせてしまうようでは、それこそ「英霊に相済まない」話ではないか? これは既に戦後を生きる私たちの問題となっているのである。

 

 

 

【註:1】
 艦政本部は第二次戦時標準船の設計に際し、徹底した工期短縮を行なうために建造予定の各形式の船について、抜本的な対策としてかなり強引な設計の簡略化、それに伴う強引なまでの工作の簡略化を実施したのである。この抜本的な対策とは次のようになっていた。
 (イ)、早期完成のために量産化に適した構造の船であること。
 (ロ)、材料と工数の徹底した節約と節減。
 (ハ)、(ロ)項の要求から完成した個々の船舶の寿命は短期であっても可とする(戦争期間だけ持てば良い)。
 (ニ)、運用効率の上から一隻当たりの載貨重量は極力大きくする。
 (ホ)、個船には高性能は求めない。従って機関の低馬力と低速力は容認する(量産の利く低価格、低性能の機関の搭載が前提条件)。
 第二次戦時標準船に貫かれた建造方針は、一にも二にも徹底した簡易・簡略構造による建造機関の短縮であった。そして結果的にはこの第二次戦時標準船こそ、後に粗製濫造の見本として周知された、いわゆる「戦標船」なのである。
 第二次戦時標準船に採用された主な簡易・簡略化は次のとおりであった。
 (イ)、全船種からの二重底の廃止。
 (ロ)、船体のシーアやキャンバーの廃止。一部を除き曲面加工の廃止。
 (ハ)、ブロック建造方式の大幅採用。
 (ニ)、電気溶接工法の大幅採用。
 (ホ)、付属装置や機器の簡素化。
     大内建二 『戦時標準船入門』 (光人社NF文庫 2010  75~76ページ)

 この徹底した簡易構造の中でもその際たるものは船舶の安全の基本に関わる二重底の廃止であった。二重底とは船底を二重構造に組み上げ、船舶が座礁などしたときに船底の決定的な破損を少しでも軽減し沈没の危機から救うこと、また船体の強度を高めるための基本的な構造として採用されている、船舶の構造上必要不可欠なものである。
 二重底の組み立てはその船が起工され船台上で工事が始まった直後から開始される最重要の工程で、確かに多くの鋼材と多くの作業を要する複雑な工程である。この複雑な工程を排除することは船の建造のスピードアップには確かに極めて効果の大きなものであるが、その反面、船の安全性を根底から否定することでもあり、特に用船者側から見れば信じられない暴挙であった。
 二重底の撤廃に対しては航海の安全が保証されず、任務の遂行も保証できないとして各海運会社等からは、設計主務者である海軍艦政本部に対し厳しい批判と苦言が呈された。しかし艦政本部はこれら全ての批判や苦言を黙殺し二重底撤廃を強行したのである。つまり第二次戦時標準船は大小全ての船が二重底を装備していないという、信じられない構造の船となったのであった。つまり各船の船底は十~二十ミリの鋼板一枚だけであったのである。
 徹底した簡略設計や工作が強行され、また作業工程が簡略化されて完成した船はその後それぞれに多く問題を残すことになった。その代表的な例が水密性の欠陥であった。
 造船所で完成した船が、竣工検査で必ず実施するものに船体の水密性に対する検査があった。これは船体の吃水線以下の船体の漏水の検査で、不良工事は将来的にその船の沈没も招きかねず、事前に徹底的に検査することが決まりであった。ただこの検査は多くの時間を要することになり、不良個所の改修作業も決して容易ではなかった。第二次戦時標準船では完成時のこの検査を極めて簡単な簡易検査だけにとどめてしまったのである。
 このために信じられないことではあるが、完成直後から直ちに輸送任務に投入された各船では、しばらくの間は乗組員による漏水個所の手直し作業が行われるという、異常な状態が続くことが多かったのである。また甲板の鋼材の電気溶接個所も、工作不良により船内に水漏れが生じることは日常的で、就航後は当分の間、乗組員による様々な手直し作業が続くのは当たり前というのもこれらの船の特徴でもあったのである。粗製濫造の極みともいえる状態は確かだったのである。しかしこの混乱は設計だけに原因があるのではなく、後述するように多くの部分が造船作業員の技量の大幅な低下に由来していたのであった。
     (同書 80~82ページ)

…と大内氏は記している。靖国の英霊となった陸軍将兵の二十人に一人が海の底に沈んで死んでいった背景には、このような事情もあることは覚えておいた方がよいだろう。

 大内氏の指摘している、

  しかしこの混乱は設計だけに原因があるのではなく、後述するように多くの部分が造船作業員の技量の大幅な低下に由来していた

…という問題をもたらしたのが、本文に示した、

  兵士はいくら死のうが、新たに召集すれば補充される。そのような考えは、銃後の生産過程から熟練した労働力を奪い、総力戦遂行を根底から突き崩してしまう

…という、大日本帝國の戦争遂行の背後にある構図なのである。

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2011/11/15 22:38 → http://www.freeml.com/bl/316274/175551/
 投稿日時 : 2011/12/08 22:01 → http://www.freeml.com/bl/316274/177168/

 

 

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