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2012年8月10日 (金)

統帥の無責任としての特攻精神 7 (ボンバールとスーパー・ダンボ)

 

 「あの戦争」について、つまり大東亜戦争について考えようとする際に、「特攻」の問題は誰しも避けて通ることが出来ないものの一つであろう。私にとっては、それは、

  帝國陸海軍における、戦闘員の死を自己目的化したようにさえ見える、軍中央で企画立案された作戦行動としての「特攻」の問題

…として、多くのことを考えさせる。

 そこにあるのは、戦闘員の人命の徹底的な軽視である。前回は、「海に沈んだ陸軍将兵」の存在(それは陸軍八個師団に相当する人員の喪失であった)にスポットを当てることで、大日本帝國陸海軍における「戦闘員の人命の徹底的な軽視」の実状を再確認した。

 それに先立つ回では、B-29のスーパー・ダンボと呼ばれる洋上救難型の機種の存在と、遭難したB-29搭乗員の洋上での救助の実際を見ることで、米軍が自軍の戦闘員の人命の問題にどのように対処していたのかを確認してきたわけである。

 

 

 今回は、アラン・ボンバールの知見を基に、洋上の遭難者の生存率の向上に果たしたであろうスーパー・ダンボの役割を再検討してみたい。

 

 まずアラン・ボンバールについて、その著書『実験漂流記』の訳者である近藤等氏による「著者の横顔」の引用から始めると、

 

 スポーツ、とくに水泳が好きであったボンバールは、英仏海峡横断に参加するほどの腕前であると同時に、海そのものが好きで、フランスの港町ブーローニュ・シュール・メールの病院で医師としての第一歩を踏みだした。
 医師として彼は、人体はどこまで飢餓に耐えうるか、という研究に興味をいだき、流刑者、囚人、および食物を十分与えられない人々について研究をつづけていたが、そのうち海難者のケースに関心を寄せるようになり、みずから人体実験をおこなうべく異端者号に乗りこみ、実験漂流を敢行した。
 彼の主張は、「人を殺す絶望を殺さねばならぬ」ということであった。「絶望はかわきよりも早く人を殺す」のである。…

 

…との紹介がある。その「異端者号」による「実験漂流」が、同書の内容ということであるらしい(同書については知人から提供された抜粋のコピーを読んだのみなので)。

 今回のテーマに関しては、

  医師として彼は、人体はどこまで飢餓に耐えうるか、という研究に興味をいだき…

  彼の主張は、「人を殺す絶望を殺さねばならぬ」ということであった。「絶望はかわきよりも早く人を殺す」のである。

…というボンバールの問題意識、特に彼の関心の焦点となった「海難者のケース」こそが、これまで取上げてきた、あのB-29スーパー・ダンボの存在の大きな意味を、あらためて明らかにするものとなるように思われたのである。

 

 

 さて、アラン・ボンバールの関心の焦点となった「海難者のケース」について、その著書『実験漂流記』の記述を読んでみよう。

 

 その「まえがき」は、

  一九五一年、春のある朝、ブーローニュ・シュール・メールでのこと。

…という言葉で始まる。祖父母のアドバイス通りに医師となったボンバールは、ブーローニュ・シュール・メールの病院に勤務していたのであった。カルノー堤防で難破船が発見されたとの連絡があり、彼は病院の救急室で待ち構えていた。

 

 警笛が鳴りひびいて救急車が到着した。ドアが両端にひらかれ、ぼくは自分の立場に優越感を味わいながら、進みでた……たがいに積みかさねられた四十三人の男、彼らはこわれたあやつり人形のようにくにゃくにゃになっていて、みんな救命浮帯をつけていた。ぼくはこの光景を決して忘れないだろう。僕らのあらゆる努力にもかかわらず、この日、甦生したものはひとりもなかった。一分のあやまちによって生じた結果は、四十三人の死者と七十八人の孤児であった。
 ぼくが難船の悲劇について深く考えるようになったのは、このときからだと思う。また「異端者号」遠征の発端も、ここにあるのだと思う。
 難船! このことばは、ぼくにとって、人間のみじめさの表現そのものとなった。これは絶望と飢えとかわきの同意語であった。ブーローニュ市は毎年、その住民中、百名ないし百五十名を海でうしなっていた。世界中では、平時において毎年二十万人が海難で死亡していることをぼくは知った。平均して犠牲者の四分の一は救助船に救われるが、彼らはその後まもなく非常に苦しみながら死亡する。
 人体はどこまで飢餓にたえうるか、という研究について、ぼくはずっと前から興味をもっていた。その結果、ときとして人間は、一般に生理学が限度と定めているよりももっと長く、飢餓にたえうるという確信をもっていた。

 

 飢餓への興味が、医師としての自らの体験を通して、「難船の悲劇」の問題へと収斂していったわけである。その問題意識の焦点と思われる箇所を抜書きしておこう。

 

 要するに、海難者にとっては海はたえまのない危険であるが、人間を憎んでいるのではない。ことに海は不毛の砂漠とはちがう。だから、恐怖にうちかち、海から食物をもとめることは、決して実行不可能ではない。
 これが環境に関してのぼくの出発点であった。そして、この環境をとおして、またこれに反抗して生きのびなければならない人間の肉体については、最悪の条件のもとに長く生きのびた有名な例を研究した結果、生理学者は精神の力とこれが肉体におよぼす影響を考慮しないことが多いのを知った。…

 これらの例は、精神力の重要性についてのぼくの確信を強めた。海難者の九〇パーセントが難船後三日以内に死ぬことが統計で示されているが、これは奇妙な事実である。というのは、飢えやかわきによって死ぬには、もっと多くの時日が必要だからである。
 船が沈むとき、人々は世界が船とともに沈むと思いこむ。足を支える板がなくなるので、勇気と理性が同時にすっかり失われてしまう。このとき、救難ボートがやってきたとしても、それだけではもう救われない。ボートのなかでぐったりとなって、自分たちのみじめさを見つめているだけである。彼らはもはや生きていないのである。
 くらやみのなかで水と風にふるえ、空間、もの音、あるいは静けさにおののく海難者にとって、死ぬのには三日で十分なのである。
 伝説の海難者たちよ、死をいそぐ犠牲者たちよ、諸君は海のために死んだのではない。諸君は飢えのために死んだのではない。また、かわきのために死んだのでもない。諸君はカモメの鳴声をききながら、恐怖のために死んだのである。
 物理的ないし生理的条件それ自身が致命的になるずっと前に、多くの海難者は死んでしまうという事実を、ぼくはまもなく確認した。いかなる物理的素因よりも、いっそう有効で、またすみやかに作用する恐怖心に対して、どう戦えばよいのか?

 

 

 さて、海難者に何が経験されるのか?という問題として考えると、

  船が沈むとき、人々は世界が船とともに沈むと思いこむ。足を支える板がなくなるので、勇気と理性が同時にすっかり失われてしまう。

…とボンバールが記した精神状況が、すべての出発点となるように思われる。

 救命具により、船と共に海に沈むことを免れ、とりあえず救命ボートを手に入れて海上に浮き続けることが出来ただけでは不十分なのである。それだけでは、

  ボートのなかでぐったりとなって、自分たちのみじめさを見つめているだけである。彼らはもはや生きていないのである。

  くらやみのなかで水と風にふるえ、空間、もの音、あるいは静けさにおののく海難者にとって、死ぬのには三日で十分なのである。

…という事態に陥るのが、多くの人間の現実だというのだ。

 

 そんな事態の回避の上で有益なもののひとつが、捜索されている可能性への信頼なのである。自分たちが、海の上に見捨てられた存在なのではなく、捜索されつつあり救助されるであろう存在であると思えることは、海難者の生存に大きく寄与するということなのである(註:1)。

 

 そこに、あのB-29スーパー・ダンボの存在の意味(註:2)が、あらためて見えてくるはずである(註:3)。

 

 

 

【註:1】
 ここには不時着水と難船との違いはあるが、広い洋上をいつか発見される偶然に頼り漂流するだけという状況は多くの人間には耐え難いものであり、たとえ救命ボートを手に入れられたとしても「死ぬのには三日で十分」という事態になってしまう、とボンバールは言うのである。
 それに対し、スーパー・ダンボやOA-10A飛行艇が空から捜索し、海軍艦艇が洋上から支援し、つまり太平洋上を漂流する搭乗員を発見し救助するための努力が存在するという事実は、孤立無援の絶望感に沈むことではなく生き延びる可能性を考えることにつながるだろう。それは、洋上に不時着水した搭乗員の生存率の向上に、大きく寄与したはずである。
 そこにあるのは自分たちが「見捨てられてはいない」という希望であり、より正確には自分たちが「見捨てられることはない」という信頼感である。

 実際に捜索されることで救助され生存が確保されるわけだが、ボンバールの知見により推測されるのは、捜索されているという事実があり、救助のためのシステムが存在するという事実が、それだけで生存率の向上をもたらすだろうという構図である。

【註:2】
 これまでに判明したB-29スーパー・ダンボの姿は、まず飯山氏の『B-29恐るべし』にある記述から、

 一九四五年の初頭から数機のスーパーダンボが救難飛行隊(ARS)に所属してこの任務に就いたが、やがて16機がスーパーダンボとして用いられるように。波間に漂う要救助者を見つけるとA-3ボートはパラシュート投下されて不時着水機の乗員たちを収納。A-3ボートは耐水コンパートメント、防水テントも備えていたが、五百マイル(八百キロ強)の自力航行も可能だったという。
          (169ページ)

…というものであり、「世界の傑作機シリーズ」の『ボーイングB-29』の記述から、搭載されているエドA-3ボートについての、

 A-3は全長29ft9in(9.07m)のアルミ合金製で20区画の耐水コンパートメントと悪天候用のテントふたつを持ち、エンジンで500mile(805km)もの自力走行ができた。
          (36ページ)

…というスペックの高さと、

 4ERS(Emergency Rescue Squadron)
 1945年4月から20AFの隷下で、硫黄島を基地にして救助任務に従事。B-29の胴体下に救命ボートを付けた、「スーパー・ダンボ」のほか、B-17H「ダンボ」とOA-10A(PBY-5Aの陸軍型)を使っていた。
          (52ページ)

…という部隊配備状況までがわかった。
 4ERS部隊にはスーパー・ダンボの他に、B-17H「ダンボ」とOA-10A(PBY-5Aの陸軍型)も配備されており、それらのチームが、空から不時着水したB-29搭乗員を捜索し、全長29ft9in(9.07m)のアルミ合金製で20区画の耐水コンパートメントと悪天候用のテントふたつを持ち、エンジンで500mile(805km)もの自力走行可能な救命ボートを投下し、海軍艦艇に救助されるまでの搭乗員を支援するのである。

【註:3】
 ボンバールの知見は戦後のものなので、それがスーパー・ダンボの開発に影響を与えたはずはない。
 ただし、スーパー・ダンボの開発思想がどのようなものであろうとも、その存在は、ボンバールの知見に適合的であり、洋上に不時着水したB-29搭乗員の生存率向上に、大きく寄与した可能性があるように思われる。
 戦後も同タイプのB-29が製造配備されていた事実は、その可能性を裏付けるものであるようにも考えられる。

 

 

 

(オリジナルは、
 投稿日時 : 2011/12/11 22:59 → http://www.freeml.com/bl/316274/177429/
 投稿日時 : 2011/12/12 21:20 → http://www.freeml.com/bl/316274/177494/
 投稿日時 : 2011/12/14 21:53 → http://www.freeml.com/bl/316274/177673/

 

 

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